日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

「緊急事態宣言」解除後に思う

2020年05月31日 | Weblog

 こんにちは。
 いつの間にかアジサイが咲いていました。
 コロナ禍も猛威をふるった当初からみれば少しずつ緩くなってきたようです。それでも、世界中では、いまだに落ち着きをみせず、これから感染の激増が心配されるところもあるようです。日本でも、全面的に「緊急事態宣言」が解除されましたが、第2波、第3波が心配されているようです。事実、インドなどは感染者が増え続けているとのニュースがありました。とくに、貧富の差が強いところの貧しいところでは感染が増える模様です。

 そんななかで今週、29日、ブルーインパルスが、新型コロナウイルスに対応する医療従事者に感謝を伝えようと都心上空で編隊飛行を行なっていました。とくに、病院の屋上に集まった医療関係者が空に描かられたスモークに手を振るニュースが感動的でした。(涙がこぼれるほどジーンとした)当日は天気もよくて、青い空に6本のスモークが「勇気」というのでしょうか「感謝」でしょうか、とても印象的でした。

 記憶に間違いがなければ『七人の侍』という映画のシーンを思い浮かべてしまいました。野武士たちの襲来から村を守るために、七人の侍と百姓たちが戦い終え、多くの犠牲者が出てぼう然としていたシーン。屋根の上にたてられた手作りの旗を生きのこった人たちが全員が、その一点を眺めているシーンです。これは、戦いつかれて、多くの犠牲がでたがまた前を見て頑張ろうという暗示があったように思います。
 ブルーインパルスのスモークと『七人侍』の雨風になびく旗への思いがきっと同じだったのではなかったのではと思えました。どんな言葉よりも、感動を与えていたように思えました。



 今月も終わりです。はやいものです。とくにコロナ禍のなかに生活するようになってなぜでしょうか時間が早く過ぎていくようにも感じます。毎日、緊張しているから一日のおわりは疲れてしまっていているかでしょうか。もう4ヵ月にもなるのでしょうか。毎日、コロナ禍のニュースから始まり、感染者の数を聞きながら終わる日々でした。

 今回は「食肉偽装」のかかわる刑事の物語と「ロビンソンクルーソー」で有名なディフォーが書いた「ペスト」を読んでみました。どとらも、生きることへの工夫などがよかったと思います。

〈 書籍の内容 〉
警視庁捜査一課継続捜査班に勤務する田川信一は、発生から二年が経ち未解決となっている「中野駅前 居酒屋強盗殺人事件」の捜査を命じられる。初動捜査では、その手口から犯人を「金目当ての不良外国人」に絞り込んでいた。 田川は事件現場周辺の目撃証言を徹底的に洗い直し、犯人が逃走する際ベンツに乗車したことを掴む。ベンツに乗れるような人間が、金ほしさにチェーンの居酒屋を襲うだろうか。居酒屋で偶然同時に殺害されたかに見える二人の被害者、仙台在住の獣医師と東京・大久保在住の産廃業者。
  田川は二人の繋がりを探るうち大手ショッピングセンターの地方進出、それに伴う地元商店街の苦境など、日本の構造変化と食の安全が事件に大きく関連していることに気付く。

p102 「車がなければ生活できないなんて。街じゃない」

p133 (高森)彼の合い言葉は「お客様の隣に」だよね。言い方をかえれば、売り上げが悪くなったというところからはさっさと撤退するスクラップ・アンド・ビルド。これが「隣」というキャッチフレーズの本質だ。

p191 「間違いなく成型肉です。様々なクズ肉を特殊な食品接着剤で合わせたものです。そうでなければ、二五〇グラム五五〇円という値段設定はできません。ミートボックスが得意な仕事の一つです。この種の加工品は食物ではなく工業製品です」

p206 『逆手持ち』『モツ煮』『豪勢な宿』『ベンツ』のキーワードのうち、『ベンツ』は冴子ママこと安部早苗、そして柏木信友の線が限りなく濃厚となった。

p258 背広から手帳を取り出した田川は、蛇腹のメモを広げた。『逆手持ち』『モツ煮』『豪勢な宿』『ベンツ』のキーワードうち、ベンツは柏木信友の線が色濃く浮かんだ。

p263 国道を挟んだ向かいにオックスフォードの看板が見えた。どぎつい黄色の看板の後ろ側、小高い丘の小さな天守閣が見えた風情ある城下町も完全に街並みが破壊される。

p280 今後は苦情処理のマニュアルやメデァ対策も新たに策定しなければならない。本来クレーム必死の商品など、仕入れてはならない。そんなことは百も承知だ。だが、会社が消えてしまっては元も子もない。

p315 ここ数日の間に訪れた新潟店、東北の城下町近くの店舗、そしてそこに連なる全国のチェーンの店舗が、街固有の表情を奪っていると田川はのらりくらりと語った。

p347 「創業者は壮大な志は、業績拡大のために捨ててしまうわけですね? 雑巾と呼ばれるような屑肉総菜を使えば、御社の利益は倍々ゲームで増えます。消費者からクレームが出ても、カネで解決する。SC事業拡大させたやり方をそのまま踏襲すればいいわけですか。とんでもない話ですね」

p361 「俺だって、一人前の仕事ができるんだ。お膳立てされた仕事じゃなくても、一人で解決できるんだ」(信友)

p391 赤間家の人々や川津香、そして西野の年老いた母の無念の思いが手帳に刻まれている。田川は、ドアノブに目をやり、大きく深呼吸して取調室のドアを開けた。

p419 人間のエゴと利殖がからみ合った事件の謎は全て解いた。だが、対外的に明かされる真相は全く別だった。

p426 「大きな商業施設に行って、豊かになったつもりでいたんだ。現実は企業にいいようにカネが吸い取られ、演出された幻想を見せられていたんだ。この商店街みたいに、身の丈で暮せるのが一番だと思わんかね?」

【感想】
 私は、刑事ドラマでのおもしろさは犯人を捜すより、そこに登場する刑事の仕事ぶりだろうと思える。
 ある日、ある時殺人事件が起きる。刑事は、殺害された事件現場に行く。不運にも殺害された被害者の身元、殺人が至るまでの様子などを推理する。その現場から、「犯人はいったいどんな人だろうか」と考える。
 少しずつ解明される被害者の氏名、年齢。人間関係、さらには解剖によって食物の種類などを調べるがすすむ。そして、殺人が行なわれて時間が推理、残された物品から一つのヒントに捜査がはじまる。捜査中聞かされたことはなんでも、ヒントにし、手帳に記憶させておく。
 『震える牛』 では継続捜査班という部署にいる田川刑事と捜査一課の池田というコンビが登場している。刑事はそれぞれの捜査に自分のこだわりを持っているようだ。田川刑事は被害者の身辺関係者がよく話のなかで発していた言葉「モツ煮」「豪勢な宿」「ベンツ」ということばをつなげていきます。そのことばに密接に関係のある人間を調べていく。

 ちなみに刑事にはいろいろな仕事のやり方があるようだ。「三億円事件」最後の刑事、平塚八兵衛を思い出す。捜査の極意として平塚は「物に事件を語らせる」ということを言っています。犯人が気づかない、事件の背後のものから犯人を追う。時間をかけ歩き、調べ、尋ね、やっとみつけた手がかりを調べていく姿である。こんな努力もむなしく犯人にもたどり着かなかったこともある。「三億事件」犯人の方が一枚も二枚も上だという敬意さえ持つことさえ覚える。

 私は、犯人を逮捕する以上にこんな刑事の人間臭さが好きなところ。いつの時代も犯人の動機はありますが、野村胡堂の銭形平次から、ベーカー街のホームズ、江戸川乱歩の明智探偵という流れのなかで、それほど今も昔も変わらないとように思える。違っているのは、時代によって変わる仕事の方法や道具、あるいは「ことば」などを読んでいると面白いと思える部分がみつかると思う。田川刑事の手帖に書かれたことばが合点いくまで調べていく姿には、人の生活にはなにがしかの言葉のつながりのなかにできていることを痛感させていると思う。



 1665年、ロンドンが悪疫(ペスト)に襲われた。逃れえない死の恐怖に翻弄された人々は死臭たちこめる街で、神に祈りを捧げ、生きのびる術を模索した。事実の圧倒的な迫力に作者自身が引きこまれつつ書き上げた本篇の凄まじさは、読む者を慄然とせしめ、最後の淡々とした喜びの描写が深い感動を呼ぶ。極限状況下におかれた人間たちを描き、カミュの『ペスト』よりも現代的と評される傑作。

〇著者等紹介
デフォー,ダニエル[デフォー,ダニエル][Defoe,Daniel]
1660‐1731。イギリス、ロンドンの商人の子として生まれる。作家、ジャーナリスト/平井正穂[ヒライマサオ]/明治44年(1911)、福岡県に生まれる。東京大学文学部英文科を卒業。東京大学名誉教授。平成17年(2005)没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


p25 よく、こんどは田舎へ行こう、と新たな決意を固めようとした。そして、それに必要な用意万端も整えた。正直な話、私の周囲には疫病が拡がって危険が迫っていた。疫病にたおれる者は週にほとんど七〇〇人に達していることを週報は報じていた。

p69 今や「死」が、いわばすべての人間の頭を駆けめぐっているというより、むしろ各人の家や部屋の一つ一つ覗き見するようになっていたといってよかった。そうなってもなお依然として愚鈍な人間になくてはなかった。

p73 医師たちも人並みにこの災禍の犠牲者になったと、私がいったとしても、それは毛頭、彼らの勤勉と努力に対してけちをつけるつもりからではない。いや、むしろ私としては、彼らの人類同胞のためにその生命を犠牲にしてまで必死の努力を払ったことに対して、深い感謝の念を表したいからほかならないからだ。隣人のために尽くし、隣人の命を救おうとして大きな努力を払った彼らであった。

p117 また、なかにはほとんどが裸同然の死骸をあった。ほんの申しわけないないばかりのものをまとっている死骸もあった。そこにはもはや何の差別つもなかった。貧乏人も金持も、ともども横たわっていた。いうまでもなくかかる災厄の時には志望者の数はとほうもない数にのぼるのだ。いちいち棺桶にはいるいわれはなかった。

p145 人々がおよそ考えるかぎりの予防手段を講じたことはいうまでもない。たとえば、市場で一切れの肉を買う時でも肉屋の手から受け取らないで、鉤から受け取るというふうであった。

p173 貧乏人の大部分が、つまり、以前には労働や小売商などでかろうじて生計をたてたりた貧乏の連中が今や救恤金(きゅうじゅつきん)をたよりに生活しているという事実はおおうべくないことだった。

p176 一、製造業を営んでいた職人の親方がまず参った。
二、テムズ河をさかのぼっていってくる船がほとんどなく、貿易は完全にとまった。
三、家屋の新築や修理に従事していた稼ぎ人は仕事がなくなった。

四、海運業もぱったりととまった。入港する船もなければ出港する船もなかった。
五、市内に残留した家庭も、田舎に疎開した家庭もいずれもできるだけその生活費を切りつめていた。

p213 こういった船着き場に逃げた人びとの受けた苦しみや悲しみは、じつに悲惨なものであった。おそらく満腔の同情に値した。しかし、残念なことだが、人々は自分の生命を全うすることだけで精いっぱいであった。

p276 初めのころの話であるが、逃げ出すことも思いのままにできる人びとや、田舎に疎開先を持っている人びとは、われを争って田舎に逃げて行ったが、その数はまったくおびただしいものであった。できるだけ遠方へ逃げるというふうであった。~野原や森の中に掘立小屋や避難小屋を作って住んだり、穴や洞窟の中などで、仙人みたいな生活をした人々も大勢いた。

p281 ロンドン隣接の町村の住民が、感染の恐れて逃げ出してゆく悲惨な市民の群れに対して残酷な態度に出たことが非難されていたことも私はよく知っている。・・・実際、無慈悲なことも行なわれていた。しかし、自分の身に危害を加えられることが明らかであればともかく、そうでないかぎり、近郊の人々は良心に恥じない程度の慈善と援助の手を喜んで彼らにさしのべていたことも、私にとっては言っておかねばならない。

p322 墓場の向こうで再び何人はみな同胞とみられるというものである。党派や宗教のいかんを問わず、われわれはすべて天国では、偏見も猜疑心もなかろう。・・・なぜわれわれは手をつないでゆけないのか。なぜ、この世では手がつなげないのか、私にはそれに対して、ただ残念である。

p350 ~これは厄介な問題である。実際、自分がいていつ、どこで、どうして病気をうつされたらしい。また、だれからうつされたらしい、ということをいえる人は、まず、一人もいないだろう。

p357 この病気たるや本人が丈夫だと思っているうちに、いつのまにか忍びよってきて、そのまま何日間もひそんで、人間から人間へとうつってゆく厄介な代物であった。

p420 流行が激烈であった時に、市民たちが苦しみとともになめあっているのを目のあたりに見、互いに慰め合っている姿をじかに見た者は、今後われわれはもっと愛情をもたねばならぬ、他人を責めることはやめねばならぬと固く心に誓ったはずだ。

p424 私はすべて善良な人々のけん敬虔な心に、あのころの恐ろしかった事柄をいろいろと思い返してくれ、反省してくれ、と訴えたい。

【感想】
 日々、いまや世界中はコロナ禍によって困難な日々を送っていることがニュースによってみることが多くなりました。とくに、日本以上に欧州の国々が大きな災厄を被っていたことも理解できます。こうしてみると、これまでコロナ禍以前に大きな疫病を経験したところはさすがに対応が早かったことに感心します。

 日本でも少しずつ感染者数が減ってきているようすです。最近では「緊急事態宣言」も解除されました。でも、その後も「第2波」も起きてきている状況があるようです。これも経験したことでしょう。
 さて、最近疫病(ペスト:感染)をあつかった小説が多く読まれているようである。前月はカミュの『ペスト』を紹介していた。カミュの『ペスト』では、ペストに関わる人々の不条理ななかでの心境を語っていたように思います。死に囲まれた中で、人はどう気持ちを整理してむかうべきか、それぞれに語りかけていたと思えます。

 ディフォーの『ペスト』は、ペストに追われる人々と生活をともにしながらその様子を描いた物語といっていいと思います。およそ350年前にロンドンで起きたペストの経験の様子をルポルタージュのようすを追っています。ペストが発生した都市に住む人々の行動がよくわかる物語。医療も情報も少ないなか、人々がペストからどのように行動していたか。貧民と富裕層の現実を目のあたりにするシーンもあります。助かる者、亡くなっていく者。その多くを経験して、ディフォーが災厄になったときの人間同士のありかたを描いている物語です。

 ロンドンでペスト禍になって人々はそれぞれが助け合いながら命をつないでいく景色はいまのコロナ禍のなかでも通じるものがある。決定的同じだな思うのは、為政者のかけ声もあるなかで人々の生活は悪くなっていくばかりであるということだ。コロナ禍では、経済的に貧窮する人々は多い。それも弱者はもっと貧しくなるという現実は今も昔も変わらないということも描かれている。

 それでも人々の生活はどうにか成り立っていく強さもあることを気付かされることも多かった。

※ちなみに1665年ペストが蔓延したのはロンドンだけではないようだ。英国イーム村で全村隔離をして村を守った歴史もありました。村にペストが蔓延したとき、イーム村では村の指導者は全村隔離を決断。集団で自己犠牲をした結果、村では260人が死亡したが、周辺の数千人の命を救った村の歴史があるとのことも忘れないでほしいものです。

そこでいえるのはフランスの歴史家・人口学者のエマニュエル・トッド氏が述べているように「・・・支配層の一部がその表現を使うことに理由がないわけではない。彼らは自らの政策が招いた致命的な失敗を覆い隠したいわけです。これまで効率的で正しいとされてきた新自由主義的な経済政策が、人間の生命は守らないし、いざとなれば結局その経済自体をストップすることでしか対応できないことが明らかになったのですから。生活に必要不可欠なものを産みだす自国産業は維持する必要があるでしょう。」(朝日新聞23日)と語っていることと同じように世界があるということだろうと思える。この言葉、「コロナ禍」後を暗示するように思える
 それがまさに、350年前も350年後の今も同じようになっているのではないかとつくずく思えることだった。



 「緊急事態宣言」が解除されたとはいえ、そのご感染しないという保証はないだろう。ただ、現在感染しても病院の態勢も解除前よりはよくなったということや、一日の感染者の数も少なくなったということだけだろう。そして、為政者がいちばん気にしている経済復興ということから、多少の犠牲より経済を立て直すことを重く見ているからだろうと思う。
 むしろ、これまでの経済のある方を問うべきことも大事ではないのだろうか思う。例えば、非正規社員への雇用を補償したりすることも大事だろう。でも、こんなにひどい状態を作ってしまったこれまでの経済政策などや医療態勢も問われるべきだろう。とくに、効率化優先によって削られてきた公的分野の役割なども問われるだろう思う。
 このコロナ禍のなかで憲法を変えることより、政治家、特に与党関係者の不祥事を正すことではないのかと思う。

 沖縄をはじめ九州地方も梅雨入りが出されたようだ。
 新型コロナウイルス感染が寒い2月ごろから発生してすでに4ヵ月にはいる。寒い時はともかく、温かくなればウイルスも減るのでは・・・と思っていたが、新型コロナウイルスはちょっと違うようだ。少なくはなったものの感染者のニュースは世界中を席巻している。東京も来週あたりから雨が多くなってきそうだ。雨がふればジメジメした曇り空の中を歩くようになる。コロナ禍で曇り空となればもっと気持ちが滅入ってくるのではないのだろうかと思う。せめてコロナ禍も収束してはくれまいかと思う。

 とはいえ、政治の世界も少しも晴れるようすがない。最近読んだ新聞のコラムがうまいことをいっていた。内容は安倍首相のことだった。
 「責任はすべて私にあります」といった首相であるが、その言葉通りもおごとが全然すすんでいない状況を読んだものだ。「検事総長定年問題」では今回の定年延長の法案は当の本人が「賭けマージャン問題」で時の人になってしまったけっか、見送りとなった。その後「辞職」をしたがその扱いが「訓告」で終わったこともあって「責任はだれにあったの?」という疑問は払しょくできないまま進んでいる状況だる。検事総長になるほどのエリートである。退職金はマンションが現金で払えてしまうほどあるのだからすごいものだ。ついぞ妬んでしまうほどだ。しかし犯罪者には変わりなないわけだからなんとなく、不条理だなーと思う。

 「モリカケ問題」でも一つも進展していない。自殺者もでたたりして、まさに「藪の中」状態である。それにも首相の奥様の名前が理事としてあったりしたものだから問題になっているのだけれど「責任」はどこ吹く風になってる状態だ。最悪なのは、すでに飛んで行ってしまったかのような雰囲気さえつくっている。これまの7年間の首相生活を棒にふらないためにしたいのだろう。
 みんな梅雨雲のなかにはいり混んでいるようになってしまっている。ジメジメして乾いていない。
 ときおり晴れるいっときに思いきりふとんをんどをほして、お日さまのにおいをかぎたくなる。そんなにおいないのだろうけれど、そう思い込んでいたいのが人情だろう。6月は、そんなことを思いながら日々をすごすことになるだろう。世の中も少しは晴れ間をつくってほしい気がするよ・・・。


  来週は6月にはいります。はやいものです。
 コロナ禍も5ヵ月目に突入しようとしています。こうしてあまりにも長いと生活パターンも変わってくるのでしょうか。だからこれまでなかった、テレワークやらオンライン飲み会などが出てくのでしょうか。政府のいう「働き方改革」ではなく、本当に働く人のための働き方が一つひとつ検証されてくることになるのでしょうかね。
 そこでは、今まで政府のいってきたことが「本当かウソか」ということも実体験で問われてくる時期にもなっているということでしょうか。

 「緊急事態宣言」の全面解除で学校が開校されてきて、会社もようやく規模を小さくしながら「入社式」もはじまる月になるのでしょうか。ながいあいだ「すごもり生活」からの解放・・・となるのでしょうか。
 それでも、これまでのコロナ禍での生活や経営が「自粛」によってどれだけ影響をうけたかを検証して立て直せるのか、政府のいってきたことが本当に現実にできるのか試される時期になるのではないかと思います。これまでのツケをどう納得いく形にするのかも注視していく月になりそうです。
 とはいえ、できることはマスクを着用の生活はつづきそうです。
 スポーツも学校も少しずつ解禁されて、世の中がもとに戻っていくのでしょうが、本当にそうなるかはこれからのことでしょう。

 今月はお疲れさまでした。
 6月もボチボチはじまります。
 それでは今週はこの辺で失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。
 


「緊急事態宣言」が解除されそうですが・・・

2020年05月24日 | Weblog
  こんにちは。
 少しずつ夏らしくなってきました。雨がふると、梅雨間近を感じさせる日々もあります。近所の軒先に巣をつくりツバメも育児を本格的にはじめているようです。季節の空を空高く飛ぶようすは気持ちがよさそうです。

 自転車を乗ることも少なくなった。
 最近は、自転車より歩くほうになった。それは、老いてくるとゆっくり歩くことで自分の体調をみつめているからだろう。そして、通りすぎていく景色をもっとゆっくり見たり、さわったり、においをかいだり・・・と「寄り道」のような散歩が多くなったいうことなのだろうと思う。自転車では見過ごしてしまうような珍しいものを発見できるからかもしれません。

 自転車といえば、子どもの頃は唯一の交通手段でもありました。歩きより遠くまでいけるし、電車やバスを乗る小遣いも必要ない。ちょっとした遠くの友だちを訪ねることも多くした乗り物であったように思います。そして何よりも学校へいくときも(中学生)よく乗ったものでした。故障はだいたい自分で直していたように思います。パンクくらいなら、ノリとチューブの切れ端をさがしてきて、洗面器と見ず空気のぬけたチューブをだして水の入った洗面器のいれるとあぶくが出てているところがパンクの原因・・・。そこを乾かしてチューブの切れ端にノリをつけて貼る。乾いたたらもとに戻す・・・とう具合で修理していました。それが、最低できることじゃないのでしょうか。

 いまさらと思うのだが、自転車で通える会社通勤が理想だなと思う。会社生活40年近くのなるのだが、都内でも下町の方では自転車で出勤するようすを多くみかけることが多い。私の通勤する会社でも地元の人が多いせいだろうか、自転車通勤の人も多い。いつも「うらやましいなあ」と思いながらあいさつをする日々である。
 そう思うのは、今回のコロナ禍の中では、自転車通勤であればどれだけ安全だろうと思う。勤め人がいちばん注意するようにいわれた「三密(密閉空間・密集場所・密接場面)」のすべてを避けることができたのだろうと思う。通勤電車のなかは、まさにコロナウイルスが大活躍しそうな空間でもあるはずだ。車内でもそれぞれがマスクをしてできるだけ一方方向の姿勢でいるのは、それぞれの小さな対策なのだろう。
とはいえ、これからは人と人の距離をとりながら生活は当分つづくのだろうと思う。さらに、人と人の距離だけではなく、住居と職場との距離も大事になってくるのではあるまいか。子どもがいる人などはなかなか会社に安心して来れるような距離とかも大事だろう。日本は狭いのでなかなか自転車で通えるようなところはむずかしいだろうが、それでも近くがいいに決まっている。地方の時代とはよく聞く言葉だが、本当に地方に予算がいっているのだろうか。
そんな気がした。
 前 略
 ご無沙汰しております。お元気なご様子、何よりです。
過日、ご丁寧なお見舞のお便りありがとうございました。
 〇〇君のところでは、コロナ禍がないようで何よりですね。
 東京ではもうじき「緊急事態宣言」は解除するそうです。家族はおかげさまで感染せずに生きています。
 2月ごろから、職場でもコロナ禍の影響で「テレワーク」や「自宅待機」の日々が多くありました。ぼくの方はもっぱら、公休日以外に1~2日程度の「自粛・待機」休みで送っていました。通勤電車も通常よりも混雑はありません。コロナ禍前の大混雑のなかの通勤はいったい何だった…と思えました。

これからは、地方では豪雨などの甚大な自然災害、都市ではコロナのような新型感染症の災害が多くなってくるのかもしれません。そして「コロナとの戦いはではなく、共存する工夫のある」社会の仕組みがつくられる時代になってきたということではないでしょうか。400年ほど前にペストを経て、ここ50年の間、サーズ、エボラ、エイズ、など感染の危険を感じる日々が多くなっているようです。今回のコロナの次に何がくるのでしょうか。
 草々  
 ※「お見舞い」の返事一部抜粋でした。

 コロナ禍によって、手紙も多く書くような時期になったのではないのでしょうか。最近、遠くの友人から「コロナ禍見舞い」のはがきが届いたりもしました。日本全国すべてが新型コロナウイルス感染の影響があったかといえばないところもあるようです。それは、人口密度がとても小さい土地ではないようです。そういえば、ロンドンでペストが流行したとき、金持ちはもっぱら田舎に疎開したということを『ペスト』(ディホー著・中公文庫)で書いていました。感染症が流行するといち早く「逃げる」ことが唯一の方法は、昔も今も変わっていないようです。
 逃げる経済的な余裕がある人はいいけれど、逃げる場所もなければ、そこのとどまるしかない人のことを考えた政治が為政者の責任だったのではないかと思います。
 近々、「緊急事態宣言」の解除にむけた動きがあるようです。こんな時、やはり為政者がいかなる方法を持って人をまとめようとしてきたのかが問われます。なによりも大切なことは、弱者の救済でしょう。それが本当にできたていいあtのでしょうか。税金を納めただけ救済してくれているのでしょうか。まだまだ、さらなる支援が必要としているところはたくさんあるのでしょう。韓国のように軍事費を一部減らしてまでも、コロナ禍後の復旧に力をいれる為政者がいちばん大切だと思います


 週末、新聞日曜版に「緊急事態宣言」の解除がせまってきたと報道されていました。その一番の理由は、感染者が一桁になってきたことなどが上げららるそうです。この間、多くの雇用関係者が失業に追われたという記事も多く読んだ。さらには、小さな会社などは、従業員の手配がつかないために操業困難にあり倒産したところも多いという。

 まもなく東京では「緊急事態宣言」の解除宣言がきけるだろうというニュースがあった。2月末ごろからこれまで、つねに「自粛」をしながらの日々だった。空を見上げるたびにツバメが、「自粛」など関係なく飛び交う様子がうらやましい限りだった。
 解除されて思い出すのはカミュの「ペスト」の最後の方のシーンだ。夜空に花火があがり、川や海にその光が波紋となって人々のうれしさが、地上と空に響いているようにも思えた情景があったのだろうと想像できる。
 そして東京では。いつもと変わらないようだ。誰もがうれしいということを表現することを忘れてしまったようだ。あるいは、人々はこれまで感染拡大を防ぐために行われてきた為政者を信用できなくなってしまったせいだろうか。少なくともカミュの「ペスト」のようなとはいかなくても、うれしさがみられない。
 それもそのはずで「第二波」「第三波」があるかもしれない・・・という宣伝もあるからだろう。少しずつ、周りの景色も変化してくれば「解除」も意味を持ってくるのだろう。
 過日、地方の友人から「コロナ禍お見舞い」のはがきがきた。地方では、それほどコロナ禍の影響は受けていないらしい。そして、「自粛」するほどでもないということだ。
 都会いう便利なところは、便利さゆえの「リスク」がいつもあるとは思うが、今回かぎりは、「ちっとも便利ではなく、何につけ怖い場所」に思えていた日々だった。
 本当は地に足をつけて、土にまみれて作物を育てている知人のほうがよっぽどいいと思った。

今週はこの辺で失礼します。
読んでくれた人、ありがとうございました

「緊急事態宣言」の延長をうけて・・・

2020年05月17日 | Weblog
 こんにちは。
 毎日が少しずつ暑くなってきました。通勤路でもツバメの巣が完成したようです。季節は初夏にむかっているようです。半そでの人も多くみかえるようにもなってきました。沖縄のほうでは、すでに梅雨に入ったようです。雨の多い日が近づいているようです。

 気候も暑くなっているころ、「緊急事態宣言」も解除されるところも出てきました。私の住む所で、まだまだ延長されています。2ヵ月ほど前に比べれば、感染者の数は日々少なくなっているようですが、「油断は禁物」ということなのでしょうか、大都市圏は「延長」になっているようです。実際、通勤電車の乗客が日々、増えていっています。いずれ、混雑がもどってくるのでしょうか。そんな日々が戻ってくるのかと思うと、ゆったりしている車内があたりまえになればいいと思うのです・・・現実が戻ってくるようです。
 少しずつ、コロナ禍まえの日常が戻ってくるのはいいことなのですが、その反省のなかに日々がつくれることができるといいのですが・・・ね。



 今週、「再雇用契約」の更新がありました。毎年のこととはいえ、「あと何年働けるかな」と思っていた5年前。「早いもんだ」と思ってしまいました。
 そして今年が最後の契約だそうです(年金も65歳から満額支給年齢までの間の「再雇用」でした)。来年はどうなっているのやら・・・と思った週でもありました。
 正直「早いなー」と思えました。この5年間で知人、友人がなくなっていきました。身近な人は3人、仕事関係は1人と年齢を考えてしまいました。その中には、入社以来、趣味もおなじで山歩きに行った人もいました。懐かしさもありますが、この年になると悲しみが身にこたえる年齢になってきたように思えます。

 定年後が「悠々自適」な生活を送っている人もいるということも聞きます。けれど、私の周りの人はほとんどの人が、いまだに働いている人が多いようです。「今年辞めようと思ったが、職場の人が次々に転職していってしまってやめられなくなった」といって残っている人もいます。これまで、世話になった職場ですからやめるにやめられず、「もうちょっと」という人もいました。コロナ禍によって、テレワークも増えてきたこともあって、自宅でうまく仕事を続けている人もいるようです。でも、テレワークができる人は正規社員です。再雇用者はいまだに時間をずらしながら「命がけ」で通勤しているような状況です。そんななかで、コロナ禍の機会をもって辞めていく再雇用者もいました。「元気なうちに辞めたい」というのも確かに考えることです。

 さて1年後。少しずつ考えながらの日々になりそうです。
 確実に「老い」が近づいています。「人生100年時代」なんていうことは、私には雲の上のことばです。これが現実のようです。


 お元気ですか。
 日が延びてきました。うえれしいことです。とくに、仕事が終り帰りのバス停でバスを待っているとき明るいことには感激するほどです(単純ですが)。
 やっぱり、日の短い冬の暗いバス停より明るいほうがいいに決まっています。
 自然はちゃんと、私たちに季節の変わり目を感じさてくれているようです。
 今、休日にはコロナ禍の影響でしょうか、車や人の姿の少ない早朝などは、鳥の声が散歩道いっぱいに聞こえてきます。とくにウグイスはとてもきれいに聞こえています。
 そんな中でもコロナ禍によって感染者の不幸を多くきく時でもあります。さらには、職場がなくなった人や解雇などがこれまで以上に働いている人にとててゃ厳しい世の中になっています。コロナ禍後のこともまだまだたくさんのことが、人類を苦しめるのかと思うと悲しいことばかりです・・・。
 季節はさわやかな日々があるのですが、現実はまだまだ厳しいようです。

 さて、そんな中くらい話題ばかりです。私の「再雇用」もあと1年で終わりになりました。65歳になれば、法律的には年金が満額となります。まあ、私の場合は、これといって重要な仕事をしているわけではないので引き留める人もいないでしょうか。少し不安です・・・。その後のことを思うと、「悠々自適」とはいかないようです。

 そんなときにです!、国会で検事総長の定年延長が問題になっていますね。検事総長となれば、相当重要な仕事ですから引き留める人も多いのでしょう。それが、総理大臣とくれば、それはとてもいい話でしょう。
 検事総長といえば、犯罪などを捜査するうえで「正義」を行なえる最後の砦でもあるのでしょう。とくに、大物の犯罪者への捜査・逮捕を指示する役割もおおきいのでしょうか。私の記憶によれば、田中角栄元首相逮捕の政治家もからんだ「ローッキード事件」や「リクルート事件」などの逮捕にハンコを押す責任者でしょう。

 時の政治的圧力にも屈せず、「正義」を実行するための仕事なのでしょう。
 いま首相が、そんな重要な人物を「定年延長」をさせる理由は、誰でも考えることは同じでしょうか。最近の政治状況をみれば、「桜を見る会」「森友・加計問題」さらに「自民党の河井案里参議院議員の陣営による選挙違反事件 」など、どれも解決していない問題が多すぎるなかで「定年延長」ですから、とくに問題と考えてしまうのでしょう。いちばんの問題は、権力者が法律をわが意のままに行なうという行為でしょう。検察庁は独立していて、その行為の善悪を法律と照らし合わせる機関でしょうかから、困って事態になることは必至です。
 これまでの政府のやりかた行けば「強行採決」も辞さないことを思えば、まさに「独裁政治」でしょうか。

 今回の「定年延長」ということがとてもいやな形でつくられることを見て、誰でもが思う「仲間意識」をつくっておきたいということなのでしょうか。最悪のは、人事が「有能さ」より「仲間意識」のほうがいいのは人情と思います。事実、どこの職場でも「適材適所」ではないと思う人が昇進していることもあるのでしょう。それと同じですが・・・。
 それでも、ことは国の問題。その大小はあるにもかかわらずそれを出してくる政治家の考え方の問題もあるのでしょうか。元をただせば、公私混同していることが多すぎる世の中の問題。誰が、何のためにこうなっていうのか全くわからないようです。その解明の答弁も、法相の説明も理解の得られるものにはなっていないようです。

 などなど、コロナ禍の下、来年はどうなるのか・・・。少しずつ整理して新しいことをやる気持ちでいくしかありませんかね。とりあえず、目の前の仕事に誠意をもって丁寧に、そして健康に気をつけていくしかありません。
                           早々 5.16


 「緊急事態宣言」は延長されました。この緊急事態宣言は二つあるそうです。一つは今現在進行中の「コロナ禍」によって出されているもの。もう一つは、東日本大震災で福島第一原発事故によって放射能汚染によって出されたものだそうです。どちらもいまだに解決できていません。原発事故に至っては、原発の放射能汚染水の処理もいまだに解決して状況です。そして、「緊急事態宣言」でいまいちばん気になっている言葉は【ソーシャルディスタンス】ということ。
 内容は「人から人へうつる感染症の拡大を防ぐために、人同士の距離を大きくとり、密集度を下げること」だそうです。「コロナ禍」では、命にかかわることになっているので重要なキーワードのようです。 これは、なんにつけ、人との距離をとれということなのでしょう。重要なことは、人の口から飛沫だそうです。コロナに感染している人の飛沫によって、人にはいるウイルス。そのことによって抵抗力がない人は重傷になること・・・。

 とはわかっているのです。でも、最近はでは人と人の距離が少しずつ狭くなってきています。それは、個人の努力で限界という実態です。
 例えば、通勤電車の中。時差通勤している人もいるでしょうが、大半の人は自分の時間帯で通勤します。そのとき大混雑しているなかに身を置くことになります。さらには、駅のホーム。自動販売機が多く、人のいるホームは限られてしまいます。
 新宿駅の移動するときなどは、構内に出店が多くなって人の流れは一定になってしまっているのでは思います。そのために、密接になってしまっているのです。
 だいたい、人はこのコロナ禍の下ではマスクをしたり、人との距離を多くとっています。いわれまでもなく、だれでも自分に身を守る最低限のスベをつくっているのです。それができなくなっているのは、人が通るべき道に物をおいたり、出店をだしたりとすることなのでは思えます。
 少しずつ「緊急事態宣言」がゆるくなっていくなかで、こうした現実は元へもどりつつあります。毎日、通勤して思うことです。


 「再雇用」も今年で最後ときいたときは、少しは落胆しました。ながーい仕事人生も終わりつつあると思うと、短いように思えました。そんななかで、いったい私は何をしてきたのだろうか・・・と思いました。世代交代が進む中、人が仕事をして生きていくということはいったいなんだろうとも思います。

 新聞の「人生相談」という記事を読むのが好きなのですが借金生活で、気がつけば50歳、非正規。いったいこれからどうすればいいのか。今までの苦労はいったいなんだろうか。やっと借金を返済して楽になったはずなのに「つらい」と思えてしまう自分が悲しい・・・という内容でした。

 その返答としてこんな内容がありました。
「確かに借金返済はたいへだったことだと思います。しかし、その借金のおかげで、頑張っていられた自分があったのだし、今があるんだということを大事にしてくださいと・・・さらに、人間は過去のできごとからしか未来はつくれません。そう考えると、今の自身があるのはちゃんと返済が頑張れたということができたからです。もっとこれからの自分を大事に、そして自分のために人生を送ってください」と。

 この記事が何かのヒントになるように思えました。
 休日、久しぶりに多摩川に散歩に行って来ました。行って驚いた・・・。散歩する人、ジョギングする人、サイクリングする人と大勢いたのにはびっくりしました。それでも、広いところだからでしょう。皆さんそれぞれ楽しんでいました。それもそうだねー。自粛で運動不足。休日くらいは体を自分のために動かしたいですよね。空高く、ヒバリが飛んでいました。やっと、初夏らしくなってきたと思えたいちにちでした。それでも『こちらは・・・新型コロナ云々』という放送が聞こえてきました。

 とりあえず体を大事にがんばっていきたいものです。老いてどんなことができるのか少しずつ模索が必要になってきました。では今週はこの辺で失礼します。
読んでくれた人、ありがとうございました。

5月・・・連休あけても、コロナ禍はつづくのですが・・・

2020年05月10日 | Weblog
 こんにちは。
 5月も半ば。初夏の風を感じるころになりました。新緑のなかをぬって散歩やサイクリングやらやりたい季節になってきました。ときどき見かける巣作りをはじめたツバメをみていると夏はすぐそばに来ているようです。

 とはいえ、いまだの新型コロナウイルス感染はつづいています。「緊急事態宣言」は延長されたところです。さすがに今年の連休中でも高速道路の渋滞やら、新幹線の大混雑やらの様子が今年は見られませんでした。それもそのはず、人の移動が「自粛」によってなるべく動かないような生活だったからでしょう。これが、いまできる唯一の方法なのでしょう。
 それにしても2月から5月まで4ヵ月になります。学校も休校となっているため小学校や低学年の子どもをもつ親は大変さはまだ続いています。私の身近なところでは、親の介護をしている人も介護施設の閉鎖などで、会社を休んでいたりもしています。これまでのことは、初めての経験のなかで動いていくように思います。

 まだまだ続きます。


 5月の連休はめずらしく快晴の日が続きました。こんな年に限って・・・と思いながら過ごしたゴールデンウィークを過ごしていました。どこへ、いくでもなく近所を人知れず散歩をする日々でもありました。幸い、私のところはビルより木々が多い土地柄なので新緑をながめながらできました。
 あきらかにこの連休はコロナ禍を意識せざるを得ないものでした。散歩のなかでもお互いが、何かけんせいしているようにして歩いていました。これが、ソーシャル・ディスタンス?ってやつなのでしょうか。

 政府の専門家会議はこれからは「新しい生活様式」のライフスタイルが必要だといっていました。こんな事態では新生活もクソもないと思っていました。要は、感染症にとくに注意する時代だということでしょうか。新型コロナ禍は仕事を奪い、会社が倒産し、日々の生活もままならない中で「新しい生活様式」もないものだ。もっと大事なことは、生活基盤である労働現場の体制づくりでしょう。できるだけ、非正規を少なくすることや、危機状態のときなどの補償など厚くすべきことなのでしょう。要は、ほとんどの人のが働きながら続けられる育児や介護などをもっと真剣に考えるときなのでしょう(今年の「子どもの日」の子どもの人口が少なっているとなっています)。

 今回突然の災難で「自粛」を余儀なくされながらどうにか、テレワークや自宅待機などでしのいできたわけです。マスクが消えて…、手作りマスクを作ったり、善意でこころやさしい人からもらったりとお互いが助けあってきました。小さなころは、政府の役人より市民の共同意識のほうがよっぽど助かることもありました。そして、「どうにかなるもんだ」ということも思いました。
 でも、限界があることはわかっています。だから、政治はもっと身近にするように、バックアプの政治をやってほしいと思います。「10万円支給」もいろいろもめたことを考えると、これからも大変です。とくに日本は災害の多い国です。
 そんなことを思えば、基本はどこでも働く人をもっと手厚くしてほしいものです。予算の立て方も、ちゃんとしてほしいと思います。
 ウイルスは毎日、私たちの日々を一緒に送っているものです。そのウイルスが、人間によって害をもたらすものか、それとも成長するために必要なものかあると思います。いつ、どんなときでも災害に転じても不思議ではありません。そんなことを思うと生活基盤の(職場・医療・教育など)などをしっかりしてほしいものです。
 季節の変わり目に、その季節の空気をおもいっきり吸って笑える季節が少なくなってように思えます。

 お元気ですか。
 連休があけて通勤電車が混雑するのかなー?と思っていましたが、あいかわらずゆとりのある車内に安心しました。これも、いまだに続く「新型コロナ禍」下での毎日のようです。5月連休あけで、会社ではどんな様子であったのでしょうか。
 私のところでは、「まだまだ、新型コロナの影響は続きます。そのことによってお客様はその対応で追われている状況のようです。できるだけお客様にそった対応をしてほしいと思います。さらにはこの機会に、そんな中でできることをお願いします」などの挨拶がありました。

 わたしはこんなときだからこそ、今までの仕事をちゃんとできる態勢をやるべきだと思えましたが・・・。これまでやってきたことを抜きにして、現在はないでしょうし、明日もないでしょう。できれば、これまでやってきたことをもっと確実にやるべき態勢が会社には求められるような気がします。それほど、いい企画などいらないと思います。大事なことはこれまでやってきたことを、もっと確実にできるようにすることだと思えてきました。コロナ禍で、テレワークや自宅待機などを半強制的にやるようになってしまったのは、私たちだけでなくお客も同じだからです。そんなとき、新しい企画ではないでしょう。まずは、「確実性」が大事なように思いました。そして、お互いが安心できる共用範囲がつくれたら「新企画」でしょう。

 不思議ななのですが、こんなときでも仕事ではあの手、この手の工夫をしてやっています。「自粛」のなかやれば出来るもんだ・・・と。とはいえ、これはあくまでもその場しのぎの工夫です。大事なことは、これがたやんとこれからできることだと思います。今は「準備段階」なのかもしれません。
 つくずく、仕事が大事だなーと思っているのが不思議です。それほど、仕事が好きではないのですが。少なくとも、悲しいけれど人間関係は大事です。
 再雇用になってつくずくそう思う日々になっています。
早 々  5.9 


 
 今週も新型コロナで明け、暮れていきました。
 正直、明日をも分からないなかで過ごしているという現実はとてもつらい日々でもあるのでしょう。特に、住んでいる都市が最悪の状況をみるにつけ危機感はつのるばかりです。誰にでも感染するリスクはあるのですが、人口が密集しているところの確率は高いことも現実で、すなおに受け入れなくてはいけないのではと思います。きをつけねば・・・

 連休の間は、「自粛」ということでどこへも行かず・・・ではなく、体を動かすために近くの都立多磨霊園を歩いてみました。主に文学者のお墓を探しては散歩をそていました。それぞれのお墓を見ていて確かに作品も読んだことのある作家の面影を残しているものもありました。それぞれ生きていた時代に読んでいあたらまた違った感想を持ったのでしょう。そういえば、同じ時代に生きている作家の作品をあまり読んでいないことに気づきます。
 あとふどれだけ読めるのだろうか? と思いました。



 では、今週はこのへんで失礼します。
 また、きびしい一週間がはじまりそうです。少しはいいニュースを見つけていきたいものです。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

新型コロナ禍のなかの5月突入しました。

2020年05月03日 | Weblog

  こんにちは。
 毎日が少しずつ温かさから「暑く」なってきました。5月にはいり、季節は着実に初夏のようすになってきたことに気がつく連休になっています。5月の連休になってその暑さも肌に感じるっくらいになってきました。この、時期天気に気づかいながら「衣替え」の準備がはじまるようです。わが家でも、陽射しのつよい日には奥さんが冬物と夏物を入れ替えはじめていました。季節の変わり目に身にまとうものが身軽になっていくのにはありがたさえ感じています。いつでも、人は過ごしやすいことを工夫しながら一年を送っているようです。陽射しの強くなっていく今ごろから、日の出もはやく待ち遠しいものです。
 ふと、「こんな温かさが一年中つづけばいいなあ」と無理を考えている休みでもあります。

 今年のゴールーデンウイークも半ば。新型コロナ禍で日本中が「不要不急」の外出の「自粛」が宣伝され静かな日々になっているようです。毎年高速道路の帰省ラッシュの渋滞の映像もみることもなくなりました。この時期、地方の春のお祭りもほとんどが「中止」になっているようです。今年は、私の住む町のお祭り(くらやみ祭り)も「中止」になっていました。毎年、それほど注意して見物しなかったお祭りでしたが、中止になってしまうと寂しい限りです。なんともわがままです。
 通常であれば、この時期町の角々にお祭りの「待合所」には昼間からお神酒を飲んで笑顔の人たちの見られないは残念なことだと思います。
 おそらく、この時期、帰省を楽しみにしている人の中には、こうした地元の昔ながらのお祭りを見たり参加することを楽しみにして人も多かったことだと思います。
 残念です・・・ね。



 2月末頃から始まった「新型コロナウイルス感染」がおとろえもなく、日々感染者増となっているなか「不要不急の外出自粛」ということが続く日々です。
 そして5月になりました。
 依然としてその脅威はあります。その間、職場では「自宅待機」やら「テレワーク」という日々がつづいています。わたしはいまだの「自宅待機」という名目で4月は土・日曜の公休日以外に3~4日間の「自宅待機」の日々を送っていました。自分の担当する仕事は電話連絡での対応でした。当然、お客もテレワークという形をとっており、連絡やメールは本社プラス個人宅までメールや電話などで連絡する日々でした。ところで、世間でよくいうわれる、セキュリティー ということに関しては個々人に任せられている状況のようです。突貫工事でつくりあげたテレワークの実態はこんなものなのでしょうか。それでも、どうにか一つの印差物ができあがっているわけです。考えれば、手元の材料でどうにかできるものです。

 さて、職場では、できる範囲でのテレワークということから、会社でも本腰をいれてテレワークが現実味を帯びてきました。それぞれの職場できること、できないことなどがわかってくるなかでのことでした。次にでてくるのは、人選ということになります。まずは、子持ちで共働き・・・ということが優先されたようです(すでに頭から契約社員や派遣社員ありません)。
 その流れのなかに職場ではどんなことがでてくるのでしょうか。テレワークをやりたくてももれた人に対しての了解はどうとっていくのだろうかと思います。確かに、この新型コロナ禍によって多くの人たちにも影響があるのは確かです。持病を待つ人もいるだろうし、親を介護する人もいます。それぞれの家庭環境があるなかで、どう進展していくのだろうかと思います。

 などなど、5月の連休明けからそんなことが誰の心のなかにも「わだかまり」があるのでしょう。そのことをどう解消していくのか・・・が連休明けから新しい仕事になっているかもしれません。少なくとも、経営者側である管理職がテレワークをやれる状況ではないことは確かなことだと思います。
 ちなみにこんな形で「働き方改革」の「テレワーク」が実施されるとは皮肉なことです。これはこれでまたいろいろな問題がでてくるのでしょう。
 ひとつに一日中家にいることになって、仕事のメリハリがないことや、テレワークでの残業などについてのことが新聞記事になっていました。さて、どうなるやら?


 今年の春先、花粉症対策でマスクをいちはやく買っておいたものを利用していた。ところが、新型コロナ禍によっていまだにマスクが手ばなせない日々になっていました。今年はじめに買っておいた一箱(50枚くらい)の価格が6~8倍の値上がりにも驚きました。一時は、まさに品薄になって「闇市」ばりの10倍ほどになっていたときはさすがに驚きました。なんとも、ウイルスより人間のほうが怖い・・・。

 今回の新型コロナウイルスは接触感染によって体にはいることを避けるものでした。人ができることは、人と人との接触をなるべく避けることや、人が集まる場所も避けるなど、要は人間がウイルスを拡大していくものになっています。そして、このいちばん必要になっているのは、あきらかに新型コロナウイルス感染した人を救おうとしている医療現場。マスクにかかわらず感染防止を防ぐための医療用の着用物、それにまして感染者を治すために病床や病院が少ないということが聞かれます。私たちのできることは、できるだけ病院に運ばれないような日々でしょう。

 とうとう、マスクも足らなくなることを考えて、つくり始めてました。
 通勤時のときとと職場でのマスクを使うことを考えた結果のものでした。作ったものは機能的には、販売されているマスクにはとうてい代わりにはなりません。それでも少しでも、医療現場と私の経済的負担を減らすことも考えてのことです。


 お元気ですか。
 毎年楽しみにまっていたゴールデンウイークがやってきました。今年は私の生涯、史上初の新型コロナ禍中を送っています。連休明けには少しは終息のきざしもと期待しているところですが、わが町の感染者数をみると少しも減る方向にないようです。政府の「緊急事態宣言」なるものが延長されたこともうなずけるところです。

 とはいえ、どうにかこんななかでも4月いっぱい通勤していました。そしてこれまでに経験したことない平日の日々もありました。
 一つには、常時異常とおもえるほどの混雑ぶりの中央線がなんとも間の抜けたようにすいていました。これも、コロナ禍がつくりだした景色なのかと思います。
 そんななかで新型コロナ禍でなくともいつもこんな景色があれば今回のようなことがなかったのではないかと思えました。それは、人はそれぞれ尊重し合いながら距離(心も)をもって、過労死をつくらないほどの働くこと、さらには人が暮らせないほどの海や山の自然破壊、環境汚染をしないことを新型コロナウイルスが発信しているように思えたことでした。

 それでも新型コロナウイルス感染拡大が一日も早く終息してくれればと思うことはかわりません。これまでの生活の真逆の生活がたくさんの思いや問題を提示していることはあらためて、いまの日本の姿だなーと見えます。
 事実、新型コロナウイルス禍によって多くの中小企業や旅館業界などは倒産が報告されています。私たちを楽しませてくれた、美術館、図書館、演芸場など閉鎖され、それに従事する俳優や芸術家が発表の場がもてなくなって、さらには収入がなくなり疲弊しているとの記事もあります。

 これまでの日本のすべてが都市、町、村などをすべての路地うらまでの生活が問われているような日々にも思えました。世界では、少しずつですがコロナ禍後のうごきも出てきている様子です。完全に消滅しないのがウイルスです。どこまで一緒に共存できるのかがこれからの目安となってくるのでしょうか。それと薬の開発でしょうか。いずれにせよ、体を強くすることが大事な日々です。それにともなうひと工夫もこれまでにないものが求められそうです。
 あと、少しでも連休も終わりになります。こんな中でも少しでも楽しめたものがあったのでしょうか。そんなこと思います。
                       早々  5.3憲法記念日の日に  

 気がつけば今日は5月3日「憲法記念日」でした。すっかり、新型コロナで支配されていていました。憲法が施行されて今年は73年目だそうです。普通であれば、この日は、どこかで行なわれる憲法記念日の集会か講演会にいっていることだと思います。そしてこれまでの憲法の歴史やのあり方を気がつかされる一日になったのだと思います。
 新聞記事に「緊急事態条項」を憲法に盛り込むようにと自民党内での動きがあると報道されていました。(全国世論調査:毎日新聞によると「賛成45%、反対14、わからない34%」)でした。数字はともかくも本当に今の憲法を変える必要があるのだろうかと思います。そもそも憲法は、市民そのものに関する法律ではなくて、為政者(政治権力)にたいするものさしとしての法律ではないかと今まで考えていました。だから、市民生活に為政者が憲法に則って政治を行なっているかを確かめるためのものだと考えています。常に政治家は憲法を基本に法律をつくり実行していくことが望まれています。憲法には市民の義務(三大義務=教育・勤労・納税)に対して市民の権利(国民主権、平和主義、基本的人権基本的人権)をちゃんと保障しているかを確かめる法律だと考えます。人々の生活の権利が守られていなければ、市民は国(為政者)にたいして、「憲法〇条〇〇」が本当に守られているのかと質すものだということではないかと思います。

 だから、国(政治権力)が自分たちの縛る憲法を変更しようとするということは、いろいろな理由があるとしても何か、「まずいことがあるのか」ということを考えてしまいます。とくに、憲法の9条の平和主義がとりあげられます。憲法には「戦争放棄」を謳っています。それを変えようとすることは、戦争への足音も聞こえてくるということを感じるということだと思います。要は、武器を増やして予算をつくるということはは決して生活がよくなるわけがありません。
 いま、憲法改正を論じるより、新型コロナウイルス禍をどう終息させていくのか、さらには働くことがでいなくなった人たちをどう働けるようにするのか政治をやっていくことが大事だと思う。公園も会社も、病院もまともに機能するようにすることが大事なときでしょう。


 2月末からいままで、スポーツのライブ放送もないなかで過ごしてきました。プロ野球はサッカーはいつ開催できるのだろうかと思う日々です。生の放送は唯一ニュースくらになりました。「不要不急」の外出も「自粛」ということもあり、けっこう本を読んだりテレビも見る機会が多くなってきました。テレビ放映は撮影ができないから昔の再放送を多くみていたようです。
 こんなことは「不安」にはいらいと思いますが、いろんなことが起きて、不安が増大したりしたら、パニックを生み、さらには絶大な権力の登場・・・となっていくのがこれまでの歴史が繰りかえされるともなりかねないです。

 最近、「20〇〇放映・・・」などという放送をみていたら「この年度は何をしていただろうかなー」と思うことが多くなりました。放映される登場人物のなかには、すでに亡くなった人も多くいました。映画ならともかく、ドラマもそういうものが多い日々です。「この俳優こんなこともしていたんだ・・・」という発見もありました。

 で・・・、私がいま再放送するのなら見たい番組はと思ったら山田太一さんの『ふぞろいの林檎たち』をやってくれないかなーと思いました。俳優の中井貴一さんや柳沢慎吾さんがいききしていたドラマでした。それぞれの働きながら悩み、苦しみ励まし合ったあの青春ドラマが好きでした。わたしも、同じような世代だったので一緒に悩みながら、楽しくみたように思います。なつかしい・・・です。
 そう思いませんか。

 などなど考えいた連休です。みなさんはいかがでしたか。
 それでは今週はこの辺で。『緊急事態宣言』が月末まで延長されました。まだまだかなー。感染しないように、ともにがんばりましょう。来週にはもう働いています。
 では、読んでくれた人、ありがとうございました。