山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

コミュニケーション

2008-10-04 19:44:14 | 日記
私の勤めている会社では、社員同士のコミュニケーションが不足していると言われている。
個々に仕事に取り組むことが多く、神経を集中させるために、各自の机は高いパーテーションで区切られていた。しかし、それではさらにコミュニケーションが取りにくいということで、数ヶ月前の改装と組織変更の時に、パーテーションを低くしたり、必要以上に区切らないように改善された。しかし、それでもコミュニケーションが行き届くようになったとはいえないようだ。

そうなると、仕事中はともかくとして、それ以外の時間にコミュニケーションをとる機会をもつことが望ましい。そこで、たまに部署ごとの飲み会があったりするし、秋には社員旅行がある。
しかし、この社員旅行に参加する人間も40パーセント程度のようだ。1日目は金曜の平日になるが、2日目が土曜日で、自分の休日がつぶれるというのを嫌がる人も多い。経営者や上司と旅行にいってもくつろげないから、どうせ行くなら個人で勝手に行きたいなどと思うらしい。特に役職のない若い社員の参加率が悪い。幹事は必死に参加者を増やそうとしているが、幹事とて、自分が幹事でなければ参加なんかしたくないという状況かもしれない。
昔は社員旅行といえばほぼ強制的な感じだったが、今ではそうではない。まあ、行きたい者が行ってコミュニケーションをとり、楽しめばいいのかと、割り切った考えをするしかないようにも思う。いずれにしても、パートタイマーには関係なく、その日は有給休暇をとるのでゆっくりできる。
旅行に参加しない社員は、特別の理由がない限り会社で仕事をするということになっているらしい。

ところで、今日は、日本語を教えていた時に買ってあった本などをブックオフに持っていこうかと調べていたところ、「ファシリテーション革命~参加型の場づくり技法」という本が出てきた。この本はほとんど読んでいないのだが、ファシリテーターとは参加者と参加者をつなぎ、情報を引き出したりコミュニケーションをさせたりする役目である。司会者ににているが、むしろ裏方として会場を走り回るというか、お助けマンのような存在だと認識している。
これが日本語を教える場で活用されるのは、言葉や文化の違う外国人が日本にやってきて知らないもの同志緊張しているところを、リラックスさせ、交流させてお互いに情報を交換したり友達になったりするために使うのだった。

知らない者同士に話をさせるというのは難しいことだが、簡単な方法がある。
その中で、以前、地域の日本語教室でやっていたことの1つを思い出した。
何十人かいる参加者に、会場の中で輪になって誕生日順に並んでもらうというものだ。この場合、参加者は自分の誕生日を人に伝えたり、人の誕生日を聞いたりしなければならなくなり、自然に言葉を交わす。その中で、誕生日が近いとか同じとかいうことで親近感をもったりする。一通り並んだところで、間違いがないか誕生日を言ってもらうが、特別な日に生まれた人などもみんなの印象に残ったりする。

そのほかによくやったのが、「部屋の四隅」というものである。ひとつの質問に対して4つの答えの選択肢を与え、それに当てはまる4隅のひとつに移動してもらう。
たとえば、朝食にご飯を食べる人、パンを食べる人、そのほかを食べる人、食べない人というふうに分け、それに当てはまるところに移動してもらう。移動したところでそれに関するインタビューをする。
4隅に分かれるための質問は何でもいい。たとえば、好きな食べ物、好きな色、好きな動物を4択で答えたり、通勤時間や通勤方法を質問し4つに分かれてもらい、分かれたところで、同じ部類の人同士話をする時間をとり、次にみんなの前で、より詳しい内容や、選んだ理由などのコメントをしてもらうと、その人についての再発見があって楽しい。

ふと、思ったのは、会社のレクリエーションなんかでも、ただお酒を飲んだり、新人に自己紹介をさせたりするだけではなく、こういうことをしたら、今までにないコミュニケーションが取れるのではないかなと思ったりした。




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10年後の自分、10年前の自分

2008-10-04 11:24:52 | 日記
ふと、思い出したことがある。
それは、40歳のころ、「10年後の自分へ」という手紙が募集されていて、応募したことがあるのだ。100通くらの優秀作が冊子となって紹介されたと思うが、当然のことながら私の自分への手紙は、駄作のひとつとして葬り去られた。当時は、ワープロで書いていた。ワープロは捨てちゃったし、自分が書いた文を印刷して保存してあるわけでもないので、今となっては読み返すこともできない。

ただ、そこにどんなことを書いたかというと、当時日本語教師になったかならないかという頃であり、「10年後には日本語教師のベテランとして活躍していることでしょう。活躍していればいいな。今のような未熟な自分ではなく、堂々と活躍していることを信じます。」というようなことを書いたのだった。

来年のことを言うと鬼が笑うというが、10年後のことを予測したりするのは、全くあてにならない。早くも3~4年で挫折し、全く違う道を歩み始めてしまったのだ。
何が日本語教師のベテランだ、ちゃんちゃらおかしいね。

そして、それからまだ10年も経ってはいないが、今日はついに本箱の肥やしになっている日本語教材を処分しようと思っている。もうかなり処分したものの、教科書や指導書などが残っているのだ。こういうの、そのまま捨てるんじゃなくて、必要な人に安く譲ったらどうかと思っていたが、自分が思うほど貴重なものじゃないということにふと気がついた。これが普通の本だったとすれば、何年か前に買って、今も同様のものが店に売られているようなありふれた品物だとすれば、それは2足3文の価値しかない。日本語教材にしても例外ではないし、特定の人間だけしか必要としない点では、普通以下の価値しかないのだ。こんなのはネットで必要な人を探して送ったりする手間を考えたら資源ごみに出してしまったほうがいいと気がついた。使わない日本語教材に埋もれてストレスを溜めている人ってのもなさけない話だ。

日本語教師には挫折したけど、道を変えてみてそう悪くはなかっただろうと今では思っている。おそらく、日本語学校の非常勤をしていたら、厚生年金や健康保険にも入っていなかっただろうし、安定した収入も得られなかったはずだ。何よりも体を壊していたかもしれない。

当時の私にとって、10年後の自分は人生の大先輩のような気がした。そりゃあ新米の日本語教師にとって、10年のベテラン教師は大先輩である。でも、実際には、挫折した人生の大先輩になっている。まあ、それでもいいか。
違う道もある、違う職業もあるということがわかったし、人間は自分の思うとおりの道に進むのではなく、思わぬ方向に進んでしまうこともあるということがわかった。
そして、今の仕事はすでに3年10ヶ月勤めているから、いままでの人生のうちで一番長く1つの職場に身を置いているということで、そういう点では自分に一番合った安住の環境を見つけたとも言えるわけだ。

これから10年後の自分は何をしているのか? 
予測できないということは、目標も立てていないということだけど、何をしていたとしても、とにかく元気で何かに向かって頑張っていられたらいいなと思う。

皆さんの10年前はどうでしたか?
そして、10年後はどなっていると思いますか?

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こんにゃくゼリー

2008-10-04 09:55:53 | 日記
こんにゃくゼリーを喉に詰らせて亡くなるという事故がここ数年多発しているようだ。
この9月にも死亡事故があったため、農水省が業界団体に再発防止策を求めていたそうだ。
食品衛生上の問題などはなく、法的な規制はできないため、野田聖子消費者行政担当相は、製造元に商品の自主回収を求めていたが、自主回収はされないこととなった。
再発防止策としては、警告表示を入れるということにとどまったようである。
この程度では、さらに犠牲者がでないとも限らず、業界の対応については、納得できない人々も多いようである。

今まで、こんにゃくゼリーで事故にあったのは、大部分が幼児と老人のようだ。こんにゃくゼリーは子供用のお菓子のように見えるし、その形状から、やわらかく消化もよさそうで、小さい子や体力の衰えたお年寄りにもちょうどよさそうな印象を受けてしまう。
まずは、そのへんの認識を変えなくてはいけないだろう。

外国では、こんにゃくゼリーの危険性から、数年前から、すでに流通しないような措置が取られているそうだ。だから、日本でいまだに販売が続けられているのはどうかという意見も多い。

だが、こんにゃくゼリーは、確かにおいしいし、その食感もかなりいいものである。危険性さえなければ、このようなものが無くなってしまうといいうのは確かに惜しい。

そして、ふと危険な食品というのはこれだけなのだろうか?と思った。
よく知られているものは「餅」だ。正月には必ずお年寄りが餅をノドに詰まらせるという事故が多発している。だからといって、餅が製造販売を中止されることはない。
餅は古来からある食べ物であり、メーカーによるものでもないので、対象外となるのだろう。
そのほかに思い出したのは飴だった。うちの子が3~4歳くらいのころ、同じくらいの年齢の子が送迎バスの中で飴をなめていたところ、突然にノドに詰まらせて、目を白黒させて苦しみ始めたのだ。その場に居合わせた大人が異変に気付き、子どもを逆さまにして背中をたたいて飴を吐きださせて助けたということがあった。
飴をノドに詰らせて死亡したということはあまり聞かないが、危険なことは確かである。
だからといって、古来からある飴が製造を中止されることもないはずだ。

となると、こんにゃくゼリーというのは、古来のものではなく、新たに発明された製法で作ったものであるというのが、餅や飴との違いということになるだろう。

やはり、製造を中止することまでは要求できないと思うが、ノドに詰まらないような改良が望まれるし、また、何よりも、危険性のあるものであるという情報を世の中の常識としていきわたるようにする必要がある。

いくらおいしくても、命を懸けてまで食べるかどうか、消費者が自分で判断するということだ。


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今週は疲れた

2008-10-04 00:43:09 | 日記
今週はすごく長く感じた。
それは、9月に敬老の日や秋分の日があって、楽な思いをする習慣が身についてしまったからかもしれない。その後、5日間続けて働くという普通の週がやってきて、どっと疲れが押し寄せてきた感じもする。
秋になって、夏の疲れが出てきたとか、涼しくなったので何か調子が狂うということもある。食欲の秋で、もりもり食べるために、物理的に肉体が重くなり、その肉体を移動するのにエネルギーが必要となって、疲れるのかもしれない。

そのほかに不調をきたしたのは眼である。夕方が近づくにつれて目がかすんでくる。ピントが合わない。目の縁がひりひりする。
それで、火曜日に目医者さんに行って、目薬を2本と、まぶたにつける薬を処方してもらった。それで、ひりひりは多少よくなったものの、まだ完治はしていない。仕事中にブルーベリーの飴をなめたりしている。家ではカシスの錠剤を飲んでる。

仕事で疲れると、「鶴の恩返し」を思い出す。あたかも、自分の羽を抜いて織物を織っている鶴のような気がしてくる。
日本語教師をしていたときは、よく徹夜で授業の準備をしていたが、40過ぎてからの新米は、かなりきつかった。やはり、肉体に無理がきかなくなってくるのだ。普通、20代で大変な思いをしておけば、40代になったところでは、経験をつんでいるから、授業の準備にそんなに労力を費やす必要はないはずである。すでに何度も同じような内容の授業を繰り返ししているはずだからだ。
徹夜で準備をすると、脳にとって非常に悪い。毎日のように脳細胞が破壊されていくような気がした。実際、そのころかなりの脳細胞が破壊してしまったのではないかと思える。
幸い、そういう危機感は今はない。
でも、眼の負担が大きいと感じる。会社では若い社員さんたちは、一日中パソコンに向って仕事をしている。翻訳の人などは、二つの画面を並べて一方の画面を読みつつ、他方の画面に打ち込んでいくとか言っていた。それは恐ろしく眼が疲れるだろう。
でも、やはり若い人は若いから、肉体の耐久性が違う。
老眼が進みつつある中高年にとっては、目の使いすぎは、致命的である。だから、この仕事も目が原因でそう長くは働けないかもしれないなあ、とふと思ったりする。
先日の視力検査で、1.2だった右目の視力が0.3になっていたのもショックだった。
仕事帰りにやったからかもしれないが、物が二重に見えるので、丸い図形のどちらが開いているかというのが全くわからないのだった。
肉体のどこかに無理をかけて、身をすり減らして仕事をするというのは、なんとかしたいものだ。

でも、働いている人っていうのはみんなこんな状況なのだろう。過労死なんてのがあるから、こんなのはいいほうである。
今、女性のほうが寿命が長いけど、それはきっと女性が家庭に入っていたからではないかと思ったりする。働き蜂だった男性はやはり体を酷使してきたから、寿命が短いのではなかろうか。今後、男女が同じように働く状況になると、寿命もあまり変わらなくなるかもしれない。

9月は、上半期の締めがあり、10月になって一段落したかと思ったのだが、今日は忙しかった。
今日中という書類が昼前に2件届いた。その前に手をつけていたものがあったので、それを終わらせてからとりかかったところ、意外にも、その2件の文書が長かったのだ。普通1件10~20ページくらいのところ、24ページと32ページだった。つまり、同じ2件でも10ページ物だったら、2つあわせても20ページである。それが2つ合わせて56ページあるということは、5件分もあるということではないか。だから週末がとどめの残業になり、疲れたわけだ。

とにかく、やっと今週の仕事が終わった。明日はゆっくりできる。
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