日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

どうにか、こうにか新年をむかえました。

2023年01月02日 | Weblog


 こんにちは。
 やっと新年を迎えることができました。新年といっても、これまで通りではありませんでした。

 それでも、ようやくここまで来たということに感謝です。
 昨年は、これからいったいどうなることかと思っていました。
 それでも、周りの人たちの協力があり、ここまで来ました。私にとっては貴重な経験です。そんな経験をこれから少しずつ、書けていけたらと思います

 さて、今年は昨年とちがう生活がはじまります。違うといっても、日々の繰り返しのなか、一つひとつの「生きる」ための難局をクリアーしていくしかないように思います。当面の妻の介護をしながら、ある時は、悩みながら、楽しみながら……。そんな気がする新年です。

【これまでのこと・・・これからのこと】 
 『人生100年時代』とはいうけれど、人それぞれの一歩は違います。
 私の場合は、体がちょっと不自由になった妻との生活でした。まだまだ、知らないことがたくさんあります。自信をもっていく日々はまだはるかなのように思います。こんなことになるとは、想像もつかなかった日々でもありました。
 5月に奥さんが救急車で運ばれて、いったいどうなるのかと不安がつきまといました。そして、3度入院先の移動。
 最後に入院したところはリハビリテーション病院でした。そこでおよそ半年、リハビリの日々でした。それでようやく、車いす移動ができ、介助での歩行ができるようになりました。幸いにも、右手が使えるここと、しゃべること、食事や排せつが自分でできることでした。現在は、その繰り返しの日々でもあります。
 人間の筋肉は、使わないと日々おとろえていくようです。リハビリテーション病院の人たちの努力によって、やっとここまできたのだろうと思います。

 そして家族にバトンタッチ。
 現在は、週4日のデイサービスを利用して日々を送っています。デイサービスにいっている間は、私は仕事に行く日々です。それでも、出社時間を45分遅らせて変更しました。これは、アルバイトという身であるので調整できたのかと思っています。
 ですから、今年はまだ初詣もいっていません。時間をみつけてボチボチ行こうと思います。どんなことを祈願するのか? 
 「少しでも人間らしくいきていける年にしてほしい…」ということくらいでしょうか。4日から仕事はじめのところが多いようですが、私のところは5日からです。仕事も暮らしも少しずつ自分らしさを取り戻す日々でしょうか。

 そんな日々のできごとを少しずつ、自分なりに考えていこうと思います。
 一年間、よろしくお願いいたします



ご沙汰していました!

2022年09月19日 | Weblog
 
ごぶさたしていました。ながーい間、留守にしていました。
 早いもので、もう夏は終わってしまいました。最近では、セミの声より、コオロギの声がよく耳にすることが多くなりました。ちょっと、遅めに植えた朝顔に花がtきました。けなげに、しっかりめんどうをみればどうにか花が咲くものです。
 今年は私にとって「厄年」のようです。
 
 5月に妻が倒れてしまいました。
 夕方会社から帰宅したとき「ただいま」といったものの返事もなく部屋が暗くて、どこかにお使いにいったのだろうと入ってみたら倒れていました。もうびっくりしてしまい、小さな声で「救急車」と言っていることに気が付いて「緊急入院」をしました。病状は「脳卒中」でした。左半身がどうもうまく動かないようでした。
 それから、3回転院をして現在の「リハビリ病院」に落ち着きました。
 現在は、車いす、杖、足の装具などをつけながらリハビリの日々です。さらに、コロナ禍でお見舞いに行ってもも会えず、受付どまりの日々を送っています。
 それでも、今はどうにかリハビリができている状態であっただけでも、幸せ(?)なのかもしれません。あとは、リハビリ後のことを考えていくしかありません。
 
 「介護保険」も取得しました。今後は、この保険を中心にたくさんの人の支えを借りて、私自身も生きていくのでしょう。
 妻は、おそらくずっと入院生活のため、季節の変わりを知らずに送ってきたのではと思います。
 今年の猛暑、セミの声…、咲き誇った花々など。季節の変わり目にも目もくれずリハビリの毎日だと思うと、少し悲しい気にもなります。
 それでも、今はここまできたことに感謝することばかりです。
 まだまだ、知らないことが多い介護の世界です。少しずつ、経験をしながら勉強していくしかないようです。

 ではでは、今日はここで。また、気持ちにゆとりが生まれたら続けていきたいと思います。
 読んでくださった人、ありがとうございました。
 

1か月のごぶさたでした。いまだロシアによるウクライナ侵攻は続いています。

2022年04月30日 | Weblog
 たいへんご無沙汰していました。
 アッという間の一か月でした。
 寒かった3月も終わり、桜が満開になるなか、4月も終わっていきました。今年はコロナ禍3年目。毎回、変異株のコロナウイルスが登場してなかなか収束の見通しも遠い日々です。まだまだ終息ということにはならないでしょうか・・・。
 そう考えると、コロナウイルスはまさに新時代の最先端をいく生物のように思えてしまいます。ワクチンも4回目の声も聞きます。これほどワクチンをつづけざまに摂取した時代はあったのだろうか。そのうちにワクチンづけになって、新種の人間も登場しそうにも思えてしまうほどです。
 
 さて、そんな中でのゴールデンウイークも真っ最中。今年の行楽地への出足は、緊急事態宣言やまん延防止等措置も解除されてコロナ感染の中で初めての年になりました。各地の行楽地の交通量は4割ほど増えたという記事もありました。今年は、コロナ前の高速道路の渋滞や行楽地の行列も見られる年になったいうことなのだろう。
 人が移動するということは、当然リスクもあるということです。
 4月30日、北海道知床半島沖で観光船が沈没したというニュースもありました。乗客26人のうち14人が死亡、12人が行方不明とのとでした。北海道の大自然を満喫しようと観光にでかけた人たちにとっては、一転して悲劇となってしまって、事故に遭うなどとは夢にも思わなかっただろう・・・。
 事故の内容が日々更新されていくニュースをみていれば、ずさんな安全管理が露呈されていくたびに、「これまで事故のならなかったのが不思議なくらい」だと思えてきます。会社はどんな言いわけをしようとも、安全管理の責任はぬぐえない現実となっていくのだと思う。乗客はこんな事態になるとはだれも考えなかったのだろう。
 悲しいかな、人は(私も)何か問題にならないと、それが当たり前になってしまうような気がします。もっと身近なことさえ、忘れていることもきっとたくさんあるのだろうと思えました。
 
 もうひとつ、最近はコロナのニュースより、ロシア軍のウクライナ侵攻進行が先にニュースになってきたように見えます。よその国で起きている戦争状態にだれしも平和を望むのは当たり前かもしれません。コロナには国が責任をもって感染拡大を防ぐ義務があります。その義務は戦争状態にある同士の国にとっても、和平を模索す義務はあるはずです。当面は、ロシア軍の撤退を優先させていくような政策が必要になってくるのではと思います。
 ロシアとウクライナの停戦協議もひとときは聞かれましたが、今はどちらかを勝たせるための方法ばかりがとびかっているようにも見えます。アメリカはウクライナに武器援助の法案を議会で通して成立させ、日本も、即軍事とはつながらないまでも、使い方によっては軍事品ともおもえるような物資(防弾チョッキ、ヘルメット、テント)などを送りはじめた。なんだか、ウクライナという火の中に、油を注いでいるように映ります。
 そこうしているうちに、「勝った、負けた」と周囲の国々が戦火は長引く様相をつくりつつあるようにも見える。
 最近、日本でロシアのウクライナ侵攻を奇貨として、自国の安全保障に税金を投じるようにしようと言い出しているようです。「防衛予算を1%から2%へ」という数字が出てくるくらいだから具体的になっているから困った事態だと思います。
 さらにはアジアの有事を想定した安全保障も出て来ました。
 4月にはいり、食品の値上げが続いています。そんな中でも安全保障もないだろう。やっぱり、国は国民を守ろうとはしていないのではと疑ってもしまいます。
 いま。「憲法9条」は瀕死の状態になっているようにも見える。国は、憲法をちゃんと守り、実施する方向を見ていないようにも思えるのは、考えすぎだろうか。
 
 
 壁の前に立って思い出したことがある。
 半世紀ほど前、私は壁にボールをぶつけて遊んでいた少年だった。学校では野球部にはいって、放課後は校庭で暗くなるまでボールを追いかけていた。顧問は社会の教師だった。この先生がどれだけ野球のことを知っていたかは知らないが、シートノックでは、なかなか取れないボールをいつも打っていた。帰りには、ジャージのままホンダのカブに乗って通勤していたようだった。休日は公式戦の試合以外、練習はなかった。
 時代が変われば、クラブ活動も変わるようだ。
最近、学校のクラブ活動の休日練習はやめて、地域に移行する方向だという。教員たちにとっては、クラブ活動の顧問は大きな負担になっているという。
 スポーツ庁の有識者会議「運動部活動の地域に移行に関する検討会議」によると、運動部活動の活動主体を学校から地域に移行する討論が進んでいる。公立中学校の休日を対象にし、2025年までの3年間を集中期間として移行をはかるのだともいう。その受け皿として、民間クラブに、財源はスポーツ振興くじでする。
 いつの日か、学校でのクラブ活動が地域に移行する日も来るのだろうか。
 とはいえ、問題の本質は教員の仕事が多すぎて大きな負担になっているということだろう。地域への移行は解決の糸口になっても、教員の仕事はそれだけはない。忙しさの負担として一部、クラブ活動があるということなのだろう。クラブ活動でも、全国大会に出場するほどの実力あるクラブにとっては不安が残るかもしれない。
 さらに民間に行こうと言っても、部員たちにとってはどうなのだろうか。少子高齢化で、スポーツ好きの少年の居場所を、営利追求の民間事業者の委ねるというのも問題だろう。移行したら、部員の保護者の対応も大変になるのではないあのだろうか。
 スポーツを好きになるというのは、身近な場所でスポーツの面白さをみつけるということなのだろうと思う。
 大人の問題であるはずの「忙しさ」の解決策を地域へ、民間へとなっていくのには疑問が残ることだと思う。
 最近、ボールを投げたり、蹴ったりする自由な空間がなくなった。あっても「〇〇禁止」の貼り紙があったりする場所を多く見る。やっとみつけた狭いところで、子どもは工夫をしながら面白くスポーツを捜しているのだと思う。少しでも上手くなろうと壁にボールをぶつけては遊ぶ・・・。そんなことが遠い昔のことでもないだろう。
 初めてスポーツを楽しむ場所でもあるかもしれない。
 
 
 4月中に更新しようと思って、パソコンを間借りして形だけはつくっておいたが5月に入ってしまった。5月の連休中とも思っていが、気がつけばもう終わりである。夏休みの宿題ではないが、切羽詰まってきてやっと更新できたというところが正直なところである。「いまやパソコンは必需品」・・・と思っている間はとうの昔であるように思える。現実は年金生活となって、パソコンの出費は大きい。まして、昨今の諸物価高騰のでは、困難を極めている。これでは、自前のパソコンはいつになることやら、と思う。
 とはいえ、5月になって季節は初夏になったきたようです。
 躍動感のある季節なのですが、なかなか大変です。躍動感あるのは若い、明日もどうにかなる元気な人たちでしょう。最近は、ちょっと動くのも難儀ですわ。それでも、自分のペースでボチボチ動ければベストというのが、今の現状です。なんにつけ、自分のリズムは大切だと思います。
 老いることはこれまで一生懸命ためたものがガラクタになることでもあるようです。せめて、いつでも、好奇心にみちた気持ちを持ちたいと思っていても、老いた体がついてきてくれません。これも道連れと思い日々を送っているところです。
 それは、今月はこの辺で失礼します。
 連休は楽しく送れましたか。いざ、休みになっても、コロナということもあって敬遠する意識はまだあっことでしょう。
 読んでくださった方ありがとうございます。(5月7日)でした。

3月も終わり・・・少しは春らしくなってきました

2022年03月28日 | Weblog
 こんにちは。1ヵ月ぶりのごぶさたでした。
 いまだにパソコンの導入のめどが立たないなかでして、ひと月に一度のいう更新になっています。それでも、パソコンを借りて更新できる状況でやっおります。
 年金暮らしは、ちょおと大変ですわ・・・。

 さて、いよいよ4月に入ります。
 寒い日もありますが、少しずつ暖かくなって毎日がありがたいとお思える日でもあります。年をとると、若い時には全然苦にならなかったことが、一瞬のうちに苦になってしまいます。例をあげれば、上り階段あがっているとき、ちょっと力をいれて駆け上ったりすると、ひざや足首に痛さが残ります。下り階段などはもう恐ろしいとも思います。それでも、ちょと注意しながらいけば大丈夫なのです。人類はうまくつくっています。



 「桜がいつごから咲き始めるのだろうか?」などと思って生活していたら、世界はとんでもなくなっていた。
 ロシア軍のウクライナ侵攻が始まった。これはいったいどうしたことかと・・と。この侵攻をめぐって世界の先進国というわれる国々が次々に「経済制裁」を始めた。いつまで続くのかと心配の種はつきない。
 そして、4月から食品の値上げが目白押しであることも心配。
 理由は経済制裁によって、電力のもとである天然ガスや穀物の輸入が滞ってしまっているからだろう。日本の食糧自給率は、農業政策がうまくいってない分、そのしわ寄せは農業従事者と消費者にかかってくる。その典型的な例だろう。
 でもへそ曲がりと言われるかもしれないが、よくよく考えてみれば、農業に魅力を失わせたのはなにを隠そう自民党政治じゃないのだろうか。それが今でも、政治をやっているのだから仕方がないと思えないでもない。時代はかわれど、やっていることはほとんど同じだということなのだろう。
高田渡さんの『値上げの歌』を思い出す。
とはいえ、ウクライナの人たちが、避難して、今まで住んでいた家や家族とも別れ別れになっていく姿には戦争の本質そのものを見ているようだ。勝っても負けても、どちららでも悲しい、むなしい。せめてもの慰めは、最近になって「停戦協議」が始まったいうことだろう。どちらにしても、戦争はしないほうがいいに決まっている。そのことを中心に話し合われることを切望したいmのだ。ただ、それにもかかわらず、横やりをいれる国の意見が「大義」のようになっていってしまうのも事実。例えば、軍事援助などをすることじたい戦争を長引かせる原因になっているのでは、と思う。
話しをもとにもどして、おかげで物価が上がる。年金生活者にとってはいたい出費である。かれでも食わねば生きられない。
けっきょく、戦争の影響は足元にもあるということなのかもしれない。
 そしてコロナもある。3月末に「まん延防止」が解除された。結果、コロナ感染者は増え続けているという。当たり前のことではないか。それでお、解除する政治がおかしい。
 今月もけっきょく愚痴ばかりになってしまった。
 さらに年金を下げるときた。
 年金の値上げはないのだろうかと思う。



 「春眠あかつきを覚えず」。
春の陽ざしがまぶしくなってきました。やはり、夜明は早い方が好きだ。一日の始まりが、午前5時ごろの明るい空を見るとホッとする。いまだのコロナ感染者は増えている。いつ感染するのかと心配でもある。通勤電車の人の出も少しずつ多くなってきやように見える。帰りの事故などがあれば、「密・蜜」な状態になっている。過日、だれかが言っていたが、「感染の多いのは飲食店ではなくて通勤電車ではないか」と・・・。
 納得している。きっと口には出さないのだろうけれども誰もがそう思って通勤しているのだろう。
 第6波から第7波という声もあるところだ。事実、20歳台の感染者が増えているという。まん延防止も全面解除になってしまった。5月の連休後にはさらに増えているのではないのだろうか。病気は個人で病院で治療するが、感染症などの重大なものは国が責任をもって直していくべきだはなのかと思う。ということは、責任を放棄してしまう方向なのだろうか。

 パソコンのない生活にも慣れてきました。ただ、ここの更新が1ヵ月一度ということになり、あいたパソコンを借りての日々です。だから、文章をいれるタイミングで季節とは少しずれてしまうところです。
 さて、5月にむかって、季節はいっそう春らしくなってきました。連休はいったい何をしているのでしょうか。


 それでは今月はこの辺で失礼します。
 読んでくれた方、ありがとうございました。

2月も終わります。1か月のごぶさたでした。

2022年02月28日 | Weblog
 
 こんには。
 ごぶさたしていました。ちょうど1か月ぶりです。あいかわらずコロナで毎日がせわしない日々が続いています。そして、寒さも続いています。
 ただ、そんな中でも日が少しずつ伸びていることを感じる日々です。とくに、会社の帰りのバス停で待っているころはこれまでは暗くなっていて、車のライトがまぶしく思っていたのですが、最近は日がのびてきて明るい中、待つようになりました。自然の流れの中に身をおいていることにつくづく実感する瞬間でもあります。

 さて、今月は冬季五輪ありコロナのことをひと時忘れていました。開催国が中国ということもあり、時差も感じることなく見れたことがよかったです。メダルを取った人も取れなかった人も、スポーツという競技を通して人間の楽しさを教えてくれているようような時間でした。まあ、人間の欲望での利権などのドーピングなどの問題もありましたが、選手たちは利用されているようにも見えて残念なことです。いつになったら、スポーツのあり方を追求した五輪ができるのかな、と思いました。

 さらに今月末になって、ロシアがウクライナに侵攻したことを連日、報道されていました。軍隊を用いて他国に侵攻することはあきらかにいけないことだと思うし、ましてや民間人まで巻き添えにしてしまっていることには危惧を覚えます。
 とはいえ、問題の発端はNATO(北大西洋条約機構)の軍事施設の拡大から端を発していることにも見逃すことができません。それも、暴力装置としての軍隊ですから、ロシア側からみれば止めたいということにもなりのでしょう。加盟国にとっては有利に働くものであっても、非加盟国にとっては脅威になるといことを考えれば、そうならないための方法があるのではないかと思います。ただ、今回のロシアが軍事行動に出たということが問題なのだろうと思います。
 今後はどう展開していくのか。NATO加盟国にも責任はあります。双方の意見を持ち合って打開策が必要になってくるのでしょう。いずれにせよ、ロシアをこれ以上孤立させていくということは危険な兆候ではないのでしょうか。それぞれの外務担当者が、何をもって一つのテーブルで議論をつくっていくのかが今後の必要なことだと思いますが・・・。(そんな悠長なことはいっている場合ではない!というのがいちばん恐怖です)。
 ちなみに20年前、Jリーグ試合中に名古屋グランパスに所属していたユーゴスラビア代表のストイコビッチ選手がアンダーシャツに書いた「NATOは空爆をやめよ」と猛烈に抗議した場面がよよみがえってきました。当事者にとっては、スポーツの場であれルール違反といわれても「人命を危険にさらす」行為には反対という自然な行動だったのではないかと思えます。その後、どうなったのでしょうか。


 最近は「老い」について身近に感じる日々が多い。町をあるけば、杖をつく高齢者を多く見ることがある。3回目ワクチン接種会場にも同じ年代の(高齢者)がたくさんいた。私もおなじ仲間として、こんれからどうなっていくのか、コロナ第6波に耐えられるのか? という心配も多い日々である。
 一方で「いずれ、体が動かなくなるだろう」という気持ちが大きくなってなっている。「老い」は自然の流れ。止められないことは頭では理解できていても、自分のこととは思いたくないというのが正直なところだろう。だから、少しでも忘れるために動けるうちは、できるだけ野外に出たり、できる範囲での仕事をしたりしているのだろうと思う。そんなひと時をできるだけ持てればいいのではないのだろうか。

 とはいえ、やっぱりいつかは止まるのである。
 これからはおそらく多くのはことはできないだろう、行動範囲も小さくなるだろうとか思う。それでも、どうにか体の痛みを忘れる時間をできるだけつくっていくしかないようだ。いまやっている(アルバイト)仕事もいつかは終わりがくるのだろう。そんなときのために、少しでも次につなげるものをつくっておきたいものだ・・・とも思う。
 世の中には「止めていいもの」「止まってはならないもの」があるようだ。
 私にとってはそれは何か、これから少しずつ考えながら送っていくことが大事なのだろうと思えます。


 まだまだ、パソコンの導入めどがたたつ。間借りをしている状態で更新している状態です。最低でも1か月に一度とは思いつつ、今回もどうにかできました。1か月という流れの中で、コロナ第6波ということもあって、思うように行動はできませんが、それでも生きている以上、何らかの生活を繰り返す中で思いついたことなどを更新していければと考えています。
 アルバイトも4回目の(3か月更新)更新になりました。なれ親しんだ職場で仕事ができることは、とても幸いなことだと思います。ただ、周りを見渡せば、顔見しりで話す人もすくなってきたことは残念です。
 思えば、職場の人たちより、お客との関係のほうがつながっているような気さえします。最近では、パソコンやソフトもバージョンアップをする傾向にあるようです。おそらく、そのソフトにおいて行かれる日がきっとくるのだろうと思います。
 そんなときがきっと仕事のおわりでしょうか・・・ね。
 それは今月はこの辺で失礼します。
 また来月に。年金生活者には当分、パソコンの新規購入は先のようです。
 それでは、読んでくださった方、ありがとうございました。