山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

初めてのエアロビクス

2008-10-19 21:27:21 | 日記
今日はまた区民センターに行き、エアロビクスの教室に参加してみた。
これがもう大変だ。最初のうちは先生の真似をして、楽しくついて行けていたのだが、ステップが複雑になり何種類かつなげられ、手の振りもついたら、もう何がなんだかわからなくなってきた。汗だくになり体力も疲れてきた上に、頭の回転がついて行かない。もう手はあきらめて足だけまねしたりしてたけど、きっと手の振りがついたほうが体が動きやすいのだろう。しかし、手をつけるとステップがわからなくなるし、みんなが手をたたくところで自分が手を叩かず、自分が叩けばみんなが叩かないところだったりで、もう悲惨だった。

そういえば、昔からこういう素質だったんだよ、私は。
中学のとき体操部だったんだけど、半分は個人の体操(器械体操)で、もう半分は団体の体操に振り分けられた。団体のほうは何も持たない徒手体操や、ボールやリングを使う新体操をやったが、団体の場合はつまりみんなで音楽に合わせて「踊る」部類である。
それで、私の場合は、団体のほうはどうにも苦手だったわけだ。まず、動きができない上に覚えられない。のろまでバカなわけさ。結局、今になって思うと、人並みに動けないので、それで手一杯になってしまって、動きながら覚えるところまで同時にできないってわけだ。

こういう人、他にも知ってるんだよね。それは誰かというと、うちの長女。
長女も異様にダンスが苦手なんだそうだ。かわいそうに私に似てしまったのだ。それでも世の中に自分以外に同じ人間がいるというのは何か心強いのだが、それは身内だからあんまり喜べたもんじゃない。苦手だからやらないようにしよう、ではなく、なんとかせねば・・・、苦手だからこそ、他人よりもいっぱい練習して克服しなくちゃいけないんじゃないか、長女にも少しはやっておいたほうがいいぞと勧めておこうと思った。

受講者は30代から60代くらいまでいて、私より年上の人も多いようだったが、ちゃんとまともに動いている。すごいな~。やっぱり他人は運動神経がいいのかな。
しかし、みんな初めてではないようだったし、私よりスマートな人ばかりだ。そういうことを日ごろからやっているひとたちに違いない。
そうだ、きっともっと運動神経が悪い人や、もっと贅肉のついた人は、世の中にたくさんいるはずだ。
子どものときから、体操部に入ろうと思った時点で、運動部に入ろうという運動神経のよい部類の人たちの中に入ってしまったのだし、茶道部だの手芸部だのには、もっと運動の苦手な人がいたのかもしれないのだ。
だから、悲観することはないよ。40代のうちに苦労しておけば50代になってもできるはずだ。これが50代・60代になっていきなりエアロビクスなんかやろうとしたって、もっとブザマな状況になるのは決まっているから、今始めたことはよいことだ。
と思うことにした。

ところで、先生は多分40代で、そんなに若いわけではなかったが、とてもきれいなひとだった。動きもきれいだけど、顔もスタイルもすばらしい。
どうしてあんなにすらりとしているんだろうか。それは生まれつきのものもあるだろう。私がどんなにやせたところで、短い足や大きな顔は変化の仕様もない。それはあきらめるしかない。それにしても、どうして私はこんなにどってり太ってるんだ?なんとかしなくては。鏡にうつる自分に唖然とする。せめて動きくらい人並みにしたいものだ。

それから、エアロビクスってのは、よくもあんなにいろいろな動きが考え出されているんだな~と感心した。
汗もいっぱいかいた。1キロくらいやせた。

これからも頑張って、美しくなりたいと思った。
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剥がす

2008-10-19 20:43:26 | 日記
今日、夜の8時少し前にテレビをつけたら、石原良純と劇団ひとりに「はがす」という字を書く問題が与えられている場面だった。
「ムム?“はがす”とは、先日のあれだよ。剥離の剥だよ」と思った。
会社で、この「剥離」が変換されずに苦労したときに「ところでこの字、手で書けるかな?」と思って、引き出しから裏紙を出して書いてみて、覚えたばかりだったのだ。
もともとは、チェックをしていた書類の中の文章に「剥離」というのがあって、自分の記入する書類のほうにも、同じことを記入しなければいけない状況でのことだったので、「剥」という字は目の前にあった。確かにちょっと変わった字だ。
テレビは「平成教育学院」だったが、劇団ひとりさんがみごとに正解していた。良純さんもいつもなかなかの正解率だが、今回は残念ながらできなかった。
私は、このグッドタイミングで正解できたので、うれしかった。これも仕事のおかげだ。

「剥離」ということばは、工業系の文章には比較的良く出てくる。
何かに表面加工などしたときに、それに耐久性があるかどうかを検査するとき、粘着テープなどをわざと貼り付けて引き剥がすという実験をするのだ。そこで、どれだけ剥がれたか、剥がれずに残っているかで、表面のコーティングの性能を確かめたりする。
また、何か汚れてはいけないものの表面に一時的にセロファンみたいなものをかぶせて保護している場合があり、それはある程度の粘着力で貼り付いている。最終的にはそれを剥がす必要がある。その場合、きれいに剥がすことができるかなどということが問題になる。保護はできても剥がした後が汚くなったり、元のものが破損してしまったりしたら意味がない。
ということで、「剥がし」て「剥離」状態を調べる実験というのがよく行われるため、このような言葉は結構でてくるのだ。

テレビを見ていたら「剥がす」は漢字検定準1級の問題とのことだった。
日本語教師になるときに、漢字検定2級をとった。その後、漢字検定準1級にも挑戦しようと考え、問題集を買ってやってみたところ、わからない漢字ばかりだった。
しかも、こんな漢字普段使わないだろうと思うようなものばかりで、結局は投げ出してしまった。木の葉ガス(←これだから困るね)、 この「剥がす」という漢字も、ひらがなで「はがす」と書けば不便はない。そもそも訓読みというのは和語だから、漢字は意味から当てたものに過ぎない。しかし「剥離」は「はく離」より漢字がいいように思う。
「剥」はやはり常用外の漢字だが、熟語をひらがな交じりにするのはどうかと思う。

ま、とにかく今日のテレビで「剥がす」という漢字をしっかり覚えることとなった。
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ちひろ美術館・東京

2008-10-19 02:08:34 | 美術・美術館
上井草にある岩崎ちひろ美術館に行って来ました。この美術館に行ったのはたぶん3回目です。
1回目は短大の時に文芸科の友人たちと、2回目は子連れで公園仲間と、そして今日は近所に住む友人と行きました。
そして、今回は今まで行ったとき以上に、岩崎ちひろとその絵を、興味深く感じることができました。

今日、展示されていたのは、ちひろがヨーロッパ旅行に行ったときのスケッチとその後に描いた絵の数々でした。
ちょうど館のひとが解説をしてくれる時間にあたったので、説明を聞きながら絵を見ることができました。
岩崎ちひろさんは、それまでもアンデルセンの物語などに多くの挿絵を描いていたそうですが、ヨーロッパの風景や調度品などを見て、より具体的な形やイメージを自分のものとすることができたようです。それは、街の情景・魔女の姿・お城の風景・ストーブの形など様々なところに現われています。
そして、以前の作品と比べるとその変化は歴然としていました。年月を経て絵が上手になったというだけでなく、物語の絵の構図や町並み、背景など、実際のスケッチから取り入れられたものも多く見受けられました。

確かに、より一層魅力を増したといえます。そして、人間というのは、ある経験を通して自分の器を大きくしたり、一歩も二歩も上のレベルに上がることができるものなのだなと思いました。
彼女はもっといい絵が描きたいと思っていたにちがいありません。そして旅行に行けばそれができるという確信があり、そしてそれは事実でした。
自分に何が必要なのか、何が足りないのか、というのは、自分自身がわかることであり、それがどうしたら得られるかがわかるならば、それを追い求め実行することです。
そのことにより、人間は本当に変化することができる。

もちろん、この人はまれに見る才能の持ち主でもあるでしょう。目に入った風景を記憶にとどめて絵にしてしまったり、その色彩や配置や線の美しさなどは、凡人がどうがんばってもできるものではありません。
でも、その上にたゆまない努力をしているし、天才というのは、自分を成長させる方法を知っているとしかいいようがありません。

自分の成長のために必要なことは、実行しよう!
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