日々徒然に

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2月、多くの知り合いの会えた月でした

2017年02月26日 | Weblog

 こんにちは。
 はやいもので2月も去っていきますね。

 マレーシアでマスコミが騒ぐ「暗殺事件」が起きて、日本では首相がかかわっていたかもしれない大阪府豊中市の私立小学校のこと。国有地売買の問題。どちらもそれを裏付ける証拠がない。「捨てた、焼却した」という具合に…。なんとも、大問題に発展しそうなことであるはずなのに、証拠はどちらも「ヤブのなか」という。なんとも物騒な世のなかに思える。

 さらに、ひどいのはこの私立小学校の教育方針。「天皇国日本再認識」「教育勅語素読」という。戦争の一員でもある「皇国史観」を児童に植え付けるとのなかみだろう。もし、これがヨーロッパならナチスの再来かと、市民はデモを始めるだろう。

 世界は米トランプ大統領を筆頭に「排除」の論理が当たらりまえのようにカゼを吹かせているようだ。それも、日本流にいえば「臭いものにフタ」をおしつけて、先へ進んでいるようだ。それも「一強多弱」の論理でだ。

 月末は「今月の読書」のコーナーです。今月は加藤陽子さんの本がよかったです。世の中が物騒になってくると、過去にもこんな時代があったのだろうかという疑問がわいてきてきました。気がつけば、何もいえなくなって戦争とう真っただ中に突入していた…などという時代にはしたくありません。

 今月は、明けてもくれても日々トランプ米大統領の言動が注目された月でもありました。メキシコと米国に国境をつくる。移民に対しての入国禁止などがマスコミによって取り上げられた月でもありました。「世界はどこへむかってすすもうとしているのだろうか」という疑問にかられた月でもありました。いままで、どうにか世界の緊張関係もゆるやかに動いていたように思えていたものが、一挙に大国の政治家によってめまぐるしく動かかせれていくようにも見える月でもありました。それも、いい方向(ぼくが考える範囲)ではなく、まさに憎悪をつくり出されるような言動が目立ったようにも思えました。

 そんななかで、大事なことはなにかという意味で読んだ本であったように思えます。いま、世界中で一番だいじな仕事は、世界の出来事を冷静に私達目線で語ってくれるジャーリストや報道番組ではないかと思える月であったようです。だから、国谷裕子さんのキャスターは貴重なほうどう番組であったように思えます。そんな意味で読んでいたように思えます。



■読者のみなさんへ国谷裕子
番組を離れて10か月が経ち,〈クローズアップ現代〉に自分なりの区切りをつけたいと思いました.私には,次に向かって進むために,番組とともに過ごしてきた時間を整理することが必要だったのです.番組との出会いと別れ.キャスターの仕事とは何かと悩んだ日々.記憶に残るインタビューの数々.そしてテレビの報道番組が抱える難しさと危うさ.偶然のようにしてキャスターになり,大きな挫折も経験し,そのことへのリベンジとしてキャスターをやめられなくなった私.番組を制作する人々の熱い思いに突き動かされながら,様々な問いを出し続けてきました.この本は,言葉の力を信じて,キャスターという仕事とは何かを模索してきた旅の記録です。(岩波HPより)

◆p12 私はキャスターとして「想像力」「常に全体から俯瞰する力」「ものごとの後ろに隠れている事実を洞察する力」、そうした力を持つことの大切さ、映像では見えない部分への想像力を言葉の力で喚起することを大事にしながら、日々番組を伝え続けることになった。

◆p15 結論をすぐ求めるのではなく、出来れば課題の提起、そしてその課題解決へ向けた多角的な思考のプロセス、課題の持つ深さの理解、解決の方向性の検討、といった流れを一緒に追体験してほしい。

◆p30 ~インタビューがいかに大事であるか、準備の仕方、聞き方によって得られる事絵が大きく変わっていくことに気づかされる。

◆p73 新しい事象に「言葉」が与えられることで、それまで光が当てられずにきた課題が、広く社会問題として認識されその解決策が模索が急速に進むということがある。(例:犯罪被害者たちというテーマを「殺された夫、残された私」へと変えていくことでより身近に)

◆p103 数年前「ねじれ国会」という言葉がメディアで頻繁に使われていた。~「ねじれ国会」状態を解消することが正常化すること、つまり衆議院と同じ政党が多数派になりことが「正常」である見方を流通させることにつながったとは言えないだろうか。これはある意味、投票誘導行為にもなりかねない。

◆p164 日本語の何となくストレートに聞けない曖昧さをどうやって排除していくか。それは、インタビューをしていくうえで大きな課題だ。(言葉をなんでも一括りにしていないか)




 ぼくは、23年間というながい時間「クローズアップ現代」という番組をみてきたわけではない不良視聴者。それでも、ときどき興味あるテーマはみたいたように思う。日々の出来事について、国谷キャスター―が紹介し、専門家の意見を聞く番組だった。ぼくが、これまでにない番組だと思ってみていた理由はもう一つある。それは、キャスターの質問がとても自然で、ぼくもそう思う点がある、という内容だったからだろうと思う。物価が上がれば、近所のスーパーにいって買い物をして、さらには大きな市場にでかけ流通はどうなっているのか、その仕事をしている人に直接、質問をしてくる。まさに、現場主義であったように見えた。

 その質問の内容の言葉が、消費者目線をで自分の言葉を発していたことにとても身近さを感じたように思う。誰であろうと、自分の勉強したことや現場にいっての言葉を一生懸命、駆使してのインタビューはわかりやすかった。

 『キャスターという仕事』を読んでみると、そのわかりやすさの工夫が苦労になってがんばる姿がみえるように思う。安直にはできない仕事だという自覚が伝わってくるように思える。

 今でも、NHKでは「クローズアップ現代」はやっている。キャスターというよりは、司会者でゲストがその内容のほとんどを解説している。いわば、その道の専門家のいろいろな意見をたらい流しているような番組になってしまった。だから、まとまりが少しもなく、当日のテーマの落としどころがあやふやなように思える番組になってしまった。テーマの本質を深く探ろうとする司会者の意図は皆無に等しい。残念な番組になってしまっているように見える。そんなことを気づかさせてくれる一冊だ。(復活が待ち遠しいと思うのはぼくだけだろうか)。



■膨大な犠牲と反省を重ねながら、明治以来、四つの対外戦争を戦った日本。指導者、軍人、官僚、そして一般市民はそれぞれに国家の未来を思い、なお参戦やむなしの判断を下した。その論理を支えたものは何だったのか。鋭い質疑応答と縦横無尽に繰り出す史料が行き交う中高 生への5日間の集中講義を通して、過去の戦争を現実の緊張感のなかで生き、考える日本近現代史。小林秀雄賞受賞。(文庫紹介HPより)

■加藤陽子 カトウ・ヨウコ1960(昭和35)年埼玉県生れ。東京大学大学院博士課程修了。東京大学大学院人文社会系研究科教授。専攻は日本近現代史。著書に『模索する一九三〇年代』『満州事変から日中戦争へ』『昭和史裁判』(半藤一利氏と共著)等がある。2010(平成22)年『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』で小林秀雄賞受賞。

7 ~国民の正当な要求を実現しうるようなシステムが機能不能に陥ると国民に、本来見てはならない夢を疑似的に見せることで国民の支持を獲得しようとする政治勢力が現れないとも限らないとの危惧であり教訓です。

◆50 戦争の最終的な目的というのは(~略)。相手国が最も大切だと思っている社会の基本秩序(これを広い意味で憲法と呼んでいるのです)。これを変容を迫るものが戦争だというものです。

◆p190 桂首相は1903年12月21日、ロシアとの外交交渉がうまくいかないことで見切りをつけて、戦争の準備にとりかからなければいけない。ということで閣議の後、元老の山県と伊藤に内戦許可のお願いの手紙を書くわけです。

◆p330 満州事変が起こる前には、すでに国民のなかで少なくとも国家が行なう行為に対する批判精神があると思われるような集団のなかでも、ちょっと針でつつけば爆発する空気もあったということがわかる。


  歴史は過去の資料を探しつつ、資料を読みその内容を分析して、その前後を明らかにして、その内容の原因をみつける。過去の行動の検証をすなかで、現在にそのできごとをあてはめる材料とすることだと思う。

 人は歴史にどうかかわるのか。けっきょく、歴史はその時代の偉人がつくっていったのかということばかりが現在にいわるが実際は違うというおとを考えさせてくれるものだと思う。


一九三三年、私は「天皇」と同じ日に生まれた――東京オリンピックの前年、出稼ぎのため上野駅に降り立った男の壮絶な生涯を通じ描かれる、日本の光と闇……居場所を失くしたすべての人へ贈る物語。

柳美里(ユウミリ)1968年生まれ。93年『魚の祭』で岸田國士戯曲賞を受賞。94年『石に泳ぐ魚』で小説家としてデビュー。『フルハウス』で泉鏡花賞・野間文芸新人賞、『家族シネマ』で芥川賞を受賞。近著に『ねこのおうち』がある。(河出文庫紹介より)

◆p132 庭は寒くてよく見えず、昼の間にコヤから出て猫のように陽溜りを追いかけてうたた寝する日々はかつては家族の一員であったことを忘れそうなほど惨めだった。そして、あおの日、生きていること自体が惨めに思えてくるとりわけ辛い朝だった。

◆p155 目と鼻のさきに天皇皇后両陛下がいらっしゃる。お二人は柔和としかいえない眼差しをこちらに向け、罪にも恥にも無縁な唇で微笑まれている。


 JR上野駅の思い出は学生時代、三ノ輪という近くで夜通しアルバイトをした帰りの朝、うろうろしていたらスーツを着たオジサンに「自衛隊に入らない?」と呼び止められたくらいだった。あの時代は(40年前くらい)はまだ日本もホームレスという人はいなかったように記憶する。米国ではすでに、ホームレスのニュースは来ていたが、日本にはいまほど多くの人数なかった。ときおり、出稼ぎにきた人が、こちらにいついてしまった人の多くがいて、とりあえず安いアパートに生活していたのだろう。

 それが、ここ10年のあいだに驚くほどのホームレスが増えた。いちばん印象に残っているのは、2009年に日比谷公園に「年越し派遣村」ができて多くのホームレスを見た時だった。日本もこんな時代になってしまったのか…と。

 物語は、東京五輪の建設ラッシュ時代に出稼ぎにきて、それっきり帰らず、上野に住んでいたホームレスの男の物語。一人の男の背後には家族があり、友だちもをも含めたものだった。息子が東京の専門学校に行き、歯科技師の国家試験が合格してもののあっけなくパートでなくなってしまった。それも、天皇にあやかってつけた名前が歴史を物語っている。さらには、原発事故の影もある。

 「ただ働きさえすればどうにかなる」という東京五輪時代の繁栄は、男にとっては歴史の中の一瞬でしかない繁栄だったように思える。いや、この男だけではなく私達自身にとっても同じことがいえるのではないのだろうか。

 能は六百年前にすでに人気を競う「市場」にさらされ,世阿弥は競争に勝つ戦略書として花伝書を書いた.「初心忘るべからず」に代表されるその言葉は,能役者が試練を乗り超えるためのものだが,現代人の心に響く.能役者の各年齢でのあり方も論じ,人生論として示唆に富む.イノベーターだった世阿弥の革新性にも迫る創造の手引き(岩波書店本紹介より)

 この本は「再読」。

 能の芸能の継続をいかに後世に伝えるか書かれているばかりではなく、そこに演じる者のあり方をも伝えている。それは、能芸能の分野にとどまらず、人としての生き方や、さらには私たちの一人ひとりのあり方が書かれている。こんなところに、と思うほど長い歴史のなかでいき残った言葉である。

 さて今月も終わります。

 先週は雑誌の締め切りであわていましたが、今週はそれも無事終わり「のんびり」していました。もちろん、仕事は通常通りありました。

 知人が退院したとのことで、数人あつまって静かな会をしました。集まったところがぼくもかつては(40年前)住んでいた場所であったのでなつかしく思える会でした。もう、無理して頑張ったところで反応するのは、疲れだけです。ここは、無理せず体と相談しつつゆっくりしていくしないようです。ぼくも、「生涯現役」なんて、力んでいる人もいますが、あまり気にせずいきたいと思っています。所詮他人事です。自分のことは、自分がいちばん知っているつもりですからね。

 もう少し温かくなったら今度は、今回集まった人たち花見でもできたらと思います。

 それでは、今週はこのへんで失礼します。

 読んでくれた人、ありがとうございました。

 


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