ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

13/09/14 台風の前にさいたま市内の旧坂東家住宅を見学

2013-09-15 23:59:06 | おでかけ、旅行

台風18号が関東地方に近づくという前日、彩の国芸術劇場で「ヴェニスの商人」を観劇する前にさいたま市内の古民家を見学する企画も決行となった。
待ち合わせは昼の12時にJR大宮駅の「まめの木」で、玲小姐さん、happydragon21さん、かずりんさんと私の4人が集合。
地元の甘味処「田むら」がルミネ2の中にあり、腹ごしらえ。

大宮駅東口の7番のバス乗り場で浦和学院高校行きのバスに乗って終点にほど近い「三崎台」で下車。歩くとほんの近くに「旧坂東家住宅 見沼くらしっく館」があった。

さいたま市のHPより「旧坂東家住宅」のページ
さいたま市教育委員会の職員さんのご説明が受けられて、歴史散策を重ねてきたメンバーはこれまで見てきたところと共通するところ、違うところをワイワイと確認しあいながら予想以上の充実度に大満足。

八代将軍吉宗の時代の見沼田んぼの新田開発を請け負った紀州出身の商人で屋号が「加田屋」だった坂東家が名主となり、その10代目が幕末に建てた家を復元したものということだった。坂東家が開発したから屋号をとって「加田屋新田」というらしい。
うーん、江戸時代の昔から町人の富裕層を使って開発事業をやらせるなんて「民間活力」を利用していたというわけだ。江戸の治世のレベルはけっこう高かったと感心してしまう。

屋敷のための防風林「屋敷林」もしっかり残っていて、冒頭の写真のように立派な眺めとなる。天領の名主の家として幕府の役人を迎える正式な玄関の「式台」があるが、ふだんは閉じられていたとのこと。
「三和土」は、粘土質の土と石灰とにがりの3種を和えたことからきているという説明に一同、感心至極。小石のように見えるのは湿気ている時に人の足で撚れるからということにもなるほど~となる。

上の写真はいろりだが、三和土のところに開口しているのが珍しい。作業から戻って腰掛けるだけですぐに身体を温めたり、長い薪でも切らずにくべられたりする利点があるという。
以前は公開日はいろりで火を焚いていたということだが、3.11の後で燃やす薪などの放射能汚染についての問い合わせがきてしまい、火を焚かなくなってしまったとお聞きし、ここにも原発事故の余波がきていたかとびっくりした。茅葺屋根や天井部分を燻すことで保護できていたのに、できなくなったとのこと。早く元のようにできるようになって欲しい。

日本の家屋の独特の空間が「縁側」(この家では廊下というとのこと)で、雨戸を閉めれば内部、開けておけば外側という曖昧な領域が外国人には一番不思議がられるとのこと。
また、普段使いの部屋と客間で欄間や障子の桟の作り方のレベルを変えていたり、畳の敷き方についても薀蓄をお聞きできたのも勉強になった。畳みをすり減らすことを極力減らすような工夫がすごかった。普段は板敷の部屋にしておいて、しまってあった畳を敷きやすくはずしやすくするような敷き方。畳の境目で十字をつくると切腹を連想させるので、十字ができないようにする「祝儀敷」、それも入室したり床の間の前などは畳の目をこすらないですむ方向に畳を入れるとか、感心しまくりだった。

1992年にさいたま市が坂東家から譲り受けて、公開に向けて行われた解体補修作業の際、主人の部屋の押し入れの床下から発見された「一分銀」も展示されていた。もしも何かがあって家の修理などが発生した時に対応できるようにするために主人が家人にも内密に隠しおいたものではないかと推測されているらしい。

季節的に蚊が最後の繁殖のために必死になっている時期らしく、開け放した部屋の中にぶんぶんと飛び回り、なぜか私が集中攻撃を受け、4~5個所刺されて腫れてかゆくて困った。今回こそ虫よけアロマスプレーを忘れずに持ってくるべきだった。後悔先に立たず・・・・・・。蚊の被害をのぞけば大大満足の見学だった。

バスで戻って、JRで与野本町に移動し、午後6時半の開演までまたまたおしゃべりに花が咲くミニオフ会となった。
下の写真は、ランチでいただいた温野菜セット。甘味処はファミレスのなかった時代、軽食もお茶もできるところとして機能していたんだなぁと再認識。きしめんは梅にしてミニスイーツはあんみつにした。こうして選べるところもよかったなぁ。