日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

5月が終わってみれば……

2014年05月25日 | Weblog


 こんにちは……
 大型連休があった5月もおわりです。何があったか…。楽しくなるはずの5月であったのですが、連休後半になにがわるかったのか「下血」をしました。なんとも初めての経験で、即、精密検査をうけました。あまり、なじみのないあ「東京都がんセンター」などという病院にいった月末でした。
 やはり、そんな経験をすると「死」ととなりあわせの年齢に近づいていることを考えた5月でした。
 なんでこうなったのでしょうね…?という反省の日々でもありました。ストレスかあるいは無理な運動の結果なのか……いろいろと模索して結果、またいつもの日々が帰ってきました。
 少しずつ、病気のことを忘れ日々の忙しさのなかに戻っていくような月末です。「当たり前に仕事ができる」「うまいものを食べたい」などという自然な思いが復活していくような日々が大事なことだと思える5月でったように思えました。

 さて、今週も「集団的自衛権」という話題が中心でニュースが流れた週でした。いろいろといっているが安倍政権は「憲法改悪」に突き進んでいるように思えます。それも、「消費税8%」という財布がふくらんだところでそのお金の使い先をはやくもみこんでいるようにみえます。
 時代は少子高齢化で年金も75歳からという話題もありました。政治のつけは全部、弱者にまわってくとうに見えます。本当に消費税を社会保障に使おうとしているのかあやしくなってきました。

 今週、悪いことばかりではなくいいこともありました。
 「厚木基地判決」、「大飯原発の運転差し止め」の二つの判決では住民の訴えを認めた判決がでました。判決は、内容をみれば住民の当たり前の要求なのですが、なにがそうせているのかなかなか住民側の思うようにいかないのがあたりえのようになっていましたから、これは画期的なことのように思えます。
 今後も注目に値する判決であったわけです。

 もうひとつは「過労死等防止対策推進法」が成立しましたね。とてもいいことだと思います。
 年々増える「過労死」歯止めをかけるべく法案だ。それにしても遅い…のではないかと思える。一方で、安倍政権は「残業代のない長時間労働」が可能な法案を出しているいる。なんとも無茶苦茶な政権だなと思う。
 実際、過労死をだした企業(ワタミ)の経営者が政治家になっていることじたいおかしい日本政治でしょう。年々増えるような勢いの「ブラック企業」。でも身の周りの労働はブラックにいかない「グレー企業」がいちばん多いのではないのでしょうか。今回成立した「過労死等防止対策推進法」がグレー企業がいつかブラック企業になるまえに経営者に考える機会であればいいのではないかと思えます。
内容として……
(1) 過労死等の防止のための対策に関する大綱の策定義務、 (2) 過労死等の概要および政府が講じた施策の状況に関する報告書の国会提出義務、 (3) 厚生労働省内における過労死等防止対策推進協議会の設置、 (4) 過労死等防止啓発月間(11月)の設定などを規定するもの

 今、日本はエンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』のようなところに見えます。日本でいえば『女工哀史』でしょうか。ひととき小林多喜二の『蟹工船』という小説がブレイクしました。まさに、状態はそんな状況だからこの法案ができたのではないのでしょうかね。
 働く人が使い捨てにされていく仕組みをつくったことが根本的(小泉首相時代の規制緩和ということ)に間違いだと思います。法律ができてはい終わり…というほど世の中はあまくないでしょう。
 今後の動きがだいじになるでしょう。


 日々の四季の移り変わりをいちばん感じられる季節が春でしょう。
 木々の枝には花が咲いたり、新緑の葉がついたりとまさに生命の息吹を感じられるのが春だな思えます。
 なぜこんなめだたい季節に、見たこともなく、感じたこともない身体の変化があるのでしょうか…。人間の身体もこの春にのって新しく脱皮でもできればいいのにと思います。そう思える生活を作ろうとしているのか、といえばやや不安です。
 「なぜ、わたしが」という不安の日々もあります。とはいっても、現実自分の身体の異常に名前(病名)がつくまではもっと不安です。なぜなら、その名前が今後の対応に大きな意味があるからです。なんにつけ、しらないこと、わからないことは不安を倍増させます。だから、人はなんらかの名前をつけて対応をこころみるのです。

 人間は「生老病死」の連続のなかで人生をつくっていきます。それがどんなものであるにせと、受け止めてからの対応がいちばん大事なことだと思います。人はなにかの病気をしてからやっと自分のことを考える…ということだと思えます。さて、私はどう変わっていくのでしょうか。
 

 今月はどんな本を読んだでしょうか……。
 風がすがすがしく気持ちのいい季節になってきました。読書には絶好の季節だと思いますが、今月はわたしにとっては最悪の月でした。
 私は、これまで健康には自信があったと思ったのですが今月は、ちょっと考えないといけないと思うほど月でもありました。
 しかし、そんん中で読んだ本はとても貴重な思いをさせてくれた本であったと思います。とくに『アンネの日記』は再読に値する本だと思えました。その結果『アンネフランク』のDVDまでみるほどはまった一冊でした。


   


アンネの日記・完全版/アンネ・フランク(深町眞理子訳)/文藝春秋
・~あんまり長いことこんなところにいては、自分が干からびた豆殻みたいになってしまう、そんな気がする。そしてわたしが念願しているのは、真に人間らしい女性になりたいということなんです(p245-1944/1/15)

・人間って、どうしていつもほんとうの感情を懸命になって隠そうとするのか、あなたそれがわかりますか?。どうしてわたしは人前に出ると、本心とはまるで裏腹な行動をとってしまうでしょうね?。どうして人間って、これほどまでにたがい信頼できないんでしょうね?(p249)

・どんな不幸のなかにも、つねに美しいものが残っているということを発見しました。これを探す機になりさえすれば、それだけ美しいもの、多くの幸福が見つかり、ひとは心の調和をとりもどすでしょう(p304)

・わたしは生まれつき快活な気性で人間が好きです。猜疑心を持ちませんし、だれもがみんなわたしとともに、幸福になってくれればと願っています(p345)

・~そう、いまなによりも望むものは、産後はほんとうのオランダ人になりたいということです。わたしはオランダ人を愛します。この国を愛します。この国の言葉を愛し、この国で働きたいと思います。もしも、そのために女王様に直訴しなくちゃならなくても目的を達するまではけっしてあきらめないでしょう。わたしは、ますます両親から離れて、一個の独立した人間になろうとしています……目標も自分なりの意見も、信仰も愛しています……そしていま、わたしは考えます……そのためには、なによりもまず勇気と、そして明朗な精神が必要だと!(p379)

・わたしの最大の望みは、将来ジャーナリストになりやがて著名な小説家になることです(p426)


【感想】
 「アンネの日記」はこれで二度目です。1回目はなんと18年前でした。
 この本は、自分が「まずい」状況に置かれたときにきっと読んでいる一冊まのでしょう。事実、体調を崩し、一週間仕事を休んでいたときに、家で読んでいました。
 「いまごろ、職場ではかえるころだろうなあ…」と思いつつ静かに読んでいた本でした。(普通に仕事ができる、生活できることはなんと素晴らしいと思いつつでした)

 読み終えて、できればアンネ・フランクにはこんな状況下で日記を残すよりもごく平凡に生きて欲しかったように思うのは親心なのでしょうか。歴史には「もし:If)はありませんがそれにしても世界のベストセラーになるよりも生きてボチボチ時代を証言する人になって欲しかったと思います。

 とはいっても現実はナチスの台頭したした時代。それも、急激に世界から追い込まれている時代に生きた少女でした。どんなに厳しくとも自分の理想を見失わないような日記にはどれだけの人に勇気を与えていたのでしょうか。
 これもアンネの生き様がみごとに記録されていたからだと思います。
 できることなら、こんなことは二度とおしてはならないと思えた本でした。

 今度は何年後に読むのでしょうか……ね。また、同じ状況下ではよみたくないですが……。


明日の友を数えれば /常盤新平/幻戯書房
・神保町にはむかしながらの個性豊かな喫茶店がたくさん残っている。私が利用するさぼうる、エリカ、壹眞(かずま)、李白、それに大丸焼茶房などだ。週に一度が神保町に出かけてくるのも、これらの一軒で一服したいからだ。古本屋を覗いたあと、世捨人気取りで横丁へ抜けていくのも楽しい(p124)

・ニューヨークの下町の場末のホテルに住む、95歳の元気なフラッド老の日常を描いた百十ページばかり読んだとき、面白くて少しずつ翻訳を始めた(p153)

【感想】
 常盤新平の本は若い人向きではないかもしれない。
 なぜなら、冒険もなくサスペンスもなく人生を淡々と生きて、そのなかでキラリと光る人生のエッセンスをなげかけているような文章が多いからだ。これは、どんな人生をおくろうとちょっと長生きしたものの特権のような味がある。そして、思うのだ。ちょっと頑張ってもうすこし長生きしてみようか……と思わせる人なのだ。
 そして、思う。私にはどれだけの心を開いて話せる友は残っているのだろうか……と。人間だけが楽しむ「縁」を通して描く人間模様は大好きな部分だ。

常盤 新平
1931年岩手県水沢生まれ。小学校から高校まで仙台で育つ。進学のため上京し、翻訳家を目指しながら出版社に十年間勤務したのち、1969年に独立。ノンフィクションや現代小説の翻訳を手掛けるかたわら、アメリカの文化を紹介する本を次つぎと刊行。1986年には初の小説集『遠いアメリカ』で直木賞を受賞し、以後、市井の人びとの哀歓を描いた作品を発表する



日本語スケッチ帳 /田中章夫著 /岩波新書
 日本語の魅力を伝える一冊です。時の流れとともに変わっていく言葉を追いかけて、私たちに自分の使っている言葉の魅力を気づかせてくれる。

※後日掲載します。ごめんなさい。

「お・も・て・な・し」は,新語・流行語大賞をとった話題の身ぶり言語だが,エジプトでは,あの動作が「静かに!」を,コロンビアでは「沢山ある」を表わすという.五輪・野球などスポーツ用語の誕生秘話,外国では通用しない外来語,「自分をほめてあげたい」の意外なルーツなど,日本語の面白い世界を楽しめる一冊.



 はやいもので、私が役職になって十数年。いつかこんなときがくるんだろうなあ、と思っていたが現実となると寂しい気がしますね…。

 しかし、現実は協約とおりすすんでいくでしょうね。
 そして、5月の誕生日をこしたころ「役職定年制」になる。はやいなあ……、と思っても過去はもどせない。とりあえず、前に進むことしかないのだろう。

 役職定年制についてこんな説があります。
 『役職定年制とは、役職者が一定年齢に達したら管理職ポストをはずれ、専門職などに異動する制度。人事の新陳代謝を促し、組織の活性化や若手の育成、モチベーションの向上を図るとともに、年功序列制度のもとでは人件費コストの増加を抑えるねらいもあります。』

 私は、現場を離れ部内移動のよっての仕事がはじまることになる。移動場所は、まったく畑がちがう仕事ではないのでそれはよかったと思う。
 「責任」の重荷が降りる。このために給料も減る……。これが現実である。
 これも仕方がないのことだと思っている。私が移動したその後は、若い人たちが試行錯誤うを繰り返し、いちばんいいやり方をつくっていくことだと思う。一緒に仕事をやってきた人と離れるのは寂しい気がするが、人間いずれ一人になっていくしかなのだろうし、あとは自分の段取りというものをまた後世に伝えていくことが若い世代の役目だろう。
 いい方をかえれば「世代交替」ということなのだろう。

 今週、職場では変化がでてきたようだ。これまでの流れを変えていこうという試みのようだ。みんなのやる気がかわらまわりしなければいいと思う。
 仕事はできれば気が合う人とコンビを組んで、工夫をしながらやれたら最高だと思える。失敗を繰り返しても支えあうことをあきらめなければどうにかなるのだと思う。
 大事なのは、なんでもいつか終わる…ということだ。終わったときどれだけ自分もお客も満足できるかということ、それがいちばんだと思う。
 また、いちから始めますよ……。



 5月は新緑で気持ちのいい季節というのは世間一般の気持ちで、私の個人的な気持ちとしては、今年は50代のターニングポイントになるのでしょうかね。
 連休のときの身体の変化により、精密検査を受けたのも、職場では私がはいっていない状態で仕事が進んでいくのを見るにつけ、もう私の仕事をまたできる範囲でつくっていくしかないだろうなあ……と考えた月でもありました。
 また、違ういきがいをさがしていこうと思います。
 これからは、家族と一緒に夕食がとれる時間がとれることだと思います。これは、うれしいことです。
 そして、これからは自分の時間でできることを探すことになるだろうと考えています。
 5月……お疲れさまでした。6月はいい日がくるといいですが。
 読者の皆さまもくれぐれも体調には気をつけてください。

*読んでくださった方、ありがとうございました。

一週間休んでしまいました……

2014年05月18日 | Weblog


 こんにちは……
 とても気もいのいい日が続きます。久しぶりに多摩川の散歩に出かけてきました。散歩途中の家々の軒下にはツバメが巣づくりにはげんでいました。
 今年は昨年より、少しその場所が減ったように感じた散歩道でした。これも環境がかわっていく予兆なのでしょうか……。静かな場所が少しずつなくなっていく昨今、動物も生きる場所を選択していっているのでしょう。

 さて、今週はまさに「きなくさい」一週間でした。
 なにがそうなっているのかというと、とうとう安倍政権がその馬脚をあらわした週でもありました。日々「集団的自衛権」なる内容を「これでもか…」とい人々の目にふれさせた週でもありました。
 要は、「集団的自衛権」を道具として憲法を変えようとしているのがみえみえでした。つまり、「自衛隊を軍隊」にしようと、手をかえ品をかえ、本質をあわらにした日々でもありました。

 消費税8%になったことだし、予算も増えるしお金の使い道を当初のもくてきの社会保障から軍事的な予算に変容しようとしているようにも思えました。
 これが、安倍首相の本質だと思います。彼らの世代は人々より、自分の生きている時代に名を残すような権力者の考えがあまりにも濃くなっているような政治が披露されたようにもみえます。
 最期にこの政治で、誰が利益を得て、だれが幸福になるのか…ということだと考えます。
 
 公明党もここは「ふんばり」どころでしょう。平和な社会をめざすはずだったのが、いつのまにか戦争の足音のなかに前進していたのか、ということのないようにしてほしいものです。
 それにしても野党という政党はいったい何をしているのでしょうか。とくに民主党は、影すらないようになっているのではないのでしょうか。
 今、政権は既成事実を必死につくろうとしてりうようなところに思えます。「これが正義」といわんばかりというところです。だれの正義はといません。「自分が正義」という、一歩間違えるとファシズムになるようなところもあるようにも見えると……、考えすぎでしょうか。
 「憲法」をかえるのは、時の権力者ではなく、生きて生活している人びとです……。


 いまがいちばんいい季節。すがすがしい季節、ということなのでしょうか。
 連休も終わり、また仕事がはじまりました。
 日々、仕事ではいやなことが多くてストレスもたまり気味です。「こうすればよかった」とか「もっと時間があればよかった」などと思う日々です。生活する場所。いちばん長い時間いる場所である。
 いまの季節のようにすがすがしくいきたいと思うのですが難しいです。それでも、すがすがしく…と思う自分は可能かもしれません。


◎除染作業員の労災隠す(5/14東京)
 除染作業員が転落して重傷を負ったのに労災を申請しなかった「労災が発生すると仕事を切られると思った」

 福島第一原発廃炉作業員現場ではどんな作業をしてるのか…と思う。遅々としてすすまない現場の状況を伝えるものがあまりないように思える。現場はまさに「死ととおなり合わせ」の実態にもかかわらず、労災隠しがあるのという事実をみればうまくいったいないようだ。作業員も足らないともいう。一人の作業時間が残業という形で行われているともいう。こんに高濃度放射能のなかで長時間作業ができるのだろうか。東電が出した「廃炉スケジュール」が以前出された。何十年もの歳月をかけて廃炉にするという。しかし、その実態は表に出ない。そんな経過を漫画にしてものがでているという。作者は、48歳の竜田一人(たつた・かずと)。「いちえふ」というマンガから目をはなせない。

◎東北首長80人「九条連合」全国に呼びかけ(5/19朝日)
 東北地方の首長や首長経験者ら80人が集団的自衛権に危惧をもち結成

 安倍首相がすすめている集団的自衛権から憲法改正(改悪)の暴走をくいとめようと大震災をうけた東北地方の人たちのがんばりがいい。考えれば、東北違法が大震災でなかなかすすまない復興をそっちのけで、憲法を変えてまで進めようとする行き過ぎにブレーキをかけるられればいい。
 それにしても、この時期野党の国会議員の政治家としての活躍がないのがこわい。野党がまとまらないのも悪い。それを束ねようとしていない、最大野党の民主党はいったいどこを向いているのか……。






 5月の連休が終わりに近づいたころ、下血!!!???
 驚いてしまった。いったいどうなったんだ??と思いつつ不安な時間だった。さっそく、いつも行く診療所に行った。
 診断の結果、「まだなんとも言えない。一度精密検査をしてください。紹介書を書きます」と……。
 紹介されたのは「東京都がん検診センター」。
 一回目は、問診と検査の内容と、検査当日までやることを説明されて帰ってきました。日常の生活はできたのですが、実際のところ検査当日まで、またしても不安でした。

 検査前日から検査食と大腸をきれいにするための薬を水2リットルで溶かしトイレに数回通っていきました。
 こんなことは生まれてはじめて……。それにしても病名ないままがいちばん不安でした。一週間後、検査。
 鎮静剤を点滴され精密検査がはじまった。医師の声がかすかに聞こえる中、ガスがいっぱ出て、終了の声もうつろに検査の結果を聞いていました。
 「異常なしでしたよ」という声に喜ぶところではなく、疲れてベッドで休んでしまいました。
 そんなこんなで連休後もずーっと休んでしまいました。いろいろと、これまでの自分の身体のことを考えたことがなかったのに反省させられました。
 そこでいちばん大事なことと思ったことは、「適度」がいちばんなんだと思いました。飲みすぎ、働きすぎ、運動のしすぎ……と過度に自分を置いていたのではないかと反省させられました。
 なんでも「適度」(個人差がある)が大事なんだと。それも、日々の生活の中でその適度をさがすことが大事なことだと思えました。

 60歳に近づき、少しずつ無理もきかなくなっていることもわかったように思います。



 まあ、この年齢になると病気の一つくらいはあるのではないかと思います。ただ、それが生命にかかわるものかがわかるのは、自分ではなかなかわからないものです。一年1回の「人間ドッグ」も大事な行事なのではないかと思えました。会社でも年1回「健康診断」がありますが、それもできれば受けておいた方がいいのではないかと思えます。
 『早期発見、早期治療』がこの年齢ではいちばん大事な習慣なのでしょう。


 また、身体を少しずつ戻していくことにします。
 みんさんも、くれぐれもお身体を大事に考えて行動してください。
*読んでくださった方、ありがとうございました。




誕生日:体調絶不調の一週間から

2014年05月11日 | Weblog


 こんにちは……。
 季節は、まさに新緑の時期です。すがすがしい季節ですね。
 こんな季節はのんびりと街路地を散歩したり、行く人の顔を眺めたり、友達と一緒に出かけたりと……いっぱいあるでしょうね。
 それも元気に青空の下を……といきたいところです。久しぶりに多摩川の散歩道を歩いているとたくさんの花々がさいています。

 さて、私にとっての今週は最悪でした。連休が終わると同時に体調が悪くなり、さらには病院通いの週でした。歳のでしょうかねえ。これまでの体力のつけが全部まわってきたのでしょうか、とうとう体の精密検査をするはめになってしまいました……。そんなことも人生の一部。どうのりきっていくのかぼちぼち考えながら、検査の日々を待っている日々です。
 連休あけの一週間、みんさんはいかがでしたか……。


 町のにおい……。ときどき、立ち止まった瞬間思い出すことがある。
 例えば、私の住むこの町。都営霊園があるから、その広い霊園に散歩に行くとお線香のにおいが染みついているのか、かすかににおっていく。
 歩く歩幅もいつもよりちょっと狭くなり、ゆっくり歩く、といった場所だと思っている。そんな場所、もうにとつある。
 それは山である。あわてるとけがをするし、下手をすると滑落して危険極まりない。だからゆっくりと注意深くゆっくりと、自分の体重を感じながら歩く。景色もゆっくりみられることもできる……。
 さて、そんな場所を持っているのだろうかと、いつも通勤時間の電車のなかで思う。


『誕生日に』
わたしの生活をとりもどす
それがわたしなのだ
家族なのだ
歴史と時間のなかでは砂粒より小さい
いのちの音

わたしの生がある
楽しげな、苦しげな、悲しげな音をたてて
ぜんぶが五十八歳というわたしの生命は
ただ、シンプルに生きようとしているだけなのだ
できれば
できればだれものものでもない生
最期に妻と微笑ればいいと思う



今週は体調不良で充分、一週間をつたえることが出来ませんでした。
みんさんも身体には十分に気持ちをこめて生活してくださいね……。
「病は気から」といいます。そんなことは、「百も承知」といいますがそれが難しいのです。
そんな一週間でした。
さて、今週はどんなことになるのでしょうか……。
決まっているのは金曜日にまた「検査」を予定しているとことぐらいですか。
できれば、明日あたりから少しずつ身体に仕事というテーマをつけていければと思います。
 そんなわけで、きょうはここでおわりです。ごめんなさい。


今週も休みます……。


 今日は、誕生日でもあり、母の日でもあったんですね……。
今は亡き両親に感謝しつつ今回は終わります。
*読んでくださった方、ありがとうございました。

連休……後半の日々/高尾山顛末記

2014年05月04日 | Weblog


 こんには……。
 連休もあっという間に後半です。
 いまごろは、海や山の行楽地、あるいは古里で楽しんでいることでしょうか。
 人の移動が多いということには、それに比例して人の事故も多く起きていうようです。気がつけば、休日も終わりに近づいています。古里に帰った人は仕事にもどるために自分の家にむかっているころかもしれません。何十キロという渋滞ににも負けず、気をつけて帰ってきることができるといいですね。

 さて、今週私のほうは、唯一連休のレジャーといえるのは近所の高尾山にいったことくらいでしょうか。
 快晴の日に友だちと一緒にいってきましたよ……。三ツ星のいうことおあって、連日山は超満員でした。あまり、人が多くない陣馬高原頂上もたくさんの人がいました。初夏の空気をおもうぞんぶん吸い込んで帰ってきました。
 たまたま、山歩きにいった日は快晴で微風、なんとも山歩きのための天候でした。


 季節は初夏。暑くもなく、寒くもなく……ときたら皆さんは何をするのでしょうか。これは、個々人の差はあるのでしょうが、自然たいする働きかけということだと思えます。さらには、自然をどう上手に利用していのか、ということでもあるのでしょう。自然と接してなにを考えるのかそれぞれ自由な発想ができて、開放感に日々の悩みを忘れることができる大切な時間だといえるのではないかと思えます。

 この連休、海に山にと出かけた人は多かったと思います。
 連休を利用して、日常から脱出です。長い人生のなかでは、連休の時間などは、ウルトラマンの行動持続時間の3分…、という具合でしょうか。それでも、ウルトラマン同様、大切な時間であるのにはかわりはありません。
 そんな時間をもてるのであれば、もっと楽しくできるように、スケジュールというものがあるのでしょう。行き当たりばったりでは、結局、成功であれ、失敗であれ、次回の緒のスケジュールにはうんでいの差がでるようです。

 今回、9時に集合、バスで高尾陣馬高原下には10時。陣馬高原頂上には遅くなっても11時ごろというスケジュール。しかし、実際は、この連休でバス停留場は長蛇の列。さらには、トイレも長蛇の列……。男も女もその現実にすなおに受け入れなければ次には進めません。
 結果として、陣馬高原頂上には1時過ぎ。お昼は景信山から変更。
 ビールも飲もうと、買いにいってもらったら缶ビールよりビンビール、さらのは、暑いので4本とまとめ買い……。と、なれば、頂上は宴会に変身……。
あげくの果てに「焼酎はある…」。そこに女性がまざれば、家族の料理を広げはじめて、もうすでに、動こうとはできない状態をつくっていました。

 と、いうことで、写真のように酔いに、まかせて昼寝(下山に必要な休憩時間)。
 それぞれの言い分け……。
 「初心者もいるし、今日のところはデビューおめでとうということで、こんなことになりました」「山をなめるなよ!の口癖はきょうは撤回……ごめんんざさい」「たまには、いいんじゃない。こういうバリエーションができるのは、ここ、高尾山だけですから」などと、反省し帰りました。

 朝、降りた陣馬高原下にもどりまたしても長蛇の列にならんだ一日でした。
 トホホ……。
 ちなみにこの日のルートは陣馬高原~明王峠~景信山~小仏~小仏バス停~高尾(解散)の予定でした。
 


 さて、読者のみんさんの連休はいかがだったでしょうか。
 お疲れさまでした。


『端午』
ぼくがこどもだったころ
朝の露に昼のほこりに夕のきり傷に
シャツはよごれ
皮膚はきれ
それでもだれかれにかまわず遊んでいた

ぼくがこどものころ
となりのNさんが転校していった
かわりに都会のNさんがやってきた
別れにも
出会いにも
なにもいえずに遊んでいた

ぼくがこどもだったころ
「ごめんね」と言ったとき
周りがおおきくみえた
大人がより身近になった

それぞれのわかれ道に
「さようなら」も言った
その日の朝も朝露にぬれ
木々に肉を切られ
走っていた
人生に「ごめんね」と「さようなら」を
いわずに遊んでいた




※今週はお休みします。来週掲載します。

*読んでくださった方、ありがとうございました。