日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

桜の下で…

2015年03月29日 | Weblog


 こんにちは…。
 3月も終わります。さくらも咲いてきました。…ということで公園のあちこちでお酒を持っては集まって楽しい時間をつくっている様子が見ることが多い休日でもありました。
 また、卒業のシーズンでもありました。
 あたらしい社会にどんな気持ちでむかっていくのでしょうか。
 私は、いまの社会状態ではいい時期ではないのでかわいそう気もします。きっと、「こんなはずではなかった…」という後悔の季節でもあるのではないのでしょうか。

 今週サッカー日本代表がチュニジア戦をハルリ・ヒジッチ新監督の下行われました。
 わたしはこの試合は注目していたのですが、結果として2対0という初陣を勝利でかざりました。たてへの早いパスワークはこれまでになかった形なのではにかと思います。
 岡崎のヘディングシュート、本田選手のシュートによって勝ったわけです。今後は、かの形をどれだけ完成度を高めていくのかいまから楽しみでもあります。

 沖縄。いま起きていることに危惧を感じてしまいます。
 完全に選挙での民意反対だったのが、国から無視された政治になっています。いったい、これを見ただけでも安倍政権の本質があるのではないかと思います。自衛隊を「軍隊」といってたちはだかる答弁する現政権の傲慢さも見受けられます。これが「権力の本質」であるのということがわかります。だから、集団的自衛権から積極的平和主義という言葉から連想させる現実は、戦争へのあしがかりでもあることが徐々にあきらかいなってきたかのようにみえます。


 先月はこのコーナーを休みました。読んでいる本を一か月に一度整理する作業はたいへん大切な行為だと考えています。自分で読んだ本がどんな内容で、なぜ読んでいたのかということを振り返ってみることがなによりも大事にしている日常のできごとです。
 振り返って「なぜ、この本を手に取っていたのだろう」ということをふりかえってみる時間をもつということが、次回再読をするときおもしろいと思います。

 さて、今月は2月と3月をまとめています。
 寒い季節から温かくなる時期、読書も散歩の途中足をとめてどこでも読める楽しみがでてきました。
 それも、桜の咲く公園などで読んでいると静かさにどっぷりとつかって、日々のわずらわしさを忘れさせてくれる時間でもあります。

       


◎編集者のための著作権の基礎知識/豊田きいち著/太田出版
 この本は、仕事で必要に迫れて読んだ本でした。個人で、他の印刷物の記事やデザインなどを利用しようとするとき「著作権」という法律があります。
 今回は「編集ハンドブック」をつくったとき、表紙に使いたい絵や記事をさがすうちに必要になり読んだ一冊でもあります。プロが描いたデザインを知らずに法人でつかうというときに一度は必要な知識だと思います。勝手につかっているということは、他人の財産を勝手に使っているということと同じで犯罪になることもわかります。デザインであれば、作者に了解をえるのはもちろんですが、部数に関しての利用料金を払う義務が発生するといこともわかりました。
 ちなみに、著作権が消滅したものもけっこうあります。これを調べてみるのも面白い作業でした。
 まだまだ、必要な本となりました。


◎世間のひと(写真集)/鬼海弘雄著/ちくま文庫
 ホッとする一冊。
 人の笑顔を見るたびに、こころがホッとします。眉間にたて筋のシワをつくっている日々に笑顔はいいです。仕事帰り、疲れて、停留所でバスをまっているときなど知らないおばちゃんやおじさんなどからちょっとした会話の途中で笑顔をみると疲れも半分になった…というときもあります。
 仕事のあいまに、ボートしているときこんな写真集をみているときがあります。
 わたしも、こんな写真が好きな一葉です。


◎すべて真夜中の恋人たち/川上未映子著/講談社文庫
 昔風にいえばネクの女主人公の恋。
 私にはぜったい真似のできないかたちだなあ…と思いました。でも、これが今の形なのでしょうか。
 30歳になっても、童貞、処女があたりまえの時代を象徴しているようなときだから読まれるのでしょうか。
 まあ、恋には100パーセント同じものはないですから、他人がどうこういうものではないと思いました。


◎下町M&A/川原慎一著/平凡社新書
 この本は、仕事で校正している新聞の紹介で知った一冊です。
 大企業で合併をしてより利益をあげて成長企業になっていくことを聞きます。銀行などもこの合併によってよりマーケットを拡大していくことを目指していることが昨今の流れでしょう。

 日本を支えているのは中小企業。その中小企業が生き残るためにM&Aという中味です。
 赤字をどう、解消していったらいいのか…、その赤字部門をどう解決していったらいいのか、経営コンサルタントと町の社長が考えた企業戦略でもあります。
 実査は、この手の合併はよくいう「痛み=解雇」を伴うものです。それでもやらなかれば他の従業員が路頭に迷うとしたら考えなければいかいない経営者の宿命なのでしょう。大事なことは、解雇をするにしても、本人の次の仕事場を保障したうえでの解雇です。その様子を書いてもいます。
 
 今後10年間で全国の中小企業約三八五万社の半数が存続の危機を迎えるともいわれるなか、事業再生の切り札としてのM&Aが増えている。赤字企業(部門)だからといって事業価値はゼロではない。下町の経営者親子がM&Aを成立させる物語を通して、売り手・買い手双方に相乗効果を生むノウハウを解説。(本紹介より抜粋)

川原 愼一
1955年東京生まれ。事業再生コンサルタント。(株)S.K.I.ビジネスパートナーズ代表取締役。98年、インターネットを利用した旅行関係の企画販売システムを開発してITベンチャーに進出するも、資金繰りの悪化から2000年に経営破綻。2億円以上の債務を抱えながら自力で債務問題を解決。02年よりその経験を生かして事業再生コンサルタントとして活動



◎舟を編む/三浦しをん著/光文社文庫
 辞書をつくる現場の話。
 20歳代のころ、私はある年刊をつくっているアルバイトを思い出した。一年間で一年分の日本で起きた自治体の様子を本にする作業だった。毎日、毎日同じ作業の繰り返しだったように思う。
 最終原稿は名古屋のほうにまで泊まりで行ったこともあった。10センチくらいの年刊をつくるのは四季の折々のなかを感じながらの作業でもあった。

 「舟を編む」という小説は「辞書」をつくる。
 そのなかでの人間模様がそれぞれ面白かった。


◎光)/三浦しをん著/集英社文庫
・死体が並べられている一階の教室は黒い穴と化して静まり帰っている(p54)

・人の命を奪っても、感情と思考は冷え冷えとしている。案外こんなものかと思ったし、俺はどこか麻痺してしまったのかもしれないと思った(p76)

・声も感情も吸い込む穴に暮らしているような気がする(p108)

・人間のふりをするのはもうやめだ。殺人者の印がついていることをひた隠し、家族の幸せな生活をもとめるふりをする日々は終わった。


◎「懲役」を知っていますか?/本間龍著/学研



 今週は二度の出向を経験した。千代田区と板橋区。千代田区は日本にとっては政治の中心地ともいえる場所。
 3カ所で働いたことになる。本社、一ツ橋、永田町である。いつもいる場所からの移動は疲れも2倍になるような気がする。
内容は、どちらも細かい文字を校正する仕事。気をつけているとはいえ、100パーセント間違いのないものをつくるのはほぼ無理なのは知っている。それでも、間違いのないようい細かい仕事なので気が重かった。国語辞書一冊を持って歩いていた。文字は生き物であると思う。一つの文字で知られている人がまったく知らない人にかわってしまう。一つの語句の間違いによっては。パンクするほどの苦情電話がなる…。
 そう思いつつ間違いのないように集中する。それが校正なのだから…とも考える。
 一つの場所は自分が毎月担当している新聞でもあるから、進む具合も、赤字をいれるのも順調に進む。午前中いっぱいでほとんど終わって本社に戻っている。そしてもう一方は予定以外。これにはいく理由が「ただ、忙しいので行けない人の代打という」の説明のような言い分であった。これが理由だとしたら、これからどうしようとしているのかと思った。突然の上司の命令(?)のままのなかでの出向となった。(理不尽…)
「いったい、どうなっているのだ」と…。思いつつ出向だった。
 こんなときは、準備もできずに一日終わったようで非常に疲れをひきずっていた。
 翌日、私は部長に「来週はないようにお願いしますよ…」お茶をにごすようなことを言って終わる。さらに「ちゃんとやってくれないと困るとも」付け加えた。
 からだがもたない…ということも思った。
 なんでも、突然の仕事に定年をむかえている人に頼めばいいという、安易なものの考え方には反発がある。それはうらをかえせば、管理能力のなさを自ら公言しているようなものだと思った。それを、反省なくまたしても…と思うとつくづくいやけがさしてくる。



 おおよそ、細かい仕事をする日常は予定があり、そこに身をおき準備をして勉強なりして予備知識をもっていくのだが、それさえもなく終わったのにはまいった。
 30数年間、働いてきたが少しも落ち着く場所がないということはそれだけ、まとめる自分がなかなかできないということだろう。
 一日の仕事について。以前よりもゆっくりやれる分考えるようになったと思う。人それぞれ仕事にかける思いは違うのだろうが、できるだけ「わたしはこうする」という視点を持っていたい。追われる仕事ほど身をこなしてやったところで仕事に対する思い入れはうすくなっていくようだ。
 以前は残業ばかりの日々だった。一日のノルマを消化するという言い方の方があっている毎日だった。そして、得たものは仕事のやりかたと進め方ぐらいであっただろう。
 いまは、半世紀もいきてきて、同じような考えはもちたいと思わない。自分が自信をもって説明できる仕事をつくっていきたいと思うようになった。
 以前は読んだ本で思い出した言葉がある。仕事は人間を日々いろいろな知恵をもって生きらせるという。その知恵は仕事以外にも使われ、生きる知恵となった。ところが、ある日から「ビジネス」という言葉がぼっこするようになってから、人は仕事を単なる金儲けだけに奔走するようになったという。そのときから格差ができたようになった…とも。
 仕事は人をつくる「道具」だと思う。そう考えれば、その仕事に従事する人はうまく生きる人間であってほしいもだと思う。また一人流浪の民になった気がする。



 週末に友達と花見にいってきました。
 まだまだ桜の花はみごろではなかったが、大事なのは外でのんびりと酒を酌み交わし、話をする時間だと思う。これで今年の花見はおわりだろうなあ…と思いつつ帰ってきました。
 話をすることは、とても大事な日常なのではないかとつくずく思えた午後でした。
 私は、それと同様に近所で田んぼで遊んでいる子供たちに興味があったのですが…。そろそろ田んぼの生き物も出てくるだろうおおうと「やっぱり春」なのでしょうか。

 また、明日から仕事です。
 自分にできることを少しずつやっていく仕事にしていきたいです。
 今年も歯医者さんに通院が始まりました。そのため、土曜日まず通院になっている週末となってきてしまいました。まあ、これも仕方がないことでしょう。
 今週で3月も終わりです。どんな3月でしたか。
 私にとっての3月は、花見と歯医者の通院の復活と、仕事で自分のやることをはっきり示さないといけないと思えた3月でした。気がつけば、本当に自分のやるべき仕事が他人(おおよそ上司に)の踏みにじられているような3月にも思えたものがありました。
 来週まで桜があれば、いいのですがね。今度は一人でのんびり桜を見物したい気がします。

 もう少し、温かくなったら、山桜をみに山にいこうと思います。
それでは、今週はこの辺で失礼します。
読んでくれた人、ありがとうございました。


春はあけぼの…もう少しで温かくなりますよ!

2015年03月22日 | Weblog


 こんにちは…。
 やっと冬が去って、少しずつ温かくなっていくのがわかるような気持ちにしてくれる日々がやってきました。こんな日は、早起きしてもいずれ温かくなるであろう一日が期待できてうれしくなりますね。
 これがちょっとした期待が「希望」なのでしょう。やっぱり、こんなことがないとやっていけないですよね。
 春の選抜高校野球大会もはじまって、いよいよ春~っていうことなのでしょうか。
 季節は、色をつけてやってきました。散歩道に咲いた花もあり、上を見上げれば桜ももう少し…。近所の杏子は満開に花をつけていました。この時期、ピンク色の花びらも温かさを主張しているようでありがたいですね。
 休日には少し早起きしてみて、昇る朝陽をみ「今日も一日がはじまるなあ…。このお日さましたでみんなそれぞれの生き方をしているのだろう。自分がいちばん楽しいと思う一日を」と思えるのも、寒さが去っていくからでしょうね。



 


 週末、友だちと横浜新聞博物館で開催されている「2014年度日本報道写真展」に行ってきました。
 最終日もせまっていたので、少し焦ってしまいましたがどういか一番混雑するであろう最終日を避けることができました。
 これは、毎年のぼくの個人的な行事です。春は日本の写真展で、夏は国際報道写真展になっています。一緒にいける人は違ていてもこれだけは見にいくようにしています。

 さて、写真展です。
 ぼくは、今年は東日本大震災4年目、地下鉄サリン事件から20年、阪神淡路大震災から20年というなかでどんなふうに報道しているのだろうかと興味をもっていました。
 報道写真は時間の流れのなかで、その一部を切り取って「本当」を伝えるものだろうと考えます。昨年一年間どんな報道が私たちの生活に伝えてきたのかという時間のながれのなか見てきたように思います。
 印象に残ったのは災害の写真でした。
 昨年は、広島の土砂災害、長野の御嶽山の噴火災害がありました。圧倒的な自然の地響きのなかで何の手だてのない人間の姿がありました。泥にまみれ、水の流された人の姿、家々の崩壊。そんななかで、人間の力がおよばないことに立ち向かうことの人間の身勝手さや、自然のなかでいくら「安全」を追求してもなんの意味もないようなことを考えた報道写真もありました。
 ということは、人間は自然のなかで生かされているということをつくずく思い知らされるこでしょう。

 大切なことは、自然の反乱よりそこにいた人たちに、今まで考えてきて作って生きてきた人間への反省をうながしているような気さえします。
 起こってしまった災害をまえに、人の苦しさは当面修復しなかればなりません。
 また一方で、人間の傲慢さも気づかされる時間でもありました。だれを怒るって、結局、そんな事態をつくった人の政策でしょう。昔からの人間のいきてきた知恵が必要なのだと思います。政治家の俊樹としての政策ではなく、その土地に生きてきた人の知恵を問うものであったのでしょうか。そんな、思いをした「2014年日本報道写真展」でした…よ。


 そして、もうひとつの目玉…。3階で展示されている「新聞の歴史」もよかったですよ。
 平たく言えば、新聞の歴史は「人間の楽しい、面白い、安全、平和」を追求してきた歴史であったのでしょう。それが「言論」を通して、世界中に問いた歴史でもあったのだと思います。
 人間のなかには、普通に平和にのんびり安心できる社会を求める人、富を強欲に求めてた結果として暴力で支配したい人がいました。その歴史を延々に続いているのでしょうか。それを実行するために形を変え、言葉を変え、政治をしてきたのでしょう。

 たとえばイギリスで起きた「産業革命」で人々の生活は蒸気機関という応力を得たことで豊かになった。もっと豊かになるという発想は当然に起きてくるのでしょうが、一方で犠牲になっていく人々も出てきます。犠牲になった人たちもやっぱり人間らしい生活を豊かになった恩恵をうける権利もあるはずです。犠牲になってしまった原因を世に伝えて感がさせる公器として新聞が登場してきたのではないかと思います。多くの人に、事実を伝え「これをどう思う」というメッセージと問いをつくった歴史が新聞であったともいえます。
 より多くの人に事実を伝え、読んだ人に問いかけるものが新聞です。情報も伝えることもありますが、新聞本来の姿は問いかけです。ジャーナリストは命がけで真実を伝えていこうという歴史でもあります。

 そんな思いを再び考えさせてくれる場所でもある3階です。
 また、新聞をより多くの人に伝えるための印刷技術の歴史も紹介されていて。これは楽しいです。
 あっという間に2~3時間は過ぎてしまいます。(時間によとりを持っていくことが大事)
 

 季節がようやく温かくなってきましたね。
 近所の墓参りに来る人でいっぱいでした。お彼岸ですからみんな動き出したのでしょうか。
 
 報道写真展が開催された横浜でも人がいっぱいでしたねえ。
 観光地でもきっと人がたくさんなことでしょう。
 報道写真展の帰り、例によって近所の飲み会での話…。さいきん仕事がやりずらいくなった…とのこと。ぼくも、全体を見ていればわかりました。上司は選べないということのでしょうか。まったく愚痴のオンパレードの時間でもありました。
 せっかく、仕事をしている職場というところはほとんど過ごすところでもありますから気分よく過ごしたいものです。ぼくのところは、アルバイトのおじさんと二人なので関係ないとうえばそれまでです。
 以前はその職場で働いていたぼくとしても複雑な気持でもありました。
 どうしてこうなるのだろうかねえ…。そんな飲み会でありました。
 正直なことを言えば、「君たちで考えてやってください」と思います。でも、こうししている関係がまだあるのですからなんとか助言を言っていこうと考えています。
 「ぼくも気をつけてみていくことにするよ…」というだけで精いっぱいでした。

 世の中うまくうごかないね。
 おおよそ仕事ってこういうことも仕事なのではないか…。そう、思うことでもあります。

 それでは、今週はこの辺で失礼します。来週は花見ですよ。

読んでくれた人、ありがとうございました。

3月の土曜日は忙しい…

2015年03月15日 | Weblog


 こんにちは…
 まだまだ、寒い日が続いています。散歩にいくにもちょと気おくれする休日です。
 それでも、巷では卒業式が行なわれている様子で袴すがたの女性などをみかけることが多いです。子どもから大人までなんにつけ「卒業」のシーズンなのでしょう。
 どんな思いで、卒業式をむかえているのか…。それでも4月にむかって日々が進んでいることには変わりません。
 散歩の途中では桜も咲いていました。河内桜でしょう。季節は、一歩一歩前へむかっているようです。

 サッカー日本代表の監督がきまったようです。ヴァヒド・ハリルホジッチ( 1952年10月15日)という名前のユーゴスラビア(現・ボスニア・ヘルツェゴビナ)出身の監督だそうです。
 ぼくとしては、南米の監督よりヨーロッパの監督のほうをいいと思っていましたが、これはとてもいいニュースです。まして、元日本代表オシム監督とも知り合いということもいいニュースです。オシム監督の就任・指揮半ばで病気のため代表監督を降りた「志」を引き継いでくれるのではないかと思えます。
 今年から、いよいよワールドカップの予選が始まります。ぜひとも、強いチームつくりを期待したいです。

 さて、今週は東日本大震災から4年目。
 これまでの災害の阪神だ震災や御嶽山の噴火など、未曽有の災害を日本人は受けてきました。自然がつくりだした避けられない災害。これには、人はいかんとともしがたいことです。しかい、東日本大震災はちがっていました。自然災害プラス人災でも福島第一原発の爆発がありました。チェルノブイリ原発事故以上の放射能漏れによる災害は、これまでに経験したことの大災害であることは、いまでも収束し展望がみえない事実からしても大変なことなのだといえるのではないのでしょうか。このことで町は「復興」はできても、人の心に「復興」は永遠に訪れないような気がします。さらに、政府は、世界中に日本は唯一の原爆の被害国であるにもかかわらず、放射能をつくることをやめるどころではなく、原発再稼働を計画しているという事実にはあ然とするばかりです。



 鹿児島の川内原発の再稼働もしようしていることにも不安はかくせません…。
 今週、ニュースでは「大震災4年目」の企画で放映されていました。津波でおおくのがれきのやまを片づけて復興している様子がみられました。こういうことは、どうにかなるのでしょう。でも、大事なことは福島原発の放射能対策やそれで避難した人たちの対策、さらには放射能をあびた子どもたちの健康対策がいちばん大切になってくるのでしょう。その対策に重点にしながら、今後の原発は造らない、稼働させないをはっきりさせ、安心をつくることではないかと思います。

 沖縄の辺野古基地移設の工事も、昨年の沖縄県知事選挙、衆議院選挙でも民意は「ノー」であるにもかかわらず進むという動きもあった週でした。
 なぜ、こんなに強行しようとしているのか、本当のことを知りたいです。
 政府は今年に入って「集団的自衛権行使」にむけ、ますます具体的に実行できるように安全保障関係の法案を次々にだしています。そのいくさくは「憲法改正」をもくろみ、強いては武器を使えるような自衛隊にしたいのでしょう。これが『積極的平和主義』の本当の姿なのではないのでは…と思えます。



 週末、職場の人の送別会に出席してきた。
 病気でも途中退職ということで、職場を去るとうことはきっと残念だったのだろうと思う。しかし、これ以上仕事をする体調がもどることはないと判断した結果だから仕方がないとのだろう。それでも、他人事ではないように考えてしまうのは、その人との年齢が近い、新しい職場を起ち上げた仲間としてさみしい。

 そんなことになってしまったことに反省しなければならない一方で、二度とそんな形でやめる人をださないように考えないといけないのでは思う。
 まわりも見渡せば「そうなっているのだろうか…」と。
 現実には前よりわるくなっているのではと思いつつ帰った送別会だった。人は減るし、仕事の量は他の職場のこととの連携のない仕事のノルマになっている。結果さえよければ、人の体調などおかまいなしの経営のありかたに「赤信号」がともった送別会だったのではにかと思う。それを防ぐための取り組みはいったいどうなっているのか。もう一度職場を見つめなおす春になるのではないかと…。

 働くことは大切なことだが、健康を害しして経営をし、これらはを黙認していることは正常だといえない。
 おおよそ、人のありかたを考えていない上司は、考えられない上司は最悪のパターンだろう。
 そのことによって、それぞれ個人プレーで修復しようとすることには、限界があるだろうし決してほめられたことではない。それを、考えるのが労働組合であったり、上司だろう。
 



 人が何十年も携わってきた仕事を辞めるということは、人生の節目でもあるはず。その場所に立ち会っていない上司は最悪だろう…ね。その、招待もないこおとを反省してほしいなあ…、と思った。
 と、思うと今の職場は、形ばかりはノルマを消化しているが、人が仕事をする場としての「場」になっていないような気がしてしようがない。
 自分が働いて場所が、ただの一日の仕事のことだけを流していくような職場はさみしいものではないでしょうか。何十年もいる場所であるはず…。そこでは、きっと昨日とは違うことが起きているのです。そして、その時間も昨日とは違う感情ができているのです。誰でも昨日よりはいい一日にしようと頑張っていられる職場でありたいと仕事をしているのではないかと思います。
 それならば、なおさらいい人間関係をつくっていくことが大事でしょう。
 


 今回の送別会は、道なかばで病気になってしまってやむを得ず退職したことになっています。でも、本当はもっと前のできごとから、進んでいたのではないかと思います。
 日々の仕事があたえるストレスが積み重なって、当事者に信号をおくっていたのでしょう。それを強引に続けた結果、みちなかばの退職だったように思えます。
 ただ救いなのは、ぼくにはけっして真似ができないほど仕事のお客様の方がぜひやろうと呼びかけて、開催してくれたことでした。ぼくには、こういうお客様はできないでしょうから…。
 ぼくも知っている人もいっぱいいました。ながーいつきあいです。これからも大事にしていきたいものです。

それでは、今週はこの辺で…。また来週。
読んでくれた人、ありがとうございました。

35年ぶりに『砂の器』みてきました

2015年03月08日 | Weblog


 こんにちは…。
 休日の天気はなりますが、連日天気が悪いですねえ…。さらに風がまだ冷たくふいています。
 それでも、健康を考えて軽いうんどうをと思い散歩にはでかけています。
 雨の日、かみさんの手伝いで5キロのコメをリュックに入れてⅠ時間くらいかけて歩いていました。ところが、やっぱり運動不足のせいでしょうか、足が痛くなりました。もう、としなのだろうか。

 はやく来い…春よ来いと思って日々を送っています。
 


 最近、自分の担当する仕事(新しい編集ハンドブック2015年度版:A4/64P)のことで休みも利用して材料つくりに頑張っていました。
 なにか、これが終わるまでホッとできないのが正直なところでしょうか…。
 表紙のデザインがいちばん時間がかかります。どんなデザインにしたらいいのかとか、いろいろ勉強してみたら、やればやるほど混乱したきているのが実情です…ね。まいってしまいます。
 さらに、他人の参考資料をみていたらこんなに簡単にシンプルに作っているのに、と思うのですが、きっと苦労したことでしょう。

 著作権という問題もあるし、これは、自分勝手にできないので今週勉強した結果、「許諾」する必要がでてくるのもあるということで、また混乱。
 どこまでが著作権なのか、ということを考えると果てしなく続く「検討課題」が続出でした。
 めんどうになってきたので、結局オリジナルを作ればと考えて作り始めたら、これも泥沼状態です。
 まあ、今月末が締切ということでやっています。
 
 それでも休日は時間をつくって自分の好きなことをさがしては送るようにしています。
 今週は、先週同様に映画をみてきました。
 週末、市内の映画館で『第3回・新・午前十時の映画祭』というテーマで上映している映画をみてきました。

 土曜日に当日のチケット購入でいいだろうと思っていたところ、とんでもなく「満員」で入れませんでした。しかたがなく、翌日のチケットを購入して帰ってきました。
 「あまかった…」。
 翌日は前日購入のチケットを持ってでかけてきました。




 さて、映画ですが『砂の器』。
 この映画は2度目です。
 1度目は35年度前。
 知人にいただいたチケットで行ってきました。早いものであれから35年もたっていたのです。でも、いい映画は何年たっても「いいもの」です。
 映画館も変わりました。35年前は、熱気ムンムン…、立ち見もあり館内ではところせましと人、人の時代でした。
 そして今は、座席もゆったりして、椅子も大きくておしりも何時間座っていても痛くならないほど豪華な空間になってしました。全部で75席。一人ひとりの座席が大きい(プレミアムシート)ために75人で満員です。こんな映画館はいいです。静かですし、子どもの騒ぐ様子もなくのんびりできるところになっていました。
 今の映画業界もいろいろ頑張っているんでしょうね。
 
 そして映画。
 やっぱりよかった。2時間のサスペンステレビドラマとは迫力が違う。その迫力を作っているのはいったいなんだろうと考えたら、簡単なことでした。それは、映画をつくるスタッフがその時代の雰囲気を一生懸命探していること。事件はテレビのなかだかのような感じがしなくて、普段にあいそうなところで、そして、人間もいそうで…ということを追求している映画つくりをしているということなのだと思います。そして、登場人物が出す、体温が熱い。汗が本物…。ロケはも本物…。あんちょこにつくっていない。さすが総合芸術です。

 『砂の器』のキーワードはハンセン病。
 その誤った認識がすべての事件の始まりであったのではないかと思います。故・緒方拳が演じるおせっかいな巡査。映画館にかかった一枚の写真をみてさえいなかったらこんな痛ましい事件がおきなかったのにと思いました。生き別れた、一人の少年をさがしあてたとき、父親に合わせたいという思いをもちながら再開。その再開が事件が今、話題の有名な作曲家の汚点。作曲家を演じる加藤剛。
 汚点を消し去るために、巡査を殺してしまう。それも、国鉄蒲田駅構内。これもいい。蒲田駅。場末にある飲み屋…。ぼくの35年前にいた場所でもある。
 その犯人を追う刑事の故・丹波哲郎と今は千葉県知事の森田健作。追うものの迫力。全国を汗をかきながら追いつめていく。故・殿山泰司もよかった。

 あーあ。昔の映画はよかった。汗はかいているし、はっきりとしていた。みんなみんなよかった。
 また、いきたいと思わせる役者たち。
 気がつけば、ぼくの年齢もいつのまにか近づいていることでした。みんな銀幕でぼくたちを楽しませてくれた俳優でした。登場人物のほとんどが故人になっています。でも、同じ時代にこんな俳優がいたと思うだけで満ち足りてきます。(今は今の俳優たちが銀幕をいろどっています)それが身近に感じることができたから、ぼくにとっては「いい映画」なのでしょう…ね。

 今週は歯医者さんへの通院もなく、自分の時間がもてました。
 しかし、「ハンドブック」を終わらせないと。ぼくだけにしかできない一冊の本をつくるだけです。
 それでは、また来週。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

去る3月…どんな月??

2015年03月01日 | Weblog


  こんにちは…
 少しずつ雨が降っていますが温かくなっていくようになってきました。
 雨のなか、散歩していても花でも色があるものが目に入ってきます。桜のつぼみも色がついてきました。
 最近では、この日をくびを長くして待っている状態がつづいています…。
 今日はあいにくの雨でしたね。途中、ピンクの梅の花が咲いていました。この季節、静かに誰にも騒がれず、花見の対象にもならず、ひっそり咲いている梅でした。

 さて、今週はどんな週でしたか。
 川崎の多摩川河川敷での殺人事件の容疑者について多くの時間がながれました。
 3人の未成年の容疑者が取り調べを受けているようです。人間の命がこれほど簡単に扱われれた事件には驚いています。まるでテレビドラマのような安易さが怖いような気がしました。



 週末に、品川でドキュメンタリー映画『日本と原発』を観にいってきました。友達が世話役をやっているもので誘われての参加でした。この映画はちょっとかわっていて、ドキュメンタリー監督が撮ったものではなくて弁護士が監督となって制作されたというものです。
 福島原発から4年の経過がたつというなかで、どんなドキュメンタリーができたのかということも興味がありました。

 このてのドキュメントはNHKでよく見ていたのですが、さすがに公共放送でのドキュメントより何倍も迫力がありました。原発がどうして推進されてきたのか、さらに推進されたなかでいかに安く完成させることによって危険がましていったかを追及した作品であったともいえます。
 原発事故が起こり、助けられる人命も奪われた行った経過や避難してもすべて過去も現在も友達も分断され未来を見つけられない状況がつくられたということがよくわかった映画です。
 そして、いま再稼働をしようとしている川内原発などの危険も語られています。その原因はなにかということも追求している作品でした。素人でも原発が「平和利用」という流れから「クリーンエネルギー」という歴史をたどり今に至り、福島第一原発事故がおきた後でも、なぜ、再稼働されるかを丁寧に追っているのもよかったと思います。

 最後には日本の全原発が停止していても、完全に「安全」でないことに気づかされます。原発がひとたび、電源を切ってしまえば、冷却機能を失って制御不能となり、高熱を出して、いずれ水素爆発もするし、放射能をまき散らし環境汚染どころではなく、国全体をも壊滅させるものだということも理解できます。
 また、法律家ならではと思ったところが、大飯原発の「再稼働差し止め」判決。当たり前の対応ですがこれが画期的なことだそうです。それぞれの分野の専門家たちへのインタビューでは「原発の危険性「人類と共有できない負の遺産」をしっかり証明しているのも印象に残ります。
 また、ドイツの原発全面停止の決断もぜひ勉強してみるとよくわかるとのことです。

 昨年から上映されていたそうです。
 また、今年もこの手の集会やデモがおそらく多くなるのでしょうか。
 


 ぼくが、今年1月からやっと手がつきはじめた冊子がもうちょっとで完成できそうです。
 A4判64Pです。ところが…、最後に気づいたのは「著作権」の問題でした。新聞や本からの抜粋も多いのでどうしたものかと悩み始めました。その場合の手だてがどうなるのか、これからすこし勉強してクリアーしないと冊子も終わらなくなってしまいます。
 本当に、著作権というのはまいってしまいます…わ。
 ぼくも、このテーマはいつかあがってくるだろうなあ…と思ってましたが。これが個人的なものであれば、気にするようなものではないのですがことが仕事になると、営利がつきまとうため注意が必要になってくるようです。
 今の仕事を続ける以上、避けて通れないことということを肝にめいじて覚えるしかありません。

 気がつけば3月…。なにかと忙しくなるような気配。個人的にも忙しい予定です。
 いまやっている仕事を続けていくためにはがんばるしかないようです。
 現場からはなれて事務方になって、いろいろと覚えることが多くなってきたのが現実です。
 日本の中小企業のことなど…。経営の問題など。
 ボチボチいきます。今週はやっと更新できました。

読んでくれた人、ありがとうございました。