山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

告別式

2008-10-13 00:57:20 | 日記
秋の3連休の2日目。今日は、団地の外掃除とお葬式。お葬式は夫方の親戚筋。夫が仕事で行けないので私が代行した。
亡くなった人は、もう80代半ばなので、年齢からいって仕方がないといえば仕方がない年齢だともいえる。親戚にしろ近所の人にしろ、やはり80代後半になってくると寿命を考えなくてはいけない。しかし、老衰ではなく、何らかの病気で亡くなる人が多いから、それはやはり残念だ。
最近は、お年寄りが亡くなった場合、参列者が非常に少ない場合が多い。私が子どもの頃の田舎の葬式といえば、亡くなった本人の兄弟姉妹に子ども、そして、孫たちなどがいて、配偶者の兄弟姉妹・甥姪なども来るから、近所に住んでいる親族だけでも50人以上は簡単にあつまってしまうような有様だった。
しかし、最近では、故人の兄弟姉妹も既に亡くなっていたり、生きていても遠くに住んでいてご老体で来られなかったりするし、子どもの数も1人か2人で、その子どもが結婚しているとも限らず、そのため、その配偶者もいなければ孫もいないというケースも多い。身近な親戚・近所の人・故人の知人を集めても20人に満たないようなこともある。
定年までは会社に勤めてバリバリに働いていたような人でも、それから20年以上もたてば、仕事関係の人との交流もなくなり、以前勤めていた会社との関係も全くない。そうなると、せいぜい老人会なんかで何か一緒に活動をしていた人程度しか知人がいないということになってしまう。
そういう状況で、息子でもいれば、その仕事関係の人などが義理で葬儀に参列したりする。そういう人は、是非とも参列したいというわけではないはずだから、どんなものかなとも思う。そして、お通夜か告別式かどちらかにということになるので、参列者が分散し、それぞれの人数が減る結果にもなる。しかし、お通夜と告別式の両方があるから、なんとか都合をつけてどっちかに出られるともいえるので、参列者が少ないから一回にまとめてしまうというわけにもいかないだろう。また、仏教の儀式としては両方をする必要があるのかもしれない。
どっちにしても、その儀式の盛大さにくらべて、参列者が少ないのではないだろうかと思うお葬式が、最近多いように感じる。
そのうちお葬式の形も変わってくるのではないかと思う。

しかし、若い人が亡くなって、たくさんの人が参列するお葬式は悲しすぎる。80~90も過ぎて、少ない人々に静かに見送られていく葬式のほうが、自然でいいと思う。

まだまだ、血のつながりとか、婚姻関係とか、親戚というものについてもいろいろ感じることはあったが、今日はこのぐらいにしておこう。
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