日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

12月にむけて…一年間、ご購読ありがとうございました

2017年11月26日 | Weblog

 こんにちは。
 最近は本当に冬らしくなってきました。北日本では雪も降っているニュース映像も見るようになってきました。寒いわけですね。こんな季節は、私自身老いのせいもあるのでしょうか筋肉が固くなっていくようにも思えます。こんな時こそ、体に適度な運動が必要なのでしょう。外へ出てゆっくり体を動かすことが大切な季節なのかもしれません。
 「寒さの負けず…」ではなくて、寒さをうまく避けて日々生活することが必要なわが身を思うこのごろですが…。

 一年間、毎週の更新内容はいかがでしたが? 自分なりに更新記事を考えてみたものの時間の関係で「まあいいや」というときも多くありました。私にとって更新することは、日々の暮らしのなかで、自分への「一週間分の宿題」のような気持で更新してきました。そんな内容はいかがだったでしょうか。
 
 さて、今月は今年最後の更新となります。一年間読んでくれた皆様に感謝するとともに、来年にむけた準備もはじまる(?)ところです。


 11月になりました。今月はどんな本を読んだのでしょうか。
 今月は、前月の「年金」についての本を読もうという目標でしたが一冊カバンの入れっぱなしの状態でした。なかなか自分のこれからというものを金額という数字にしてしまうと「不安」ばかりがあるように気がしてなかなか手がつかず敬遠しているような月でもありました。給料もさがり、年金のありかたを知り、さらには自分の年金額を知る…ということがなんとも現実であることは知っていても「不安」でもあります。どんな答えがあるのかまさに「パンドラの箱」でもあるように思えてきます。


団塊の世代が定年を迎え、「第二の人生」を「夢の田舎暮らし」に託す人々が増えた。ところが……。安易に田舎暮らしを決めて、本当にいいのか? 厳しい自然環境、共同体の閉鎖的な人間関係、やがて襲ってくる強烈な孤独など、田舎に暮らすことの幻想を暴きつつ、それでも田舎暮らしを志向する人に向けて、自立し、目的意識を持つことの大切さを説く。田舎暮らし歴40年の著者が、豊富な体験から田舎暮らしに潜む危険を説く書き下ろしエッセイ。

 いくつまで生きられるかわからないが「田舎暮らし」なるものを考えたことがある。とはいえ月日が経ち、現実をみればますます遠のくばかりである。
 ぼくの「田舎暮らし」なるものは、仕事から解放されて日々をのんびり送りたいと…、この本を読むかぎりにおいてはいかにも危ういものであるように見える。なぜなら、まさに「幻想」のなかを自分の頭で考えられるバラ色世界だったと気づかされる忠告ばかりだったからだ。それでも、何も期待せず生きていくのであれば「ありかな」と思えないでもないことである。
 どうしてそう思うかといえば、ぼく自身が出身が田舎の出てあるからだろうか。ぼくの少年時代はまさの土の匂いのするとても不便な田舎があった。それを不便とも考えられなかったのは、おそらく若かったからだろうと思う。不便さは自分の体を動かせばどうにでもなる若さがあったからだろう。その体力もなくなり、何を頼りに「田舎暮らし」だという気持ちにもなってくる。なぜなら、何よりも大事なことは、近所の人たちのねたみや付き合いの中での田舎暮らしは、どれだけ耐えしのぎ自分の体と頭を田舎者らしくつくれるかが大事だということが読める本であった。事実、最近「村八分」という言葉を聞いた。(以下はその新聞記事)

【大分県弁護士会】「村八分やめなさい」人権侵害の是正勧告11/6(月) 19:18配信 毎日新聞
 大分県弁護士会は6日、就農のため県北部の出身地の集落(14世帯)にUターンした男性の世帯に対し、集落全体で「村八分」をしているとして、村八分をやめるよう是正勧告したと発表した。
 弁護士会によると、男性は母親の介護のため、2009年に関西からUターンしたが、11年ごろ、農地開拓の補助金の支払われ方に疑問を呈し住民とトラブルになった。母の死後の13年、集落は会議を開き男性を自治会の構成員に入れないと決定。その後、男性は豊作祈願などの行事の通達をしてもらえなかったり、市報が配布されなかったりしている。
 男性の申し立てを受け、同会の人権擁護委員会が調査、仲介に入ったが、集落が「構成員として認めない」との態度をとり続けたため、1日付で自治会長に勧告を送付。勧告は「男性の落ち度は少なく、一方的にのけ者にしている人権侵害だ」と指摘、男性を構成員として認め、平等に扱うよう求めている。
 弁護士会によると、村八分に関する勧告は県内で3回目。過去2回は公表しなかったが「農村部にUターンする人は増えており、同様のケースが増える恐れもある」と公表に踏み切った。集落がある市は取材に「まだ事情を聞いておらず、コメントできない」と話した。【尾形有菜】


 いまでも本当「村八分」はまだあるんだ…。
 田舎へのあこがれは捨てた方がいいね。
 今は「寄る年波」で肉体もあちこち傷んでいる。近ごろは、腰痛でなにをするにもおっくうになっている。そして、生活を支えるお金も低賃金で余裕などなくなってきている。これが事実だ。Uターンで若者を取り込もうという「地域おこし」でがっばっている人たちにはなんの恨みもないが、田舎も都会も人間は同じだろうと思う。



p194 土の中にミミズがいれば、農作物は長雨にも強く、干ばつにも強いという、まことに有りがたい話であるのに、このミミズの存在や活動について、あまりにも長い間日本人は忘れていたように思う。ミミズの掘ったトンネルは、作物の根が伸びるときにもちろん簡単に利用することもできるし、ミミズのトンネルは最上の肥効を持つミミズの糞で内張りされているので、作物は土の上にも、土の下にも結構この上なく成長することができる。

p256 そしてすべての食物連鎖のターミナル(終着駅)は人間の口である。

p319 健康な土から、健康な農作物を作り、それを食べてこそ人間は健康に生きることができる。大地という自然の恵みなしに私たちは一日も生きていることはできない。二十年も前…。

p366 人類の祖先が森を離れ、草原で狩りをして生き始めたとき、彼らは猛獣の牙や爪に対抗するものとして道具を選んだ。これが人類の第一の革命である。二百万年ほど昔のことだ。第二の革命は、人間が火を使い始めたときに起こった。正確な年代は分からないが、五十万年ぐらいの昔のことらしい。


 最近の日本はとても清潔になっているのか、それとも「隠されているのか」あまり「公害」という言葉を聞かなくなった。以前は「水俣病「「森永ヒ素中毒」などの公害反対の運動が日々聞いた。最近みるのは、その後の保障問題での裁判記録が多い。
 とはいえ、本当に公害はなくなったのか…、といえばなくなってはいない。放射能汚染はその先頭になっていることはだれでも認めるところだと思う。
 福島第一原発事故から、放射能は、除染処理などはやっているがまだまだ終わっていない。むしろこれから始まるのだろうと思う。放射能汚染で人体に被曝した人たちが影響をでるのは数年たってからというから、これからの問題だろうと思う。放射能汚染から避難した人たちを「ヘイトスピーチ」がごとく非難する人もいる。こういう人間の性格じたいも「公害」のように思える。
 「複合汚染」はまさにそのことを根ほりはほり、と作家・有吉佐和子が調べた小説。最近、こういう作家がいないように思う。
 ちなみに『沈黙の春』レイチェル・カーソンもこの部類の本だ。いつか読んでみたいと思う。



p39 人生は予測不能なことが多くて、未来にいったい何事が起こるかまったくわからいが、人間は死ぬことだけが確実である。

p104 ただ大切なのは、その「関係」あるいは「つきあい」というときに、その相手にしろ、在り方にしろ、実に多様なものであることを知っておくことなのだ。特定の相手と特定の関係に固執してしまうと、動きがとれなくなってしまう。そのとき、人間以外のものとの関係を、そのなかに入れてもつことは、意味が深いと私は思っている。


 最近「友情」や「愛情」などあまりにも鈍感になっていて、忘れているような気もする。思い返してみればあれが「友情」だったのかと思うことがある。
 それにしても、最近の付き合いはいったい何なのだろうか。おそらく「義理」ではないかと思える。「義理」と「人情」が心の奥底にあるのだろうと思う。世の中、口では「ドライで…」てなことを言うが、本当は意外と義理や人情で動いているのではなのだろうかと思う。それが、うまくいっていれば何とも思わなくいるだけで、気まずい思いをしたら「ドライ」に行こうと割り切るのだろうと思う。

 原則は本にも書いてあるように「一人では生きていけない」という大原則がわかっていればいい。だから…、苦しみもがけばいいだけ。そしてその経験を次につなげればいい友達もできることだろう。それが「戦友」にもなるのだろうし、これからの人生にプラスになっていくのだと思う。
 まあ、ときどき会って話をしていて、元気になれる(楽になる)、元気にしてあげられる人…、それが友だちなのだろうなぁー。そんな人、周りにもっていますかなどと考えさせられた本でした。
 ところで「大人」ってどんなひとなのだろうか…とも思う。ばかばかしいほど「大人の対応」というが。



p214 私は政権や官邸へとつまがる。唯一のドアをノックできる環境にいる。…「空気を読まない」とよくいわれるが、そのとおりだと思うし、むしろ読もうとしていない。


 いまいちばん大事なことはなにか…と言われれば「本当」を引き出すことではないかと思う。これだけSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が発達している世の中で、どれが本当のことなのかわからなくなってきている。ちょうど、ウソと本当の綱引きをしているような状態ではないのだろうか。分からなくされているのか本当に知ろうとしない限り、本当のことはわからなくなっているような状態ではないのかというところが現実ではないのだろうか。毎日、新聞などで目にする記事は、大事な仕事だろうと思える。それがまさに自分の暮らしにかかわってくるのであればなおさらのこと。では、誰が真実を述べているのかといういことも大事な選択肢となってくるのだろうと思う。分からなければ、それこそ「忖度」とかいう空気によって流されては、悪くてもついていくしかなくなるのではないかと思える。

 安倍政権がこれほど長くつくづく中、政治の核心をどれだけ記者が国民に伝えているのかということを日頃思う。「丁寧」「謙虚」という説明は本当にやっているのか…。それらを追いかけている記者の本だ。最近の放送や記事がなにか変だと思う一人として『新聞記者』という本は、政府の答弁に質問することから始まって、その真意をききだすドアにいる。ジャーナリストの存在はいまいちばん貴重なときかもしれない。新聞などで記事になるのはほんの一部にすぎないかもしれません。それでも、読者にとっては、そこから読めるヒントをたくさん与えていると思います。大事な仕事だとつくずく感じた一冊でした。「フェイクニュース」「ポスト真実」が一気に流行語となっている昨今、信じきれる記者をさがすことさえ大変な世の中となっているからなおさらだと思う。



 今後の宿題として…とおこうといます。今回もカバンに入れて歩くだけにならないようにしたいものですが。



 今年も残すところおとそ1カ月弱。冬の木立から一年間いっぱい太陽の光をあびて栄養を木々に蓄えてさせてくれた葉が紅葉して落ちていきます。なにかと寂しい木だけが目立っています。それでも落ち葉は土の栄養となって春に緑をつくる栄養分として土にかえっていくのでしょうか。

 さて、来月は楽しみな「年末一時金」の季節なのでしょうね。私のところは「再雇用」になってからはありません。なぜなのだろうか…、ということをいつも疑問に思うのですが、現実にないのです。通常であれば、12月はボーナスもあり楽しい気分でどうにか忙しさも乗り越えられるモチベーションになるのでしょうか。だから、年に2回のボーナスは働く者にとっては大事な賃金の一部であると思います。

 そんなことを思いつつ、靴のバーゲンに行って来ました。場所は浅草です(=写真)。福引などもあり、いかにも年末が近づいている気がしました。
 私は、ここに2年1度くらいで来るようになっていました。名ブランドの靴はありませんが、靴底などがしっかりしたものが多いのには感心しています。モノづくりは楽しいものでしょう。同じモノつくりをしている人間として、バーゲンにくるたびに思います。

 そういえば『男はつらいよ』の映画で、寅さんの甥っ子のみつお君の就職先が靴屋さんでしたね。それも浅草だったような気がします。靴の営業にいたような気がします。デパートをまわって靴を手配しているシーンがありました。
 何回目かのシリーズでそんなシーンがありましたね。靴をめぐって多くの労働者がかかわって手元に届いていることがわかります。

 これまで日本の製品は「メイドインジャパン=自信の持てるモノつくり」でした。最近は次々に企業の偽装が発覚してモノづくりの信頼が揺らぎ始めているように見えます。それも、私たちの暮らしに直結する自動車や航空機の部品の偽装などがいわれています。なぜ、こうなってしまったのでしょうか。それも、それに関わった人たちの気持ちを思うとモノづくりについていつように非難できるものではないように思います。その背景には、その人の気持ちより優先されたものがあったのだと思えます。一流企業のブランドも根本は利益をあげるためにやることは同じなのでしょう。「どこかを省略可」して利益をあげることになっているのでしょう。今後はそんな経済の背景が問われるのだと思えます。「経済優先」その先行きは「偽装」ではありません。
 「メイドインジャパン」のモノづくり日本の復活。バーゲンであろうとなんであろうと、それを利用する人が信頼できるモノづくりが今後も大切なことだと思います。

 

 もう師走が近づいています。私の仕事は以前よりは楽になったものの12月は忙しい月にはかわりはありません。
 「多忙」という時期に人の関わりがいちばん大事な一ヵ月にもなります。そんな思いが毎年、この時期に浮かびます。
 さて、今年はどんな「多忙」ななかで仕事をしているのでしょうか。
 年末一時金も出ない年末はさびしいものです。ややもすると、モチベーションという言葉もなく消化するだけの日々になると思います。それを、支え合うのも人と人の関係です。どれだけ、人を思い、関係し終わらせるのか12月のテーマでもあるようです。
 まあ、焦らず、怒らずを言いきかせて日々を過ごせたらと思います。
 ということで、今月はこのへんで失礼します。


寒さが、ますます腰にくる季節です。

2017年11月19日 | Weblog

 こんにちは。
 とうとう寒さも平年並みになってきました。それは、とても寒くなってきたことということでしょうか。連日の寒さに身を縮めて散歩にでかけていく姿があります。これが、普通なのでしょうか。私にとっては冬は好きになれない季節です。
 それでも、若いときはこの寒さの中、山に行ったり、旅行にいったりと動いていたのでしょうから「若さ」というものがとても貴重に思える日々になってきました。懐かしさがもどってきます。誰にでもあるのでしょうか。一つの時代の流れのなかに老いて思うことは…、いったいなんでしょうか。


 問題発覚から4日目。大相撲の横綱日馬富士が17日、幕内貴ノ岩にけがをさせた疑いで鳥取県警の事情聴取を受けた。現役横綱の聴取という異例の事態に大相撲ファンに動揺が広がるが、高ノ岩の骨折は「疑い」にとどまると日本相撲協会が公表するなど、真相はまだ見えてこない(朝日/11月18日)

 またしても横綱が問題を起こしてしまった…、と思う。前回の元朝青龍のときも上へ下への大騒ぎの日々だったように思う。(これも酒の力が加わったのだろうか)どれも、力持ちの力士ゆえ暴力を振るわれた方はけがだけならまだいいのかもしれない。
 とはいえ、今回の日馬富士の暴行事件については、力士同志でやったことなのだから、相撲協会の対応が注目されるところであると思う。
 日馬富士のファンとしては「引退」を強行されるのかと心配しているところ。これからいったいどうなっていくのだろうか。事件の経緯がまだ明らかになっていない。骨折の「疑い」の力士が「出場に問題」となっていることなど疑問に思うところである。そこにマスコミの過剰な反応、さらには尾ひれをつける芸能レポーター…と雪だるまのようになっていくお金になる「想像」が「真実」を追いやっていくのは、とても怖いように思う。

 子どものけんかに、被害者の親が予想以上に自分のこどもかわいさに大げさにする。それもわからないではないけれど、本当のところを分かり合えるものをつくってほしい。

 【ミラノ(イタリア)共同】サッカーの2018年ワールドカップロシア大会欧州予選のプレーオフ第2戦は13日、イタリアのミラノで行われ、イタリアはスェーデンと0-0で引き分けた。第1戦で0-1で落としており、、2戦合計0-1で敗れた。前回まで14回大会連続出場し、4度の優勝を誇る実績国が1958年以来、60年ぶりに本大会を逃した。スェーデンは3大会ぶり12度目の出場権を手にした(毎日/11月15日)

 本当か?、と思うほど信じられないことが起きてしまった。それでも、現実はきびしい試練をイタリア代表に与えたのだろう。世代交代が遅れていたということは言われていたが、「まさか」のイタリア代表であった。今回は、トッティ、デルピエロという有名選手の名もなく、キーパーのブフォンの39歳、最年少に25歳という代表だった。かげながら、どうにかしてくれる選手がだてっきてくれなかったいうことだろう。

 イタリアと言えば「固い守備」で有名なプレースタイル。これを「カテナチオ」という言葉で表現されているくらい素晴らしかったチームだと思っている。そして、攻撃的なプレーが好きだった。特に思い出すのは、アメリカ大会だった。とくに、大苦戦をしながら最後は1対0という形で決勝までこぎつけた大会がよかった(これがイタリアらしい試合形式)。どん底のチームを救ったのはロベルト・バッジョ選手。したたかにゴールを決めブラジルとの決勝までこぎつけた大会は印象的だ。
 決勝のブラジル戦では守備を徹底して機能していたが、ここにきてゴールを揺らしたシュートは決まらなかった。けっきょくPK戦の末、3対2で負けてしまった。この大会は、守備の主将のフランコ・バレージが膝を痛めて離脱したこともいたかった。満身創痍の決勝戦だったように思う。それでも、決勝までこぎつけてくる代表は印象に残った。

 そう思いつつ期待していたが、ひじょうに残念。寂しいかぎりですワッ!!
 ちなみに、日本代表は…、きびしいだろうなあ。




 今年もおよそ1カ月にせまってきました。
 今年をふりかえるほどまだ余裕もなく日々を過ごしています。再雇用2年目となって、仕事は前よりも少しだけ軽くなったように思えます。それでも、やっていることはほとんど変わらず、「個人商店」の形のようです。だから、休むこともままならなず、今日まできてしまいました。
 どれだけ仕事したら終わりといこともなく、出来る範囲でやってきたようにも思います。

 最近、またしても職場の同年輩の人が、見なくなった思ったら入院していました。サッカーが好きでスポーツマンでした。審判の資格を得るために頑張っていると話したばかりでした。なんとも、わからない人生ですね。私もいつどこで、リタイヤするようになっているのかわかりません…ね。最近は寒さのためか腰痛が気になっています(いちばん楽なのは風呂に入っているときくらいですし)。
 来年からは「年金」が支給されるようです。そして、もう3年働くと年金が全額支給されそうです(総務の担当者より連絡)。とうとう年金生活序盤が始まりそうです。とは、いうものの楽なものではなさそうです。いくつまで働くのか、現段階では「未知」ですことです。ここにきてまで「未知」という予測不可能な言葉がでてくるとは、日本の社会保障の貧困さがつくずく考えさせられるところです。待機児童の実態も大変ですが、年金老後の実態も同じです。なかなか国の政治が児童にも老人にも届きませんね…。いったいこの国はどこへ向かっていることやら(少なくとも、兵器を買うお金があるのに待機児童や老人、難病患者などマイノリティーへのお金はないようです)。

 そんなことを考えて、来年からは「3年手帳」を使ってみることにしました。もう、1年フルに活躍するほど手帳は使わないでしょう。それよりも、「あと3年がんばってみようか」ということも自分に言い聞かせる意味で「3年手帳」にしてみました。「とりあえず3年」という意味もあります。そして「3年乗り越えられたらまた3年考えよう」という気持ちでもあります。
 とわいえ、ちょうどいい厚さのものはなかなかないものですね。どこかで折り合いをつくていくしかありません。
 とりあえず3年の手帳を購入していきたいと思います。



 季節の変わり目がこんなに身じかに感じる年はないでしょうね。今年は、なぜか腰痛で寒さをさけています。やはり寒さは人間を弱らせる原因でもあるようにも思えます。そう考えると、北海道の人たちは強いのでしょうね、気候が人間を進化させていくことを考えると北海道の人は、関東の人間よりも進化しているのかもしれません。
 …と、最近どうでもいいようなことをを考える日々があります。
 関野吉晴さんの『我々は何処から来たのか―グレートジャーニー全記録〈1〉移動編』を読んでいて、季節や気候で人間の文化も生き方も、さらには死に関する考え方も違うようです。人類が出来てから命がけで移動する人々は何を考えていたのか…など思います。

 きょうはこの辺で失礼します。
読者の皆様も寒さにご注意を!
 来週は祝日があるため、前倒しの仕事が続きます。無理なく、のんびりといきたいところです。
 来週は連休だー!!
 読んでくれた人、ありがとうございました。

寒さのダメージがきいてきました

2017年11月12日 | Weblog

 こんにちは。
 11月も半ばにむかって、寒さもきびしくなってきました。散歩に出かけるのも「思い切り」のような気持が大切になってきました。
 この季節、変わり目には体に負担がかかるようで思わぬところで、腰痛がでたときでもありました。私が電車に乗っていて、降りようと立ち上がった瞬間とか腰に激痛…ということもよくあります。いまいちばん怖いのは、満員の通勤電車のなか、突然、横から体当たりされるときです。最近はできるだけ、ゆっくり立ち上がるように準備しておくことが必要な季節でもあります。
 年をとるということは、瞬時の対応はできませんから瞬時のなる前の準備が必要なのでしょう。だから、早起きにもなってしまうのでしょうかね。

 近所の神社に行ってみると、七五三の親子が多く見られました。境内は少しずつ「正月」の準備が始まっていました(写真上)。今年はまだ一カ月ちょっとあります。まだまだ、新年というイメージはわいてきませんね。




トランプ米大統領が5日午前、アジア歴訪の最初の訪問国として日本に到着した。大統領専用機エアフォースワンで米軍横田基地(東京都福生市など)に降り立った。大統領に就任してから初来日となる。同日午後には、安倍晋三首相とゴルフをプレーする。(朝日

 大統領就任時からいろいろと問題発言のあった米トランプ大統領。どんなことを発言するのか楽しみにしていたが、結局のところ、北朝鮮情勢を理由に日本に一機147億円のF35戦闘機を売り込んで帰っていった。娘のイバンカ・トランプ大統領補佐官(36)にイバンカ基金なるものを日本に57億円の拠出する約束させた。(これも税金だそうです)。帰ったあと残ったものは、大統領の政治姿勢というよりは、時代の状況を読み、それにうまく立ち回っているビジネスマンだったという思いが残る。
 立ち回った得た利益でやりたいことをやって、帰っていったというように見えた訪日だった。いったい、彼は政治をビジネスにうまく使っているように思えた。経済を反映っさせることは、政治家の目標の一つ。それでも、この経済利益のなかでその犠牲になってしまった人をどうするのかが政治だろう。そなんこんなの問題をどう考えるのか聞きたかったが、全然なかった。

 北朝鮮問題に対しても、武力でどうにかしようとう戦闘的。そのための武器売買…。これでは、米国の拳銃乱射事件で大きな問題も解決する気持ちなどないのだろうか。事実、日本海には艦隊が戦闘をスタンバイしている状況。やることがまさにマンガ「ドラえもん」のジャインアンに見えてくるのだが。それにしても、あいかわらず日本は「イエスマン」でしたね。


自民党の教育再生実行本部は、大学などの高等教育の無償化に向け、検討に入った。しかし、看板は「無償化」となっているが、中身は後払いに近い内容。政府・与党は事実と異なる言い換え表現を多用してきた。衆院選が終わり、公約も言い換えられそうだ(東京・11月7日)

 「大学授業料無償化」は、今回の衆院選の公約としてはおおきな目玉だったろうと思う。とくに、これから大学生になろうとしいうる子を持つ親、そして大学へ進学しようとしている若者にとっては魅力である。これが実現させられると、勉強したい人は時間が許せばだれでも大学にいけることになる。そして、大学への一極集中も緩和されるのではにかと思う。これはいいことだと…、と思ったことだろう。私も賛成だった。
 しかし、あんのじょういつもの「言い換え」か内実は違ったものになったいると報道された。

 授業料を払う必要のないひとは、卒業後に一定の年収を超えた人は受けた補助を分割で支払うという。一定の年収とは初任給の平均値である250万円以上、300万円以上の複数の案がでているとか。これでは、選挙で訴えていた「貧しい家庭に育っても専修学校や大学に進学できるようにする」との公約とは違うのではないか。
 まさにこれは「安倍トリック」とでもいうような言い換えではないかと思う。
 そういえば、昔の国立大学合格は「親孝行」な息子だなと見えた。それは、授業料が安いからだろう。年間でもいまの3分の1くらいだった。だから、アルバイトもそれほどやらずに済んだのは国立の魅力でもあった。それが今では、アルバイトも掛け持ちでやっているような状況だ。挙句のはてに学生でありながら、授業のカリキュラムにアルバイトを合わせるのではなく、アルバイトに合わせるようになっている。けっきょく、「教育を受ける権利」はないがいしろになっているように見える。だから、年々カネ持ちしかいけなくなっていく。これじゃ、学生が本を読まなくんったと非難されるが、読む時間をとれない授業料のせいでもあるのだろう。

 とはいえ、最近、学生運動さえもできない状況でもあるといえるのではないかと思った。学生には学生運動(勉強と実践)は必要だろうと思う。なぜななら、自分の勉強をしたことが現実の社会では通じるのか見る場所だからだ。運動といって、過激派みたいなものではなく、大学で勉強した理論を実社会で生かすことで、机上の理論と実社会の矛盾を探して、一つずつ考える場所として必要だと思うからだ。
 それさえもなくなっている状況は、学費の高さからだろうなあ…と思う。だからアルバイトなどで働いてみたら、実社会の企業が「労働基準法」というものが野放しなっている理由だろう。最近は企業ぐるみになってきたからまずい。それでも、内部告発で働く場所をもともなものにしようとしている人もいることは大事なことだろう。

 【「一人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない」A・アイヒマン】という言葉を思い出せる数字の単位があった。アドルフ・オットー・アイヒマン(1906年3月19日 - 1962年6月1日)はドイツの親衛隊(SS)の隊員。最終階級は親衛隊中佐の言葉。
 東京新聞11月7日付の「筆洗」というコラムにあった単位「メガデス」。以下はそのコラム。
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世の中には、実に奇妙で味わい深い単位がある。たとえば、エストニアの船乗りが使っていた単位「パイプ」は、たばこのパイプから煙が出る間に船が進む距離だという▼チベットで「お茶一杯の距離」は、「熱いお茶を入れて、それがさめて飲み頃になるまで、走り続ける距離」で、およそ三キロ。フィンランドで「ポロンクセマ」といえば、トナカイが休憩なしで移動できる距離だというから、それぞれのお国柄がうかがえる▼『はかりきれない世界の単位』(米澤敬著、創元社)を開けば、そんな人間味あふれる単位と並んで、人間を数としてしか見ぬような単位も出てくる。「メガデス」だ▼これは米国の軍事戦略研究家ハーマン・カーン博士が冷戦時代に考えたもので、『オックスフォード英語辞典』によれば、核戦争による犠牲をはかる単位。一メガデスは「百万人の死」を意味するそうだ▼「北の危機」に、どう対処するか。トランプ大統領は「すべての選択肢はテーブルの上にある」と武力行使もにおわせ、安倍首相はその態度を支持し続けているが、かつて米政権内で北朝鮮攻撃が検討された時は、本格的戦争になれば死者は百万人台との試算があったという▼「百万人の死」の重みを、大統領はどう感じているのか。やたら勇ましい言葉だけを並べる声を聞いていれば、「メガデス」という単位がやけに重く響く。(11月7日東京「筆洗」より
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 なにはともあれ、戦争に関してできた単位はあまりにも冷たく感じさせる単位でもあることに気づかされる。
 その響きには早急性が感じられるし、日々のできごとがないがしろにしている光景が浮かんでくる。その一方で、その単位によって、また違う単位が登場し人々を翻弄させているように見える光景だ。政治家の「うそ」に翻弄されて気がついたときは、破壊だけが実施される。そしてそれが何十年にも問い返される日々ができてくる。
 日本は事実、その単位の真ん中にいた時代のもっと考えて欲しいという裏返しでもあるように思う。どれだけ、考えてきたのだろうと思う単位でもある。どれだけ、憲法が現実に沿った政治ができているのだろうか…と考えた。




 寒さがきびしくなってきました。どこへ行くにもちょっと北風が気になる季節となってきました。
 ということで、この季節「冬眠」ができればいいだろうなあ…と、熊の生活を思い浮かべてしまいました。秋にたくさんの木の実や魚など植物や動物性の脂肪分をとって冬眠できたらどれだけ体が楽だろうと思いました。
 落葉樹の木々もこの時期はたくさんの光合成をして木にたくさんの栄養を蓄えて冬眠するように人間もできたらいいだろうと思います。そうできれば余計なこともしなくなり、自然の一部である自覚がいま以上にできて、地球温暖化もなくなるのではないのか…と思う散歩道です。

 とくに老体には冬という季節は血のめぐりがこれまで以上に悪くなり、神経に負担を強いる結果をつくっているようです。事実、温かい間は汗まみれの腰の痛みに感じられなかったものの冬は少しずつ痛みを伴うようになってきました。かといって、軽い運動くらい(散歩)はしておこうと歩き出すと、不思議に痛みが和らぎます。やっぱり、冬は体のそれぞれの機能循環がにぶくなるのだろうということを身を持ってわかります。そこへきて、年末だということで、仕事が忙しくなり、体に自由な運動がなくなりますます、神経痛のようなものを起こしやすくなるでしょう。だから腰痛になるのでしょうか。
 とにかく、いやな季節になってきました。
 どうやって、この冬の乗り越えていこうかと思案中…………。



 11月も中旬!!ムム…。
 そろそろ、月末の雑誌の校正&責了が近づきはじめている。さらに、先生方の原稿がまともに入っていないだろう(毎度のこととはいえ)。ということは、週初めに、新聞の折り込みのように原稿が送られてくることが想像できるって悲しい。
 腰痛であまり動きたくないところです。まあ、のんびりと、やれる範囲で追いこむしかないのでしょうか。

 やっぱり天気の方がいいですね。休みの日の散歩もゆっくりしながら、咲いている花を眺める余裕ができます。それでも、季節がら街路に花がだんだんすくなくってきました。けなげに咲いているのをみるのは楽しいものですね。季節もいよいよマスクも必需品になる日々が始まりそうです。もう「風の子」ではありませんからね。
 それでは今週はこの辺で失礼します。来週は休暇を一日とって山歩きにいてみようと考えています。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

11月。寒さも近づいてきました。

2017年11月05日 | Weblog


 こんにちは…。
 日ごとに寒さがましてくるこのごろです。久しぶりに晴れた多摩川散歩にいってきましたが、足元からよく飛んでいた虫たちも少なくなってしました。寒さが近づくにつれ、冬ごもりの準備をし始めたようです。土手でいちばん元気なのはあいかわらず、土手いっぱいバーベキューでの匂いをつくっている人間たちであるようです。天気もいいし、寒さもなくて青空の下での食事もさぞかしおいしいことでしょうね。
 春は花見で、夏は花火大会の下で、秋は青空の下でと人間の楽しみ方はアルコールをまんなかに楽しみをつくる知恵が季節ごとにみられます。散歩の途中、ついそんな光景に足をとめてみつめてしまいます。うまそうにビール片手に気持ちがいいでしょうね。

 さて、今週はいやな事件がありましたね。
 神奈川県座間市で「9人殺害事件」がありました。なんともやるせない事件でした。人間の弱さがSNSなどによってカバーするどころか、それを利用した事件であるのではないかと思います。いったいこの事件はなにが原因でおきてきたのでしょうか。以前、スチュアート ウッズ 著『警察署長』という小説を読んだことがありました。ある田舎で起きた、青少年誘拐殺人事件でした。

 物語は1920年冬、ジョージア州の田舎町デラノの郊外で若者の全裸死体が発見された。就任間もない初代警察署長ウィル・ヘンリー・リーは、秘密結社K・K・Kの犯行と見て捜査を開始する。だが、検視の結果判明したのは、死体が警察関係者の手によって尋問された形跡があるという事実だった。一体、犯人は何者なのか?調査の末、やがて意外な人物が浮かびあがるが、そのときウィル・ヘンリーを思わぬ事件が襲った!南部の小都市を舞台に、40数年に及ぶ殺人事件を多彩な登場人物を配して描く大河警察小説。アメリカ探偵作家クラブ最優秀新人賞受賞作。(本紹介より抜粋)
 人間のもろさ、怖さを十分みせつけた事件だと思えます。

トヨタ自動車やホンダなどで大手自動車メーカーが、期間従業員が期限を切らない契約に切り替わるのを避けるよう、雇用ルールを変更したことがわかった。改正恵労働契約法で定められた無期への転換が本格化する来年4月を前に、すべての自動車大手が期間従業員の無期転換を免れることになる。雇用改善が「骨抜き」になりかねない状況だ(11月4日・朝日)。

 改正労働契約法は大量の雇い止めが社会問題になってできた法律だ。通算で5年同じ会社で働いた労働者は、5年以降は会社に対して無期雇用にできるようにするもの。ところが、契約終了から空白期間が6か月あると、それ以前の契約期間はリセットされ通算されないことになるとした法改正を実施できるようにしている。
 あまりよくわからないが、ひらたく言えば5年間働けばそれ以降は労働者が有利に契約を無期限にできて、経営者側に勝手に契約破棄ができないようになったということだろう。当然といえば当然だと思う。5年間もまにめに勤めあげたきた会社を会社の都合で勝手に解雇できるようになれば、経営者の責任もないし、会社の不都合も隠ぺいで来てしまう方向になってしまう。健全な会社も労働も危ぶまれるということだろう。(事実、最近大手企業の偽装事件が発生しているしね)
 はたして今後、どうなっていくのだろうか。「働き方改革」では残業代ゼロ法案がはばをきかせているし、最近、首相直々に経営者側に来春闘の賃上げを要請したニュースは記憶に新しい。これを連合はいったいどう考えているのだろうか。今年、残業時間の関連で連合が一枚岩でないことがあきらかになった。けっきょく支持組合からもう反発でもとにもどった経過がある。
 もっとしっかりしてほしい反面、第4次安倍内閣とどう対応するのか、これからの労働運動の方向も決まる大事な時だと思う。

 今週、衆院選で大勝を経て発足した第4次安倍内閣。「謙虚」や「丁寧」を掲げる。特別国会の会期や野党の質問時間の削減をめぐり、「言行不一致」との懸念や批判が党内外に根強い。憲法改正や外交など難題を抱えての船出となる(11月2日・朝日)

 選挙前の「解散反対」の民意をふりきっての選挙。結果は大勝。
 とはいえ投票率は50%弱である。50%の約4割が与党票だったのだろう。しかし、残りの50%は何をしていたのだろうかという疑問が残った。これまでの安倍政権がやってきたことへの審判というよりは、現段階の安倍政権への支持率の再確認のような選挙結果であったように思う。だから、投票率の4割弱が支持率があったということだろう。だから他の人の民意ではないのではないかと思う。そして、憲法改正、経済政策(労働問題)、外交・安保問題を一気に思い通りにやろうとしているように見える。それが事実に、野党の質問時間を短縮し、持論ばかりを優先させる国会になるのではないかなあと思う。
 それはいいとか、悪いとかではなくて、政治を強行するような感じがする。




 一週間に一度の新聞でもちゃんと取材があり、記事の協力者への内容・写真の確認があり、さらには赤字校正、責了。そして印刷、発送というながれを経て読者に届く、ということをあらためて考えた一週間だった。どんなに小さな記事でも、それに関わった人には一度でも内容を確認して承認してもらわなくてはならない。勝手に内容を変更はできない。それが新聞の宿命みたいなものなのだろうか。
 連休前の当日、ちょっと気になることがあった。連休があるということは、新聞に関わる人たちも連休前であるということだ。つまりは、いつもの日の責了日ではなくなるということだ。「大丈夫かな…」と思いつつ出向していった。
 出向先にきて開口一番「今日はなんですか」と聞こえた。「???」
 「今日は新聞の責了日ですよ。それで来ました」と。編集部が一瞬「えー」とざわめいた。わたしもそのつもりで通勤してきたのだった。途中「大丈夫かな…」という不安はあったが、そんなことはないだろうと思いつつの通勤だった。
 ところが「えー」という声を聴いた瞬間から「やっちまった!」と思った。急いで編集長をつかまえて連絡だった。取材先からである。編集長の声が電車や車の音が混ざり合うなか聞こえてきた。「きょうはムリだよ。物理的に無理。無理」。遅版の記事の内容もまだきまっていないようだった。
 私はあ然としてしまった。
 と、言われても思いつつ、私の仕事が始まっていた。印刷所と発送先への責了日変更と今日の予定を連絡したのだった。印刷所では「困ったな。依頼先の印刷所も連休前で予定がきっちり入っているんだけど。それに発送人員も決まっているんですが…」とのことであった。「そこを何とか明日に、せめて午前中までというわけにはなりませんか?」という問答があった。「まあやってみるが期待はしないでね」ということで終わった。
 2時間ばかりして電話が鳴った。「もしもし、明日の一時までにあげてくれるという確約ができればオーケーだそうだ」との返事をもらった。なんとも、間に合ったと安堵したのだった。
 とはいえ、当日はあせったというところが正直な気持ちだった。なぜなら編集部員のなかには「わたしも今日責了だと思っていましたけれど」という情報もあったからだった。明日、今日という錯綜するなかでの疑心暗鬼はつらいものだ。そして「いったい誰がこんなデタラメをやっているんだ…」と怒ってもいた。すこし気を静めてみれば、まとまりのない編集部員の面々がうかんでくるのだった。さらには、一人で抱えるものが多すぎるのだろうとも思えたのだった。だから、責了日のことなど気に留めず取材にいってしまっているのだろうと…。
 これまで言ってきたように基本は「商品は一人では形にならない」ということが基本だなということをつくづく思い知らされた一週間だった。ということは関係者がまとまりさえすれば何でもうまくいくということかもしれない。意外とそれがいちばん難しいのですが、それさえうまくクリアーできれば何とかなるということを確信した週だった。
 ちなみに、変更責了日の前日の作業は夜おそくに終わったとのこと。自業自得だがやるせなかった。


 今週は「信じられない…」ことが起きたのには驚いた。自分のたちの商売にアナをあけるところだった。その分苦汁を飲んだ週でもあったように思う。油断をしていたのかそれとも誰もが他人任せの世の中なのか…ということを考えた週でもあった。これも「当たらずとも遠からず」ではないかのだろうか。なぜななら選挙結果から自分の働いて職場の現実がそのことを言っているかのようにも見えたからだった。
 まあ、人間のやることは思いもよらないことをやるものだ。神奈川県座間市で起きた事件もあった。これもわたしの日常からは「信じられない…」という言葉がでてきてしまう。なぜ、こうなってしまうのであろうか、と。

 ますます人をみる目が変わっていく。それは、「人イコール危険」という公式のような日常があたりまえになっていく怖さだろうか。その怖さから身を守るために「監視」が強化され、「密告」があり、お互いが不信感で日常が過ぎていくという怖さである。これは、歴史的にみればまさに次にくるのは「粛清」という政治的な怖さであもある。こんな事件が頻繁におきるようになると解決するために政治が強引に法律ができれば、人権も無視され怪しいものは「監視」され「密告」されるという連鎖だろうか。そして、身を守るために人々は沈黙が強制されような時代…。

 今回の座間市で起きた事件で、警察から時間とともに遺体の身元が明らかになっていく日々です。行方不明者の身元がわかっていいものか、わからない方がいいのか当事者たちの家族の人たちは日々が寒気を感じていることでしょう。人と人の距離がますます遠くなっていくということに不安も感じます。
 これは怖いというより異常だろう。いやな事件が多いとその「異常」さにもか気が回らず、その中にいつのまにか身を置いているという怖さがある。
 


 11月の3連休、第一弾終わる。天気がよかった…。
 おかげで散歩がよくできた連休でした。今は、天気のいい日には散歩くらいが唯一の運動でしょうか。山歩きということもあったのですが、もうちょっとすれば紅葉も見ごろになるだろう、ということで行きませんでした。
 最近、世の中や自分の仕事などについて、これからどうしたもんかと思っています。いつも、その場をしのいで綱渡りの状態ではないかなあーとも思っています。
 年をとって体も気持ちも「ずーっと続く」とは考えていません。事実、無理をしたら一発で調子が悪くなってくるのは身を持ってわかっています。最近は腰痛が寒さといっしょにやってきています。自分の体を守るのは、この頃は、ある程度の「不義理」もやむを得ないと思っています。つまり「ドタキャン」もありということです。まして、自分とのかかわりが遠ければ遠いほど「不義理」になっていくということでしょうか。あとで、どう罵られても、それも素直に受け入れることも大事な年齢になっているのでしょう。
 それでも、出来る範囲で心を整理しておきたい日々でもあります。
 
 それでは今週はこの辺で。
 丸山健二の『田舎暮らしで殺されない法』というエッセーが面白くなってきました。本当に世間は、きれいごとばかりですねえ、と思います。
 プロ野球日本シリーズでホークスが逆転で優勝しました。横浜も頑張ったのに…、と思います。でも、今回のシリーズはとても興奮したシーズンであったように思えます。
 読んでくれた人、ありがとうございました。