山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

夢の中の亡き父

2021-02-26 10:00:25 | 日記2021

今朝もまた鮮明な夢を見ていた。

幹線道路を父が運転している車に乗っている。

そして、私は眠くて寝てしまったが、ふと目を覚ますと、車は狭い路地を走っていた。

その道は、交通量が多く、ごたごたしていて、対向車ともすれ違えないような走りにくい道路である。

一方通行や進行方向が制限されている箇所も多く、父は道もよく知らないので、苦戦しているようだった。

私はその道を知っていて、父の運転を見守りながら、時にはそっちに進むんだと教えたりしながら、車はやっと困難な道を脱出した。

そのあとの場面は室内で、父はどっと疲れていた。「ああ、もう疲れたよ」という。

少し休むといい、ここに寝れば、というと、ソファーにうずもれるように座り、そして目をつぶって眠っている。

かなり調子がわるそうだ。

父は病気なので、悪化したのかもしれないと思う。
(実際、父は不治の病で亡くなったし、実際には発病後、1度も日常生活には戻れなかった。
夢の中では、父は日常生活に戻っている場面が多いが、健康体ではなく、再発や悪化を抱えているという状況で現れてくる。)

母や私も、なんか父の疲れ方は尋常ではなく、大丈夫だろうかと声には出さずに思っているのだった。

・・・

そんなところで、目を覚ました。

こんな夢を見た背景は、最近、車の運転について思ったことがある。

子どもの頃、私は父の運転する車に乗っていたが、ドライブなんかにはほとんど行ったことがない。

せいぜい、お盆などに同県内の父母の実家に行くくらいであった。

日常的には、中学や高校の学校帰り(部活終了6時頃)に急に雨が降ってきたときに、自宅に電話して迎えに来てもらう程度である。

あとは、年に数回くらい、近隣の景色の良い場所に車で散歩に出かけるくらいだった。

父が車に乗るのは、通勤のためであって、毎日車で10分くらいのところを往復していた。

・・・

だから、今の私と父とは車の乗り方が全然違うのである。

私は、平日は全く車には乗らず、週末だけドライブに出かけていく。

そうして、走る道路も全然違っている。

父は都内の幹線道路なんか走ったことはなく、また街中のゴタゴタした道も走ることはほとんどなかっただろう。

その代わり、山の中のうねうねした坂道などは走り慣れていたのだと思う。

だから、夢の中では、私が走り慣れている道路を、父が走ったらこういうことになるということで、そんな内容の夢を見たのかな?と思う。

でも、目が覚めていてもそんなことを具体的にいちいち空想しないのに、夢の中でそんな想定場面が出てくるのだから驚いてしまう。


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