こんにちは。
いつの間にかアジサイが咲いていました。
コロナ禍も猛威をふるった当初からみれば少しずつ緩くなってきたようです。それでも、世界中では、いまだに落ち着きをみせず、これから感染の激増が心配されるところもあるようです。日本でも、全面的に「緊急事態宣言」が解除されましたが、第2波、第3波が心配されているようです。事実、インドなどは感染者が増え続けているとのニュースがありました。とくに、貧富の差が強いところの貧しいところでは感染が増える模様です。
そんななかで今週、29日、ブルーインパルスが、新型コロナウイルスに対応する医療従事者に感謝を伝えようと都心上空で編隊飛行を行なっていました。とくに、病院の屋上に集まった医療関係者が空に描かられたスモークに手を振るニュースが感動的でした。(涙がこぼれるほどジーンとした)当日は天気もよくて、青い空に6本のスモークが「勇気」というのでしょうか「感謝」でしょうか、とても印象的でした。
記憶に間違いがなければ『七人の侍』という映画のシーンを思い浮かべてしまいました。野武士たちの襲来から村を守るために、七人の侍と百姓たちが戦い終え、多くの犠牲者が出てぼう然としていたシーン。屋根の上にたてられた手作りの旗を生きのこった人たちが全員が、その一点を眺めているシーンです。これは、戦いつかれて、多くの犠牲がでたがまた前を見て頑張ろうという暗示があったように思います。
ブルーインパルスのスモークと『七人侍』の雨風になびく旗への思いがきっと同じだったのではなかったのではと思えました。どんな言葉よりも、感動を与えていたように思えました。
今月も終わりです。はやいものです。とくにコロナ禍のなかに生活するようになってなぜでしょうか時間が早く過ぎていくようにも感じます。毎日、緊張しているから一日のおわりは疲れてしまっていているかでしょうか。もう4ヵ月にもなるのでしょうか。毎日、コロナ禍のニュースから始まり、感染者の数を聞きながら終わる日々でした。
今回は「食肉偽装」のかかわる刑事の物語と「ロビンソンクルーソー」で有名なディフォーが書いた「ペスト」を読んでみました。どとらも、生きることへの工夫などがよかったと思います。
〈 書籍の内容 〉
警視庁捜査一課継続捜査班に勤務する田川信一は、発生から二年が経ち未解決となっている「中野駅前 居酒屋強盗殺人事件」の捜査を命じられる。初動捜査では、その手口から犯人を「金目当ての不良外国人」に絞り込んでいた。 田川は事件現場周辺の目撃証言を徹底的に洗い直し、犯人が逃走する際ベンツに乗車したことを掴む。ベンツに乗れるような人間が、金ほしさにチェーンの居酒屋を襲うだろうか。居酒屋で偶然同時に殺害されたかに見える二人の被害者、仙台在住の獣医師と東京・大久保在住の産廃業者。
田川は二人の繋がりを探るうち大手ショッピングセンターの地方進出、それに伴う地元商店街の苦境など、日本の構造変化と食の安全が事件に大きく関連していることに気付く。
田川は二人の繋がりを探るうち大手ショッピングセンターの地方進出、それに伴う地元商店街の苦境など、日本の構造変化と食の安全が事件に大きく関連していることに気付く。
p102 「車がなければ生活できないなんて。街じゃない」
p133 (高森)彼の合い言葉は「お客様の隣に」だよね。言い方をかえれば、売り上げが悪くなったというところからはさっさと撤退するスクラップ・アンド・ビルド。これが「隣」というキャッチフレーズの本質だ。
p191 「間違いなく成型肉です。様々なクズ肉を特殊な食品接着剤で合わせたものです。そうでなければ、二五〇グラム五五〇円という値段設定はできません。ミートボックスが得意な仕事の一つです。この種の加工品は食物ではなく工業製品です」
p206 『逆手持ち』『モツ煮』『豪勢な宿』『ベンツ』のキーワードのうち、『ベンツ』は冴子ママこと安部早苗、そして柏木信友の線が限りなく濃厚となった。
p258 背広から手帳を取り出した田川は、蛇腹のメモを広げた。『逆手持ち』『モツ煮』『豪勢な宿』『ベンツ』のキーワードうち、ベンツは柏木信友の線が色濃く浮かんだ。
p263 国道を挟んだ向かいにオックスフォードの看板が見えた。どぎつい黄色の看板の後ろ側、小高い丘の小さな天守閣が見えた風情ある城下町も完全に街並みが破壊される。
p280 今後は苦情処理のマニュアルやメデァ対策も新たに策定しなければならない。本来クレーム必死の商品など、仕入れてはならない。そんなことは百も承知だ。だが、会社が消えてしまっては元も子もない。
p315 ここ数日の間に訪れた新潟店、東北の城下町近くの店舗、そしてそこに連なる全国のチェーンの店舗が、街固有の表情を奪っていると田川はのらりくらりと語った。
p347 「創業者は壮大な志は、業績拡大のために捨ててしまうわけですね? 雑巾と呼ばれるような屑肉総菜を使えば、御社の利益は倍々ゲームで増えます。消費者からクレームが出ても、カネで解決する。SC事業拡大させたやり方をそのまま踏襲すればいいわけですか。とんでもない話ですね」
p361 「俺だって、一人前の仕事ができるんだ。お膳立てされた仕事じゃなくても、一人で解決できるんだ」(信友)
p391 赤間家の人々や川津香、そして西野の年老いた母の無念の思いが手帳に刻まれている。田川は、ドアノブに目をやり、大きく深呼吸して取調室のドアを開けた。
p419 人間のエゴと利殖がからみ合った事件の謎は全て解いた。だが、対外的に明かされる真相は全く別だった。
p426 「大きな商業施設に行って、豊かになったつもりでいたんだ。現実は企業にいいようにカネが吸い取られ、演出された幻想を見せられていたんだ。この商店街みたいに、身の丈で暮せるのが一番だと思わんかね?」
【感想】
私は、刑事ドラマでのおもしろさは犯人を捜すより、そこに登場する刑事の仕事ぶりだろうと思える。
ある日、ある時殺人事件が起きる。刑事は、殺害された事件現場に行く。不運にも殺害された被害者の身元、殺人が至るまでの様子などを推理する。その現場から、「犯人はいったいどんな人だろうか」と考える。
少しずつ解明される被害者の氏名、年齢。人間関係、さらには解剖によって食物の種類などを調べるがすすむ。そして、殺人が行なわれて時間が推理、残された物品から一つのヒントに捜査がはじまる。捜査中聞かされたことはなんでも、ヒントにし、手帳に記憶させておく。
『震える牛』 では継続捜査班という部署にいる田川刑事と捜査一課の池田というコンビが登場している。刑事はそれぞれの捜査に自分のこだわりを持っているようだ。田川刑事は被害者の身辺関係者がよく話のなかで発していた言葉「モツ煮」「豪勢な宿」「ベンツ」ということばをつなげていきます。そのことばに密接に関係のある人間を調べていく。
ちなみに刑事にはいろいろな仕事のやり方があるようだ。「三億円事件」最後の刑事、平塚八兵衛を思い出す。捜査の極意として平塚は「物に事件を語らせる」ということを言っています。犯人が気づかない、事件の背後のものから犯人を追う。時間をかけ歩き、調べ、尋ね、やっとみつけた手がかりを調べていく姿である。こんな努力もむなしく犯人にもたどり着かなかったこともある。「三億事件」犯人の方が一枚も二枚も上だという敬意さえ持つことさえ覚える。
私は、犯人を逮捕する以上にこんな刑事の人間臭さが好きなところ。いつの時代も犯人の動機はありますが、野村胡堂の銭形平次から、ベーカー街のホームズ、江戸川乱歩の明智探偵という流れのなかで、それほど今も昔も変わらないとように思える。違っているのは、時代によって変わる仕事の方法や道具、あるいは「ことば」などを読んでいると面白いと思える部分がみつかると思う。田川刑事の手帖に書かれたことばが合点いくまで調べていく姿には、人の生活にはなにがしかの言葉のつながりのなかにできていることを痛感させていると思う。
1665年、ロンドンが悪疫(ペスト)に襲われた。逃れえない死の恐怖に翻弄された人々は死臭たちこめる街で、神に祈りを捧げ、生きのびる術を模索した。事実の圧倒的な迫力に作者自身が引きこまれつつ書き上げた本篇の凄まじさは、読む者を慄然とせしめ、最後の淡々とした喜びの描写が深い感動を呼ぶ。極限状況下におかれた人間たちを描き、カミュの『ペスト』よりも現代的と評される傑作。
〇著者等紹介
デフォー,ダニエル[デフォー,ダニエル][Defoe,Daniel]
1660‐1731。イギリス、ロンドンの商人の子として生まれる。作家、ジャーナリスト/平井正穂[ヒライマサオ]/明治44年(1911)、福岡県に生まれる。東京大学文学部英文科を卒業。東京大学名誉教授。平成17年(2005)没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1660‐1731。イギリス、ロンドンの商人の子として生まれる。作家、ジャーナリスト/平井正穂[ヒライマサオ]/明治44年(1911)、福岡県に生まれる。東京大学文学部英文科を卒業。東京大学名誉教授。平成17年(2005)没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
p25 よく、こんどは田舎へ行こう、と新たな決意を固めようとした。そして、それに必要な用意万端も整えた。正直な話、私の周囲には疫病が拡がって危険が迫っていた。疫病にたおれる者は週にほとんど七〇〇人に達していることを週報は報じていた。
p69 今や「死」が、いわばすべての人間の頭を駆けめぐっているというより、むしろ各人の家や部屋の一つ一つ覗き見するようになっていたといってよかった。そうなってもなお依然として愚鈍な人間になくてはなかった。
p73 医師たちも人並みにこの災禍の犠牲者になったと、私がいったとしても、それは毛頭、彼らの勤勉と努力に対してけちをつけるつもりからではない。いや、むしろ私としては、彼らの人類同胞のためにその生命を犠牲にしてまで必死の努力を払ったことに対して、深い感謝の念を表したいからほかならないからだ。隣人のために尽くし、隣人の命を救おうとして大きな努力を払った彼らであった。
p117 また、なかにはほとんどが裸同然の死骸をあった。ほんの申しわけないないばかりのものをまとっている死骸もあった。そこにはもはや何の差別つもなかった。貧乏人も金持も、ともども横たわっていた。いうまでもなくかかる災厄の時には志望者の数はとほうもない数にのぼるのだ。いちいち棺桶にはいるいわれはなかった。
p145 人々がおよそ考えるかぎりの予防手段を講じたことはいうまでもない。たとえば、市場で一切れの肉を買う時でも肉屋の手から受け取らないで、鉤から受け取るというふうであった。
p173 貧乏人の大部分が、つまり、以前には労働や小売商などでかろうじて生計をたてたりた貧乏の連中が今や救恤金(きゅうじゅつきん)をたよりに生活しているという事実はおおうべくないことだった。
p176 一、製造業を営んでいた職人の親方がまず参った。
二、テムズ河をさかのぼっていってくる船がほとんどなく、貿易は完全にとまった。
三、家屋の新築や修理に従事していた稼ぎ人は仕事がなくなった。
四、海運業もぱったりととまった。入港する船もなければ出港する船もなかった。
五、市内に残留した家庭も、田舎に疎開した家庭もいずれもできるだけその生活費を切りつめていた。
p213 こういった船着き場に逃げた人びとの受けた苦しみや悲しみは、じつに悲惨なものであった。おそらく満腔の同情に値した。しかし、残念なことだが、人々は自分の生命を全うすることだけで精いっぱいであった。
p276 初めのころの話であるが、逃げ出すことも思いのままにできる人びとや、田舎に疎開先を持っている人びとは、われを争って田舎に逃げて行ったが、その数はまったくおびただしいものであった。できるだけ遠方へ逃げるというふうであった。~野原や森の中に掘立小屋や避難小屋を作って住んだり、穴や洞窟の中などで、仙人みたいな生活をした人々も大勢いた。
p281 ロンドン隣接の町村の住民が、感染の恐れて逃げ出してゆく悲惨な市民の群れに対して残酷な態度に出たことが非難されていたことも私はよく知っている。・・・実際、無慈悲なことも行なわれていた。しかし、自分の身に危害を加えられることが明らかであればともかく、そうでないかぎり、近郊の人々は良心に恥じない程度の慈善と援助の手を喜んで彼らにさしのべていたことも、私にとっては言っておかねばならない。
p322 墓場の向こうで再び何人はみな同胞とみられるというものである。党派や宗教のいかんを問わず、われわれはすべて天国では、偏見も猜疑心もなかろう。・・・なぜわれわれは手をつないでゆけないのか。なぜ、この世では手がつなげないのか、私にはそれに対して、ただ残念である。
p350 ~これは厄介な問題である。実際、自分がいていつ、どこで、どうして病気をうつされたらしい。また、だれからうつされたらしい、ということをいえる人は、まず、一人もいないだろう。
p357 この病気たるや本人が丈夫だと思っているうちに、いつのまにか忍びよってきて、そのまま何日間もひそんで、人間から人間へとうつってゆく厄介な代物であった。
p420 流行が激烈であった時に、市民たちが苦しみとともになめあっているのを目のあたりに見、互いに慰め合っている姿をじかに見た者は、今後われわれはもっと愛情をもたねばならぬ、他人を責めることはやめねばならぬと固く心に誓ったはずだ。
p424 私はすべて善良な人々のけん敬虔な心に、あのころの恐ろしかった事柄をいろいろと思い返してくれ、反省してくれ、と訴えたい。
【感想】
日々、いまや世界中はコロナ禍によって困難な日々を送っていることがニュースによってみることが多くなりました。とくに、日本以上に欧州の国々が大きな災厄を被っていたことも理解できます。こうしてみると、これまでコロナ禍以前に大きな疫病を経験したところはさすがに対応が早かったことに感心します。
日本でも少しずつ感染者数が減ってきているようすです。最近では「緊急事態宣言」も解除されました。でも、その後も「第2波」も起きてきている状況があるようです。これも経験したことでしょう。
さて、最近疫病(ペスト:感染)をあつかった小説が多く読まれているようである。前月はカミュの『ペスト』を紹介していた。カミュの『ペスト』では、ペストに関わる人々の不条理ななかでの心境を語っていたように思います。死に囲まれた中で、人はどう気持ちを整理してむかうべきか、それぞれに語りかけていたと思えます。
ディフォーの『ペスト』は、ペストに追われる人々と生活をともにしながらその様子を描いた物語といっていいと思います。およそ350年前にロンドンで起きたペストの経験の様子をルポルタージュのようすを追っています。ペストが発生した都市に住む人々の行動がよくわかる物語。医療も情報も少ないなか、人々がペストからどのように行動していたか。貧民と富裕層の現実を目のあたりにするシーンもあります。助かる者、亡くなっていく者。その多くを経験して、ディフォーが災厄になったときの人間同士のありかたを描いている物語です。
ロンドンでペスト禍になって人々はそれぞれが助け合いながら命をつないでいく景色はいまのコロナ禍のなかでも通じるものがある。決定的同じだな思うのは、為政者のかけ声もあるなかで人々の生活は悪くなっていくばかりであるということだ。コロナ禍では、経済的に貧窮する人々は多い。それも弱者はもっと貧しくなるという現実は今も昔も変わらないということも描かれている。
それでも人々の生活はどうにか成り立っていく強さもあることを気付かされることも多かった。
※ちなみに1665年ペストが蔓延したのはロンドンだけではないようだ。英国イーム村で全村隔離をして村を守った歴史もありました。村にペストが蔓延したとき、イーム村では村の指導者は全村隔離を決断。集団で自己犠牲をした結果、村では260人が死亡したが、周辺の数千人の命を救った村の歴史があるとのことも忘れないでほしいものです。
そこでいえるのはフランスの歴史家・人口学者のエマニュエル・トッド氏が述べているように「・・・支配層の一部がその表現を使うことに理由がないわけではない。彼らは自らの政策が招いた致命的な失敗を覆い隠したいわけです。これまで効率的で正しいとされてきた新自由主義的な経済政策が、人間の生命は守らないし、いざとなれば結局その経済自体をストップすることでしか対応できないことが明らかになったのですから。生活に必要不可欠なものを産みだす自国産業は維持する必要があるでしょう。」(朝日新聞23日)と語っていることと同じように世界があるということだろうと思える。この言葉、「コロナ禍」後を暗示するように思える。
それがまさに、350年前も350年後の今も同じようになっているのではないかとつくずく思えることだった。
「緊急事態宣言」が解除されたとはいえ、そのご感染しないという保証はないだろう。ただ、現在感染しても病院の態勢も解除前よりはよくなったということや、一日の感染者の数も少なくなったということだけだろう。そして、為政者がいちばん気にしている経済復興ということから、多少の犠牲より経済を立て直すことを重く見ているからだろうと思う。
むしろ、これまでの経済のある方を問うべきことも大事ではないのだろうか思う。例えば、非正規社員への雇用を補償したりすることも大事だろう。でも、こんなにひどい状態を作ってしまったこれまでの経済政策などや医療態勢も問われるべきだろう。とくに、効率化優先によって削られてきた公的分野の役割なども問われるだろう思う。
このコロナ禍のなかで憲法を変えることより、政治家、特に与党関係者の不祥事を正すことではないのかと思う。
沖縄をはじめ九州地方も梅雨入りが出されたようだ。
新型コロナウイルス感染が寒い2月ごろから発生してすでに4ヵ月にはいる。寒い時はともかく、温かくなればウイルスも減るのでは・・・と思っていたが、新型コロナウイルスはちょっと違うようだ。少なくはなったものの感染者のニュースは世界中を席巻している。東京も来週あたりから雨が多くなってきそうだ。雨がふればジメジメした曇り空の中を歩くようになる。コロナ禍で曇り空となればもっと気持ちが滅入ってくるのではないのだろうかと思う。せめてコロナ禍も収束してはくれまいかと思う。
とはいえ、政治の世界も少しも晴れるようすがない。最近読んだ新聞のコラムがうまいことをいっていた。内容は安倍首相のことだった。
「責任はすべて私にあります」といった首相であるが、その言葉通りもおごとが全然すすんでいない状況を読んだものだ。「検事総長定年問題」では今回の定年延長の法案は当の本人が「賭けマージャン問題」で時の人になってしまったけっか、見送りとなった。その後「辞職」をしたがその扱いが「訓告」で終わったこともあって「責任はだれにあったの?」という疑問は払しょくできないまま進んでいる状況だる。検事総長になるほどのエリートである。退職金はマンションが現金で払えてしまうほどあるのだからすごいものだ。ついぞ妬んでしまうほどだ。しかし犯罪者には変わりなないわけだからなんとなく、不条理だなーと思う。
「モリカケ問題」でも一つも進展していない。自殺者もでたたりして、まさに「藪の中」状態である。それにも首相の奥様の名前が理事としてあったりしたものだから問題になっているのだけれど「責任」はどこ吹く風になってる状態だ。最悪なのは、すでに飛んで行ってしまったかのような雰囲気さえつくっている。これまの7年間の首相生活を棒にふらないためにしたいのだろう。
みんな梅雨雲のなかにはいり混んでいるようになってしまっている。ジメジメして乾いていない。
ときおり晴れるいっときに思いきりふとんをんどをほして、お日さまのにおいをかぎたくなる。そんなにおいないのだろうけれど、そう思い込んでいたいのが人情だろう。6月は、そんなことを思いながら日々をすごすことになるだろう。世の中も少しは晴れ間をつくってほしい気がするよ・・・。
来週は6月にはいります。はやいものです。
コロナ禍も5ヵ月目に突入しようとしています。こうしてあまりにも長いと生活パターンも変わってくるのでしょうか。だからこれまでなかった、テレワークやらオンライン飲み会などが出てくのでしょうか。政府のいう「働き方改革」ではなく、本当に働く人のための働き方が一つひとつ検証されてくることになるのでしょうかね。
そこでは、今まで政府のいってきたことが「本当かウソか」ということも実体験で問われてくる時期にもなっているということでしょうか。
「緊急事態宣言」の全面解除で学校が開校されてきて、会社もようやく規模を小さくしながら「入社式」もはじまる月になるのでしょうか。ながいあいだ「すごもり生活」からの解放・・・となるのでしょうか。
それでも、これまでのコロナ禍での生活や経営が「自粛」によってどれだけ影響をうけたかを検証して立て直せるのか、政府のいってきたことが本当に現実にできるのか試される時期になるのではないかと思います。これまでのツケをどう納得いく形にするのかも注視していく月になりそうです。
とはいえ、できることはマスクを着用の生活はつづきそうです。
スポーツも学校も少しずつ解禁されて、世の中がもとに戻っていくのでしょうが、本当にそうなるかはこれからのことでしょう。
今月はお疲れさまでした。
6月もボチボチはじまります。
それでは今週はこの辺で失礼します。
読んでくれた人、ありがとうございました。