山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

疫痢の怖さ

2014-08-13 23:54:03 | 日記
今日の朝の連続ドラマでは、花子の長男 歩ちゃんが、疫痢になって突然亡くなってしまった。
あまりの急展開にショックが大きい。
関東大震災で郁弥が亡くなったのもショックだったが、これがその当時の現実なんだと思うと本当に恐ろしくなる。

疫痢というのは、赤痢のようなものだが、小さな子供が罹り、赤痢よりももっと重篤なものだそうだ。2日間くらいで急に亡くなってしまう。亡くなる直前には、瞳が黒く大きくきれいな目になるそうだ。
あんなに元気でかわいかった息子が、急に命を失うなんて、親としたら、とても耐えられないことである。

今、私の娘にも子供が出来たが、娘はその娘と毎日を共にし、かわいくてたまらないようだ。私も自分の孫はかわいいけど、娘の子に対する愛情の強さはすごい。自分もそうだったのだなあと思う。
現代では、乳幼児が命を落とすなんて滅多にあることではない。しかし、昔はあんなにも簡単に子供が死んでいったのかと思う。

そういえば、私の母は昭和7年生まれだが、その上に生まれた子が2歳で疫痢でなくなったそうだ。その時、母は生後6カ月で、母乳を飲んでいたので、罹らなかったそうだ。
母の上に5歳年上の兄(長男)がいるが、その後に生まれた子(二男)が生後2ヵ月くらいで亡くなり、その次に生まれた子(長女)が2歳で疫痢で亡くなった。それで母が長女となって、そのあとさらに6人も生まれ、その人たちは無事成長した。

時代で言うと、ちょうど昭和の初めころで、今日のドラマと一致する。母の子供のころは、梅の実を食べると疫痢になると言われたそうである。しかし、おやつのようなものがないので、黄色くなった梅の実を木からとって食べたりしたそうだ。

その後、戦争が始まり、また大変な時代だった。

現代でも、震災があったし、いろんなことがあるけど、疫痢がないだけいい。疫痢は1964年ころには撲滅したらしい。

今、アフリカではエボラ出血熱の感染が広がり、死者がたくさん出てしまっている。なんとか早くおさまってほしい。
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はに丸ジャーナル

2014-08-13 20:03:11 | 日記
さっき、NHKを見ていたら、はに丸くんとひんべえくんが出てきたので、懐かしくてたまらなかった。
はに丸くんたちは、25年ぶりに、NHKの倉庫から出てきたそうだ。

そういえば、うちの長女が28歳なので、3歳くらいまでは見ていたことになる。
下の子は25歳だから、もう倉庫に入れられていて、知らないかもしれない。

たしか、うちに、はに丸くんの絵本があったが、それはもっと年上のいとこの家からもらったものだと思う。
その絵本は、捨てずにどこかにしまってあると思うのだが、なかなかみつからない。

今夜の「はに丸ジャーナル」では、スマホのことをやっていて、スマホのない時代から出てきたはに丸くんの目で見た取材がおもしろかった。
阿川佐和子さんとの話もおもしろかった。

はに丸くん、かわいい。
これから、また復活して、NHKに出てくるのかな?

ユーチューブで探してみたら、DVD発売というのをやっていた。

はに丸とひんべえが久方ぶりにご対面、互いの若さほめ合って笑み


そういえば、三波豊和は「かんだくん」だったと思う。

はに丸君とひんべえの声をやっている人は、30~25年前と同じ人らしい。
そんなに年寄りでもないので、当時は若かったのだろう。
初めて見た。

はに丸くん、これからも出てきたら見たいな~と思う。
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人には人のファッション

2014-08-13 06:39:44 | エッセイ
群ようこの「またたび読書録」の中の「ネガティブでドメスティック」を読んだ。
これは「ちぐはぐな身体」(鷲田清和)を読んで、発想をふくらましたものである。

私は、「ちぐはぐな身体」を読んだことがないので、ここに載っている、その抜粋のごく一部しか知らない。
そして私は「ネガティブでドメスティック」を読んで発想を膨らませる。

「ちぐはぐな身体」の抜粋には、「自分の体は、その痛み等は自分にしかわからないので、自分に最も近く自分自身のものだが、自分の後ろ姿や身体の内部は自分で見ることができず、意外に知らない」というようなことが書いてある。

これは同感である。私もこの度「肩関節周囲炎」というものになって、いったい肩関節の中がどうなっているんだ?と思うが、レントゲン写真に映るわけもなく、私自身もお医者さんも、実際のところはわからない。お医者さんは専門家なので、多少は何かわかっているのかもしれないし、私自身は誰よりも痛み具合がわかるけど、痛いだけで、何がどうなっているかわからない。理学療法でマッサージをしてくれる方々は、どこが固いだの凝っているだの、筋肉が細っただの、私以上にわかる部分もあるようだけど、どこを押すとどのくらい痛いかは、私だけにしかわからない。そこで、どうすると痛いです、だのと伝え、情報を総合しようとするが、結局のところ、私の身体についてわかっている者は私自身を含め、誰もいない。

整形外科の病気というのは、体型や骨格に関係している。ストレートネックだと肩コリになってしまうし、なで肩・いかり肩によって筋肉の張り方が違う。骨盤がゆがんでいると腰や膝が痛くなるらしい。筋肉質の人や筋肉のない人によって、症状も違う。
そうなると、持って生まれた体型が病気を決める。

そして、マッサージ師や指圧師の前に投げ出された身体は、もうごまかしようがない。ゆがみもわかるが、贅肉がどれだけついているか、どれだけ短足なのかも一目瞭然である。

「ちぐはぐな身体」には「ファッションって何?」というサブタイトルがついているらしく、身体の怪我や病気のことよりも、服装のことが書かれているらしい。
ファッションも、第一に持って生まれた体型が問題だ。

「ネガティブでドメスティック」な体型とは、「背が低い」「なで肩」「短足」で着物が似合う体系だそうだ。群よう子さんは、それであるそうだ。
そのため、なかなか格好よく着こなせる服がなく、自分で気に入って買ったコートも、あらためて鏡に映して見ると、その服に本来意図されたステキさとはちがうので、人目を気にして、箪笥の中にしまっているそうだ。

わかるわかる。
私はその前に、人目を気にして買うことさえできないだろう。

「人目を気にする」というのは、はたして自分の幸せになるんだろうか。

最近、電車の中ですごく太った若い女性が、ミニスカートやホットパンツ履いていたりする。あんな太い足を丸出しにしなきゃいいのにと、ついつい見てしまう。一方、ものすごくきれいな足を披露している美人もいる。
しかし・・・
「ネガティブでドメスティック」を読んでみて、あの太った女子もミニスカートを履きたくて履いてるんだからいいじゃないか、と思えるようになった。
ファッションは、きれいな足の人だけの特権ではない。どんなに世間の人が変だと思おうと、自分が楽しめればいいのではないか?多少見苦しいからといって、誰も被害をこうむるわけではない。

そして、本人だってそれが似合っていると思っているとも限らないのだ。承知の上なんだろう。むしろ、ミニスカートやホットパンツのほうが、太すぎる足には履きやすいのかもしれない。丈が長いと足の太さが邪魔してしまうのかも?

人には人の事情があるのだ。

服を買いにいくときに、1人で行かない方が良いと言う人がいる。試着した時に、別の人が後ろ姿を見てあげたり、客観的な感想を述べて、買うか買わないかの的確な判断を促すことができるからだそうだ。
以前、その人と買いものに行ったら、安っぽいとか、後ろ姿が変だとか、太って見えるとか、足が短く見えるとか言って、結局買いたい服を買うことができなかった。

それってどうなの?後ろ姿が多少変でも、鏡に映る自分の前姿が気に入れば、それはその人の幸福ではないのかな?
格好良く見えないのは本人にはわかっているのだ。本人が妥協しているんだからそれでいいのではないか。
どんなに他人が似合うとかステキだとか行っても、自分の好きではない服を着ても幸せにはなれない。安っぽいといわれたからって、高級な服を買う金もないし、無理して予算オーバーした服を買ってどうする?
基準の高い人間と買い物をするのは嫌だなと思った。

そうだ、人には人の体型的、金銭的都合がある。自分の好きなようにファッションを楽しみたい。


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