日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

平昌冬季五輪が閉幕、夢の一週間でした。

2018年02月25日 | Weblog

 こんにちは。
 毎日がうちょっとずつ温かくなってきそうな日もあるように思えるようになってきました。これが、自然への「信頼と希望」みたいな気がします。それが証拠に近所の公園では梅の花が咲いてきました。休日の散歩も晴れていれば、温かさも感じますね。「♪はやーくこい…春よ来い」季節はそんな言葉をうかべつつ、温かさが持ちどうしい休日です。

 さて今週は、朝から晩までピョンチャン五輪の話題がつきない日々でした。とくに女子のアイススケート活躍はすごいものでした。最終のピョンチャン五輪のスピードスケート新種目、女子マススタートで、高木菜那選手が金メダルを獲得しました。女子団体パシュートに続き2個目の金メダル。今回は姉妹での大活躍も目を見張りました。さらに、最後の最後まで息をのんだカーリング競技での3位(英国のチャレンジがミスショットでした)。
 500メートル愛スケートでの韓国の2位の成績。それでも素直に喜べない姿もありましたが、国を超えて励まし合う様子が感動的でした。それぞれの国の事情をかかえて、それを選手間でのりこえて競技する姿には感動です。

 「ニッポン!ニッポン!!」の夢の一週間でもありましたねえー。

 そうなると、翌朝の新聞が楽しみの日々でもありました。そんななかで「投稿」に『メダルの数に意味ありますか』(毎日25日付)という見出しでの投稿がありました。
 こういう意見の人もいるんですね…。私などはやっぱり日本代表で出場している限り頑張ってメダルをとってほしいと思います。五輪スポーツは出場することも大切なことだと思いますが、出場したかぎりは本人の練習の結果を思う存分発揮できて、それが結果につながることがいちばんのご褒美だと思います。メダルを取れなかった選手がいるのはわかります。けれども、それはメダルを取った人との練習の成果を学ぶ時でもあるのではないかと思えます。大事なことは、メダルを取った人はもてはやされてしまう方向にありすぎると思います。がんばって練習に励めたのはスタッフはもちろんですが、それ以上に競い合う選手たちのおかげだということを忘れてはいないでしょう。



 一方で冬季五輪が閉会式に北朝鮮も参加する…というニュースにもありました。当然出席しているのだろうと思いますが、マスコミはこの行動を何か異常ことのように報道にも疑問がありました。今回の南北朝鮮の五輪交流をぶち壊しているようにも思えます。交流によって少しでもよくなることが当事者同士の交流が大事なときなのではないのでしょうか。そのことが政治家なのだろうかと思います。交流に反対する人たちは、朝鮮半島情勢に防衛予算獲得のためにか、油を注ぎこもうとしている人たちの行動が浮びます。

 国内では、働き方改革関連法案をめぐる野党と与党の審議が続いています。これは、働く側にたつ野党と資本側に立つ与党の対立が濃くなっているように見えます。過労死遺族も反対している法案には疑問が多く残るようです。
 今回では与党が出した、裁量労働制に対するデータのずさんさが野党から指摘されたことによって国会は紛糾している様子でもあります。データのでたらめによって、裁量労働制が一般労働者にも波及する危険性も指摘さています。なんとも、いいかげんなことで怒りを感じました。国会でのいまの審議はいかにいい加減かうんざりもします。これも、安倍首相流なのでしょうか。

 そろそろ開き直り「問題はありません」はでてくるころでしょうか。




 最近は、どんな本を読もうかと思う前にニュースなどからヒントを与えてもらっているように思えます。財布の中身と相談していくとなかなか高い本は敬遠している姿もあります。そう考えると、文庫や新書は手軽に持ち運べる便利さも大切なポイントです。でかけえるときは出来るだけ文庫本を待ち歩いています。読む時間はほとんどが通勤電車の中や移動している時間が多いようです。ときどき、読んでいる著者を知るためには、手っ取りはやい方法が会いに行って直接話や講演を聞きたいと思うことがあります。
 とはいえ、聞きたい人がとても遠い存在であったり、故人となってしまったら、身近な本をとるしかありません。幸い今回読んだ著者はまだ生きています。機会がれば検索して講演会など聞きにいきたいものです。





 「政治家」という人種を身近に感じて仕事をしてことがないとやはり、雲の上の人だろう。まして、時の首相などという人種は近くに寄れないし、寄らせてもらえない。そんな具合ですから、私たちがいちばん身近な存在を知るときは選挙の時くらいになっているのが現実なんだろうと思います。ほとんど見るのは新聞の写真かあるいはテレビニュースのなかくらいがいいところかもしれません。

 私の場合はなんの因果かしれませんが、以前は会社が永田町にあったせいか、よく公用車に乗って通り過ぎていく議員の様子をみかけたことがありました。ほんの一、二秒の瞬間ですが首相の顔や国会議員の姿をみかけたこともありまた。そして「この人たちはいったいどんな種族なのだろうか…」と思っていました。本当に信頼に値する人たちなのだろうかといつも疑っているくらいですから、その人間性まではわからないというのが正直なところでしょうか。

 そんなある日、喫煙場所で一服してると、そこに現れたのは今は弱小政党となってしまった社民党の議員でした。お天気などの話をしていたら意外と気さくな人柄が面白かったです。労働組合の来賓としてもくることがあったようす。なかなかお目にかかる機会がない国会議員の人たちは意外と私たちを待っているのかもしれません、世の中食わず嫌いという言葉がありますが、まさにそんなものだろうと思いました。

 今回の『村山富市回顧録』はその社民党の出身の国会議員。野党時代から首相になるまで、さらには首相になってからの回顧録。
 自分の政治理念をどう実現させるかがいちばん大事な人でもある。それには、野党も与党もまきこんでいかに同じテーブルにつかせて妥協案を作るかが大事だということが書かれてある。時期によっては社会党の分裂でそれぞれの国会議員といかに調整していくなど苦労話も載せている。
 そんななかでも、自分の政治理念はともに勤労者と共につくることを力説していく。公約をいかに自分の政党政治と近づけて、さらには野党の議員との調整をつくっていくのか…。その時々の問題、村山首相の時代は「阪神淡路大震災」が起きている。災害対策が緊急の課題などもあった。そして、いちばん大事な「村山談話」をだしていく。それらの政策をどうおこなってきたか、首相の大変さが記録されている。

 先月、自民党の小渕内閣で「影の総理」と言われた野中広務(のなか・ひろむ)元官房長官が26日、京都市内の病院で死去したことにふれ、村山富市元首相が死去を悼むコメントを発表した記事を読んだ。それには「自身の戦争体験から、反戦、護憲の筋を通した気骨のある信念の政治家だった。潔さが感じられ、保守の政治家の良心そのものという存在だった」と新聞に載せていた。今にして思えば、昔の国会議員は戦争経験者がほとんどだった。だから、戦争にかかわる政治は保守党であれ徹底的に議論をしていたように思える。そして、いちばん大事なのは、この国を支えている人たちだということを理解していたように思える。「過労死」などでは、徹底的にその議論をきっとやっていただろうと想像できる。
 

■p69 村山 今はもう労働運動がないといってもいい。総評時代には平和運動や公害反対闘争など政治的な課題にも労働組合の役割として一所懸命取り組んできた。今はぜんぜんないね。企業内組合中心で企業が第一だから、企業の枠を超えた運動、企業の損になるような運動は一切やらない。僕に言わせると労働組合は企業内に埋没してしまい存在意義がなくなた(派閥全盛時代の社会党)

■p122 「~先輩方が苦労して今日の社会党を守ってきた。目標は同じなんだから一緒に頑張ろうじゃないか」と話した(国会のひのき舞台で)

■160 村山 ~こういう大事な問題はきちんとしたプロセスが大事なんだ。事前にちゃんと連絡があって、お互いに検討し合って出した結論なら反対といわないね。

■p262 村山 「~だから今日の立場に立って過去を振り返ったみた時に「やっぱりあの戦争は間違いだった。多くの犠牲者を出したり、破壊したり、耐えがたい苦痛を与えた。それは誤りだった。だからやった行為については素直に認めて謝ることはきちっと謝る、補償できるところは補償して決着をつける」というのは当然じゃないと思う。






 福島第一原発事故が起きて来月で7年めに入ろうとしています。はやいものです。その間、原発事故に関するニュースというのは悪いことばかりです。
 つい最近、原発事故によって飯舘村から強制避難をされていた102才の男性が自殺した訴訟の判決がありました。他に原発関連で2017年までに自殺者が99人という厚労省調べで発表されています。他に岩手県や宮城県ではほぼ倍のとの見通しとのことだそうです。
 年々少しずつ記憶から忘れ去られようとしている中で、現地の人や関係者にはストレスがピークになって悲しいできごとが増えているのかもしれません。

 『チェルノブイリの祈り』(未来の物語)には、福島とほとんど同じような事故が語られています。こちらは1986年4月に事故が起きました。32年前のことです。読んでみると、なんと福島や避難先ら発信されたことと似通っていることがわかります。例えば「原発は安全」という言葉も同じように使われています。そして、避難先での子どもたちの差別される状況も同じです。
 ということは32年前に起きた事故で「何を学んでいたのだろうか」と思います。思うというより、落胆してしまいます。これだけの悲惨な大事故が起きていたにも関わらず同じ原発利用の日本ではいったい何をしてきたのかということに落胆してしまいます。

 おそらく「日本の原発は安全」宣伝文句をマインドコントロールされてきたのではないかと思えてきます。それも、企業だけはなく時の政治家たちや報道によって「チェルノブイリ原発事故」は封印されていたのでしょう。もし、チャエルノブイリ事故を日本でも起きるという想定のもとに安全対策をやればもっと被害が少なかったのではないかという後悔が残ります。
 すべては国家の「極秘扱い」という当時の事故への対処が書かれていますように住民にはその被害の大きさが知らされていなかったこともうかがえます。その極秘扱いベールをはぎとるにはあと何人の犠牲者が必要になってくるのでしょうか。
 
 国家が何もなかったことのないよう、人々の記憶から忘れさせようとした…ということを信じられるでしょうか。『チェルノブイリノ祈り』を読めば読むほど「国家は人々を保障していない」ということを暗示しているのだと思えます。その意味で、ドイツのメルケル首相は原発廃止を訴えたという事実から、誰よりもチェルノブイリの事故の教訓を学んでいる権力者だといえます。
 おおよその国では、ほとんどが人々の方から積極的に反対や補償をしてくれるようにしなければなにもしてくれないということが本当なのだということが読みとれた一冊でもありました。事実、アメリカでは「トモダチ作戦」でレーガン艦にのって被爆した兵士たちが集団訴訟を起こしています。今後はまずます、被害の大きさが表にだてくるのではないかと思えます。


■p17 高濃度に汚染された放射性物体なんですよ。あなた、自殺志願者ないんでしょ! 冷静におなりなさい!」「…あなたは原子炉のそばにいるのよ」~「遺体はおわたしください。遺体は放射能が強いので特殊な方法でモスクワの墓場まに埋葬されます。亜鉛の棺に納め、ハンダ付けをし、上にコンクリート板がのせられます。ついては、この書類にご署名願いたい」(孤独な人間の声)

■p32 一人の人間によって語られるできごとはその人の運命ですが、大勢の人によって語られることはすでに歴史です。二つの真実は―個人の真実と全体の真実の両立させることはもっともむずかしいことです。今日の人間は時代のはざまにいるのです。(見落とされた歴史について)

■p41 ~神さまは長生きさせてくださったが、幸せはくださらなかった。年寄りはきらわれものなんです。~ここはいいところだもの。なんでも育っていろんな花が咲いとります。ブヨから森の動物まで、なんでもおります。(死者たちの大地)

■p49 ぼくは証言したいんです。ぼくの娘が死んだのも、チェルノブイリが原因なんだと。ところが、ぼくらに望まれているのは、このことを忘れることなんです。(死者たちの大地)

■p97 驚きと恐怖、嫉妬と喜び、復讐心に似た気持ちさえもあるんです。あるとき、ふと気がつくと、私は同じ気持ちでながめていたんです。近所のはらんでいる犬、巣についているコウノトリのメス。(万物の霊長)

■p101 新聞記事の断片がちらついた。わが国の原子力発電所はぜったいに安全である。赤の広場に建てることも可能だ。サモワールよりも安全である。(万物の霊長)

■p138 いまはどうでしょう? 森は美しく、コケモモがたわわに実っている。でも採る人がいない。秋の森に人声がするとすることはまれです。感覚的な、本能的な恐怖。私に残ったものは、テレビと本の想像力。子どもたちは森や川で遊ばず、室内で成長しています。森や川は見るだけのもの。すっかりちがう子どもたちなんです。(万物の霊長)

■p169 モギリョフに移住して息子は学校に入りましたが、一日目に泣きながらとんで帰ってきました。息子はある女の子のとなりの席になたのですが、その子がいやがったのです。息子が放射線を出しているから、となりに座ると死ぬとでもいわんばかりに。息子は四年生でしたが、チェルノブイリの被災者はクラスに彼ひとりでした>(悲しみをのりこえて)

■p217 ~よそではどこでも私たちはのけ者にされる<チェルノブイリノの人々><チェルノブイリノの子どもたち><チェルノブイリノの移住者>。(悲しみをのりこえて)

■p229 あななたはお忘れなんですよ。当時、原子力発電所は未来だったのですよ。われわれの未来だったのですよ。私は昔の人間なんです。犯罪者ではない。(悲しみをのりこえて)

■p244 これは歴史なんです。犯罪史ですよ。(悲しみをのりこえて)

■p253 「人々は困難にもめげず献身的に働いています」「勇気とヒロイズムの奇跡」。たとえノアの大洪水が起きようとも、革命的前身を!そうなんです。私は党員ではありませんでしたが、やはり、ソビエト人なのです。(悲しみをのりこえて)

■p254 私たちは、チェルノブイリを哲学として理解しなくてはなりません。有刺鉄線で分断されたふたつの国、ひとつは汚染地そのもの、もうひとつはそれ以外のすべての地域。
※1986年4月26日午前1時23分58秒、爆発が起こり、チェルノブイリ原発第4号機の原子炉と建屋が崩壊した。チェルノブイリの事故は科学技術がもたらした20世紀最大の惨事となった。





【西武多摩川線/新小金井】
 散歩の途中で…。この駅ではJR駅の100分の1くらいの乗客しか利用していないのではないのでしょうか。私は沿線をのんびり走る電車は気に入っています。混雑するのは朝くらいです。
 単線でもあります。駅に着くと下りの電車を待ち合わせ時間が1分くらいあります。そのため、1時間の本数は最高で4本。夜10時以降は3本と少なくなります。単純に20分に1本。JRであわてて乗って帰ってもこの時間の駅では最高でも20分待ちは覚悟しなければなりません。忙しい人にとっては、とても利用しにくい電車でもあるのでしょうか。

 それでも、いいところはあります。乗ればほとんどの人は座れることです。さらにはこれまで私が通勤に使っている20年近くなりますが「人身事故」で待った記憶がありません。停まった経験のあるのは、東日本大震災の時くらいでした。実に最強の電車です。JRなどで遅れていても、どうにかここまでくると「どうにかなる」という安心があります。
 最近は、この路線の駅近くにサッカースタジアムやら国立大学ができて試験や試合のときなどは満員の乗客に驚くこともあります。温かくなると、沿線では、春には桜、菜の花。秋には夕焼け、さらに遠くをみれば富士山も眺めることができるのんびりした車両がホッとさせてくれます。

 昨年、昨年でしたか、土曜サスペンス「駅」シリーズで使われた駅だったと思います。人の乗り降りが少ないこともあって、静かな、暗い雰囲気がよかったのではないとおもいます。

 今回は月末ということもあって「本棚」が中心になりました。それも、MEMO欄が大半になってしまいました。本を読むといっても知識をえるために必死でよんでいるということではなく、自分の時間をうまく使う道具として読んでいるようなものです。
 これまで買ってきて本棚に積まれている本を死ぬまでに読めるか…?、には疑問です。ほとんど読めずに灰になっていくのではということも時々考えることでもあります。積んでおいた本を時間があるかぎり読んでおこうと考えたところで、無理かもしれません。次から次へと出てくる新刊本に振り回されている状況でもあります。まあ、これまで、死ぬ直前までのテーマだと思いつつ手にとって読んでいこうと思います。
 でも、読み終えた本はどれも読んでよかった、と思える本であると思います。散歩道にも少しずつ花を見る時間が多くなってきました。小さな花がいちばん早く足元に咲きます。なんともけなげに咲いている花は小さいながらたくましさを感じます。

 今週はピョンチャン冬季五輪が毎日放送されていて楽しいものでした。
 来週から3月に入ります。山歩きを始められたらと思います。
 今週はこの辺で失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

平昌冬季五輪のはざまで…

2018年02月18日 | Weblog

 こんにちは。
 まだまだ寒い日が続いています。インフルエンザの猛威も少し衰えてきたようですが、まだまだ油断ができない状況のようです。
 最近寒さはこれまで以上のいうニュースのかたわら、『凍死、熱中症の1.5倍』という記事がありました。低体温症にかかり死亡ということです。一般に低体温というと山岳遭難で特殊な環境によって引き起こされるように思われがちですが、増えているのは屋内での発症が多いという記事でした。(日本救急医療学会が4年前の調査では、全国の救急医療機関などの91施設に低体温症で搬送された計750人のうち、屋内での発症は517人と7割が以上を占めていた)
 患者の平均年齢は72.9歳で高血圧や糖尿病などの病歴のある人が目立ち、患者の生活実態から考えられるのは、背景には高齢化に加え、重症になるまで気付かれない孤立化や、栄養のとれない貧困化の増大があげられるということでした。

 寒さも度をこすと、人の命まで介入してきます。そんなことを思った一週間でした。


政府は16日、国家公務員の定年引き上げに向けた関係閣僚会議を開き、現在の60歳から65歳に段階的に引き上げる検討を進めることを了承した。総人件費抑制のための60歳以上の給与の減額や、一定年齢で管理職から外す「役職定年制」の導入を検討課題とし、人事院に検討を要請した(2/17/東京)。

 少子高齢化の波がやってきた、といところだろうか。現在、定年は60歳。満期の年金を受給できるようになるのは65歳からとなっている。一度60歳で定年退職して、残りの5年間を本人が希望すれば「再雇用」や「契約社員」としてはたらくシステムになっている。そのれが、今のぼくである。
 実際のところ、再雇用となってから仕事の量は少し減ったくらいでやっていることは現役社員とほぼ同じであるように思う。それで、賃金は低くなっている。これは、法律で働きすぎると定年後の賃金以外から受給する補助的な金銭が受給できなくなるからだとなっている。この賃金の名前は賃金の一部を補う賃金の一部を補う「高年齢雇用継続給付」というものだ。60歳以降も働き続ける際の賃金は、60歳時賃金の30~70%程度に低下するケースが多くその補助としての金額がなのだろう。かといって、現役年齢の人からすると、減っていることは現実である。

 今回の「65歳定年制」は時代の流れといえるのだろ。しかし、現役の時代よりはもっと賃金がおさえられるだろう。まして、いままで、援助のあった賃金の一部を補う「高年齢雇用継続給付」のなくなることになるだろう。
 まずは公務員が先陣をきってくるシステムは日本の従来のやり方である。これが民間に投入されるようになった場合、どうなっていくのか注目していきたい。とないえ、単純に考えれば、働いた分、年金は安くなるということだろう。まして、年金受給資格を70歳までと考えているようで、受給する前に死んでしまうか大病にかかるリスクは大きい。そんなことも「働き方」のなかみは、どうこたえようとしてるのか。


米南部フロリダ州バークランドの高校で14日午後2時半(日本時間15日午前4時)ごろに起きた乱射事件が起きた。容疑者は19歳の男性半自動小銃を乱射した。(2/16/東京) 

 またかと思える事件だった。1月にはケンタッキー州の教会で高校生が銃乱射。26人の死者が起きたばかりだった。事件がおきるたびに、米国はいまだに南北戦争からベトナム戦争の銃万能を世界中に汚染しているような気がする。結局、人々はその犠牲者だと思えるのだ。平穏に送りたい人々の影では、「民主主義」の名の下に世界中を武力で支配しようとする政治のありかたも問われているように思える。大統領が北朝鮮を批判するまえに自国の平和な状況をつくりえない現実自体が問題になってしいいのではないかと思う。
 「銃社会」の教育はどうやっているのだろうかと思う。

 とはいえ、米国では凶器が「銃」であるが、日本でも凶器は違うが同じよな事件見逃せないこともある。例えば、2016年、神奈川県相模原市の障害者施設に刃物を持った男が侵入し、19人が死亡する事件。その背後には何があるのかいまだに解明は進んでいない。
 ほんとうに、まともに生活している人のとなりでこんな残忍な事件が起きていることに憤りを感じる日々である。




 バスを待つ。電車を待つ。仕事を待つ…。
 待つということが人生の大半をしめてきたようになってきた。習慣化している。ひらたく言えば「あきらめ」でもある。その裏側には「焦ってみたところで、結局同じこと」ということがいまさらながら理解できるようになったからだろうか。仕事で急がせる背景には、他人(お客)の都合が重くのしかかっているように見える。電話で「待ってくれますか」というと「大丈夫ですよ」という声を聞くと、正直なところホッとする。

 年齢がそう言わせるか、それとも価値観がいわせるか。
 おそらく年齢のせいだろうと思う。これまでの考えると他人に急がせる(焦らせる)ことが仕事だったのではないかと思う。いわゆる「納期」である。
 以前、国立競技場の建設を請け負う会社の若者が自殺した記事を読んだ記憶がある。その理由の一つに「お客の納期」があったように思う。おそらく、納期がせまりお客の注文に応えられない自分の仕事について不安だったろうと思う。上司は「急げ」としかいわなかったとしたら、「針のムシロ」状態の日々だったろう。
 毎日、追われている。逃げることのできない仕事に追われている。殺人犯であれば逃げるサスペンスドラマが浮ぶが、まっとうな人は逃げることもできなくなって脅迫観念の日々でもあるのだろうか。お互いが「待つ」という時間をもいれて仕事ができれば、もっとゆっくりと生活がもてるのではないかと思えるのだが…。
 例えば、最近の通勤電車。時間通りのホームに来ない乗客に「混雑で〇分遅れています。申し訳ありません」のアナウンスを聞くたびに「安全」を考えれば仕方がないのではあるまいかと納得していける社会が必要だろう。それは、通勤電車のみに限らずすっとつながっていることを忘れてはならないことだと思える。一つのところだけでは終わらない。
 「待つ」ということを日々のなかで経験していると、「待つ」は大変労力をつかうことではないかと思う。そのなかで、そのなかみを自分自身で整理していかなかいといけないことがわかってくる。
 わたしは何を待っていて、待っていることでなんの意味があるのか…ということを考えた週でもあった。

 いま「待つ」ことをいちばん望みたい人物は誰でしょうか。
 若いときは、攻めることだけが美化されて日常のなかでそれが実践されてきたようになっていたように見える。「24時間戦えますか」のCMでもあるように、寝る間もなく攻めていたバブル経済時代、人も金も人のいちばん大事なものを置き去りにしていた反省にたってみれば「待つ」ことが今、問いたい言葉でもある。



 今週は平昌冬季五輪での男子フィギアスケートの金メダルで大騒ぎに(家族だけでしょうが)になっていました。金メダルの羽生選手よりわが家では銀メダルの宇野選手の方に感動的になっていました。こんなときは寒さも忘れて応援しているから寒さも忘れているようです。スポーツのもつ底力というのでしょうか、人と人をつなげてくれる一瞬です。
 それも、メダルを取った人が中心に話題を持って行ってしうまうのも当然なことだと思います。今回の冬のオリンピックは朝鮮南北の合同選手があり、朝鮮南北の友好ムードが政治家たちをも話題に巻きこんだかたちなっていました。批判する政治家も日本をはじめたくさんいるようですが、こんなときだからこそ友好が必要なのではないかと思います。


【府中駅】ぼくが休みにときいちばんうろうろする駅になっています。
 40年ほど前に来たときは、駅前はもっと木々がたくさんあって畑もいっぱいありました。印象に残っているのはケヤキがすべてを包み込んでいるような景色でした。駅前から、府中青年の家にクラブの合宿にきたときは、東京でもこんなに静かなところもあるものなのかと思いました。
 それから40年…。
 ケヤキの木よりビルの高さの方が高くなっていました。畑はもなくなっていました。野菜の数に変わって人の数の方が多くなっていました。のどかな陽だまりもなくなって、あるのはビルの間からトゲのように差し込む光でした。おそらく、まだまだ開発がすすみそうです。それでも、都心とは温度差が1~2度の差があるようです。路地では、無人販売所もいっぱいあって新鮮な野菜も売っています。これ以上は、都心に近づくな!!と思っています。


 来週は、月刊誌の責了日でもあります。うんざりするほど忙しい気がします。とは、いっても、もう焦って、責任を昔ほど感じることなく仕事をしていきたいですね。週末には、2月のまだ雪が残る山歩きにも行きたいと思案中です。
読んでくれた人、ありがとうございました。

 
 

春をつたえるものをさがして…

2018年02月11日 | Weblog

 こんにちは。
 先週「立春」が過ぎたかと思っていたら、平昌(ピョンチャン)冬季五輪が始まって毎日、寒そうな雪のをテレビでみています。
 今月いっぱい冬季五輪があり、少しは楽しい日々がもどってきたように思います。それでも、寒さは身にこたえます。
 今日は(11日)は多摩川を散歩していて温かく感じました。陽があれば温かく感じます。昨日の小雨も影響したのでしょうか。少しずつ温かくなっていくといいです。日々はまさに三寒四温の流れになってくれればありがたと思います。

 さて、今週に台湾東部の花蓮沖で6日夜、マグニチュード(M)6.4の大規模な地震が発生しました。報道によると2人の死亡が確認され、200人以上が負傷したそうです。最近、あちらこちらで地震の被害多いように見受けられます。
 日本では、大雪で国道にトラックが立ち往生しているニュースが報道されていました。自然の力の大きさをいやでも知らされた動きでもあります。




 韓国初となる冬の五輪となる平昌(ピョンチャン)冬季五輪は9日、開幕した。厳冬のなかでの熱戦がはじまる。大会としては冬季五輪としては過去最多となる92ヵ国・地域、2900人余りの選手が参加。会開式では、2006年トリノ冬季大会以来の韓国、北朝鮮の南北合同の入場、チームをつくって参加する。

 冬季五輪がはじまった。スポーツの祭典である。日本は、2月は冬のあいだほとんどのスポーツがシーズンオフなので楽しみだ。ぼくが注目しているのはメダル候補でもあるノルディック複合という競技。今絶好調の渡部暁斗選手は今季のW杯勝利数5でW杯総合1位に立っている調子のよさである。いま日本人でいちばんメダルに近い選手ではないかと思えるほど。

 一方、注目したいのは韓国、北朝鮮の南北統一チーム。日本選手の活躍の次に応戦したいチームである。こんなことは五輪ならではないかと思う。とくに、北朝鮮(正式名:北朝鮮民主主義人民共和国)世界的に非難されるニュースばかりが話題にことかかない状況になっているなか、つねに南北の朝鮮の友好をスポーツで深めることができるだろうと思う。
 そんな中、日本では、ある雑誌には「詐欺」とも書かれている記事もある。これはひどい中傷だろう。ぼくは、参加する選手の一生懸命さに注目するのであって、政治に影響された選手の背後の政治を聞きたいわけはない。

 よくよく考えてみたら、北朝鮮のことをどれだけ知っているのだろうか。
 ぼくは北朝鮮のことを知っているのは新聞やテレビなどのメディアでみかけるニュースくらいだろう。さらには米国大統領の非難、そしてそれに同調する日本首相の批判…という話題ばかりである。学校の医療や、社会保障等など、本当はどうなっているのだろうかと思う。以外と日本の制度よりいいものがあるのかもしれない。例えば、キューバのように、医療費や教育費が全額無料ということを耳にするように、同じ体制ならば同じだろうと想像するばかりである。それが現実だと思える。北朝鮮は報道規制がきついとも耳にする。本当かという気もある。なぜなら、報道されることが、悪いところばかり目立たせているような記事ばかりであれば「規制」もしたくなるのだろう。それが自然。自分の悪口をいい人と仲良くなりたいと思うひとはいまい。体制のちがいをまざまざに見せる新聞報道。それに納得しているわけではない。なぜなら、本当に今の日本は豊かな国かということに疑問があると思うから…。

 真実はどうなのか。
 歴史的に朝鮮半島は、自分の意思に関わらず分断だれた歴史があるという事実をみていくことが大事なのだろうと思う。とくに、朝鮮戦争はどんな戦争だったのか…とか、思う。いまだ朝鮮戦争(1950-53年)のときに、韓国に渡り故郷を離れたまま「失郷民(シルヒャンミン)」という人々にとっては南北の融和は大切な思いでいるのだろう。

 いずれにせよ、スポーツは嘘でかざってはかてない。フルパワーの体力をだして競技される世界。ガンバレニッポン、そしてガンバレ朝鮮!とも思う。




 連合傘下の基幹労連に加盟する鉄鋼、造船の大手労働組合は9日、春闘の要求書を経営側に提出し、約1ヵ月にわたる2018年の労使交渉が始まった。政府が春闘に関与する「官製春闘」は今年で5年連続となる。安倍政権は消費を刺激して経済を活性化させるため、経済界に3%の賃上げを要請しており、経営側がどこまで応えるかが焦点となる(9日/東京)

 毎年、実施される春闘がことしもやってきた。再雇用、契約社員となってほとんど関係なくなった気もする。事実、いまでは一年契約になってそれぞれ個人で契約を結んでいる状態。働く職場での労働組合はほそぼそと春闘をつづけている様子はあるが、現実的に私たち再雇用者、契約社員には耳をかてむけてはくれない。

 ぼくが労働組合員時代は、この時期は「生活実態調査アンケート」があった。日々の暮らしをみてみようということだったのだろう。1ヵ月の賃金からローンや小遣い、貯金の金銭面からさらに自分の生活のなかみを討論して考えてみようという春闘だったように思う。世間の動向も大事だろうが、もっと大事なのは自分の生活や仲間の実態を掘りおこしていき、「要求の根拠」を足もとからつくっていこうということなのだろう思う。

 悪く言えば、職場の一人ひとりのプライバシーが討論されるようになるのかもしれない。いやな人にも聞かれるし、「いやだな」と思う人もいたのだろうと思う。もちろん、この討論のなかみは労働組合員だけのなかのことで、それを利用して何をする…というものではあるまい。少なくとも、一人ひとりの生活実態の中味をしることによって信頼もうまれるのだろう。つまり「団結」の基礎もつくれたのではないのだろうか。
 労働者一人では大変だ、それを何人かでやればできることが多い。まして春闘での賃金要求。経営者は組織でもある。それに対抗するには一人ではムリなことは事実。だから、要求を討論していくのだろう。「過労死」問題は、働く者がバラバラになって解決の窓口をさがしあえいだ結果起きていることを考えれば労働組合の役割はいっそう増しているはずだろう。いまだに減らないのは事実は一人ひとりの問題を持っていく場がどこか、問われる時代になっているのかもしれない。

 春闘は賃金要求の一方で労働実態(労働条件)を考えて行動するたたかいでもある。そして、日々の生活をふり返ることでもあるように思える。

 経済はもちなおし活性化している…ということが、自分の暮らしと照らし合わせ本当かしる機会でもあるのだろう。そんな大事なことが、年々遠ざかっている昨今。労働組合の組織率も低下している理由がそんなところにあるのではないのだろうか。とくに、春闘はだれのためのものではなく自分のことだということ自覚してもらう運動もあっていいのではないかなあ。



 最近、本社に戻ってから、となりで仕事の説明をしている場面を多く見かける。なかには、仕事の説明をしてるのか怒っているのか、それともけなしているのか…とも思える声の響きが耳障りになることも多い。説明している人も、少しずつ焦ってくると声のトーンも高くなって熱を帯びてくる。聞いている人の顔をは冷めていくようになっているようだ。

 こんな光景をみていたら「チームプレー」ということを思いだした。今は亡き社長がよくいっていた言葉だ。その真意がなにかわからないまま、今をむかえている。スポーツ選手はあらゆる場面でできるだけ声を出して動いている。「右、左…」、「フリーだぞ」などという声を聞くサッカー。「ナスバッティング」「ナイスファイト」「バックしろ。右によって」と野球。
 ぼくが関係したスポーツでよく聞いた言葉である。

 ではなぜ「声」を出すのか。
 それは「勝つ」ためである。その一点だけである。勝つためには「ミス」を最小に防ぐ。そのためには必ず他のチームメイトの掛け声が記憶にある。プレーしている選手にとっては当たり前のようになってしまっているから、深く考えたこともないが、これはスポーツの常識。今、冬季五輪で競技している選手たちの中でもテレビでは聞こえないのだろうがかならず掛け声をかけているはずだ。

 声を聞いた人ばかりではなく、声を発した側は自分にも同じようなことを気づかさせるために鼓舞しているのだろうと思う。「わたしはここにいるよ…」、「わたしはこんなプレーをするよ」「わたしはこんなことが苦手だよ…」とでも自分にあるいは他者に言っているのだろうと思う。そして合図をしているのだろう。さらには、「わたしはここにいるよ」ことを他社にリスペクトしてもらいたいのだろう。そんな関係がスポーツ競技の中味だろう。もちろん個人の才能は大事だが、それを出せる環境が競技場では声であるように思える。

 そして何よりも大事なのは、その声は相手を傷つけたり、励ましたりしているということの自覚が大事だろうと思うえるのだ。できれば、チームメイトであれば、勝つための最小限の声が大事なのだろう。そして最小限の声をいち早く理解してくれる人が強いチームをつくることなのだろう。それは、一朝一夕にできることではないかもしれない。「コミュニュケーション」などという一括りにしないそれぞれの楽しいこと、涙してしまうことの声が日常にあればすむことなのに…と思えてしまう。だいたい、楽しいことを他者につたえる言葉を日々つむいでいる生活があるのか? もある。最低でも、めぐりあった人との間にスマホをポケット入れてみてはいかがでしょうかね。方言であれ、なんであれじっくり会話がもてる時間も大切なことでしょう。

 日々のお互いが笑える会話や悲しくても励ませる会話の積み重ねだということをつくづく思うのだ。それが、少ない中で声はなんとも冷めていて、がんばろうという気がおきないだろうなぁ。※技術論はあまり好きではないが『人は「話し方」で9割変わる』 (リュウ・ブックス―アステ新書) 福田健という本は面白い。大切なのは、なんでも話せる人、場所を日々つくることでしょうかねぇ。



 やっと通常にこのブログも平常に戻ってきました。
 今週もいそがしくて総務担当者との「再雇用契約」が延期になってしまました。職場では、正社員の方のほうが頻繁に休んでいるように思えます。ぼくたちのように再雇用者が休むと、病気か入院という形が多いようです。悲しいことですがこれが現実になっています。それでは、正社員が休むときはどんな形なのでしょうかね…。

 再雇用になって仕事をしていて思うことは、責任はなくなってきましたが仕事への責任より、自分の体への責任が重くのしかかってきたように思えます。
 機械の老朽化は、予算を組み更新したり、新規導入などが計画されますが高齢者は使う捨てのような日々でもあるようです。
 少なからず機械の替えはありますが、ぼくという人間の替えはありません。
 そう思うと、仕事はほどほどがいちばんいいと思いますが…。

 今週はこの辺で失礼します。
 土手を散歩していたら小さな花が咲いていました。かわいいものです。

 昨日は、妻の姉が緊急入院、大手術をしたそうです。心臓の手術に10時間ばかりかかり、やっと落ち着いているそうです。アーア、大変でした。
 今朝は甥っ子が結婚したよ…と連絡がありました。悲喜こもごも…。
 人生、明日は何があるかわからないなぁーとつくずく感じた日でした。まずは、手術をした姉が病状も落ち着いてきてほしいものです。甥っ子の方は、まあ、人生にいろんなことがあるだろうけれど病気にならないようにと思うばかりです。当面は、明日また目が覚めたとき元気なら考えようと思います。
 今週もあいかわらずインフルエンザが流行っている様子です。

 三連休はうれしいが、このつけが来週にまわってきそうです。忙しくなります。まいってしまいます。それでも、できることは決まっています。
 ボチボチいきます。冬季五輪も風の強いジャンプ会場では放送が遅くてまいってしまいます。
 読んでくれた人、ありがとうございました。


立春です。

2018年02月04日 | Weblog


 こんにちは。
 はやいもので1月が終わって2月にはいりました。とはいえ、寒さはますます厳しくなってきました。北陸では、大雪の影響で国道にトラックが立ち往生していました。車のなかで、自衛隊の除雪作業のおかげでどうにか動き始めたようです。これも、ちょっとした「油断」の結果でしょうか。

 さて、今週は…と思ったのですが、法事の翌日に体調をくずしてしまったので更新ができませんでした。世の中なにやら、韓国・平昌で冬季五輪がはじまったようです。4年に一度の冬のスポーツの祭典。寒くてもその自然のなかで選手たちの活躍が期待されます。
 

『なまえはのない鳥』

おまえの名はなんとういうのだ
冬の冷たい風の中に舞う姿に
名をつけようとは思わない
     〇
きっと
名をつけたその日から
その姿を消してしまいそうだ
なぜなら空高く舞う足元には
人間が名前をおいかけてきてきるだろう
     〇
どこへ行こうとしているのか、なにを求めているのか
さまよう旅人として見えるだろうか
いつか、寿命にさからえず
地上に舞い降りてきたとき、わたしは見るだろう
同じ空気をいっぱい吸い込んだ鳥も私も
生きていたことを忘れてしまうのだろう
     〇
いまは、とおい青い空に舞う鳥よ
地上の私にその自由さを感じさせていてくれ
いまは
柵も境もない空にある姿をいっぱいみせていてくれ
まだ地上の息苦しさを忘れてさせてくれる
時間を飛んでいてくれ
いつか、おまえも一緒になることもあるのかもしれない
(多摩川にて2018.2.3)



 日曜日に身内の法事(四十九日)に出席した翌日の朝に、発汗、めまい、おう吐になった。「ああ、これで終わりか…」と思ってしまうほどヨロヨロよなってしまった。たぶん、寝ていれば治るだろうと思っていた。
 「とりあえず医者に行っておこう」と思いタクシーを呼んで行ってきた。
 近所の診療所では、インフルエンザの人他とが多く、1時間ばかり待たされての診察であった。「症状からして、インフルエンザではない。めまいの脳の症状を簡単な検査をした結果異常なし。不整脈があるかみたが異常なしだった」。そして先生に「昨日法事でいっぱいお酒を飲み食事がしたのですが…」ともいってみた。「まあ、様子をみてみましょう。また、なんかあったら来てください」とのことだった。「不安であればお薬を出しておきます。希望しますか」ということで、帰りに薬をもらって帰る。帰りは、ちょっとはめまいがなくなったような気になったので歩いて帰る。
 いったいどうなることかと思っていたが、少しずつ体調も気持ちもよくなってきた。翌日は、どうにか会社にも出勤できた。

 といいうようなわけで、今週はまともの「更新」が遅くなってしまいました。。
 「こんなときもある…」と思っている。
 日々あまり気にもとめていなかったことであるがこんなにも自分の気持ちも体もボロボロに落ち込んでしまう休みもめずらしいと思った。今、インフルエンザが猛威をふるっているという。どんなに注意しても罹るときはあるのだろう。そこでジタバタしたところでどうしようもないようだ。素直に病院にいって診察をしてもらうしかないようにも思う。
 まして、齢をとればとるほど抵抗力もなくなっていく。気がめいってしまって落ち込んだりしても仕方がない。

 この時期によくいわれる「帰ったら手洗いうがい」ということも大事なのであろうが、それよりもむしろ仕事を休んだほうがいいに決まっている。無理をしない…ことは当り前だろうなぁ…とつくずく思えた一日だった。
 おかげさまで、現在はボチボチ仕事にもいけるようになりました。
 それでわかったことがありました。「病気」というものは、日常生活をしようとすると全精力をかたむけて体に攻撃をして「横に伏せる=ねていろ」と命令します。そんなことをしていると本当に体中ウィルスに食いつくされるような気がします。あげくの果てに、永遠にたちあげられないようになるということでしょう。空気中には何億もの病原菌が浮遊していてもそれに対抗するようにうまく人の体はできていることに驚きました。(まあ、一人では対抗することもむりですが…)。
 それにしても、「暴飲暴食」は命を削る結果になります。今後はうまいものでも「ほどほど」に食しなければ、と猛省の日々である。

 ということで、更新がおそくなりました。(更新日は日曜になっていますが)実際は翌週の金曜日なってしまいました。
 読者のみなさまもくれぐれも、体を冷やさないようしてください。
 読んでくれた人、ありがとうございました。