こんにちは。
毎日がうちょっとずつ温かくなってきそうな日もあるように思えるようになってきました。これが、自然への「信頼と希望」みたいな気がします。それが証拠に近所の公園では梅の花が咲いてきました。休日の散歩も晴れていれば、温かさも感じますね。「♪はやーくこい…春よ来い」季節はそんな言葉をうかべつつ、温かさが持ちどうしい休日です。
さて今週は、朝から晩までピョンチャン五輪の話題がつきない日々でした。とくに女子のアイススケート活躍はすごいものでした。最終のピョンチャン五輪のスピードスケート新種目、女子マススタートで、高木菜那選手が金メダルを獲得しました。女子団体パシュートに続き2個目の金メダル。今回は姉妹での大活躍も目を見張りました。さらに、最後の最後まで息をのんだカーリング競技での3位(英国のチャレンジがミスショットでした)。
500メートル愛スケートでの韓国の2位の成績。それでも素直に喜べない姿もありましたが、国を超えて励まし合う様子が感動的でした。それぞれの国の事情をかかえて、それを選手間でのりこえて競技する姿には感動です。
「ニッポン!ニッポン!!」の夢の一週間でもありましたねえー。
そうなると、翌朝の新聞が楽しみの日々でもありました。そんななかで「投稿」に『メダルの数に意味ありますか』(毎日25日付)という見出しでの投稿がありました。
こういう意見の人もいるんですね…。私などはやっぱり日本代表で出場している限り頑張ってメダルをとってほしいと思います。五輪スポーツは出場することも大切なことだと思いますが、出場したかぎりは本人の練習の結果を思う存分発揮できて、それが結果につながることがいちばんのご褒美だと思います。メダルを取れなかった選手がいるのはわかります。けれども、それはメダルを取った人との練習の成果を学ぶ時でもあるのではないかと思えます。大事なことは、メダルを取った人はもてはやされてしまう方向にありすぎると思います。がんばって練習に励めたのはスタッフはもちろんですが、それ以上に競い合う選手たちのおかげだということを忘れてはいないでしょう。
一方で冬季五輪が閉会式に北朝鮮も参加する…というニュースにもありました。当然出席しているのだろうと思いますが、マスコミはこの行動を何か異常ことのように報道にも疑問がありました。今回の南北朝鮮の五輪交流をぶち壊しているようにも思えます。交流によって少しでもよくなることが当事者同士の交流が大事なときなのではないのでしょうか。そのことが政治家なのだろうかと思います。交流に反対する人たちは、朝鮮半島情勢に防衛予算獲得のためにか、油を注ぎこもうとしている人たちの行動が浮びます。
国内では、働き方改革関連法案をめぐる野党と与党の審議が続いています。これは、働く側にたつ野党と資本側に立つ与党の対立が濃くなっているように見えます。過労死遺族も反対している法案には疑問が多く残るようです。
今回では与党が出した、裁量労働制に対するデータのずさんさが野党から指摘されたことによって国会は紛糾している様子でもあります。データのでたらめによって、裁量労働制が一般労働者にも波及する危険性も指摘さています。なんとも、いいかげんなことで怒りを感じました。国会でのいまの審議はいかにいい加減かうんざりもします。これも、安倍首相流なのでしょうか。
そろそろ開き直り「問題はありません」はでてくるころでしょうか。
最近は、どんな本を読もうかと思う前にニュースなどからヒントを与えてもらっているように思えます。財布の中身と相談していくとなかなか高い本は敬遠している姿もあります。そう考えると、文庫や新書は手軽に持ち運べる便利さも大切なポイントです。でかけえるときは出来るだけ文庫本を待ち歩いています。読む時間はほとんどが通勤電車の中や移動している時間が多いようです。ときどき、読んでいる著者を知るためには、手っ取りはやい方法が会いに行って直接話や講演を聞きたいと思うことがあります。
とはいえ、聞きたい人がとても遠い存在であったり、故人となってしまったら、身近な本をとるしかありません。幸い今回読んだ著者はまだ生きています。機会がれば検索して講演会など聞きにいきたいものです。
「政治家」という人種を身近に感じて仕事をしてことがないとやはり、雲の上の人だろう。まして、時の首相などという人種は近くに寄れないし、寄らせてもらえない。そんな具合ですから、私たちがいちばん身近な存在を知るときは選挙の時くらいになっているのが現実なんだろうと思います。ほとんど見るのは新聞の写真かあるいはテレビニュースのなかくらいがいいところかもしれません。
私の場合はなんの因果かしれませんが、以前は会社が永田町にあったせいか、よく公用車に乗って通り過ぎていく議員の様子をみかけたことがありました。ほんの一、二秒の瞬間ですが首相の顔や国会議員の姿をみかけたこともありまた。そして「この人たちはいったいどんな種族なのだろうか…」と思っていました。本当に信頼に値する人たちなのだろうかといつも疑っているくらいですから、その人間性まではわからないというのが正直なところでしょうか。
そんなある日、喫煙場所で一服してると、そこに現れたのは今は弱小政党となってしまった社民党の議員でした。お天気などの話をしていたら意外と気さくな人柄が面白かったです。労働組合の来賓としてもくることがあったようす。なかなかお目にかかる機会がない国会議員の人たちは意外と私たちを待っているのかもしれません、世の中食わず嫌いという言葉がありますが、まさにそんなものだろうと思いました。
今回の『村山富市回顧録』はその社民党の出身の国会議員。野党時代から首相になるまで、さらには首相になってからの回顧録。
自分の政治理念をどう実現させるかがいちばん大事な人でもある。それには、野党も与党もまきこんでいかに同じテーブルにつかせて妥協案を作るかが大事だということが書かれてある。時期によっては社会党の分裂でそれぞれの国会議員といかに調整していくなど苦労話も載せている。
そんななかでも、自分の政治理念はともに勤労者と共につくることを力説していく。公約をいかに自分の政党政治と近づけて、さらには野党の議員との調整をつくっていくのか…。その時々の問題、村山首相の時代は「阪神淡路大震災」が起きている。災害対策が緊急の課題などもあった。そして、いちばん大事な「村山談話」をだしていく。それらの政策をどうおこなってきたか、首相の大変さが記録されている。
先月、自民党の小渕内閣で「影の総理」と言われた野中広務(のなか・ひろむ)元官房長官が26日、京都市内の病院で死去したことにふれ、村山富市元首相が死去を悼むコメントを発表した記事を読んだ。それには「自身の戦争体験から、反戦、護憲の筋を通した気骨のある信念の政治家だった。潔さが感じられ、保守の政治家の良心そのものという存在だった」と新聞に載せていた。今にして思えば、昔の国会議員は戦争経験者がほとんどだった。だから、戦争にかかわる政治は保守党であれ徹底的に議論をしていたように思える。そして、いちばん大事なのは、この国を支えている人たちだということを理解していたように思える。「過労死」などでは、徹底的にその議論をきっとやっていただろうと想像できる。
■p69 村山 今はもう労働運動がないといってもいい。総評時代には平和運動や公害反対闘争など政治的な課題にも労働組合の役割として一所懸命取り組んできた。今はぜんぜんないね。企業内組合中心で企業が第一だから、企業の枠を超えた運動、企業の損になるような運動は一切やらない。僕に言わせると労働組合は企業内に埋没してしまい存在意義がなくなた(派閥全盛時代の社会党)
■p122 「~先輩方が苦労して今日の社会党を守ってきた。目標は同じなんだから一緒に頑張ろうじゃないか」と話した(国会のひのき舞台で)
■160 村山 ~こういう大事な問題はきちんとしたプロセスが大事なんだ。事前にちゃんと連絡があって、お互いに検討し合って出した結論なら反対といわないね。
■p262 村山 「~だから今日の立場に立って過去を振り返ったみた時に「やっぱりあの戦争は間違いだった。多くの犠牲者を出したり、破壊したり、耐えがたい苦痛を与えた。それは誤りだった。だからやった行為については素直に認めて謝ることはきちっと謝る、補償できるところは補償して決着をつける」というのは当然じゃないと思う。
福島第一原発事故が起きて来月で7年めに入ろうとしています。はやいものです。その間、原発事故に関するニュースというのは悪いことばかりです。
つい最近、原発事故によって飯舘村から強制避難をされていた102才の男性が自殺した訴訟の判決がありました。他に原発関連で2017年までに自殺者が99人という厚労省調べで発表されています。他に岩手県や宮城県ではほぼ倍のとの見通しとのことだそうです。
年々少しずつ記憶から忘れ去られようとしている中で、現地の人や関係者にはストレスがピークになって悲しいできごとが増えているのかもしれません。
『チェルノブイリの祈り』(未来の物語)には、福島とほとんど同じような事故が語られています。こちらは1986年4月に事故が起きました。32年前のことです。読んでみると、なんと福島や避難先ら発信されたことと似通っていることがわかります。例えば「原発は安全」という言葉も同じように使われています。そして、避難先での子どもたちの差別される状況も同じです。
ということは32年前に起きた事故で「何を学んでいたのだろうか」と思います。思うというより、落胆してしまいます。これだけの悲惨な大事故が起きていたにも関わらず同じ原発利用の日本ではいったい何をしてきたのかということに落胆してしまいます。
おそらく「日本の原発は安全」宣伝文句をマインドコントロールされてきたのではないかと思えてきます。それも、企業だけはなく時の政治家たちや報道によって「チェルノブイリ原発事故」は封印されていたのでしょう。もし、チャエルノブイリ事故を日本でも起きるという想定のもとに安全対策をやればもっと被害が少なかったのではないかという後悔が残ります。
すべては国家の「極秘扱い」という当時の事故への対処が書かれていますように住民にはその被害の大きさが知らされていなかったこともうかがえます。その極秘扱いベールをはぎとるにはあと何人の犠牲者が必要になってくるのでしょうか。
国家が何もなかったことのないよう、人々の記憶から忘れさせようとした…ということを信じられるでしょうか。『チェルノブイリノ祈り』を読めば読むほど「国家は人々を保障していない」ということを暗示しているのだと思えます。その意味で、ドイツのメルケル首相は原発廃止を訴えたという事実から、誰よりもチェルノブイリの事故の教訓を学んでいる権力者だといえます。
おおよその国では、ほとんどが人々の方から積極的に反対や補償をしてくれるようにしなければなにもしてくれないということが本当なのだということが読みとれた一冊でもありました。事実、アメリカでは「トモダチ作戦」でレーガン艦にのって被爆した兵士たちが集団訴訟を起こしています。今後はまずます、被害の大きさが表にだてくるのではないかと思えます。
■p17 高濃度に汚染された放射性物体なんですよ。あなた、自殺志願者ないんでしょ! 冷静におなりなさい!」「…あなたは原子炉のそばにいるのよ」~「遺体はおわたしください。遺体は放射能が強いので特殊な方法でモスクワの墓場まに埋葬されます。亜鉛の棺に納め、ハンダ付けをし、上にコンクリート板がのせられます。ついては、この書類にご署名願いたい」(孤独な人間の声)
■p32 一人の人間によって語られるできごとはその人の運命ですが、大勢の人によって語られることはすでに歴史です。二つの真実は―個人の真実と全体の真実の両立させることはもっともむずかしいことです。今日の人間は時代のはざまにいるのです。(見落とされた歴史について)
■p41 ~神さまは長生きさせてくださったが、幸せはくださらなかった。年寄りはきらわれものなんです。~ここはいいところだもの。なんでも育っていろんな花が咲いとります。ブヨから森の動物まで、なんでもおります。(死者たちの大地)
■p49 ぼくは証言したいんです。ぼくの娘が死んだのも、チェルノブイリが原因なんだと。ところが、ぼくらに望まれているのは、このことを忘れることなんです。(死者たちの大地)
■p97 驚きと恐怖、嫉妬と喜び、復讐心に似た気持ちさえもあるんです。あるとき、ふと気がつくと、私は同じ気持ちでながめていたんです。近所のはらんでいる犬、巣についているコウノトリのメス。(万物の霊長)
■p101 新聞記事の断片がちらついた。わが国の原子力発電所はぜったいに安全である。赤の広場に建てることも可能だ。サモワールよりも安全である。(万物の霊長)
■p138 いまはどうでしょう? 森は美しく、コケモモがたわわに実っている。でも採る人がいない。秋の森に人声がするとすることはまれです。感覚的な、本能的な恐怖。私に残ったものは、テレビと本の想像力。子どもたちは森や川で遊ばず、室内で成長しています。森や川は見るだけのもの。すっかりちがう子どもたちなんです。(万物の霊長)
■p169 モギリョフに移住して息子は学校に入りましたが、一日目に泣きながらとんで帰ってきました。息子はある女の子のとなりの席になたのですが、その子がいやがったのです。息子が放射線を出しているから、となりに座ると死ぬとでもいわんばかりに。息子は四年生でしたが、チェルノブイリの被災者はクラスに彼ひとりでした>(悲しみをのりこえて)
■p217 ~よそではどこでも私たちはのけ者にされる<チェルノブイリノの人々><チェルノブイリノの子どもたち><チェルノブイリノの移住者>。(悲しみをのりこえて)
■p229 あななたはお忘れなんですよ。当時、原子力発電所は未来だったのですよ。われわれの未来だったのですよ。私は昔の人間なんです。犯罪者ではない。(悲しみをのりこえて)
■p244 これは歴史なんです。犯罪史ですよ。(悲しみをのりこえて)
■p253 「人々は困難にもめげず献身的に働いています」「勇気とヒロイズムの奇跡」。たとえノアの大洪水が起きようとも、革命的前身を!そうなんです。私は党員ではありませんでしたが、やはり、ソビエト人なのです。(悲しみをのりこえて)
■p254 私たちは、チェルノブイリを哲学として理解しなくてはなりません。有刺鉄線で分断されたふたつの国、ひとつは汚染地そのもの、もうひとつはそれ以外のすべての地域。
※1986年4月26日午前1時23分58秒、爆発が起こり、チェルノブイリ原発第4号機の原子炉と建屋が崩壊した。チェルノブイリの事故は科学技術がもたらした20世紀最大の惨事となった。
【西武多摩川線/新小金井】
散歩の途中で…。この駅ではJR駅の100分の1くらいの乗客しか利用していないのではないのでしょうか。私は沿線をのんびり走る電車は気に入っています。混雑するのは朝くらいです。
単線でもあります。駅に着くと下りの電車を待ち合わせ時間が1分くらいあります。そのため、1時間の本数は最高で4本。夜10時以降は3本と少なくなります。単純に20分に1本。JRであわてて乗って帰ってもこの時間の駅では最高でも20分待ちは覚悟しなければなりません。忙しい人にとっては、とても利用しにくい電車でもあるのでしょうか。
それでも、いいところはあります。乗ればほとんどの人は座れることです。さらにはこれまで私が通勤に使っている20年近くなりますが「人身事故」で待った記憶がありません。停まった経験のあるのは、東日本大震災の時くらいでした。実に最強の電車です。JRなどで遅れていても、どうにかここまでくると「どうにかなる」という安心があります。
最近は、この路線の駅近くにサッカースタジアムやら国立大学ができて試験や試合のときなどは満員の乗客に驚くこともあります。温かくなると、沿線では、春には桜、菜の花。秋には夕焼け、さらに遠くをみれば富士山も眺めることができるのんびりした車両がホッとさせてくれます。
昨年、昨年でしたか、土曜サスペンス「駅」シリーズで使われた駅だったと思います。人の乗り降りが少ないこともあって、静かな、暗い雰囲気がよかったのではないとおもいます。
今回は月末ということもあって「本棚」が中心になりました。それも、MEMO欄が大半になってしまいました。本を読むといっても知識をえるために必死でよんでいるということではなく、自分の時間をうまく使う道具として読んでいるようなものです。
これまで買ってきて本棚に積まれている本を死ぬまでに読めるか…?、には疑問です。ほとんど読めずに灰になっていくのではということも時々考えることでもあります。積んでおいた本を時間があるかぎり読んでおこうと考えたところで、無理かもしれません。次から次へと出てくる新刊本に振り回されている状況でもあります。まあ、これまで、死ぬ直前までのテーマだと思いつつ手にとって読んでいこうと思います。
でも、読み終えた本はどれも読んでよかった、と思える本であると思います。散歩道にも少しずつ花を見る時間が多くなってきました。小さな花がいちばん早く足元に咲きます。なんともけなげに咲いている花は小さいながらたくましさを感じます。
今週はピョンチャン冬季五輪が毎日放送されていて楽しいものでした。
来週から3月に入ります。山歩きを始められたらと思います。
今週はこの辺で失礼します。
読んでくれた人、ありがとうございました。