日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

すこしずつ、涼しくなってきました…

2015年09月27日 | Weblog


 こんにちは。
 季節はとても涼しくなってきましたね。天気が悪いと朝夕は寒いくらいになってきました。多摩川を散歩していると、小さな虫たち今年の命を子孫に伝えるために飛び交っていました。鳴き声もいっそう高く聴こえるようでもあります。
 そして、人はこの時期はとてもいい季節なのでしょうかスポーツに散歩にバーベキューに大いに楽しんでいました。と、思いきや金木犀の花のにおい…。いい香りなのですが、ぼくにとっては天敵。花粉症がでてきました。

 9月も今週で終わりますね。
 シルバーウィークもありましたがいかがでいたでしょうか。故郷に帰る高速道路の渋滞はニュースに流れていました。一方で、この休みを利用して国会周辺のデモや集会が毎日行われていたのが印象に残ります。
 ぼくいとって今年の、シルバーウィークは、ちょと迷惑な休みでもありました。一人職場になってから、休日出勤もあり、この休み中も一日出ていました。お客も出ているのですから断れませんよね…。考えれば、まあ、仕事が休日のときの方がけっこうスムーズにできるのはなぜでしょうか、そんな思いをもった休日でした。

 近所ではお彼岸ということもあり多くの墓参りの人たちがきていたり、小さな歩道は車と人で大渋滞。
 一年に一度のことですから仕方がありませんね。

 さて世の中はどうだったでしょうか。
 「安保法制」が強行採決で成立してしまいました。これからの日本はどうかじをとって進んでいくのかと思うと不安が残ります。まさに、静かなクーデターという言葉を耳にしましたがそう思うえるような事態であるのかもしれません。昨年「集団的自衛権行使」が閣議決定で強行されたかと思いきや、やつぎばやに採決…、とは驚きます。

 昔(1973年)、チリでピノチェト陸軍司令官が軍や警察によって暴力的にアジェンデ政権が崩壊しました。その後も社会党や共産党への弾圧を強め、反体制の人々を拘束や拷問のよって多くな犠牲者を出した軍事クーデターがあったことを思いだしました。今回の与党がやろうしていることは、憲法という国のおおもとの法律も無視しして、自分たちの意見ばかり通して強引に押し通したのは、クーデターと同じように思えます
 軍事であれ民間であれ、立法国家である国を自分らの都合のいいようにして政権を維持することが本当に許されることなのでしょうか。

 一方、この事態を受けて「無関心」といわれていた若者が政治に関心をしめすようになり多くの若者を集会やデモでみるようになった。やっぱり、若い人たちのパワーは老人の比ではないなあーと思えた。
 ぼくが今の年齢になって初めて政治に関心のある若者の人たちをみたような気がする。これだけは、安倍政権が若者に、政治を気づかせてくれたメリットなのかもしれない。


 昨日、新聞に共産党が今回の政治のありかたを考えて野党の結集を呼びかけた。このままでは、自民・公明与党でなんでも押し切られるという危機感からだろうと思う。今は、一党の利害を考えている場合ではないということ、それには野党の国会議員を増やして論戦に今の国民の声を通していこいう考えなのだ等思う。
 確かに、このまま与党に何でもかんでも強行されると憲法も変えられてしまいだろう。
 ところがだ、野党の民主党はどうにも乗るきではない。維新の党の協力も考えている…。

 オイオイ、今は政治家が政治家たる本分になるときだろう。それを、党の利害がチタラチラしはじめてる。
 どうしてこなるのだろうか。協力できるところをさがして、国民の声を届けるのが政治家の役目だろう!!。
 当面、来年の参議院選挙にむけての方向を、民主主義の日本のためにがんばってほしい。





 暑さもやわらぎ、どこでもすわって新聞や本を読んだりするのも落ち着いてできるようになりました。
 読書には暑さは難敵なのでしょうか。夏の間は、光をさけて歩いたりして、ひとところに落ちついていられないほどの暑さがありました。

 さて、今月の読書ですが、山本周五郎をゆっくり読みたくて本棚引っ張りだしてみました。購入日時をみたところ、2006年4月3日とありました。9年前に一度読んでいました。今回は再読ということです。
 9年前はどこで何をしていたのだろうと考えてしましました。そのとき、どんな感想を持っていたのでしょうか…。時がたつのは早いものです。
 
 ぼくにとって、時代が変わって変わらないものといえば、読書でしょうか。
 誰でも、一冊くらいはお気に入りの作家や本があるのだと思います。

  

◎樅の木は残った(上・中・下)山本周五郎/新潮文庫

▼―けれどもそれで終わるのではな、世の中に生きてゆけば、もっと大きな苦しみや、もっと辛い、深い悲しみや、絶望を味わなければならない。生きるということは、よろこびもある。好ましい住居、好ましく着るよろこび、食べたり飲んだりするよろこび、人に愛されたり、尊敬されたりするよろこび―また、自分に才能を認め、自分の為したことについてよろこび、と甲斐はつづけた(上・p356)

▼―おれは間違っていた。けものを狩り、樹を切り、雪にうもれた山の中で、寝袋にもぐって眠り、一人でこういう食事をする。そして欲しくなれば、ふじこやなをこのような娘たちを掠(さら)って、藁堆(わらにお)や馬草の仲で思うままに寝る(中・p25)

▼当初、我々は民主化を求める運動を始めた。それなのに、いつの間にか暴力的な内戦になり、あげくの果てに過激な宗教勢力が跋扈(ばっこ)するような国になってしまった(p29)

▼「おれはおれだ、おれにはおれの生き方があるんだ」新八はそう呟いた、「人間は生まれついたようにしか生きるしかできやしない、おれはおれで好きなように生きるだけだ、ふん、どうせ百年とは生きやしないんだから(中・p78)

▼国のため、藩のため主人のため、また愛する者のために、自らすすんで死ぬ、ということは、侍の道徳としてつくられたものはなく、人間感情のもっと純粋な燃焼の一つとして存在してきたし、今後も存在するだろう。――だがおれは好まない、甲斐はそう思った(中・p161)

▼彼(帯刀)は原田家の歴史を語っているのであった。それはほぼ伊達氏の歴史と相伴ったもので、すなわち、右大将源頼朝の旗下であった非蔵人人朝宗が、伊達氏の始祖であり、その二代、常陸介宗村の代に、原田家の祖、予次郎がその家臣となった。宗村は常陸から奥州へ所替になり、伊達郡に館を構えて「伊達」を称してから、隠居した隠居した陸奥守綱宗まで十九代、原田家も与次郎から甲斐宗輔までが、同じく十九代であった。
 原田は古くから宿老の家柄であり、伊達家では一、二の臣といわて来た(中・p196)

▼「どちらかというと、私はあまりうぬ惚れるほうではない」と甲斐が云った、「首を覘われていることも、扇動者の多いことも、私にはたいして関心がない、そんなことよりまえに、侍の奉公というものはつねに命を賭けたものだ、と教えられたときから、私はいつも死と当面して来たし、死のおそろしさを知ってきた、あんまり死を考え、死をおそろしいと思い続けたために、いまでも生よりも死のほうに親しさを感じているくらいだ、こんなことを口にするのは初めてだが、おそらく七十郎にはわかるまい――小野が危篤だと聞いても、やすらかに往生を願うほかに、私にはなんの感慨もなし、また遺言などをことさら重大だと考えない、それだけだ」(中・p222)

▼あなたは常識円満で、用心深くて、つまらない失策や、へまなことは決してしない、貴方はいつも無傷だ、つまらない、たまには人間らしく、後悔したり悲しんだり、怒ってどなったりしてみたらどうです、原田さん、そんなふうにとりすましていて、肩が凝りやしませんか(下・p24)

▼「耐え忍び、耐えぬくということを忘れないでくれ」と甲斐は云った…(下・p270)

▼――この闇夜に灯が一つあればいい、だがわれわれにはその一つの灯さえない(下・p289)

▼――こういうとき侍に生れ、おれのような主人を持ったのが不運だった、おれを憎め、おれを恨め、だが役目だけははたしてくれ(下・p305)

▼もちろん、将軍家御側衆であられた某候は、ただ御好意から忠告されたことでしょう、その普請奉行はじめ、主家のお為をおもう家臣どもは深く感銘し、御注意に添って家中の安定につとめました、、けれでも、その証文の主である一人は、おのれの職権を悪用して、人を扇動し、無法に事を起こし、ついには公儀の御採決を受けなければならぬ、という状態にまでに到りました(下・p389)

▼――この疑問に答えられる者は、伊達家中には現に一人もいないし、いま原田どのを逆臣と呼んでいる者でさ
え、その動機を指摘することはできないのです(下・p448




 物語の中心は伊達60万石の分割をめぐるお家騒動。
 いまふうに言えば、政治の権力組織が自分らの利権をめぐって分裂の危機をまぐった人間模様…といったところだと思う。企業でもいえば、リコールがあるはずの部品をめぐって、内部告発をすべきか、それとも一人の人間の良心がどこまで自分の良心を貫き通せるのか…というところだろう思う。

 原田甲斐という侍がとった良心は、60万石は分割すべきではない。利権をめぐる人間模様のなかで自分の誠実さをどこまで貫きとおして生きていけるのかという「問いかけ」の一生だったように思える。
 なんにつけ、他人の影響を受けている日々の生活のなかにあって、自分は何をやって生きているんだ…という問いかけは、これからの自分をつくるうえで大切な問いかけだと思える。

 一説には原田甲斐は謀反人として歴史上で語られるという。それを、小説いう舞台のうで人間をあぶりだそうとした山本周五郎の執念が、良心を感じてしまう小説だった。

ルポ 過激派組織IS(Islamic State)/別府正一郎・小山大祐編・NHK出版

 『ISルポ過激派組織/NHK取材』という本は一度読んだのですが内容がまとめることができません。まあ、立派にまとめようとは思いませんが…。再読してみます。

 最近、よくISとはいったい何者だろう?という疑問がある。
 今年、新年早々、日本人二人がこの組織に誘拐され人質とされた事件があった。日本政府の2人の身代金が報道された。
 「イスラム国」を称するグループに拘束されている千葉市出身の湯川遥菜さん(42)と、ジャーナリストの後藤健二さん(47)は、昨年4月にシリアで別の武装組織に拘束されていた湯川さんを後藤さんが救った縁で、交流を深めていた。ともに人質となった2人の安否に、関係者は不安を募らせている。【和田浩幸】(毎日1月21日(夕))

 日本人にとってはあまりなじみのない国、イラクやシリア。まず観光地ではないのでいくことはないだろう。行くとしたら、企業の石油資源開発などで行くくらいではないかと思う。その国で今、全世界を巻き込んでニュースになっている。
 たとえば、ヨーロッパ各地で難民が増えている。この難民の問題でも大きくISの存在があることが、読むとわかってくる。

 そして、その実態はといえば、ときどき報道されるくらいで身近ではない。
 この本は、ニュースにはならないISのルポルタージュでもある。
 なぜ、過激派組織ができているのか、どんな実態なのか、なぜ、ヨーロッパの若者がすすんで参加するようになってしまったのか、丁寧に現地での取材を中心に報告されている。
 そして、日本との関係も(人質事件など)今後、濃くなっていくのではないかと思えてくるルポであるように思う。
 経済格差がうみだしたモンスターかもしれない。



 今、台頭いちじるしいIS(Islamic State)問題によって難民がヨーロッパ各地に避難している現実。
 




 今週で9月も終わり。はやい、早すぎる!!!
 とはいえ、時間をとめられるわけもなく、ただ前へ歩くしかないようだ。

 さてさて、今後の政治の行方がきになるところ。
 とくに野党はどうなっていくのだろうか…と思う。これは、これからの日本の方向を決めるかもしれない。
 いまのままの野党政党ではダメなことは分かっている。共産党が選挙協力を民主党に呼びかけている。いまは一政党の問題ではなくなっているような時だと思う。これがまとめられなければ、結局、人々は野党に何の期待もしなくなっていくだろうなあ。


 季節は秋。
 散歩道では銀杏が実りの秋をつたえていました。ちょっと臭いですが、これ焼いて食べるとうまい酒のつまみになります。楽しみを一つ見つけました。
 秋の夜長を楽しむ季節…ではあるのでしょうが、いまはそんなことをしたら翌日に無理がきます。ぼくのとっての秋は、うまいものが食べられることと、涼しくなって眠ることがゆっくりできることぐらいでしょうかね。
 10月には、休日出勤の代休で、山歩きもしたいと考えています。いろいろと心配事は多いのですが、何も考えずひたすら歩く、休日もつくらないと…と思っています。



 今週はこのへんで…
 読んでくれた人、ありがとうございました。楽しい10月になるといいですね。 

二度目の「強行採決!」から…

2015年09月20日 | Weblog


 こんにちは…
 「シルバーウィーク」になりました。
 予定のできている人は、どこかに出かけたりして楽しい休みに入っいりことでしょうか。
 気候もたいへん涼しくなって、気持ちのいい日がやってきたと思います。ぼくの方は、予定もないまま、ご近所を散歩に励んでいます。シルバーウィークとはいっても、ちょっとの間、仕事を忘れる時間が増え、自分のことや友、家族のことを考える時間がちょっと増えるというぐらいでしょう。
 思えば、それだけ日本人(ぼくもですが)は仕事のことでガンジガラメの日々を送っているということのなのでしょうね…。

 のんびりと、多摩川の散歩をしているとトンボのつがいがいっぱい飛んでいたのが印象的でした。また、夕方になるとどこからか虫たちの大合唱が聞こえてきます。

 季節は少しずつ、冬にむかっているようです。
 さて、今週は、最悪の一日もあったり、とてもうれしいこともあった週でもありました。

 よくもやってくれました、安倍首相。
 「安保関連法案(戦争法案)」の強行採決。これは、史上最悪の国会であったように思えました。ラジオを聴いていたら、大橋巨泉さんが「まるで戦前の大政翼賛会のようだ」といっていました。戦前、戦中派の人の経験からそんな発言になるのでしょう。それにしても、審議の内容が首相と大臣の見解がバラバラであるし、昨日いったことが今日は変わるし、いったい与党は何でまとままっているのだろうかという疑問させ出てきました。

 また、自民党の党首選挙では、候補者も出ずにも驚きました。これが、今の自民党の本質なのでしょうか。まさに「独裁」の形が強くなったと思えるものでした。
 昨年の強行採決から一年の間にこれほどの政治をすることも近年ないように思えました。そして、それに抵抗する国民も集会やデモなどで、がんばっていたことには「日本のこれから」も大事な時間がやってくるのではないかといえるのだはないのでしょうか。

 憲法学者も、若者も、おかあさんも、おとうさんも、おじいさんも、おばあちゃんも巻き込んだ抗議行動がこれからも続くのだと思います。そして、そのなかで「憲法とは」「民主主義とは」「日本とは」が問われてくるのでしょう。ちょっと、大げさかもしれませんが、そんなことを思った一週かでもありました。
 そして、何が残り、何ができてくるのか…といったことが、本当の意味での民主主義なのでしょう…ネ。

 今回の強行採決は、ぼくたちの生活にどんな影響をもつのでしょう。
 当分、影響はないまでも、黙っていると日々の暮らしの中まで入ってくるのが世のつねです。
 憲法にしても、これからはもっと「海外へ…」という要望がでてくれば憲法を変更しなければならなくなります。とりあえず憲法9条の「戦争放棄」…というようになってくるように思います。
 国民の最大の砦たる憲法が変わっていくということは、とりもなおさず暮らしも変わってくるのは必然です。

 今回は「反面教師」としていくことが大事だなあ、と思います。

 こちらは、うれしいニュースです。
 今、英国で行なわれているラグビーのワールドカップで予選ですが日本が南アフリカに勝ちました。
 これは、「史上最大の番狂わせ:」とでも言われています。きっと故宿沢広朗さんが生きていたらどんなに喜んだことでしょうか。ラグビーにあまり、興味のないぼくでさえ、驚きの一勝です。







 今年の、今年のながい休日は今回で終わりでしょうかね。
 どんなお休みを送っていたのでしょうか。
 5月の連休同様に故郷に帰ったり、旅行をしたりと忙しく送っていたのでしょうか。高速道路の渋滞のニュースをきけば、やはり故郷に帰ったのでしょうか。
 ぼくの方は、どこへも行かずのんびりと休みを送りました。身の周りのことなどを片づけておわっていくように思えます。
 
 また、始まるであろう仕事や日々のできごとを思っていましたよ。



to day△ ▲ ▽Poem

「いち馬力」
わたしの命はいち馬力
晴れた日には休憩し
生活のためとはいえ通いなれた通勤路に今日も歩く

休日にはその道が散歩道
乗る電車は一直線に
仕事へとむかっているように思えて
逆方向の電車に乗る

雨にも負けず風にも、そして台風にも
なんとも悲しいサガ

あしたのことは考えず
きょうという一日を息をととのえて
凹んだ心も
修正しておこう
いち馬力のできることを



 気がつけば、休みも残すところ一日となりました。
 どこへいくでもなく、何をするでもなく、病気の妻と一緒にのんびりと送っていました。さて、どうなるのか。とは、いえまたいつもの日常がかえってきます。
 読者のみなさまは、いかがでしたか。
 それでも、休みは(休憩)はいいものです。なんでも、余裕があるからでしょうか、空想したりして楽しく考える時間がもてます。
 少しずつ、涼しくなってきました。なにをするにもやりやすくなってきました。食欲の秋、芸術の秋、スポーツの秋…でしょうか。でも、これから、嫌いな冬に向かっているのだろうと思うと憂うつですが。

 今日、散歩の途中で稲刈りをしていやおじさんに会いました。これも東京ですよ。
 ビルばかりが東京ではありませんねえ。
 『天気がつづいて、あーありがたや」だそうです。


 ぼくの方は、明日から(秋分の日)ちょっと早い仕事始まりです。
 今の職場にうつってから、こんな日々が多くなってきました。これも、仕方のないことでしょう。
 大事なことは、そんななかでも自分のやりたいことや、追求している好奇心を失わないことかもしれません。
 とちあえず、好奇心を持つことを考えようと思います。

◎おまけ…「にっぽん縦断こころ旅」(BS放送)が始まりました。

 この番組を見ていると、つくずく「日本でいい国」だなあーと思えます。こころも温かくなりますよー。
 火野さんの人柄なのでしょうか。肩もこらずゆっくり、そして安心して見られます。世界から見たら小さな日本という国ですが、こんなにおもしろい所も、こんな人もいるんだなあーと思わせてくれます。
 妻と一緒にいつも楽しみの番組です。手前勝手の応援もしてまーす。

 連休最後の日(秋分の日)に仕事に行ってきましたが、帰りの電車は大きな荷物やお土産を持った人たちの家路にむかう電車だったように見えました。また、明日から仕事です。のんびりと、ボチボチと始めていきましょうか。

 では今週はこの辺で。
 読んでくれた人、ありがとうございました。



雨去って、キズ残る

2015年09月13日 | Weblog


 こんんちは…。
 ながい雨が続きました。そして、雨が去ったあとは、関東、東北の地に大きな傷跡を残していきました。
 今回ほど、雨がこれほど「こわい」ものだということを知った一週間はありませんでした。さらに、昨日の地震とふんだり、蹴ったりの日々でもありました。
 早朝の、いい天気を眺めていると突然、グラグラ、ユラユラとなりだし、気がつけば東京調布で震度5の地震。 驚きました。調布はとなりの市であったので、揺れはやはり驚きました。棚からものが落ちていました。雨に河川の堤防の決壊に家が、人が流され、その上ゆるめの地盤に地震。油断もできません。
 まだまだ、災難はふりかかってきそうです。

 さて、今週は台風18号がさったと、降りしきる雨が豪雨となり、鬼怒川の堤防が決壊しました。
 決壊した川の水はむるみるうちに住宅地や田畑に浸水して大きな被害を残しました。テレビで中継される避難者の救出状況が、泥流の流れる中行われていました。山間部の住宅地には、土地が崩れ住宅を破壊し、住民を多数のみこんだ災害も報告されいました。

 自然の怖さは、人間の理由などいっさい聞かず、自然の驚異のなかに人をも引きこんでしまうことです。流れをのにのっていけば確実に人の生命などは絶えることなどできなくとも動いていくということでしょう。
 そして、この豪雨によって、福島の放射能汚染の水や除染で管理したいた袋が川や海に流れて出たという記事もありました。これが「想定外」なのだろうか…。

 4年前、東日本大震災で災害を経験していても、だれが望んでいるのか鹿児島の川内原発が稼働したという記事もあった。なんとも、人間とはこうなると、うとましい。ちっとも、今日起きた災難はいかさていないと思えてしまう。それとも、一部の強欲な人が、人の災難を無視してまで利益を得ようとしていることがわかる。そして、その行動を許す今日の政治のありかたも見えてくるのだと思う。国会周辺や地方では、集会やデモでこの動きにブレーキをかけようと声を出しているにもかかわらず、聞く耳をまたないという現実がのしかかっている。
◆   ◆   ◆

 今週「改正派遣法」がこれもまた、多くの反対があるにもかかわらず成立しました。
 新聞を読んでいて、この法律は結局は「企業より」だな…と思えた。これまで派遣は3年間同じところに勤めたら、雇用しなければいけないと認識していたが、これが改正によって、雇用どころから簡単にかえることができるという。つまり、契約は破棄できて、これまでの経験で得た知識を生かせず終わらせるようだ。また、新規で契約した人には単純作業させて安い賃金を…ということになる。これがこの法案の「売り」だろうと思う。

 まあ、はっきりいって「使い捨てOK」ということなのだろうと思う。いまほど、労働者が馬鹿にされこき使われていると思える時代はないと思える。だいたい、自分の働く場所を派遣会社が決めて、そこからまた紹介された会社に行く。まさに、二重搾取が合法的にやられているということではないかと思える。

 いろいろと価値観がかわって「働き方の多様化」なんていってるのは、本当に働く側からなのだろうか。なにか企業のキャンペーンみたいな気がする。そうやって、これからの働き方を浸透させて、結局は派遣・契約で安い賃金で抑えてしまおうということにしかみえない。本当に働きたい人は、自分の仕事に知識や経験を積み重ねていくのだろう??。それが3年ばかりではできないよーと思う。
 最低3年。3年たったところで、スタートしたいうことだと思う。それさせも分かっていないわけないのに…。3年ばかりでは人の信頼や自信はできないと思う。ながいつきあいでやっとうまれる人間関係に仕事だって同じようなもだろう。だから、この法律は人間性(労働者)無視の法案でもあると僕は見ているのですが…。



 やっと晴れた…。朝の通勤もちょっと遠回りをして歩きたくなるほどの天気の様子。
 今週は雨ばかりで、気がめいっていました。
 さて、そう思ったいた矢先、今度は連休が待っていた。一人職場でこの状況はうれしい…と思えないのはここにきてからだ。連休明けの初日机の上にたまっているのはたくさんの仕事。これは、一人では時間がかかりすぎる、という現実をめのあたりにする瞬間でもある。そんなときは、悩む前に、開き直ることのしている自分がいる。「これはどうやっても、時間内には無理。30年以上仕事をやってきたぼくが思うのだから」。
 
 本社に強引に仕事を送りつけて「考えろ!」ということを思う連休あけでもある。
 連休前に仕事の量が説明されていれば、休みの一部を出社して片づけることもできるのではあるが、「お客はわあまま」だ。それとも、ぼくの説明がまだまだ浸透していないせいか、爆弾を置くように連休明けはこわいのだ。まだまだ、今の職場に来て以来、それほど注文をつける身分でもない。じわりじわりと、話していくしかないようだ。



 日本は川が多い国なんだなあーと、今回の災害情報を聞くにつれ思う。
 ということは、山が多いということなのだろう。小さな源流が少しずつ大きな流れになって、川となっていく。山は、今の人間がいる以前よりあった。それを、人間が住みやすく、使いやすくするために改良に改良を重ねて今の流れいなっている。それが、氾濫した、ということは人間の失敗でもあるというこtだ。
 だから、つきつけていけば、今回の災害は「人災」ということも言える。便利さを追求した結果としてもこのざまなのだ、ということを思い知らされた日々であった。もっと、ひらたくいえば人間の勉強不足の結果だったように思う。


 自然災害は一般的な言い方で、本当は人災。原発事故も「想定外」という言葉があるが、結局これも責任逃れ、人災逃れの究極のいいわけ言葉のように思う。では、今度はそうなならないためにはどうしたらいいか…。簡単である、止めればいい。それでも生活ができてることが証明されたのだから。
 そう思っても、人の気持ちは(誰がそうさるのか)稼働させたいと言い出す。そして原発が稼働。で、過去の教訓はどおなっているのかといえば、ちっとも変っていない。具体的なことより、「安全」ということを書類に多くのことを書き込んだにすぎないように思える。

 そう思うと、来週あたり「安保関連法案(戦争法案)」なるものが、多くの学者、市民の大反対にもかかわらず成立させようという政治がやってくる。戦争は100パーセント人災。それでも、誰が責任をとってやるやら、そして、憲法を度解釈してやるのやら、ちっとも不明なことばかりである。見切り発車、いいかげんにも見えてくる。それではだめだという人の声はどうなっていくのだろうか。

 自分の働くことが失われたり、弱者の人たちが路頭にまようようになることはやめてほしい。
 そして、いまや公明党は平和の党ではなくなった…ということを再認識できる週になりそうだ。



◆   ◆   ◆

 2か月ぶりに散髪に行った帰り、大きな赤い提灯が列をなしていた。町内の秋祭りのシーズンか。陣屋のようなものをつくって、準備をしていた。そこに集まった子どもたちははやく焼きそばができるのをまっている様子だった。いいねえ~。こんなには、のんびり雲が青空を流れているのがいい。風も涼しくて、汗もかくが風がすぐに消してくれる。季節はまさに、秋に突入しているんだなあーと思う。

 少し涼しくなってすごしやすくなってきましたね。散歩の途中で彼岸花をみつけました。もう、秋なのですね。これから、だんだん寒くなってくると思うと憂うつになりますが…。むしろ、雨はもう静かになってほしいものです。茨城県や栃木県の災害を思うと、これほどひどくなる雨はかんべんしてほしいと思います。
 それにしても、今回は大変でした(おくやみ申しあげます)。

今週もできる範囲で、できることをやっていくしかないようだ。来週は、きっと国会周辺では大きな「反対」の声が響く一週間になりそだ。
 読んでくれた人、ありがとうございました。


9月になりました…強行採決か?

2015年09月06日 | Weblog


 こんにちは…
 とうとう9月になりました。
 9月にはいたったとたん、毎日天候がすぐれず涼しいのはいいのですが雨ばかりでまいってしまいますね。
 今週は、青空を見たのは一日だけでした。と思えば、すぐに雲が現れて、傘もやくにたたないほどの雨が一時ふる日もありました。今週はこの雨に悩まされた日々でもありました…ね。
 散歩をしていると、少しずつセミの声が少なくなって、代わりに秋の虫たちが鳴きはじめていました。そして、日の入りがはやくなり、暗くなるのもはやくなってさびしい感じがするようになってきたと思えます。
 夕方5時ごろの職場のビル街にはどこも、明るくて、ビルとビルの隙間がとても暗いのに驚かされます。

 さて、今週の印象にのこったニュースは、「五輪エンブレム問題」でした。
 こういう世界は、よくよく見てみると自分の自信作…と思っていても似たようなものがあるように思えます。パソコンの普及によって、自分の国以外での発見ということも多くなったのでしょうか。
 それにしても、デザインをした作家佐野研二郎氏も有名なデザイナーであれば、世界中のデザインはおおよそ見たいる人だと思うのですが…。意外と勉強不足なのでしょうか。
 だれが見ても似ている…と思われても仕方がないようい思えました。それも、大イベントの五輪使用ですから、ことは世界的ということも十分承知していたのでしょう。

 それでも、発表してしまう。これは、どういうことなのでしょうか。
 盗作まがいのデザインがほかにもあったとうから、「これは、やっぱり盗作だな」と思われても仕方がないかもしれません。でも、この世にだした自信作がこういう結果になってしまったということは、残念です。
 まして、多くのスポンサーがデザインを発注し、すでに使ってしまっている。まさに、後手後手の泥試合の様相です。なぜこうなるのでしょうか。
 やっぱり、広く世間からの公募をしないからのでしょうか。五輪ロゴデザイン関係者は自分たちだけでどうにしちゃえ…と思っているのでしょうか。

 それこそ、デザインを手がけた佐野研二郎氏だけのことじゃないのだろうと思えます。
 今後は、どうなるのだろうか…。また余計な税金が使われるのでしょうか。まいってしまいます。
 「お・も・て・な・し」…はどこ吹く風にしないでほしいものだ。

◆  ◆  ◆
ひと息に 吹き飛ぶ 虫の命あり
◆  ◆  ◆
 もうひとつ。
 「安保法制」でした。9月に入り、参議院でも審議がされています。審議すればするほどおかしくなっていくような法案でもあります。「自衛隊が勝手に作戦計画」まがいのプランをつくっていたことや、法の番人の最高裁元長官が集団的自衛権の法案は「違憲」とだという。それが、証拠に国内の憲法学者も「違憲」だという。

 それでも、今月、政権与党は法案を採決するという。
 いったい、この国は民主主義の国ではなかったのか…という疑問がうずたかく積もっていくような日々がつづいています。先月の集会には12万人もの反対が結集されたいうのに、それでも多数決で賛成にしてしまう政治も変だと思います。
 さらに、来年の参議院選挙にむけて民主党が解党する動き…。なぜ、この重大なときにそんな発想がでてくるのか、「議員てえのは政治家だろう」。いま政治をしなければいつ政治をするのか。野党はどこへ逃げるんだ。
 なんとも、不思議な国会があるような気がする。
 これが現実だと、期待をした人たちを裏切るようなことはやめてほしいものだ、と思う。だから「野合の衆」と思えてしまう。


 はやいものである。
 時間だけ早すぎて日々の思いも吹き抜けていく。
 ときどき、今の政治家はいったいどうしようとしているのかわからなくなる。自民党であれ、まさい独裁者ごとき首相になんの反論もできない与党議員たち。このまま、暴走させればどうなるかということを説明できないほど責任を放棄しているように見える。

 今週は、政治の愚痴ばかりになってしまった。 
 考えてみれば、国会議員を選んだのはなにをかくそう国民一人ひとりの一票で、結果として今の政治になってしまったということだろう。でも、オカシイものはオカシイと言えることが大事だと思う。だから、今回はオカシイといってきた。それも、これは本来のぼくの仕事ではない。ただ、委託しただけなのだ。
 それが暴走しているようになっている。

 今のところ、ぼくの周りはいやなことばかり多い日々だ。
 かみさんは、神経痛で病院通いが続いている。それでも、なお日々の仕事は、おかまいなしに無神経につくられていく。流されまいと思いつつ日々は、ようしゃなく過ぎていく。楽しみも忘れてしまうほどに…。

 今週は愚痴…の連続。これでも世の中回っている。それは、他の人が元気でいるからだろうと思う。
 そんな人たちのおかげで僕らもまわっているんだろう。だから、支えあっているどうにかつながているのだろうと思える。これからも、そうなのだろうし、そうありたいと思う。
 少しずつ、愚痴のすくない今月をつくっていくのが9月の目標なのかもしれない…とも思う。

 9月が始まりました。今月は月末に連休も入っていてのんびりできる月でもあるはずなのに、そんなにうれしいとは思わないのは、ちょっと疲れているのだろう。こんなとき思う出す小説が『樅の木は残った』の原田甲斐の生き様だろう。少しずつ読み始めよう。
 こんな愚痴に付き合ってくれてありがとうございました。今週も「戦争法案反対」をあきらめぬように行こうと思う。
読んでくれた人、ありがとうございました。


※散歩の途中、雨が多いせいか紫つゆ草の群生をみることができました。たくさん咲いているのをみるのもあと少しです。それでも、けなげに季節を読み、雨とつきあって生きている小さな花がきれいに見えました。