こんにちは。
さすがに梅雨だけあって雨がでかけることに気がゆるむ日々があります。さらにコロナ禍であって「自粛」ということがプラスワンになって足が重くなっていくようにも思えます。
とはいえ、図書館も少しずつ門戸が広くなってきていけるようになります。館内は30分限度で入れることもできるようになってきました。図書館は散歩道のようなもので途中立ち寄る場所でもあります。館内の人はというとまだまばらです。図書館員の人たちのほうが多いくらいです。まだまだ、コロナ感染は続いている状態ですので、今後はどうなるのか不明です。
さて、今週はとうとう安倍政権もここまで来たかと思いました。「憲法改正」どころではないでしょう。広島選挙区の衆院議員・前法相の河井克行とその妻の参院議員の案里の容疑者の事件が明らかになってきました。地元、自民党県議、市議への投票依頼に現金受領がそれぞれの証言により明らかになりました。まさに「金権政治」でした。現金受領した議員のなかには、議員を辞職した人も出てきました。なんともやりきれないものです。これは国会を閉会にしたかっただろうとも思えます。国会中の「検察庁長官定年延長」も成立させたかったのだろうも思います。
6月も終わりです。早いものです。そしていまだの「新型コロナウイルス感染」は続いています。とくに都会では「緊急事態宣言」が解除されてからも毎日、感染者は数字として私たちのめに触れています。本の世界でも、少しずつ「コロナ禍」の中でこれまで生きてきた状況を書いたものも出て来はじめてきました。それらを手に取って読んでみると、まだ全体像はみえてきません。それでも、「コロナ禍」のなかで私たちが、これまでとこれからをどう考えていったらいいのかエッセー風にかいたものが出てきました。そのなかのひとつに『コロナの時代の僕ら』があります。この本は、今年いちはやくイタリアで起きたコロナ感染のなかで人々が苦しむ状況をみた中で書かれたものだといいます。読み進むなかで、コロナ感染以前の生活からふり返って人間、人類はどこへいこうとしているのか暗示させているような本だと思います。
『コロナの時代の僕ら』を読んで
今年2月初旬から現在まで「コロナ禍」での生活は続いている。一時は「緊急事態宣言」が出され、外出・移動自粛の日々であった。5月末に「緊急事態宣言」は解除されたものの、今日までの心の置きどころは2月のころと変わってはいない。変わったことは、感染者がでたのにもかかわらず町に人が少しずつ増えてきたということだろう。
現実はいまだにコロナ禍の状態は続いている。じっくりと、これまでのことを俯瞰してみれば、「このままだと国がつぶれると思った政治家が資本家の利益をつくるために経済の立て直しを強行しているかのような状態」なのではないかと思える場面が目についた。そのための強行さのあおりを受けた弱者である人たちが仕事につき、少しの気晴らしに町にでては、新型コロナウイルス感染者となっているようなことが聞こえてきているようだ。いったいこれからどうなるのかという不安はいまだに消えさらない。経済優先によって、モノは運ばれるが人の心は置き去りのようなことが2月から変わってはいないと思える。これは思い過ごしだろうか。
例えば、「2020東京五輪」が間近にあった2月新型コロナウイルス感染が猛威をふるい始めたころ、突然の「全国学校休校」が出た。現場の教職員は「寝耳に水」状態で多くの混乱をまねいた。マスクが店頭から消え、手作りマスクやら買い置きなどでどうにかその場をしのいでいた。そんなとき「安倍マスク」が登場した。しかし、それが手元に届くころは、マスクは店頭に並び始めていたころだった。
最悪だったのは、外出・移動自粛によって日本中の企業、運輸、観光、芸能界などの仕事がなくなってしまったという経験もあった。現役労働者にとっては、これは生きてきた経験のなかで初めてのことだったろう。そして、生活が壊れていった。自粛によってテレワークが流行したが、家庭にいる人たちのストレスが暴力をつくった。まだまだ、解決の道はついていない。医療の世界も同じだ。感染者が増える中、これまで「医療の効率化」という政治が統廃合によって減らされた病院での治療は限界になった。感染者の増加によって「医療崩壊」までいわれた。
総じて、ある意味このコロナ禍は「天災」ではなく「人災」だ、と思うようになった。これまでの政治の形がすべて表面化したようにも見えた。そして、政治家たちが、いま何がいちばん大事に考えて政治をやっているのかということも分かったようにも思えた時期だった。それでも、いちはやく対応をした外国(台湾、ドイツ。韓国など)の政治家たちのことも記憶にある。その政治の違いは、政治を透明にして、事態を隠すことなく市民協力を求めた結果だった。
そんな中で『コロナの時代の僕ら』を読んだ。この本は、イタリアで新型コロナウイルス感染に倒れた人たちの悲しみの中から生まれた日々のエッセーをまとめたもの。コロナ禍がつくった人類への試練というものは、これまでにも歴史のなかであった。その時代にあった人々の多くの悲しみもあった。それでも人類は生きていく。それは、その時代にあった感染対策のなかでのことだ。しかし、その対策が本当に「僕ら」のためであったのかはその後の歴史のかにいた人にしかわからない。大事なことは、つの時代でも生きる知恵をもってきたということだろう。
今、人類が自慢している世界中がスピード感あふれるシステムが逆に人類にとっても感染をひろげる大変危険なことだいう事実も知った。なぜなら、感染はこれまでよりもはやく世界中をおパンデミックをつくっている。これまでのシステムがこういう状況をつくってしまっている。これが本当に私たちの生活に必要だったのか立ち止まって考えてみることが大事だということを思い出させてくれている。数秒で世界中に飛び回るニュースを手元のスマホで見ることができる世界は本当になによりも必要なことだったことなのだろうか・・・。(それがフェイクであっても)
これまでの「競争・努力・発展」という「大義」のようなものが当たり前に思えたことが、コロナで本当にそうなのだろうかということも考えさせらた。これまでの常識は、ほんとうは私たちのためではなく、経済のひっぱるためのではなかったのではないかと・・・。そして、その結果が本当に私たちのためのものだったのかと。今回のコロナ禍では、結局は「自粛」であろうとなかろうと、働かざるを得ない人々の感染が最も多いことが現実だった。
本のなかに「『元どおりに戻ってほしくないもの』のリストを今のうちに作っておこう」ということが印象的だった。大事なことは、コロナ禍後で、これまでの原因を総じて本当に「新しい生活様式」なるものが出来るのだろう、やる気があるのだろうかということも思えた。
■p10 今回の新型ウイルス流行を背景に生まれるある種の考察は、そのころになってもまだ有効だろうから。なぜなら今起こっていることは偶発事故でもなければ、単なる災いでもないからだ。それにこれらは少しも新しいことじゃない。過去にもあったし、これからも起きるだろうことなのだ。(コロナの時代の僕ら)
■p19 変化が起こるかどうかはある意味、僕ら次第だ。僕たちが感染のリスクを減らし、ウイルスがひとからひとへと伝染しにくいように自分たちの行動を改めれば、R0は小さくなり、感染拡大のスピードが落ちる。(アールノート)
■p28 でも、感染症の流行に際しては、何を希望することが許され、何は許されないのかを把握すべきだ。なぜなら、最善を望むことが必ずしも正しい希望の持ち方ではかがらないからだ。不可能なこと、または実現性の低い未来を待ち望めば、ひとは度重なる失望を味わう羽目になる。希望的観測が問題なのは、この種の危機の場合、それがまやかしであるためというより、僕らをまっすぐ不安へと導いてしまうためだ。(最善を望む)
■p48 同じ感受性保持者でもそれぞれの感染もしやすさは異なっているが、超感受性保持者にしても各人が持つ脆弱性は、高齢や病歴だけが理由とは限らない。社会的原因、経済的原因による無数の超感受性保持者がいるのだ。彼らの運命は、地理的にはいくら遠かろうとも、僕らにとってはきわめて身近な話だ。(もう一度、運命論への反論)
■p50 今でも「グローバル化」と口に出してみると戸惑ってしまう。あいまいで多面的な概念に聞こえるためだ。でも、その輪郭くらいは見当がつくようになった。グローバル化の周辺で生じる効果の数々が全体像を描いてみせるからだ。ととえば、感染症の世界的流行(パンデミック)もそんな効果のひとつなら、この新しいかたちの連帯責任、もはや僕らの誰ひとりとして逃れることの許されない責任もそうだ。(誰もひとつの島ではない)
■p53 感染症は分け隔てをしない。くしゃみをすると特にまんべんなく広がる。感染人口の大半が無症状のままだとさらに効果的だ。ミツバチと風が花粉を運ぶように、僕らは不安の種と病原体を運ぶ。(飛ぶ)
■p62 今、僕たちが直面している状況では、ありとあらゆる反応が予見される。冷淡な反応もあれば、シニカルな反応もあり、信じられないと思う者もあれば、あきらめる者もあるだろう。その点を中心に心に留めておくだけで、普段よりも少しひとに優しくしよう。(スパーマーケットで)
■p68 なぜならそれらの連鎖の果てには、また新たな、今回のウイルスよりも恐ろしい感染症のパンデミックが待っているかもしれないからだ。・・・なぜなら新型ウイルスの流行はひとつの症状にすぎず、本当の感染は地球全体の生態系のレベルで起きているからだ。(あまりにたやすい予言)
■p73 つまり感染症の流行は考えてみることを僕らに勧めている。隔離の時間はそのよい機会だ。何を考えろって? ぼくたちが属しているのが人類という共同体だけではないことについて、そして自分たちが、ひとつの壊れやすくも見事な生態系における、もっとも侵略的な種であることについて、だ。
■p88 (フェイクニュースの伝播は)フェイスブックにツイッター、メッセンジャーアプリのWhatsAPPに開設された無数のグループを噂は駆け巡った。COVID-19が飛行機で移動するように、今や嘘はスマートフォンからスマートフォンへと物凄いスピードで広がる。・・・こうして獏らの不正確な思考の群れも、ひとつの生態系を構成する。それは無限に広がる、なんでもありの生態系だ。(万里の長城)
■p108 僕たちは今、地球規模の病気にかかっている最中であり、パンデミックが僕らの文明をレントゲンにかけているところだ。数々の真実が浮かび上がりつつあるが、そのいずれも流行の終焉とともに消えてなくなるだろう。もしも、僕らが今すぐそれを記憶に留めぬ限りは。
■p109 たとえばこんな問いだ。すべてが終わった時、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したのだろうか。(コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと)
■p115 僕には、どうしたらこの非人道的な資本主義をもう少し人間に優しいシステムにできるのかも、経済システムがどうすれば変化するのかも、人間が環境とのつきあい方をどう変えるべきなのかもわからない。実のところ、自分の行動を変える自信すらない。でも、これだけは断言できる。まずは進んで考えてみなければ、そうした物事はひとつとして実現しない。
■p120 彼は、新型コロナが人間に伝染したそもそものきっかけには、環境破壊や温暖化といった現代人の生活スタイルが生んだ問題があるはずだと訴え、わたしたちが今のような生活を続けている限りは、COVID-19の流行が終息したとしても、必ず新しい感染症の流行が何度も訪れるだろうと予測している。だから、そうした新たな危機に今のうちから備えると同時に、これまでと違う未来の在り方を各自が模索する大切さを主張している。(*者あとがき)
■p123 家にこもって過ごす時間が増える隔離の日々を思索のための貴重な機会ととらえ、あとで忘れてしまわぬように、この苦しい時間が無駄にならぬよう、「元どおりに戻ってほしくないもの」のリストを今のうちに作っておこうという呼びかけが素敵だ。(*者あとがき)
政治家が政治家らしく、学生が学生らしく、労働者が労働者らしく、すべての生活者が、いっしょに豊かな暮らしを目指していた時代だった。
今年は、コロナ禍で影が少なってしまったが「日米安保改定60年」にあたるそうだ。安倍政権になって強化されていることは「戦闘機の爆買い」という事実からわかることだろうと思う。あせりもあるせいか、最近、地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の配備計画がとん挫してしまった。その額数千億円だから、普通に考えればやめてほしいのは当然である。(それだけ税金が使われるのだから)
この手のニュースでいちばん新しいのは、ボルトン前米大統領補佐官が出版した本で、トランプ大統領が在日米軍の駐留経費負担を日本側に「8500億円要求」していたことが報じられていた。ほとんど、こういうことは知らされていないわけで今回のように一般に目にふれることはめずらしいことだと思う。さらには、沖縄の新辺野古基地建設。
『樺美智子、安保闘争に斃れた東大生』は、学生運動がいちばん輝いていた時代だった思う。そして、この時代、子ども、お母ちゃんも、おばあちゃんも、労働者もみんな少なくとも「安保反対」は聞いていたのではないかと思う。とくに都市においては、町ぐるみで応援したところもあったのではないかと思う。当時の学生運動も盛り上がった時代だろうし、政治の先頭を走っていたように思う。だから、学生が労働者の中にはいって運動もできたのだろう。今の学生と比べようとは思わないが、こういう学生もいたことが大事だなー思う。その後、学生運動はそれぞれの意見の違いで分裂していく。そして70年安保へと、さらには浅間山荘事件などは起きていく。『夜の谷を行く』(桐野夏生)に小説となっている。
とはいえ、60年代「何でこんなにも元気だったのだろう」と思うことがある。個人的にはやはり、政党がしっかりしていたこと、労働組合がちゃんと会社の理不尽と闘っていたことがるのだろうと思う。そして何よりも、それを支える人たちがちゃんといたからであろう。そして彼らをマスコミがちゃんと支えていた時代もあったのだろう。少なくとも、忖度した記事もなかっただろうし、ジャーナリズムが生きていたのだろうなあ。三池闘争もあった。
■P33 人に頼らず、自分でほんとうにしたいことは何か、どんな人生を歩むのかを一八歳で自己決定をできる人は少ない。自分という存在の危うさを認識しているからこそ、人があざ笑っても「私は自分の道を行く」と言い切る強さ。「最後の/人知れずほほえみたい」という終連が効いている。
■p86 一九八九年にベルリンの壁が崩れ、東欧諸国がなだれをうって崩壊し、ソ連邦がペレストロイカを経てロシアに変わるという歴史を体験したわたしたちは、社会主義に無邪気に信頼をよせることができなくなっておる。もちろん中国は今も社会主義だが、そこがユートピアだと信ずる人もいないだろう。しかし、一九五〇年代後半に生きた、若くて、まっすぐな知性の持ち主の多くが、社会主義思想に骨がらみとらわれている。美智子も、恵子宛ての手紙に繰り返し社会主義を説いている。
■p135 五八年一〇月には藤山愛一郎外相とマッカサー駐日大使が第一回交渉を行ない、以後協議を重ねることになったが、改定交渉はまたもや秘密裡に進行した。当初は五八年度中の調印を目論んだが、前にも書いたように、政府が警察官職務執行法改正案を衆議院に持ち出したため頓挫した。社会党は、非武装中立を唱える立場から積極的に反対運動を組織し、浅沼稲次郎書記長は、訪中の折、「アメリカ帝国主義は日中人民の共同の敵」と発言し、のちに彼の命が右翼少年に奪われるもととなった。五九年三月二八日、日米安保条約改定阻止国民会議(略して国民会議)が一三四団体によって結成された。社会党と総評を軸に、中立労連、平和と民主主義を守る東京共闘会議、原水協、全学連などで、一年後には団体数は一六三にまでふくれあがる。共産党はオブザーバーだが、党の大衆団体は国民会議に参加した。
■p136 全学連も、二四大学、二〇万人がストや授業放棄をした。本郷では全東大学生決起大会が開かれ、リーダーが「われわれ先輩は太平洋戦争でこのような状況で狩り出され死んでいった」と演説した。敗戦から四年、戦争の記憶はまだ風化していない。
■p205 一五日午後、国民会議が動員した一〇万人を超える労組と市民団体が周辺を埋めつくし、ワッショイワッショイと走っている。巨大なマラソン集団といった風景。議員面会所の前にタスキをかけた社会党議員が並んで、「ごくろうさんです」とデモ隊に手を振っている。固く閉ざされた国会の各門は装甲車と警官隊が守っている。生垣のなかにも鉄かぶとがぎっしり。第二機動隊とデモ制圧専門で泣く子も黙るといわれた第四機動隊(四機)も配備されている。
■p247 「忘れまい 六・一五」
忘れまい 六・一五/若者の血に上に 雨が降る/ひとつの手は 砕かれた/すべての手を 組ませるために/忘れまい ぬぐわれぬ血を/われらすべての 夜明けまで/手に手をわたせ/さらに さらに/忘れまい 六・一五/若者の怒りに闇は光れ/経ちきれられた そのいのち/われらのうちに よみがえれ/忘れまい ぬぐわれぬ血/われらのすべて 夜明けまで/手に手をわたせ/さらに さらに かたく
■p252 こうして樺美智子は、非情な国家に抵抗して、民衆の先頭に立ち、敢然と闘った少女、国の救世主というイメージに仕立てらあげられ、限りなく無垢の光を放ちながら増幅していくのである。
■p271 光子は毎年その日、見覚えない誰かれに会うのを楽しみに、なにはさておいても、この集まりを優先した。そこで彼らとつながることで、新しい美智子に出会いなおし、生きる力をもらったのだろう。それは光子が老人ホームに入る一九八〇年代まで続く。(父母の安保闘争)
■p283 「“日本には平和憲法があるのだから戦争に巻き込まれることはない”などと決して安心してはならないことを二年前の安保闘争のとき教えられました。母親は子供を育て社会へと巣立ってゆくことをただ楽しみにしてはいられないのだということも教えられました。子供を送り出すその社会が、どんな状態にあるかを常に鋭くみつめていなければならないのです。それこそ母親としての責任でもあると思います」(同)
■p285 思想的なものはなかった。それでよかったのだ、とも言う。娘の遺志を継ぎたいと願う母、大衆女性を組織に取り込むためには著名な顔がほしかった婦人会議。両者の思いが一致したというわけだが、言葉は悪いが、利用されたと言えるだろう。
■p297 新左翼学生運動はこののちさらに過激になり、日航機乗っ取り事件、浅間山荘事件などを起こし、内ゲバの末の凄惨な殺し合いにまでいきついた。もはや光子の出番はない。世論から学生運動は袋だたきされ、急速に衰えていく。七五年ごろには学園はすっかり平穏を取りもどし、以後、学生の政治的無関心が蔓延することになる。
本が燃やされるという行為は、「文書が改ざん、クロヌリされる」ということ同じようなことだと思う。
国会がコロナ禍のなか先週閉会した。
今年2がごろから始まった、新型コロナウイルス感染の対応の国会が尻切れとんぼの状態で終わった感はゆげがめない。まだ失業や倒産、収入減となった企業への補償など休業保障問題などが山積みの状態だというのに・・・。
安倍政権の支持率はすこしずつ下がり気味のなかだった。これからというときに、予算がくまれて成立するやいなや閉会してしまった。
これまで「森友・加計問題」。土地の値段を本来あるべき数字を自分たちの都合のいいように書き換えたり、あるいは、自衛隊派遣の日誌が存在していても「隠したり」あの手この手をつかって隠ぺいしてきた政治が思い出される。そのたびに野党政治家が、その証拠を出させる追及をしてきた国会審議は記憶に新しい。
答弁がそのたびに、二転三転した新聞記事ではなかったのではなかったのではないのだろうか。権力による圧力(忖度)によって関係者までも死におとしめる行為もでてきた。「死人に口なし」をもって、この疑義にかんする幕を閉じようとする方法をみてはやりきれなさを思う。
『華氏451度』には人々には本を読むことを禁じた社会が描かれている。本を読むことは争いの元凶だという思想を全てに信じ差させている。それは、為政者の本当の目的の方法の一つとなっている。そこに、監視社会プラス密告社会ができれば独裁政治はまず完璧かもしれない。いま、周りを見渡せば、監視カメラがあり密告(自粛警察)があれば、もう危険だろう。あとは、本を消す・・・。でも、このれ近い状況は起きている。たとえば町の本屋さんが消えていく。読み終えて、『華氏451度」は極端であるが、小さなことは身の周りに起きている。なんとも恐ろしい入り口に立っているような気さえする。
読んでいてフト気づいたころがある。新しい電気製品がたくさん買って便利な電化生活をするようになった。ところが、ときどきブレーカーが落ちて停電状態になることがある。電化製品のどれかを使わないようにして、ブレーカをもとに戻すと、パッと部屋中が明るくもとに戻る。これは、誰が考えてもわかることだが、その家には、通常つかう電気の基本容量があるらしい(工業用はまた別)。だから、ふつうは切れることはない。昔は、電気の使い過ぎで火花とともにヒューズが切れたものだった。予備のヒューズに替えてやるともとに戻った。これは、過度の電気を使うことを防ぐことと、電気系統の故障を知らせる役目があるという。
社会というところは、誰もその限界を教えてくれない。そして気がつくときはもう遅く動き出しているようだ。社会にブレーカーのようなものがあるとすれば、個人的にはきっと「本=表現できること」だろう。書きたい人が書いて、その人の本を読んで感動して、あるいは賛同して行動する。それが、デモだったり、勉強会であったりたくさんの形があるのだろう。それぞれの「表現」だろうから。少なくとも、本を読んだりできなくったら危険(ファシズム)な兆候だろうと思う。昔、焚書の時代があった。そんな時代にもどってはいけないだろうね。なぜなら、そんな時代になれば、読むだけでなく動けなくなるだろう・・・。
p65 「本はわたしませんよ」・・・「法律で決まっていることだ」とベィティー。「分別はどこへやった? どの本もみんな違うことについて、いがみあってるじゃないか。あんたはご立派なバベルの塔にずっと閉じこもってきたんだ。」
p96 「民衆により多くのスポーツを。団体精神を育み。面白さを追求しよう。そうすれば人間、ものを考える必要はなくなる。どうだ? スポーツ組織をつくれ、どんどんつくれ、スーパースーパースポーツ組織を。本にはもっとマンガを入れろ! もっと写真をはさめ。心が吸収する量はどんどん減る。せっかち族が増えてくる。ハイウェイはどこもかしこも車でいっぱい・・・。
p100 「・・・忘れてしまえ。ぜんぶ燃やしてしまえ、なにもかも燃やしてしまえ。火は明るい。火は清潔だ」
p103 ただし国民が、自分はなんと輝かしい情報収集能力を持っていることか、と感じるような事実を詰め込むんだ。そうしておけば、みんな、自分の頭で考えているような気になる。動かなくても動いているような感覚が得られる。それでみんなしあわせになれる。なぜかといううと、そういったたぐいの事実は変化しないからだ。
p127 「地球上のこの地域に残った最後の一冊かもしないんだぞ」
p183 「・・・ああ、まったく多数派の圧政というのは恐ろしいな。われわれはみな、それぞれの竪琴を持ち、それぞれに奏でるものだ。どちらの耳でその音色を聞くかはきみしだいだぞ」
p250 「われわれは、そんなものに慣れっこだよ。われわれはみんな正しい種類のあやまちを犯したんだ。でなければここにはいない。われわれは、ばらばらの個人でいるときは、持てるものといえば怒りしかなかった。わたしはね、何年も前の話だが、うちの書庫を燃やしにきた昇火士を殴ったんだ。それ以来、逃げつづけている。どうだね。われわれの仲間にはいるか。モンダーグ君?」
毎週、散歩をしている。通勤で通う道を歩いていながら気がつかないことも道々、見ることができる。たとえばツバメが、新しい家族が巣作りを始めていた。先週あたり、ヒナが成長して飛び立っていった巣だったところに新し家族が卵を温めていた。ここでも生命をつなげていっている営みがあるんだろう思う。人であれツバメであれ、みんな生命あるものは、命を繋げ逢おうと必死に生きているんだと思う。
新型コロナでまだまだ続いて大変でも、人はこれからもどうにかつなぐ社会をするのだろう。為政者のゆがめられた方向であったも手を携えて行く人たちと一緒に舵をとりながらいくのだろう。そうありたいと思う。
一部の人たちの独立したことで格差ができてしまうようなものではなくて、つながるべきものを探していくしかないように思う。
本はほとんど通勤電車のなかで読んでいる。よほど面白い本であれば寝る前とかに読んで一日が終わる。でもこれはほとんどない状態である。活字離れが嘆いている世の中なのだが、通勤電車の読書はもう習慣になっている。帰りは混雑しているので読まないこともある状態である。コロナ禍初期は帰りも読めたのが、最近では混雑し始めて読めなくなった。ずっと外を見ていると、天気がよければ日が延びた分、夕焼けがみえるときがある。遠くに奥多摩の後ろに夕焼けがとても美しく感じるときもある。
テレビも再放送の多い中、本でも読んでみようというのが最近。
とはいえ、読んでみて面白いと思う本がほとんどだ。結局「食わず嫌い」なのだろうと思う。図書館で借りた本を読んでいて面白いなーと思うことがある。のろのろと読んでいると返却日が近づいたりして焦る。今月の自分の嗜好がなんであったのか、読んだ本でわかるような気がする。
もうアジサイも終わりだろう。
6月も終わりです。お疲れさまでした。また、コロナ感染に気をつけて通勤するしかあるまい。まだまだ続く・・・。お疲れさまでした。
読んでくれた人、ありがとうございました。