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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

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「夜想曲集」(カズオ・イシグロ)を買った

2018-03-10 10:59:11 | 読書
「日の名残り」が、なかなか興味深い内容だったので、引き続き、カズオ・イシグロの小説を買ってきた。
昨日買ったのは「夜想曲集 ~音楽と夕暮れをめぐる五つの物語~ 」。
多くのイシグロ作品からこれを選んだのは、5つの短編なので読みやすそうだし、音楽に関係しているのも良いと思ったからだ。また、本によって訳者が違っているので、「日の名残り」と同じ「土屋政雄」のものから選んだ。

本屋さんで、平積みされているカズオ・イシグロの文庫本たちを見て、あれっ、こんなにきれいなデザインだったかな?と思った。どの作品も、光沢のあるカラーの表紙がやけに美しいのだ。
しかし、自宅にある「日の名残り」と同じ会社じゃないと並べたときに合わないよと思い、そのへんを見てみたが、結局、イシグロの作品は、このハヤカワ文庫だけだった。
「日の名残り」は、買ったときから本屋さんのカバーをつけたまま読んでいるので、どんなデザインだったか全く覚えていない。こんなにきれいなものだったかな?と思いつつ、「夜想曲集」を買ってきたのだ。

「夜想曲集」は、780円プラス消費税で、800円を超えた。昔はこのくらいの厚さの文庫本は300円くらいだったような気がするけど、それも30~40年くらい前のことである。できれば500~600円くらいであってほしいところだが、単行本にくらべたら半額くらいだし、デザインもきれいだからまあ良いか。
内容がつまらないものだとがっかりしてしまうのだが、私の場合、図書館の本を2週間で読み終えるなんて到底無理なので、文庫か古本を買う。



自宅に帰って「日の名残り」のカバーを外してみると、やはり同じハヤカワ文庫で、表紙はきれいなものであった。デザインは、ダウントン・アビーのお屋敷みたいなダーリントン・ホールが描かれていた。「渡邊伸綱」という人の絵である。
「夜想曲」のほうは、ぼんやりしたデザインで何かわからないと思っていたが、あらためて眺めてみると男女がダンスをしている絵だった。こちらは「田地川じゅん」という人の絵である。

どちらも下にカズオ・イシグロの写真と「ノーベル文学賞受賞」と書いた帯がついている。

電子書籍ではなく、物体の良さはこういうところである。並べてみるのも楽しい。
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日の名残り(カズオ・イシグロ)

2018-03-09 14:22:15 | 読書
昨年12月頃から読み始めた文庫本を、今日やっと読み終えました。
この作品は、意外にも私にとってヒットでした。いろいろと響くものがありました。

この主人公スティーブンスは、あまりにも仕事一筋の執事だった。一流の執事とは何か?それは、自分の感情や個人的都合を犠牲にしても、雇い主に完璧に使えることなのでしょう。その雇い主も、それなりの地位のある人格者でなくてはいけない。従僕が身をささげるに値する人物でなくてはならない。

主人公が若いころから目指していたものは、一流の執事になることだった。
だから、すべてが仕事第一で、女中頭のミス・ケントンと恋愛関係に陥ることもなかった。

ミス・ケントンはスティーブンスのことを好きで、彼はそのことにも気付いていた。しかし、いついかなるときも、仕事を優先にするために、それに応じることを拒否していた。
寸分の隙もつくらなかった。

執事には感情があるのでしょうか?いえ、感情を持たない。持っていても表さない。いついかなるときも、雇い主のために抜かりなく仕事を進行させる。雇い主の判断が間違っていようと、完全に服従する。

自分の父が死ぬ時も、重要来客対応等の仕事を抜かりなく全うし、自分に想いをよせるミス・ケントンが他の男性との結婚を決定してしまいそうなときでも、雇い主と訪問者のために感情を無にして働いていた。そして、自分の個人的な感情を犠牲にして仕事を全うしたときこそ、自分の執事としての器に満足を覚えるのだった。

この人は、仕事のために、自分の感情というものを封印しているんでしょう。それを辛いとも思わない。そして、自分が執事としてかかわった仕事により、あるときは政治をも動かすような重要な会談が行われたりし、自分が世界を動かす車輪となっていることに満足するのだった。

どうしたって、優先順位は「仕事」だった。それが生きがいでもあったのだ。
恋愛小説を読むことでさえ、それは一流の執事として、美しい言葉を話すための研究であった。

本当に、この人は「かたぶつ」である。

でも、ミス・ケントン(結婚してミセス・ベンになっている)に会いに行ったのは、やはり、この人に想いがあったからであり、ミス・ケントンの気持ちも痛いほど知っていたのである。しかし、このときでさえ、ダーリントン・ホールの女中として戻ってきてくれたら、という仕事の目的にかこつけていた。

ミス・ケントンはもう孫までいるというのだから、いったい何十年経っているのだろうか。

雇い主も変わってイギリス人のダーリントン卿から、アメリカ人のファラディ様になっている。時代も変わった。

人生ももう、1日に喩えたら夕方、日が暮れる時刻である。

結婚もしないで執事としての人生を全うするんですね、この人は。

でも、この車の旅はよかったでしょう。アメリカ人の雇い主になったからこそできたことかもしれない。

ダーリントン・ホールには、イギリス人・ドイツ人・フランス人などの要人が集まって重要なやり取りがされた。政治や国際情勢に大きな影響を及ぼしたこともあった。ダーリントン・ホールは、いわば「権力の館」でもあったんでしょう。(放送大学の「権力の館」を思い出した。)

この小説は、すごい。
執事という一個人の思いや体験をとおして、ヨーロッパの歴史まで語っている。そして、恋愛まで語っている。品格についても考えさせられる。仕事への忠誠心についても考えさせられた。

テレビドラマの「ダウントン・アビー」のような世界だった。

そして、文章がきれいだった。
スティーブンスの語りによる物語の進行になっているが、この人の日本語がまったくきちんとしているのである。
執事の品格。

だから、この小説にも品格がある。

元の英文はどういうものかわからないけれど、日本語にしたら、こういう言葉づかいになるはずである。
土屋正雄という翻訳者もよかったのかもしれない。

ノーベル文学賞を取る程の作家、カズオ・イシグロの作品。他の作品も読みたくなった。

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カズオ・イシグロ

2018-02-16 07:32:17 | 読書
カズオ・イシグロ という名前が、いつも、どうしても出て来なくて困っている。

あの、ノーベル文学賞取った人・・・
何て名前だっけ?

という具合だった。

ある日、「石黒」というのが、学生時代の図書館学の先生の名字と同じことに気づき、それだけは間違いなく思いだすことができるようになった。

ところが、下の名前、いや、ファーストネームがちっとも覚えられないのである。

そしてなぜか、ケン・イシグロなんて名前ばかりがいつも思い浮かぶのだが、
なぜかと思ったら、俳優に石黒賢さんがいたからだ。

そうして、イギリス人のノーベル文学賞作家を思いだそうとするたびに、図書館学の先生と俳優の「石黒」さんが登場するものの、それ以上に進まないのであった。

以前から書いているのであるが、私は外国語が全く覚えられない学習障害人間である。
カタカナ語もなかなか覚えられない。だから片仮名語のたくさん出てくる文章はなかなか理解できないのである。カタカナの名前のたくさん出てくる脚本などはお手上げだ。

それで、こんな簡単な日本人と同じ名前でさえ、片仮名になって、名字と名前の順番が逆になった瞬間に覚えられなくなってしまうのだ。

普段、自分は、言葉を漢字と意味に置き換えて覚えているのかもしれない。

そこで、カズオ・イシグロは、石黒ナントカで覚えればよいのではと思ったのだ。

石黒カズオ 
カズオは、どう書くんだろう。
調べてみたら「一雄」だった。
これは声優の「熊倉一雄」さんと同じ文字だね。

ということで、石黒賢ではなく、熊倉一雄を思い出すことにする。

すると、
石黒 一雄 → 一雄 石黒 → カズオ・イシグロだ!

よって、今後はたぶん思いだすことができますが、この変換をするために、しばらく時間がかかります。

(たぶん、私は言葉を「音」で覚えず、「文字」で覚えるタイプなのだろう。)
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見えない

2017-12-05 18:33:20 | 読書


必要に迫られて本を読まなきゃならないんですが・・・
見えないんですよ~~~~

特に右の本がね。
文字がグレーっぽいんです。

目が疲れちゃって2~3ページで限界でした。

左が文庫本。文字の大きさは同じくらいだけど、紙が茶色っぽくて、字が真黒だからまだ見える。

右は新書です。
紙が白くてテカテカしていて、明るくすると反射しちゃうし、文字が薄くて見えない。

頭もぼけてるけど、物理的に本を読むのが無理になってきた。

視力の限界。

ピンとも合わないし、老眼鏡を作り直さないとダメかな。
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「趣味の食卓」(中島義道)

2017-08-18 06:34:27 | 読書
中島義道という人の単行本「人生、しょせん気晴らし」を開き、最初の“「自由な生き方」という気晴らし”から読み始めると、その中の最初のエッセイが「趣味の食卓」である。

この本の題名が気に入って選んだものの、この1つ目のエッセイでいきなり嫌気がさす。

「陶磁器には特別の思い入れはない。」という一文から始まるこのエッセイは、陶磁器についての特別の思い入れを書いているのである。
まずは、ぐいのみに関しての条件を書き連ねている。大きさ・厚み・色。
萩と唐津で買ったものが気に入っているという。

「陶磁器一般のよさは、あまりわからない。」と書きながら「どんな器でもいいわけではない」そうで、「妻の母が茶道の教授なので、家には義母からもらったあるいは妻がなじみの骨董屋で買ってきたさまざまな主に唐風の食器があるが、私はその中で気に入ったものを選ぶだけである。」

こういう人間って、一般庶民からは嫌われるタイプだと思う。

さらに、「6年来ウィーンに家があるので、自然に向こうの陶器も集めることになる。」と始まり、ウィーンの陶器の話、それらのデザインの話となる。

「だが、彼の地で一番気に入っているのは(わが国にはほとんど紹介されていないが)以上の陶器よりはるかに庶民的ではるかに安価なグムンデンである。」

「(わが国ではほとんど紹介されていないが)」ここが鼻に付くわけである。
紹介されていないのは事実であろうし、それが高価な高級なものではないにしろ、こういう話し方をする人って、やはり庶民から嫌われると思う。

こういう人は、こういうタイプの人同士で友達になるのだろう。

つまり、一部で謙遜しながら結局自慢ですか?と感じるような言葉が、ちりばめられているのだ。

とはいえ、この人の境遇は本当にこういうものなんだから、本人としては、別に自慢じゃないんだろう。
ウィーン郊外の自宅で、萩や唐津のぐいのみに久保田や八海山などの日本酒をついで飲み、ロイヤルコペンハーゲンの皿に蟹味噌を載せてつまみにし、「ずれ」を楽しむのが趣味だそうだ。

まあ、そりゃ、楽しいかもしれないね、と今やっとこの最初のエッセイを一通り読んでみて思った。

昨日は、途中でうんざりして読むのをやめて“「読書」という気晴らし”のカミユのところに飛んでしまったのだ。

若い時に、何でも抵抗なく読書ができたのは、今のような格差意識ややっかみがなかったからなのだろう。
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気晴らし

2017-08-17 00:00:50 | 読書
この頃は、何事もやる気がない。
なにか、自分にとって、やる気の起きるものは無いかと思いながら図書館で本を探した。
そうしたら、「人生、しょせん気晴らし」というタイトルが目に入った。
そうだ、何か面白いことはないかなあと思った時点で、気晴らしできるものを探しているのである。いつもいつも、そういうものを探しており、それにも関らずこれといって熱中できるものはみつからないのだ。

それで、ちょっと興味が持てたのが、riceの櫻井有紀さんだったり、コントラルト歌手兼指揮者のナタリーシュトゥッツマンだったり、B‘zだったりするわけだが、それらには何の一貫性もなく、そして、ある日ふと我に返り、なんでこんなものに夢中になっているんだろう~と思うのだった。

櫻井有紀さんの歌う美空ひばりの「川の流れ」はあまり良くなかったな・・・そんなことで、ふと我に返ったのだ。

ナタリーシュトゥッツマンのCDを買ったけど、いいのはやはりその中の1曲だけだったな。

最近は、ポケモンを捕まえたりしてるけど、すぐにボールがなくなって、ボールをゲットできる公園や郵便局の辺りをウロウロしている怪しいオバサンになっている。
これも気晴らし。

「人生、しょせん気晴らし」と言う本の著者は「中島義道」と言う人で、哲学者。
パラパラとページをめくる。最初は焼き物の話。あんまり気に入らないなと思う。
「私を変えた一冊」、それはカミユの「異邦人」だそうだ。
人はどうせ死んでしまうのだから虚しいと思っていたが、この本に出会って衝撃を受け感動したそうだ。
カミユもそう思っていた人だったからなのかな?
この部分、斜め読みでよくわからない。しょせん気晴らしでパラパラめくっただけだから。

カミユの「異邦人」は、私も19歳か20歳のころ読んだことがある。でも何も覚えていないのだ。当時、付き合っていた人から薦められて読んだものだ。その時は、カフカの「変身」とカミユの「異邦人」を薦められて、ほぼ同時期に読んだので、この2つは私の中でセットになって記憶に残っている。でも、内容を覚えているのは「変身」のほうだけだ。
ある日突然、自分が醜い虫になってしまい、部屋の中で暮らしており、最後は家族からも忘れられて死んでしまったんじゃなかったっけ?
異邦人のほうは、本当に全く覚えていない。何一つ覚えていない。

読み直してみようかな~、そうしたら何か感じるものがあるか、思い出すことでもあるかな~。

何の役にも立たず、ただ支離滅裂に、思うことを書いてみた。ブログ。これも気晴らし。
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ひがんすぎまで

2017-03-29 22:55:58 | 読書
昨日、急に夏目漱石の「彼岸過迄」を思い出した。
それは、今「彼岸過ぎ」の季節だからである。

そして、あの小説はなんで「彼岸過迄」という題名なんだっけ?内容がそんなものだったかな?と、不思議に思ったのだ。

だが、そのまま寝てしまった。

さっき、40年近くも前に買った文庫本を開いてみた。

<「彼岸過迄」というのは元旦から始めて、彼岸過まで書く予定だから単にそう名づけたまでにすぎない実は空しい標題(みだし)である。>
と、漱石本人が前書きみたいなのに書いてあった。

ああ、そうだったんだ。内容ではなくて、書いて新聞に掲載した期間だったんだ。
そして、秋の彼岸じゃなくて春の彼岸だから、やっぱり今頃だ。

解説によれば「明治45年(1912)の1月1日から4月29日まで朝日新聞に掲載された。」とのことである。

えっ、今から105年も前ですか!そんなに昔か~~~

漱石46歳の作品。
若いね。(今の私より)

この小説を私が読んだのは、19歳のときだったな。

この小説は「駄作だ」と漱石ゼミの先生が言ってた。

漱石曰く
「かねてから自分は個々の短編を重ねた末に、その個々の短編が相合して一長編を構成するように仕組んだら、新聞小説として存外面白く読まれはしないだろうかという意見を持していた。……」

だから、たしかにまとまりがないっていうか、だらだら続いていたような・・・

もう一度読んでみるかな。
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漱石の「自転車日記」を聴く

2016-12-09 21:31:28 | 読書
今日は、夏目漱石の命日だそうだ。
1916年12月9日。ちょうど100年前に亡くなったそうである。

それだったら、何か漱石の文でも探して、ブログで引用してみようかと思い、自宅にある本を開いてみたが、これはというものが見つからなかった。

それで、インターネットで夏目漱石を検索してみた。

すると、「自転車日記」というものが出てきた。こんな作品があったとは知らなかった。
文は読もうとすると、古文のようで読みづらく、とても根性が出ない。
すると、「朗読」というのがあったので、洗濯ものをたたみながらこれを聴いた。

それでも、意味がよくわからない部分があるが、読むよりはずっと楽で、なんとなく意味がわかった。

これは、漱石がイギリスで暮らしていたときに、乗ったことのない自転車に、乗る練習をしていた頃の様子を描いたものだった。
日づけは全部、「忘月忘日」になっている。日本に戻って来てから書いたものらしい。

思うように乗れず、暴走したり転んだり曲がれなかったり。
乗れないのに乗れるふりをして、知り合いにサイクリングに誘われてしまい、どうやって断るか四苦八苦したりする光景がおかしい。

自転車って、そんなに難しく危ないものだったのかと思う。
今の自転車と作りが違うのかな?
それにしても漱石以外の周りのイギリス人は乗りこなしていたようである。

単に、自転車に乗るのがへたくそな自分について、こんなに一生懸命書いているところが、逆にすごいなあと思う。馬車や自転車が行きかうイギリスの当時の往来の状況などもわかる。

他の人の解説した文献によれば、漱石はイギリスで神経衰弱になり家にこもっていたので、自転車に乗って外に出るように、近所のおばさんから勧められたそうであるが、この時の自転車の経験は漱石にとって楽しいものではなく、漱石は、日本に帰ってからも、自転車に乗ろうとはしなかったそうである。

大人になってからの自転車の練習というのは大変なのかな。
私は小学校の低学年のときに自転車の練習をしたけど、楽しかったなあと思った。
全然危ういものではないけどなあ。

漱石さん、自転車に向いてなかったかな。

それから、インターネットで、漱石の俳句をみつけた。
その中から、なんとなく選んだ3句。

・月に行く漱石妻を忘れたり。

・なんとなく寒いと我は思ふのみ。

・寝て暮らす人もありけり夢の世に。

没100年の命日ということで、漱石さんに関する内容を、ブログに載せておきます。
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「ひまわり事件」(荻原浩)を読んだ

2016-11-06 20:40:00 | 読書
結構分厚い文庫本でしたが、順調に読み終えました。
普段は、パソコンを立ち上げる合間に読んでいました。私のパソコンは、最近立ち上がるのがすごく遅いので5分くらいは待ってなきゃならないのです。その間、読書をしてました。

それから、実家への往復に電車の中で、読みました。車を運転して帰ろうかと思いましたが、やはり勇気がなく、電車にしたおかげで、読書の時間が取れました。

それから、実家の布団の中で読みました。これは不思議な感覚がよみがえりました。
子供のころから高校生まで、自分の部屋で読書をしていた時の感覚です。その部屋は読書に向いている、と思います。あの家に住んでいたときは、私は読書家だったのでした。

「ひまわり事件」を読み終えたのは、帰りのロマンスカーの中でした。

・・・・・・・・・・・・

一番先に思ったことは、晴也たち4人組が13年後にヒマワリを蒔きに行ったとき、そこに現れた年寄りは、寿司辰だけでしたが、どうしてそういうストーリーにしたのだろうか?ということでした。

願わくば、「晴也」と一番交流の深かった「誠次」が来て再会するのが自然な形式なように思うのでした。この2人が中心人物だったでしょう。
読者は、きっと「誠次」が現れると思って読んでいます。
しかし、「誠次」は2年前に亡くなったそうです。(あっけなく明かされます。)
最後のメンバーは、誠次と聖也ではなく、4人と寿司辰が描かれていました。

それが現実というもの?でも、「寿司辰」と4人の再会は良かったです。悲しいけどよかったと思えます。胸が痛みつつも温かい気分になります。

そして、人間ってそういうものなんだと、ふと思いました。
自分の蒔いた種(働きかけたこと)が、自分に戻ってくるわけではなく、ある人がしたことが、未来には別の人にも影響していくということです。たとえ自分が死んでも。

また、けっして1人の人が、たった1人の人に影響を与えるのはなく、複数の人々がかかわりを持っているということではないのか?
そして、それが価値のあることなのかもしれない。

それから、人をあっといわせるようなひと踏ん張りをしてみたり、何かのたくらみや、仕掛けをすることを、人は生きる上で忘れてはいけないような気がする。
晴也たちの幼児期の体験が、13年後の「ヒマワリ事件」につながっていくのだ。

事無かれ主義とか、自分のその場の都合ではなく、自分が正しいと思うことに思い切って突き進む勇気と手間を惜しんではならない。
長いものに巻かれない。自分の信念を貫くことだ。

荻原さんの小説は、本当に痛快だ。ここまでやっちゃう?と思う展開。
でも、胸キュンである。人生の哀愁。人々の自分の生きざまへのこだわり。
(この小説には、複数の重要人物が登場し、各世代の生きざまや人生が描かれていて、書きたいことは多々ありますが、ここでは割愛します。)
人はいろんなものを背負って生きている。子供は成長し、いずれは老いてこの世を去る。

その中で、やはりどうやって生きて行くべきなのか?
自分の生きざま、やり残したことをやり遂げること。
いろいろ考えさせられ、感じさせられた「ドラマ」だったなあ。

・・・・・・・・・・・



riceの「ひまわり」つながりで、この小説を選んだけど、読んで良かったです。
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暮らしの手帖・大橋鎭子

2016-10-01 23:48:04 | 読書
NHKテレビドラマ「とと姉ちゃん」をきっかけに「暮らしの手帖」が注目されるようになった。
そういえば、私は「すてきなあなたに」という単行本を持っていることを思い出した。
(暮らしの手帖社 大橋鎭子著)
この本は、私が昭和57年に結婚した頃、夫の母が私にプレゼントしてくれた本である。
これについては以前書いたことがある。



姑がせっかく買ってくれたのに、ほとんど読まずに放置してあったのを7年前、引っ越すときに処分してしまったのだが、そのことが気になっていた。それで、同じ本をアマゾンで買ったのだった。届いたのは、昭和57年ころの古本かと思いきや、平成14年の38刷だった。でも、装丁も内容も同じようである。(過去記事「“すてきなあたなに”を買った。」)


(花森さんの絵)

この中には、短いエッセイがたくさん載っているが、もともと「暮らしの手帖」の中に掲載されていたものを集めたものらしい。そういえば、テレビドラマの中で、花山さんが、常子にエッセイを書けと言っている場面があった。

「すてきなあなたに」は6巻くらいあるようだ。

私が持っているのは数字が無いので第1巻なのだろう。それを見ると、ドラマの「とと姉ちゃん」常子である大橋鎭子さんは、海外に出かけたりしているようで、外国人の知り合いの人の習慣や生き方について共感する点などを書いている文も多く、テレビドラマには描かれていない人間像を醸し出している。(過去記事「やっぱり肌に合わない「すてきなあなたに」)



丁寧な文体は、育ちがよさそうで、私にはちょっと肌が合わないなと思っていたのだが、テレビドラマを見てからは、ドラマの中の常子に好感を持っているので、現実の鎭子さんにも、以前になかった親近感が増し、好感が持てるような気がする。



改めて読んでみようと思う。

そして、今は亡き義母が、この本を買ってくれたことに改めて感謝するし、同じものを買い直しておいてよかったなあと思った。

時の流れは、過去に自分にとって無価値だと思ったものを、有意義なものに変えてくれるものであり、その不思議を感じないではいられない。
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荻原浩さんの本

2016-08-25 23:19:51 | 読書
今日、本屋に行ってみたら、荻原浩さんの本が平置きにされていた。
そういえば、直木賞を取ったんだったな、と思いだした。
私は、荻原浩さんの小説が好きで、何作か読んでいる。
他の作家の小説の場合、最後まで読めないで放棄してしまうことが多いが、荻原さんの小説だけは、挫折することなく、最後まで読めるのであった。
だから、好きな作家といえば、荻原浩さんであった。

でも、最近、読書自体全然してなくて、荻原さんの作品からも遠ざかっていた。
今回直木賞を取った作品は「海の見える理髪店」というもので、単行本が売っていたが、1400円と高いので、買うのはやめた。
家にあるのは全部文庫本なので、買うんだったら文庫本でそろえようと思い、この作品ではなく他の作品を読んでみようかなと思った。

しかし、そのあたりには、大した書籍がなく、文庫本は3種類10冊程度がいいかげんに置かれているだけだった。そこで、通常の売り場の書棚にあるかと探したのだが、どのように作家名のあいうえお順が並んで配置されているのか、まるで表示のない棚を前にして、なかなか見つからない。
通りかかった店員さんに聞いてみたが、要領を得ない返事だ。バイト君だったようだ。
なんとか、書棚の「お」から始まる場所を見つけたが、荻原さんの作品はたったの3冊のみで落胆した。
すると、「荻原浩の何の作品をお探しですか?」と聞くのだが、こちらは、たくさん並んだ荻原浩の本の中から、自分がまだ読んでいない作品を見つけ、その中から、題名や表紙や中身を見た感じで買うものを決めようと考えているのであった。
すると、別の店員さんが「荻原さんの作品でしたらこちらにもあります」という。
芥川賞のほうと一緒にしてあるそうだ。見ると、さらに別の平置きの場所に数冊あったが、品数としてはかなりお粗末なものだった。
なんなんだ、この店は。全く整理整頓ができないというか、あっちこっちに置いてあって、支離滅裂。何の表示もなく、結局見つからないではないか。というか、ろくに無いのだった。

ブックオフなんかのほうがきちんと分類してあり、表示もしっかりしているようだ。
結局、「ひまわり事件」を買ってきた。
これは、平置きの2か所に売っていたもので、厚みが結構あり、文庫本なのに810円+税もしているのだった。

なんで「ひまわり事件」を選んだかといえば、riceの新曲も「ヒマワリ」だからね。
ひまわりつながりということで。

それから、家路に向かったのであるが、どうも、あの書店の本の並べ方は気に入らなかったなと思って、ためしにもう1軒の書店によってみた。
こちらの場合、単行本が芥川賞・直木賞等、新刊本と一緒に平置きになって同じコーナーにあり、文庫は文庫で、荻原さんの作品は全部平置きになって表紙が見えるように置かれていた。さきほどの書店にあった作品は全部あり、さらに別のものも多数あった。
その中で「幸せになる百通りの方法」と言う本に目がとまった。短編集なのか。
実は、電車の中で読もうと思っているので、こっちのほうが読みやすそうだ。それで、これも買ってしまった。

最初の書店は大手の有名本屋の支店であったが、あれはダメだな。
実際、いつもなかなか目的の本がみつからない。
あとで行ったほうの本屋は、有名な店ではないが、ちょっと立ち寄ったときに何気なくよさそうな本を見つけてしまう本屋である。

本屋も、売り場の配置や表示の仕方で売れ行きが全然変わると思う。

まあ、結局、それぞれの店から買ってしまったので、散財だ。

しかし、荻原さんの本だから満足である。ひさびさに読書をしよう。

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「右に曲がって左に折れて」(宮城谷聖枝)を読んだ

2016-05-05 22:20:37 | 読書


図書館に行き、直感で本を選んだ。著者は知らない人である。

裏表紙に書かれた著者紹介には、愛知淑徳短大家政科卒業(昭和44年)と書かれていた。
最近は、自分より若い人の著書を読むことが多いが、この人はかなり年上ということになる。

主人公は、診療所で働く20歳の丸山智子であり、実家は丸山食堂。同僚や職場や家族や友達のなんの変哲もない日常生活が終始描かれていた。時代背景もかなり昭和な感じである。

この小説、いつになったら、何かが起きるのか?まさかこのまま?と思いながら、やっぱり日常のままで終わった。

よくある日常の小さな出来事。どうということはないが、そこに生きて暮らす人々にとって、その場その場で1つ1つ通り過ぎていく重要な出来事なのかもしれない。一般人の生活ってこういう感じだ。ちょっとした身近な人の振る舞いが、そばにいる人の心理に影響したりするのだ。小さな経験を積み重ねて成長していくこと。家族の暮らし、職場の暮らし。友人との関係。同僚とのやり取り。経営者と労働者。縁談。結婚。等など。

そういうことが、几帳面に素直に描かれた作品だと思う。

日常の大切さ。時の経過。人生の一こま。
読み終えてみて、それが、かけがえのないことなんだなと思う。

宮城谷聖枝(みやぎたにきよえ)という人は、宮城谷昌光(本名:宮城谷誠一)という作家の奥さんだそうだ。宮城谷昌光氏は中国の歴史小説等を書いている作家らしい。
妻であるこの人は、元々作家でもなく、たしかにこの小説も素人っぽいと言えばそうなのであるが、読んでみて悪い気はしない作品であった。

作者のやさしい心・女性らしい温かいまなざしが感じられた。

本の表紙画像を載せようと思ってネットで検索したら、ない。
なんと、非売品であった。だから値段もない。平成18年清香文庫発行。
これこそ、図書館で借りて読むべき本。
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「校閲ガール」(宮木あや子)を読んだ

2016-04-27 22:49:00 | 読書


図書館で見つけた本。なぜ選んだかと言えば、私が「校閲おばさん」だからだ。
そして、かつて「校閲ガール」だった。

主人公「河野悦子」は、ファッション雑誌の編集をしたくて景凡社に入社するが、配属されたところは文芸誌の校閲部であった。校閲部に配属されたのは、彼女の名前が「こうのえつこ」だったからだそうだ。
彼女は元々、小説等には関心がなく、ファッションが大好きで、その分野に長けている。不本意な部署に所属されてはいるが、持ち前の記憶力抜群の才能などを発揮し、校正の仕事をしており、その中で、いろいろな出来事が起きると言う話。ゆとり世代、一流大学ではない大学。かなりはっきりした性格。

校閲部で働くという境遇から、自分に似ているかな?と思ったものの、全然違うタイプの人間だった。でも、面白かった。結局どうというあらすじではなかったが、出版社の雰囲気とか、校正の仕事現場など、垣間見られて楽しかった。

そこで、この物語から離れて、自分のことになるけれど、やはり出版社に就職したくて、なんとか、出版社と名の付く会社に就職した。そして、当然編集部を希望するが、実際に配属された部署は校正部門。文芸書が好きだが、そもそもその会社は、法律書を主に出版している会社だったので、数少ない文芸書の校正などは回ってこなかった。著者が執筆するような本は編集部で手掛けていたみたいだが、大量の法律書は、法律通りの内容を載せるだけであるので、文がおかしいとか解りにくいとか、そういう次元の校正は無用だった。
つまりは、誤植を見つけるだけの、印刷会社の職工さんのようなものであった。

だから、この本を読んだら、著者の文に対して、それを推敲するようなことが校正者に出来るものなのかと驚いた。

今現在も、校正の仕事をしているけれど、著者の文がよほど文法的におかしくないかぎり、かなり分かりづらい文面でも、そのままにしている。完全なる間違いでない限りは、手をつけない。

ちょっとショックだったのは、この小説に出てくる、校正の実例になっている誤記のある文を読んでも、ほとんど気がつかなかったことだ。私は、いつも横書きの文を読んでおり、縦書きになると気がつかない。こんなことは、理由にはならない。校正者失格だ。

私の仕事の場合、筆者がその分野の専門家であるために、かなり間違いなく文を書いていることが多い。私がその分野に関して素人なので、内容には立ち入らない。

また、ワード文書を校正するに際して、様式にあてはめた校正ツールがあり、たとえば、助詞が重なっていたり、句読点が無かったりすると、自動的に警告表示がでるようになっている。文中のすべての単語が取り出されて自動的に表示される機能もあり、その中に変な単語があるとすぐに見つかる。語句の統一や表記のゆれも、自動的に出るものがある。

そのような校正ツールを使うことが普通になっているために、人力で間違いを見つけることが苦手になっているかもしれない。

おそらく、もはや一般書籍の校正なんかできない人間になってるんだろう。

かつては、憧れた出版社。

自分は、ほっといたら、いったい何に関心を持つ人間になっていたんだろう。
きっと、小説を次々に読んでいたかもしれない。

なんで産業や技術に関心を持つようになったのか、それは本来の自分ではないんだろうと思う。

若いころは、自分の好きな分野があった。
そんなこともすっかり忘れてしまうほど、長い年月が過ぎたもんだ。

この本とは関係ない話になってしまったけど、
マンネリ化しないで、気合いを入れて校閲をしよう。
そして、かつて自分の好きだったことも思い出そう。
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「下町ロケット」を読み終えた

2016-03-18 23:49:50 | 読書
この本を買ってきたのが、2月の始め。それから、なんと1ヶ月半かかって、やっと読み終えました。
登場人物の名前がなかなか覚えられないので、メモしながら読みましたが、書きだすと、結構な人数いるものです。
しかし、佃と山崎と殿村と財前と富山くらいしか具体的な名前は覚えていません。

テレビドラマとどのくらい違うんだろう、と思って読んだのですが、意外にも、テレビドラマとほとんど同じでした。なかなか原作に忠実に作ってあったんだな、と思います。

それで、終わりのほうには、人工心臓弁のバルブについて、もう出てきている。
下町ロケット2の構想は、すでにできていたんですね。

私が、関心があったのは、実在モデルの弁護士さんが居るんだったら、ロケットエンジン用バルブの特許を下町の工場の会社が取得したなんていう事実もあるのかと思っていたのです。

でも、これは架空の話だったようですね。バルブについては実話を元にしたわけではないらしく、ちょっと残念でした。

現実の話では、大田区の北島絞製作所が、H2ロケットの先端部分を、へら絞りという金属の精密加工で作ったということがあるようです。

こういうのをヒントにして物語を作ったのかな?

下町ロケットは2008年4月から翌年5月まで、「週刊ポスト」に連載されていたそうです。
もう8年も前。そして、145回直木賞を受賞。(2011年上半期。)
賞を取ってからも5年。時の経つのは早いものですね。

著者の池井戸潤氏は、1963年生まれ。私より3歳若いが、ほぼ同年代の人。元銀行員。
ってことは、「下町ロケット」の登場人物では、殿村さんの立場に近いのかな?
他の作品もいろいろ読んでみたい。

さて、それでは、さっそく「下町ロケット2 ガウディ計画」に読み進むか。
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リアル本屋

2016-02-26 00:19:33 | 読書
この頃は、アマゾンとか、ネットで本を買うことが多い。
リアル本屋で買うとすれば、ブックオフくらいである。

まず、定価で本を買うことはないのである。

そんなわけで、一般的に、本屋の経営は苦しくなっているそうだ。

通勤帰りに、ある本屋の前を通過する。
この本屋は、あまり大きな書店でもなく、いまどきよく店を開いているもんだと思う。

近隣では、閉店してしまった本屋も多い。

先日、なにげにこの本屋の中に入っていった。

魔がさしたというのだろうか?

ちょっと眺めるだけだ~と思っていた。

そうしたら、なぜか「知財戦略のススメ」という本に目が行った。

平置きしてあったのだ。

ふと、手に取ると鮫島正洋弁護士の著書だった。

鮫島正洋氏というのは、「下町ロケット」の中に登場する神谷弁護士のモデルになった人だそうだ。下町ロケットを読んでいるところだし、ちょっと興味があるなあと思った。

そうだ、ふと手にとったらそうだった、のではなく、たぶん「下町ロケット」という帯の文字を見て手に取ることになったんだろう。

この本は日経BP社が発行している。2月9日に発売されたばかりだ。
ひえ~ 2400円+税である。

図書館で借りる? すぐには借りれないだろうな。

これは、もう少し経ってから、ネットで買ったら安く買えるかな?

あるいは、毎度5%引きになる駅ビルの大型本屋もある。

しかし、ここで見つけて他の本屋で買うっても、なんか、この本屋に失礼な感じがする。

また、他の本屋に行くと、同じ本がなかなか見つからないことも多い。

本屋によって売りたい本も違うし、レイアウトも違うのだ。

ピカピカの新刊、買うのは今でしょ。

ということで、思い切って買ってきました。

そして、読み始めたんですが・・・・・・・・・

難しい・・実に難しい。
というか、内容を理解するのが、面倒くさい。

読めそうもない・・・・

放送大学で知的財産のことも少し勉強しているけれど、これは結構手ごわいです。

すでに、読む気が失せてしまいそうです。

本代がもったいない。読まなくては。

リアル本屋にしてやられた。

この本屋、これからはTポイントを採用するそうだが、今回はまだ採用前だった。
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