山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

だれだれ休日

2008-10-24 22:37:31 | 日記
今日は、社員旅行のため、パートの仕事は休日になりました。
そんなわけで、めずらしく平日の休みでした。

それで、銀行や郵便局に行こうと思っていたのですが、ものすごい雨なので外に出る気力がでません。
それから、区民体育館のエアロビクスもやっているようでしたが、これも大雨のため、行く気力がなくなり、昼ごはんを食べると、急に眠くなって寝てしまいました。
しかし、郵便局にいかないわけにはいきません。7月に満期になっていた貯金を9月に入れなおしに行ったら、保険に入らないかと勧められたので貯金をしないで帰宅してしまい、それがそのままになっているのです。結局保険には入らないことにしました。今日こそ定額に入れないと、またずっとずっとそのまま普通預金に入ったままとなります。

銀行はパートの給料からわずかな積み立てをしているのですが、その金額を変更して増やしたいなと思っていました。そうすればもう少し貯金が増えるはずです。
でも、昼寝をしていたので、3時までの銀行には間に合いませんでした。
かろうじて郵便局の4時までには間に合うことができました。

それにしても、ある人が、自分のパート収入を「少しずつ」「こつこつと」ためて10年くらいでやっと700万になったとか言ってました。だから、そのお金には絶対に手をつけたくないとかで、ダンナの仕事で一時的にお金が必要になってもそれは使わずに実家から借りるのだそうです。
700万ってものすごい大金じゃないですか?しかも、月数万ずつ「こつこつと」ためたとか言ってるんですが、それって「こつこつ」じゃなくて、「どばどば」「じゃんじゃん」ためてるんじゃないか?と思います。
この人の場合、パート収入の全てを貯金しているようです。う~ん。
そうですね、ダンナのかせぎだけで生活できる人は、自分のお金を生活に使うことはないから、きっとこんな具合なんでしょうね。
だったら、私は月に10万ずつ貯金して、10年たてば1200万貯まるんじゃないか!って思いましたよ。でも、実際には生活費になっちゃうからそんなことはできません。
今、月に5000円づつ積み立ててるから、年間6万円、10年で60万円です。
これじゃ老後は暮らしていけないなあ~。

格差だな~

今日は、エアロビにも行かず、ぐだぐだすごしたけど、雨が上がり、明日は晴れるようです。正社員さんたち、社員旅行は雨で大変だっただろうなあ。でも、二日目の明日は大丈夫そうだね。

再び“いわさきちひろ”について

2008-10-24 20:37:24 | 美術・美術館
先日、ちひろ美術館のことを書いたが、もうすこし、いわさきちひろについて書こうと思う。
短大生の頃、学校の授業の中の紹介でいわさきちひろ美術館を知った。
学校では「児童文学」という科目があったと思うが、その授業を取っていたかどうかの記憶はない。まるで授業内容の記憶がないところから、その授業はたぶん取っていなかったのだろうとは思う。
当時は、図書館関係の授業での紹介で、丸善の絵本原画展などにも行き、絵本の原画はいろいろ見たりはしていた。私自身特に絵本に感心があるわけではなかったので、感心をもっている友人に誘われたのかもしれない。

いわさきちひろの絵は、小さな女の子や赤ちゃんの絵が多いという印象があり、やわらかく優しい。淡く色がにじんでいるところなども特徴で、見ればいわさきちひろの絵であることはだいたいわかる。
だが、私が特に好きだという絵でもなかった。
しかし、例えば長靴を履いて傘をさした女の子の絵の絵葉書きなど、気に入った絵を買ってきたことがあり、自宅にも何枚かある。

自分の子どもが生まれた後は、幼稚園児を連れて、公園仲間とちひろ美術館に行き、さっと展示を見たあと、子どもには、自由に絵本が見られる部屋で絵本を見せたりなどした記憶がある。このときも、自分が行きたかったわけではなく、友人の誘いでついて行ったに過ぎないので、絵や画家についてさしたる関心も生まれなかった。

以前行ったときと今回の見学の大きな違いは、今回は「いわさきちひろ」という人間に関心を持ったということである。

初めのうち、いわさきちひろという人は、若いときは裕福なお嬢さんであり、その後は夫と子どもが普通にいる苦労のない奥様だったという印象を受けた。自分で生計をたてる必要は全然なさそうな感じがした。その上に才能があって苦もなく絵を描いているような印象である。自分が貧乏なので、そういう人というのは、私はあんまり好きではないのだが、しかし、展示を見るうち、ソ連やヨーロッパまで行って絵を描き研究するということは、確かに恵まれた環境であるからこそできるものの、本人の意思が強くない限りなかなか実行できるものではない。やはり絵を描くものとしてその追求心には感心した。

この人の人生で初めて知って驚いたのは、まず20歳の時に、長女だったため婿養子をとるという形で好きでもない人と結婚させられて満州に移住し、そこでその相手が自殺をしたために帰国したということもあったということだ。これはかなり衝撃的な経験だろう。
彼女は宮沢賢治の思想に同感していたそうだが、その後、共産党員になり、同じ党員の松本善明氏と再婚している。
これも、驚きだった。松本善明という人は、今もご健在らしいが、この人は何年か前に選挙のポスターで見たことがあるのだ。共産党の衆議院議員を何期も務めた人であり、2003年まで議員をしていたそうである。政治家が夫だったなんていうのもまるで意外だ。
再婚したのは、ちひろさんが31歳、善明氏が23歳のときだというから、善明氏のほうが8歳も年下だったようだ。そして一男をもうけた。
松本善明氏というのは、東京大学法学部政治学科の出身であり、かなりのインテリである。
夫婦ともに共産党員であったことから、政治的なことで奇怪事件に巻き込まれるなどいろいろな苦労もあったようだが、不足のない夫を持ったといえるのではないだろうか。
しかし、ちひろ本人は55歳という若さで肝臓がんにより亡くなっているので、そのとき善明氏はまだ40代後半だったわけだ。いわさきちひろさんは1974年に亡くなっているが、善明氏は1967年に衆議院議員に初当選しているようである。つまり、衆議院議員であって夫婦であった期間は7年ほどあるが、善明氏の議員期間としてはちひろさんが亡くなった後のほうが長い。そして死後かなりたってから再婚しているとのことだ。
私が善明氏の選挙ポスターを見たのは1980年代以降のことで、そのときはすでにちひろさんは亡くなっていた。だから、2人が夫婦だったというのは、私にとっては意外な事実の発見だった。

ちひろさんは、絵を描くため、44歳のときにソビエトに行き、47歳のときにヨーローッパに行っている。ヨーロッパではアンデルセンの生まれたオーデンセ(デンマーク)にも行ったそうだ。
その後、画風も変わり絵の進歩を遂げた。本人の残した文で、自分は若いころよりも年をとってからのほうが幸せであるというような内容のものが展示してあった。何も知らなかった若いころよりも年をとってからのほうが人間として充実しているということだろう。
人生の中で、47歳でヨーロッパに行った後、よりいっそうの進歩ができたというのは、今現在の私にとっても心強い励ましになった。人間はそんな年齢になっても、まだまだ新しいものを身につけ前進できるのだ。しかし、ちひろさんがそのわずか数年後に病気で亡くなってしまったのは、本当に惜しいことだった。

こうやって人の人生を思うことは、若い頃にはできなかった。私が以前ちひろ美術館に行ったときは、20歳と30歳ごろだったはずだ。
その当時、47歳でヨーロッパに絵を描きに行き、55歳で亡くなったときいたところで、自分よりずっと年をとった人の出来事だから何も感じなかったのだろう。

茂田井武にしろ、いささきちひろにしろ、作品以上にその人生というものを考えさせられるのだった。
いわさきちひろの自伝や夫の手記なども読んでみたいと思っている。




茂田井武展

2008-10-24 00:32:54 | 美術・美術館
先日、いわさきちひろの美術館に行ったとき、特設展をやっていたのだが、それが「茂田井武展」だった。そのことについては書いていなかったので、書こうと思う。

この人の名前は知らなかった。だから、最近出てきた現代画家かと思ったくらいだ。しかし、岩崎ちひろよりももっと以前の人(1908~1956)であることがわかった。ちょうど100年前に生まれた人である。この人は、戦前にヨーロッパに渡っていた。
ヨーロッパまで行って、その絵を勢力的に描いたという点で、いわさきちひろと共通する部分がある。
いわさきちひろがヨーロッパに行ったころ(1966年)も現代のように海外旅行が普通に行なわれるような時代ではなかったが、この人の場合は、さらにもっと珍しい時代であり、まずは中国にわたり、そこから陸路を経てフランスに着いたようだ。旅行ではなく、現地に滞在し、レストランなどで働きながら、生活の中で街の風景などを書いていたそうだ。そのころは、まだ画家ではなく、絵を志す青年といったところだろう。
当時の絵は個人的な画帳に残され、ほとんど公開もされないままになっていたようである。
会場には、そのころに描かれた画帳の絵を並べて展示してあったが、ヨーロッパのモダンな店の風景や、様々なものが楽しく色美しく描かれていた。
その中には、恋人の娘が作者を見つめる絵など、青年の恋愛を思わせるような意味深のものもあり、印象に残った。
その後、強制送還となり、日本に戻ってきたそうだ。

帰国後も画家ではなく、様々な職業で苦労をして生計をたてていたようだが、日本に戻ってからの絵は、打って変わって急に色合いが暗いものになっていた。ヨーロッパの絵を描いた人と同じ画家とは思えないような画風である。そして、最初に横溝正史の小説の挿絵を書いて画家としての収入を得たのだそうだ。横溝正史といえば、八つ墓村とか犬神家の一族とか、気味の悪いものを連想するが、当時の絵はいかにもそれに合いそうな画風に思えた。時期的には、八つ墓村などよりも以前の作品の挿絵であると思える。

戦時中は、知人の家に身を寄せて暮らしていたようだが、月夜の中に座る女性の絵(竹取物語?)など印象に残っている。そのほか、その知人の家の様子などを描いたものが画調に残され、戦争に行く前に知人に渡して行った絵や、恩人にお礼として渡して行った画帳など、現在に残されているものが多いようだった。画帳は本来写経などをするものらしく、広げると屏風のように絵が連なっていく形が面白かった。
また、子どものころの思い出を画帳に描こうとしていたらしいが、完成はしていない。幼少のころの駄菓子屋さんの風景や、自分が育った旅館の庭の風景などが描かれ、そこにコメントがことこまかく書かれているのも絵巻物のようで面白い。そういえば、フランスの時代の画帳にもフランス語でなにやら書いてあったようだ。絵のみならず、そのような絵日記のようなところが面白い。これらは画家という職業ではなく、あくまでも個人的なものなのかもしれない。

別の展示室には画家という職業人としての作品が展示されていた。これらは戦後のものとなるようだ。明治製菓の広告絵などもあり、ポスターも多い。絵本の絵では、セロ引きのゴーシュなどがあった。熊が檻に入っている絵本の絵はどこかで見た記憶がある。キンダーブックの挿絵もあったが、キンダーブックという子供用の月刊誌みたいなのがそういえば私が子どもの頃あったなと思った。

病気のため、わずか48歳でなくなってしまったようだが、亡くなる数日前まで絵を描いていたようだ。
一生を降りかえってみると、あまり幸せではなかったように思えたが、結婚もして子どももいたということを知り、ちょっとほっとした。それに、晩年は職業画家としても成功していたといえるだろう。
この人が亡くなったのは、私が生まれる4年前であり、亡くなった年齢は今の私の年齢である。

全展示を通して、あのヨーロッパで描かれた若い頃の絵が素敵だなと思うのが一番の印象だ。

そこで、なんとなく連想される画家が2人いた。「絵の中からこっちを見つめる目」と「恋愛」という点で、まず青木繁を思い出した。青木繁の描いた漁師たちがサメを担いでいる絵があるが、その中の漁師の一人の顔がなぜか女の顔のようであり、それがこっちを見つめている。その視線にどきっとする。あの絵は、もしかしたらそこに命があるのかもしれないと思う。
茂田井武の恋人の娘の視線もなぜかドキッとするものすごいインパクトがある。恋人の娘というからには、その恋人は妻子のある人で許されない恋だったのかもしれない。当時は血気盛んな青年であったはずで、裸体でベッドの脇に立つ青年の絵なども描かれている。その恋人の娘の絵は、大きな瞳が抗議するような強い視線でしっかりこっちを見つめているが、恋人の娘であるからには、きっとその瞳は恋人に似ているに違いない。非常に印象深い。作品の中に、画家の恋愛があふれでるとでも言おうか、そういう共通点を感じた。

もう1人思い出した画家は、入江観氏である。この人の本人の話を聞きに行ったことがあるが、やはりフランスに行って絵を描いていた。しかし、日本に帰国してからしばらくはどうも調子が出なかったのだそうだ。それは多くの画家が経験することだという。つまり、ヨーロッパと日本では光も景色も色合いも町並みも何もかもが違うのだそうだ。
簡単に言えば、フランスはきれいで日本は汚いのかもしれない。多くの油絵の画家はそこで1つの壁に突き当たるようである。フランス的な美を日本で探したところで、本当のそれは存在しないのだ。そして、フランスにないものを見つけるところに行き着く。
茂田井武は油絵ではないだろうが、やはり日本に帰国してからの色合いの変化は驚くばかりである。そして、何でそんなに真っ暗になってしまうのかと思ったりもするわけだが、むしろその当時の日本独特の雰囲気はその暗さにあったのかもしれない。明るさやセンスではフランスに存在するものが日本に存在しないのなら、まるで違う要素を見出すしかない。すると、暗闇の中に浮かぶ月とか、妖艶な感じを求める方向に行くのかもしれない。また、その暗さは戦争の時代や本人の生活状況という背景もあるのかもしれなかった。
外国人が日本に魅力を感じるときには、何かと忍者なんかにあこがれるようである。欧米の映画などを見ていると、日本という国は、薄暗い屋敷や竹やぶなんかが出てきて、髪の黒い神秘的であやしい日本女性や茶室なんかが描写されている。外国になくて日本にあるものというと、そういう要素になるのかもしれない。
風土というのは、絵にとって動かせない要素だ。

画家は一生を通して、絵がその人を語る。その人がどのように歩んだかを描かれた絵が物語ってくれる。そして、その人がした経験は何一つ無駄にはならず、その人を形成していくことがわかる。
画家でない人間は、何がその人を物語るのであろうか。
何か一生を通して1つのことをやり続けた人は、そのことを通して、そのことがその人を物語る。