明日で地震から1年になります。今年は閏年だから、今日で365日だったのか・・・。
昨日は、震災直後の自衛隊の活動をテレビで見、感銘を受けた。自衛隊の人たちの自覚はすごいものだと思う。常日頃、有事のときに備えて心構えや訓練ができているのだなと思ったが、自衛隊の人の話によると、任務や使命感ではなく、人間として今やるべきことは何か、という強い思いが行動になったとのことだった。
自衛隊の人たちは、人命救助の後、行方不明者の捜索がなかなか進まないなかで、がれきの片づけにも当たっていた。本来、片づけや掃除などは自衛隊の仕事ではないのだろうが、その場でできること、必要なことは何か、ということから、その行動に至ったという。がれきやゴミは捨て、思い出は残す。そうやってきちんと整理された場所の映像を見ると、心を落ち着かせることができた。
人のまごころによって手をかけられたものが、どれだけ人を安心させるものかということを感じた。一方、放置されたままのものは、どれだけ、人の心を荒ませてしまうかということだ。
一昔前には、自衛隊は合憲か、とか、日本に自衛隊は必要か不要か、ということが議論されていた。日本に軍隊は必要がないという意見も多かった。自衛隊は、あくまでも、日本に攻めてくる敵国から日本を守るために最低限に必要な軍事力、ということで納得させられていたような感じだった。
しかし、今や、自衛隊は日本になくてはならぬものであり、まさしく自分たち国民を守る軍隊である。誰も異論を唱える余地はない。敵は自然の脅威だ。
いつから、自衛隊の任務が、戦争ではなく、災害救助や救援活動のほうに確立されたかと振り返ると、やはり阪神淡路大震災だったのかと思う。
本当に、自衛隊は在り難く心強い存在だ。
今日の昼間は、今度は一般人の復興の様子をテレビで見ていた。気仙沼は、まだまだ、建物を建てなおすこともままならず、地域一帯が手つかずに近い。
震災から1年もたって、私は次第に被災地のことを忘れて暮らすようになっていた。でも、被災地の人たちは、あれからちっとも変ったことなどなく、飛躍的な復興などは望めず、引き続き、不便で見通しの立たない暮らしを強いられていたのだ。
震災直後に、被災地のために自分も何かをしなければ、と思っていたのに、最近はすっかり忘れていた。あのころの気持ちが戻ってきた。できることならボランティアに行きたいし、本当は現地に行って、自分の目で見なくてはいけないのではないかと思う。現実から目をそむけてはいけないのだと思う。
まった毎日のうのうと暮らしている自分だ。
日本は、昨年の今日までは、平和な国だった。もしも、時間が戻るなら、みな津波が来る場所からは逃げるだろう。そうすれば、命は助かる。でも、原発はどうだろうか。もし津波が来る30分前に予知できたとして、何かできたんだろうか?冷却できたんだろうか?
過ぎ去ったことはどうにもならない。
せめて、今後、こんなことがないようにしなくてはいけない。
原発をなくすこと、地震対策をすること、自分の役割を果たすこと、一生懸命生きること。
昨日は、震災直後の自衛隊の活動をテレビで見、感銘を受けた。自衛隊の人たちの自覚はすごいものだと思う。常日頃、有事のときに備えて心構えや訓練ができているのだなと思ったが、自衛隊の人の話によると、任務や使命感ではなく、人間として今やるべきことは何か、という強い思いが行動になったとのことだった。
自衛隊の人たちは、人命救助の後、行方不明者の捜索がなかなか進まないなかで、がれきの片づけにも当たっていた。本来、片づけや掃除などは自衛隊の仕事ではないのだろうが、その場でできること、必要なことは何か、ということから、その行動に至ったという。がれきやゴミは捨て、思い出は残す。そうやってきちんと整理された場所の映像を見ると、心を落ち着かせることができた。
人のまごころによって手をかけられたものが、どれだけ人を安心させるものかということを感じた。一方、放置されたままのものは、どれだけ、人の心を荒ませてしまうかということだ。
一昔前には、自衛隊は合憲か、とか、日本に自衛隊は必要か不要か、ということが議論されていた。日本に軍隊は必要がないという意見も多かった。自衛隊は、あくまでも、日本に攻めてくる敵国から日本を守るために最低限に必要な軍事力、ということで納得させられていたような感じだった。
しかし、今や、自衛隊は日本になくてはならぬものであり、まさしく自分たち国民を守る軍隊である。誰も異論を唱える余地はない。敵は自然の脅威だ。
いつから、自衛隊の任務が、戦争ではなく、災害救助や救援活動のほうに確立されたかと振り返ると、やはり阪神淡路大震災だったのかと思う。
本当に、自衛隊は在り難く心強い存在だ。
今日の昼間は、今度は一般人の復興の様子をテレビで見ていた。気仙沼は、まだまだ、建物を建てなおすこともままならず、地域一帯が手つかずに近い。
震災から1年もたって、私は次第に被災地のことを忘れて暮らすようになっていた。でも、被災地の人たちは、あれからちっとも変ったことなどなく、飛躍的な復興などは望めず、引き続き、不便で見通しの立たない暮らしを強いられていたのだ。
震災直後に、被災地のために自分も何かをしなければ、と思っていたのに、最近はすっかり忘れていた。あのころの気持ちが戻ってきた。できることならボランティアに行きたいし、本当は現地に行って、自分の目で見なくてはいけないのではないかと思う。現実から目をそむけてはいけないのだと思う。
まった毎日のうのうと暮らしている自分だ。
日本は、昨年の今日までは、平和な国だった。もしも、時間が戻るなら、みな津波が来る場所からは逃げるだろう。そうすれば、命は助かる。でも、原発はどうだろうか。もし津波が来る30分前に予知できたとして、何かできたんだろうか?冷却できたんだろうか?
過ぎ去ったことはどうにもならない。
せめて、今後、こんなことがないようにしなくてはいけない。
原発をなくすこと、地震対策をすること、自分の役割を果たすこと、一生懸命生きること。