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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

引っ越し先は
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演劇を目指したころ(高校時代)

2024-10-09 22:58:49 | 日記2024

本日読んだ「東京の流儀」は、「遊び人の六本木」である。
著者、福田和也は日吉にある慶応高校に通っており、距離は結構あると思うのだが、本人も周囲の同級生もみんな遊び人で、六本木に行っていたそうだ。

彼は高校時代演劇部で脚本を書いていて、参宮橋にある「劇団四季」を訪ねて、高校の先輩である浅利慶太から照明器具を借りたこともあるそうだ。浅利慶太と日下武史は高校時代に劇団四季を立ち上げたのだそうだ。

これ以降を読むにつけ、私は本当に福田和也氏と同世代だなと思う一方で、都会の人間や慶應義塾なんていうエスカレーター式エリート校の世界には到底太刀打ちできないなと感じるばかりだった。

私は福田氏と同じ1960年生まれだが、早生まれであるため、1学年上になる。

高校の時は演劇部で、文学座にあこがれていた。高2のときだったか、当時地元で上演されたのは、高橋悦史と太地喜和子主演の「飢餓海峡」だった。私は市民劇場で当日裏方のお手伝いをするので、劇が見られないため、前もって東京の公演を無料で見に行けたのだった。そうしたら、すぐそばの席に原作者の水上勉氏が座っていて、親友と一緒に驚いた。
また、地元の公演では楽屋で太地喜和子さんに会って感動した。
あの頃は、水上勉は全盛期だったのかな。八千草薫出演の「越前竹人形」も見た。

自分たちも部活で、学校行事や地域の演劇発表会で上演していた。体育館で自主公演もした。しかし、演劇活動は2年の文化祭までにした。将来演劇の道に進むためには、大学受験をして東京に行かなくてはならないのだ。今、演劇にのめりこんでいては進学できないと思った。

それまでは、毎日遅くまで部活をして、部活のあと喫茶店でまた友人たちとしゃべり続けることもあった。帰宅してからは、徹夜で小道具なんかを作っていたのである。深夜に演技の振りを試行錯誤したり、セリフを繰り返したりすることもあった。しかし、そんなことをしているどころではないのだ。

いよいよ受験勉強しなくては、と思ったときには、既に英語の落ちこぼれになっていた。高校に入ってからというもの、授業の予習復習もせず、単語を覚えたことがなかったからだ。そしてそのまま勉強はあまりしなかった。

演劇の部活動をしなくなってからは、親友と一緒に同人誌を作ろうと考えていた。私は「テアトロ泥子」というペンネームで太地喜和子について文を書いた。「テアトロ」は当時読んでいた演劇雑誌である。自分は泥にまみれたような混沌とした人間だ。
そして親友の文と合わせて編集してお粗末な雑誌(表紙をつけて、紙をホチキスで留める程度)を数冊作り、それを校内で無料配布するようなことを考えていたのだ。当時はガリ版だから、手書きである。しかし、結局実現しないまま終わった。

高校の時の記憶がよみがえってきたが、本当は上京後のことを書くつもりだったので、ひとまず終わりにする。

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靖国神社について

2024-10-08 22:51:02 | 日記2024

福田和也氏の「東京の流儀」を、かろうじてぼちぼち読み進んでいる。
だんだん失速気味なのだが、朝起きて、せめて1つのかたまりくらいは読もうとしている。

それで、今朝読んだところは靖国神社に関することだった。

私は、東京に45年以上住んでいるが、靖国神社には入ったことがない。
意図せず、気づいたら靖国神社の入り口のところにいたことがあり、ああ、ここが靖国神社なのか、と思ったが、敷地内に入る気にはなれなかった。それは、軍国主義というイメージを強く持っていたからである。

でも、中がどうなっているのか、実際に入ったら、どういう印象を受けるのか、それは体験してみなくてはわからないことだ。だからいつかは入ってみるべきなのだろう。

・・・

今日、読んだところは、ちょっと目からうろこの部分があった。

というのは、靖国神社に祀られている戦死者たちは、その魂が一体となって1つの神になっているということらしいのだ。

もはや、1人1人の死者である人間ではないし、1人1人の神でもないようである。
神社で、そういう儀式を行い、死者の魂が、もはや生きている人間には手の届かないものになり、それらが集合して何か一体の神になっている、ということらしい。

一方、世間や中国・韓国・朝鮮などでは、靖国神社にA級戦犯が祀られていることが問題視されている。だったら、そのA級戦犯だけを、排除すれば解決するなどと考える人もいる。

それをしない理由、できない理由は、A級戦犯の家族に申し訳ないから、とか、今さら分けるのも永眠している死者が気の毒、などという理由かと思っていたのだが、いやそういう次元のものではないようなのである。

つまり、もう人々の魂は、合わせて一体の神になっており、それは人間を超越したものなのだから、今さらA級戦犯の人たちの魂だけをより分けて、元に戻したり、別のところに移動したりすることは不可なのである、あり得ないことである、ということなのではないか?

そうなるとA級戦犯を分けるなんていうことは、神道としては全く解決手段とはなり得ない次元の違う発想ということになる。

実は、私自身、A級戦犯だけ分ければいいじゃん、それをしないのは、やっぱり遺族が傷つくからかな?なんて思っていたのだったけど、そんなことができない理由はわかるのだった。

不特定多数の人の魂が集まってできた神なので、お参りするときも、そういう神に祈りをささげているのである。なるほど・・・

・・・

しかし、生きていた時の名前も刻まれているようだし、個々の戦没者に思いを馳せてお参りする人も確かにいるわけなんだろうし、多くの魂が一体となり、もはや人間とはかけ離れた存在ということを認識している人はあまりいないのではなかろうか。

あるいは、多くの人はもう何も考えないで、花見をしたり、お祭りの縁日を楽しんだりもしているらしく、それはそれで、本当に何のわだかまりもない庶民の神社になっているということなのか。

書いているうちに、ますますわけがわからなくなってきた。

 

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夫のLEDライトまた失敗

2024-10-07 22:41:54 | 日記2024

夫は数年前に買ったアイリスオーヤマのLEDのシーリングライトが気に入らなくて、1年くらい前に新しいのを買ってきた。

これは家電のお店に行って実物を見て買ったのだ。その時に、黄色っぽい色調にしたり白っぽい色調にしたりできるということを店員さんに聞き、それはいいなということで選んだのだった。

光の色分けは、電球色・温白色・昼白色・昼光色などというらしいのだが、この言葉だと何がなんだか意味不明である。イメージが合わないのだが、昼光色が一番青白っぽいものらしい。

で、その時の気分によって、温かい感じの黄色にしたり、さわやかな白にしたりすればいいとおもったわけだったのだが・・・

この夏、やたらに暑いので、夫は白っぽい照明にしたいと思ったらしい。
そして、夫の部屋は、壁がクリーム色っぽいのである。
なので、照明が電球色のように黄色っぽいと、部屋全体の黄色っぽさが強くなって、なにやら、さらに暑苦しく感じるのである。

で、夫は青白い色にしようとしたのだが、そうするとなぜか暗くなってしまうのだった。

青白くかつ明るくしたいのだが、できない。何故なんだ~~~とイラつく夫。

夫が調べたところ、黄色っぽい場合は、点いている電球の数が多い。
白っぽくすると、要するに黄色い球が消えるので、白っぽくなると言うことが分かったのであった。

えっ、そういう仕組みなの???

お店の人は、白くすると暗くなるなんて言ってなかったじゃないか。

そんなわけで、夫は黄色っぽいのがイヤだ~、しかし、白にすると暗いから嫌だ~
どうしたらいいんだ~と、どうにもこうにも気に入らないのであった。

また、別のものを買って来ようか、などと言う始末だ。

それで、私の部屋の昔ながらの蛍光灯を見て、白くて明るくていいなあ~と言っていた。
私の部屋は壁も白いのである。

今は、蛍光灯が壊れたので、夫が以前使っていたへんてこなLEDシーリングライトにしているが、これは古いせいか、あまり明るくはない。

でも、在宅で仕事をするときや読み書きをするときは、スタンドがあるので、特に不便はしていない。

スタンドは、子供が小学生の頃に買った蛍光灯で30年くらいは経っている。
本当に長持ちするものである。

今後、照明については、よくよく調べてから買わないとダメだなと思う。

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蛍光灯との別れ

2024-10-06 08:16:16 | 日記2024

備忘のために書いておきます。

9月の初めころ、私の部屋の蛍光灯が突然壊れました。
これは、15年前に現在の家に引っ越してくる前から使っていたもので、その前も10年以上使っていたかもしれません。

元は和室に使っていて、天井からぶら下がる透明に近い丸い傘で、蛍光灯は大小のリング型、それと小さな豆電球。スイッチは紐でひっぱるタイプでした。

それを洋室に使っていたので、壁にもスイッチがあり、部屋の出入時には壁のスイッチを使い、室内にいるときは紐を引っ張っていました。

その紐が急に引っ張れなくなってしまったのです。穴の中にあるバネが壊れたようでした。
適当に紐を動かしたり穴の中をいじってみたら、なんと奥の金具からポロリと取れてしまい、操作ができなくなってしまいました。

蛍光灯の電球は、確か1年くらい前に切れたときに新しいのに交換したばかりだったのでもったいないです。でも本体がダメになってしまったのだし、今の時代は蛍光灯の時代ではないので、LEDに変える選択肢しかありません。

電灯は1日もなしでは不便です。
たまたま、中古のLEDの電気器具が戸棚にしまってあったので、応急的にそれをつけることにしました。

このLED器具は、現在一般的な天井貼りつき型の円盤みたいな形のものです。
最近は味も素っ気もないようなデザインが多く、どの部屋の天井もそんなものが貼りつくようになってしまいました。

この中古LEDは、夫の部屋で以前使っていたもので、明るさが足りない、スイッチの感度が悪いなどの理由で、別のLEDに買い替えたものでした。

これはアイ〇スオー△マの通販で買ったもので、安価かつ初期のLEDであるため、性能が良いとは言えないのです。特にスイッチが、電灯についているセンサーの穴に向かってリモコンを至近距離から操作しないと全く反応しません。

リモコンスイッチが壊れているのかと思ったほどで、私の部屋の天井につけてからも、色々な位置から試行錯誤して頑張ったところ、ようやくコツがわかりました。

以前の蛍光灯では紐を引っ張っていたので、その代わりにリモコンを電灯の穴に1mくらい近づけて、しかも一定の角度で操作すれば、点けるのと消すのはできます。しかし調光と常夜灯は反応なしです。

かなりのポンコツでデザインも気に入らないため、とりあえずの間に合わせとして設置し、すぐに新しいのを買いに行こうと思っていました。
でも、これでも使えないことはないし、新調すると出費もかさむので、もうこれを使い続けることにしました。

・・・

それにしても思うことは、リモコンの場合は電池が必要なのです。昔の紐の場合は不要です。

また昔の蛍光灯は、球がきれたら電球を買ってくれば千何百円くらいで交換すればよかったです。
本体は何十年ももちました。

しかし、LEDの電気器具は、だんだん劣化してくると明るさが暗くなってきて、ある日突然パッと切れると、電気器具を本体ごと買い替えないといけないのです。その場合1万円くらいします。

以前、実家の電気がそのようになり、買い替えることになりました。
蛍光灯の電球の場合は、1人暮らしの老人や女でも交換できますが、天井のLED器具を丸ごと交換するのは無理です。電気屋さんか便利屋さんに頼まないといけません。

そうして、不要になったLEDの器具はとても大きくて廃棄するのは粗大ごみになりますが、なんか資源の無駄という感じです。

LEDは蛍光灯に比べて省エネで電気代もかからないそうですが、そんなに長持ちするものでもなく、かえって不経済な気もするのでした。

・・・

蛍光灯は、電球もだんだん製造しなくなるとのことで、なんか寂しいものです。(廃棄した蛍光灯器具本体は「昭和レトロ照明」ということで、まだ買うことはできるみたいですが、今さら時代遅れのものを買ってもしょうがないです。)

昔から、新しい家に住んだりするときに、蛍光灯の傘のデザインや色などを選ぶのは楽しいものでしたが、今は皆同じようなシンプルなデザインになってしまい、実用性だけで面白くもなんともないです。

壊れて捨ててしまった蛍光灯は、シンプルながらきれいな傘でよかったなあと思うのですが、電気って撮影はしてないんですよね。

電化製品を買い替える時、以前使っていたものをきれいに掃除して、記念撮影をしてから捨てるのですが、いきなり夜に壊れたので、暗いところで記念撮影もできず、取り外して交換し、さっさと捨ててしまいました。

傘は軽いプラスチックで、中央はほぼ金属ですが、金属部分はそんなに大きくないので、燃えないゴミとして廃棄。

電球はまだ使えるので一応保存してはありますが、今後は器具もないのでいずれは捨てることになります。実家にも、もうリングの蛍光灯は無いそうです。

さようなら蛍光灯。

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マスクとマイナ保険証について

2024-10-05 20:25:11 | 日記2024

先日、健康診断があり、病院に併設されている健診センターに行ってきました。
入口も経路も病院の患者とは全然別になっています。
昨年からは、入り口で体温を測らなくなったと思いますが、マスクについては着用するようにとの記載が説明書にあったので、夫が常備している不織布マスクをもらって持っていきました。
入口では誰も監視していないので、もちろんアルコール消毒はしません。手のひらがただれてしまうので。

アルコールは、採血で腕を消毒する場合などは大丈夫なのですが、とにかく手指消毒したときの、手のひらや指先がすぐに皮が剥けて荒れてしまうのです。
健診の途中でも、肺活量の検査のときなど、器具を触るからか、手をアルコール消毒するように言われましたが断りました。別の場所では、アルコールではないウェットテッシュを使わせてくれるところもありました。

昨年、健診センターの受付で、マイナ保険証を出したところ、使えないと言われたので、今年はどうなんだろう?と思っていました。
病院のほうでは、マイナ保険証を使えという表示があるのに、健診センターでは旧来の保険証を使えというのは不思議です。でも、今年も説明書きに「保険証をお持ちください」と書いてあるので、マイナ保険証はダメかもと思っていました。

待合所で受付を観察していると、マイナ保険証を出す人は居ないようでした。私はとりあえず、マイナ保険証が使えるのかどうか試してみようと思いました。読み取り機は置いてありません。
そんな状態でマイナ保険証に固執するのも、なんか自分の性格が悪そうなので「これでも使えますか?」と聞いてみました。マイナ保険証と同時に、最近保険組合から送られてきた「資格情報のお知らせ」という紙があるので、それも提示してみました。それは読み取り機が使えない場合に内容を確認するものなのだそうです。記載内容は、紙の保険証と同じです。
これまでは、プラスチックのカード型保険証だったので、それに比べるとただの紙っぺらでお粗末です。

てっきり読み取り機は無いものだと思っていたのですが、受付の内側に携帯用の端末のようなものがあり、受付の人がそれでマイナ保険証を読み取っていました。暗証番号も顔認証も要らないようです。
健康診断の場合、保険証番号は昔ながらの方法で、目視で見る方が簡単そうですが、今年からはマイナ保険証でもできるようになったようです。政府の方針に合わせたのかもしれません。

マスクは、健康診断の建物を出たら、さっそく外しておさらばしました。

・・・

さて、本日ですが、膝の具合が悪いので整形外科に行きました。

マスクのことはすっかり忘れていました。

そのまま普通に受付を済ませ、診察室に入って診察してもらい、理学療法室のほうに移動し、ストレッチと筋トレの方法を教えてもらい、それからマイクロ波の電気にかかってきました。

それで、その場を出ようとしたときに、初めて、マスクをしていなかったことに気づきました。

やばい・・・

しかし、そのへんの壁にマスクをしろとは書いてないし、受付でも注意されませんでした。

周りを見渡すと、ちょうどリハビリの待合室に入ってきた若い男性もマスクをしていないのが見えてほっとしました。

自分以外にもそういう人が居れば安心です。

クリニックの中の人(先生や理学療法士や事務の人など)はマスクをしていたと思います。

それから受付で会計を済ませて出てきましたが、マスクについては全然注意されなかったので、良かったです。

整形外科は、内科ではありませんので、管理が厳しくなかったのかもしれません。

だんだんマスク無しでも大丈夫なところが増えてくるかなと思います。

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米その後

2024-10-05 15:43:18 | 日記2024

前回、米5kgを買ったのは8月末だったのですが、それを食べ終わったので、あらたに米を買いました。今は新米が出回ってるので、手に入らないということはありませんが、かなり値上がりしています。

今回も前回と同じ精米店から魚沼産のこしいぶきを5kg購入しました。値段は3400円でした。

近所の高めのスーパーでは、新潟産こしいぶきが税込みで4000円を超えていました。

また、これまではコープで佐渡産コシヒカリを買っていたのですが、最近見てみると税抜きで3500円くらいでした。以前は2500円もしなかったと思うので、やはり5kgあたり1000円くらいは値上がりしているようですね。

かなりの値上がりできついです。

・・・

9月の初めに実家地域のスーパーには米がまだ売っていないと母が言っていたので、本当か?とおどろきつつ、自宅から6合持って行きました。

私が昼頃、故郷に到着し、実家近くのスーパーの米売り場をのぞいたところ、米が並んでいたので、あるじゃないかと思いました。

実家に到着すると、母が言うには、その日の朝にスーパーに行ってみると、初めて米が売っていたので、買ってきたそうです。それが私が見たのと同じものでした。

母曰く、これまでいつ行ってもなかったから、もし入ったとしても、朝のうちにすぐに売れてしまうのだろうとのことです。

その日は、開店とともにかけつけて、まずは米を確保してレジに預けてから他のものを買ったのだとか。

えっ、私が昼過ぎに寄ったときもあったけどな・・・

しかも、レジに預けなくても、カートのカゴに入れてから他のものを選べばいいのに、なんかやることがおかしい超高齢者。

あわて過ぎだって。

しかも、昼も夕方も米は売り切れていないのです。

でも、母が言うには、その日までは一度も売っているのを見たことが無いそうなので、母が言う通りならば、たまたま私が帰省した日から米が売り場に出現したってことなのでしょう。

で、また、私が東京を出てから、自宅に母から電話があり、夫が電話に出ると、スーパーに米が売っていて買えたから、東京から米を持ってこなくて良いという連絡だったそうです。

しかし、私が実家に昼に着くためには、8時には家を出ていますので、10時過ぎにそんな電話をしても居るわけないじゃんですよ。

ボケてますね。

それでも、90代の老人が要支援にもならずに一人暮らしして、介護保険料も払うだけで何の恩恵にもあずからず、自力で生活しているのだし、重い米持ってこなくていいよ~と連絡しようとしてくれたのはありがたいことです。

ちなみに、母がいつも買っているのは山形産の「つやひめ」で、今回は2kg1700円(税抜き)でした。
こちらも値上がりしており、米5kgに比べると割高になってます。

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この頃のこと

2024-10-05 11:20:10 | 日記2024

・仕事は忙しくて大変です。滅多に残業はしないのですが、どうにも時間内にはやりきれないので、1時間ほど伸ばしています。1時間多いと結構消化できるものですね。私はパートタイマーなので普段は6時間勤務なのですが、それを7時間やるとかなり捗るのです。1時間はバカにできません。

でも、日照時間が短くなって驚きました。5時に仕事を終えて5時過ぎに外にでると、曇りの日だからなのか、もうほとんど暗いのでした。それから夕飯の買い物なんかして6時頃になると、もう真っ暗なのですね。そういえば、彼岸以降は夜のほうが長くなっているのだから、当たり前か。

・・・

・今週の恐怖体験。
昨日のことですが、ゴーヤの枯葉を1枚1枚切り取って、きれいな緑の葉だけを残していたのですが、切り取ろうとした葉の裏に何やら膨れた棒のようなものが付いているのです。
何だろう?と思い、えっ、もしや?と思って、殺虫剤を噴霧しました。
すると、それ自体は動かないのですが、その近くから緑色の小さな青虫がクネクネしながら落ちてきました。ヒエ~~~。青虫は、下のプランターのどこかに落ちましたが、もう確認もしていません。

そのあと、別のほうのゴーヤとフウセンカズラのカーテンにも噴霧してみました。
すると、すぐにクニョクニョうごめくものがあり、それがボトンとベランダのコンクリートの上に落ちました。けっこう大きい茶色っぽい芋虫です。ギャ~~~~~ッ

もう、ベランダには出られません。それから、さらに葉っぱの中に、なにやら歩き回るものが・・・
それらは、カメムシです。カメムシも足取りがおかしくなり、ヨロヨロ動きながら、次々にベランダの床に転落してきました。4匹は落ちました。こんなにいっぱい虫がいるとは驚きです。

虫を養っていたようです。毎日、蛾や小さな蜂みたいなのが蜜を吸いに来るのですが、蛾は蜜を吸うだけで、まさか卵は産んでないよね、と思っていました。
しかし、単4電池くらいの長さの芋虫がいるのですから、いったいいつからいたのでしょう。
昨日は、その前にツルがぶら下がってきたりしているところを紐を渡して持ちあげたりしていて、芋虫に触っていたかもです。

「緑のからまりどころ」は、人間と植物と虫たちの共生の場。とはいえ、虫は御免です。

・・・

・右ひざがおかしいので、朝一で整形外科に行ってきました。
レントゲンを撮ってみると、両ひざのクッションがすり減って、骨はとがり、それで痛みが出ているとのこと。老化現象です。
対策は、体重を減らす、筋力を強化する程度。ストレッチの方法を教えてもらい、電気にかかってきました。炎症痛み止めと湿布を出してもらいました。

処方箋をマツキヨココカラファインに持っていきました。ここだと処方箋でもポイントが付くからです。ところが、なんと40分かかると言われました。
店は開店したばかりで、ほかに待つ人もそんなにいないようなのに、なんでそんなにかかるのか?

やめて別の普通の薬局に行ったところ、前に2人待っていましたが、3分もかからずに出てきました。びっくりです。マツキヨココカラは、アホらしいです。
膝のサプリメントのグルコサミンでも買おうかと思っていましたがやめました。
いつも、最初に買ったときには割引はほとんどなく、次回の買い物で割引クーポンなどが付くパターンが多いです。サプリメントも買うのはやめました。

・往きは自転車で行こうとしたら雨がポツポツ降ってきたので歩いていきました。
帰りは雨が激しくなってきました。秋雨前線で、今日は1日雨みたいです。

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両ひざがおかしい

2024-10-04 11:47:40 | 日記2024

これはもう老化現象なのだろう。やはり65才以上が高齢者というので、一般的にそのくらいから、身体にガタがくるのかもしれない。

膝が悪いおばあさんというのは、世間にたくさんいるのは知っているが、自分がそうなるとは思いもしなかった。ひどい人は人工関節に換えている人も結構いるそうだ。

私の場合、以前(40代)から左膝が痛むことがあり、それはほぼ、階段を上るときに限っていた。
これは医者が言うには、老化現象というよりも、何か関節を傷めたことがあるのではないかと言っていた。それで以前から、段差の大きい階段を上がるときに膝に激痛が走ることがあった。治しようもなく放置している。

その頻度が最近は激しくなってきて、段差が小さくても激痛が走るので、階段を上がるのが恐怖になってくるのである。なるべくエスカレーターやエレベーターを使って上ってしまう。
時には、段を上がるのは全部右足で行なったりすることもあった。

ところで、そんなことをしていたからか、なぜか急に右ひざが痛むようになってきた。
それは先日山形旅行に行って毎日歩き回り、最終日は26000歩も歩いたのだが、そのあとになって次第に右ひざの様子がおかしくなってきたのだ。

右ひざがよじれるような感覚があり、同時に痛い。
右ひざを伸ばして足を真っすぐにすることが痛くてできない。

なんか、左足の方が短く、右足の方が長い感じがして、右膝をまげていると同じ長さになるような気がする。まっすぐ伸ばすと、むしろ膝が後方にへこみ過ぎてしまうような感じで痛い。

左膝が痛いのは階段を上るときだけなのだが、右膝は歩いている時に痛い。

左足をかばっていたので右足に負担がかかったのか?
左足が縮んだので、右足が余ってしまい、そこに重圧がかかって膝が傷んだのか?

じっとしていれば痛くはないのだが、寝ていてもふとした足の位置などで痛みを感じることがある。

階段を上るときは右足は痛くないので、左足だけかばう。
平らなところは右足が変。どうにかどちらかが使えるので、ぎくしゃくしながら歩いている。

・・・

そのへんを歩いているおばあさんを見ると、足がやたらにガニ股の人がいる。
膝は曲がったままで、外を向いて開いたまま不格好に歩いている。
そういう人は、昔からガニ股だったはずはない。
若い女の子や、若い奥さんで、そんな足の人はいないのだ。

となると、私も少しずつ、徐々にガニ股・膝曲りっぱなし・足ゆがみおばあさんになっていくのだろうか。

それが現実。

悲しい事である。

くい止める方法は? ・・・

 

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老人に近づく

2024-10-03 23:38:06 | 日記2024

私、アラカンなどと言っていますが、実はそう言えるのもあと数か月なのです。

先日、健康診断に行ったんですが、わけのわからない検査項目が追加されていて疲れ果ててしまいました。

そんなこと予期していなかったので「何で~~?こんな検査やったことないんですど、何かの間違いでは?」と健診センターの検査の人に聞いてしまったのでした。

そうしたら、受付か何かに問い合わせて調べてくれたんですけど、それが65才用の検査項目らしいのです。今年度中に65才になる人は、その高齢者用の健康診断になるんですね。

初めて追加されていた検査の1つは、肺活量?
なんか2種類やらされたのですが、言われた通りに吐いて吸って吐いて~みたいなことをやらされます。

それがものすごく苦しくて死にそうです。「吸って~」と言われて、もうそれ以上吸えないのに、ずっと続く。それから「吐いて~~」と言われて、吐いても吐いてもまだ吐けと言うのが続いて、もう出す空気がなくて咳きこんでもまだ終わらない。

もうへとへとです。

その前に、その空気を吸ったり吐いたりするときに、トイレットペーパーの芯くらいの太さの管を口にくわえないといけないのです。あんな太いもん咥えられません。
口と筒の間に隙間が空いてしまうと空気が漏れてしまうので、強くくわえないといけないらしいのです。

私は顔面神経麻痺をやったことがあってその後遺症で、片側の唇の力が弱く、風船も膨らませることができなくなってしまったのです。風船を膨らませるときには、手で唇を補強すれば大丈夫なんですが、肺活量の検査をするときは、片手で鼻をつまみ、片手で筒の器具を持たないといけないので、手が足りません。そんなこともあって、普通の人間以上に、この検査はやりづらいものでした。

それで、必死にやったのですが、なんか、吸う量よりも吐く量の方が多かったので、おかしいのだそうです。ちゃんと吸っていなかった、本当はもっと吸えるはずだとのことで、もう一度やり直しです。

また、ものすごく苦しくて、終わったあと頭は痛くなるは、吐き気はするはで、本当に具合が悪くなってしまいました。

こんな不健康な検査はありませんね。肺活量なんかどうでもいいです。

そういえば、私はもともとマラソンとか、かけっことか、大の苦手なのです。すぐに息が苦しくなってしまうのです。やはり肺の機能が悪いのかな? 病気とか異常とかではないのですが、苦手なものですね。あれは次回からは除外してもらおうかと思います。

・・・

もう一つの検査は眼底検査でした。
これは、ただ撮影するだけなので、時間もかからないし、肉体や精神に負荷はかからず、検査自体は大変ではありません。網膜や視神経や血管の状態がわかるものです。
ただ昨年まで無かったのに何で今年に限ってやるのか?と思い、別料金がとられるのでは?とか、オプションなんか頼んでないし、別の人と間違えてるんじゃないか?なんて思ってしまいました。
これは個人的にかかりつけの眼科で1年に1度定期検査を受けているので、異常は既に分かっている範囲かなと思います。

・・・

検査の人は、私が初めてこれらの検査を受けるということは全く考慮していなかったようです。そりゃあ確かに、誰が初めて65才用の検査を体験するのかなんてことは知ったことではないわけです。

特に肺活量の検査は、何をやらされるんですか~わけわかんないんですけど…という感じで「やったこと無いんですが」というと、コロナの時はやっていなかったけどコロナ禍が過ぎたのでやるようになったという説明がありました。

しかし、私、今の会社に20年勤めていて、ずっと同じ健診を受けてきたのに、こんな検査、見たことも聞いたこともないのです。コロナ前だってやってなかったよ~~

結局これらは65才以上の高齢者向けの検査であって、コロナ前も後も関係ないんですよね。

・・・

それで、健康診断は毎年、バリウムなんか不健康の最たるものですから受けませんが、胃の内視鏡も却下し、乳がんのマンモグラフィーも痛いので拒否しました。

だから、検査は早く終わると思っていたのに、ぜんぜん終わらないんですよ。
そうして、なぜか次々に周りの人が終わっていくのに、自分だけどんどん順番が抜かされていき、今まで周囲に居た人が誰も居なくなり、次の時間帯の人たちがやってきて、その人たちもどんどん受けていくんですよね。

時間がかかったのは、やっぱり老人用の検査が入っているからかもしれません。

周囲を見ても最高齢かも・・・。

検査人数も多すぎるっていえば多すぎて、やはりコロナ後は密になろうがなんだろうが、いっぱい受け付けて検査料金で儲けてるんですかね。

私は腹部超音波と子宮超音波のオプションで自己負担1万円近くかかってしまいました。
自覚症状なしですが、子宮筋腫や胆石もあって、本当にあっちこっち老化異常現象です。

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山の手と下町

2024-10-02 19:39:19 | 日記2024

「東京の流儀」を読んでいて、著者・福田和也氏は、江戸っ子であるため、山の手・下町の認識がしっかりあり、一般人のいい加減な認識とは違っているらしい。

一応読んだけど、江戸っ子でない自分には土地勘がないので、わからない。

「私、東京に45年以上住んでます」って言っても、それは本来の山の手にも属さないような地域なのであって、「東京人だから東京のことはほぼ分かるぜ」と思うのは大間違い。

「福田和也氏と同じ東京人である」などとは、言える分際じゃなかったようだ。

で、ネットで山の手とはどこなのか、適当に調べてみた。

江戸時代の頃は、江戸城と武家屋敷のあるあたりを山の手と言い、それは麹町・赤坂・芝・四谷・牛込・小石川・本郷あたりだったらしい。

その後、大正時代の関東大震災以後は、山の手の区域が広がり、大森・目黒・世田谷・渋谷・新宿・中野・杉並・豊島・王子・板橋・練馬、等々も山の手の部類になったようだ。

でも、このあたりについては、本来の山の手ではなく、あとで開発された土地なのであって、西の方は元々は、武蔵野の荒野の中みたいな感じの未開発の地であったのだろう。

だから、やっぱり山手線の内側かその近隣あたりがせいぜいって感じ。

一方、下町は、現在では、足立区、葛飾区、荒川区、台東区、墨田区、江東区、江戸川区の7区をいうのだそうだ。

昔はどうだったか? 面倒くさいので省略します。海に近いほうでしょうね。

江戸の下町に住んでいる人のことを「江戸っ子」っていうのかと思ったけど、山の手に住んでても江戸っ子なのか、町人が江戸っ子って感じがするけど、代々、昔ながらの山の手に住んでますって言ったら、それが一番品の良い東京人って感じかな?

でも、江戸っ子っていえば、3代続けて東京に住んでる人を言うっていうのが一般的なようだ。

・・・

ところで、静岡県人のとんだ間違いなんだけど

昔、東京に親戚が住んでいた。父の弟が若い時に東京に働きに行って、そこで知り合った東京生まれ、東京育ちの女性と結婚し、そこに定住した。そして、子供が生まれたので、それが私の従兄妹である。

その従兄妹家族が夏休みになると伊豆の我が家に泊まりに来ては、海水浴などして楽しんで行ったものだった。

その家族の品の良い事と言ったらない。やはり言葉が東京の言葉なのだ。
伊豆生まれの叔父までが、とてもあか抜けていて、言葉もハキハキしており、笑顔も明るい人だった。

叔父は血のつながりがあり親近感があったが、その妻子となると都会の人間というだけで、とっつきにくく、一歩引いてしまって、年齢の近い従兄妹とも気軽に話したり遊んだりはできない気分だった。

今考えると人見知りである。東京の従兄妹のほうでも、それほど親しくかかわりを持とうとはしなかったように思う。

それで、実家母は、その東京の人を、「山の手の人だから品がいい」と言っていたのだった。

いやいや、実は今になってわかったんだけど、その親戚は江東区に住んでいたのだ。深川である。

山の手じゃないじゃん、下町じゃん。

静岡県の人間にとっては、東京=山の手=品が良い、みたいに思っていたのだった。

まあ、確かにその人たちは下町気質ではなかったようだ。
江戸っ子風ではないのだった。

そうして、最近分かったことなのだが、その東京生まれの叔母の両親が、どこか他県から東京に移住したのだそうだ。

だから、元々東京の人ではなかったのである。

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四季めぐり膳

2024-10-01 23:57:58 | 日記2024

このあいだの休日は、「和食さと」にランチを食べに行きました。
ここに行くのは初めてです。

最近は横着になってしまい、ぜんぜん遊びに行くことがなくなってしまいました。
夫が仕事を引退してからというもの、休日に家にいるようになり、さらには午前中から大谷の野球ばかり見ているため、午後から出かけることが多くなってしまったのです。

夫が在職中の時は、夫の仕事が土日勤務だったので、私1人で勝手に車で出歩いていたのですが、最近はそれができなくなり、一緒に出掛けることになったのです。

それで、結局はどこか入ったことのないお店に行って何か食べてみようということになってしまいます。

クルマの運転をするのが私なので、私が行き先を決めるのですが、午前中はほぼ店探しで終わると言う感じ。

広い駐車場のあるお店というと、どうしてもファミレスとか大手のチェーン店になってしまうのですね。

それで、最近は夫婦そろって年老いてきたため、ステーキやとんかつや天ぷらなど、肉や脂の多いものも食べると、疲れ果ててしまうようになったのです。

消化するのが大変で、帰宅したらバタンキューです。

なので、うどんや蕎麦などがよさそうで、あとは「寿司」ですね。
やはり和食が良いです。

ということで、今回は和食の店にしました。

私が食べたのは「四季めぐり膳」というもので、色々なお料理が載っていて楽しかったです。
味は薄味でした。天ぷらも揚げたてでおいしく、お刺身もたった2切れではありますが美味しかったです。

左側のグラスに入っているのが「食前酢」=ビネガーだそうです。
ショクゼンシュ?ス?と何度も聞き返してしまいました。

酒だったら、運転できなくなってたいへんなことになりますので。
アセロラドリンクみたいな感じ、酸味の効いたジュースみたいなもんですね。

・・・

ブログで写真を載せるとすれば、食べ物か景色・花などでしょう。
食べものと花や景色の両方を載せる人もいますし、どちらかの人もいます。
私はだんだん食べ物が多くなってきてしまったなと思います。

面倒くさくて、花を見にいけなくなってきたんです。
駐車場代を払ったり、入園料を払ったりするのが面倒だし、花を見たりしていると時間もかかってしまう。
本当は、立川の昭和記念公園にコスモスでも見に行こうかと思ったのですが、なんかやっぱりかったるいよな~なんて思って、結局はお昼を食べに行っておしまい。

これ、なんとかしないと・・・

たまには、ちゃんとした観光スポットに行って、きれいな花などを撮影しないといけないなあと思うこの頃です。

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記憶をたどる

2024-09-30 22:31:06 | 日記2024

いつも読ませていただいているブログで、俳優座劇場で「セチュアンの善人」の公演を観たという記事があった。そして、六本木の俳優座劇場は2025年4月に、老朽化のため閉館するのだそうだ。

俳優座劇場と言えば、昔、改築したばかりの頃に劇を観にいったことがある。
あの時、新品だったホールが、今や老朽化だと?
年月の流れにびっくりする。
できたのはいつだったかと調べてみると、1980年だそうだ。
私が20才の時である。45年も経つんだものね・・・

建物よりも人間のほうが長持ちするものなのか・・・

それで、「セチュアンの善人」なんだけど、私はストーリーや内容を全然覚えていなくて、なんかポスターに載ってた男装の女性の姿しか思い出せないのだった。

俳優座ではこの劇を36年ぶりに上演するのだそうで、そうなると私が28才の頃だが、その年齢では子育て中で、すでに演劇なんか見に行ける状況ではないので、違うなと思うのである。

でも、確かに「セチュアンの善人」という劇を観たことがあるような気がするのだ。
私が記憶している女優の名は「神」が付いたような気がした。

それで、色々と調べてみたところ、1978年に紀ノ国屋ホールで「セチュアンの善人」の公演があったことがわかった。

この時の役者は、井川比佐志・西田敏行そして神保共子である。

そうだ、神保だ。

今の神保共子さんの画像を見ても当時の姿と結びつけることができないのだが、おそらくこれに間違いないだろう。

私は高校の時に演劇部で、部活仲間と一緒に故郷の「市民劇場」っていうのにも入っていて、年に数回、市のホールでプロの演劇を観ていたんだけど、上京して短大に入ってからもしばらくは演劇部員で、個人的に「都民劇場」というのに入って、月に1度くらい演劇を見ていた。

それは、自分で劇を選んでチケットを買うのではなく、会費を払っておけば、都民劇場のほうで選定されたチケットが送られてくるのだった。

それをOL時代も続けていたのだけど、結婚後はそれどころではなく、やめてしまい、それ以降四十数年間、もう演劇を見ることもなくなってしまったのだ。

また、演劇が見たいなあと思うようになった。

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慶応繋がり

2024-09-28 13:54:52 | 日記2024

これは全く私個人の現在の関心事なんですが・・・

私が勝手に最近亡くなった福田和也氏の過去の著書「東京の流儀」を読んでいるときに、自民党の総裁選があって石破さんが当選されました。

今自民党総裁になった政治家石破茂に関する興味と、1人の故文芸評論家に関する興味が、私の中で並列して時間が過ぎていくわけです。

これらには、私の意識以外には何の関係もありません。

で、何ら関係のない、この生きている人と、亡くなってしまった人。
政治家と文芸評論家。

この2人を私は眺めています。

で、ハタと共通点を見つけました。

慶応高校出身、慶応大学卒業。

石破さんは、慶応義塾大学法学部法律学科卒。

福田さんは、慶応義塾大学文学部仏文学専攻。

両方とも、ケイオー♪ケイオー♪ケイオーーー♪でした。

どうでもいいことですが、共通点の発見のお話でした。

【慶應義塾大学應援指導部】塾歌(歌詞字幕付き)

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今と20年前

2024-09-28 09:59:13 | 日記2024

2日くらい前から、先日亡くなった福田和也氏の「東京の流儀」というエッセイ集を読んでいるのだけど、これは約20年前に書かれたもので、悠長な食べ歩きみたいな内容だ。

現実の現在としては、昨日は自民党の総裁選があって、最終的には高市さんと石破さんの決選投票で、石破さんが選ばれた。

昨日、ブログに蕎麦のことを書いている最中に、隣の部屋でテレビを見ていた夫が「高市さんになりそうだ・・」などという途中経過などを口しているを聴き、ええ~~っ…と思っていた。

それで、最後の最後は、パソコンでライブ配信を見ていたのだけど、石破さんがリードして総裁に決定。

良かった!

実は、私は最初から石破さんになってもらいたかったのだ。顔は悪い(特に目つき?)のだけど、石破さんの考え方は多くが同意できる。説明がわかりやすい。経験も豊富だし頭も良い。
高市さんはちょっと右翼っぽいのであまり好きではない。何を非難されても平然としている面の皮の厚さ。正直言って、高市さんの顔や笑いが気味悪いし、声のトーンも重くて発音が嫌いだ。
一番嫌いなのはデマ太郎の河野。デジタル庁でマイナカードの無理強いや、あやしいワクチンの運び屋、自分の都合の悪い人間はことごとくブロックするやつ。
河野だけは絶対にごめんである。
小泉進次郎は、根は悪くないが、若年経験不足で、あまりアタマも良くないらしい。
でも、考え方は石破さんに似ている部分が多いので、石破さんの元で何かの大臣になってほしい。
その他の人は、あまりよく知らないけれど、特に悪くはないものの決定的長所がない、というか印象が薄い。

石破さんは、自民党の中では一番自民党体質ではない人である。
派閥とか裏金とかとはあまり関係がなく、クリーンな感じだ。
だから、旧体質の自民党の中では人気がなかったのかもしれない。
私はいっそのこと自民党をやめて、立憲民主党の人等と一緒に別の党を作ったらいいんじゃないかとさえ思っていた。(まあ、私は政治のことには詳しくないので、的外れな考えだったかもしれないが。)

そんなわけで、石破さんになってほっとした昨日でした。

で、一方、「東京の流儀」を読み進んでいるわけなのだが、蕎麦のあとは、鰻におでんにトンカツに・・・と相変わらず悠長な飲食店の話である。

そりゃあ、今の時代だってそういうテーマだったら、どんだけ悠長な内容が出てくることだか。
本当は、そんな気分ではないのだが、まあ現実とは切り離して読んで行こう。

(現実:地球温暖化・異常気象・自然災害・物価高騰・少子化・労働者不足・高齢化社会・増税等々)

その後わかったことだが、福田和也氏は、江戸っ子なので、子供のころから東京の中心地に在住しており、上野・銀座・神田・新橋辺りは日常行動範囲で、飲食店もよく知り、俳優や文化人もよく知っていたようだ。

映画なども子供の頃から見ていたので、昔の作品や俳優もよく知っていたのであろう。

そうして、男というのは、若いころから仕事上の交際で飲食店を利用したりするので、主なる飲食店や酒が飲めるお店などをよく知る環境にあるのである。

仕事柄ってこともあるのだろうけど、文化人や有名人との交流もあり見識もあるという、そういう世界の人なんだというのを感じた。

こんな人と自分を比較するのもおこがましいが、静岡県のド田舎から出てきた女子短大生が、日本橋室町辺りの職場で職工のように校正の仕事をするものの、会社と4畳半(風呂無しトイレ共同)のアパートを往復しているだけで、日本橋界隈で外食をしたこともなく、結婚と共に退社。

その後は、子育て。ママ友と一緒にファミレスでの食事が大の楽しみ。
多くは「てんぐ」。激安居酒屋。よく行ったなあ~

その後、バブルの時代で家族でも「かに道楽」や「鰻」や「レッドロブスター」や「寿司屋」等を利用する時代もあったものの、バブル崩壊。

久々にカニ道楽に行っても、カニが小さい。高い。
寿司も昔と違う。

テレビで芸能人の食べ歩きを見ていると、なんかムカついて来る毎日。

・・・

支離滅裂になってきたので、やめるけど、「東京の流儀」を読んでいたら、芸能人の食べ歩き番組を見ているような気分になってきて、何悠長なことやってんだよ、なんて思ってしまったが、これは20年前に書かれたものだよ、気持ちを切り替えよう。

とにかく、これはこれ、それはそれ。

石破さんの政治手腕がどんなものか、期待します。

まあ、私は一応、立憲民主押し(今のところ政権が取れるような段階ではないし、カスみたいな議員もいるけど)の人間です。

 

追記:高市さんは個人的に好きではないけれど大物政治家です。だから国会で高市さんにかみついている立憲民主の議員が、キャンキャン騒いでいる小犬みたいで、高市さんはビクともしない。良い悪いではなく、もう格が違い過ぎる。器の大きさが違い過ぎるのだ。だから立憲民主は情けない。重箱の隅をつつくようなことで時間が取られるだけ。つついているところがどうでもよいところなのだ。
だから、立憲民主には政権は取れないし、自民党のほうがマシってことになる。)

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福田和也氏の印象

2024-09-27 05:35:28 | 日記2024

昨日借りて来た「東京の流儀」を読み始めた。まだ本当に最初の部分である。

この本は、散歩・街歩きのことが書いてあるようだ。私も一応東京に40年以上住んでいるし、この人と同じ世代(現在にて60代前半)なんだから、かなりの共通性を持ち合わせていることになる。

ところが、読み始めてびっくりしたのは、どうしたって自分より10才以上は年上なんじゃないかというイメージなのである。

例えば、中華の店に関する部分では、
「戦後の小津安二郎の作品には、笠智衆や中村伸郎と言った中年男たちがつどう料亭や、座敷のトンカツ屋とともに、場末のラーメン屋が点景として出てくる。零落した漢文の教師である、小澤栄太郎が、娘-杉村春子に追いつかわされているところに、加藤大介がタンメンを食べにくるような。」

この古い俳優たちを知っているのは、彼が昔の文芸作品を研究しているからなんだろう。それとも子供のころから、映画などをよく見ていたのだろうか。

私が知っているのは、笠智衆と小澤栄太郎と杉村春子だ。杉村春子は文学座の公演でよく見た。
笠智衆は私が子供の頃にはすでにおじいさんだったと記憶している。杉村春子も私が演劇に没頭していた高校の頃から70代くらいのすごい年齢で、その時すでに日本史の教科書に載っていたので驚いたのだった。

その笠智衆が中年男であった戦後の作品というのを、自然に知り得るのは、私たちよりももっとずっと上の世代ではないか。やはり過去の文芸作品を研究している人ならではの視点なんだろう。

過去のことを研究している人は、自然に人生を熟達した人のような雰囲気を醸し出すのだろうか。

この人の概要をウェブで見ると「保守派論客の文芸評論家」という言葉が出てくる。昭和天皇に関する著書もあるようだけど、やはり実際の一般同世代人に比べると、ちょっと古めかしい印象を受けるのであった。

現代人は、むしろ戦後の日本に郷愁を抱くよりも、コロナ前の日本に郷愁を抱いてしまうのが自然だ。杉村春子や小澤栄太郎なんかすっかり忘れ去られているのではないだろうか。

しかし、同世代の男性が結構古めかしいと感じたのは、今年故郷の高校の同窓会に行ったのだが、そのときに昔野球部だった同級生が、地元の史跡的建物に関して、延々と歴史を解説し始めたのがとてもジイサンぽかったのだ。
この人って、昔は野球のことしか考えてないような少年だったイメージだが、その建物が大正時代に資産家の別邸として建てられ、その後旅館になって文壇人たちが泊まりにきたとか、さらにその後…などという経緯をかなり詳しく知っているらしく、解説してくれたのは驚いた。
年を取るとそういうことになるのだろうか。

そういえば、私も最近は、昔の建物(城跡や旧庁舎)や昔の街道などに興味を持つようになったのも年のせいなのかもしれない。

「東京の流儀」が書かれたのは今から20年くらい前のようで、それならば、時代的には確かに古い感じがするのはあたりまえ。
それにしても20年前は、著者はまだ40代前半だったのだから、こんな年配者みたいな文を書いていたらずいぶんと年寄り臭い気がする。

40代なんてまだまだ若者ではないか。

この人は、1989年に「奇妙な廃墟」を刊行し、1993年に「日本の家郷」で三島由紀夫賞を受賞。
私は1989年に次女を出産。当時はひたすら子育てと家事に従事。
それが20代の終わりから30代初めの頃の人生。

・・・

この人は文芸評論家っていうよりも「東京の流儀」に関しては、エッセイストって感じである。
自分よりずっと年上(昔の人)のような印象を受ける。
文は面白い。
理解・共感はできる。
今後も色々読んで行きたいと思う。

私は人生をサボっていた分、精神年齢が低く、よく言えば若そうなので、これからも身体が元気なうちは、色々なことに興味を持って、コロナ後のへんてこりんな世界を生きていくことになる。

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