こんにちは……
大型連休があった5月もおわりです。何があったか…。楽しくなるはずの5月であったのですが、連休後半になにがわるかったのか「下血」をしました。なんとも初めての経験で、即、精密検査をうけました。あまり、なじみのないあ「東京都がんセンター」などという病院にいった月末でした。
やはり、そんな経験をすると「死」ととなりあわせの年齢に近づいていることを考えた5月でした。
なんでこうなったのでしょうね…?という反省の日々でもありました。ストレスかあるいは無理な運動の結果なのか……いろいろと模索して結果、またいつもの日々が帰ってきました。
少しずつ、病気のことを忘れ日々の忙しさのなかに戻っていくような月末です。「当たり前に仕事ができる」「うまいものを食べたい」などという自然な思いが復活していくような日々が大事なことだと思える5月でったように思えました。
さて、今週も「集団的自衛権」という話題が中心でニュースが流れた週でした。いろいろといっているが安倍政権は「憲法改悪」に突き進んでいるように思えます。それも、「消費税8%」という財布がふくらんだところでそのお金の使い先をはやくもみこんでいるようにみえます。
時代は少子高齢化で年金も75歳からという話題もありました。政治のつけは全部、弱者にまわってくとうに見えます。本当に消費税を社会保障に使おうとしているのかあやしくなってきました。
今週、悪いことばかりではなくいいこともありました。
「厚木基地判決」、「大飯原発の運転差し止め」の二つの判決では住民の訴えを認めた判決がでました。判決は、内容をみれば住民の当たり前の要求なのですが、なにがそうせているのかなかなか住民側の思うようにいかないのがあたりえのようになっていましたから、これは画期的なことのように思えます。
今後も注目に値する判決であったわけです。
もうひとつは「過労死等防止対策推進法」が成立しましたね。とてもいいことだと思います。
年々増える「過労死」歯止めをかけるべく法案だ。それにしても遅い…のではないかと思える。一方で、安倍政権は「残業代のない長時間労働」が可能な法案を出しているいる。なんとも無茶苦茶な政権だなと思う。
実際、過労死をだした企業(ワタミ)の経営者が政治家になっていることじたいおかしい日本政治でしょう。年々増えるような勢いの「ブラック企業」。でも身の周りの労働はブラックにいかない「グレー企業」がいちばん多いのではないのでしょうか。今回成立した「過労死等防止対策推進法」がグレー企業がいつかブラック企業になるまえに経営者に考える機会であればいいのではないかと思えます。
内容として……
(1) 過労死等の防止のための対策に関する大綱の策定義務、 (2) 過労死等の概要および政府が講じた施策の状況に関する報告書の国会提出義務、 (3) 厚生労働省内における過労死等防止対策推進協議会の設置、 (4) 過労死等防止啓発月間(11月)の設定などを規定するもの。
今、日本はエンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』のようなところに見えます。日本でいえば『女工哀史』でしょうか。ひととき小林多喜二の『蟹工船』という小説がブレイクしました。まさに、状態はそんな状況だからこの法案ができたのではないのでしょうかね。
働く人が使い捨てにされていく仕組みをつくったことが根本的(小泉首相時代の規制緩和ということ)に間違いだと思います。法律ができてはい終わり…というほど世の中はあまくないでしょう。
今後の動きがだいじになるでしょう。
日々の四季の移り変わりをいちばん感じられる季節が春でしょう。
木々の枝には花が咲いたり、新緑の葉がついたりとまさに生命の息吹を感じられるのが春だな思えます。
なぜこんなめだたい季節に、見たこともなく、感じたこともない身体の変化があるのでしょうか…。人間の身体もこの春にのって新しく脱皮でもできればいいのにと思います。そう思える生活を作ろうとしているのか、といえばやや不安です。
「なぜ、わたしが」という不安の日々もあります。とはいっても、現実自分の身体の異常に名前(病名)がつくまではもっと不安です。なぜなら、その名前が今後の対応に大きな意味があるからです。なんにつけ、しらないこと、わからないことは不安を倍増させます。だから、人はなんらかの名前をつけて対応をこころみるのです。
人間は「生老病死」の連続のなかで人生をつくっていきます。それがどんなものであるにせと、受け止めてからの対応がいちばん大事なことだと思います。人はなにかの病気をしてからやっと自分のことを考える…ということだと思えます。さて、私はどう変わっていくのでしょうか。
今月はどんな本を読んだでしょうか……。
風がすがすがしく気持ちのいい季節になってきました。読書には絶好の季節だと思いますが、今月はわたしにとっては最悪の月でした。
私は、これまで健康には自信があったと思ったのですが今月は、ちょっと考えないといけないと思うほど月でもありました。
しかし、そんん中で読んだ本はとても貴重な思いをさせてくれた本であったと思います。とくに『アンネの日記』は再読に値する本だと思えました。その結果『アンネフランク』のDVDまでみるほどはまった一冊でした。
アンネの日記・完全版/アンネ・フランク(深町眞理子訳)/文藝春秋
・~あんまり長いことこんなところにいては、自分が干からびた豆殻みたいになってしまう、そんな気がする。そしてわたしが念願しているのは、真に人間らしい女性になりたいということなんです(p245-1944/1/15)
・人間って、どうしていつもほんとうの感情を懸命になって隠そうとするのか、あなたそれがわかりますか?。どうしてわたしは人前に出ると、本心とはまるで裏腹な行動をとってしまうでしょうね?。どうして人間って、これほどまでにたがい信頼できないんでしょうね?(p249)
・どんな不幸のなかにも、つねに美しいものが残っているということを発見しました。これを探す機になりさえすれば、それだけ美しいもの、多くの幸福が見つかり、ひとは心の調和をとりもどすでしょう(p304)
・わたしは生まれつき快活な気性で人間が好きです。猜疑心を持ちませんし、だれもがみんなわたしとともに、幸福になってくれればと願っています(p345)
・~そう、いまなによりも望むものは、産後はほんとうのオランダ人になりたいということです。わたしはオランダ人を愛します。この国を愛します。この国の言葉を愛し、この国で働きたいと思います。もしも、そのために女王様に直訴しなくちゃならなくても目的を達するまではけっしてあきらめないでしょう。わたしは、ますます両親から離れて、一個の独立した人間になろうとしています……目標も自分なりの意見も、信仰も愛しています……そしていま、わたしは考えます……そのためには、なによりもまず勇気と、そして明朗な精神が必要だと!(p379)
・わたしの最大の望みは、将来ジャーナリストになりやがて著名な小説家になることです(p426)
【感想】
「アンネの日記」はこれで二度目です。1回目はなんと18年前でした。
この本は、自分が「まずい」状況に置かれたときにきっと読んでいる一冊まのでしょう。事実、体調を崩し、一週間仕事を休んでいたときに、家で読んでいました。
「いまごろ、職場ではかえるころだろうなあ…」と思いつつ静かに読んでいた本でした。(普通に仕事ができる、生活できることはなんと素晴らしいと思いつつでした)
読み終えて、できればアンネ・フランクにはこんな状況下で日記を残すよりもごく平凡に生きて欲しかったように思うのは親心なのでしょうか。歴史には「もし:If)はありませんがそれにしても世界のベストセラーになるよりも生きてボチボチ時代を証言する人になって欲しかったと思います。
とはいっても現実はナチスの台頭したした時代。それも、急激に世界から追い込まれている時代に生きた少女でした。どんなに厳しくとも自分の理想を見失わないような日記にはどれだけの人に勇気を与えていたのでしょうか。
これもアンネの生き様がみごとに記録されていたからだと思います。
できることなら、こんなことは二度とおしてはならないと思えた本でした。
今度は何年後に読むのでしょうか……ね。また、同じ状況下ではよみたくないですが……。
明日の友を数えれば /常盤新平/幻戯書房
・神保町にはむかしながらの個性豊かな喫茶店がたくさん残っている。私が利用するさぼうる、エリカ、壹眞(かずま)、李白、それに大丸焼茶房などだ。週に一度が神保町に出かけてくるのも、これらの一軒で一服したいからだ。古本屋を覗いたあと、世捨人気取りで横丁へ抜けていくのも楽しい(p124)
・ニューヨークの下町の場末のホテルに住む、95歳の元気なフラッド老の日常を描いた百十ページばかり読んだとき、面白くて少しずつ翻訳を始めた(p153)
【感想】
常盤新平の本は若い人向きではないかもしれない。
なぜなら、冒険もなくサスペンスもなく人生を淡々と生きて、そのなかでキラリと光る人生のエッセンスをなげかけているような文章が多いからだ。これは、どんな人生をおくろうとちょっと長生きしたものの特権のような味がある。そして、思うのだ。ちょっと頑張ってもうすこし長生きしてみようか……と思わせる人なのだ。
そして、思う。私にはどれだけの心を開いて話せる友は残っているのだろうか……と。人間だけが楽しむ「縁」を通して描く人間模様は大好きな部分だ。
常盤 新平
1931年岩手県水沢生まれ。小学校から高校まで仙台で育つ。進学のため上京し、翻訳家を目指しながら出版社に十年間勤務したのち、1969年に独立。ノンフィクションや現代小説の翻訳を手掛けるかたわら、アメリカの文化を紹介する本を次つぎと刊行。1986年には初の小説集『遠いアメリカ』で直木賞を受賞し、以後、市井の人びとの哀歓を描いた作品を発表する
日本語スケッチ帳 /田中章夫著 /岩波新書
日本語の魅力を伝える一冊です。時の流れとともに変わっていく言葉を追いかけて、私たちに自分の使っている言葉の魅力を気づかせてくれる。
※後日掲載します。ごめんなさい。
「お・も・て・な・し」は,新語・流行語大賞をとった話題の身ぶり言語だが,エジプトでは,あの動作が「静かに!」を,コロンビアでは「沢山ある」を表わすという.五輪・野球などスポーツ用語の誕生秘話,外国では通用しない外来語,「自分をほめてあげたい」の意外なルーツなど,日本語の面白い世界を楽しめる一冊.
はやいもので、私が役職になって十数年。いつかこんなときがくるんだろうなあ、と思っていたが現実となると寂しい気がしますね…。
しかし、現実は協約とおりすすんでいくでしょうね。
そして、5月の誕生日をこしたころ「役職定年制」になる。はやいなあ……、と思っても過去はもどせない。とりあえず、前に進むことしかないのだろう。
役職定年制についてこんな説があります。
『役職定年制とは、役職者が一定年齢に達したら管理職ポストをはずれ、専門職などに異動する制度。人事の新陳代謝を促し、組織の活性化や若手の育成、モチベーションの向上を図るとともに、年功序列制度のもとでは人件費コストの増加を抑えるねらいもあります。』
私は、現場を離れ部内移動のよっての仕事がはじまることになる。移動場所は、まったく畑がちがう仕事ではないのでそれはよかったと思う。
「責任」の重荷が降りる。このために給料も減る……。これが現実である。
これも仕方がないのことだと思っている。私が移動したその後は、若い人たちが試行錯誤うを繰り返し、いちばんいいやり方をつくっていくことだと思う。一緒に仕事をやってきた人と離れるのは寂しい気がするが、人間いずれ一人になっていくしかなのだろうし、あとは自分の段取りというものをまた後世に伝えていくことが若い世代の役目だろう。
いい方をかえれば「世代交替」ということなのだろう。
今週、職場では変化がでてきたようだ。これまでの流れを変えていこうという試みのようだ。みんなのやる気がかわらまわりしなければいいと思う。
仕事はできれば気が合う人とコンビを組んで、工夫をしながらやれたら最高だと思える。失敗を繰り返しても支えあうことをあきらめなければどうにかなるのだと思う。
大事なのは、なんでもいつか終わる…ということだ。終わったときどれだけ自分もお客も満足できるかということ、それがいちばんだと思う。
また、いちから始めますよ……。
5月は新緑で気持ちのいい季節というのは世間一般の気持ちで、私の個人的な気持ちとしては、今年は50代のターニングポイントになるのでしょうかね。
連休のときの身体の変化により、精密検査を受けたのも、職場では私がはいっていない状態で仕事が進んでいくのを見るにつけ、もう私の仕事をまたできる範囲でつくっていくしかないだろうなあ……と考えた月でもありました。
また、違ういきがいをさがしていこうと思います。
これからは、家族と一緒に夕食がとれる時間がとれることだと思います。これは、うれしいことです。
そして、これからは自分の時間でできることを探すことになるだろうと考えています。
5月……お疲れさまでした。6月はいい日がくるといいですが。
読者の皆さまもくれぐれも体調には気をつけてください。
*読んでくださった方、ありがとうございました。