日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

暑い8月…お疲れさまでした。

2015年08月30日 | Weblog


 こんにちは…。
 最近はずいぶん涼しくなりました。
 お天気が悪いからそうなっているのでしょうが、それでも、涼しくなってきました。

 今年の夏は暑かったですね…。
 暑いをとおりこして酷暑でした。それが証拠に「熱中症」で病院に運ばれた人も過去いちばんであったのではないかと思えます。そして、不幸にも亡くなった人も多く報道されていました。一方で、台風も多かったですね。通常であれば、これからが台風の時期なのですが今年は夏にも多く発生していました。

 私にとっては、今年の夏は「これからは、こんな夏が多くなるだろう」ということを強く印象に残ったなつでもあります。幸い、老体になて、夏バテののようなものはまだ出てきていませんが、妻が今月ER(救急病院)にも行きました。やはり今年の暑さは尋常ではなかったことをうらづけています。

 酷暑の夏…大丈夫でしたか。

 久しぶりに、休日の多摩川に散歩にいってみました。
 小雨のなかがんばって運動をしている人たちをみることができます。せっかくの休日…ということなのでしょう。
 雨の降る中、グランドは使えてもちょっと…敬遠してしまいそうですが、こうして元気にできるのは隣にいる人のおかげではないのでしょうか、ね。そんな気持ちがあらわれている雨のグランドでした。

 


  

 「今月の本棚」の月末になりました。
 今月は、暑さのせいか本を読む環境にない季節でもあったように思えます。
 読む本も、どれがいいのかという選択肢の視野もせまくなった月でもあります。暑さはなんにつけ、考える余裕をあたえてくれないです。
 今月は小説がありませんでした。あいかわらず芥川賞をとった「火花」の人気はいなぎのぼりですが、わたしは依然として読んではいません。むしろ「スクラップアンドビルド」のほうが読みたいです(へそまがりですかね)

 今月読んだ本は3冊でした。
 人は窮地に立たされたとき、いったいどうするのかという気持ちがありました。そんなとき、何が大切なのか問い続けた一冊でもありました。読んでみて、結果として、人に大切なのは新品の機械でもなく、横のつながりを持ち続ける人との関係ではなかったのではないかと思っています。

◎町工場の娘/諏訪貴子/日経BP
本の内容
えっ、私が社長!?ジリ貧会社を再生した勇気と知恵と笑顔の物語。
町工場を営む家の次女として生まれ、32歳の時に突然、主婦から先代の後を継ぐことになった女性経営者の奮闘記。

 幼少期に亡くなった兄の「生まれ変わり」として育てられた。「ひょっとして私が会社を継ぐのかな…」という“予感”はあったが、大学卒業後は父の会社(ダイヤ精機)の取引先でもあった自動車部品メーカーに就職。その後、父に請われ、ダイヤ精機に入ったが、経営方針の違いから、2度のリストラ宣告を受ける。しかし、32歳の時に父が急逝し、突然社長を継ぐことに。バブル崩壊の余波もあって赤字経営が続く中、再建の舵取りをいきなり任され、以後、様々な壁にぶつかりながら、「町工場の星」と言われるまでに社業を復活させた。
生産管理へのIT導入、「交換日記」による若手社員との対話など、「情と論理」のバランスの取れた、女性ならではの経営手法が注目され、ダイヤ精機には今や全国から見学者から訪れる。その2代目社長が初めて筆を取り、父や兄への思いを綴りながら、社長になってから10年の軌跡を克明に振り返る。(「近刊情報」より)

・小さな町工場の社員はOJT以外に教育を受けるチャンスはほとんどない。意識を変えるには、ベースとなる知識を植え込む必要がある(p88)

・実は、当時のダイヤ精機の進捗管理は極めて大ざっぱだった。「AS400」というオリジナルの生産管理システムを使っていたが、このシステムは売り掛け・買い掛け管理用で受注後の進捗管理はできなかった(p117)

・私が実践してきたのは、「物事には原理に基づいた原則があり、そして基本があり、そして基本があるからこそ応用ができる」という考え方だ(p130)

・何より、ごく短期間だが現地に身を置き、現地の人と接してみて、私自身に国民性や文化の壁を越え、他の企業と渡り合っていくだけの力量が不足いていると痛感した(p180)

・私が目指すものづくりのあり方は「石垣だ。石垣は大きな石や小さな石で一緒に組み上げられている。大きな石が全体を構成し、小さな石がそれを補完する。大きな石だけでは隙間ができてしまう。大小の石がうまくからみ合うからこそ強固な石垣ができる(p202)

・いざという時に社員の知恵を結集するためには、日頃から良好な人間関係を築いておく必要がある…、良好な人間関係のほかに、もう1つの必要のが「ゆとり」だ。「ゆとり教育」で「ゆとり」という言葉にすっかり悪いイメージがついてしまったが感があるが、ゆとりの本来は、「考える時間」のことだと思う(p209)


 だれでも、人生のなかで予想もつかないことが多々おきていてどうにか乗り切っているんだろうと思う。その方法は千差万別でその人がこれまで生きてきた形が固まっていく瞬間でもあるように思えます。
 『町工場の娘』は、父親の突然の死によって何人もの人の生活を支えなくてはいけなくなった町工場の娘さんの話です。

 いったいどうやったら、何十人もの従業員とうまくやっていけるのか? そしてそれらを支える仕事はいったいどうなるのか? ということが手探りで始まった。
 父が一代で残した町工場をなくすということは、ただちに何十人もの仕事がなくなるという事実…。
 読んでいて、何十人という従業員を支えるというより、まずは自分を支えることを一生懸命考え、行動した結果として町工場がまた復活できたように思えました。自分の信じることを話せる場所・時間をつくることがなによりも大切なのではないと思えた一冊でした。仕事は一人で終わるものではないということもありますから…。


著者情報
諏訪 貴子
1971年東京都大田区生まれ。95年成蹊大学工学部卒業後、自動車部品メーカーのユニシアジェックス(現・日立オートモティブシステムズ)入社。98年父に請われ、ダイヤ精機に入社するが、半年後にリストラに遭う。2000年再び父の会社に入社するが、経営方針の違いから2度目のリストラに。2004年父の急逝に伴い、ダイヤ精機社長に就任、経営再建に着手。その後、10年で同社を全国から視察者が来るほどの優良企業に再生した。経済産業省産業構造審議会委員
※本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです


◎くらしのことば/吉野弘/河出文庫

【内容】
難渋するような記述はない。人間観察も自然観察も日常のエピソードも、その深い 視点はじつに理解しやすい。対象への誠実で鋭いまなざしは、読む人の共感を呼ばずにはおかないだろう。そして愚直なまでに人間的な温もりに包まれたユーモ アが、つねに底流にある。「夕焼け」の詩人の心優しいエッセイ集。
「夕焼け」「祝婚歌」で知られる詩人ならではの、細やかなまなざしが人生のすみずみを照らす、彩り豊かなエッセイ集。(「近刊情報」より)

・生きている人々の香りというのは、たくさんの欲望の香りであり、また肉体のもつ甘さであり、労働の放つ汗であるが、その香りを発散する人々の姿は私には見えない。勿論、言葉もよくわからない。私が死の国に属しているからである。ただ、香りによって、彼らが近くを通りすぎてゆくのがわかる(p37)

・どんなに、死から追いつめられたときでも生命を証明しなくてはいけない(p68)

・ミスや失敗をする他人との間には、人間的な同情や共感のような通路がひらける。つまり、立派な行いによってではなく、失敗や誤りを通じて人間が読みとれるということ…(p75)

・空の青さは、決してペンキをぬった一枚の板ではない。底知れぬ深さをもち、嵐の海のようなひしめきあい争
うことで、あの美しい青さをつくり出している(p79)


 日々の生活のなかで「ふと」一日を思い返す言葉がどれだけあるのでしょうか。
 吉野弘の詩集には、そんな日々をふりかえってみたくなるものが多いように思える。それは、人間のわがままだあったり、欲望であったり…と、人を支えているであろう景色を浮かべることができるような詩集がおおい。
著者情報
吉野 弘 1926年、山形県酒田市生まれ。詩人。帝国石油勤務、コピーライターを経て文筆業に。「櫂」同人。詩集に、『感傷旅行』(読売文学賞)、『自然渋滞』(詩歌文学館賞)など。校歌・社歌などの作詞は十二篇に及ぶ。2014年逝去


◎がん患者/鳥越俊太郎/講談社

・私は努力という言葉が大嫌いの生来の怠け者である。それに性格的に能天気ときている。そんな怠け者の極楽トンボがこの歳にになるまでなんとか人とやって来られたのは、ひとえに人の何倍、いや何十倍もある好奇心のおかげだ。好奇心は人生の強力な武器だが、これだけじゃ世間は渡れない。もうひとつの武器が必要だ。私の場合それは集中力という特技だ。

・人間の死は宿命である。百パーセントの確率で人は死ぬ。にもかかわらず健康なときは、人は己の最期に思いを致すことはない。深刻になることもなく気楽に生きている。しかし、がんという、否応なしに命の時間の限界を突きつけられてくる病に直面したとき、人は誰しも己の残された時間を痛切に思い知る。いあや思い知らされるのである(p201)

・毎年34万人ほどの日本人ががんで亡くなっている。これは高齢者社会の現象の一つなので、がんになることは避けられないかもしれないが、一日でも早く発見する、治療すれば命は助かる。それががんとの戦いの現実である(p270)

・私が自分ががん闘病を通じて、やはり人間が持っている自ら治す力…免疫力についての認識を新たにした。これは様々な他の病気、そして人の生き方そのものに関係いしている(p274)




 今年になって身近な人がバタバタと入院したり、仕事をリタイヤしたりということを聞くことが多くなりました。それは、やはり健康を害して仕事が続けられなくなった結果としてなったいう現実。
 そして、それが決して他人事ではなくなった年齢。でも、周りを見渡せば、みんな自分より若い人たちでした。それは、そうです。もう定年もまじかなのですから。
 それでも、どうにかやっていけるものをつくるとしたら、偉い人の言葉でもなく、身近でいつも話せる人がいることなのでしょう。最近、つくづく思う信条になっています。

 友達が、入院ということで「病気」について考えた一冊。
 



 30日午後、友だちと集会に参加してきました。天候が小雨状態。まいったの思いつつの参加でした。

 翌日の新聞では12万人。上空からの写真は圧巻でした。でも、これも一人ひとりの参加者があったからだと思います。地方からの人、障がい者の人、と多くの参加者をみました。この思いはどれだけ国会は理解しているのだろうかろいう気持ちだけが残りました。



 集会後、病院に友だちと一緒にお見舞いに行き帰ってきました。
 帰り道、なんとも生きてまともに生活するって過酷なんだろうなあ…としみじみと思ってしまう帰り道でした。だから人と人がつながっているのでしょうか…。
 今日が、いまの私の8月の集約のような一日だった思えました。

 来週は9月です。どんな予定があるのでしょうか。連休もあります。
 今の職場になって、連休はあまりうれしいものではなくなったようにも思えます。なぜななら、連休のはざまに結局、出勤することが多くなったからです。まあ、それでも、休みはありがたいのですが…。
 できれば、涼しくなったところで、山歩きがしたいと思いますが…。できるかな。


きょうという一日を忘れずに明日を持とう
くもり空、小雨降る
国会議事堂前は、あたりまえで普通の声が
小雨といっしょにこの地に落ちていく
いったい
だれが、こんなことをしでかしてしまったものか
わかりえない今も
小雨降るなかに
ひとりひとりの声が
議事堂につもっていく
こどもをかかえた母親の腕のなかに
ねむる子どもをおこさないように
小さな声も大きな声もつつみこむ
2015年8月30日



 また、明日からいつものように仕事をする日々がくるのでしょう。それは、誰にとってもいちばんいい形であるンかもしません。ただ、それが、家族や友人の楽しい生活につながっていることが第一なのだと思えます。
 お疲れ様でした。
読んでくれた人、ありがとうございました。

暑さがまだ、続いていますが…

2015年08月23日 | Weblog


こんにちは…まだまだ、昼間は暑さがつづいています。
休日の朝、早く起きて東の空を眺めていたら、少しずつあがってくる太陽と、吹いてくる風がヒンヤリとしていて涼しくなっていました。もう少しで涼しくなってくるのでしょうか。
 駅で空を眺めていたら、赤とんぼが群れをなして飛んでいました。ちょっとは、涼しくなってきたということでしょうね。
 寒いのはいやなのですが、それでも今の暑さを思えば涼しくなってほしいと思います。

 今月初めごろ出した暑中見舞いの返事が舞い込んできたりして、そこでもやはり「暑い」は定番になっていたようです。でも、返事で元気な様子でいると、こちらも元気になってきたようにも思えます。人間って、こうやってつながりのなかで自分を取りもどしていくんでしょうか。

 さて、今週は第97回夏の高校野球選手権大会で神奈川県代表の東海大相模が優勝しました。わたしは、個人的には東北の優勝を…と応援したしていたのですが残念でしたね…。やはり、投手がいいほうが強いのでしょうかね。そして、私立高校勢が圧倒的に強い大会でもありました。

 今年は関東一高のオコエ選手の活躍も目につきました。やっぱり、走力・打力は違います。めぐまれた体格では走力も陸上選手並みにスピードもありました。
 わたしは、これからはこういう選手が活躍する時がやってきたように思えます。昔であれば、肌の色や言葉がちがう人の対して偏見や差別があったと思います。広島カープの衣笠選手を思い出しました。子どもの頃、差別や偏見があった…ということです。でも、誰でも人は生まれるところは選べないのだし、たまたま日本人と外国人と結婚した両親がいたということでしょう。これからは、こういう人たちも活躍する場が増えてくるのだと思います。もちろん、本人の努力があればのことですが…。今後、どんなアスリートになっていくのか注目です。

 「70年談話」もありました。
 「60年談話」とどう違っていたのか…、といわれても同じように見えます。違うのは「70年談話」の最後の「積極的平和主義」ということを「念」を押すようにはいっていました。
 私は、当時の村山首相「60年談話」と今回の安倍首相の「70年談話」の根本的な違いは「過去への反省と未来への形」だと考えています。
 「60年談話」では、侵略戦争で傷ついたアジア諸国の人々への反省で、今後が武力を使わないものにしていこうという方向であった。そして「70年談話」では過去への反省はするものの、二度とこういうことが内容にするための方法としての「集団的自衛権行使」になっていく、という違いだと思えます。
 だから安倍首相は最後まで「積極的平和主義」という言葉をいれて、自分の歴史観を書いたのだと思います。
 つまりは、武力を使う。それも支援する(どこに…)としています。

 新聞を読んでいたら、ドイツの「記憶・責任・未来」財団理事会アドバイザーのウタ・ゲルラント氏がいいことをいっています。「あくまで言葉、評価は行動で」と。
 「…戦争が終わってから長い歴史と時間が経つが、過去と未来のつばがりは、言葉の問題だけで済む問題ではない」と。その後の、取り組みが第一ということなのでしょう。本当に大事なのは、被害者と加害者の認識のズレを修正し、企業や政府、市民レベルまで幅ひろく、平和的な方法で埋めていくことが大事だということだと思います。そう、考えると、今回の「安保法制」は逆をいっているように見えます。だから反対も多い。これは納得です。参議院で審議がとまってしまった「自衛隊内部資料」など、「安保法制」の中味が発覚して、「70年談話」はいったなんなんだという疑問はぬぐえません。ほんとうに、大事なのはどんな行動を起こすかだと思います。
 今回の「安保法制」は反対が多い。事実、埼玉県知事選や岩手県知事選でも、反対している人が当選している。この事実をを無視してまで強行する政府は、本当に「7戦後70年」をどう考えているのでしょうか。
 戦後70年。実際に戦争経験者が少なくなってきました。それを思うと、戦争を二度と起こさない未来をを、権力者自ら示す時代のなっているはずですからね。





 今年のお盆は、今の職場に異動になってから仕事の都合で休むこともできなく、墓参りができなかった。
 まあ、仕事は誰かが休んでいるとき、誰かがの部分をカバーしているのが仕事でしょうね。今回は、それが私にまわってきたのでしょう。それで、うまく世の中がうまくまわっているのだと思いますが…。

 毎年くるところとはいえ、先祖代々うけつがれた証としてのお墓。何かがないと不安な世の中です。確実に私がこの世にいたことを証明するものであるものなのでしょうか。そして、いまこうしていることを再確認する証としての物理的証拠でもあるのでしょう。
 いずれ、わたしもどこかで野垂れ死にしないかぎり、子孫がどこかに葬ってくれるのでしょうか。
 見渡せば、両親が生きて元気だった時代は(40-~50年前)は、村全体も活気があったように思えました。イヤミな近所のおやじがいたり、ちょっとお金持ちのボンボンがいたり…と、大人が元気な時代は、貧しくても、子どもも元気だったように思います。(映画「スタンドバイ・ミー」を素直に見られる時代でした)

 ざりがに取り、魚釣りをした沼や田んぼは今は住宅地になって、昔の景色はもう、記憶のなかにだけあるようになってしまいました。
 それでも、そんな記憶があるだけまだいいのだと思います。
 最近起きる事件(大阪寝屋川市でおきた少年少女殺人事件や川崎の多摩川で起きた少年殺人事件)で巻きこまれている時代は、なんと過酷な時代だと思います。それだけ、大人も病んでいるのではないかと思えてなりません。いったい、この国の人間はどうなっていくのでしょうか…(大げさでしょうか)。
 パワハラ、マタハラ、セクハラでいじめれ、過労を強いられた大人たち。そんな状況なかでも育てないければいけない子ども。それが、現実なのだと思います。

 お墓参りをして、こんな私を育ててくれ、この世に送ってくれた先祖に改めて感謝した一日でした。それも、貧しくても食べて、寝て生きていられることを確認した一日でもありました(合掌)。


 毎年、行く土地、行くたびに景色が小さくなっていくのはなぜでしょうか…。
 今回も、墓参りにに一人でのんびりいったとき、子どものころ遊んだ神社が小さく見えました。
 おそらく、だんだん小さくなっていき消えさてくのでしょうか、ね。
 木登りをした、桜の大樹も、駆け回った境内も…、みんな小さく見えていました。

 今回は、少ししんみりとなってしましました。
 季節は、涼しくなります。今まで陽射しから逃げ回っていた時間から、今度は陽ざしをなつかしむ季節となるのでしょうか。
 今年の夏休みは、家族が救急病院(ER)にいくやら、仕事やらでなにもいい思い出はありませんでした。
 すずしくなって、落ち着いたら山歩きでも再開しようと思います。

  もう、年がとしなので「なんでもできそう…」なんどという、期待は何もなくなりました。これからは、選んでいかないといったい何が楽しかったのかわからなくなります。当面、こうれからやろうとしていることが一番、楽しいとおおうのでしょう。それにしても、やろうとしていることには、常に障害があってそれをどう片づけるかが当面の問題なのでしょうか。もう、片づけるというより捨てていくことも考えないといけない老体なんだと思います。最後に、ゴミの山になってしまう前に…。

 それでは、今回はこの辺で失礼します。夏バテに注意してください。
読んでくれた人、ありがとうございました。

短い夏休み…が終わる

2015年08月16日 | Weblog

 こんにちは…。
 暑い、暑いと思っていた夏もお盆がすぎてどことなく涼しくなってきました。とくに、朝は気持ちのいい風が吹き抜けていくように感じます。夏の甲子園をみていると、外野では選手の前をトンボがのらりくらりと飛んでいる様子がみえます。ちょっと、涼しくなってきたというこよでしょうか。

 今頃は、久しぶりに帰った故郷の思い出をたくさんつくての帰り道でしょうか…ね。
 私の方は、この夏休みに出かけたといえば、唯一家族で年一度の歌舞伎でした。これはよかったですよ。(後日感想をと思っています)
 
 わたしの方は、今年の夏はどこへいくでもなく、墓参りさえい行けなったぐらいです。
 職場が変わるということは、これほど変わってしまうものかな…と思っています。それでも、自分の身体を酷使して出かけてみればできるのでしょう。暑いさなかの行動はきついです。
 もう、年齢がそうあせないようになっています。…で墓参りは、今月末にごろにすることにしました。

 さて、今週のできごとは、「戦後70年」ということもありいろいろなことがあったようです。
 そのかでも「70年談話」がありました。読んで感じたことですが、なんでしょう国を背負って政治をしている人の意見のようには思えませんした。なにか、他人事のように淡々と書かれていて、反省は誰がしているのか、これから誰がどうしようとしているのか、最後の方に「積極的平和主義」などとなっていました。
 「談話」は、50年、60年という節目に時の首相が、戦争について述べて反省やアジアの国々への戦争責任について発表してきたものであったものであったと思います。

 ある評論家が「毒にも薬にもならない」というおとを書いていましたが、そんな感じがしました。
 また、ジャーナリストは「これからの行動が大事」とも言っていました。なぜなら、談話の中味を本当に実行するるとなると「集団的自衛権」などということは考えられないでしょう。

 さらに、鹿児島県の川内原発が再稼働しました。
 それも、地域の事故訓練もそちいのけでです。地域の人たちは「もし、事故が起こったらどこへ避難すればいいのでしょう」と不安の声もありました。これは、ほとんど見切り発車のような形ではないかと思えます。
 そこで暮らす人たちんとっては、死活問題です。再稼働で生活していく人たちもいると思います。でも、それ以上にリスクの大きいことを考えれば、安易に再稼働はのちのちの取り返しのつかいことになってしまうのだと思います。
 これをきっかけに、さらに別の原発が再稼働する勢いがでてきたような気がします。福島第一原発事故のことが生かされていないようです。



 私がこれまで、働いてきた中で最も短く感じた夏休みだったと思う。
 どうしてこうなったのだろう。やっぱり、異動があるのだろうか。
 なんんだろうか、仕事が人間を不健康に追い込んでいるような気がした夏休みだった。そして、何のために働いているのか…って思ってしまった夏だった。

 さらに思うのは、こんな年になってまで若者でなく私なのだろう…と。
 会社の存亡を考えれば、こんなときこそ体力のある人が必要なのだと思う。これは、経営陣がどう考えているかのことなのだが。
 結局、ひと任せなのだろう。このことはなんにつけ、めぐりめぐっているやり方なのではないかと思えた。

 終わってしまえば、短い、短い夏休み。いつもと変わらぬ休日だったように思えた。夏は墓参り…ということもできなかった。これは、今後の課題なのだろうと思えましたが…。


 暑い間、無理をすれと体調をこわしやすくなります。
 そろそろ、夏バテもでてくるのでしょうか。
 この時期家族の間でも体調を崩して、ER(救急医療)にいっても来ました。お盆の時期は、休みの病院が多いので、それではERにいこうということになっていって来ました。検査の結果、皮膚科を予約し、薬をもらって帰ってきました。暑さで体がついていきませんでした。それに、無理なスケジュールはよくないということでしょう。

【歌舞伎感想でーす…】

一、芋掘長者(いもほりちょうじゃ)

◆踊りが苦手な男の困った末の大一番
 松ヶ枝家では、息女緑御前の婿選びの舞の会を催します。そこへ友達の治六郎とともに現れたのは、緑御前に思いを寄せる芋掘藤五郎。舞ができない藤五郎のために、面をつけた舞上手の治六郎が途中で入れ替り、藤五郎のふりをして見事な踊りを披露します。感心した緑御前から、藤五郎は面をとって踊るよう所望され…。
 藤五郎が困った末に見せる芋掘踊りなど面白味のある舞踊です。平成17年歌舞伎座で十世坂東三津五郎が新たに振りをつけて45年ぶりに復活させた十世の思いがこもった作品です。
二、祇園恋づくし(ぎおんこいづくし)

◆祇園祭でからみあう意地と粋と恋
 京都三条で茶道具屋を営む大津屋に、江戸の指物師留五郎が泊まっています。主人次郎八が若い頃、江戸で世話になった人の息子で、祇園祭が近いので滞在していましたが、京になじめず江戸へ帰ろうとします。ところが、次郎八の妻おつぎの妹おそのに一目ぼれをした留五郎は、そのおそのから江戸へ連れて行ってほしいと言われ有頂天。実はおそのは、手代文吉と深い仲で、駆け落ちの手助けを頼まれたのです。そんな中、おつぎからは次郎八が浮気をしているかもしれないので調べてほしいと頼まれ、結局留五郎は京にとどまることにします。一方の次郎八は、ひいきの芸妓染香に熱を上げていますが、どうにもうまくいかない様子。山鉾巡行の当日、次郎八と留五郎は持丸屋太兵衛に鴨川の床へ招かれ…。
 祇園祭を背景に、京と江戸の意地の張り合い、恋愛模様を明るく描いた作品です。
(「歌舞伎座ホームページ」より)

 世間では、この盆休みを利用して故郷にかえって墓参り、友達との再会などと夏の故郷を満喫しているころだと思います。
 私の方は、今年は職場が変わったこともあり休み中の出勤があったりしてどこへいくにも出勤があるために予定がたたず地元で過ごしていました。
 唯一、夏休みらしい行事といえば家族で歌舞伎座に「8月公演」を見にいったくらいでしょうか。
 毎年、恒例となっている歌舞伎座8月公演は「初心者でもわかるやすい」という点があると思います。江戸時代からの伝統芸能ときいて、セリフもよくわからないことが多い歌舞伎の世界ですが、8月公演は誰にでも親しめる内容にしているのだろうと思います。

 私が見たのは、公演第三部「芋掘長者」「祇園恋づくし」「(夕方の部)からでした。
 題名は「芋掘長者」というものでした。
 内容は「歌舞伎座ホームページ」で紹介しているように、恋焦がれる緑御膳を射止めようとする男の話です。名前を芋掘藤五郎。緑御膳に目にとまってもらうために、身分も違う、踊りもへたくそのその藤五郎は、踊りをうまく見せようと自分の代役をたてて踊りを見せるのでした。しかし、踊っているうちに藤五郎は、自分の得意とする芋を掘るときに踊るものを見せるのでした。
 緑御膳は、その踊りがたいそう気に入ってさらに踊るように言いました。
 その姿が、藤五郎そのものであって、身代わりなど「恋」には不必要なこと、本当のその人の姿が大切なことを披露したのでした。
 いつの時代にも、見栄えのいいものではなく、その中身が大事だな、ということに気づかずにはいられない物語した。元気で愉快で、楽しい物語でした。

 二幕目は、江戸の留吾郎なる男が若い二人の縁結びになるために活躍する物語。
 江戸の指物師留吾郎がお伊勢参りから京都の友達の家に遊ぶに寄ったことから、友達の浮気を聞き出そうと奮闘する間に若いおそのと文吉の中をとりもつ話でした。   
 とくに面白いのがそれぞれのカン違いのなかにユーモアと笑いをさそう物語でもあります。そのカン違いが、京都の悪口、江戸の悪口が勢いがあってとてもいいものでした。

 感心したのは、さすがに伝統芸能、江戸時代も今も、えんえんとつながっている人の心模様。そして、それが、人間関係をよくもし、悪くもし今があるということ。
 人の関係というのは、よくも悪くも「話せばわかる」ものをお互いが見えもあって隠し通そうとする中で起きてくるのではないかと感じたことでした。
 人のユーモアはあります。それがいつ出るか、歌舞伎は感じさせることができるものだと思えました。


歌:吉田拓郎 作詞:吉田拓郎 作曲:吉田拓郎

麦わら帽子は もう消えた
たんぼの蛙は もう消えた
それでも待ってる 夏休み

姉さん先生 もういない
きれいな先生 もういない
それでも待ってる 夏休み

絵日記つけてた 夏休み
花火を買ってた 夏休み
指おり待ってた 夏休み

畑のとんぼは どこ行った
あの時逃がして あげたのに
ひとりで待ってた 夏休み

西瓜を食べてた 夏休み
水まきしたっけ 夏休み
ひまわり 夕立 せみの声


こんな夏休みにしたかった!!!
ほんとうに短い夏休みが終わりました。はやいものです。
老体にまた、ムチを入れ働かなくては…と考えています。なによりも、体が大事です。まあー、ゆっくりやっていけたらいいですが。最近、「これでいいのかなあ?」なんて思いますわ。
そうは言っても、引き返すには年をとりすぎた。あとは、前へ、前へ行くだけなのだろうとなあ。

 さて、みなさんの夏休みがいかがだったでしょうか。おもうぞんぶん満喫できたでしょうか。
 また、明日から仕事です。夏バテがでなければ…というところです。
 今週は、この辺で。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

 

残暑お見舞い申し上げます。

2015年08月09日 | Weblog


 こんにちは。
 まだまだ暑い毎日がつづいていますね。
 日中の出かけるのもタオルは欠かせない日々です。
 それでも、休日の朝早く起きてみると吹く風はいつもより涼しく感じてきました。
 夏の高校野球をテレビ観戦をしていると、暑いプレー中でもトンボが選手のまわりを飛び回っているところを見ます。秋が近づいていることを感じさせています。
 最近、会社からの帰り道、ツクツクホウシがないていました。そろそろ、秋が近づいているのでしょうか。

 さて、今週は8月を考えるのメインの「戦争と平和」について考えさせられる一週間でもありました。
 6日は、広島に原子爆弾が投下された日、9日(今日)は長崎にも落とされた日でもありました。
 どちらも、今日の「安保法制(戦争法案)」を考えるうえでさけて通れない現実を突きつけられた日でもありました。そして、この日を今月だけのテーマにしないように…とマスコミではいいます。ですが、それについてのどうしたら平和にできるのかは語ろうとしません。ただ平和について考えていればいいわえではないのでしょう。その答えを求めて連日、国会議事堂周辺では集会やデモが大小にかかわらず行われています。また、たまたま降りた駅頭でも今回の安倍内閣がだしている安保法制に反対する声がマイクから発せられています。

 誰でも、戦争は二度とゴメンです…と思うでしょう。にも、かかわらず70年前までは戦争があったという事実を見つめなおす8月です。
 それではどうしたらいいの?。という疑問に少しずつ考えるようになってきた月でもあります。
 「積極的平和主義」といいながら、結局は武力を行使する安保法制についても戦争とからめて考えさせる8月であると思います。




 今月はじめから友達が入院した。休みを利用してお見舞いに行ってきました。
 年齢は今年定年を迎えたばかり。これまで、休日でも休まず仕事をつづけてきた人だったがここにきて体調がくずれ入院。暑さで疲れがが一気にでたようだった。無理をすることで仕事がなりたっていたのだろう。

 「こんな暑いんだから、外にいるより今夏はここでゆっくりしたほうがいいよ…」と言ったのはいいが、それでもお見舞いから帰ってきてから「暑くても、やっぱり好きなものを食べられて、普通に仕事ができたほうがいい」と思いつつ帰ってきた。
 年齢も近いし、他人ごとではないということも思った。今年になって、二人目の入院者である。
 遠い友達は、夫婦でいち早く退職して日々を送っているとのはがきもきました。(うらやましい)

 「わたしも時間の問題かな…」つい弱気になってしまうこの夏の暑さでもある。

 まだまだ、働かなくては…という思いと、体も大事だなという気持ちが交互に浮かぶ帰り道だっら。
 お盆が近づいているが、今年は一人職場ということもあって出勤することもある。
 まあ、だたとこ勝負ということで進めるしかないのかなあ、とも思っている。

 今年は、例年とちょっと違う盆休みとなりそうだ。無理をせずいきたい一週間である。

 Working Mapが200回目になりました。
 自分と働くというの関係を一週間で起きた日々の仕事のなかから考えてきました。あまり変わり映えしない内容が続いています。これが現実なのでしょうか。仕事をやっていて、あまり変わってしまう仕事はいいとは思いません。
 変わっていいのは、自分の給料が高くなることと仕事が楽しくなることぐらいでしょうか。
 
 まだまだ、暑い日が続きそうです。台風も多くなっています。世間はそろそろ、盆休みモードに突入するころなのでしょうか。四国では、阿波踊りが今週から始まります…ね。行きたいですね。私の盆休みはまだまだ、来週が終わったら来そうです。今は、ちょっとガマンでしょうか。

 それでは、今週はこの辺で。

 読者の皆様のいっそうのご自愛を申し上げます。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

8月…異常な暑さにさからわらず。

2015年08月02日 | Weblog


 こんにちは…。
 毎日暑い、それも異常な暑さが続いております。1時間でも歩いているとあきらかに「熱中症」に悩まされる季節となっています。自分の身体がこんなにも夏をきらっているのはめずらしいことです。夏は好きな季節と毎年言ってきたのも今年だけはあやしくなってきました。

 みんさんはいかがお過ごしでしょうか…。
 この時期、いちばん危険なことは、この暑さを感じて一緒にいることではないかと思います。できれば、無理をせず過ごせたらいいです。楽しくなるはずの季節が悲劇とならない工夫が求められています。

 この時期、古い友だちからの暑中お見舞いもきます。
 やっぱり、話題はこの暑さです。あとは年齢が60歳に近づきつつあるので仕事のこと。定年でやめるか、あるいは65歳まで頑張るか…という話題です。そして、くれぐれも御身を大事にしていこうという暗黙の了解を確認しているはがきです。


 さて、今週は友達と「国際報道写真展」に行ってきました。
 今回は、毎年展示している恵比寿の「東京都写真美術館」の改修工事のため、池袋の「東京芸術劇場」での展示会でした。池袋は人は多いし、暑い中、さらに暑いように思えました。
 展示物も例年の展示会よりは少なかったよです。そして、会場が写真をみる環境になっていなくて明るすぎて写真の方面が反射してみずらい点もありました。スペースも狭くて残念でした…。

 写真はよかったです…よ。
 今年は中国の光と影という写真が注目できると思います。豊かさのなかにあって、その豊かさの影には自然破壊、人間破壊など多くの問題を内包した写真がありました。事実、それが日常ではまったく知らされていない。
 世界のあまたに足を運びジャーナリストたちが貴重な事実を私たちの目の前に提示してくれる仕事はつくづく大事なものである思います。
 一方で、「知らなくても、生きていける」これも事実です。そして、現実です。
 日常生活で情報があふれているなかで知る必要に迫られるもの、知らなくてもいいものを選択していく中で生きています。そう、思うと地球の裏側で起こっていることが、直接今日に自分の生活には影響などないと思います。
 でも、一方でその現実は本当にあっていずれ自分の住んでいるところにも同じようなことが形を変えてあるのかもしれない…ということも事実です。だから、ジャーナリストの役目は大きいのだと思います。



 今年、後藤健二さんというジャーナリストがイスラム国の人によって暗殺されました。それも、どうどうとです。世界をもっと知ってもらって、日本を考えてほしいという希望もむなしくなくなりました。命がけの仕事をしていてこんな事故の遭うのは覚悟のうえとはいえ、こんな形で、と思いました。そんな人たちの思いもこめて、おそらく世界中を飛び回っているのでしょう。とは、いえ写真を売って生活している人であるということも事実です。それを、どう考えるかは自身です。

 そんな命がけで撮ったジャーナリストの写真展は貴重です。それだけでも価値のあることだと思えます。
 でも、知らなくてもいいこと、知っていてほしいことの二択であるとしたら知っていた方がきっといいのだと思います。どこが…。それは見た人が決めることです。
 時間があったら、ぜひいってみるといいと思います。(入場料は800円です)



 はやいもので、今いる職場にきて2か月が過ぎました。
 その間、残業も以前よりは多くなってきました。気がつけば、けっこう残業やっているのには驚いています。
 ただ、いまのところ誰にせかされることなく、自分の段取りでやっているわけですからそれほど「苦しい」となっていないのは事実です。ある時は、集中してあるわけで自分でも自覚しているから、どうにかできるのだと思います。仕事は、準備がほとんどで、ちょっとめんどうでもそれをうまくやっておけばいいのではないかと思う日々です。

 今の職場には、管理職もいないし、仕事の進行を指示する人もいません。ですから、お客との話のなかで「今日はここまで…、これからは明日の分の準備…」とできるでしょう。
 今週、元いた職場の友達と飲み会がありました。
 いまの職場はどうなのかな…と聞いたところ、みんなバラバラになっているとのことでした。その原因は指示がバラバラで、それぞれの担当者が自分勝手にすすめていく…とのことでした。1日の流れを示すことのできない管理職の問題だとも思えました。それでもどうにか、結果オーライでいい…ということで終わっているようです。これではいつになてもまとまらないだろうとなあーと思えました。
 まったく、いったい管理職とはなにをしているのか??。
 まさに、愚痴を聞いている飲み会でした。それでも、久しぶりで楽しいものでした。



 まだまだ暑さが続きそうです。
 水ばっかり飲んでいても熱中症になります…ね。
 今週も暑さをさけていくしかありません。楽しみは、夏休み(盆休み)。
 夏バテ…もそそろ出てきそうです。
 今週はちょっと忙しくなりそうです。まあ、自分のスピードは限界がありますがね。
 読んでくれた人、ありがとうございました。