日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

2月からゆっくりいきたいですね……

2013年01月27日 | Weblog


 こんにちは…。
 日々寒い日が続いて朝がとてもつらいと思います。温かい寝床をおしむように起き上がり通勤しています。
 もう1ヵ月もたてば春がくるのでしょう。それまで、じっとがまんでいくしかないようです。

 さて、今週はアルジェリアの人質事件で大変でしたね。資源の少ない日本にとってはエネルギーを求めて世界中を飛びまわって資源を求めていくのは仕方がないでしょう。まして、原子力発電があまりにも危険だと…いうことを東京電力福島第一原発事故で体験した日本ですから、なおさらです。

 この事件で日本という国がいかに資源のない国かわかったような気がします。それに、資源を求めるのも命がけのなのだということがよくわかります。
 それにつけても、新聞を読むだけではおそらく本当のことはわからないでしょう。なぜなら、資源を求めて海外に進出していく企業があるなか、アフリカの状態をもっと報道すべきではないかと思いました。

 確かに、人質事件を起こした側の暴力は許されるもとではないと思うですが、きっとそれないりの理由があるのではないかのか、と思うからです。
 あまりに、一方的だと自衛隊の海外派遣も強行されていくような動きもあります。これでは、結局、暴力をもって資源を求めていく……ということになっていくのではないかと危惧します。もっと、違う方法があるのではないかと思います。経済最優先……ということで「問答無用」なイメージが危険だと思いますが。
 そんな気がした一週間でした。

 それから、気になったことは「駆け込み退職」というのがありました。これは退職手当の条例改正で退職金が減らされるということで、一部の教職員が、減らされる前にいちはやく辞めて退職金をもらう……というものです。
 おそらく、けっこうな金額になってくるのでしょう。
 正直なところ、「背に腹はかえられぬ」ということでしょう。それぞれの教職員の事情がありますから、仕方のないこことだと思います。
 私は、駆け込み退職の人を非難する気にはなれません。わたしも、きっとそうしたのではないかと思います。

 一生のことは、それぞれの人生設計がありますし、「駆け込み退職」は政治の結果ではと思います。いずれにせよ、「経済優先」でいくとなれば、今後、同じようなことが起こってくるのではと思います。




『朝ねぼう』

トイレの水の流す音
車のエンジンの音
なによりも、たよりない目覚まし時計
それも気にせずいる朝

あさ寝坊のできる日には
誰もが夢をみているように
静かなあさがあっていい

細君のいびきがきこえてくる
やっとゆっくりできる日をいびきでむかえる
朝もあっていい

これも一年の一日のありかた

明日も知れぬ一日に
安息の日々……



 月末です。
 今月の「本の紹介」です。
 細君のこともあるし、じっと気になっていたことを解消するべく、それならと、思い本を読んでいました。
 医療関係の本を手にとることが多い一月もありました。ひごろは、こういう種類の本は避けて……と考えてきたのですが、どうしても気になっているのでしょう。一冊なにか言い本がないかと思いつつ、読んだ本でした。

 よくとく考えてみれば、健康な人にとっては無縁なのかもしれませんね。
 なぜなら、病気=不幸=大変という負のイメージが先行するから……、無理もないことだと思います。

 しかし、現実に大変だとしても、病気の人はそれを受け入れて生活するしかありません。そんななかで、生きている(病気を治す)ことを楽しまなければなりません。ひらたく言えば、病気とうまく付き合っていくしかありません。そのなかで、生きていることを再発見しなかればむなしくなってしまいます。

  

◎聖書//塩田直也/日本キリスト教出版局

 昨年くれから、妻の入院もあり休日にはよくお見舞いに行っていました。
 だから、休日にはほとんど病院の敷地にいました。さらには、多くの患者さんも見てきました。そして、妻と同室の人たちもよく会話もしました。
 そんななか、病気を忘れるひとときでもありました。

 人は生まれて、必ず死んでいきます。これは、生命のあるものはすべてにあてはまるできごとです。そんなことを思うと、いったい、人はどんな意味をもって生きているのだろうか、ということを思うようになりました。
 健康であれ、病気であれ、人の一生はいつかは終わりがくるのでしょう。まして、病気の人にとってはそれが、今日か、明日か、それとも何年先か……。いずれにせよ、健康な人より「命」ということをまじめに思っているのではなかと思います。

 そんななか、何千年もの間、迫害をもうけてもなおその信念を今に伝える宗教とはいったいなんだろうと思うようになりました。例えば、身近にあるキリスト教の「聖書」。
 まあ、聖書のなかでもまるでフィクションみたいなところは別として、読んでみると人のあり方がかいてあるように思えます。それも、世の中で、いちばんの弱者のために書かれてあるのもののように思えました(私の第一印象)。

 だから、つらさの中に救いを求める……ということをいちばんに書いているのだろうと思います。遠藤周作の「沈黙」という小説があります。
 これは、江戸時代のキリスト教弾圧のことを書いた小説です。キリスト教をせてなくば殺される……。それでも捨てず死を選ぶもの、イエスの踏絵を踏んで捨てるもの……、と。小説の中では、人間と宗教の関係を描いています。
 
 すべてを許すこと。それが「聖書」のなかみだのでしょう。
「人間は弱くていいんだよ……」といっているようにも思えます。強くなろうというのは一時期で、「聖書」の中では、生まれて、生長して、老いて、のなかで人間のあり方を多くの人を登場させる。その人間がやるであろう運命をすべて網羅させて、人のあり方を書いているのだと思います。人間の醜さ、素晴らしさなどを書いているのだと思えます。

 何千年の歴史を生き残った名作でもあるのです。
 そんなことを考えながら読んでいました。
 そして、「人間とはなにものか」ということを強く考えさせる一冊です。

◎従病という生き方(「病と闘う」ことが必ずしも最良の選択ではない)//神山五郎/草思社

 「病気」と聞くと、どすいてもマイナスイメージが強い。まして、健康な生活であれば行動的にもななれ、たくさんのものに触れることもできる。行動範囲が広がるということでもある。広がれば、知らないことを知り、人生に楽しさをプラスさせるだろうと思う。

 しかし、「一寸先は闇」ではないが、「もしも病気になってしまったら……」(保険の勧誘員の方の言葉)どうだろう。行動範囲が確実に狭まる。その狭くなった部分で、病気を治療するために休養、投薬、手術……など、病気をなおそうとする。
 でも、老いてくれば、病気に対しての抵抗力はがなくなり一生、その病気とつきあっていかなくてはならない。直そうにも、体力がないし、直そうと頑張ってみたら、ますます体力がなくなり、病気が重くなった……。

 著者は大事なのは、病気をしてもその後のリハビリ(身体・こころ)が大事だという。病気をしても、その病気の内容をよく理解し、付き合って自分が楽しめるものを見つけることが、人生にとって大事だともいっているように思える。

 健康な人からみれば、病気は「不幸」となるし、ならないためにしているのだろう思う。しかし、なってしまったら、じたばたしてもはじまらない。そんななかで、私たちはいったい病気とどう付き合えばいいのか、理解できる。
 むしろ、その病気からひろがる人間関係や医療、人間のしくみ(こころ・肉体など)を理解して生きていったほうが、いいのではないかと思う。

 大事なことは、自分が病気に対する対処の仕方だと思った。

◎多発性硬化症完全ブック(第3版)//特定非営利活動法人MSキャビン

 もじとおり、いままさにかかっている難病の本です。
 発症から日常生活の仕方など、朝から眠るまでの病気との付き合い方の本です。
 これまで、「難病」といわれても、ピンとこかかったしわからなかった。そして、こんなに身近にあるものだとも思っていなかった。まさに「海のものとも、山のものとも」わからなかった。
 おそらく、関係者以外は知らない病名だろう。まして、知ろうともおもわないだろうね……。
 当事者だから理解するために、読んでみたようなもの……と、いった方が正直なところだと思う。読んでみて、本当に人の身体は壊れやすいものだな、とふりかえってしまった。肉体的にも、精神的にも……。めげやすい。

 恐怖をおぼえる前に大事なことは、その内容を理解することだと思います。
 これを、読んだからといって治りわけでもないのですが、対応の仕方がわかったように思います。
 できる範囲がもわかってきます。そうなると患者さんへの理解がちょっと深まります。その、ちょっとを大事にしたい人にはいい一冊だと思いました。



 月日がたつのははやいものです。
 昨年から、あわただしく過ぎていった日々が思い出されます。
 
 思い出されるといえば、千代田区永田町の三宅坂にある社民党の会館が取り壊されるそうです。長年、この一部を借りて仕事をしてきたものですから感慨深いです。四半世紀いました。
 
 昔は会館の前に教会もあったり、夏の夕方には非常に静かな一角でした。
 道路も広く、よくタクシーの運転手の休憩の場ともなっていました。また、昼休みなど、その道路でキャッチボールもやりました。なつかしいですね……。

 今度はすぐ近くの首相官邸の近くのビルを借りるそうです。ニュースにもなっていました。昔は、会館の前でも、デモ隊がきて集会をしていましたし、右翼も宣伝カーでやってきて元気な声をはりあげていました。
 みんな元気でしたね。

 これからも憲法を守る党として、社民党にはがんばってほしいと思います。正直、そう思います。これから、時代は何を求めていくのかしっかりとらえてがんばってほしいと思います。
 それにしても日本人ってつくずくわからない……。あれほど原発には反対といっていて、選挙は自民党ですものね……。これが現実ですか。
 


今回もさほど面白くない話題でした。
それにしても、聖書はボチボチ読んでいきたいと思います。小説ではありませんがあらゆる種類の人間が登場し、そのありさまがいいですし、私のこころの置き所にもしたい一冊です。

 2月にはいったらもうちょっとのんびりしたい気がします。
 そうはさせじと、いろいろとめんどうが起こってくるのでしょうか。
 妻の通院に付き合ってきました。病状は小康状態。悪くもなく、良くもなくだそうです。でも、悪いより(再発)よりはいいのではないかと思っています。なんせ、治る見込みがない病気です。
 そんな、病気ともボチボチつきあっていくしかないようです。少しでも理解し、協力できるところは協力するしかありません。

 帰りに同室の人がまだ退院していない知らせでお見舞いによってきました。
 いわば「戦友」というところでしょうか。いまだ、こちらも小康状態。病院でも、同室であった別の人にも外来であいました。みんな、おなじような戦友です。ゆっくり、あわてず生きていることだけでも感謝の気持ちです。
 また、あえるといいと思っています。


*読んでくださった方、ありがとうございました。





 
 


1月もおわりですね……

2013年01月20日 | Weblog


 こんにちは……
 はやいもので、1月も終わりですね……。
 新年がいつのまにか、通りすぎていったような毎日でした。なんといってもこれまでに経験のない(妻の入院生活)新年でしたから、日々一日、一日が不安の毎日でもありました。それを振り切って、日々終わるたびに「安堵」して眠りにつきました。

 今は、それほど変わりはないのですが「退院」もして身近になった分様子もわかるし、ちょっと身近になって、病気を一緒に考えられるだけましになったのかもしれません。それにつけても「難病」がこんな身近にあるとは驚いています。だれしも、明日のことはわからない…ということなのでしょう。
 その前兆をみとれるほど知識もないし、とにかく「今日をせいいっぱい、できれば悔いののこらない」という気持ちが大事なことなのだと痛感した次第です。

 さて、今週は仕事も少しずつ体になじんできました。日々、寒さは変わらないのですが……。雪も降りましたね。
 雪に弱い都市交通網。今回はやっぱり弱さを露呈していました。首都高速はとまり、その影響で国道が渋滞してバスも遅れがちで、遅刻もありました。
 でも、電車は「遅延証明書」がでますがバスはないのですね。なんかおかしい気がします。


 約1ヵ月半ぶりにいつも休日の朝は散歩していた多摩川に行ってきました。さすがに寒さのなかでは人がそれほどいませんが元気印の人もいっぱいいました。「寒い」とめげいていてもはじまりません。自分の体を動かさない限り熱エネルギーはでてこないようです。川を眺めていたら「行く川の流れは絶えずして、また元の水にあらず…」という言葉を思い出しました。人の流れも水の流れと同じように、流れているんですね。そして、いいのか、悪いのか人の心も、もと考えでなくなっています。ポジティブに、それてもネガティブにか……。ここが運命の分かれ道のように思えます。

 今日まで散歩もだいぶごぶさたしていました。
 これまで、散歩するにも、病院への道がほとんんどでした。それも、あるときは娘と交替で、あるときは一緒に昼飯を食べていっていました。行く度に、病院の同室の患者さんたちに励まされたり、いろいろと助言をいただいたりと、へんな話しですが患者さんたちに励まされて、帰ってくる日も多くありました。それも、一歩間違えば、生命が危ぶまれるほどの病気をしている人たちからの助言でした。彼女たちも一生、いま抱えてTいる病気と付き合っていくのだと思うと、悲しくなりました。

 なんとも普通の生活がありがたいことか…、と思えます。
 そして、その普通の生活がなんとも遠いことか、いまさら遅いと思われるかもしれませんが、やっとわかったように思えました。そんな、思いを胸に、やっと休日の散歩ができた日でした……よ。
 




 今週はスクラップは休みます。
 大きなニュースより、小さなニュースを取り上げていきたいと思います。
 これからもよろしくお願いします。




 仕事も相変わらず残業が多い毎日です。さらに、人の動きも少しずつですが広くなってきたように思えます。
 最近、私は「聖書」に関する本をよむようになりました。
 言葉でいえば「諸行無常。盛者必衰。おごれる者も久しからず……」ということだと思いますが……。

 これも、病気をしている妻の様子をみてそうなったように思います。強がりをいったところでどうにもなりません。むしろ、その困難を受け止め、肯定し、一緒に生きていくしかないように思えるようになりました。

 さらに「明日のことはわからない」という気持ちもあるように思えました。だから、今日をうまく、できるだけうまく悔いの残さないようにと思うようになったように思えます。

 人は変わっていくのでしょう。良くも悪くも変わっていくしかないよです。そのなかで、その地点でどう「生きるか」が次の一歩なのでしょう。一方で、とめることのできない「老い」との付き合いもあります。
 自分のことだけに、「老い」とうまく付き合い、自分をつくっていくしかないようです。誰もつくってはくれません。つくってくれるのは、一地点での助言や励ましでしょう。それを通過点として、長い先をつくるのは自分自身だけのようです。(多くの人の支えはもちろんあります)

 そんなことを思った一週間でした。

 どんな偉大な人の成功物語を読んでもそれは、それで、自分ではないのです。むしろ、私は「どんくさく……淡々とやっていく」しかないようです。数少ない友達も大事にしながらやっていくしかないように思えます。

愚痴になってしまいましたが……。
 また、一週間が始まります。
 少しずつ、退院後の病気の再発をおさえつつ……一緒にいく一週間です。ゆっくり、やっていきたいと思います。
 あとは不安にならないように、病気の理解度を高めていくことが大事だということでしょう。

 また、少しずつ自分の好きな「山歩き」や「町歩き」などを再開する日に希望をもちつつ、やっていくしかないようです。いまは、その準備段階かもしれません。

*読んでくださった方、ありがとうございました。


 


日々に追われながら……

2013年01月13日 | Weblog


 こんにちは。
 はやいもので1月も、もう半ば、それも今週は「成人式の日」もあります。
 いまとなっては、成人という言葉が私の身近なところにはもうころがっていないような気がする。
 それにしても、成人の式の日が雨とは、ちょっとうらむね……。
 やっぱり、天気は晴れでしょう。せっかくの「ハレ」の舞台も半減してしまう。きっと、大変な一日となるでしょう。

 さて、いつのまにか政権が民主党から自民党に替わっていた。それも、あの安倍政権に替わっていた。
 なんせ、今まで病院に入院した妻のことで世間のことはずーと流れていくだけだった。今、立ち止まってみると、また昔のような政治が始まるのだろうな…と思えた。まあ、言葉は変わるだろうがことの「本質」は同じ政治になるだろうとも思えた。

 その一つが原発。いまだに、故郷に帰ることができないほどの被害をつくった「原発事故の放射能」。そのことを反省して原発の稼働はしない、とのことだったが政権が替わって、稼働させる動きがでてきたようだ。それも、言葉を変え、経済を変えうまく「マメとムチ」の政治が始まったのだと思う。

 これも仕方がないようにも思えた。なぜなら、自民党に投票したひとが多かったのだから……。それが、今ある政治への表現だった選挙なのだから。
 一方で、「本当に日本人っていうのはこれでいいの」と思いを強くもった選挙だった。民主党の政治が悪かったとはいえ、それじゃこっち……になぜなってしまうのか、ながい間日本人をやっているがこれほどになるとは思わなかった。

 「経済の成長」とはいっても、結局は増税により最終的には解決するしないのだろう?。その時代を経済の活性化で利益を得ても、その借金は次世代に回される仕組みはまった同じとういくことだろう。ただ、その時代にいた人だけが富を蓄えるチャンスがあるとうことだけ。ほとんどは、そのチャンスはないのに……ね。

 とりあえず「成人の日」おめでとう。
 ところで、これから大人の仲間入り?
 どんな「大人」になるのでしょうか。
 「雨にも負けず、風にもまけず……」今日を大事に、体に気をつけ、これからの人生をつくっていってください。

PHOTO:平日の朝、寒いを連発しながら寝床から起きていく。外を眺めれば、地球の不思議……。きれいな色で染まる朝がむかえてくれる時もある。分刻みでその色は変わっていくから、なんとも不思議な星に生きている…と思う瞬間である。宇宙からみたら、地球もきれいな星の一つなのだろう。
 それにしても、こんなきれいな星で戦争や差別が平気で行われている星でもあることも現実なのだ!!。それを、つくっているのが人間だけと思うと、人間はなんと罪深き動物なのだろうなぁ、と思う。せめて、自分の周りの人とは平和な関係をつくっていきたいと思う。

 




「日々を送る」

一日のできごとが
全部、眠りのなかに消えていく
こうして
日々のなかに私がいて
あなたもいて
そっと感謝している一日がある
   ○
明日のことは誰にも訪ねられないと
今日をいきてきた私が
むかえるだけの明日なのだ
   ○
おやすみ……と
いえる今日に感謝して夜は消えていくだけだ
「明日はわが身……」などとひとり言をいい
それでも、一日の終わりに感謝して眠りにつく

※ことしも、日々に思った言葉をつなげていきたいと思います。それが「日々の詩」です。まあ、「きょうはこの言葉がいちばんいい」と思って書いているだけですが……。





 昨年から今年にかけてどれだけ、西国分寺という駅を降りた。
 ホームにあるうどんやで昼をとり、ゆっくりとあるいて15分くらいの道のりだった。
 昨年、11月から入院している妻の病室までおよそ30分たらず。
 北風の強さを身に受けて、その日の寒さをあびていた歩いたものだ。

 そのとき「人の一生などだれもわからない……」と思った。10万人に数十人……「多発性硬化症」。そんな病気にピンポイントでなるとは信じられなかった。手術もできないところだと、聞かされたときはどんな病気なのか…と不安は増大するばかりだった。それでも、その病気を必死に治療をしようとしている主治医にめぐりあったことに深く感動した。

 同病室にも同じような難病者がいるのには驚いた。
 見舞いにおとずれるたびに、その人たちとも話しをした。まったくかざりのない、ウソのない会話が私の身に、どっぷりとふりかかってきた。
 それでも、生きようとあがいているというより、淡々とその日をゆっくりと生きているように思えた。そんな人たちとめぐりあったことは、一つの救いのような気がした。

 さて、この難病は治らない……とのこと。一生うまくつきあっていくしかないと説明されたときは、あとは「病気をだまし、だましきげんをとっていくしかない」と思った。実際、それしかないようだ。「再発」をできるだけくいとめる日常生活がもとめられるのだろう。
 それでも、本人の楽しみはさがし、やれることはやっておくと生き様もちがうとも思えた。

 とりあえず、今は退院してやっと正月がきたような思いがする。それも、短い。これからのことは、本当に「神のみぞ知る」ようなもの。わたしは、日々を病気ととともに生きていく妻と頑張るしかないように思えた。
 自分の人生だ…。これからは、ほんとうにやりたかったことはなんだろうと思いつつ日々をおくっていきたいと思えた。

 誰でも、あるとき信じられない病名がついたりして、「我にかえる」ということ。最近、つくずくそんなことを感じています。だれでも、危険な因子をもっている……ということ。それが、出るか、でないか、ずーとでないか、とうことだろう。そう、思うと、今日は「よかった」という気持ちが人一倍つよく残るこのごろです。なんにでも「最初」があれば必ず「最後」があるように、人の一生を大事に思うことが、早いか、遅いかだけです。

また、新しい明日をむかえられれば、最高ですね。

※詳細はこちらでどうぞ。多発性硬化症  


 今年もやっと始まりました……という気持ちです。
 これからも、誤字・脱字の多いブログかもしれませんがよろしくお願いします。

*読んでくださった方、ありがとうございました。

 






少しでも前に進めるものをさがして……

2013年01月03日 | Weblog


 はやいもので、もう正月休みも終わり明日からまた仕事の毎日がやってきます。いまごろは、今年のお正月の思いを思いつつ、日曜日をおくっていることでしょうか……。

 新年あけましておめでとうございます。
 皆様にとってのお正月は楽しいお正月だったのでしょうか。

 私にとっての今年の新年はこれまでにない、まさに「想定外」のお正月でした。世の中には、聞いたこともない、耳にしたこともないような病気もあるものんだとつくずく考えた新年の始まりでもありました。

 それも、悪いウィルスを撃退するはずの人間の免疫が出すぎて、逆に人間の体調を悪くしていまう……などとは思いもしませんでした。
 人間の体はとくによくできていて、悪いウィルスに対して正常に戻そうと熱が出たり、下痢になったり…とあらゆることをもって体調を整えようとしているそうです。そして、それが、崩れてしまうときもあるということだそうです。原因がわかれば、医学の力によって撃退できるのですが、できないものもあるようです。薬も開発されていなく、いまだ発展途上の病気があります。

 それがおおよそ「難病」とよばれる病気になっています。
 それが、人間に病気としてあらわれた場合、全体的に治療をすることはできなくて、ひとつ、一つの症状があらわれたとき今ある薬で症状を軽くするようにしている状態のようです。
 まさに、再発された症状に日々、追いかけっこをしています。あとは、本人の努力……というところでしょう。これまでの生活の反省やこれからの生活の目標など、少しずつよくなろうという希望が人間本来の健康をつくるのでしょう……ね。



 さて、今年は私がやろうとしたことは何もできず終わった正月だった。
 初雪が降った、山登りもできなかった……(残念)。
 整理しかった部屋の片付けもろくにできず、去年のまま放置状態。

 あまり思い出したくもなくなった。
 今は、仕方がない……と思っている。現状を考えれば自分のことより、ここは病気をしてしまった妻の様子を追いかけていくしかない!……と。

 来年は今年よりもきっといい年にしたいな…と思い、過ぎていく日々をまたはじめるしかなかった。考えれば、私の健康も病気の妻がいたからあるんだろうとなあ……と思える。
 「多発性硬化症」という病気にいといろ援助・支援しているNPOにもふれるようになった。今後は、これらを利用していきたいと考えている。

 などなど……。今年は「二人三脚」でやっていくしかないように思う。
 とにかむライフスタイルも変わるだろう。

 ことし、一年、読者に皆様も健康にいい年にしてください。
 そしてよろしくおねがいしまうす。
*読んでくださった方、ありがとうございました。