たいへんご無沙汰していました。
アッという間の一か月でした。
寒かった3月も終わり、桜が満開になるなか、4月も終わっていきました。今年はコロナ禍3年目。毎回、変異株のコロナウイルスが登場してなかなか収束の見通しも遠い日々です。まだまだ終息ということにはならないでしょうか・・・。
そう考えると、コロナウイルスはまさに新時代の最先端をいく生物のように思えてしまいます。ワクチンも4回目の声も聞きます。これほどワクチンをつづけざまに摂取した時代はあったのだろうか。そのうちにワクチンづけになって、新種の人間も登場しそうにも思えてしまうほどです。
さて、そんな中でのゴールデンウイークも真っ最中。今年の行楽地への出足は、緊急事態宣言やまん延防止等措置も解除されてコロナ感染の中で初めての年になりました。各地の行楽地の交通量は4割ほど増えたという記事もありました。今年は、コロナ前の高速道路の渋滞や行楽地の行列も見られる年になったいうことなのだろう。
人が移動するということは、当然リスクもあるということです。
4月30日、北海道知床半島沖で観光船が沈没したというニュースもありました。乗客26人のうち14人が死亡、12人が行方不明とのとでした。北海道の大自然を満喫しようと観光にでかけた人たちにとっては、一転して悲劇となってしまって、事故に遭うなどとは夢にも思わなかっただろう・・・。
事故の内容が日々更新されていくニュースをみていれば、ずさんな安全管理が露呈されていくたびに、「これまで事故のならなかったのが不思議なくらい」だと思えてきます。会社はどんな言いわけをしようとも、安全管理の責任はぬぐえない現実となっていくのだと思う。乗客はこんな事態になるとはだれも考えなかったのだろう。
悲しいかな、人は(私も)何か問題にならないと、それが当たり前になってしまうような気がします。もっと身近なことさえ、忘れていることもきっとたくさんあるのだろうと思えました。
もうひとつ、最近はコロナのニュースより、ロシア軍のウクライナ侵攻進行が先にニュースになってきたように見えます。よその国で起きている戦争状態にだれしも平和を望むのは当たり前かもしれません。コロナには国が責任をもって感染拡大を防ぐ義務があります。その義務は戦争状態にある同士の国にとっても、和平を模索す義務はあるはずです。当面は、ロシア軍の撤退を優先させていくような政策が必要になってくるのではと思います。
ロシアとウクライナの停戦協議もひとときは聞かれましたが、今はどちらかを勝たせるための方法ばかりがとびかっているようにも見えます。アメリカはウクライナに武器援助の法案を議会で通して成立させ、日本も、即軍事とはつながらないまでも、使い方によっては軍事品ともおもえるような物資(防弾チョッキ、ヘルメット、テント)などを送りはじめた。なんだか、ウクライナという火の中に、油を注いでいるように映ります。
そこうしているうちに、「勝った、負けた」と周囲の国々が戦火は長引く様相をつくりつつあるようにも見える。
最近、日本でロシアのウクライナ侵攻を奇貨として、自国の安全保障に税金を投じるようにしようと言い出しているようです。「防衛予算を1%から2%へ」という数字が出てくるくらいだから具体的になっているから困った事態だと思います。
さらにはアジアの有事を想定した安全保障も出て来ました。
4月にはいり、食品の値上げが続いています。そんな中でも安全保障もないだろう。やっぱり、国は国民を守ろうとはしていないのではと疑ってもしまいます。
いま。「憲法9条」は瀕死の状態になっているようにも見える。国は、憲法をちゃんと守り、実施する方向を見ていないようにも思えるのは、考えすぎだろうか。
壁の前に立って思い出したことがある。
半世紀ほど前、私は壁にボールをぶつけて遊んでいた少年だった。学校では野球部にはいって、放課後は校庭で暗くなるまでボールを追いかけていた。顧問は社会の教師だった。この先生がどれだけ野球のことを知っていたかは知らないが、シートノックでは、なかなか取れないボールをいつも打っていた。帰りには、ジャージのままホンダのカブに乗って通勤していたようだった。休日は公式戦の試合以外、練習はなかった。
時代が変われば、クラブ活動も変わるようだ。
最近、学校のクラブ活動の休日練習はやめて、地域に移行する方向だという。教員たちにとっては、クラブ活動の顧問は大きな負担になっているという。
スポーツ庁の有識者会議「運動部活動の地域に移行に関する検討会議」によると、運動部活動の活動主体を学校から地域に移行する討論が進んでいる。公立中学校の休日を対象にし、2025年までの3年間を集中期間として移行をはかるのだともいう。その受け皿として、民間クラブに、財源はスポーツ振興くじでする。
いつの日か、学校でのクラブ活動が地域に移行する日も来るのだろうか。
とはいえ、問題の本質は教員の仕事が多すぎて大きな負担になっているということだろう。地域への移行は解決の糸口になっても、教員の仕事はそれだけはない。忙しさの負担として一部、クラブ活動があるということなのだろう。クラブ活動でも、全国大会に出場するほどの実力あるクラブにとっては不安が残るかもしれない。
さらに民間に行こうと言っても、部員たちにとってはどうなのだろうか。少子高齢化で、スポーツ好きの少年の居場所を、営利追求の民間事業者の委ねるというのも問題だろう。移行したら、部員の保護者の対応も大変になるのではないあのだろうか。
スポーツを好きになるというのは、身近な場所でスポーツの面白さをみつけるということなのだろうと思う。
大人の問題であるはずの「忙しさ」の解決策を地域へ、民間へとなっていくのには疑問が残ることだと思う。
最近、ボールを投げたり、蹴ったりする自由な空間がなくなった。あっても「〇〇禁止」の貼り紙があったりする場所を多く見る。やっとみつけた狭いところで、子どもは工夫をしながら面白くスポーツを捜しているのだと思う。少しでも上手くなろうと壁にボールをぶつけては遊ぶ・・・。そんなことが遠い昔のことでもないだろう。
初めてスポーツを楽しむ場所でもあるかもしれない。
4月中に更新しようと思って、パソコンを間借りして形だけはつくっておいたが5月に入ってしまった。5月の連休中とも思っていが、気がつけばもう終わりである。夏休みの宿題ではないが、切羽詰まってきてやっと更新できたというところが正直なところである。「いまやパソコンは必需品」・・・と思っている間はとうの昔であるように思える。現実は年金生活となって、パソコンの出費は大きい。まして、昨今の諸物価高騰のでは、困難を極めている。これでは、自前のパソコンはいつになることやら、と思う。
とはいえ、5月になって季節は初夏になったきたようです。
躍動感のある季節なのですが、なかなか大変です。躍動感あるのは若い、明日もどうにかなる元気な人たちでしょう。最近は、ちょっと動くのも難儀ですわ。それでも、自分のペースでボチボチ動ければベストというのが、今の現状です。なんにつけ、自分のリズムは大切だと思います。
老いることはこれまで一生懸命ためたものがガラクタになることでもあるようです。せめて、いつでも、好奇心にみちた気持ちを持ちたいと思っていても、老いた体がついてきてくれません。これも道連れと思い日々を送っているところです。
それは、今月はこの辺で失礼します。
連休は楽しく送れましたか。いざ、休みになっても、コロナということもあって敬遠する意識はまだあっことでしょう。
読んでくださった方ありがとうございます。(5月7日)でした。