こんにちは。お元気ですか。
季節は着実に秋に向かっているようです。多摩川を散歩していると、足元からたくさんのバッタが飛び跳ね、空を見上げればトンボの群れが風にのって飛んでいます。さわやかな季節になってきたというのでしょうか。梅雨時田植えをしていた田んぼには実のしっかりはいった稲が黄金色に輝いてみえました。
さて今週のいちばんは、ラグビーワールドカップで日本代表の活躍でしょう。土曜日にはアイルランドを破り「大金星」でした。海外のメディアも「静岡ショック」というタイトルで世界中に日本代表の勝利を報道したとのことです。4年前の南アフリカ戦の「軌跡」といわれていたのも、今回の勝利で「奇跡」じゃないことが理解されたのではと思います。正直、ぼくも「多国籍軍」などといっていましたが考えてみれば、自分が好きなところで好きなチームメイトと代表になれるラグビーというスポーツが素晴らしいと考えなおしました。スポーツって国境がないのですね。やりたいところで自分の技術を磨き、うまれば出場させてくれる、って本当に公平なことだと思います。そんな思いがした勝利でした。そして素晴らしい週末でした。
と、思いきや「原発関連工事者らに元助役から現金授受」という記事。やっぱり政治にカネが絡んでいて、企業との政治の闇部分が表にでたようなニュースには「さもあらん」と思えました。ただ、闇ですからなかなか問題になっていまいようです。今回、新聞の報道には拍手です。あとはこの流れがどれだけ、住民の税金がつかわれたとかその背後関係とか追及することを注目していきたいところですが・・・。消費税10%のゆくえもがんばって報道してほしいところです。
少しは涼しくなって絶好の「読書期間」が近づいてきたわりには少しも進まない状態でした。それというのも今月は毎週月曜簿日が祝日で、その分自分が担当している仕事が前倒しになったり、休日の遅れを取り戻すために四苦八苦して月でもありました。毎月のこととはいえ、月刊誌や新聞の締切日は否応なくせまってくる日々でした。お客はいいのだけれでも、それを形にする側としてはさんざんな日々でした。連休も考えものだと・・・と思った月でした。
ということで、今月はまとまらず日々がすぎていきました。まともに読んだ本は二冊となりました。なかなか大変な月でした。(それもまとまらず)。読書の秋も近づきつつ日々ですがなかなか読めずにいた日々でした。
■p149 次に住むところでは、ちゃんと近所付き合いもしたいし、周りの人たちとお金に換算しない助け合いができるようになりたいものだ。
■p154 そういえば、今回の移住は、たくさん考えたようでいて、実はなにも考えていないのかもしれない。この先どんなリスクがあっても構わない、今いる場所から出たい。離れたい。ただそれだけでここまで来てしまった。千葉に半年滞在して時のように、東京に拠点を残したわけでもない。もしかしたら仕事がこの先来なくなってしうまうかもしれない。
■p165 その後いやというほど思い知らされるのがあるが、島での暮らしでは、季節と天気と干潮時刻が行動の最優先となる。心身や仕事の都合は、二の次三の次。
p179 やっぱりヤフーオークションでアンティークの出物を探すのがいいのだろうと、調べていくうちに、さらなる難題が浮上した。それは、送料。離島なので、大物の荷物となるといきなり高額となるのだ。
思えば「引っ越し=移動」という形は田舎からでてきた者にとっては宿命のような都会生活だろう。事実、ぼくは現在の場所にくるまで都内を3~4度移動している。まさに「根なし草=デラシネ」である。住んでいていちばんよかった場所もあるし、いやなところもあったし「漂う」なかでの経験も多い。ちなみにいちばんよかったのは、熊谷に住んでいたときだった。アパートはボロだったが周りに同じような人も多くて、若さが苦労をカバーしてくれていた時代だった。以外と自分のアパートよりは他人のアパートをアルバイトをするため転々としていた。まさにこの時代は移住よいうより季節に沿った移動みたいなものだった。だから、永住なもなく、旅人のような時代だったのだろうと思う。
『漂うままに島に着き』という本は、都会から離島に引っ越すまでから引っ越してからの著者の記録である。フリーランスということもあって引っ越す条件があるが、離島となるとある程度の不便さを覚悟をつくなければならないことにも触れていて大変面白い読み物だと思う。「疑問は土地のことはその土地の人の声に学べ」という大原則もわかってくる。親切な人、嫌味な人とさまざまな人たちのなかをくぐりぬけて移住という形がみえてくるように思う。親切にしてくれる人の中には「下ごころ」がある人もいる(著者がとても美人ゆえに)。さらには、そんなこともおかまいなしにおせっかいをしてくれるありがたい住民もいる。その人のなかをどう暮らしていくのかということも勉強になる。
とはいえ、最後に著者自身、ストーカーに遭ってしまう結末には、どこへいっても「色欲」の世界はついてまわる「三界に家なし」という言葉がついてまわる。それでも移住をささえることを見つけることが本当の移住なのだろうと思う。
※ちなみに内澤旬子さんの本は以前『世界屠畜紀行』(角川文庫)という本をこのコーナーで紹介していると思う。その縁もあって、買って読んでみた。(もちろん文庫本なってから)そのときの、とても動物を殺して食べている側から動物と真摯にむきあっている印象があったので今回も読んでみた。さらに、最近『ストーカーとの七〇〇日戦争』(文藝春秋社)からだしたそうだ。この作品は、島での暮らす中で起きてしまった、ストーカーとのことを書いている。強いて読もうとはしないが、これも紹介しておきます。(文庫本になったら考えます)
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2008年GM自動車組立プラントが倒産した。住民のほとんどはその企業に関係する仕事で生計を立てていた。再開を期待しながらそれぞれの生活設計を模索しはじめる。その結果、家族がバラバラになっていく者、とどまって何等か仕事に夢をつくろうする者とさまざまな人生が転回される。それでも、企業の倒産によってドミノ式に生活、教育、医療が変化していく。この本は、企業が町をかかえているということを自覚させる本でもあり、企業の責任が問われる本でもある。そして、この現象は他国のことではなく日本でも同じようなこともあったことを再確認させてくれる。
これまで「倒産」ということで多くの労働者が解雇されていった・・・は新聞などでよく目にする記事だ。政府がいう「経済成長は伸びている」というわりには、あいかわらず実感がないというのげ現実だろう。少子超高齢化社会ということもあって社会保障費(年金)などもますます負担がかかる状態もよく聞くことである。そこで、65歳定年制とか70歳までとかという政策が出てきている。
ではこれまで政治は何をしてきたのだろうか、とい疑問もある。お金が足りなければあるところから回せばいいじゃないか・・・と思うが、なかなかそうならない理由があるのだろう。たとえば、数百億円のもする戦闘機をひかえればいいじゃないかと思う。結局、政治と企業の関係がバランスをとるために、そうならないのが今なのだろう。本当に社会保障などを考えれば「消費税10%」とをちゃんと使えばいいのだが、その予算がどこでどうなってしまうのか。
『ジェインズヴィルの悲劇』を読んでいたらそんなことを考えた。結局一企業の関係ではなく、それに付随した政治がどうまわっているのかが問われることになるのだろう・・・ということになる。事実、17日東京新聞に「GM工場12年ぶりスト」という見出しでのった新聞記事には、会社と労働組合との「労働協約」に関しての合意がうまくいかずストライキに突入したというニュースが出ていた。「賃金や医療費の負担。雇用の確保」をめぐる合意ができない状態。そこで、出てきたのはトランプ大統領の「合意すべきだ!」というツイッターでの記事だった。いかに政治との関係が深いかがわかる記事でした。こう思うと、労働組合もちゃんと機能していることが、日本よりもまともななんだとあらためて思いました。日本はいったいどうなっているの? とも思えます。
いまや企業の倒産どころではないだろういう現実がある。例えば「限界集落」。高齢者ばかりの自治体は今後の見通しもたたずに取り残される状態だ。政治はどうするのか。見殺しにでもするというのだろうか。福島原発のときもそうだったが「安心」をうそぶいていくのだろうか。
※『追跡・「夕張」問題』(北海道新聞取材班・講談社文庫)もその現実を訴えた本だ。
季節が歩くことを楽しくさせてくる時期になってきたことが感じることができる日々になってきたようです。走ることもなく飛び跳ねることもなく、淡々と歩くだけで季節の色やにおいを感じることもできることが大事なことだなと思うようになりました。若いころは道は通りすぎるものだけでした。足を止めてみれば、その様子は日々変わっているのでしょう。とくに季節の変わり目には感じるものです。
散歩の途中にスポーツ専用のビルがります。ルームランナーに汗を流している人も見られます。「歩くだけなら外へ出て歩けばいいのに・・・」と思うことが多いです。もったいないなあーと。
以前、精神を病んだ上司がいました。病院にも行きましたが、それでも今一つでした。そこで毎日歩いたそうです。雨の日も晴れの日も歩いたそうです。歩いていたら嫌なことも忘れることが出来るようになったという話を思い出しました。なにも考えなくとも、ただひたすら歩く・・・。単純な行動です。それでも、用をたすだけでなく好きな場所をさがすように歩くことって大事ことだとわかったような気がします。
9月も終わりですね。今月は毎週月曜日は休んでいたいました。休みもたくさんあるのも考えものです・・・。とくに仕事をしていると、後に先にそのつけが回ってくるようです。今月はとくに集中した日々が多くて、疲れました。(つかれると歯がいたくなります)休みがあってうれしいと思うのは若いころよりなくなったというのが正直なところかもしれません。とくに人とあって考えることが大事な年齢なのでしょうかね。ちょっとした刺激が仕事をしていると感じられているからでしょう。人間まりにも暇だとろくなことがないようです。ですから、外へ出て、バカにされながらも刺激をうけていることがとても大事なことだとわかってきたような気もします。
さて、来月から「消費税10%」になるそうです。政府はあの手この手と還元する政策を出しているようです。とくにカードでの支払いに関しての還元が宣伝されているようです。できるだけ消費税という形を手に載せないようにしているような気がします。現金で払えば、より具体的にこれまでの8%より重くなしかかる消費税を感じることが出来るでしょうからカードにしたのではにのでしょうか。いずれカードであれ10%になります。それにしても、とてもわかりずらい政策が出ていますね。軽減率などということもわかりずらいものです。ちゃんとした収入があるひとにとってはカードもつくれますが、日雇いの人などは現金払いが多いのではないのでしょうか。だいたい、賃金が10%もあがらないのに、払うことだけが増えつつある経済というのは、ある意味増税でしょう。その税金をちゃんと使っているかと思えば、原発マネーのように使われいるにゅーす・・・あきれるわ。
とうぶん様子をみていこう。そんな余裕がないですが・・・。
まだまだラグビーワールドカップは続いています。どこまでいくか日本代表。楽しみにしながら。今週はこの辺で失礼します。
読んでくれた人、ありがとうございました。