日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

日々に追われ、消費税まじか・・・。

2019年09月29日 | Weblog

 

 こんにちは。お元気ですか。

 季節は着実に秋に向かっているようです。多摩川を散歩していると、足元からたくさんのバッタが飛び跳ね、空を見上げればトンボの群れが風にのって飛んでいます。さわやかな季節になってきたというのでしょうか。梅雨時田植えをしていた田んぼには実のしっかりはいった稲が黄金色に輝いてみえました。

 さて今週のいちばんは、ラグビーワールドカップで日本代表の活躍でしょう。土曜日にはアイルランドを破り「大金星」でした。海外のメディアも「静岡ショック」というタイトルで世界中に日本代表の勝利を報道したとのことです。4年前の南アフリカ戦の「軌跡」といわれていたのも、今回の勝利で「奇跡」じゃないことが理解されたのではと思います。正直、ぼくも「多国籍軍」などといっていましたが考えてみれば、自分が好きなところで好きなチームメイトと代表になれるラグビーというスポーツが素晴らしいと考えなおしました。スポーツって国境がないのですね。やりたいところで自分の技術を磨き、うまれば出場させてくれる、って本当に公平なことだと思います。そんな思いがした勝利でした。そして素晴らしい週末でした。

 と、思いきや「原発関連工事者らに元助役から現金授受」という記事。やっぱり政治にカネが絡んでいて、企業との政治の闇部分が表にでたようなニュースには「さもあらん」と思えました。ただ、闇ですからなかなか問題になっていまいようです。今回、新聞の報道には拍手です。あとはこの流れがどれだけ、住民の税金がつかわれたとかその背後関係とか追及することを注目していきたいところですが・・・。消費税10%のゆくえもがんばって報道してほしいところです。

 

 少しは涼しくなって絶好の「読書期間」が近づいてきたわりには少しも進まない状態でした。それというのも今月は毎週月曜簿日が祝日で、その分自分が担当している仕事が前倒しになったり、休日の遅れを取り戻すために四苦八苦して月でもありました。毎月のこととはいえ、月刊誌や新聞の締切日は否応なくせまってくる日々でした。お客はいいのだけれでも、それを形にする側としてはさんざんな日々でした。連休も考えものだと・・・と思った月でした。

 ということで、今月はまとまらず日々がすぎていきました。まともに読んだ本は二冊となりました。なかなか大変な月でした。(それもまとまらず)。読書の秋も近づきつつ日々ですがなかなか読めずにいた日々でした。

■p149 次に住むところでは、ちゃんと近所付き合いもしたいし、周りの人たちとお金に換算しない助け合いができるようになりたいものだ。

■p154 そういえば、今回の移住は、たくさん考えたようでいて、実はなにも考えていないのかもしれない。この先どんなリスクがあっても構わない、今いる場所から出たい。離れたい。ただそれだけでここまで来てしまった。千葉に半年滞在して時のように、東京に拠点を残したわけでもない。もしかしたら仕事がこの先来なくなってしうまうかもしれない。

■p165 その後いやというほど思い知らされるのがあるが、島での暮らしでは、季節と天気と干潮時刻が行動の最優先となる。心身や仕事の都合は、二の次三の次。

p179 やっぱりヤフーオークションでアンティークの出物を探すのがいいのだろうと、調べていくうちに、さらなる難題が浮上した。それは、送料。離島なので、大物の荷物となるといきなり高額となるのだ。

 思えば「引っ越し=移動」という形は田舎からでてきた者にとっては宿命のような都会生活だろう。事実、ぼくは現在の場所にくるまで都内を3~4度移動している。まさに「根なし草=デラシネ」である。住んでいていちばんよかった場所もあるし、いやなところもあったし「漂う」なかでの経験も多い。ちなみにいちばんよかったのは、熊谷に住んでいたときだった。アパートはボロだったが周りに同じような人も多くて、若さが苦労をカバーしてくれていた時代だった。以外と自分のアパートよりは他人のアパートをアルバイトをするため転々としていた。まさにこの時代は移住よいうより季節に沿った移動みたいなものだった。だから、永住なもなく、旅人のような時代だったのだろうと思う。

  『漂うままに島に着き』という本は、都会から離島に引っ越すまでから引っ越してからの著者の記録である。フリーランスということもあって引っ越す条件があるが、離島となるとある程度の不便さを覚悟をつくなければならないことにも触れていて大変面白い読み物だと思う。「疑問は土地のことはその土地の人の声に学べ」という大原則もわかってくる。親切な人、嫌味な人とさまざまな人たちのなかをくぐりぬけて移住という形がみえてくるように思う。親切にしてくれる人の中には「下ごころ」がある人もいる(著者がとても美人ゆえに)。さらには、そんなこともおかまいなしにおせっかいをしてくれるありがたい住民もいる。その人のなかをどう暮らしていくのかということも勉強になる。

 とはいえ、最後に著者自身、ストーカーに遭ってしまう結末には、どこへいっても「色欲」の世界はついてまわる「三界に家なし」という言葉がついてまわる。それでも移住をささえることを見つけることが本当の移住なのだろうと思う。

※ちなみに内澤旬子さんの本は以前『世界屠畜紀行』(角川文庫)という本をこのコーナーで紹介していると思う。その縁もあって、買って読んでみた。(もちろん文庫本なってから)そのときの、とても動物を殺して食べている側から動物と真摯にむきあっている印象があったので今回も読んでみた。さらに、最近ストーカーとの七〇〇日戦争』(文藝春秋社)からだしたそうだ。この作品は、島での暮らす中で起きてしまった、ストーカーとのことを書いている。強いて読もうとはしないが、これも紹介しておきます。(文庫本になったら考えます)

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 2008年GM自動車組立プラントが倒産した。住民のほとんどはその企業に関係する仕事で生計を立てていた。再開を期待しながらそれぞれの生活設計を模索しはじめる。その結果、家族がバラバラになっていく者、とどまって何等か仕事に夢をつくろうする者とさまざまな人生が転回される。それでも、企業の倒産によってドミノ式に生活、教育、医療が変化していく。この本は、企業が町をかかえているということを自覚させる本でもあり、企業の責任が問われる本でもある。そして、この現象は他国のことではなく日本でも同じようなこともあったことを再確認させてくれる。

  これまで「倒産」ということで多くの労働者が解雇されていった・・・は新聞などでよく目にする記事だ。政府がいう「経済成長は伸びている」というわりには、あいかわらず実感がないというのげ現実だろう。少子超高齢化社会ということもあって社会保障費(年金)などもますます負担がかかる状態もよく聞くことである。そこで、65歳定年制とか70歳までとかという政策が出てきている。

 ではこれまで政治は何をしてきたのだろうか、とい疑問もある。お金が足りなければあるところから回せばいいじゃないか・・・と思うが、なかなかそうならない理由があるのだろう。たとえば、数百億円のもする戦闘機をひかえればいいじゃないかと思う。結局、政治と企業の関係がバランスをとるために、そうならないのが今なのだろう。本当に社会保障などを考えれば「消費税10%」とをちゃんと使えばいいのだが、その予算がどこでどうなってしまうのか。

 『ジェインズヴィルの悲劇』を読んでいたらそんなことを考えた。結局一企業の関係ではなく、それに付随した政治がどうまわっているのかが問われることになるのだろう・・・ということになる。事実、17日東京新聞に「GM工場12年ぶりスト」という見出しでのった新聞記事には、会社と労働組合との「労働協約」に関しての合意がうまくいかずストライキに突入したというニュースが出ていた。「賃金や医療費の負担。雇用の確保」をめぐる合意ができない状態。そこで、出てきたのはトランプ大統領の「合意すべきだ!」というツイッターでの記事だった。いかに政治との関係が深いかがわかる記事でした。こう思うと、労働組合もちゃんと機能していることが、日本よりもまともななんだとあらためて思いました。日本はいったいどうなっているの? とも思えます。

 いまや企業の倒産どころではないだろういう現実がある。例えば「限界集落」。高齢者ばかりの自治体は今後の見通しもたたずに取り残される状態だ。政治はどうするのか。見殺しにでもするというのだろうか。福島原発のときもそうだったが「安心」をうそぶいていくのだろうか。

『追跡・「夕張」問題』(北海道新聞取材班・講談社文庫)もその現実を訴えた本だ。

 季節が歩くことを楽しくさせてくる時期になってきたことが感じることができる日々になってきたようです。走ることもなく飛び跳ねることもなく、淡々と歩くだけで季節の色やにおいを感じることもできることが大事なことだなと思うようになりました。若いころは道は通りすぎるものだけでした。足を止めてみれば、その様子は日々変わっているのでしょう。とくに季節の変わり目には感じるものです。

 散歩の途中にスポーツ専用のビルがります。ルームランナーに汗を流している人も見られます。「歩くだけなら外へ出て歩けばいいのに・・・」と思うことが多いです。もったいないなあーと。

 以前、精神を病んだ上司がいました。病院にも行きましたが、それでも今一つでした。そこで毎日歩いたそうです。雨の日も晴れの日も歩いたそうです。歩いていたら嫌なことも忘れることが出来るようになったという話を思い出しました。なにも考えなくとも、ただひたすら歩く・・・。単純な行動です。それでも、用をたすだけでなく好きな場所をさがすように歩くことって大事ことだとわかったような気がします。

 

 9月も終わりですね。今月は毎週月曜日は休んでいたいました。休みもたくさんあるのも考えものです・・・。とくに仕事をしていると、後に先にそのつけが回ってくるようです。今月はとくに集中した日々が多くて、疲れました。(つかれると歯がいたくなります)休みがあってうれしいと思うのは若いころよりなくなったというのが正直なところかもしれません。とくに人とあって考えることが大事な年齢なのでしょうかね。ちょっとした刺激が仕事をしていると感じられているからでしょう。人間まりにも暇だとろくなことがないようです。ですから、外へ出て、バカにされながらも刺激をうけていることがとても大事なことだとわかってきたような気もします。

 さて、来月から「消費税10%」になるそうです。政府はあの手この手と還元する政策を出しているようです。とくにカードでの支払いに関しての還元が宣伝されているようです。できるだけ消費税という形を手に載せないようにしているような気がします。現金で払えば、より具体的にこれまでの8%より重くなしかかる消費税を感じることが出来るでしょうからカードにしたのではにのでしょうか。いずれカードであれ10%になります。それにしても、とてもわかりずらい政策が出ていますね。軽減率などということもわかりずらいものです。ちゃんとした収入があるひとにとってはカードもつくれますが、日雇いの人などは現金払いが多いのではないのでしょうか。だいたい、賃金が10%もあがらないのに、払うことだけが増えつつある経済というのは、ある意味増税でしょう。その税金をちゃんと使っているかと思えば、原発マネーのように使われいるにゅーす・・・あきれるわ。

 とうぶん様子をみていこう。そんな余裕がないですが・・・。

 まだまだラグビーワールドカップは続いています。どこまでいくか日本代表。楽しみにしながら。今週はこの辺で失礼します。

 読んでくれた人、ありがとうございました。

 


私も、世界のなかの片隅にすむ住民なんだー

2019年09月22日 | Weblog

 こんにちは。お元気ですか。

 さすがにお彼岸も近づいてきてすずすくなりました。毎日の天気予報では「雨」。ところが明けてみれが「快晴」、そんな日々が多くなってきました。このごろの季節は天気もなかなか当たらないのかもしれません。多摩川を散歩しているとたくさんのトンボをみることができます。そして、とうとうツクツクホウシが鳴くようになってきました。朝からうるさいなーと思っていたセミの声も少しずつきこえなくなってきました。風も涼しくなってきたようです。土手では多くの人がスポーツを楽しむ姿にも暑さがなくなり楽しそうに見えます。

  さて今週、台風15号で千葉県の一部ではいまだの停電が続いている地域もあります。出向先の知人の故郷でも被害にあってこの連休には片づけや対策のためにでかけていきました。それほどひどくなければと思っていますがさてどうなったのか・・・。自然の影響は人的被害を多く残していくのが最近の状況です。「罹災証明」がどこまでできるのか心配です。さて、その後の対策が多く望まれるところですが政府の声があまり聞こえてこないのは不自然な気もします。

 来月消費税が10%になります。ところが、消費税でのかおれまでの課題でもあった消費税の取り方が(払い方)が不透明なようです。店内の飲食と持ち帰りなどの税率などまだうまく理解できない状況です。電子決済などをやる気もない人には厳しい気がします。ポイント還元などといっても結局は商品の一部に値上げがあれば10%になっているようなものではないのでしょうか。

 

 半年前からチケットの抽選に応募していたがはずれた。それでも、まだチャンスがあるだろうと再チャレンジを試みた。第1希望はイングランド対アルゼンチン、第2希望はフランス対アルゼンチン戦だった。そして3ヵ月前にとれたのが第2希望だった。半年前から楽しみも、たかが2時間余りの観戦のなかに終わった。ラグビーは前半戦より後半戦。自力をだしてきたアルゼンチンが逆転をねらうが、技術にまさるフランスがまさかドロップボールで勝ちを得た試合だった。スタジアムもほぼ満席状態だった。さすがにワールドカップ。外国人の応援団が多い。それぞれの応援のコスチュームに身をかざり野太い声と拍手で一生懸命に応援していた。応援のリズムもコンサートに来ているような心地よさである。「うまいなあー」と思った。こちらもリズムに乗って一緒に応援してしまう。

 彼らも1年前くらいから、今日を楽しみに生活してきたのだろう。この大会が終われば、母国に帰り、またいつもの日常にもどっていくのだろう。外国から来るくるくらいだから、私みたいなにわか応援者よりかなりのラグビーファンなのだろう。彼らの様子をみていると「旅の途中」。その途中で寄った日本という国で戦士と自分も一緒に戦っているようにも見えた。いつしか、トライにチャレンジする選手たちに、私も妻も応援していた。

 スタンドからは選手の息づかいは聞こえてこないが、応援する外国人の野太い声や拍手で一緒に私たちもプレーに参加しているようにも思えた時間だった。これがテレビでは味わえないものだろう。いい思い出ができたなーと思った。帰りに他県からきた親子にバス停で話をした。「楽しかった・・・」と話に「同感だー」と思いながら一日が終わった。もう一度、ライブ開催のラグビーワールドカップは見られないかもしれないと思うと・・・切ない。

 今月は「月曜日」はよく休みました。第一月曜日が台風の影響でやむなく休むということのなり、第二、三は祝日でした。ありがたい休みであるのですが、締切がきっちり決まっている月刊誌や新聞のしごとをしていると「休み」が腹立たしく思える月でした。休みを考えて全部前倒しの仕事が理想なのですが、人間がすることで予定通りにならないことが多いようです、約束の締め切りのでも呑気にしている人もいます。あわてて、調整して締め切りのあわせるべく対応が始まります。あわてている分、どこかにミスがあるのでしょう・・・、と思いながら終わります。休みがはいるといつもこうなのですワ。

 そんなとき休みも考えものだと思うことがあります。「休み大歓迎」が本心であっても、休みがあるおかげで、現実は日々時間に追われいる状況です。そんなことを毎月繰り返しながらの仕事です。いつかこんなことから脱してみたいものですが、きっと永遠にないでしょうね。

 最近は開きなおってやれればいいと思います。まして低賃金でいつかは去る身と思うことがあります。大事なのは、仕事はサポートがあるように思います。できていれば苦労はないのですが皆無です。

 

 3連休のはざま・・・。月末はいちばんのんびりできる週でもあります。

 はやいものです。今月も終わりに近づいています。唯一楽しかった3連休の初日にいったラフビーワールドカップ観戦。もう二度とないだろうなーと思いつつ行きました。今回、多人種集団の日本代表はどこまでいくのだろうかと思いながら・・・。やはり、国内のリーグ戦よりはるかに思しろい気がします。サッカーでもそうですが、国の代表となりそれなりの予算をかけ体も精神もできあがってきた状態で試合がありますから迫力も違うような気がします。それに、これが毎日やるようなスポーツではないことがいいのです。いつも週末にやるスポーツ(これだけ肉体を酷使するとそうなりますか)ですから見る方も、一週間分の力もはいります。ヨーロッパのスポーツはよくで来ているなーと思いますワ。

 近所にこんなに立派なスタジアムがあるのに入ったこともなかったのに悔やまれたました。これは時間とお金も関係しているのでしょうか。正直見るスポーツがない・・・といのもあるのではないのでしょうか。きっとスポーツは見るよるやるものだということが私の原則となっているからでしょう。

 今回はいい冥途の思い出ができました・・・という思いが強いです。若い人にとっては4年間に一度でしょうが、私にとっては一生に一度の思いがしました。世界の人たちの応援がおもしろくて、過激で、楽しそうでまさに4年一度の「世界お祭り」の景色にも見えました。

 最近、一政権のおかげで隣国の韓国との関係が冷えているように思うと残念な気がします。隣国の韓国や中国とはいい関係にしてほしいですねー。それが国民にもおよぼないことが大事なような気がします。それこそ、庶民の間でも冷えていくようなことがあれば、昔の戦争状態にもなりかねないです。

 こんなに楽しそうな、ラグビーの国際試合をみていると誰も戦争なんて望んでいないのでしょうからね。望んでいる人もいることは確かです。それがいかにこれまでの関係を悪化させたてきたかということも事実でしょう。残念です。ラグビーでのフランス戦で、試合中きっとフランスの人たちでしょうか、国家を大声で歌っている光景をみていてうらやましい気がしました。日本の国家で応援はちょっとできないような気がしました。どこが違うのでしょうかね。

 今週はこの辺で失礼します。来週はのんびり仕事をしようと思います。

 読んでくれた人、ありがとうございました。


天気予報もはずれることもある秋

2019年09月15日 | Weblog


 

 こんにちは。お元気ですか。

 先週の暑さがうそのような涼しさがやってきたようです。セミの声も少しずつ消えていく日々です。その代わりにコオロギの静かな声が聞こえるようになりました。多摩川の散歩でも草からの照り返しもなくなり「やはり秋が近づいているな」と思えるようになりました。

 さて今週は、台風15号の被害報告が多く聞こえた週でもありました。とくに、今回の台風はとても強烈な台風だったようで多くの世帯の停電がありました。とくに千葉県では今でも11万世帯で停電が続いている状況です。生活の中で電気がなくなればどれほどの不便をつくってしまのかわかります。どれだけ便利なものでも、たんあなる置物のようです。とくに病院などでは患者さんにとっては生命の危機だという事態になっています。自家発電で対応している病院もありますが、できないところでは電気の復旧を一日もはやく待っている状況のようです。

 この台風によって週末明けには都内の鉄道の交通機関は完全にストップしてしまいました。会社のいけなくなり、着いた時間が午後2時ごろになってしまった人も多いようです。それにしても、駅構内に入るにも40~50分待ちの立ち往生の一日でしたし、そんななかでも行く人の頑張りがいかにも「当たり前」で風潮には、いずれ無理が生じてくるのだろうと思います。

 

 世界で行なわれいるスポーツのをいつもテレビ観戦だった。チケットを買って初めてスポーツ観戦をしたのはJリーグ発足2年目だっただろうか、国立競技場ででサッカー観戦だった。そのとき、選手が豆粒のように小さくて動いているのが何とも味気ないなーと思いながら見ていたのだった。ふと、隣をみると隣りのスーツ姿のサラリーマンがおもむろにカバンの中から対戦チームのユニホームを着始めて手にはメガホンを持ち選手には届かないだろうが、一生懸命応援したりヤジを叫んでいた・・・。これが応援の仕方か、と思った日だった。「この人どれだけ大声出す元気があるのだろうか」と思った。それでも時間が消えていく。とうとう試合が終わり。それでも旗を振りながら応援している人たちは帰ろうとしなかった。今はこの時の国立競技場はない。

 思えばぼくは神宮での競技場には時には友達と、ときには一人で行っていたように思う。ラグビーでは秩父宮ラグビー場にいったことがある。社会人のラグビー試合である。冬の日、応援していたら日向と日影が余りにも温暖の差があるので時間とともに移動していた。そこで感じたこと、ここは「近くでいい」と・・・。選手の走る息遣い、チームのかけ声も聞けた。選手の訓練された研ぎ澄ませれた動きのなかに勝利のカギがあるのだろう。そんな身近に見えるスポーツはやっぱりいいものだと思う。

 スポーツを身近になるいちばんの近道は、下手でもそのスポーツをやることだろう。そして、大切なことはルールを覚えること。自分の経験からこれだけは言えると思う。そして一度くらいは勝つことの経験をつくることだろうと思う。昔、会社の野球チームで毎年春の大会を楽しんでいた。野球は中学生時代の野球部いた経験があるくらいであった。それでも何年かやっているうちに、チームはその企業の一部チームに入っていた。ぼくらのチームは一部といっても、二部につねに足を引っ張られている弱チームだった。ほとんど第一試合で負けてた。それでも楽しかったなー。それも今は選手が高齢化したことと、企業をとりまく状況が悪化したために主催側が手をひいていってしまった。野球部は今はない。

 今思うと、スポーツの良さは自分の体でもできることへの確認と、一つの動きにみんなが注目してくれて、その一つのプレーが後々どれだけ勝ち負けに貢献しているのかということが面白いことだろう。それが面白い。今は体が動かない・・・。そんな中で選択したスポーツは「山登り」となった。これは勝ち負けはない。どれだけ身じかに、そして長くできるかも楽しみである。今でもスポーツはできれば見るのではなく、やるものだということは変わらない。あとはあきずに続けられるものを探すことだろうと思う。

 いまだに千葉県の停電は続いています。暑さもあったり、雨漏りもあったりとまだまだ千葉県の台風の被害状況は続いています。

 今週明けたかと思いきや、台風15号が関東地方を直撃。利用する電車は「計画運休」ということで午前10時ごろまでは動きませんでした。さらに、各駅のホームには通勤者の山だかり・・・。入場規制あり、遅れありとさんざんな月曜日でもありました。長時間かけてやっと出社したかと思いきや、通常の半分以下の出勤者ときいたときは驚きました。(驚いたというのは、こんな日に出勤している人たち)こんな光景は関東近辺の会社では多かったのではにかと思います。

 ちなみに、ぼくは早朝に天気予報などを聞いて休みにしました。正直なところ、こんな日に出社するほどの責任もありませんし、ぼくの関係している仕事な明日からでも大丈夫という判断からであったからです。それに、こんな時、混雑する中けがをしたりしても後々大変になるのは自分だということから「今日は夏休みの残りを使います・・・」との連絡をとっていました。

 この日、けっこう会社を休みにした人も多かったと思います。それでも、頑張って会社に辿りついた人もいるようです。ぼくはどちらがいいとかは思いませんが、そんなとき「自分の判断」によって決断するしかないことは何十年も働いてきてわかっていることですから・・・。

 とはいえ、こんなとき会社はいったいどんな対応をしているのしょうか。2011年3月11日におきた東日本大震災のときは「緊急時の連絡体制」などということで、その対応がありました。「自宅待機」などという言葉も頻繁に聴いたように思います。それぞれの職員に連絡をして、その日の対応をとる日々だった思います。今回はそのことが全く忘れられていたようです。けっきょく社員がバラバラで来る人、来ない人の判断で行なわれたようです。いったい、これまでの経験は何だったのでしょうか?。そんな気持ちの一日でした。これからますます必要になり「緊急事態」のときの行動がいつでも、「にがい経験」で忘れ去れていくような気がします。

  今週は台風ではじまり、大混乱の首都をみていた。そして、こんな時に自分が勤める会社の様子も見えたように思えた週だった。つまりは、会社は何にもしてくれなかった・・・ということだろう。安い賃金労働者のことなど誰も考える余裕もないということなのだろうか。まあ、危機に関しての「危機管理」などはとっくに忘れてしまっているのだろう。そんな気がした週でした。いまだに千葉県の停電は続いています。こんなときこそ、自衛隊の装備を役立てるときなのでしょうかね。税金を有効に使う時なのかもしれません。(そう思いませんか)

 さて来週は・・・。少しずつ涼しくなってきました。スポーツの秋、読書の秋、食欲の秋・・・といいますが、何も楽しいことを見つけないと一気に冬になってしまうような気がします。山あるきも再開しようと思います。

 それでは、今週はこの辺で失礼します。来週末は晴れてほしいですね。ワールドカップ開幕ですから・・・ね。やっととれたチケットにぎりしめ快晴のなかの観戦がしたいものです。さてさて、それには一週間をうまくやらないと。10月から消費税10%になるそうです。困ったことだ。結局、買う必要のないものは買わないとかになるのでしょうか。世間でいう「消費が冷え込む」という事態があるのかもしれません。賃金も上がらず、ボーナスもない再雇用者であれば言わずと知れたこと、「何も買わない」状態になるのでしょうか。3連休もこれといった計画もなく終わりました。

 読んでくれた人、ありがとうございました。


少しずつ涼しくなってきました。

2019年09月08日 | Weblog

 こんにちは、お元気ですか。

 9月にはいり、朝夕は涼しくなってきました。吹く風は8月の刺すような風になってきました。多摩川を散歩していても感じることができます。こうして「暑い、暑い」と言っていた8月も終わっていき、あと3カ月もすれば「寒い、寒い」と言っているのでしょうかね。それにしても、今年の8月は異常に暑い日々が続きました。クーラーのきいた部屋にばかりいたような気がします。きっと、電気代が高くついているのでしょうか・・・。9月には台風です。現在台風15号は進路を北東にむけて少しずつ関東地方に近づいている様子です。次から次へと台風が発生して9月が始まったようです。

 昨日、近所で花火が打ち上げれていました。夜空に咲いた花火の一瞬のきらめがとてもきれいでした。今年の花火はこれでおわりでしょうかね。思えば、今年の夏も「あつーい」と言いながら短い夏でした。年々夏が短くなっていくような気がします。

 さて今週は、学校も始まったということでもあるのでしょうか「児童虐待」というニュースが多くきかれました。このニュースを聞くたびに「虐待」はべつに児童ばかいではなく、大人の社会では「イジメ」のような形で連日起こっているのでは、と思えました。要は、暴力が弱い立場の人たちへとむかっているような状況なのだと思えます。それは、人間のやることですから何らかの知恵をしぼって防ぐこともできそうなのですが、「一億総活躍時代」ではありませんが「一億総弱者いじめ時代」のようで押し寄せているような気がします。ですから、どこへも逃げる場所がなくなっているような時代でもあるのでしょうか。街路を歩けば「監視カメラ」され、職場では「パワハラ」「セクハラ」ありと息つくひまもないほど、日々暴力や罵詈雑言に追われてりうように思える日を感じます。石川啄木の『時代閉塞の時代』ということなのでしょうか。この時代に生れた不幸をどう乗り越えていくのか考えてしまいます。

 いっぽう、香港では犯罪容疑者の中国本土への移送を可能にする「逃亡犯条例」改正案に対して3カ月もの近く続く抗議行動がつづく中、林鄭月娥行政長官が撤回を表明しました。なんともデモ行動がこれほどはっきり表れた時でした。このニュースを聞いて、デモも大事な民主主義の必要な行動なのかなと思いました。以前韓国でも大統領の不正に対して韓国の人びとが100万人近くでデモの抗議行進をやり、大統領を退陣に追い込んでことを思い出しました。日本で言えば「60年安保・三池闘争」時代のようなデモでした。そして、その中でいちばん大事なことは若者たちの行動が大切なことなのだろうということもありました。時代をつくる人たちは若者なんだと思えました。と、思うとまだ香港や韓国はアジアの希望でもあるようにも見えてきました。(そう思いませんか・・・)

 

 

 散歩をしたら、上を見あげたらビルのメンテナンスの真っ最中。修繕工事なのでしょうか。ぼくの住むところも昨年、半年かけて修繕工事がありました。何十年も住んでいると、あちこちにほころびもでてくるのでしょうか。そのほころびによって、落下物などで他人にけがをさせたり、迷惑をかけるのがいちばん怖い現象です。そのための管理組合の修繕積立金です。積立金のおかげで無事住むことができているのです。そんなことを考えていたら、では自分の体はどうなっているのだろうか、と思いました。60年以上動きまわっていて、時に病院に駆け込んで治療してもらっています。それでも若いときは、治癒力がありますが、高齢者になればその治癒力がなくなっていくのでしょう。骨折をすれば、痛みから体の一部分を補うために余計な部分に負担がかかったろして、そこも痛めてしまっていくようです。まさに治癒力のない高齢者の「負の連鎖」とでもいうのでしょうかね。まさに、いつでもどこでも病気という宿命が待っているのが高齢者のような気がします。

 健康は「自己管理」ともよくいわれます。仕事をしていて「健康ために今日は休みます」という気持ちはあっても他の理由(「私用」とでもつけて)をつけて何かと有給休暇をとっているように思えます。そして、誰もが語りませんが「会社は仕事をいっしょうけんめいやって病気になっても何もしてくれません。そればかりか体裁を整えるため事務的なことばかり処理するばかり・・・」ということは暗黙の了解事項になっているようです。それでも頑張ってしまう人が増えていて、最近高齢者の労災認定者が増えてきていると聞きます。「働く高齢者の労働災害(労災)が増えている。2018年に労災に遭った60歳以上の働き手は前年よりも10・7%増え、労災全体の4分の1を占めた。政府は70歳までの雇用の確保を努力義務として企業に課す方針を打ち出したが、高齢者が安心して働ける職場づくりが課題として浮かび上がる。」(朝日5月18日)

 なんともやるせない「一億総活躍時代」なのでしょうか。けっきょく何も考えていないようなことだと思えます。現場の働きやすさは「数字」だけでは表せないのです。どんなに、数字を上げて体裁をととえても改善されない実態は延々とあるように思えます。

 ときどき体をみてもらうために病院にいくようになったら病気そのものも大事ですが、自分が関わっている仕事の環境や労働条件のことも一緒に見てもらえないかとつくずく思います。そして「診断書」でも一筆かいてほしいものです。(それは労基署の仕事か・・・)

 今週、休みあけ職場でした。朝から電話が無いひびき「有給」とか「夏休み」などの連絡があった。そして職場を見わたしてみたら、派遣社員に正規社員がひとりになっていました。「どうした・・・、どうした」と思っていても仕事が動かない。バタバタする朝である。1時間もしたらみんな黙って仕事をしていた。これで一日が終わっていくのだろうと・・・。

 とはいえ、こんな風景誰が想像したのだろう。「2017年の正規の職員・従業員は3423万人と56万人の増加、非正規の職員・従業員は2036 万人と13万人の増加となった。被雇用者に占める非正規の職員・従業員の割合は 37.3%と 前年比0.2 ポイント低下したものの、依然として高水準にある。」(総務省)とある。年々増えていれば2019年には多くなっていることだろう。

 いつも思うこと「人材派遣会社」から人を雇うということはある意味、経営者の怠慢でもあるように思うことがある。いまや人件費にお金がかかるのは派遣社員でも同じだろう。そんなことなら正規社員を雇用して、教育し、仕事のやりやすい職場を考え…行動してもらったほうがいいのではないか・・・と思う。何十年も仕事をしていれば結婚したり、子どもを産んだりあるいは退職したりといろいろなことが起きてくる。それでも仕事は世代を超えて続くと思えば、職場のことを一緒に考え行動してくれる人をつくった方がいいのではないかと思う。安易に外からの労働力を採用してその場しのぎに片づけることはたくさんあるだろうが、人間がつくる職場環境は一長一短にはいかないのだから、なおさら正規社員をつくることが大事なのではないのかーと思う。仕事の技術は後世に伝えるべきことだろうからなおさらだ。

 今週5日京浜急行神奈川新町駅近くの神奈川新町第一踏切で、トラックと電車が衝突事故があった。「あっちゃーまたやった」と思えてしまった。事故はトラック運転手の男性(67歳)が踏み切りで立ち往生した際に電車と衝突したとのことだった。ぼくが気になったのは67歳の男性の年齢である。ここでもがんばっている高齢者の事故が起きたという事実だった。65歳であれば年金もでているし、もっと違う仕事があったのだろう。それでも車が好きで高い労賃であればそちらを選んだのかもしれない。いずれにせよ、死んではもともこもないだろう。これも労災なるのだろうか。朝早くから出かけて帰る道、こんな事故に遭うとは思ってもみなかったにちがいない。もうすこし、時間にとりがあれば・・・と思う。ほんとうのところはいったいどうなっているのだろうかと思う。高齢者が働くことはいいが、それに伴う労働条件や賃金などいったいどうなっているのだるかと思う。高齢者は本人のやる気も大事だが事故をおこさない対応がもっと知らせるべきではないかと思う。

 台風15号が時間を追うごとに接近している。風が少しずつできた。夜には雨と風が関東地方をとりまくもうよう。被害がないければいいが・・・と思う。さっさと寝て通りすぎるのを待つしかないように思う。最近やたらとNHKで「避難してください」とか「命にかかわる・・・」とかテレビで聞くが、そんなにことをいうことより、防災予算を増やすとか、NHKの受信料は災害地はただにするとかの方がより現実的だろうと思う。ただになったお金で被害にあわない処置ができるのに・・・ね。

 今月ラグビーワールドカップが開催される。できれば台風のないときになってほしい。本当に日本は自然災害の多い国もないだろう。最近地震がないが・・・と記憶の奥に必ずある。

 台風15号が黒い雲と一緒に近づいているです。日曜日も雨があふり、明日の夕方には夏も台風と一緒に去っていくようにも思えます。セミの姿もいっせいに消えていくことでしょうか。その音を惜しむように今日一日聞いていたいと思います。

 風吹いて残る思い出汗に消えゆく明日かな

 少しずつ秋風が強くなっていく日々です。過ごしやすくなっていくのでしょうか。

 ※翌日(月曜日)台風の影響で各JR在来線が動いていない状況です。予定では午前10時ごろまで動くそうですが、さてどうなることでしょうか。もし、動きが鈍ければ今日は「休み」として連絡したおこうと思案中です。こんなときの連絡があるのでしょうが「再雇用者」にはないでしょうし、まさに最低の「自己管理」を実行していくしかないようです。「運転見合わせ」では仕方がないなー(ここだけ9日・月曜日記す)。

 では今週はこのへんで。こんなときは無理はしないようにしています。

 読んでくれた人、ありがとうございました。


9月の空のした・・・

2019年09月01日 | Weblog

 

  こんにちは。お元気でお過ごしでしたか。

 とうとう8月も終わりました。「暑い・・・暑い」の日々に追い立てられるような8月でした。とくに今年は朝からも猛暑のニュースばかりきいていたように思います。そして、台風などによる被害のニュースも多くきかれた日々でもありました。今週には九州地方を豪雨がおそい、川が氾濫して多くの人を巻き添えにして災害をつくっていました。さらには、ときおり起こる地震もありました。暑さと自然災害の多い8月でありました。

 とはいえ、9月にはいりちょっとずつですが涼しさが感じられる日々にもなってきています。仕事の帰りにバス停での暗さは日々をおってましていくようです。そして、夏休みも終わりまた通勤電車が混雑する月になってきそうです。これからは、涼しさがもどってきた反面、混雑の中通勤がはじまります。

 さて、今週気になるニュースが二つありました。一つは、就職情報サイト「リクナビ」が学生の内定辞退を算出したデータを企業に販売していたというニュース。そして、もうひとつ。鹿児島県の図書館に警察が「捜査関係事項照会」という名目で、特定個人の図書館利用情報を聞き出していたことでした。いずれも、「個人情報」ということで、企業では金儲けのために、一方権力は個人のプライバシーまで介入して調べていたということです。こんなにも、個人の情報が勝手にしらないうちに動いていることにとても不安を覚えます。これがまかりとおれば、企業や権力は人それぞれの人権の大きな影響を及ぼすことを考えたのでしょうか。

 昔映画で「セブン」という中で、犯人のめぼしつけるために警察官が図書館に、猟奇殺人事件に関連した本をよんでいないか捜査に入ったシーンを思い出しました。あのときの刑事はどう扱われたのか忘れましたが、個人情報に関して図書館員との会話ががあったのだと思います・・・。いずれにせよ、個人の情報を本人の知らされないところで操作されていることに恐怖を感じます。

語るとうこと・・・

「沈黙は金」

「問答無用」

どれだけ黙らされてきたことで

だまされてきたのだろうと

ふと、思う

だが、話す内容をきにしなくなるまでは

多くの無駄口があったはずなのだ

それが本当のことをいうきっかけになって今がある

 

 

  8月も終わる金曜日。少しは暑さも遠のいていくようだ。そんな月末の金曜日、職場で「今月最後の暑気払い」の飲み会に参加してきました。こうして、職場の人たちと仕事以外で一緒にいることは、再雇用となってからはめずらしいことかもしれない。出席者は少なくさみしいものであったが、こうして集まることが貴重なのではないかと思う。

 飲み会の最後の話題は、「今の職場のありかた」だった。ぼくが見るかぎりではあまりいいとは思えないことを、誰もが言わないのだが考えていることなだんなーとつくづく感じた飲み会だった。いまの職場は派遣社員(非正規社員)が増え続けていて、これではどう仕事をまわしていくんだろうと思ったくらいだった。やはりこのことも同じようなことが話の中であった。それでづなっているかといえば、「自分の仕事に関してはやる。しかし、他人の仕事に関しては要請があればやる。なければ無視するようにしている」というものだった。その言葉が象徴しているように、今の職場の仕事の流れは横のつながりというものを感じることができなくなっている。ということは、ミスが起きても因果関係をつきとめることもできなくなりこれからも生かすことができないだろうと・・・と思えることだった。

 ぼくは、どうしてこんな形になってしまったのだろうかと深く追及しなかったが、日ごろからの話ができていないからだろうと思った。それは、一人ひとりがバラバラだということだろう。このこのとでいつか誰かが壊れていくように見える。事実、最近、「心の病」なる病気が多発しているし、休職している人もいる。さて、どうなるのだろうか。このままだと、仕事以前の人のこころが病気になっていくのでは?、と。いったい、この職場で人と人がつながっているものは何だろうかと思う。

 世の中「働き方改革」という言葉ばかり先行していて、大事なそれぞれの事情がりかいされないまますうんでいるようにも思える。「働き方改革」は仕事の上でのことで、一人ひとりの事情も考慮されないまま進んでいるように思う。要は「効率化」ばかりが先行し、仕事をしている一人ひとりの実態あが置き去られていくようにも見える。そして最後は「自己責任」で処理していくようにも見える。うらを返せば、いかに「働き方改革」を論じて「自己責任」まで持っていくか・・・のような感じがする。一人の一人の生活あっての仕事だということが置き去りされているように思える内容のものだと思った。

 そろそろ釣りのシーズン。多摩川を散歩しているとアユ釣りの人たちを見かけるようになった。長い釣り竿をあやつっている様子を見かける。手元の魚籠をみれば小さなアユが入っていた。釣れることでまた竿を出す・・・。その繰り返しを見ていると人と自然がマッチしていいもんだと思う。普通、働いていると工場内で機械や人の顔ばかりみている。外へ出れば電車にバス・・・。その動きを目で追っているうちに時間がすぎていく日常である。

 思えば、どれだけ自然のものを目で追っているのだろうかと思う。夏の日の入りは遅い。通勤電車の帰り道、駅のホームから西空を眺めてたらオレンジ色の夕焼けの向こうに雲をみることがあった。見ているうちに、雲が小さな島にも見えてくる。大海原に小さな島がいくつか浮いているようにも見える。ホームが小さな陸地で、そこにポツンと自分が立っているようにも見える。その瞬間「きれいだなー」と感心してしまう夏があった。暑い、暑いとは言い、ずるずる日々が過ぎていくなか、自然はこんなにもきれいな瞬間も見せてくる。忙しさを理由になかなか、じっと自然の景色を眺めることが少ないと思う。

 9月に入りました。暑さは少しですが和らいでいっているようです。朝は、ちょうどいい涼しさを感じさてくれます。日の出も遅くなってきました。ぼちぼ通勤電車も混雑しはじめてきました。また、この状態が続くのかと思うとうんざりするばかりです。いまだに、飲み会での思いがのこっていて「今後どうなるのだろうと」という不安があります。

 そればかりは考えていても仕方がにのでいいことも考えます。今月、待ちに待った「ラグビーワールドカップ」が始まります。地元が会場の一つとなることもあって申し込んでおいた入場券がとれました。取れるとは思ってもいない奇跡です。対戦はアルゼンチンとフランス戦の入場券もとれました。応援するのはもちろんジャパンというつもりでたが、これは無理でした。まあ、どれはひとつ死ぬまでにみれればと思っていましたので楽しみになっています。妻も一緒にいく予定ですよ。さてどうなりますか。

 9月が始まりました。来月消費税が10%になります。この際と思い駆け込み買いもあるようですが、ぼくはまったく関係ないようです。買う予算もないしね。きくところによると、レジでたいへんめんどうなようになっているようです。これで、また中小・零細企業は苦しい選択がまっているようです。ちゃんと消費税が使われているのかといえば、正直分からないです。この消費税で利益を得るところ、損をするところをみればわかることがたくさんあるのでしょうか。少子高齢化はまったなし、というけれどそれだけなのでしょうか。

 8月は「被害者の歴史」の月であれば9月は「加害者の歴史」をゆっくり考える月でもあるのでしょうか。今年も、関東大震災慰霊があり朝鮮人がデマによって多く殺された月でもあります。このことを記憶のどこかにとどめておくことも大事な9月だと思えますが・・・。

少しずつすずしくなってきたころにまた「山歩き」を再開しようと思います。

 それでは今月はこの辺で失礼します。

 読んでくれた人、ありがとうございました。