日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

ラジオは生きるために聴いていました!(震災時に大切な静かな情報)

2011年03月26日 | Weblog


 今日で震災後2週間が過ぎました。
 季節はゆっくりですが春にむかっているようです。散歩道にはコブシの花が咲いていることに気づきます。こんな季節なのですが、まだ日本中は大震災のためか「本当に春」の気分はもてないというところが正直なところです。

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 これまで、帰宅困難、計画停電、原発の放射能の不安を経験しつつも、毎日流れるニュースに少しずつ変わっていく日々に期待をしているところです。
 大震災以後、遅々としてすすまぬ復興支援のなかでも被災者が立ち上がり前に進んでいるように思います。
 現在、まだ、余震はあります。恐怖はまだ身体が覚えていて、ときに、眠れないこともあります。
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 そんな中でも、日々、日本中、世界中の人々の応援やメッセージなどを聴いていると「私もがんばろう…」と思うようになりました。
 最近では天災にはどうしても逆らえないし、仕方がないことだと思えます。それにしても原発には、まいってしまいます。まだ、復旧のメドもたっていない…とのこと。日々一進一退…の状況。
 さて、それでも少しでも状況を把握したいと思い、今週はテレビよりよくラジオを聴いた週でした。今週はそんな思いを書いてみました。

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♪今月読んだ本…3月編。
 今月は前月から続きで向田邦子とまどみちおの作品を読んでいました。
ところが、突然の震災が起きて気持ちが翻弄・動揺して一時、本など読む気もなくなるくらい落ち込みました。人生って何だ?人間って何だ?と思いました。
 私なりにその時の興味に合わせ読んできた楽しいはずの一冊、一冊が何をいおうとしていたのか…深く考えてみたくなる月でもありました。
 本は買っても「積んどく」状態でした。


     

 最近読んだ新聞に「東日本大震災後、メディアには言葉があふれた。刻々と伝えられる被災地の状況、福島第一原発の危機、各界の専門家の切迫した解説など。押し寄せる情報を前に、ある種の空虚感に見舞われた。荒廃の地に立ちすくむ人、肉親を捜してさまよう人の背中が放つ言葉なき言葉に比して、日常の側にいる者の言葉の無力さを思い知らされた」(東京/3/26「大波小波」)ということが書かれていました。
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 2万7千人以上の死者・行方不明者を前にただあ然…とするばかりでは何も生まれてきず、人に勇気を与えないし、人生の楽しさも伝わってこない。これから生まれるであろう言葉や音楽などで立ちがるものを作ってくれるだろうと信じるしかないと思う。そんな期待を持つならば、今後の小説や音楽もどんなもの私達に強く訴えるものかでてくるかこれもまた答えていくのが芸術だろう思う。
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 さて、そんな反省から、いつか読むから…と思っていたのですがこちらから働きかけなければなんの価値もないものだ…ということがつくづく感じた月でもありました。

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◎家族熱(向田邦子/文春文庫
 いま「家族」は崩壊に瀕しているという。幼児虐待、引きこもり、介護、高齢者の所在不明など。「無縁」社会という言葉も生まれた。そして家族のかかわりあいが、昭和から平成に脈々とつながってきたものが切れてといいます。
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 私は、これまで「家族」につい読んだ本は重松清に「ビタミンF」や「日曜日の夕刊」などで書かれている作品を思いうかべる。親と子ども関係の問題を考えた作品だと思います。
 いちばん、わかっているようでわかっていない家族関係。それをどう和解っして家族として、一人ひとりの人間として成長していくのか…というテーマがあったと思います。それが、重松清の小説であったように思えます。
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 さて、向田邦子の「家族熱」の家族は成人した子、ばついちの父親、老いても恋をしている祖父がそれぞればらばらな生活をつくり、それが家族をつくっているという生活に初婚の朋子が後妻に入り、それぞれの仕事の悩みや生き方がぶつかりあうなかで家族を考えさせた小説です。
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 ここで登場する家族それぞれ、父親の謙三、長男の杉男、次男の竜二、祖父の重光とそれぞれ自分とのかかわりの中で後妻の朋子を母親としての役目を問いかけます。朋子は母親であり女として人間として家族をつなげる中心になる人になっていました。それが、家族というものの失っている大切なものをよみがえらす中心であったように思えます。
 それぞれ、みんな朋子を逃げ場や避難地として考えていたのではないかと思います。
 さらに、小説では重光の死亡、謙三の談合疑惑で窮地に陥っていけばいくほど家族の絆が深まっていくのがよくわかります。
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 人は誰でもきっと災難にあって他人の親切さを初めて経験するのかもしれません。まして、家族の中の出来事を他人を通して解決させるということは、そのなかに中心になる家族の誰かがいるのだろうと思います。
 それは、誰か…。それぞれの家族によって違うのはもちろんでしょう。多くの家族の形のなかで、自分の家族の形をつくっていくということは大切なことなのだと思います。それが、昔のように父親が中心という形が崩れてきているなかにあってはますます必要なことなだと思いました。

…………………………………………………②
◎百歳日記(まどみちお/NHK出版)

※人はどから来て、どこへ行くのか。人というのはいったい何なのか。そういうことを昔からずっと考えてきました。これからも、それぞれそのとき、それぞれの返事をしながら、まあその日を過ごしていくという感じです。(P15)
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※人間は自分の都合のいいことばかりを利用して、世界というもの、地球というもの、宇宙というものをないがしろににしているところがあるとしたら、厳につつしまなければならない。(P59)
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※ものごとというものは受け止める人間の働きによってずいぶん変わってしまいます。そこから生まれる災いは限りないものですが。(P77)
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※修(息子)は私に生き甲斐を与えてくれました。いのちっていう言葉を人間が持っているということは、救いのような気がします。いのちという言葉があるおかげで、涙を出すことができます。その涙がしみじみと我が身をうるおしてくれるものです。(P130)
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※落ち葉は宇宙の原則に真っ先に参じて、その教えのまま行動していらっしゃる立派なお方である。(P145)
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※生きるということは、結局「生かされている」ということです。自分で生きようと思ったって、生きることはできないものですから。どんな生きものも、生かされているのです。(146)
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 とあきるほどながーい引用文でした。
 でも、これはほんの一部分です。百歳にもなって、なおも「言葉」を探し、世に出していく気力がすごいと思います。どれも、素直に耳をかたむけて聞いて考えてみる大切な言葉だと思います。
 さてさて、百歳まで生きるだけで大変なのに…と思うしさらに、人間の本質を探そうということは結局、自分ということを見つめる大事なきっかけなのだと思います。愚直にも「一日一日をせいいっぱい生きて、悩んでいる人にしかわからない」と思えました。

…………………………………………………③
◎もう一度読みたかった本(柳田邦男/平凡社)

 「もし末期の一冊を選んでくださいと言われた何を選びますか?」そんな気持ちをかきたてる本です。
 柳田邦男がこれまで生きてきて、読んできた本を再度、読み返したい本を紹介しています。自分の成長とともに読んだ作家。なぜ、その本を選んだのか思いを語っています。
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 以前同じような題名の本がありました。
 城山三郎と平岩外四との対談の本「人生に二度読む本」を読んだことがります。そのなかでヘミングウェイの「老人と海」を紹介していました。柳田邦男の「もう一度……」にも同じ本が紹介してありました。どちらも老いと人間をテーマにしてものだと思います。そういう意味で、人はいずれ誰でも年をとり、老いる…と永遠のテーマをあつかった小説で素晴らしい小説だと思います。映画にもなっています。そのなかで、何を感じ、考えるかは千差万別あります。そのことが、大切なことだと思います。
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 私はよく作家の日記を読むのが好きです。山田風太郎の「戦中虫ケラ日記」シリーズはとても面白いです。人の動きと自分の気持ちを素直?に書いてあり、過酷な状況でも、考えることなどが貴重な証言のようにも思います。
 日記の中の生き方は、それぞれ今いる場所も違うし、時代背景も違うのですがとても参考になると思うところ多いと思えます。

 また「アンネの日記」もいいです。戦争の中でもくじけず、真摯に生きようとしている少女(青年)の気持ちが正直に素直に書かれていて、誰でも若いときはこんな思いもあったのだろうと回想したりします。
 さて、読者の皆さまはどんな本があげられますでしょうか。

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◎風立ちぬ(堀辰雄・新潮文庫)

※風立ちぬ、いざ生きめやも(p91)
※「私達がずっとあとになってね、今の私達の生活を思い出すようなことがあったら、それがどんなに美しいだろうなと思っていたんだ」(p105)

 東日本大震災以後、毎日が雑然としていた。日々、余震のこわさを気になっていた。ちょっと外へでるにもなんか大袈裟かもしれませんが「覚悟」みたいに言葉を交し合っている友達…。こんな日常もつらいものがある気がした。まるでこれじゃ、あす出征する兵士みたじゃないか…。そんな時代じゃないのに…とは知っていても、そう考えてしまう悲しさがありました。
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 と、思い少しでも心の平穏を探したいと思って「風立ちぬ」という本をとっていました。
 この本は、私(主人公)が軽井沢のサナチリウムに入院している節子(婚約者)とひと季節を過ごしたものを小説にしている作品。静かなサナトリウムでは二人の静かな会話が思いやりの多い。お互いのエゴがあるはずなのですが、相手を思う気持ちが小説になっています。
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 なんといっても静けさが好きでした。現実が喧騒としているとますます、静かな時が欲しくなります。まして、自分のことばかりではなく、本当に心配する相手がいることがいいです。それも、一心に恋しい女ならなおさらです。死を目の前にして、人は何をあがないたいのだろうが、それを克服しようと必死に婚約者につくす私も好きだ。
 季節も、二人の会話も、時の流れも静かに過ぎていく…。こんな静かなものがいい。静かななかに誰のために死ねるか…と思えてしまえる一冊でもあります。(青春だなあ…)

…………………………………………………⑤
◎きんぎょの夢(向田邦子/新潮文庫)

 「きんぎょの夢」には有楽町裏通りに小さなおでん屋(飲み屋)で起こる男の浮気がまきおこす人生模様。
 世の中、男と女だけしかいない。自然、男でも女でも、その場で好きな人がいたら相手を思いやる言葉をかけてやりたいと思うのが人情だろう。それが、自分の家庭があったとしても…よ。このへんが大人の男女は難しいと思った小説でもありました。
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 そこに住んでいるなら、どんな人生を送らなきゃ楽しくないかわかるっていることが大事だろうと思う。男はそんなことを考えている動物なのだとつくづく思った小説のように思います。
 人は片思いが一番楽しい時期なのかな…と思った小説でもありました。

おまけ…………………………………………………………………………………
 人はどんなところで生きて生活していれば、いちばん幸せを感じるのでしょうか。
 こんなときだから思い出す写真集がる。本橋成一の「無限抱擁」(リトルモア)である。旧ソ連おきたチェルノブイリ原発事故後を追った写真集である。チェルノブイリ170キロの町、チェチェルスクに住む人々の生活を撮っている写真集である。
 放射能の危険ななかそれでもそこに住む人々のこと。汚染されていないか心配じゃないかという問いかけに「そりゃ不安さ。いつも喉や胸のあたりのことが気になってしょうがないよ。でもね、どうせここで生きるなら、楽しく生きなきゃソンだと思わんか?」
 自分のいる場所を一番大切にして、そこでなれ親しんだ人たちとの悲喜こもごもの人生…素敵だと思いますね。



 今週はよくラジオを聴いていた。職場でも、自宅でもラジオの音を気にしていた。
 日々、変わっていく震災の様子のニュースや被災地を励ますアナウンサーの声にいつしか自分も励まされているように思えた一週間でもあった。そして、地球の回天や自然の過酷さをも心に焼き付けた日々でもあった。

 天災は、人間がどうあがいても起きる時は起きるものだ…というあきらめも覚えた。それよりむしろ、今、これから生きるための道路情報、避難情報、水情報、激励の言葉、励まされるの歌を聴いて過ごしていたほうがよほど気楽だと思えた。
 テレビも必要だろうが、映像は必要以上に深刻さを伝えてくる。これが現実だとしても、言葉を選んでで伝えるラジオの方がやさしい気持ちに今はなれるように思えた。

 まだまだ、計画停電や福島原発などが未解決なまま過ごすだろうと思う。一日もはやく原子炉は停止してほしいの願う。その上での計画停電はやむを得ないと思う。
 まずは目に見えない恐怖を停止してほしい。人間の目はある程度の暗闇でも慣れてくると見えるのだから…。

 きっと今週もラジオは手離せないアイテムだと思えます。
 まだまだ、事態は困難の連続のようです。それでも、どうにかのりきる術をみつけていくしかないような気がします。
 わずかな可能性があれば、それをやっていくしかないように思います。できるか、できないか自分の守備範囲をよーく考えていくしかないように思います。

たまたま、あきずに読んでくださった方、くれぐれもお体をこわさにように…
 ありがとうございました。
 また、がんばろう…!!




◎考えさせられたコラム記事

●東電社長の顔が全く見えない(千葉・68歳/3/27/朝日「声」
東京電力の原発事故で毎日が不安。それにしても、その会社の社長が「謝罪」もない。これまで「原発は安全」と豪語してきたにもかかわらずです。
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●水の確保は乳幼児優先を(東京・23歳/3/27/朝日「声」
放射能騒ぎで水の確保が優先されるべき乳幼児についてまず、親に安心を…そう思う
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●慰労や復興のための歌作って(横浜・40歳/3/27/朝日「声」
これだけ被害が大きいと、常に応援歌みたいなものが必要だと思う。それを口ずさみながら頑張れる歌…大事なことだと思う。作詞家・作曲家のみなさん、ぜひいい歌つくって欲しい。芸術家の出番ですよ。
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●普通の生活が懐かしい、戻りたい(市川・40歳/3/27/ブログ仲間より
忙しくても、水も米も電機も、前のような生活に戻りたい。けっこうやりたい放題の僕ですが…。でもアフターファイブの自由時間は僕の生き甲斐でしたし…


BLACKOUT(計画停電)の中で…思う

2011年03月20日 | Weblog


 季節は「春分の日」も間近ですね…。今年のお彼岸の墓参りはひかえているのではないかと思います。私の住む近所の都営墓地は近年にないほど少ない墓参りの様子でした。少し寂しい気がします。散歩でよくいく多摩川にが菜の花がいっぱい咲いていました。自然は破壊的な力を持っていますが、また人にスケールの大きい感動を与えてくれるものなのですね。
今回の大震災できびしい日々を送っている人たちの一日もはやく復興を願うとともに、ココロの復興も頑張って欲しいと思うし、私自身も周囲の人々や家族で出来る範囲で応援していきたいと思います。
 今回こそ、温かさの政治が試される時期はないと思います。


しばらくの間休みます。ごめんなさい。
それにしても、地震国の日本には原発は危険だということは事実です。そんなことを考えました。




 いまさらではあるが、これほど普通の生活が至極当り前に多くの人に支えられ、励まされ生きているんだと感謝した一週間でもありました。
 通勤では自宅から職場まで文句ばかりいっていたような気がする…。ローカル線1時間3本、中央線では窮屈な乗車などと、こんななかでよくぞ動かしてくれたと思っていました。今週は動いているだけで、あわてなければ少し遅れるが無事に着く…。とまあ、バス通勤など初めて経験したりしてみて、電車が動いていさえすれば立派なもんだと思えた週はなかったほどだ。
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 週半ば、輪番停電もとうとう「大停電か」のニュースが流れた途端に4時頃に帰る駅ホームは人だかり…となる。当然、入場規制なりをやっていたようだ。私自身は、仕事の都合で6時半過ぎに退社…。そのとき中央線四ツ谷駅では人がまばらで「えー、電車止まってるの?」と思える人が少なかったことに驚いた。コンビニでは乾電池がなくなったとのこと。
 こんなことばかりの連続で本当にBLACKOUT(停電)…は私の心まで停電状態に陥っているように思えました。
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 今週はよく親戚や兄弟からの電話やメールが届いた週でもあった。千葉の同級生からは「近所が液状化現象だ」とか「無事か」「足らないもはあるか」などの連絡は心の停電状態に小さな光明のように思えました。
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 今週から少しずつ物資が被災地に届き始めたとか、ガレキの下から救出された人がいたなど少しずつ明るいニュースも出てきました。
 それにしてもまださらに死者や行方不明も圧倒的に多いということも事実です。
 自分の身の周りでも、気が焦っているからでしょうか、嫌味をいわれたこともあります。言葉が人を傷つけていることがあります。そんないやな思いもした週でもありました。そんな時は返す言葉を探すより、自分の生き方の言葉を持ったほうがいいものです。なぜなら、口論になってしまってつまらないイザコザになるからです。今はそんなことより、自分にいちばん正直な言葉を自分にかけ、励ますようにしたいと思っています。
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 こんな中でも少しでも一点の光明をつくるものがたくさん出来てくるようになって、大きな灯りとなっていってほしいと思います。

とにかく…できる範囲で、明るいきざしが身近になってくるまで、がんりたいと思った。そんなにえらいことは出来ないとしても、自分の仕事ができることさえうれしいことではないかと思えました。
 そして、自分の仕事が社会のどこの部分で役に立っているのか…ということも考えた1週間でもあったと思う。

たまたま読んでくださった方ありがとうございました。

職場で震災にあって思うこと…

2011年03月13日 | Weblog
 3月に入って、温かさをまちにまっていたが、突然の地震がおこった。
 いやー、まいった…。下記に「手記」をのせましたので、時間のあるかた読んでみて下さい。私の思ったことを書きました。


今週も休みます。すいません。





 3月11日(金)2時46分頃、三陸沖を震源とするマグニチュード8・8の巨大な地震があった。気象庁によると、関東大震災のマグニチュード7・9を上回り国内観測史上最大級という。

 私の職場では仕事の最中。お客様も校正室に今日のノルマを片付けようと来ていた。地震の揺れが少しずつ強くなると、すべての人がビルの外へ避難し始めた。外で見た景色は、駐車している車が左右、上下に揺れていた。街灯も烈しくおじきをしている。さらに揺れが足元に感じる強さだった。
 東京千代田区は震度5強。私はこれほど強く地震をしらない。足元の地面がじかに動いているのがわかる激しさだった。

 その結果、この体感の強さをもってすれば仕事どころではないと思った。様子をみても落ち着くところではない。結果として、今日の仕事は打ち切り(閉店)し、週明けに再度仕切りなおしということになった。
 職場では家にいる肉親の安否を心配する人、帰路を探す人とテレビやシ携帯電話で情報を探していた。

 今、最優先されるべきことは人命優先。病を持つ人は早くその場から出たいと思う。病の人の安否確認するため動くため、交通手段をと徒歩で家路をさぐっている人…。そして急いで帰りたい思うのはあたりまえ。すぐに帰ってもらうこと…。

 残った従業員とお客様。帰る条件の揃った人から帰途に急いだ。しかし、帰途で利用すべき鉄道各線は全面停止状態だった。帰途を絶たれた私たちとお客様は校正室と休憩室で一夜を明かすことになった(すでに宿泊施設はどこも満室)。ビルの老朽化で安心して泊れるビルではなかったたため、夜は余震(緊急地震速報)があるたびに崩れないか不安もあり、眠れる状態ではなかった。眠れないまま一晩中、備え付けのテレビの前で過ごしていた。

 校正室では災害がテレビ放映されたいた。東北地方を中心に、関東、北陸、信越で起きている災害事故を観ていた。津波に次々の飲み込まれる家、車、人。今、起きているリアルな映像を悲しい気持ちで観ていた。
 これほど自然の猛威に人間の無力な証明がはくじつのものなっている現実。いま、私のできることは何もないと思った。生命ある者が危うい生命を助ける様子を傍観するばかりだった。東京では少しずつ公共施設が避難場所として開設されていた。私のいる職場からいちばん近い国会図書館でも一部を開放していた。避難する従業員の一部の人もそちらに避難する人もでてきた。建物の強度の差は歴然だからである。

 少し落ち着いてきて、自分のいる場所をみてみた。1階部分の壁に斜めにヒビが走っていた。また、段差もできた。雑誌類も散乱し、誰が呼んだか救急車も来ていた。
 隣の消防署の人も「大きな余震があったら、崩れる危険があるので、必ず外へ避難して下さい」との注意もあった。テレビで「緊急地震速報」が出る度、その強度を確認して外へでる一夜でもあった。今もその余震の揺れは肉体に記憶されているくらいだ。
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 一方、私の家族の安否。なんと地震が起きた1時間くらい後の同日同刻、妻と娘は上野に用事があり上野駅にいた。揺れの危険に駅員が駅構内から外に出るようにと強制的に排除されて公園にいた。ここでも家路にむかうため動いていた。

 とりあえず東京駅に出よう…と決断。上野から東京駅にいくバスに乗り着く。東京駅4時間後着いた。そこでタクシー乗り場へむかう。そこでは何時間まつかわからにほどの長蛇の列だったいう。並んでいたら、見知らぬ女性に「同じ方向に向かう人ですか…」と声をかけられ、3人の女性で家路を探ることになった。

 しかし、なかなか進まぬ列に「他に手はないか」と探っていた。多くの情報が携帯で見られれた。その女性の娘さんが家から新しい情報を送ってくれて地下鉄で東中野までとりあえずいけることがわかった。とにかく、自分の家の近くまでいくことが最優先だった。

 東中野について、また新しい情報が入った。京王線と西武新宿線が遅れがちながら動いている…という情報がまた入り、新宿まで戻り、ここで「無事、帰ろうね!」という約束をして別れたのだった。このとき新宿駅は午前0時だった。混雑しているが、何度か駅員に人員整理を促されるなか家についたのは午前1時過ぎだったいう。
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 そして、私たち…。
 まんじりともせず、余震の揺れでビルの崩壊と睡魔に悩まされ一夜が明けた。少しずつ明るくなっていく朝の空を眺めて、動き始めた鉄道のニュースに安堵…。同方向に向かう人と一緒に帰った。土曜日の朝というのに混雑していた。きっと「帰宅困難者」がどこかで一泊して帰るのだろう。
 歩いて帰る(25km)選択肢もあった。よくよく考えてみると、帰らず鉄道で帰ったことは良かったのだろう思っている。
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 自分にできる選択の枝葉を人との関わりのなかで決断し実行していくしかない。
 都会に住んでいると、あまりの便利さに他人との接触は出来るだけ避けたいと思う自分がいる。
 しかし、いざ災難に遭ってみて、つくずく自分の一人でやることなど微々たるものだと思った。まして、最後までの目的(安全に帰る)を達成するには時間がかかりすぎるだろうし、体力も情報も限界。自分を助けてくれるのは多くの他人様の力が働いているものだと実感した一日だった。妻の話からそれは現実的なことだと思った。

 悔しいかな悲しいかな、私はこんな時ぐらいしか学ばないのか思った。
 これまでを通して、話を聞いたり、自分で実感した体験を通して「災難は忘れたいが人の温かさは忘れないようにしたい」と思った。それぞれの善意をすれないようにしたい。

 少なくとも昨夜、帰宅困難者となって宿泊した人達の善意と協力を忘れてはいけないと痛感した。忘れたいと思うことは、この日、会社責任をあずかるはずの頭目以下その子分どもがいつまにか消えていた…という現実にはあきれてしまった。

 こんな言葉がある落語家にきいたことがある。「人の恩は岩に刻み、人のあだは水に流す」という言葉が頭のなかで甦ってきた。
 少なくとも、自分を育て成長させてくれるのは「いやな思い出」ではなく自分ととともに成長しようとする善意で行動してくれる人たちなはずだ。そんなひと達の気持ちを本当に大切にしていきたいと思う。
 いずれにせよ、また「普通」の生活にもどずための日々が始まる。それでいいのだ。

少しずつ落ち着いてきて、高校生時代の同級生より連絡があった。「無事か」という電話…。今までの状況の他の人の安否を聞く。それぞれの、様子を安堵で聞いている。「よかった…」と。
 今だから、もっといい考えがあったのかと思う。都内にいてそれを気がつかせないほどの災難であったのではないかと思い返す。

 いつか、災難の話が笑って話せるほど落ち着いてくれることを願うだけである。少しずつ遠い友達や親戚の安否が気になってくる。阪神・淡路大震災にあった神戸の親戚には強く心配された。本当にありがたかった。涙が出るほどうれしかった。
 落ち着いて考えてみると、一番心配をしてくれた人、いつも一緒にいて笑顔で励ましてくれた人、家族などみんなどれだけ、私という人間を支えていたのか分かってくるような気がする…し、大事にしていきたいと強く思った。

 そして、今まだ不安に感じている国中の心が明るい希望へとつながっていく日々を早く戻ってくるのを願うだけである。
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 うん悪く災難にあった人達のご冥福を祈るとともに、一日もはやく元にもどる日々がきてほしいと思う。私自身もそうするようにできる範囲でいきていきたいと思います。
 世界中の救援部隊も日本にむかっているとう報道もだされている。
 世界中の協力のもと、少しでも早く復旧して、また笑いを取り戻せる日々であってほしいと思う。

 ※ちなみに私の被害は、日頃のだらしさが災いして好きな本とCDが戸棚から散乱していた。片付けるのもめんどうになるくらい…だった。こんなもので済むならまだいいとへんに開き直っている。

 たまたま読んでくださった方ありがとうございました。


3月です…週のはじめに思うこと

2011年03月06日 | Weblog


 3月にはいりました。
 週末、多摩川の散歩をしていると川面に朝陽が柔らかくなったような気がします。河川敷では草野球の再開を待ちどおしいし人達の練習が始まっていました。土手の道をかげろうが小さくたっていました。温かさが目で見える季節ともなってきました。
 そして「啓蟄」と…。地面も気持ち柔らかくなってきたように思えます。
 花粉症はまいってしまいますが、やはり温かい季節のほうが何をやるにも楽です。
 さらに、昨日からいよいよJRリーグが始まりました。今年の地元FC東京はJ2から出発です。昨日は勝ちました。白星発進です。この勢いを続けて欲しいものです。
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 会社を辞めた娘は3月いっぱいは有給休暇消化で休みだそうで、毎日、ぶらぶらしています…わ。
 今週は、「大学入試問題」が「ヤフー知恵袋」というインターネットに流され、回答され提出されたという事件(?)があったりしました。たかがカンニング…と思いますが国の威信をかけた事件となってしまった感じがしますが。


今週は休みます。




 3・4月は異動の季節ですね…。
私の職場はないようですが、以前にも書いた妊娠された方が「産休・育児休暇」を取得することになりました。法律で定められた権利であっても正直、現在の職場から減員1人は少しきついなあ…と思っています。
 その穴埋めはいません。そのため、実態は他の人に負担がかかってくることになり、どれだけスムーズのまわっていくのか、私は心配しているところです。

 産休をとってゆっくり安心して子を産み育てる環境があることはいいことです。私の時代はありませんでした。女性は子どもを産む育てる環境は、昔よりはるかによくなってきたといえます。最近では「育メン」という言葉があるように男性にも育児にかかわるような時代になっています。しかし、労働環境は依然と変わっていないのが現実です。むしろ、以前より人がいなくなって悪い状況になっているといえると思います。派遣社員や契約社員を増やすことよりも正規社員を雇用し、育児休暇や介護休暇をいつとっても安心して働ける職場をつくる労働現場をつくることが大事なのではないか思いますが…。

 なぜか、法律だけが先攻してしまっているといえます。大企業にとっては当たり前かもしれない実態が中小・零細企業煮にとっては、そのことで負担が増えることになっています。職場の負担が増え、以前よりも残業が増え、労働過密がこくなり、職場が混乱することになっても仕事はとまりませんから悪循環ではないかと思います。

 本来は法律が施行されるよりも先に労働環境が整うほうが先決なのでは…と思うことがあります。実態はそうはなっていません。
 子どもを産むことは病気でもありませんし、後は当事者の責任で1年後職場復帰することだけをのぞむだけです。
 本当は、代用教員ではありませんがその人に代わる方が臨時に来てくれる労働環境をあるといいのです。それをやるためには、何が必要なのかといったところです。

 しかし、新規事業にかかわって、どうしても仕事が滞る場合には人員増を強制的に会社に希望しなくてはならないでしょう。だいたいこれは働きやすい労働条件をつくることでしょう。労働組合の出番だろう、な。

 最近、家族に病気にかかり看護をしている人が一人。話をきけば、「最近痩せた…」といっていました。心労があるのでしょう。
 私は、他人事ではないと思いました。なぜなら、私と同年代。私もそして家族も病気にかからない保障はなにもありません。これは、年をとれば仕方がないことなのでしょう。日々の生活の反省が必要なのでしょう。

 何十年も一緒に働いてきた仲間が、定年まで働くということは多くの困難にであい、それに挑み、負けじとたたかわなければなりません。それが、愚直であろうと、恥をかこうと「かならず良くなる」と信じていなければならないと思います。そんな人と一緒にいる宿命だと思って励ましあっていきたいと思います。できる範囲でいきたいと思います。
 普段から一生懸命頑張っている人に対してはできるだけ手助けをしてあげたい…というのが人情でしょう

 そんなわけで、最近の「現場」は最悪の状態だと思っています。少なくとも同じ職場で働く仲間同士支え合っていきたいと思います。
 何であれ、結果をきにせず今出来ること、過ぎ去ったことにくよくよしても仕方がないと思います。むしろ、明日のために何ができるのか、励ましあったり、泣いたり、喜んだりする私がいること、そして、私をささえる人がいることの方が、これからはもっと大事だと思いました。


 ちょっと、疲れ気味…です。グチが続きます。
 私自身、少し、タバコの量を減らさないといけなのかな…と思いました。


■今週の主なニュース
◎(後日記載)

■楽しかった・考えさせられたコラム
◎家族の悔い(認知症殺し・国は家族の苦悩をどこまで認知するか・3/1毎日)
◎遺族に別人の遺体渡す警察(熊谷・深谷諸の大ミス・3/4毎日)
◎親のリストラで子の塾代免除の学習塾(藤沢・教育の原点をみた・3/6朝日)
◎携帯でカンニング(国立大学の権威を死守するための犯罪者とされる・3/3・毎日)

◆たまたま、読んでくれ、グチに付き合ってくれた方ありがとうございました。