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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

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https://ask0065.hatenablog.com/です

NHKを見る者は受信料を払いなさい

2019-10-02 23:29:06 | 日記2019

私の友人は、しょっちゅうNHKの番組を見ている。

つい最近も、朝の連続ドラマ「スカーレット」とかいうのが始まったと言っていた。

年間通してずっと見ているらしい。私は見ていない。

それから、「ふるカフェ」とかいう番組もEテレでやっていて好きだという。

私は見たことがない。

その他にも、色々とNHKを見ているみたいだが、私が知らない番組ばかりなので、題名も覚えていない。

ところが、この友人は、NHKの受信料を払っていない。

もう40年くらいの付き合いだけど、若いころからこの人はNHKの受信料を払っていないのだ。

時々、NHKの人が訪問してくるが、絶対に出ないのだそうだ。

なんだかな~~~

ちなみにうちはちゃんと払っている。衛星も見れるようにBSも払っている。

夫はどんだけ見てるか知らないけど、私は台所のテレビで衛星は映らない。それに、私は「いだてん」以外に日常的に見ているNHKのテレビ番組はない。

朝は、テレビ朝日やTBSなどを見ている。

夜は、民間がくだらないと、NHKのニュースを見たりすることもある。

地震が来ると地震速報のためにNHKを出したりする。

で、私は、NHKを見てるのに受信料を払わない人間は、けしからんと思う。

NHKは払わないと決めたら、けっして見るなと言いたい。

だいたい、NHKをただで見ている人って、ずるいではないか。

私たちは、その人の分まで受信料を負担してるってことだよね。

やっぱり、そういう人をなくすためにもスクランブルをかけたほうがいい。

そして、たとえば重要なニュースや緊急事態の放送だけはスクランブルを解除するなどすればよのではなかろうか?

私の友人が40年間ただでNHKを見てたとすると、その金額は50万円を超える。

私たち真面目な人間は、その50万円以上を払ってきたのである。

今、貯金が50万円ある人と、全く無い人がいたら、どうなんでしょう?

50万円の差は、大きな違いだよね。

本当に言いたい。

ただでNHKを見るな!!!

 

 

 

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わけのわからない消費税

2019-10-02 23:16:34 | 日記2019

買った食品を持ち帰ったら8%で、そこで食べたら10%というのは、本当にわけがわからないものだと思う。

たとえば、近所にスーパーマーケットがあるんだけど、そこにイートインコーナーがある。

そこでは、スーパーの中で買ったものを開封して、食べても良いようになっている。

お湯や電子レンジも無料で使える。

だから、スーパーの売り場でカップラーメンなどを買って、お湯を入れて食べたりもできる。

弁当売り場で買った弁当を電子レンジで温めて食べても良い。

また、チョコレートやスナック菓子を開封して食べてもよいのだ。

しかし、持ち帰りではなく、そこで食べると10%になるというと、たとえば山崎のカレーパンなんかを買う時に、レジでイートインで食べますなんて申告して10%になるなんてことがあるんだろうか?

カレーパンとメロンパンを買って、両方食べるつもりだったけど、お腹がいっぱいになったので、片方は持ち帰ったとか、逆に、1個だけ食べるつもりだったけど、足りなかったからもう1個食べることにしたとか、そういう変更はできないんだろうか?

また、ショッピングモールのフードコートなどはそこで食べるから10%になるんだろうけど、タピオカミルクティーをそのまま持って出て、車の中で飲みながら帰るんだったら、「これはここでは飲みません」なんて断って8%にしてもらうんだろうか?

私が思うには、セルフサービスの場合は8%でいいんじゃないかな?と思う。

まあ、セルフでもちゃんとした料理を出す場合は10%かもしれないけど、スーパーマーケットの片隅にあるイートインコーナーで、10%にするなんていうことあるのかな?

でも、法律だから、そうしないといけないのか?

本当に面倒くさい法律だ。

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なんで私にピアノを習わせたのか

2019-09-29 11:47:07 | 日記2019

自分から、ピアノを習いたいと言ったことはない。

いつも親から、「ピアノ習う?」と聞かれて始めた。

今思えば、近所の友達の影響かもしれない。

親同士がどんな話をしてるのかも知らず、いつも近所の友人と一緒に通い始める。

小1の時。それから中1の頃かな?それは同じ友達と通い始め、同じ時間にレッスンを受けて一緒に帰ってきた。

そして、同じ時期にやめた。

何をきっかけにやめたのかも覚えていないし、どちらかがイヤになったからなのかも全くわからない。

小学校のときなんか、たぶん、そろばんを始めるからピアノをやめようくらいな理由だったかもしれない。

小学校の3年か4年の頃は、となりの家にピアノがあって、1歳年上の子がピアノを習い、先生が訪問してくるというので、便乗した。

その頃はまだ自宅はオルガンだった。

隣家だから友人と一緒に通った記憶はないけど、その時もいつもの近所の友人も一緒だったかもしれない。

そして、その頃、先にその友人がピアノを買うことにして、かなり良いアップライトのピアノを買ったので、我が家も影響されてピアノを買った。ピアノのカタログは今でも覚えている。

ピアノが来てからは、先生が自宅に訪問してきた。

その当時、結構練習した記憶はある。やはり本物のピアノが来たからやる気が出たのだろう。

でも、練習してなくて、レッスンを受けたくないので、先生が来ても居留守をしていたことがあった。

居間にいたら先生が玄関にきたので、身をひそめていたのだが、先生が中を覗いてきたので、居ることがバレてしまった。

今も昔も田舎は玄関にカギをかけない。

・・・

中学の時は、誰かがどこかで「音楽の先生がピアノ教室をやっている」という情報を聞きつけたんだと思う。

それで、また母が「ピアノを習うか」と言ってきた。

いつもの近所の友人と通った。一緒に習う場合は、2人が同時に進歩していかないといけないけど、どっちが優れているとも劣っているとも感じなかった。

最初は同じ曲をやっていたが、そのうち違う曲を宿題に出すようになった。

先生は、それぞれの個性を見ていたのだろうか?

どっちの曲がむずかしいとも優しいとも判断はできない。

このときも、なぜやめたのか理由の記憶はない。

・・・

中3か高校で、私は姉の先生から習い始める。この先生が一番本格的なちゃんとしたピアノの先生だった。

この先生につく時も親から「ピアノを習うか」と聞かれて習い始めることにした。

ここは、電車で通わなければならなかった。

幼なじみの友達は高校も違ったので、さすがにもう一緒ではない。

・・・

なぜ、またピアノを習うことになったのか?今になって思い当たることがある。

それは、中3のときに、将来なりたい職業の調査がクラスであり、私がそこに「ピアノ教師」と書いたからなのかもしれない。

実は、私はピアノ教師になんかはなりたくなかったのだが、他に書く言葉が見つからなかったのだ。

当時は、山口百恵等が活躍していた時期で、夢は「女優」とか「歌手」であったが、そんなことは書けるはずもない。

「小説家」も人には言えない。

本当になりたい現実的職業なんか何1つ思い浮かばいので、苦し紛れに「ピアノ教師」と書いてしまった。

そして、本人の知らないところで、担任と親の面談で「本人は“ピアノ教師”と書いておりました」などと担任が母に話し、母が「あら、妹のほうもそう思ってたのね」などと誤解してしまったのであろう。

そして、当時はOLになるよりもピアノを教えたほうが収入も全然違うなどと、親なども思っていたのだった。

だが、結局のところ、私にもそんな情熱はないわけだし、ピアノは高2の終わりくらいでやめたんだろう。

ピアノを習っていて楽しかったかな?

身近な人以外、なんらピアノを通しての交流は無かったと思う。

自分で弾いて自分で楽しむだけかな。

でも、今思いだせば、私はピアノ以外に、何か別の習い事をしたことがあるわけでもなく、やっぱりそれが主な趣味だったのだ。

 

 

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従妹と比較された記憶

2019-09-29 11:00:30 | 日記2019

ピアノにまつわる記憶は、楽しいことよりも、ちょっといやな事が多いかな?

私が高校のころの夏休みに、2歳年下の従妹家族がやってきた。

この家族は、ピアノをやっている姉を非常に高く評価しており、従妹は私には何の関心もなく、年上の私の姉にあこがれていた。

姉が子供好きだったのもあり、年下の従妹たちをかわいがったからでもある。

私は逆に子供嫌い(むしろ人間嫌い)だったので、慕われるわけもなかった。

そのころ、実家ではグランドピアノを買い、姉がピアノを教えていたものだから、ピアノを習っている従妹が弾いてみたいと言い、叔母もぜひ弾かせてもらいなさいよ等と言って、その時、姉がいなかったので、私がピアノのところに案内した。

そこで、その辺に出しっぱなしになっていた私の楽譜を従妹が見たわけだが、どれもレベルが低すぎて使えないというのだ。

こんなのは、ずっと前に終わっている。もっと上のは無いのか?と言うとともに、

こんなレベルの低いのをやってるの?と、口には出さずともその反応は見え見えだった。

完全に見下された。

私は、中学で中断し、別の先生に変わったばかりだったが、それまでの指導がなっていないから、初歩に戻ってやり直す必要があるとされ、昔、とっくに終わった教本をやり直していたのである。ソナチネアルバムとかツェルニーとかだったと思う。

だが、初歩に戻ってやり直しさせられているのだという説明もできないような社交性のない人間だった。

従妹は別の本棚から、もっと高度な姉の使った譜面等を出して演奏したんだったか、もうそのあとのことは何も記憶にない。

・・・

その1~2年後、その従妹がピアノの発表会に出るので、ぜひ見に来てくれと姉に連絡があったため、遠い場所に私もでかけた。従妹が高校生のころだろう。

従妹が弾いたのは、ベートーヴェンの月光の3楽章だった。

あきらかに、指が滑っている。鍵盤の上を上ずっている。基礎ができていない。

それは、私にも一目瞭然だ。

叔母は、「娘は音大に進んだ方がいいかしら?」と姉に聞いた。

姉は、「進まないほうが良い」と答えた。

・・・

もし、私が高校のときに、初歩に戻らずに、そのままレベルの高い曲に進んでいったら、きっとあんな弾き方になったんだと思う。

私はレベルは低いけど、あんなごまかしの弾き方はしない。

従妹がそこで、すごく素晴らしい演奏をしたら、敬服したんだろうけど、大したことなかったのは、私にとって幸いだったかもしれない。

だが、しかし、私はその後も月光の3楽章なんてとても弾けるレベルじゃない。

・・・

この都会育ちの従妹は、私より2学年年下だが、実際には1年とちょっとしか年齢差がないそうだ。

私の身体が小さかったので、ずっと従妹のほうが身体も大きかった。

プールでも競争をさせられ、あっちがクロールでこっちが平泳ぎだから負ける。

私は学校でクロールの指導を受けたことがない。平泳ぎも指導も受けたことはないが、海で自己流に泳ぐうちに泳げるようになった。

だから、とことん見下される。

従妹の眼中に私はなく、従妹は常に私の姉を慕っていたのだ。

だから、一緒に遊んだりもしない。

一番年齢の近い従妹だから、本当は仲よくなれてもよかったはずなのに、と思う。

・・・

大人になったらさらに何の交流もないが、学歴やら財産やら、社会的地位やら、面倒くさい比較材料が満載で、一生かかわりはなかろう。

 

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多子と少子

2019-09-29 08:51:57 | 日記2019

今、日本は、高齢者の割合が増えて介護の問題が大きくなってきている。

私も2人姉妹なので、2人で分担するか、どちらかが主になって親の介護をしないといけない状況になってきた。

そんな中でふと思うことは、実家の母自体、親の介護をしていないじゃないか、ということである。

母は8人兄弟姉妹である。長男が家を継いだから、実家の親は、母の兄とその妻が見てくれたわけだ。

母なんかは、自分の親の介護を、全部その人たちに丸投げだった。

また、父のほうも13人兄弟だかなので、やはり後継ぎの1人が親の老後をみたので、私の父母は何もしていない。

子供が多い時代の人はそんな感じだ。

(今と違って、家や財産の平等分与などはなく、後継ぎがすべてを継いだ。)

数人に1人が親の老後をみることになる。

しかし、これから一人っ子の多い時代になると、結婚相手も一人っ子だったら、両方の親をみることになるだろう。

そういう私も、夫の兄が若くして亡くなってしまったこともあり、母を同一世帯にしていたから、義親の老後を看た(←この字をつかうのか)ことになる。(義母は特別養護老人ホームでお世話になっていたが、もう亡くなってしまった。義父はずっと以前に他界。)

今後の少子化では、すべての人が親の老後を看ることになるのか?

子供のいない人もたくさんいるので、社会で老後を看ることになるのかな。

・・・

実家の母は自由に生きてきたよなと思うことはある。

うちは、本家じゃないが、海水浴などに親戚がたくさん押しかけて遊びにきて、対応に苦労したということはきくが、本家の嫁さんに比べたら楽だろう。

子供の世話などを親に頼ることなどはできず、誰にも頼らないで家庭を築いてきたことになるが、まあ、それは私も同じである。

実家の母は、私に父の墓参りに行かないのか?などと要求してくることがあるが、だいたい母自体、自分の親の墓参りにはほとんど行っていない。

母は昔から、自分の親の墓参りに行く習慣などはないし、今だに実家の墓がどこにあるのか道順がわからず、自分では行けないらしい。

要するに後継ぎに丸投げだから、長男家族が全部やってくれているし、母の実家の近所に住む他の兄弟姉妹もいることなので、母自身が何かをしなければならないという自覚は何もないのだと思う。

・・・

最近母は足の具合が悪いから、父のお墓のあるお寺に関係することは私がお金を届けたりするようになった。

同じお寺に夫の方の墓もあるので、一石二鳥だが、この場合、実家墓について、姉は私に丸投げしている。

実家に長男も婿養子もいない限り、結局は嫁いだ娘の誰かが後継ぎと同じことをする必要がある。

・・・

そして、たとえば、親の介護などをする場合に、本当に分担ということができるものなのか?というのが疑問になってきた。

できれば、平等に分担できれば、それぞれの負担も減ると思うが、やはり誰かが主にならないとできない性質のものではないか?

たとえば、子が交代で訪問するとすれば、親の様子をみて、一方は病院にかかった方が良いといい、一方はその必要はないと言ったりする。

誰かが主になって同居していないと、年寄りの日常の様子は把握できないので、結局中途半端になる。

分担するとそれぞれが「点」あるいは「断線」状態で親の状況を把握することになるわけで、誰か1人が責任を持って親を看れば継続した線で看ることができる。

しかし、それも大変だ。

2人子供がいたならば、それぞれに協力し合い、交互だったり、時には2人一緒とか、また時にはヘルパーさんなどの協力も得ながら、という方法がいいのかな。

高齢者本人が、できれば人を頼らず自立するっていう意識も必要だと思うけど、どうしたって無理をしてる、限界だということは現状あるはずだ。

・・・

うちの母は、気丈なほうだから何でも自分でやろうとするタイプである。

しかし、それにも限界がある。

母は、自分でも自分が年寄りの介護をしたことがないことを認めている。

だから、今の自分のような90歳近い老人を見たことがないんだそうだ。

もし見ていれば、立ち上がるのが大変だとか、杖がないと足がよろめくとか、そういう状態がわかっていたはずだけど、我が身で起こって初めて年寄りの身体とはこういうものなんだと知ったのだそうだ。

私も祖母の年老いた姿は見たことはなかったが、今の母を見ているので、年寄りはこうなんだと思うし、自分の将来の姿だなとも思う。

それも、そんなに遠くない姿だ。

・・・

何を書いてるのかわからなくなってきたけど・・・

子供がたくさんいれば、親の老後にかかわらない人が多いのは当たり前で、子供が1人なら、みんなが親の老後を目にする。

そして、子供の多少・有無にかかわらず、だれもが自分の老後に立ち向かわなくてはならない。

その時、親の老後を看たことのある人のほうが、自分の老後に備えることができるかもしれない。

 

 

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母の老後と自分の老後

2019-09-29 08:12:14 | 日記2019

実家の母はすでに、米寿を前にして、1人暮らしをしている。

ここまで健康に、誰の助けもなしに暮らしてきたのは、尊敬に値すると思っている。

しかし、今までになかったような体調のすぐれない日も発生しているようであり、いつまでも1人暮らしをさせておくのは不安である。

そこで、私が実家に戻って同居するということも考える。

・・・

私はもうすぐ定年になる。

いったんは定年になるものの、現代の社会情勢で65歳まで働くことが推奨されているから、会社も継続雇用はしてくれるものと思われる。

私はパートタイマーだから、退職金はない。

夫の年金はそんなに多くはないので、私のパート収入がなくなれば、今までのような生活はできない。

私の将来もらえる国民年金は、満額ではない。

なぜならば、サラリーマンの妻、第3号という年金制度ができる前の数年間が未払い期間となっているからだ。

私がもらえる国民年金は、65歳になってから、年額69万円である。

また、厚生年金は61歳から年額13万円の見込みである。

この年金をいくらかでも増やすためには、今後も会社で働いて厚生年金の期間を増やすことしかない。

・・・

しかし、ここで仕事をやめて故郷の実家に戻るとすると、将来もらえる年金が増えないばかりか、現状の生活費をどうするのかが問題にもなる。

故郷に帰って60歳すぎの人ができる仕事を探すことになるが、当然厚生年金なんかは無い仕事となるだろう。

できれば、今の仕事を続けていたほうが、現在の生活も、老後の生活も安定できる。

・・・

しかし、そのようなことを優先にしていると、年老いた母のことを放置してしまうことになってしまう。

・・・

何を優先に考えたらよいのだろうか?

・・・

 

 

 

 

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過去から現在まで

2019-09-29 07:26:05 | 日記2019

数日前から、私の子供のころからのピアノとのかかわりについて何個かブログを書いてきたのだが、それは今非公開にしようかと思っている。

というのは、自分のみならず、そこに必ず姉が登場し、姉についての内容がかなりの割合で混じってしまうからである。

いくら匿名とはいえ、姉のことを書くのはまずいかと思い、非公開にしたり戻したり迷っている。(削除はしない)

今、過去を振り返ってみて、初めて自分の実家家族がどのように歩んできた(移行してきた)のか、全体像が見え、さらに今後はどうなっていくのだろうかと考えてしまう。

私が家を出て、姉が家を出て、私も家に戻らず、父が亡くなり、その後、母がずっと1人暮らしをしてきて、今80代も後半に来ているのだ。

うちの実家の全盛期は、姉が自宅でピアノを教えていた数年間であり、その時期は、あっけなく終了したのだ。

それからは、たまに帰省する実家としての役割を担い、実家の母は未亡人という寂しさはあるものの、友人と旅行や趣味などもして、それなりに楽しみもある人生を送ってきた。

だがさすがに80代も後半になると、身体を思うように動かせなかったり、体調がすぐれなかったりする日も多くなってきている。

そこで、今後どうするのかというのが、今の問題である。

現在、私は月に1度は実家に帰っているが、姉は半年に1度がいいところだ。

姉は能天気で、自分自身も病院嫌いなので、母の通院などを深刻に考えない。

老化だからしかたないんじゃないの、と放置する気か。

だが、老人は、いつかは人の助けが必要になる。

それに、なるべくそうならないように、早め治療をするとか、生活習慣を改善するとかの必要性がある。

そのためには、子供である私たちの協力が必要だろう。

・・・・

・・・・

ここでも書きたいが、書けないことが山ほどあるのだ。

そして、それは結局、40年前から何も変わっていないことだと感じる。

どうせ書けないことなのだから、書くのはやめよう。

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旭日旗について

2019-09-28 18:05:59 | 日記2019

私の感覚では、旭日旗は「日本の軍国主義の象徴」である。

子供のころからそう感じて育ってきた。

加害者が日本で、被害者が中国・韓国というのとは別に、日本の軍隊が加害者で、日本国民(庶民)が軍国主義の被害者だったと思っている。

だから、オリンピックの会場に旭日旗を持ち込んでもらいたくはない。

なぜ普通の白地に赤い丸の日章旗ではいけないのかと思う。

わざわざ旭日旗を使う必要はなかろう。

旭日旗について調べてみると、実は、太平洋戦争なんかよりずっと以前の江戸時代に、船の旗として使われていたものだそうで、軍国主義になって作った旗ではないのだそうだ。

それを知ってからは、旭日旗についてのいやなイメージが少し和らいだが、やっぱりあれは軍国主義を連想させるものであって、日本人でさえそうなんだから、韓国や中国の人は嫌に違い無いと思う。

一方、パラリンピックのメダルのデザインについては、あれは旭日旗ではなく、あきらかに扇子であるので、関係ない。

また、朝日新聞社のマークが旭日旗に似てるとしても、朝日新聞は日本軍とは関係ないし、朝日という太陽がそういう形状のものなのだから、それはそれで、問題はないと思う。

とにかく、オリンピックの会場で日本を応援するのに旭日旗なんか振り回さないで、穏やかに白地の赤マルの「日の丸」国旗を使えばよいではないか。

わざわざ軍の旗なんか使うんじゃないよ!!!

最近、日本国民の感覚は変わってきている。それは、戦争を知らない人々が大部分を占めているからである。

だから、旭日旗に対する悪いイメージが、もともと無い人が多いのだろう。

それで、単にかっこいいデザインだと思うことができるのかもしれない。

普通の日の丸よりも強そうな感じがするのだろう。

私はもうすぐ60歳になるが、私の親世代は戦争を知っている世代である。

そして、親から戦争の悲惨さや不条理を聞かされて育ったから、それを連想させる軍旗である旭日旗なんか大嫌いである。

父の兄は、旭日旗のもとに南方に出征し、戦士して、骨壷の中の石ころになって戻ってきたそうだ。

いや、つまり戻ってこない。ボルネオあたりの土になってしまった。無駄死だ。

旭日旗は、日本人にもそういうことを連想させるものだ。

特攻隊や人間魚雷もそうである。

旭日旗を極端に嫌う韓国や中国の人が参加するオリンピックやスポーツの試合に、わざわざ持ち込むことはなかろう。

・・・

ああ、ただ日本は自由な国なので、旭日旗を禁止するということはできないと思う。

旭日旗を使いたい人の自由があるってことなんだろう。

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なんか蒸し蒸ししている

2019-09-27 00:06:28 | 日記2019

ただいま、9月27日に日付が変わって7分たったところですが、急に蒸し蒸ししてきました。

エアコンを点けて、送風にしました。

27.1℃、湿度は57%。 そんなに暑くはないはずだけど、なんか暑いな~~

外で秋の虫が鳴いている。

そういえば、いつのまにか、蝉はいなくなった。さすがに彼岸過ぎ。

先週末、実家に帰っていて、それから東京に戻ってきて、仕事をしてるんだけど、

仕事は全体的にヒマで、つまらない作業をしたりしている。

上半期末だというのに、これでいいのか?

とはいえ、いつ本来の仕事がやってくるのかも予期できないので、有給休暇を取るわけにもいかず、つまらない気分で作業を進めるしかない。

・・・

先々のことを考える。

私はいつまで働くのだろうか?

やめたら、収入がなくなってしまうけど、仕事も減ってきているようだし、実家の母も年老いてきたし、

Uターンする時期なのか?

まだ、年金はもらえないし。

困ったなあ・・・

・・・

何も考えられず、ただ同じことを繰り返す毎日。

 

 

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台風のきずあと

2019-09-22 00:23:05 | 日記2019

彼岸でお墓参りに行ってきました。

途中の山道で、大きな木があちらこちらで倒れているのを発見。
大きな幹が真っ二つに裂けて、逆さまになって地面に墜落しているのもありました。
斜めになって危うく電線にもたれかかりそうなものや、揺れたときに電柱に擦れて木の皮が剥がれているものもあります。
もうちょっと位置がずれていたら電線が切れていたかも?
折れて中吊りになっている大きな枝もあるので、いつ落ちてくるかわかりません。
今さら今回の台風15号の激しさをしりました。
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閲覧数が多すぎ~

2019-09-19 23:33:48 | 日記2019

今見てびっくりしたんだけど、昨日の閲覧数が 21267 もあった!

しかし、訪問者数は607人で、いつもとあまり変わらなかった。(100人くらい多いかな?)

単純計算では、1人あたり35記事を読んでくださったことになるのですが、それはあくまでも平均です。

たぶん、何かに関心をもたれた方が、過去記事をすべて読んだわけではなく、開いてみたりしたってことかな?と思います。

で、次は何を書こうか?

とりあえず、このタイトルでは、これで終わりですかね。

 

読んでくれて、ありがとうございまっちょ。

 

やば

 

フォルテ君のユーチューブを見てばかりいるけん 言葉まで移ってしまいまっちょ。

 

今日はムギちゃんと、ミニちゃんだっけ?犬の動画を見た。あれは、トイプードルかな?

おばあちゃんのところのひーちゃんはシュナイザーかな?

その他にもいるのかな?

私も犬が好きなんだよ~~ ずっと犬を飼って育ったからね。

でも、どちらかというと、柴犬みたいなのが好きかな。

猫も好きだけどね。

ハムスターもウサギも、・・・とにかく毛の生えた動物が好きなんだよね。

 

 

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眠い

2019-09-18 00:58:38 | 日記2019

久々に仕事をしたら疲れた。

仕事は、他部署の仕事をなぜか手伝うことになっており、頼まれた作業が結構面倒な手順なので、なんでこんな仕事を私がしなきゃならないのよ、と思う。

その他部署の社員が退職してしまって、手が足りないからなのだが、なんで人員を補充しないんだろうね。

それにしても、私は手伝いたくありません、なんて言えないしなあ・・・

非正規とはいえ、会社員たるもの、自分で自分の仕事内容を選べるものではなく、頼まれた仕事はすべて積極的にやりこなさなないといけないんだぞ。

しかし、専門知識もなければ、外国語もわかんないし、暗中模索みたいな部分もあるのだ。

実家の母に電話で愚痴ったら、「なんでパートタイマーのあんたがそんなことをしないといけないの」と言う。

いや、パートタイマーだから、ひとがいやがる非効率的仕事をやらされるんじゃない?

あんまり脳みそは使わないし、創造的な仕事ではないのだ。

ただ、面倒くさい手順の作業なんだよ。

それに、正社員の人は、もっと神経を使う重要な仕事をしているわけだから、パートが文句なんか言えないけどね。

難しいので、眠気を感じる暇もない1日だった。

だから、今眠いんだ。

それもそのはず、もう1時だから、寝ようではないか。

明日もまた仕事を頑張るってこと。じゃあね~~

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友人のラインに調子狂う毎日

2019-09-16 09:26:24 | 日記2019

こまめにラインを送ってくる友人がいる。

その友人は、私が9時から仕事をしていることを、いつになっても理解しないので、私が職場について仕事を始める前にラインの返事をすると、「今日もお仕事でしょ。暑いので気を付けて出勤してね。行ってらっしゃい。」などと9時過ぎにラインを送ってくる。

もう、働いてるんですけど・・・

それから、昼になると、

「友達と、ランチしてま~す。」などというコメントとともに、お店の名前、金額3500円のフレンチコース等々の説明入り画像。

前菜・主菜・デザート・飲み物 等の写真が次々に送られてくる。

“いいですね”スタンプを送っておく。

「とても美味しくて素敵なお店。人気があるので予約なしではいけません。今度行きませんか?」

別に、そうまでして行きたくないしな・・・

“いいですね”スタンプを押したからって、私も行きたいって意味じゃないけどね。

「今度行くといいですよ。」

遠いので疲れるなあ~

「電車で行っちゃえば、そんなに時間はかかりませんよ。すごくおいしいお店だから、ぜひ行ってみて!」

行きたくねえし・・・

そして、夜になると・・・

「今夜は、○○で友人と飲み会です。」と送られてくる。

また、飲み会か・・・

週に何回ランチコース食べに行き、月に何回飲み会やってるんだろう~

こっちは、働いているっていうのに・・・

先日

「世の中は3連休なのね。が~ん」と来た。

はっ?貴女働いてないでしょ?毎日休みでしょ。何がが~んですかね。

そして今日なんですが、

「お仕事がんばってね。いってらっしゃ~い」だって。

おいおい、先日「世の中3連休なのね」と送ってきたのに、今日が敬老の日ってこと忘れてるんかい。

 

 

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シルバーウィークの到来

2019-09-14 23:44:52 | 日記2019

夏休みも1日しか有給休暇を取ってないんだけど、このシルバーウィークを大型連休にする計画もない。

当初は、敬老の日の連休に、静岡県の実家へ、車を運転していき、月曜日に電車で帰ってきて、また秋分の日の連休に電車で実家に行き、最後に車で戻ってこようと思っていた。

そうすれば、故郷のホームセンターやファミレスなどに、車で行くことができるし、連続往復で走らなくてよいので、時間の余裕もできると思った。

ところが、実家の母が、車では絶対に来るなというのである。

若い人ならいいけど、そうではないから、危ないとのことである。

だったら、もう永久に行けないよ。年齢は若くなるわけないもの。どんどん年を取るだけだもん。

それに、電車で実家に行くとすると、その間、車には乗らないということだから、車は置きっぱなしになってしまう。

結局のところ、その分を別の日に走らないと、バッテリーが弱ったりするし、タイヤも同じ面が何週間も地面に接したままになってしまうのだ。

それで、用もないのに、無理にどこかに走って行かないといけないのだ。

「静岡県に車で来るなというなら、その代わりに山梨県とかに行くしかないよ」と私が言うと、

母は、「それがいい。こっちに来ないで、山梨の山のほうをのんびり走ってきなさい」だと。

はあ~~っ?

静岡に行くには、東名高速。 山梨に行くには中央道だ。

どこが違うというのだ。 静岡に行くと危なくて、山梨に行くと危なくないとはどういうことだ?

母は、山梨には高速道路を使わないで行くと思っているらしいのだ。

「山梨だって静岡と同じでしょ。高速を走らなければ、一日がかりで青梅くらいしか行って来られないんだよ。せいぜい70kmくらいしか走れないんだよ。200~300mごとに信号で止まらなくちゃならないんだからね。」

「それにしたって、とにかく危ないからこっちには車では来ないでくれ」と母が言う。

そっちがそういうなら、前半に実家に帰るのはやめたわ。

いったい、何のために車を買ったんだか、わかりゃしないよ。

車が必要もない東京で、用もなく車を走らせている一方、車がなければどこにも行けない故郷では、百均に行くのに、片道1000円のタクシーに乗るとか、ホームセンターに行くのに、片道2000円のタクシーを使うとか、全く意味がないではないか。

それで、結局、徒歩で行ける墓参りと小さなスーパーしか行かないことになる。

故郷に来るなと言うなら、シルバーウィークは、こっちで勝手に過ごすしかないよね。

後半だけ電車で実家に行ってくることにしたので、敬老の日は行かないよ。

 

 

 

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のんびりニコニコVSてきぱきイライラ

2019-09-13 11:02:08 | 日記2019

昨日、お昼を食べに行ったお店は、セルフサービスでした。

レジで注文をし、お金を払い、料理ができるのを待って、自分で受け取って席に持って行くという形式です。

そこの店員さんは、レジに1人、料理を作る人が1人いるのですが、レジの人はドリンクも用意します。

ドリンクはただスイッチを入れれば出てくるだけなので、時間はかかりません。

ただ、そうなると、ドリンクと、すでにできているサンドイッチなどを買う人がいた場合、レジの人が連続対応し、料理を用意する人は次の注文を待つことになるようです。

そして、いざ注文を受けて作り始めると多少の時間がかかるようです。

だから、料理を作る人は、早く注文を聞けば早く取り掛かれるので、そこでイライラしているのです。

遠くから「注文がお決まりでしたらどうぞ!」などと言うのですが、レジに並んでいる客は、レジで注文を伝えると思っているので、離れたところにいる料理の人に声を張り上げて注文を伝えるのに、ちょっと抵抗を感じます。

そして、料理の人に伝えたけど、またレジでも伝えると注文が重なるのでは?などとも思うわけで、そうなると料理の人がレジの人に客の注文内容を伝えるみたいな、おかしな導線になるのでした。

それで、感じることは、とにかく料理の担当の人がイライラしていて、そのイライラがじかに客に伝わってくるということです。

だったら、少しくらい遅くてもニコニコしていてくれたほうがいいのではないかなあ、と思ってしまいました。

その店員さんは、てきぱきと動きたいんだと思いますが、どんなに早く動いてくれたところで、イライラオーラによって食べるものもまずくなってしまうような気がしました。

もともとファーストフードなので、調理をするというほどのものではなく、できたものを温めて皿に載せる程度の作業でした。

・・・

ところで、そんなことを考えながら昼ご飯を食べていて、ふと思うに、私自身、のんびりニコニコタイプではなく、てきぱきイライラタイプになりがちな事に気がつきました。

仕事がそれほど忙しくなく、期限のない単純事務作業を繰り返していても、次第に速度を速めて行き、敵をやっつけるように加速して行くのです。

そして、何か不具合があったり障害があったりすると、なんでこうなるの?等と思い、イライラを募らせていくのでした。

パソコンが思うように操作できなかったりしても、次第にストレスを高めていきます。

ですが・・・

なんでこんなに必死になっているのか、考えてみるとわからないのです。

こんなことでイライラして不機嫌オーラを発しているくらいならば、ネットサーフィンでもして遊んでいる社員のほうがもしかしたらマシかもしれません。

こっくりこっくり、うたた寝をしているほうがマシかもしれません。

ああ、あのおばさん、またのんきにサボってるな、と思われても、ニコニコしているおばさんのほうがよいのでは?

なんかいつもけたたましく働き、パソコンの具合が悪くて動かないだの、また書類がスキャナーに詰まっただのと、イライラしているおばさんが職場にいたら、周りは気分が悪いかもしれない。

ということで、イライラするくらいなら、のんきにニコニコしていようと思ったのでした。

もちろん、てきぱきニコニコしているのが一番よいのですけどね。

 

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