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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

引っ越し先は
https://ask0065.hatenablog.com/です

風がやっと止んだ

2008-02-24 23:40:59 | 未分類過去
2日間の強風が、今日の夜になってやっとやみました。
昨日は春一番だったそうですが、ぜんぜんかわいくない春一番でした。
危険なものが飛んでくるんじゃないか、自分が飛ばされるんじゃないかと、恐怖を感じる春一番でしたよ。電車も止まっちゃうしね。

ものすいごい風と砂埃のせいで、ベランダに洗濯物も干せません。
洗濯機の上もほこりまみれでした。
洗濯中にベランダに洗濯カゴを置いたら、5分もしないうちに砂だらけになってしまいました。
洗濯物は家の中に干しましたが、全部は干しきれないので、洗濯をしないままのものが残っています。

この週末は、ダイエットのために本格的ウォーキングでもしようと思っていたのにそれも中止です。
昨日はちょっと買物に出ましたが、ちょうど帰りにものすごい風が吹いてきて、目も開けていられないくらいでした。竜巻でも起こるんじゃないかと思ったくらいで、やっと家にたどりつき、中に駆け込んで、それからは2度と外には出ませんでした。

しかしね、風がやむときってどうなってるんでしょうね。
いつ止んだんだか不思議です。
だんだん弱まっていくものでしょうか、それとも一瞬にして吹かなくなるんでしょうか。
吹き始めだっていつから吹き始めたのかと思います。
ただ、昨日は出かけるときは普通だったのに、帰り道でいきなり大風が吹いてきたのを覚えています。
コンビニの店員さんが、ちょうどゴミ箱のゴミを片付けて新しい袋をセットしようとしていたのですが、替えのゴミ袋が天高く飛んで行ってしまいました。
ゴミ袋ははるか遠くに飛んで行き、もしかして車の走る道路にでも舞い降りたかもしれません。あぶないあぶない。
いきなり吹き始めるのなら、いきなり静かになるのかもしれませんね。

結局、この2日間は何もしない休日でした。
明日からまた仕事です。
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わかったこと

2008-02-24 18:20:38 | 未分類過去
求めると答えが得られるっていうのは、本当なんだな~
と驚いているしだいです。

江原さんの本を読んでいたら、私の場合、「適職」と「天職」をごちゃまぜにしていることに気がつきました。

「適職」とは、自分が持っている資質の中で、「お金を得ることができる技能を生かした職業」のことだそうだ。
一方、「天職」というのはお金とは関係なく、自分のたましいが喜ぶことなのだそうだ。
その両方のある人が充実した人生を送ることができるのだろう。

私の場合「適職」は今の文書校正の仕事であり、これは安いながらも一応安定した収入を得られる状況になっている。経営者側から見て、私くらいの働きの人間に対して正社員と同じ給料を払う価値があるかどうかと考えたら、微妙なところだろうな、と私自身思うわけだ。社会保険をつけてくれるだけでもありがたいというべきかもしれない。正社員に昇格するなら、誰から見てもはっきり感じられるほどの、それ相応の活躍をしなければいけないと思う。そして、そういう活躍の見通しが自分自身にも期待できないというのが最近の自分に対する問題だった。これ以上どういう成長のあり方があるのか、いきづまりを感じているのだ。しかし、これはこれでこのまま適当に成長しつつ、収入を得ていればいいんだ、という思いに至った。こっちは「適職」なんだ。
そして、これは私の「コリドラス」の部分なんだ。

一方、私は「天職」をみつけ、それに力をいれなくてはいけないんじゃないか?こっちは収入なんか関係ない、自分の魂が喜ぶことである。
これについては詳しくは書かないが、つまりこっちの部分は「山本飛鳥」の部分だと思う。

だから、「がんばれコリドラス」じゃなくて、「がんばれ飛鳥」ということで、力を入れてみようかと思ったしだいだ。
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花を飾ること

2008-02-24 16:50:20 | 未分類過去
江原さんの本を読んでいたら、家の中に観葉植物などを置くのはよいことだそうだ。
そこから生命の浄化力のようなものが発生するのだろう。

我が家は非常に狭いので、観葉植物を置くような場所がない。
置けるのはせいぜい仏壇の切花くらいなのだが、それもお金の節約のために切らしていることが多い。
会社帰りに花屋さんの前を通り、きれいだな~何か買おうかな~と思っても、ついついけちってやめてしまう。最近も桃と菜の花の束に惹かれたが、けっこう高いのでやめてしまった。それで、今仏壇の花びんの中には、正月の花束の中にあった千両の葉っぱだけが残っている状態だ。

でも、本を読んでいて、ふと気がついた。
たとえば、月に1000円は仏壇の花に使おうと思って、そこに予算を取るならば、けっしてそれ以上にはならないわけだ。例えば、500円の花を2週間に1回買うとすれば、それである程度の日数、花を飾っておくことができる。
1000円というのは、ほぼ私の時給だから、月に働く120時間のうちの1時間分の労働を花を買うために働くとしても、ほんとうに大したことではないのだ。

父の命日は1日、義母の命日は14日だから、その日に合わせるといいかもしれない。
あるいは、もっと小さくて安い花を毎週買うのでもいい。一輪だっていいはずだ。

いつもいつも花を買う余裕はないと思いつつ、花を飾らずに暮らしていることが、心のまずしさにつながっていることに気がついた。

本当に花を買うお金がないほど貧しいわけでもないのにね。

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神秘的な出来事

2008-02-24 01:52:18 | 未分類過去
今、江原啓之さんの「スピリチュアルワーキングブック」を読んでいる。
なんとなく、仕事の方向性に不安を感じるからでもある。
本屋さんでばったり出会って買ってきた。
「適職と天職の違いについて」また「働けることへの感謝」など、考えてみればあたりまえのことながら、大切なことを忘れ、自分よがりな考えをしていたなと気付かされることもあった。

この本には、オーラの泉に出てくるような、前世とかの話は出てこないのだが、
スピリチュアルなというか、精神的な、そして何か計り知れない神秘的な力を感じることがあるということを思い出した。

私は守護霊というものを感じることがある。自分が求めている物事にタイミングよく出会うということも少なくはない。

ところで、私は中国というものには何か深い関係があるように感じることがあった。どう考えても、欧米ではなく、中国方面に魂が引き寄せられるのだ。
私は中国の人とは数人、個人的に付き合ったこともある。
魯迅と日本留学時代の藤野先生のことも、中国人から教わった。

それで、以前魯迅の小説を読んでいたことがあったのだが、そのとき、深夜に小説を読み終え、その作品について魯迅自身が書いた添え書きのようなものを読んでいた。

そして、そこに日付が記されていたのだが、なんとその日付が偶然にも私がそれを読んだその日と同じだった。

鳥肌がたちました。
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呼び覚まされる無限の記憶

2008-02-24 01:19:44 | 未分類過去
人間の脳ってのは、自分が見たものを克明に覚えているものだ、というのを聞いたことがある。実際には記憶にないと思っていても、実はテレビ画面のように、その隅に映っているものさえ脳裏に記録されているとかいう。
それは正直言って信じられない。そのときに意識もしないものが脳裏に焼き付けられているはずはない。

しかし、自分の視界に入ったもののうち、無意識のうちに記憶されているものがないとは言えない。

だから、目を閉じてじっと思い起こすと、映像として記憶によみがえってくるものがあるのだ。
たとえば、「なかまゆきえ」ってどういう字を書くんだったかな?と思った時に、目をつぶると、テレビドラマの字幕なんかが思い出されてきて、そこに仲間由紀恵という文字が浮かび上がる。由紀絵でも由紀枝でもなかったということが、映像として現われるのだ。
これは、視覚のみならず、聴覚の記憶でもあることだろう。

私が不思議だと思うのは、毎日仕事をしている最中に、過去の視覚の再現が起こることが度々ある。それは、仕事で文書を読みながら誤字や脱字を探しているときに起こるのだが、何年も前に仕事で街中を歩き回っていたときの映像が脳裏に現れるのである。
それが、そのときそのときによって違う場所であり、どこかの路地の景色だったり、ビルの前だったり、あるマンションの廊下だったり、川べりだったり、公園だったりと、それはそれは様々な景色が勝手に映し出されるのである。
私は文章の内容も一応追っている。しかし、その文章の内容と景色とは、何かの言葉の連想でつながっているわけでもなく、無作為に出てくるものだから、どういう相関関係があるのかさっぱりわからない。
読んでいる波長と歩いている波長が同じなのかなと思うこともある。

そして、出てきた景色が、どうして記憶に残っていたのかもまるでわからないのだ。とくにそこで何か出来事があったわけでもなく、印象深い場所であったわけでもない。その場所を覚えていたという意識もないのに、どこかしらその歩き回った様々な場所が出てくるのである。
ということは、やっぱり私の脳みそは数限りなくすべての歩き回った景色を記憶しているのかもしれないと思う。
思い出される景色は、必ず歩き回る仕事をしていたときのもので、そのほかの仕事や遊びで出かけて行った景色が現われることはない。

黙々と歩き回ることと、黙々と読み続けることは、脳波に共通するものがあるのかもしれない。

そして、もしかしたら今度は、私の脳みそは読んでいる文書の中の言葉を、数限りなく覚えているのかもしれない。
今度、別の仕事をしたときに、つぎつぎに文書の言葉が現われたりしたらどうしよう。

記憶力がなくて困っている私であるが、無意識のうちに記憶されるものが無限にあると思うと、不思議でもあり、恐ろしい気もする。

記憶していないと思うのは、実は記憶していないのではなく、記憶したものが意識の上に出てこないだけのことなのかもしれない。

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ホワイト犬の声

2008-02-23 12:16:52 | 未分類過去
鹿の声と同様に、“声の主が知りたい”ということでは、ソフトバンクのホワイト家のお父さん(=ホワイト犬)の声は誰がやっているのか?というのが私の関心事だった。
これは、「普通のおじさんの声」に聞こえる。

あるブログによると、このお父さん犬の声、どうやら「北大路欣也」さんらしい。
北大路欣也さんにしては、あまりにも普通のおじさんっぽくて意外だった。

あのCMは、高感度ランキングでかなり上位に上がっているそうだ。私も好きである。

犬は柴犬の兄妹2匹を使い、オスはカイ、メスはネネというのだそうだ。
入浴中のシャンプーをしてもらっている気持ち良さそうな姿がすごくかわいかった。
最近の旅バージョンもいいね。


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意欲と結果

2008-02-23 10:04:33 | 未分類過去
意欲と結果は一致しないことが多い。
意欲ばかりあって一生懸命やっているが、空回りばかりしている人。才能や素質がない。または、「金」がない、環境に恵まれていないという場合もある。
一方で、大して苦労もしないのに、才能や環境に恵まれ、とんとん拍子にその道の主役となっていく人というのがある。

短大の同級生にアナウンサーになった人がいた。
その人っていうのは、少なくとも外から見たところでは、あんまり意欲が見える人ではなかった。夏休みなどの長期の休みのあとはしばらくは学校に出てこないという暢気な感じの人である。
でも、容姿は美しく、知的で、そして声もきれいだった。あまり血気盛んでなく自己主張しないところが、すっきりしていていやみがなく、逆に中立的アナウンサーに向いていたといえるだろう。
私は、こういうタイプの人にはある意味あこがれるが、自分とは異質なので、実際には親しい友人にはなれず、一歩はなれることが多い。
だから、入学式のときから魅力的な人だなと内心非常に関心を持っていて、在学中にアナウンスの学校に行っていることも人づてに聞いていてさらに注目したが、本人とは必要以上に話したこともなく、そ知らぬふりをしていた。

私は密かにアナウンサーのようなものになりたいと思っていたが、短大と平行してアナウンスの学校に行けるような経済状態ではなかった。
そのひとは地方の出身だったが、短大からは1時間くらいもかかるような、アナウンスの学校の近くに住んでいるとのことだった。普通地方出身者は短大周辺のアパートを借りているか寮に入っていたので、自宅通学でもないのに遠くに住んでいる人は珍しかった。
もう、短大に入るときからアナウンサーになるつもりであり、短大には力を入れず、そっちに力をいれていたのかもしれない。

それで、卒業と同時に地方都市のテレビ局に入社したのだそうだ。そして、テレビにも出ていたはずだが、地方のテレビなので見ることはなかった。

短大時代の私は、漠然とアナウンサーや俳優のようなものを思い描きつつ、演劇部で発音練習をしたりしていたが、それは何にもならなかった。
今思えば、遅ればせながらも、会社に勤めてからアナウンスの学校に入ったのは、その同級生の影響かもしれなかった。

その人は早くから、やるべきことをちゃんとやっていたのですね。
たぶんその人は、今頃、品のよい賢い奥さんになっていると思います。

ネットで名前を検索してみると、地方テレビ局の「過去に在籍したアナウンサー」のところに載っていました。


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アナウンサー志望

2008-02-23 00:59:42 | 未分類過去
実は、私は昔アナウンサー志望だったんだ。
それで、短大を卒業したあと、OLをしながらボーナスを使ってアナウンスの学校に通ったことがある。日曜コースってので、朝から夕方までだったかな。
基礎科、研究科と進んだ。そのあと専攻科ってのがあったと思うが行かなかった。学費が尽きたってのも進まない理由だった。

アナウンサーってのは、新卒じゃなきゃ採用がないということだった。だから、大学生で希望のテレビ局などに就職できなかった場合は、わざと留年して卒業をせず新卒状態を保って翌年また受けるほうがよいとのことだった。

でも、こっちは大学生と同じ年齢ながら、すでに卒業していたので、そんなの関係なかった。
同期には社会人も多かった。そういう人たちは、テレビ局の女子アナなんかには到底なれない。通販やCM(番組の途中で商品説明をするやつ)をやったり、結婚式の司会やデパートの屋上の催し物の進行役なんかをやることになるらしい。それでもアナウンサーの端くれだ。夜中中道路交通情報を読み続けるなどというのもある。

同期の男性の中には、飛びぬけて声も雰囲気もよくオーラのある人がいた。そのひとはK大生だったが、後にテレビ朝日のアナウンサーになった。先生はその人にはあまり技術を教え込まず、そのままで行ったほうがいいと言っていた。新鮮味や新人らしさを失うとかえって就職試験に受からないのだそうだ。
その人がテレビに出て、最初高校野球の甲子園ニュースに出ているのをみつけた。やっぱり華々しくちゃんとしたアナウンサーに成れたなと感動した。
そして次第に活躍の場を広げて行った。でも、その後フリーになり、他局の番組の司会などもしていたようだが、最近はあまりテレビでは見なくなった。

私がアナウンスの学校に行っていた頃は、さすがに発声や発音は以前よりもきれいになったと思ったが、私の場合ラ行の舌がちょっと甘いのだそうだ。だから、アナウンサーよりは声優がいいのではないかとある先生に言われた。それが、一種の魅力になるそうだ。
その学校には声優コースもあったが、学費はちょっと高かった。それに、声優だけっていうのは基本的にはあまりいないということをどこかで聞いたことがあった。やはり自分で演技をしながらせりふを言うという基本があってこそ、声のみの演技もできるわけだ。

私の場合、小説と評論では評論が好きだ。ドラマとニュースではニュースのほうが好きだ。
最も好きなのは対談や座談、討論の類である。
だから、当然ながら、声優よりはアナウンサーが好きなのだった。

顔が悪いからテレビは無理とすれば、ラジオはありえるのかもしれなかった。
一番あり得るのは、やはり「道路交通情報」かとも思ったが、それには応募しなかった。

その後、別の面で基本の足りなさを感じ、「話し方教室」ってものに通った。
このことにより、人前で話すことにある程度慣れたのかもしれない。

日本語学校の講師に応募し、ある学校で模擬授業をした時に、そこの校長先生から「声がきれいですね」と言われたことがある。演劇やアナウンスの勉強をしたことがあるので、声は通るのだろう。しかし、その学校は不採用になったので、教え方などの点で良いところがなく、声以外にほめるところがなかったのだろう。

このごろ、仕事柄声を出す機会がないので、少し声を出したいものだ。



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鹿男の鹿の声

2008-02-22 23:50:50 | 未分類過去
「鹿男あをによし」をあんまり熱心ではありませんが、見ています。今日は録画したのを見ました。
綾瀬はるかは好きなほうです。この役はまっすぐな気質が「ホタルノヒカリ」の蛍に通じる部分も感じさせられます。
玉木宏は「のだめカンタービレ」の千秋とはかなり違いますね。千秋に比べるとかなり魅力が足りないというか、普通の男です。そして、顔が鹿に見えてしかたがありません。
「狐のつかい」だの「ネズミの見張り番」だの、「さんかく」だのと、へんてこりんなことを真面目に話しているので、馬鹿らしいドラマだと思いながらも、なんだかひきつけられていくものがあります。

ところで、このドラマに出てくる人間の言葉を話す鹿。にせもので、最初はすごく不自然に見えたのですが、このごろ慣れてきて違和感がなくなってきました。
そして、この鹿の声は最初から気になりました。
どこかで聞いたことがあるけど、だれの声だろう?
今日も聞いていて、洋画の声優さんかな?と思いました。
いい声ですよ。というか、表現力がある。
CGの鹿の表情は単純だから、普通の登場人物以上の表現力が言葉に要求されるわけでしょう。見ているほうも言葉そのものに意識が向きます。

それで、キャストを調べてみると、「山寺宏一」という人だということが分かりました。
写真を探してみると、見たことのある人でした。
声のサンプルを聞いてみると、鹿の声は低めですが、高い声やスピード感のある声など、様々な音域や雰囲気を自由自在に操れる人のようです。声優でもありますね。
さすがです。

声や発音がきれいな人、サマになる話し方っていうのは、すごく素敵ですよ。

私がほかに話すときの声がステキだなと思う人は、赤坂泰彦さんです。竹中直人さんもいいです。
女は、仲間由紀恵さんの声が澄んでいてきれいだなと思います。

話題がずれましたが、山寺宏一さんという人の声は、鹿の声でなかったらこんなに注目しなかったかもしれません。
鹿の声、もっと聞きたいなと思いましたよ。
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化学物質

2008-02-22 00:27:12 | 未分類過去
このごろ、なんだか行き詰っているなあ~と感じる。
ちょっと大きな坂を登り終えて、でもまだなだらかな上り道が続いていて、その先がどうなっているのかもわからないような状況だ。
行き詰ったときは、「なにげに読書だ!」と思った。
こういうときは、図書館に出かけてぷらぷらして、書棚の中の1冊の本とばったり出あうというのがいいのだ。
たまには、小説だよ。

ところで、最近、ニュースで「メタミドホス」だとか、「ジクロルボス」だとかいう化学物質の名前が出てきている。
そこで、ふと思い出したのが、昨年図書館でばったり出会って借りた本の中に出ていた、たぶん架空の化学物質のことだ。

その名は「ヌクロクシド」「ロクディオシン」。
これは井上淳という人の書いた「廃墟の聖母」という小説に出てきた物質の名前だ。
「ヌクロクシド」という殺虫剤を発明したものの、植物までが死んでしまい、その物質は使い物にならなくなり、それを発明した人は転落の人生を歩んでいくんだったかな?あんまり内容は覚えていないが・・・。そういえば、そんな小説読んだな~と思いだした。
この「ヌクロクシド」なども、「メタミドホス」や「ジクロルボス」と似ているのはどれも6拍の言葉であるということで、なんとなく毒っぽい感じだ。

こんなこと思い出したところで、何の意味もないのだけど、また図書館に行こうかなと思ったわけだ。ついでに、期限を過ぎているのにずっと借りっぱなしの本も返さなければ・・・。

ところで、化学物質とは何か?
化学物質とは、化学反応によって合成できたり、また分析できたりする物質だそうだ。
だから、食品のほとんどは化学物質と言っていいらしい。
しかし、普通、化学物質というと、人工的に作られて、人体に悪影響を与えるような成分のことを言うようである。

そんなこと、放送大学の基礎化学の教科書に書いてあったかな~

などと、ふと思い出しました。
エコ検定の本も買ってきたんだけど、気晴らしに小説でも読もうかな。
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次のカードは?

2008-02-21 22:57:56 | 未分類過去
この会社に入ったときは、特に何も考えていなかったんだ。
日本語を教えるのが疲れたなと思って、それ以外のなんとなく自分に向いていそうな仕事を探していたときに、求人広告にこの会社の仕事をみつけた。
そして、うまく入った。後で話に聞くと、いったん採用が決まった人が辞退した直後の再募集だったらしい。私が応募したときには、あまり競争率もなかったようだった。
まあ、これは会社と私の良いめぐり合わせだったと思うよ。
理系の文書の校正なので、私は畑違いだけど、それでも何とかやってきた。この仕事が続くか続かないかは、「能力」というよりも「性分」だと思う。
一日中黙々と活字と向かい合えるかどうかというだけだ。非常に地味な仕事だ。
黙々と読み続けるためには、その内容について、ある程度自分なりに関心を高めることが必要だ。だから、放送大学の自然の理解コースにも入ってみた。それはこれからぼちぼちってところである。まだ高校生の内容も理解できていないことが判明したので、時々テレビで高校講座なんかも見ている状況だが、勉強が進行中であるということでも、かなりの心の支えにはなっている。いずれはわかるようになるんだ、という安心感みたいなものがある。

3年経って、「社会保険加入」というものを手に入れた。これは、入る時に予定していたものではなかった。日本語学校の非常勤講師をしていたら、一生自分で加入することはなかっただろう。だから、思いのほかの収穫だったといえる。

これから先、どうするかな?
このままここで働き続ければ、正社員にならなくても、社会保険に加入し続けることはできる。厚生年金だから、第3号よりも多少は年金額が高くなるのかもしれない。
でも、60歳まで働くんだろうか?
田舎の母はどうなるのか?
仕事を辞めて、田舎に行ったほうが良いのか・・・。
田舎に行くとしたら、また方向転換しなきゃならない。
別のカードを用意しなくちゃならない。

今の会社にもプラスになり、将来どこに行ってもプラスになるカードは?
放送大学の自然の理解を卒業し、エキスパートもとりたい。
文章能力検定、ECO検定、なんかもどうだろうか?

着実に日々の仕事をこなしながら、何か準備して行きたい。
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3年後は?

2008-02-21 00:21:55 | 未分類過去
自分が3年後に何をしているか、あるいは、何をしていたいかと、具体的に思い描くことがなかなかできない。
来年のことを言うと鬼が笑うというが、それでも、将来の構想無くして生きるっていうのも、よくないだろう。

将来に何か目標があり、それを達成すべく向っていくなら、3年後を思い描くこともできるはずだ。

最近の新卒の若者は、入社して3年で3分の1くらいが辞めているらしい。その中には1年で辞める人もかなりいるそうだ。
そして、何で会社を辞めるかというと、その会社で活躍する3年後の自分の姿を想像できないからだとかいうことを聞いた。

そんなことから、3年後何してるかな?と思った。

実は最近、ある女性の社員さんが退職されたのだが、その人がほぼ3年で退職とのことだった。その人は私より2ヶ月くらい後に入って来た人だった。他の部署だったのであまり接点はなく、私より古い人だと思っていたら、あるとき本人と話していて私より後で入ったということがわかった。社員さんというのは、パートと違って主要な存在なので、堂々としていて古い人のように感じるが、そうでもない場合が多い。

その人が辞める時に「長い間お世話になりました」と言っていたのだ。
3年間って長いかな~。
それならば、3年以上勤めている私は、もっと長いってことだ。
パートタイマーで辞めたいとも思わず3年間やってきたのは奇跡に等しい。

というか、新入社員の3人に1人が短期間でやめるということは、就職とは3回に1回、つまり3分の1は「はずれ=失敗」ということになる。
私の場合、3年続けている今の会社への就職は「当たり」だったということになる。日本語学校もスーパーマーケットも結果として続いていないのだから、「当たり」の確率は高くはないといえる。

それで、今の仕事が今のところ「当たり」だったのはいいが、3年間やってきたものの、この後はどうなるのかな?何か目標はあるのかな?と思ったしだいだ。

今度は、これから3年後を思い描けないなら、やはり希望は無いってことじゃないか。
社員さんの場合、3年勤めると退職金がもらえるということで辞める人がいるようだが、
やはり、このままここで続けていても、この後の自分の姿に希望が持てないと思って、ヤル気がなくなってしまうのかもしれない。

自分がどうなりたいのか、3年後の目標をみつけて、それに向っていかなくちゃいけない。
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学割活用!

2008-02-20 00:32:46 | 未分類過去
先日、携帯を買い換えたんです。
充電がもたなくなってきたので、機種変更しようと思って行ったんですが、
新規にしませんかと勧められました。

そこで、思いついたのが、私、学生だったんだってことですよ。
放送大学生ですからね。

どうせ、新規だったら、学生なんですが・・・、というと、
こんなオバサンでもOKでした。

学生だと、かなりお得のようです!

皆さん、放送大学に入りましょう!
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週初めは・・・

2008-02-19 00:05:22 | 未分類過去
週始めだというのに、最初の日から弁当も作らず、いったい何をやってるのかと思う。
どうしようか、外に食べに行こうか、買いに行こうか、と思ったが会社の注文弁当を取ることにした。

私はだいたい、自分で手抜き弁当を作っていくことが多い。おにぎり2個だけという日もある。
それが、月曜日はそれさえも億劫なほど、立ち上がりが悪いのである。

気合が入ってないなあ、と自己嫌悪に陥るが、
月曜日というのは、意外にお弁当を注文する人が多いということを知った。

な~んだ、私だけじゃないんだ。
みんなも“よっこらっしょ”っと、サボりたい体に鞭打って出勤してくるんだね。

ちょっと、気が楽になったよ。
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引越し 

2008-02-17 18:48:28 | 未分類過去
この土日、長女のアパートの住み替えで忙しくしていました。

私が長女と同じ年齢だったころの引越しといえば、大した荷物もなく簡単だったのですが、近頃の若者の家財道具や小物類は、当時の何倍もあるんですね。
べッド、洗濯機、電子レンジ、パソコン、プリンター、DVD、勉強机、多量のぬいぐるみやバッグカバン靴類、小物雑貨などが、若い頃の私にはなかった物品です。
物が多い分だけ大変ではあるのですが、長女の奴が前夜までに完璧な準備をしてなかったので、当日になってから、ダンボールに入れていなかった荷物などをあせって荷造りしたりして、大忙しでした。
また、引越屋さんは午後の予定(遅ければ3時ころかも)だったのですが、朝からの仕事が早く終ったらしく、午前中に来られるとのこと。待ってもらうこともできたのですが、早く終われば早いに越したことはないということで、そのまま来てもらいました。
実家と旧アパートと新アパートが自転車で移動できる距離でもあったので、やり残したことは後でもできるという気持ちもありました。
それで、ばたばたと運び終えたわけなんですが、その後、新アパートのほうで一段落した後、元のアパートに戻り、不用品の片付けや掃除などにてんてこ舞いとなりました。

一番失敗したことは、古いアパートのガスを午前中に止めてしまったことでした。
午前中に旧アパートのガスを止めてガス漏れ警報機もはずしてもらい、それを持って新アパートに行き、夕方ガス屋さんに新アパートのガスを開いてもらい警報機を取り付けてもらうという段取りにしたのでした。
その後、夕方から夜にかけて古いアパートに戻り、水回りや部屋の拭き掃除をしようとしたところ、お湯がでないのです。もう水が冷たくて冷たくて・・・。
しかたなく、私の住む公営住宅自宅からポットにお湯を汲んで自転車で運び、バケツの水にお湯を足して何とか拭き掃除をしました。
また、家具を移動したあとの綿埃などを片付けるのにやはり掃除機が必要なので、それも自宅から自転車で掃除機を運ぶということになりました。

掃除というのは、私は得意じゃないんですが、それに輪をかけて掃除ができない長女です。換気の悪いユニットバスがカビだらけだったんですが、掃除をしても取れないのかと思っていたら、拭けばすぐ取れるんですね。もともと長女がやってなかったようです。それで、私がユニットバスの床や壁、便器や洗面台の裏、排水溝などきれいにしました。
ガスコンロの周りも食べ物のカスなど散らばったままでした。
窓枠やガラスも長女が拭いたと言っても、実際きれいになっていないわけで、結果がきれいじゃなきゃ掃除をしたとは言えません。
まったく、基本的な教育がされていない。よその娘だったら親の顔が見てみたいところですが、それが自分なんだからお恥ずかしい限りです。

私はずぼら1代目ですが、娘はずぼら2代目。私の母はずぼらじゃないから、私は「あるべき状態」「普通の状態」という常識は知っています。何をもってきれいというのかきたないというかはわかっている。しかし、娘の場合、その「あるべき姿」を見たことがないから、こういうことになっちゃうんでしょう。やはり私が悪い・・・。
私は「本当はこうであってはならない」と思いつつ毎日家事を手抜きしてすごしてきましたが、娘の場合はそれを普通のものと思っているようです。
やばいやばい。

また、アパートなんて退去した後はどうせプロのクリーニング業者が入るから、そんなにきれいにする必要はないともいえます。だから、娘は気合を入れて掃除をしようとはしないのかもしれない。しかし、やはりぴかぴかにして返したほうが気持ちがいいだろうと私は思うわけです。

そんなわけで、ひさびさの本格的掃除でした。
こんな調子で自宅もちゃんと掃除しておけばいいんだけどね~。

ゴミも大量に出て、アパートのゴミ置き場には全部置けないため、自転車の前後の籠にのせて公営住宅に何度か運搬。ごみ収集日までベランダへ。
引越しの前には早めに不用品を整理し、捨てておいたほうがいいですね。

それにしても、近所だからこんなこともできたけど、遠くに引越す場合、荷造りと同時に掃除や処分も完璧に済ませるってのは、大変だろうな~と思いました。

一世帯の全部の本格的な引越しをしたことがないのですが、日頃から不用品の整理や掃除など怠らないようにしておくべきだな~と思い、良い経験になりました。



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