日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

桜はまだまだ。寒さのなかですが

2016年03月27日 | Weblog


 こんにちは。
 関東にも桜の「開花宣言」というありがたいお言葉がでましたが、現実はまだ寒くて花見どころではないようです。それでも、散歩をしていると、一部満開にちかい桜の木をさがすこともできます。
 朝、通勤地上でみかける小学校の子どもたちの春休みが始まったようです。さらに、駅のホームなどでは、袴をはいた娘さんの姿もみけるようになりました。
 私にとってはの今年の春は、花粉症が強烈でマスクをするような日々です。さらに、飛蚊症ということで、目の前にいつも糸くずがまってような日々です。ということで、楽しいどころかさんざんな春になっているのすが…。毎朝、クシャミで起きて、マスクを着用しなるべく紫外線を避けての日々です。なんとも、ちっとも楽しい話題を探すのが大変な日々だとかんじています。
 
 とはいうものの春は着実に足元から、見えるようになりました。こんな日々は、花の種類の多さを感じて歩く賛否でもあります。少しでも、今年の春の雰囲気を自分に近づけたくて、野山を歩き回りたくなってもきますね。甲子園では、春の選抜野球が始まっていて、高校生たちが元気いっぱいプレーをしているのをテレビでみるにつけちょっとは元気になっています。みんさんは、どうしてますか。



 今週のニュースは「暴力」の一週間でした。こんんことが起こる日常だということを誰が想像したでしょうか。テロが起こる原因がどこかにあるのでしょうが、結局戦争の延長線上にテロという行為があるということは確かなことなのでしょう。どれも、何かの延長線上にあるわけですから、それを断ち切る外交が必要になっているのではないかと思います。
 そんな意味で世界中の戦争にかかわってきた、ロシアとアメリカの二つの大国の責任は大きいのでしょう。
 結果はどうあれ、いずれの両国のどっちかに引っぱられて動いていることは確かなことだと思います。今、その背景や動きを、人々に提供するところが求められていると思います。

◆1 昨年のフランスに続き、今年はベルギーで無差別テロ事件
 昨年のフランスの同時テロにつづいてまた、起きてしまいました。なんとも憎しみが増幅されていくことが怖いように思えます。
 それにしても、テロを起こす方も起こされる方も何らかの原因があるのだろう。そこのところがいまひとつわからないように見えます。いちばんの原因は、アメリカのイランやイラクへの侵攻した結果でしょう。歴史をかいまみれば明らかな気がします。そこでは、結局暴力を暴力で解決しようとすることで、ISができたのだろうと思います。
 つい最近、日本人もISに参加しようとする若者の出てきたと報道だれました。なぜ、そうしようとしているのか…、その理由がもっと報道だされればと思います。その理由のなかに本当のことがあるのかもしれません。

 ヨーロッパは、地続きの分でテロが起きているようなきがしています。
 日本も、武力で封じ込めようとすれば危険ではないということがいえるのではないのでしょうか。そして、日本も「集団的自衛権行使」ということで、他国にいって軍事協力すれば、危険はないといいきれなくなるのではないかと思います。
 それにしても、どうしてこうなるのか、世界は答えをもっていないのでしょうか。





 今週、やっと東京にも桜の「開花宣言」がありました。日々のあいさつのなかで「花見の話題」はつきものです。やっぱり日本人なのでしょうか。
 一年に一度のこの時期の楽しみは、アルコールは入る、入らないにかかわらず近所の老木に咲く桜の花をみることでしょうか。

 最近、「〇〇ぼっち」という言葉が耳にはいるようになりました。これは、一人ぼっちの「ぼっち」だそうで最近しりました。まあ、自分で利益を全部得るようにするには他人を雇うより自分だけでやったほうがいいのというメリットもあります。しかし、人事異動で「ぼっち職場」にいく人にとっては「起業」ではないので、とりようにとっては「いやな所」に思えるかもしれません。プラスにするかマイナスにするかは、異動のした人の考え方の持ち方でどうにでもなるのでしょう。しかし、気持ちだけではすまないのが仕事です。

 仕事の多さが一人「ぼっち」ではできない場合が多々あります。
 そんなとき、どうするかやれる範囲ですすめて、あとは人の多い職場に丸投げしかないようです。実際それをやるしかありません。今週、私はそんな経験をしました。
 他の企業の人に「花見いきませんか」と誘われました。「ぼっち職場」の私としては、本社の人よりいちばん使い仕事の身より…ということに思えました。いまのところ、私にとっていちばん大事な人たちは、本社にいる人たちより「ぼっち職場」で一緒のフロアーにいる他の会社の人々ということでしょう。そんな思いをひきずるながら参加してきました。

 いつも顔はみる名前と顔が一致せずいた人たちのことがすくしずつ、一致するような花見となりました。
 「夫が失業してしまって、なんかまじめに働くようになった人…」「同じフロアーにいながら、日々相手を無視しながら働いている二人…」「おれがいないと、この職場はない…、と思って怒る人」等など…。やっと顔と行動と名前が一致するころは酔っぱらっていました。
 半分以上が契約社員だった。いやあ、たいへんだと思って帰ってきました。救いは、まだこの人たちのなかにも他人を思いやる気持ちがあって誘ってくれたことだと思いました。

 「ぼっち職場」はまだまだ続きます。
 それにしても、飛蚊症になってから小さい文字はきついなあと思うこの頃です。それも、パソコンの文字は動いています。これもきついという気持ちになることもあります。
 そんななかでの息抜きの花見でした。
 まあ、どこまでできるのか…などと考えるより、こうして日々の中でボチボチとやっていくしかなうようですね。



 まだまだ春は先になりそうな寒さがあります。近所の桜の木もまだまだと様子です。
 私にとって、50回目の桜見物にもなります。ときどき、子どもの頃よく遊んだ故郷の神社にあった桜の木を思い出します。まだ花をつくえているのかなあと思い出します。私にとって桜の花は年齢を思い出させてくれる花なのかもしれません。



 今月はこれ終わりです。「今月の本棚」は休みにしました。読んでいるのですが、まとまらず今日まで来てしまいました。怠慢でしょうか。
 ちなみに今読んでいる本は、中上健次の自伝です。彼の小説を読むと、どうしても「路地」の意味が知りたくなりまして読み始めました。それにしても、字が小さいのが苦手です。

 来週は4月です。日本的ないいかたであれば「年度末」でしょうか。そんなことを以前は気にしていましたが、最近はその日一日をうまく過ごすことでいっぱいでしょうかね。
 今よりは温かくなってなるとことでしょう。これからは山歩きも増やしていきたいものです。

 では、このへんで失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。



忙しい一週間でした。

2016年03月20日 | Weblog

こんいにちは。
 はやいものですね。もう3月も終わろうとしています。季節は桜の「開花宣言」をいまか、いまか待っています。そして、甲子園では選抜高校野球が始まりました。高校生たちのがんばる姿勢を眺めてはいつの間にか夢中になって応援している姿があります。
 今年の花粉症はこれまでの(昨年までの)季節はちょっと違う強烈なクシャミを連発している毎日が続いています。以前は、山に行っても大丈夫だったのですが、今年は今回行ってみて登りから下山までずっとクシャミをしていました。





 今年になって初めての山歩きにいってきました。目的地は、恒例の高尾山縦走でした。
 まだ、朝方は少し寒いのですが太陽がでてくるとやはり春です温かい一日でした。朝方、バス停で小雨がぱらつきましたが天気をもちかえして晴れてきました。それでも山道は前日の雨の影響でぬかるんでいるところもありました。ですから行き帰りとも滑る道との格闘によって体のふしぶしがいつもより痛くなっていました。



 今年初…ちょっと遅くなってしまいました。
 寒さのせいもあるのでしょうか、日々の疲れがあるのでしょうかこれまで行く気にはなかなかなれませんでした。
 用意はするものの、当日寝坊したりして「中止!」としたりしていました。でも、単独なのでその辺は、自分で決めて自分で実行するだけですから簡単なのですが。
 やっと重い腰をあげての実行でした。でも、いってしまえばあきらめもつく…というのかあとは最後まで実行するだけという開き直りでのいけます。(それも必要ことなのでしょう)
 行けば行ったなりによくて新しい発見などもあって、楽しい一日をおくります。山を登っているときよく思うことですが「こんなに苦しいこと疲れることをどうしてするのだろうか」と。途中で滑ったりして、あわや骨折かねんざと思いつつ歩いているのですが、どうにか無事、頂上についてしまうとこれまでのことは忘れてしまうほどすがすがしくなっている。きっとこんな気持ちを味わいたくて歩いているのでしょうね。



 できれば、当時は現地からはでkるだけバスなどの交通機関をつかわず歩くと新たしい発見もあったりしてまた楽しくなるということを知りました。今回は、帰り道、小仏ら高尾駅まで旧甲州街道沿いを歩いていて小さな喫茶店を発見しました。民家を使ってのお店なのでバスに乗っていてはわかりません。街道沿いにもカタクリの花もありました。水仙の美しい道もありました(写真下)。



 人間はほとんどは苦労するために生れてくるもので、そのなかでほんのわずかの快楽をえるために生きているようなものだという仏教の教えにかなっているのかもしれません。最近、車谷長吉という作家のエセーなどをよんでつくづくそう思えます。生きている人間はすべてその苦労の途上なのでしょう。生きているれば苦しいのは当たり前という思想(考え)なのでしょう。そう思うと、生きていることは大変なことなのだと思えますし、大事にしないと…とも思えます。(山歩きはダイレクトにピチ苦しみをつくっている状態のでしょうか)。でも歩いてしまえば楽しいのは、私だけのせいではなく、周りの自然の影響も大事なのだと思えます。
 そして、もっと大切なことは、「どうしたら楽しくなるのかな」ということを考え実行することでしょうか。自分で考えて失敗しても、次回は新しい方法を思いつきながらやれることが大事なことでしょうかね。
 
 そう思うと、それを実践しているのが「お遍路」なのでしょう。

 山歩きでころばない注意その1(山と渓谷2016.4月号より)
 雨がり、日陰の山道は水がたりやすくなかなかかわきません。平らであればいいのですが、山道はほとんどがななめです。登るときはよくよく注意しているのですが、くだりは重力で下へころがります。すべってころぶだけならいいのですが転んだひょうしに石や木に足を打ち付けて骨折したりすることもあります。一人の場合は大変です。実際、くだりは人に追い抜かれても平気な気持ちでいることと、ゆっくりと歩くことやなるべく手をつかったりすることが大事ではないかといえます。両手が自由であることも大切ですよー。






 今週は「お彼岸」があり、連休でもあったのですが忙しいのを証明するかのように土曜日も出勤していました。連休も考えものです(一馬力の職場では当日の忙しさが終わらないと次に進むこともできず立ち往生しています。そのつけが休みに回ってきたときは出勤するということになります)。
 職場はだれもいませんのそれは静かで、寒いほどです。ラジオをつけて勝手にやるしかないようです。
 疲れますわ…。ときどき、フト思うのですが…、このままここで倒れてらいったい翌日まで誰が発見してくれるのでしょうか。「もっと早く発見していたら助かる命も…」なんてなることもあるのではないかと思います。

 最近、トンネル内の事故やスキー観光バスの事故などでよく聞かれる、勤務実態の事前報告とそれを管理することが忘れられいる(つけないでいている)ことが多いことがニュースになっています。全部、安全に運転できたらということが前提になっているからでしょう。しかし、リスクはあるのですから…。

 今回はこれで失礼します。
 体中が痛い…。筋肉痛でしょう。
連休はこれで終わり。私は休日明けがいちばん嫌いです(月曜日とか)。なぜなら、一人職場ですから、人はいるのですが、職場にいっても話し相手がいないとうのか、すぐになじめないというのか。なじむためにはまた一週間ボチボチという形が始まるのです。まあ、仕方がないか。今週は何が待っているのでしょうか。


 読んでくれた人、ありがとうございました。

もう少しのしんぼう3月。花粉症とのつきあいのなかで

2016年03月13日 | Weblog


 こんにちは。
 春ももうそこまできているのに寒い日が続きます。雪でも降ってきそうな休日でした。
 休日に用事があって群馬県の高崎市までいってきました。いまは、なんとも速いもスピードで遠い所でも行ける時代だなと思う一日でした。東京から1時間でついてしまうのです…ね。景色を見る間もなくて居眠りなどしていたらもうついていました。

 駅前には大きな電気屋さんがありました。なんでも、高崎は「ヤマダ電気」の発祥の地だそうで、どうりで大きなビルがぽつんと目立っていました。ここでほとんど用事が済まされてしまいそうなビルでした。食堂街に地元の家族連れが食事を楽しんでいました。きっとここは市民の集い場所にもなっているような気がします。
 都会なら、あらゆるところに人が集まる施設があるのですが、地方では集まる場所がないためか、どうしてもこういう目立つところに集中してしまうのもわかるような気がしました。そう思うと、若者が都会へ集中すrのもわかるような気がします、(かつてのわたしもそうであったように)。とはいうものの、わたしは都会にきて施設を楽しむよゆうなどないのが現状です。



さようなら…のなかに
言葉がある
ときは過ぎゆき
そこに帰ることができない
わたしがいる

一つのことばに笑顔があり
二つのことばに苦顔をつくり
三つ目のことばに笑顔をもどす

帰るところをうしなったいくつものことば
ふところにいれて
顔のシミがいいたかった文字に似ていたと思いだす
なにを言いたかったのか


◆1 女子サッカーのリオ五輪出場残念でした。お疲れ様でした
 今週、リオ五輪の女子サッカー代表がきまりました。代表はオーストラリアと中国でした。惜しくも日本のチームは代表から落ちてしまいました。そして、今まで代表監督であった佐々木則夫氏が辞任しました。でも、よく頑張ってくれたと感謝しています。
 とくに印象に残っているのは2011年ドイツでのワールドカップ。震災で打ちひしがれていた国民を優勝という結果で励ましてくれました。うちの家族は、朝から始まる中継をみて家族で涙を流して喜んでいました。
 あれは大きな感動でした。それも、日本人の小さな選手たちがあきらめることなくひたすらボールを追いかけ、毎回試合のたびにチームがたくましくなっていく様子を感じていました。これがチームワークという原点をみせてくれたように思います。

 今後は、逆境にもまけないチームワーク作りからまた始めなくてはならないと思います。
 
◆2 東日本大震災の復興は建物より、原発事故で故郷に帰れずいる避難者の今後
 今週、滋賀県大津地裁で関西電力高浜原発3・4号機の「運転差し止め」という判決が出ました。再稼働のいう流れの中の判決でした。これは、再稼働というものの危険性をもういちど立ち止まれせて考えてみてくださいというメッセージのように思えました。さらに、原発の制御できないとき、人間や環境に与える影響をも一度、福島の東京電力の原発事故から考えてみてくださいということだと思います。
 経済効果という反面、どれだけ人に不幸を背負わせるのか考えてほしいと思う判決だったようにも思えます。






 還暦間近。
 もうそんな齢かと時間がとともに思いがすぎていく日々がある。
 三十数年前、何の縁か話し、同じところにいることも多くあり、いつの間にか楽しかったのか、楽しくなかったのか忘れてしまった。そんな日々がよみがえってくる。
 働きだして10年後、また機会を得て会ったことがことがあった。もうおじさんで、スーツもネクタイもよく似合う年であった。同じと齢なのに妙に貫禄ばかりついた人に見えたものだった。

 「商売だから…」と本人は自分の姿を謙遜していた。彼は、卒業後、群馬県の山奥の某町議会議員のなっていた。人口が少ないとはいえ、多くの人と話し、悩み考え行動してきたのだったのだろう。その、貫禄はだてではなかった。政治というものは、人にとっては冷たいものでもあり、温かいものと変わる。平成の大合併でかれの住む村も某市となった。人口も何倍にも膨れ上がって、合併のなかでも今度は市議会議員に挑戦していた。

 しかし、病気にはかてず闘病生活も続いていたようです。
 その闘病生活に終止符がうてれたのは最近でした。
 とうとう亡くなられてしまったと聞いて、友だちが全国からきて「偲ぶ会」をやりました。政治家であった彼を地域の人や関係者が多くあつまっての「偲ぶ会」は盛況でした。ぼくにとっても、三十数年ぶりに会うクラスメートもいました。髪はまっしろでちょっと見わけもつかないくらでした。
 少しずつ話すうちに、だんだんと話し方が若いころの語り方になって本当に○○君だと気づくほどでした。
 なんとも長い間(四半世紀)もどこかで頑張って生活してきたものを感じました。

 これも誰かがどこかで横のつながりをつくってきれたからこうして集まることもできたのではとつくずく感謝しつつ帰ってきた一日でした。
 なんの縁もゆかりもない、人たちのなかで○○君は恐縮していましたが、ぼくも同じようなもので政治家でもないし、ましては先頭になってやっているわけでもない、いえば支持者みたいなものです。
 考えてみれば政治家も政治家よりも支持者の方が圧倒的に多くてしれで飯がくえるのですからそんなに恐縮する必要もないのではないかと思いました。それより、こうして何十年ぶりに元気な姿で会えることの方がもっと大事なことだと思います。

 ということで、今週は週明けに更新することになってしましました。遅くなりました。
 読者の皆さんも、どこかでどんな形であれ、よこのつながりは大事だと思いませんか。

◇   ◇   ◇

 日頃忙しく生活していると、忘れがちな人の顔。顔がない会話(メールなど)が多い昨今では得られない温かさを感じてきました。もう少しで、季節も温かくなってくるのでしょうか。
 また、忙しさのなかで、こうして懐かしい人の顔を見ることができるのでしょうか。また、会えるときは「誰かの葬式のときか…」などと冗談もありましたが、これは意外と本当なのかもしれません。そんなことがないように、健康にだけは気をつけたい年齢です。
 私にとっては、今週はまた忙しく送っているのでしょう。一ヵ月でいちばん忙しい一週間でもあります。今週がおわればちょっとはのんびりできそうです。
 今度はまた「山歩き」をボチボチ始めようと思います。

読んでくれた人、ありがとうございました。2016.3.14

3月に入りました

2016年03月06日 | Weblog


 こんにちは。
 少しずつですが、あたたかくなってきたのがわかりますね。水がぬるむというのでしょう。さくらもさいているところもあります。今年の新しい芽が出て、今年の花が咲きはじめようとしています。この繰り返しをこれまで何年も続けてきたことは自然の素晴らしさでもありますね。
 少しずつ変わっていくものを見つけては楽しく思うのはこの季節の楽しみでもあります。それが、とてもいいものであったり、自分を悲しませるものでもあったりしても、素直に受け入れていくしかなことをつくづく感じるこの頃です。休日に、よく通る散歩道。数年前はここの街路地に小さなお花の植木鉢を並べては水をやっていたおばさんがいたのですが、最近では見かけなくなった…と思いを持って散歩などしていることがると寂しい気持ちにもなりますね。休日の散歩道の景色が一つずつ変わって見えます。それもまた人生でしょうかねえ。
 自然の中で息を吹き返すもの、そこで息を引きとる者。そんな営みの繰り返しを今年も始まったということを感じる季節にもなってきました。そして今年も花粉症の季節になってきました。クシャミに体力がなくなっていくような心細さを感じるこのごろでもあります。

 さて、今週はどんなことがおきたのでしょうか。

◆1 認知症徘徊事故監督義務なし
 認知症の男性(91歳)の在宅介護をしていた妻(93歳)が疲れからうとうとしているうちに、男性が家を出て徘徊しJR東海の電車に衝突した。男は死亡、JR東海はこの親族の妻に損害賠償約720万円の請求をした。一審の名古屋地裁は妻と長男にJR東海の請求通り約720万円の賠償を命令。監督義務の責任を怠ったという理由だった。二審での名古屋高裁では、20年以上も離れて暮らす長男には監督義務はないとして、妻だけに約360万円の賠償を命じていた。最高裁では、妻にも監督義務責任は問えないとして賠償命令を棄却した判決をした。

 今回の判決は老老介護をする現実の視点をもった判決だと思う。そらに認知症がふえる時代にとっては、介護者にとっては、大きな判決になったように思うえた。損害賠償は必要であるのはわかるが、自分の責任で徘徊を許してしまった妻と事故でなくなった死人にムツをうつような判決はきびしいだろう。現実を直視したならば、全部が全部介護ができる範囲にない日本の現状がうきぼりになったように見えた。
 日本の社会保障の未熟さもあるなかで、ますます厳しい現実を裁判所がするようになれば法律はいったい誰のためにあるのだろうかという疑問がわいてくる。
 そんな中の今回の判決には、これからの高齢者問題に対する法律の方向があったように思えた。

◆2 女子サッカーなでしこジャパンリオ五輪出場は困難か?
 日本で行われれいる、リk五輪女子サッカー出場アジア最終予選。
 日本は、オーストラリア、中国に負け、韓国に引き分けで勝ち点「1」のみだ。五輪出場枠は、全部で6チーム総あたりで勝ち点が多い上位2チームのみが出場権を獲得する。
 ワールドカップでは優勝、オリンピックでは銀メダルまど輝かしいサッカー女子であったが、今年、沢穂希選手が引退し、チームは若返りで挑んだ大会であった。しかし、これまで3試合の結果から、注目されていた試合はまだえきていないように思える。

 なぜなのだろうか?
 これまでの戦績をみれば、今回の大会では対戦相手は必ずワールドカップに出場した選手をマークしてくる。だからボールも多く触れないあだろうと予想していた。だから、新しく出場した選手の活躍が期待さていた。しかし、結果はミスは多く、パスボールにたいしてもコンビネーションがいまひとつでズレでいた。まだまだ、若い選手たちは、ワールドクラスのスピードに慣れていないようだった。だから、タイミングも連携もよくなかった。ミスも連発した。相手にチームはそれを読んでいたかのように、ミスをついて若い選手を翻弄して勝ち点をあげたように見えた。守備のバランスが悪ければ、シュートの本数も正確性もずれる。

 なでしこジャパンのつなぐサッカーができず、点をとるためにロングパスは多くなったり、ゴール前での駆け引きに翻弄されたキーパーも未熟だった。これは仕方のないように思えた。経験がまだ足らないとはっきりわかった試合でもあった。それが目につく試合だった。だから負けてばかりいた。信じられない試合結果となったのは当然だろうと思う。残り2試合、日本らしいつなぐサッカーを思い出してほしい。





 歩く足元に小さな花が咲きはじめて季節は春へむかっています。その一方で今年の冬の思い出がよぎる季節でもあります。訃報は1月に。同級生の人が亡くなった。それも大病だった。知人の入院。さらにはぼく自身の飛蚊症と…。他人から自分まで老化がいうことを深く考える春先になりそうだ。
 どれも、やはり「よる年波にはかてない」というとおり、自分の肉体の衰えからくるそれぞれのシグナルだろうと思う。「無理を承知で何とか…」肉体ではなくなってきたのろう。だから、その分を生きてきた「知恵(浅知恵)」でカバーしていく必要があるのかもしれないと思えてくる。

 職場ではけっして無理をしているつもりはないのであるが、それをわかる同年齢の人もなく、一馬力をフル回転させ仕事をこなしている。そんな職場にきた人がうまいことを言った。「一人では出稼ぎのようなものだろう」と。そういえば、出向とはいえ、現実には出稼ぎ者みたいなものだと思う。冬の農閑期に地方から出稼ぎに来る人のことである。今は「出稼ぎ」という言葉は死語にになるつうあるように思うが、まだいるのだろうと思う。それに代わってでてきたの「派遣社員」ということかもしれない。それも、現代版女工哀史のようなブラック企業にあって、辞めさせれたり、過労死自殺になったりするニュースも多くなってきた。

 ブラック企業は一時の繁栄はあるものの、働き続けることなのどは考えていない。そのため、いずれ企業淘汰によってつぶれていく企業だろうか…。とはいえ、そこに働く人にとってはみもふたもない残酷な話だ。そうなるまえに、政治であれ、労働組合であれ考えてほしいことは働く人の実態だ。
 春闘本番であるが、こんな人たちのことはいっこうに考えていない大手組合にもみえるのはぼくだけだろうか。現実、自分のことでせいいっぱい。働くことが、自分らのためになって、本当に家族の人のためになっているのか考えさせられる季節でもある。

 いまは、少しずつ自分の体と対話しながらやる仕事にしようしている。春は、もっと動けるだろうと思う季節でもあるとおもう。身も着るものも軽くなる。とはいえ、今年の自分はそうなっていくか、相談のうえ初めていくしかないと思う。(無理はせぬことは第一だ)。

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 春に近づきつつある日々、うれしい温かさが身にしみてくる日々である。
 今年は、東日本大震災5年目。東京電力福島第一原発事故から5年めである。状況はすこしもよくなってように思える。いまだに、避難している人たちは日本全国にいる状態だ。除染はしたが、その除染したものを置くべきところも不明。これから出てくるであろう放射能被害についても問題途上にある。そんな中、今後は「被曝」がどだけ出てkるのかも未知数。仮設住宅でお孤独死も増えていたという。時間とともに高齢化がすすみ増加傾向にもあるという。
 原発再稼働でさえ、トラブルで停止。なにをやっているのだろうかと。
 まったく予断を許さぬ状況はちっとも変っていない。5年後はもっとよくなっていいはずだと思うのだが、それがかわっていないのは何が問題ないなのだろうかと。

 日々の生活の中で、ぼくの心の中には「地震」の揺れの経験が残っているように感じているのが正直なところ。
 3月も始まった。今月は、5年前よりちょっとよくなったと思えるニュースや出来事に触れてみたいものだ。
 それにしても、日々の生活の中で「何がうれしいって…」という会話が少なくなったような気がするなあ。
 けっきょく、誰もが自分のことだえで精一杯なんだろう。ぼくも自分の生活で精一杯というのが正直なところだと思う。沖縄であれ、福島であれ、それは大きな問題だと思ってもそれを、自分の身近なこととして、そしてできる範囲でと考えていくことはむずかしいのだろうと思う。ただ、身近にそれに近い人などと話すことによって「それは問題だ」と考えていくしかないように思う。なぜなら、当事者にはなれない現実をそれぞれ抱えていきているのが現実だだろう。それでも、話したり、聞いいたりすることで少しは自分にもできることを考え行動すことしかないのかもしれない。

 読んでくれた人、ありがとうございました。