日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

『コロナの時代の僕ら』を読んでみたら・・・

2020年06月28日 | Weblog
 こんにちは。
 さすがに梅雨だけあって雨がでかけることに気がゆるむ日々があります。さらにコロナ禍であって「自粛」ということがプラスワンになって足が重くなっていくようにも思えます。
 とはいえ、図書館も少しずつ門戸が広くなってきていけるようになります。館内は30分限度で入れることもできるようになってきました。図書館は散歩道のようなもので途中立ち寄る場所でもあります。館内の人はというとまだまばらです。図書館員の人たちのほうが多いくらいです。まだまだ、コロナ感染は続いている状態ですので、今後はどうなるのか不明です。



 さて、今週はとうとう安倍政権もここまで来たかと思いました。「憲法改正」どころではないでしょう。広島選挙区の衆院議員・前法相の河井克行とその妻の参院議員の案里の容疑者の事件が明らかになってきました。地元、自民党県議、市議への投票依頼に現金受領がそれぞれの証言により明らかになりました。まさに「金権政治」でした。現金受領した議員のなかには、議員を辞職した人も出てきました。なんともやりきれないものです。これは国会を閉会にしたかっただろうとも思えます。国会中の「検察庁長官定年延長」も成立させたかったのだろうも思います。



 6月も終わりです。早いものです。そしていまだの「新型コロナウイルス感染」は続いています。とくに都会では「緊急事態宣言」が解除されてからも毎日、感染者は数字として私たちのめに触れています。本の世界でも、少しずつ「コロナ禍」の中でこれまで生きてきた状況を書いたものも出て来はじめてきました。それらを手に取って読んでみると、まだ全体像はみえてきません。それでも、「コロナ禍」のなかで私たちが、これまでとこれからをどう考えていったらいいのかエッセー風にかいたものが出てきました。そのなかのひとつに『コロナの時代の僕ら』があります。この本は、今年いちはやくイタリアで起きたコロナ感染のなかで人々が苦しむ状況をみた中で書かれたものだといいます。読み進むなかで、コロナ感染以前の生活からふり返って人間、人類はどこへいこうとしているのか暗示させているような本だと思います。

『コロナの時代の僕ら』を読んで
 今年2月初旬から現在まで「コロナ禍」での生活は続いている。一時は「緊急事態宣言」が出され、外出・移動自粛の日々であった。5月末に「緊急事態宣言」は解除されたものの、今日までの心の置きどころは2月のころと変わってはいない。変わったことは、感染者がでたのにもかかわらず町に人が少しずつ増えてきたということだろう。

 現実はいまだにコロナ禍の状態は続いている。じっくりと、これまでのことを俯瞰してみれば、「このままだと国がつぶれると思った政治家が資本家の利益をつくるために経済の立て直しを強行しているかのような状態」なのではないかと思える場面が目についた。そのための強行さのあおりを受けた弱者である人たちが仕事につき、少しの気晴らしに町にでては、新型コロナウイルス感染者となっているようなことが聞こえてきているようだ。いったいこれからどうなるのかという不安はいまだに消えさらない。経済優先によって、モノは運ばれるが人の心は置き去りのようなことが2月から変わってはいないと思える。これは思い過ごしだろうか。

 例えば、「2020東京五輪」が間近にあった2月新型コロナウイルス感染が猛威をふるい始めたころ、突然の「全国学校休校」が出た。現場の教職員は「寝耳に水」状態で多くの混乱をまねいた。マスクが店頭から消え、手作りマスクやら買い置きなどでどうにかその場をしのいでいた。そんなとき「安倍マスク」が登場した。しかし、それが手元に届くころは、マスクは店頭に並び始めていたころだった。

 最悪だったのは、外出・移動自粛によって日本中の企業、運輸、観光、芸能界などの仕事がなくなってしまったという経験もあった。現役労働者にとっては、これは生きてきた経験のなかで初めてのことだったろう。そして、生活が壊れていった。自粛によってテレワークが流行したが、家庭にいる人たちのストレスが暴力をつくった。まだまだ、解決の道はついていない。医療の世界も同じだ。感染者が増える中、これまで「医療の効率化」という政治が統廃合によって減らされた病院での治療は限界になった。感染者の増加によって「医療崩壊」までいわれた。

 総じて、ある意味このコロナ禍は「天災」ではなく「人災」だ、と思うようになった。これまでの政治の形がすべて表面化したようにも見えた。そして、政治家たちが、いま何がいちばん大事に考えて政治をやっているのかということも分かったようにも思えた時期だった。それでも、いちはやく対応をした外国(台湾、ドイツ。韓国など)の政治家たちのことも記憶にある。その政治の違いは、政治を透明にして、事態を隠すことなく市民協力を求めた結果だった。

 そんな中で『コロナの時代の僕ら』を読んだ。この本は、イタリアで新型コロナウイルス感染に倒れた人たちの悲しみの中から生まれた日々のエッセーをまとめたもの。コロナ禍がつくった人類への試練というものは、これまでにも歴史のなかであった。その時代にあった人々の多くの悲しみもあった。それでも人類は生きていく。それは、その時代にあった感染対策のなかでのことだ。しかし、その対策が本当に「僕ら」のためであったのかはその後の歴史のかにいた人にしかわからない。大事なことは、つの時代でも生きる知恵をもってきたということだろう。

 今、人類が自慢している世界中がスピード感あふれるシステムが逆に人類にとっても感染をひろげる大変危険なことだいう事実も知った。なぜなら、感染はこれまでよりもはやく世界中をおパンデミックをつくっている。これまでのシステムがこういう状況をつくってしまっている。これが本当に私たちの生活に必要だったのか立ち止まって考えてみることが大事だということを思い出させてくれている。数秒で世界中に飛び回るニュースを手元のスマホで見ることができる世界は本当になによりも必要なことだったことなのだろうか・・・。(それがフェイクであっても)

 これまでの「競争・努力・発展」という「大義」のようなものが当たり前に思えたことが、コロナで本当にそうなのだろうかということも考えさせらた。これまでの常識は、ほんとうは私たちのためではなく、経済のひっぱるためのではなかったのではないかと・・・。そして、その結果が本当に私たちのためのものだったのかと。今回のコロナ禍では、結局は「自粛」であろうとなかろうと、働かざるを得ない人々の感染が最も多いことが現実だった。
 本のなかに「『元どおりに戻ってほしくないもの』のリストを今のうちに作っておこう」ということが印象的だった。大事なことは、コロナ禍後で、これまでの原因を総じて本当に「新しい生活様式」なるものが出来るのだろう、やる気があるのだろうかということも思えた。

■p10 今回の新型ウイルス流行を背景に生まれるある種の考察は、そのころになってもまだ有効だろうから。なぜなら今起こっていることは偶発事故でもなければ、単なる災いでもないからだ。それにこれらは少しも新しいことじゃない。過去にもあったし、これからも起きるだろうことなのだ。(コロナの時代の僕ら)

■p19 変化が起こるかどうかはある意味、僕ら次第だ。僕たちが感染のリスクを減らし、ウイルスがひとからひとへと伝染しにくいように自分たちの行動を改めれば、R0は小さくなり、感染拡大のスピードが落ちる。(アールノート)

■p28 でも、感染症の流行に際しては、何を希望することが許され、何は許されないのかを把握すべきだ。なぜなら、最善を望むことが必ずしも正しい希望の持ち方ではかがらないからだ。不可能なこと、または実現性の低い未来を待ち望めば、ひとは度重なる失望を味わう羽目になる。希望的観測が問題なのは、この種の危機の場合、それがまやかしであるためというより、僕らをまっすぐ不安へと導いてしまうためだ。(最善を望む)

■p48 同じ感受性保持者でもそれぞれの感染もしやすさは異なっているが、超感受性保持者にしても各人が持つ脆弱性は、高齢や病歴だけが理由とは限らない。社会的原因、経済的原因による無数の超感受性保持者がいるのだ。彼らの運命は、地理的にはいくら遠かろうとも、僕らにとってはきわめて身近な話だ。(もう一度、運命論への反論)

■p50 今でも「グローバル化」と口に出してみると戸惑ってしまう。あいまいで多面的な概念に聞こえるためだ。でも、その輪郭くらいは見当がつくようになった。グローバル化の周辺で生じる効果の数々が全体像を描いてみせるからだ。ととえば、感染症の世界的流行(パンデミック)もそんな効果のひとつなら、この新しいかたちの連帯責任、もはや僕らの誰ひとりとして逃れることの許されない責任もそうだ。(誰もひとつの島ではない)

■p53 感染症は分け隔てをしない。くしゃみをすると特にまんべんなく広がる。感染人口の大半が無症状のままだとさらに効果的だ。ミツバチと風が花粉を運ぶように、僕らは不安の種と病原体を運ぶ。(飛ぶ)

■p62 今、僕たちが直面している状況では、ありとあらゆる反応が予見される。冷淡な反応もあれば、シニカルな反応もあり、信じられないと思う者もあれば、あきらめる者もあるだろう。その点を中心に心に留めておくだけで、普段よりも少しひとに優しくしよう。(スパーマーケットで)

■p68 なぜならそれらの連鎖の果てには、また新たな、今回のウイルスよりも恐ろしい感染症のパンデミックが待っているかもしれないからだ。・・・なぜなら新型ウイルスの流行はひとつの症状にすぎず、本当の感染は地球全体の生態系のレベルで起きているからだ。(あまりにたやすい予言)

■p73 つまり感染症の流行は考えてみることを僕らに勧めている。隔離の時間はそのよい機会だ。何を考えろって? ぼくたちが属しているのが人類という共同体だけではないことについて、そして自分たちが、ひとつの壊れやすくも見事な生態系における、もっとも侵略的な種であることについて、だ。

■p88 (フェイクニュースの伝播は)フェイスブックにツイッター、メッセンジャーアプリのWhatsAPPに開設された無数のグループを噂は駆け巡った。COVID-19が飛行機で移動するように、今や嘘はスマートフォンからスマートフォンへと物凄いスピードで広がる。・・・こうして獏らの不正確な思考の群れも、ひとつの生態系を構成する。それは無限に広がる、なんでもありの生態系だ。(万里の長城)

■p108 僕たちは今、地球規模の病気にかかっている最中であり、パンデミックが僕らの文明をレントゲンにかけているところだ。数々の真実が浮かび上がりつつあるが、そのいずれも流行の終焉とともに消えてなくなるだろう。もしも、僕らが今すぐそれを記憶に留めぬ限りは。

■p109 たとえばこんな問いだ。すべてが終わった時、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したのだろうか。(コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと)

■p115 僕には、どうしたらこの非人道的な資本主義をもう少し人間に優しいシステムにできるのかも、経済システムがどうすれば変化するのかも、人間が環境とのつきあい方をどう変えるべきなのかもわからない。実のところ、自分の行動を変える自信すらない。でも、これだけは断言できる。まずは進んで考えてみなければ、そうした物事はひとつとして実現しない。

■p120 彼は、新型コロナが人間に伝染したそもそものきっかけには、環境破壊や温暖化といった現代人の生活スタイルが生んだ問題があるはずだと訴え、わたしたちが今のような生活を続けている限りは、COVID-19の流行が終息したとしても、必ず新しい感染症の流行が何度も訪れるだろうと予測している。だから、そうした新たな危機に今のうちから備えると同時に、これまでと違う未来の在り方を各自が模索する大切さを主張している。(*者あとがき)

■p123 家にこもって過ごす時間が増える隔離の日々を思索のための貴重な機会ととらえ、あとで忘れてしまわぬように、この苦しい時間が無駄にならぬよう、「元どおりに戻ってほしくないもの」のリストを今のうちに作っておこうという呼びかけが素敵だ。(*者あとがき)

 政治家が政治家らしく、学生が学生らしく、労働者が労働者らしく、すべての生活者が、いっしょに豊かな暮らしを目指していた時代だった。
 今年は、コロナ禍で影が少なってしまったが「日米安保改定60年」にあたるそうだ。安倍政権になって強化されていることは「戦闘機の爆買い」という事実からわかることだろうと思う。あせりもあるせいか、最近、地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の配備計画がとん挫してしまった。その額数千億円だから、普通に考えればやめてほしいのは当然である。(それだけ税金が使われるのだから)

 この手のニュースでいちばん新しいのは、ボルトン前米大統領補佐官が出版した本で、トランプ大統領が在日米軍の駐留経費負担を日本側に「8500億円要求」していたことが報じられていた。ほとんど、こういうことは知らされていないわけで今回のように一般に目にふれることはめずらしいことだと思う。さらには、沖縄の新辺野古基地建設。

 『樺美智子、安保闘争に斃れた東大生』は、学生運動がいちばん輝いていた時代だった思う。そして、この時代、子ども、お母ちゃんも、おばあちゃんも、労働者もみんな少なくとも「安保反対」は聞いていたのではないかと思う。とくに都市においては、町ぐるみで応援したところもあったのではないかと思う。当時の学生運動も盛り上がった時代だろうし、政治の先頭を走っていたように思う。だから、学生が労働者の中にはいって運動もできたのだろう。今の学生と比べようとは思わないが、こういう学生もいたことが大事だなー思う。その後、学生運動はそれぞれの意見の違いで分裂していく。そして70年安保へと、さらには浅間山荘事件などは起きていく『夜の谷を行く』(桐野夏生)に小説となっている。
 
 とはいえ、60年代「何でこんなにも元気だったのだろう」と思うことがある。個人的にはやはり、政党がしっかりしていたこと、労働組合がちゃんと会社の理不尽と闘っていたことがるのだろうと思う。そして何よりも、それを支える人たちがちゃんといたからであろう。そして彼らをマスコミがちゃんと支えていた時代もあったのだろう。少なくとも、忖度した記事もなかっただろうし、ジャーナリズムが生きていたのだろうなあ。三池闘争もあった。

■P33 人に頼らず、自分でほんとうにしたいことは何か、どんな人生を歩むのかを一八歳で自己決定をできる人は少ない。自分という存在の危うさを認識しているからこそ、人があざ笑っても「私は自分の道を行く」と言い切る強さ。「最後の/人知れずほほえみたい」という終連が効いている。

■p86 一九八九年にベルリンの壁が崩れ、東欧諸国がなだれをうって崩壊し、ソ連邦がペレストロイカを経てロシアに変わるという歴史を体験したわたしたちは、社会主義に無邪気に信頼をよせることができなくなっておる。もちろん中国は今も社会主義だが、そこがユートピアだと信ずる人もいないだろう。しかし、一九五〇年代後半に生きた、若くて、まっすぐな知性の持ち主の多くが、社会主義思想に骨がらみとらわれている。美智子も、恵子宛ての手紙に繰り返し社会主義を説いている。

■p135 五八年一〇月には藤山愛一郎外相とマッカサー駐日大使が第一回交渉を行ない、以後協議を重ねることになったが、改定交渉はまたもや秘密裡に進行した。当初は五八年度中の調印を目論んだが、前にも書いたように、政府が警察官職務執行法改正案を衆議院に持ち出したため頓挫した。社会党は、非武装中立を唱える立場から積極的に反対運動を組織し、浅沼稲次郎書記長は、訪中の折、「アメリカ帝国主義は日中人民の共同の敵」と発言し、のちに彼の命が右翼少年に奪われるもととなった。五九年三月二八日、日米安保条約改定阻止国民会議(略して国民会議)が一三四団体によって結成された。社会党と総評を軸に、中立労連、平和と民主主義を守る東京共闘会議、原水協、全学連などで、一年後には団体数は一六三にまでふくれあがる。共産党はオブザーバーだが、党の大衆団体は国民会議に参加した。

■p136 全学連も、二四大学、二〇万人がストや授業放棄をした。本郷では全東大学生決起大会が開かれ、リーダーが「われわれ先輩は太平洋戦争でこのような状況で狩り出され死んでいった」と演説した。敗戦から四年、戦争の記憶はまだ風化していない。

■p205 一五日午後、国民会議が動員した一〇万人を超える労組と市民団体が周辺を埋めつくし、ワッショイワッショイと走っている。巨大なマラソン集団といった風景。議員面会所の前にタスキをかけた社会党議員が並んで、「ごくろうさんです」とデモ隊に手を振っている。固く閉ざされた国会の各門は装甲車と警官隊が守っている。生垣のなかにも鉄かぶとがぎっしり。第二機動隊とデモ制圧専門で泣く子も黙るといわれた第四機動隊(四機)も配備されている。

■p247 「忘れまい 六・一五」
忘れまい 六・一五/若者の血に上に 雨が降る/ひとつの手は 砕かれた/すべての手を 組ませるために/忘れまい ぬぐわれぬ血を/われらすべての 夜明けまで/手に手をわたせ/さらに さらに/忘れまい 六・一五/若者の怒りに闇は光れ/経ちきれられた そのいのち/われらのうちに よみがえれ/忘れまい ぬぐわれぬ血/われらのすべて 夜明けまで/手に手をわたせ/さらに さらに かたく

■p252 こうして樺美智子は、非情な国家に抵抗して、民衆の先頭に立ち、敢然と闘った少女、国の救世主というイメージに仕立てらあげられ、限りなく無垢の光を放ちながら増幅していくのである。

■p271 光子は毎年その日、見覚えない誰かれに会うのを楽しみに、なにはさておいても、この集まりを優先した。そこで彼らとつながることで、新しい美智子に出会いなおし、生きる力をもらったのだろう。それは光子が老人ホームに入る一九八〇年代まで続く。(父母の安保闘争)

■p283 「“日本には平和憲法があるのだから戦争に巻き込まれることはない”などと決して安心してはならないことを二年前の安保闘争のとき教えられました。母親は子供を育て社会へと巣立ってゆくことをただ楽しみにしてはいられないのだということも教えられました。子供を送り出すその社会が、どんな状態にあるかを常に鋭くみつめていなければならないのです。それこそ母親としての責任でもあると思います」(同)

■p285 思想的なものはなかった。それでよかったのだ、とも言う。娘の遺志を継ぎたいと願う母、大衆女性を組織に取り込むためには著名な顔がほしかった婦人会議。両者の思いが一致したというわけだが、言葉は悪いが、利用されたと言えるだろう。

■p297 新左翼学生運動はこののちさらに過激になり、日航機乗っ取り事件、浅間山荘事件などを起こし、内ゲバの末の凄惨な殺し合いにまでいきついた。もはや光子の出番はない。世論から学生運動は袋だたきされ、急速に衰えていく。七五年ごろには学園はすっかり平穏を取りもどし、以後、学生の政治的無関心が蔓延することになる。

 本が燃やされるという行為は、「文書が改ざん、クロヌリされる」ということ同じようなことだと思う。
 国会がコロナ禍のなか先週閉会した。
今年2がごろから始まった、新型コロナウイルス感染の対応の国会が尻切れとんぼの状態で終わった感はゆげがめない。まだ失業や倒産、収入減となった企業への補償など休業保障問題などが山積みの状態だというのに・・・。
安倍政権の支持率はすこしずつ下がり気味のなかだった。これからというときに、予算がくまれて成立するやいなや閉会してしまった。

 これまで「森友・加計問題」。土地の値段を本来あるべき数字を自分たちの都合のいいように書き換えたり、あるいは、自衛隊派遣の日誌が存在していても「隠したり」あの手この手をつかって隠ぺいしてきた政治が思い出される。そのたびに野党政治家が、その証拠を出させる追及をしてきた国会審議は記憶に新しい。
 答弁がそのたびに、二転三転した新聞記事ではなかったのではなかったのではないのだろうか。権力による圧力(忖度)によって関係者までも死におとしめる行為もでてきた。「死人に口なし」をもって、この疑義にかんする幕を閉じようとする方法をみてはやりきれなさを思う。

 『華氏451度』には人々には本を読むことを禁じた社会が描かれている。本を読むことは争いの元凶だという思想を全てに信じ差させている。それは、為政者の本当の目的の方法の一つとなっている。そこに、監視社会プラス密告社会ができれば独裁政治はまず完璧かもしれない。いま、周りを見渡せば、監視カメラがあり密告(自粛警察)があれば、もう危険だろう。あとは、本を消す・・・。でも、このれ近い状況は起きている。たとえば町の本屋さんが消えていく。読み終えて、『華氏451度」は極端であるが、小さなことは身の周りに起きている。なんとも恐ろしい入り口に立っているような気さえする。

 読んでいてフト気づいたころがある。新しい電気製品がたくさん買って便利な電化生活をするようになった。ところが、ときどきブレーカーが落ちて停電状態になることがある。電化製品のどれかを使わないようにして、ブレーカをもとに戻すと、パッと部屋中が明るくもとに戻る。これは、誰が考えてもわかることだが、その家には、通常つかう電気の基本容量があるらしい(工業用はまた別)。だから、ふつうは切れることはない。昔は、電気の使い過ぎで火花とともにヒューズが切れたものだった。予備のヒューズに替えてやるともとに戻った。これは、過度の電気を使うことを防ぐことと、電気系統の故障を知らせる役目があるという。

 社会というところは、誰もその限界を教えてくれない。そして気がつくときはもう遅く動き出しているようだ。社会にブレーカーのようなものがあるとすれば、個人的にはきっと「本=表現できること」だろう。書きたい人が書いて、その人の本を読んで感動して、あるいは賛同して行動する。それが、デモだったり、勉強会であったりたくさんの形があるのだろう。それぞれの「表現」だろうから。少なくとも、本を読んだりできなくったら危険(ファシズム)な兆候だろうと思う。昔、焚書の時代があった。そんな時代にもどってはいけないだろうね。なぜなら、そんな時代になれば、読むだけでなく動けなくなるだろう・・・。

p65 「本はわたしませんよ」・・・「法律で決まっていることだ」とベィティー。「分別はどこへやった? どの本もみんな違うことについて、いがみあってるじゃないか。あんたはご立派なバベルの塔にずっと閉じこもってきたんだ。」

p96 「民衆により多くのスポーツを。団体精神を育み。面白さを追求しよう。そうすれば人間、ものを考える必要はなくなる。どうだ? スポーツ組織をつくれ、どんどんつくれ、スーパースーパースポーツ組織を。本にはもっとマンガを入れろ! もっと写真をはさめ。心が吸収する量はどんどん減る。せっかち族が増えてくる。ハイウェイはどこもかしこも車でいっぱい・・・。

p100 「・・・忘れてしまえ。ぜんぶ燃やしてしまえ、なにもかも燃やしてしまえ。火は明るい。火は清潔だ」 

p103 ただし国民が、自分はなんと輝かしい情報収集能力を持っていることか、と感じるような事実を詰め込むんだ。そうしておけば、みんな、自分の頭で考えているような気になる。動かなくても動いているような感覚が得られる。それでみんなしあわせになれる。なぜかといううと、そういったたぐいの事実は変化しないからだ。

p127 「地球上のこの地域に残った最後の一冊かもしないんだぞ」

p183 「・・・ああ、まったく多数派の圧政というのは恐ろしいな。われわれはみな、それぞれの竪琴を持ち、それぞれに奏でるものだ。どちらの耳でその音色を聞くかはきみしだいだぞ」

p250 「われわれは、そんなものに慣れっこだよ。われわれはみんな正しい種類のあやまちを犯したんだ。でなければここにはいない。われわれは、ばらばらの個人でいるときは、持てるものといえば怒りしかなかった。わたしはね、何年も前の話だが、うちの書庫を燃やしにきた昇火士を殴ったんだ。それ以来、逃げつづけている。どうだね。われわれの仲間にはいるか。モンダーグ君?」



 毎週、散歩をしている。通勤で通う道を歩いていながら気がつかないことも道々、見ることができる。たとえばツバメが、新しい家族が巣作りを始めていた。先週あたり、ヒナが成長して飛び立っていった巣だったところに新し家族が卵を温めていた。ここでも生命をつなげていっている営みがあるんだろう思う。人であれツバメであれ、みんな生命あるものは、命を繋げ逢おうと必死に生きているんだと思う。
 新型コロナでまだまだ続いて大変でも、人はこれからもどうにかつなぐ社会をするのだろう。為政者のゆがめられた方向であったも手を携えて行く人たちと一緒に舵をとりながらいくのだろう。そうありたいと思う。
 一部の人たちの独立したことで格差ができてしまうようなものではなくて、つながるべきものを探していくしかないように思う。



 本はほとんど通勤電車のなかで読んでいる。よほど面白い本であれば寝る前とかに読んで一日が終わる。でもこれはほとんどない状態である。活字離れが嘆いている世の中なのだが、通勤電車の読書はもう習慣になっている。帰りは混雑しているので読まないこともある状態である。コロナ禍初期は帰りも読めたのが、最近では混雑し始めて読めなくなった。ずっと外を見ていると、天気がよければ日が延びた分、夕焼けがみえるときがある。遠くに奥多摩の後ろに夕焼けがとても美しく感じるときもある。
 テレビも再放送の多い中、本でも読んでみようというのが最近。
 とはいえ、読んでみて面白いと思う本がほとんどだ。結局「食わず嫌い」なのだろうと思う。図書館で借りた本を読んでいて面白いなーと思うことがある。のろのろと読んでいると返却日が近づいたりして焦る。今月の自分の嗜好がなんであったのか、読んだ本でわかるような気がする。

 もうアジサイも終わりだろう。
 6月も終わりです。お疲れさまでした。また、コロナ感染に気をつけて通勤するしかあるまい。まだまだ続く・・・。お疲れさまでした。
 読んでくれた人、ありがとうございました。


梅雨のあいまをぬって、歩いてみれば・・・

2020年06月21日 | Weblog
 こんにちは。
 梅雨にはいり、毎日、空を気にしながら過ごす日々です。朝が快晴で暑くなりそうな一日が始まるかと思えば夕方には雨まじりの雲に追いかけらているいるようです。それでも、暑さは初夏です。コロナ禍によって、毎日どこへ行くにもマスクをつけていて息苦しさも感じています。その息苦しさそのものが新型コロナウイルスということなのでしょう。駅のホームの反対側にいる人の99.9パーセントがマスクをしながらこちらをみている光景は異様です。電車のなか(中央線)は少しずつ、いつもの混雑が戻ってきていました。それぞれが、ソーシャルディスタンスという言葉が日々、壊されていくようです。それよりまして、人と人の間が今まで以上に疎遠になり、まさにコロナウイルスより恐怖を感じることさえあります。これが現実ですねー。

 さて、今週「緊急事態宣言」も解除され、少しずつ移動も緩和され、県外への移動などもできるようになってきました。プロ野球も無観客状態で始まりました。ニュースをみていたら、地方の人が空港にやって来る人にインタビューしていました。「息子が今年社会人となり、コロナ禍によって帰ってこないのでこちらから来てしまいました。栄養のあるものを食べているのかと心配です・・・」と母親が語っていいました。なんとも過保護だなーと思いましたが、やっぱりいくつになっても親は子どものことが心配なんだろうなーと思いました(それにしても、親子の間にはSNSやスマホでは信頼できないのでしょう)。いくら、遠距離でも電子のなかで近づきあるようにみえるのは、本当は幻想あるいは思い込みにすぎないことがにょじつにわかった瞬間でもありました。2011年に福島第一原子力発電所が大津波によって爆発したとき、東北地方に多くの放射能をまき散らし、被害をつくりました。原発の「安全神話」もこんなふうにつくられてきた幻想のようにも思えました。

 心配のもうひとつに、「新型コロナウイルス感染第2波」がきているように見えます。事実、都内では、日々少しずつ感染者は増えています。南米ではいまがピークです。さらにはフェイクニュースが人々の人心を混乱させ、さらに被害をおおくつくっていると聞きます。まだまだ、安心できる範囲ではないようです。

 さらには、日本では、国会が閉会する中、「河井夫妻の選挙違反による逮捕」がありました。いやはや、政治もここまでくると「長期政権」の弊害のようにも見えます。安倍首相の補佐官までなった人でもあり、法相までかけのぼっただけにその影響ははかりしれないことでしょう。これが安倍政権の正体でもあったかのような事件でした。なぜなら、自分よりの人たちへの「思いやり」がとんでもない形で発覚したようです。こんなこともあってか、自分の足場をかためるために「検察庁長官の定年延長」も考えたのでしょう。自分の身うちで固めて、さらに政権を盤石なものにしようと考えたことでしょう。さらに、森友・加計問題。そして「桜を見る会」などへの影響を考えたのでしょう。それが、昨年の参院選挙で表面化したのでしょう。自民党内でも意見のあわない者への見せしめのような広島選挙区での分裂選挙。その結果が当選者の選挙違反。票をまとめるために多額の現金授受がありました。今週、違反が逮捕までになってしまった。まさに天国から地獄に落ちた瞬間だったことでしょう。
 かつて、ロッキード事件という政界をも巻き込んで大物政治家が辞めた。この時、検察庁の人たちが「正義」を求めて疑惑を追及した時代があった。今年「検察庁長官定年延長」に猛烈に反対した人たちのなかにもこの時代の時検察官もいたといいます。今回も「襟をただし」追及してほしいものです。 
 今後はその立証や責任問題が浮上することでしょう。政権を自民党と支えている公明党も反省してほしいものです。



 コロナ禍で「自粛」を余儀なくされた日々。今年は、毎偶数月にいく理髪店にもいかずにいた。それで髪はのび放題。とうとう、頭も重くなってきた。日々、髪の手入れはしないので延びてくるたびにしまっておいた櫛をだしてきた。「めんどうくさいなー」と思う日々がつづいた。とうとう、4月「自粛」のなか、毎回行っていたところではなく近所に行った。店の主人「コロナの影響でお客がきませんね」といっていた。そんなわけで、散髪はしたもののひげそりはやらなかった。料金は、高いな思った・・・。なんとも不思議な思いをしながら、店をあとにしながらなんとも納得いかずにいた。

 「緊急事態宣言」が解除された6月。少しずつ外へ出るようなった。今年、久しぶりにいつもの散髪屋にいった。電車を乗り換えてちょっと遠いのが難点だが、これまで通ってきたところはいい。お店にはいったら、奥さんがにっこりして「久しぶり・・・」といった。「そうだよね、本当だねー」と。「短くていいですね」と聞かれて「それでお願いします」。40分ほど眠ったようにぼんやりしているうちにいつもの短さに気持ちがよかった。もちろんひげもそってくれていた。
 今回も帰り道に井の頭公園を通りすぎながら、道々、考えた・・・。

 「はさみの音といい、店のにおいといい」久しぶりだなーと。やっぱり理髪店くらいは、「あうん」の呼吸がいい。35年の歴史はだてじゃない。思えば、大事にしたいことはこういうことだろうなー、と思えた。変化やスピードが進歩のようになっている世界が賛美されている。でもねー、世の中そればかりではあるまいと思った。とくに、年をとればとるほど、自分というめんどうくさいであろう人間を少しでも理解して気持ちよくさせてくれる時間や場所、特に人は大事にしておきたいと思った。なんの縁かしらないが。商売とはいえこの理髪店は、行くことができればこれからも通いたい場所だと思った。
 でも、息子さんの姿がみえないし、今の夫婦一代で終わってしまうのかなー。

 「智に働けば角が立つ情に棹させば流される意地を通せば窮屈だとかくに、人の世は住みにくい」(『草枕』夏目漱石)と思う世の中だ。新型コロナウイルスで「新しい生活様式」などといわれ、「日常」や「生活」が季節とともに制約されいくことのは怖い。全部が全部そうしなければいけないというわけではないのだろう。自分の親しいの人たちのところにはすすり寄っては離れ、好きな人や所にウロウロしていたいと思う。もちろんイヤミな人は避けていく。そうやって生きていくしあるまい。だいたい、他人の生活を「体制」ばりに制約するのはファシズムじゃないのだろうか・・・。
 で、もちろん、料金は安い、髪型も大好きな形でしたよ。


 拝啓
 コロナ禍お見舞い申しあげます。
 お元気でお過ごしでしょうか。6月にはいり「緊急事態宣言」が全面解除され、さらには「移動解除」もされました。その瞬間から、県外ナンバーの自動車も見ることも多くなりました。単に、以前のようにせまい道路に車がもどって来たに過ぎないのです。とくに雨の日は、道路がせまいのでさしている傘が通る車にあたることもあったりして、ヒヤッとすることも多い毎日です。この時期、雨の日には乗用車で通う人も多いせいでしょうか、裏道のようなところあるといいのですが、都会ではところせましと家が建っている状態で無理なようです。

 通勤電車もにわかに人も多くなってきました。とりあえずみんなマスクがしています。この時期のマスクは暑いです。電車内では誰かがあけたのかいつも、電車の窓が小さくあいています。最近の電車は、窓が開けないようにできていています。すべて、閉まっていています。それでも一部あける場所があることを初めてしりました。ソーシャルディスタンスという言葉が出てきて、人はそれぞれの距離を(2m)取るそうです。しかし、電車内ではその距離を守ろうとしたら、人は何度ホームで電車をやり過ごすことが必要なのでしょうか。人数を制限もする必要があるでしょう。正直、そんな言葉は宙に浮いているような状態です。いま、いちばん危険な所は、新宿の歌舞伎町でもなく、通勤電車ではないのでしょうかね。
 昔、前小池都知事が選挙公約で「通勤電車混雑緩和」といっていたことを思い出しました。現実は、ちっともできていません。政治家はほとんどが「ウソつき」と思わせる日々です。だから、今回都知事選には、小池さんには投票していません。

 東京では、今週「都知事選告示」がありました。立候補者が多いのには驚きました。それでも、本命は2、3人でしょう。それでも、この機会を利用して自分の思いを選挙民(都民)に訴える人もいるのでしょう。まあ、お金のかかることになるのでしょうから、そんな余分のお金があるのであればコロナ禍で疲弊しているところに寄付したり援助したりすればいいのに、と思います。一種の売名行為なのでしょうか。
 いまいちばん大事な政治はいったいなにか、聞いていきたいと思います。私個人的には、コロナ禍で実際に必要なところは、経済の復活、立て直しというなかで、医療態勢の充実もあるのでしょうかね。なんせ、健康でなければ経済もないでしょうから・・・ね。

 コロナ禍で過ごした時間、さらにはまだまだ続くであろうコロナとのつきあい。家にこもって考えたこと、忘れてしまうわないうちに「元どおりにもどってほしくないもの」のリストを今のうちに作っておこう」(『コロナの時代の僕ら』パオロ・ジョルダーノ・早川書房)を考えて貴重な一票をつかおうと思う。


 雨ばかりの日が続きます。お天気と体調も若い頃よりは敏感です。こんな時期だからこそ、体にはストレスをためないような工夫が必要な時期なのもかもしれません。とはいえ、働いていると自分だけで終わる仕事は皆無にちかい状態のなかで無理でしょうか。
 今月、月刊誌の締め切り間際までこない原稿を待つ息苦しいこと。いったい編集者は何をやっているのだ・・・と怒りをぶつけたくなってもくる。どうにか、こうにか最終原稿がきて、ようやく印刷までまわすことができるころにはヘトヘトになっていました。やはり、体力がなくなっているんんだと自覚する瞬間でもあります。「生涯現役」なんて言葉がありますが、「生涯」働いているのもいいのでしょうが、若い人と同じように働けとは無理なことです。のんびり、予定通り、ということが大事な条件になってくるのではないのでしょうか。そんなこと考えているかといえば、それで会社が考えているかといえば「ない」でしょうね。最近、思うことは自分の会社より出向先の人たちの方が、そんなことをよく理解して対応してくれていたように思えました。

 まあー、こんな感じです。昭和の人間にとっては「令和」は冷たいですね。
 そういえば、去年の今ごろ、知人二人のお葬式に参列していました。一人は学生時代からの知り合いでした。40年間も一緒に時間をみつけては山や飲み屋さんに行っていました。楽しいことも、悲しいことも一緒に共感した人でした。もう「一周忌」です。時が経つのは早いですね。もう一人は、出向先の人でした。この人が、一つの仕事をつくりあげた人でした。その、仕事を今でもやっています。そのことを思うと、もっと大事にしなけばと思います。こちらは仕事でお世話になった人でした。みんなそれぞれ、先に逝ってしまって寂しいなあーと思います。生命あるものには寿命があります。誰しもいずれ寿命がつきてきます。それにしても、もうちょっと一緒に仕事もしたかった人たちでした。今は、そんな人もういないのに・・・。残念です。

 コロナ禍でテレビの再放送が多い時期です。人生も再放送できないものかなと思いますが。むりでしょうか。
 月末には、久しぶりに山歩きでも再開したいものです。天気がいちばんの問題です。それでは、今週はこの辺で。
 読んでくれた人、ありがとうございました。


東京アラート解除から都知事選へと・・・

2020年06月14日 | Weblog

 こんにちは。
 今週、関東地方も梅雨入りなりました。
 毎日雨を気にするしながら、いつでもマスクと折り畳み傘が離せない季節になってきました。そして、ふと頭に浮かぶときより地震の情報がある毎日でもあります。今年は、これまでの季節の変わり目を楽しくまっていたこれまでの梅雨とはちょっと違う日々があるように思えます。それでも、そんななかでも季節の節目には咲く花の色が気持ちを落ちつかせてくれています。

 さて今週は、コロナ禍の中、東京アラートが解除され「ステップ3」へと進行しています。私的には、「待て!ちょっと早すぎはしないか」と思える解除のように思えました。なぜなら、感染者はへってきましたがいまだの新型コロナウイルスのワクチンができていない状況を思えば早すぎではないかと思えるのです。学校も分散教室とか、7月には、プロスポーツも人数制限などを制約をもうけて解禁されつつあります。だからこそ、まだ早いのでは・・・と思えるのです。とにかく人の多く集まるところでは、ウイルスにとっては最高の環境ということだということを忘れてはいけいないと思います。

 これは、政治家の自己都合のようなところがあるのでしょう。今月に東京都知事選の告示があります。そのことを考えれば、いつまでも新型コロナにかかわっているところではないのでしょうか。いままで、小池都知事はがんばってきたと思いますが、今回の早急すぎた「ステップ3」は考えものです。むしろ、コロナ禍にあった事業者への早急な経済的援助をすべきです。それも手続きのあ簡略化なども実施していくべきです。



 一方、海外では米中西部ミネソタ州で黒人男性ジョージ・フロイトさん(46)が白人警察官の暴行によって死亡した事件をめぐって米国一国の事件にかかわらず世界中でその影響がでていました。その本質は、黒人差別とい歴史的な問題がいまだの世界中で未解決なことを伝えています。歴史のなかで黒人がいかに差別され迫害されてきたことが意識した事件でもありました。19世紀の南北戦争で奴隷制度を支持した南軍由来の建物など、これまで歴史的英雄として各地にある銅像の撤去が開始されているとも報道されいます。
 とはいえ、日本でも同じでしょう。パワハラにみる女性差別や沖縄県民対する駐留米軍の暴力や殺人事件なども、根っこは同じように思えます。そして、一国の大臣での発言では問題にされることも記憶に新しいものです。結局は、支配者が自分の都合のいいように歴史を権力者のために解釈・変更してきた結果のだと思います。それは、つねに弱者への強制を強いたきた歴史なのだと思います。世界中は少しずつ共通の問題を考えはじめてきているようにみえます。これは、肌の色や言語の違いを越えた人類すべてに共通することだと思います。コロナ禍だけでなく、それに付随したことがでてきています。
「Black Lives Matter」は今の日本では「Okinawa Lives Matter」といえるようにも思えますが・・・。


 雨の多い月となりました。梅雨ということで仕方のないことだろうと思ってはみるものの傘を持ち歩く日々には正直、ウンザリすることもあります。これからおよそ1ヵ月半くらい雨模様の日々とのつきあいがはじまります。
 「とうとう梅雨にはいってしまったか」というなげきをつぶやいているように思います。それでも、自然にはどんな力をもっても抵抗することもできないわけでうまく付き合っていくしかないようです。毎週いく多摩川の散歩道の野球場では、雨の中野球の練習がはじまっていました。少しずつですが、これからをめざしてがんばっているような風景でした。

 さて、とくに6月は雨の降る毎日に少し内向的になっているような月にも思えます。だからではないのでしょうが、私にとっての6月といえば太宰治の「桜桃忌」を思い浮かべるときでもあります。
 「桜桃忌」とは新戯作派・無頼派の作家太宰治の忌日で、「太宰忌」ともいう。俳句の「夏」の季語にもなっている。1948年6月13日、太宰は愛人・山崎富栄とともに玉川上水(東京都三鷹市付近)に入水自殺した。没年38歳。だが、遺体が上がったのは6日後の6月19日。くしくもこの日は、太宰の誕生日でもあったことから、太宰を偲ぶ日となった。「桜桃忌」の名付け親は、同郷で太宰と親交の深かった直木賞作家・今官一である。太宰晩年の短編小説「桜桃」の名にちなんで命名した。毎年この日、太宰の墓があり、法要が営まれる三鷹市禅林寺には、全国から多くのファンが集う。 (「コロバンク」より)
 となっています。わたしは、太宰治の作品のなかで好きなのは「人間失格」や「走れメロス」などの代表作品よりは、思い出を語る「津軽」の方が好きです。自分の性格を形成したであろう青森での生活を語る、作品のなかにいちばん、太宰治のやさしさを読んでいるように思えるからでしょう。(再読したいが、どこか迷い込んで探索中・・・)。


 そして、もうひとつ6月に忘れない人。
 60年安保闘争のなかで亡くなっていった「樺美智子」さんのことである。1959年から1960年にかけて日本はまさに「政治の季節」だったのだろう。梅雨の季節ではなくて「政治の季節」ってどんな季節なのかは想像つきませんが、すくなくとも今よりは、若者がいちばん政治を考えた時期だった日々だったのでしょう。すくなからず、私たちにも影響をした人たちも多くいた時期でもあります。60年安保以降、それぞれの考えの違いから分裂を繰り返し、いつのまにか記憶の外から消えゆくようです。
 今もを思うと、学生が歴史の中に元気に活躍していた時代もあったのです。信じられないでしょうか。いつから、世の中からこんなに影のうすいものになってしまったのだろうか。

 昔のの学生も生活が大変だった時代でもあったのでしょうが、それでも老いも若きも政治を身近に感じた季節だったのだろうと思います。
 私は、それほど、深く知りません。それでも、ものごごろついたときから記憶の片すみにあった存在であった人です。亡くなってから、いろいろな場面で利用されたいるという批判もあったようです。
 6月は、雨まじりに涙の多い季節であったよういも思えます。(私はけっこう、ミーハーでして。「ミーハー」という言葉も最近は聞かなくなりましたね)。


 新型コロナウイルス感染が2月ごろからはじまり6月になって、まだまだ油断はできませんが、なにかと警戒が緩くなってきました。政治家にとっては、正直なところ都知事選もあるからでしょうか、一つの区切りを強行的につくって選挙戦をむかえいようとしていまし。なんとも、無責任なことといえば無責任なことだと思います。これで、第2波がきたらいったいどうするのでしょうか。ないとはいいきれません。新型コロナは人が集まれば容赦のない感染をころまでつくってきたことは経験ずみです。
 一方、国会は来週にも閉会をしようとしています。野党がもとめる臨時国会への召集にも応じる気配もないようです。コロナ禍の追加対策のための第2次補選予算を成立させて、その後の予算の使途がどうなることもなんら詳細がないようなかで終わっていくよです。事業委託の「税金」がどう流れつかわれていくのかも不明のままです。森友問題、加計問題もなにも解決されていないのが現状のようです。さらには、「アベマスク」問題等など・・・。
 こうして、私たちの税金の流れがいつになっても不明。わかっていることは大企業にながれ、下請け、孫請けといき、その中間搾取で莫大な利益をえていく構図は、今も昔も変わっていないということなのでしょうか。
 とはいえ、「新しい生活様式」になっていくしかないようです。どんなふうになっていくのか、暮らしのなかで実践、修正していくしかないようです。

 今週、通勤電車が少しずつ混雑してきています。日を追うごとに人の数は増えていく毎日です。また、ストレスをためる場所になっていくのでしょうか。何が「新し・・・」でしょうか。100~200年に一度の新型ウイルスの感染拡大は、少しずつその間隔が短くなってくるのでしょうかね。一生に一度くらいは起きるようになってくるのでしょうか。そして日本は豪雨による災害が近年、増えてきています。さらに地震など。地球上で起こっている自然の脅威にさらされているようになってきたようにも見えます。これまで、自然は人と寄りそってきたように、うまくバランスをとって共存してきたのはずではなかったのではないかと思います。人類の何がバランスをくずしてしまっているのか答えをさがしながらの付き合いになっていくのでしょう。

 ということで、今週はこの辺で失礼します。
 再雇用最後の年に何をバタバタとしたところで・・・と思う日々です。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

6月にはいりました。今月もコロナ禍は続きますか・・・

2020年06月07日 | Weblog

 こんにちは。
 はやいもので6月になっています。通勤路のツバメの巣にいたヒナたちもいなくなっていました。しっかりと自分の羽根で飛んでいったということでしょう。巣から少しずつ多きなったヒナが顔を出していたと思っていたら、予想をはるかに超えて成長が早いものです。そして、アジサイもいつの間にか満開になっていました。散歩をしている休日にはたくさん見ることもできます。気がつけば、身近なところにアジサイのたくさんの種類があることにも気づかされます。四季を感じるちょっとした瞬間です。

 さて今週は・・・。
 「緊急事態宣言」が解除されました。6月第一週、通勤電車はどんなもかと思い通い始めていました。混みようは、いったいこの人たちはどこにいたのか、と思うほど混雑してきました。誰もが出来るだけ人を避けながらの生活から、それも限界というのがこの通期電車の現実のように思えます。都内の繁華街も危険というのなら、こちら満員の通勤電車も危険地帯といいえるのではないかと思います。とくに、駅構内の出店も開店し始めています。構内移動のときどれほど人の流れが悪いかわからいのでしょうか。出店が駅構内の隙すき間を占領していて、一方方向に集中してしまい人間同士が密になりがちです。人と人の距離を保つことを考えれば、駅構内の出店があることが「危険」の要因です。こんなところにも感染拡大を防ぐ注意も必要なのでは思います。

 コロナ禍によって、多くの会社が倒産するニュースが伝えれています。もともと日々大変な経営難の会社であれば、今回のコロナ禍によってますます経営は疲弊して打撃をうけて倒産ということも多くなってきています。テレワークとか在宅勤務ができるのは一部の企業だけではないのでしょうか。できたとしても、長い期間はできないとうのがほとんではないのでしょうか。そして、正規社員と非正規との「待遇差別」もあるあかで、働くことが苦しむ原因になっているかのような事態もできてしまっているようにも見えます。

 自粛を余儀なくされて事業者に持続化給付金が支給されるようになった。その支給時給事業に関して経済産業省では行なわず、769億円で一般社団法人サービス推進協議会に委託、さらに749億円を大手「電通」に丸投げしたというニュースがありました。このお金のながれがおうなっているのか、国会でも審議されていました。けっきょく、税金という庶民の汗の結晶を使うのも、大手が利益をあげるような仕組みは変わっていないようです。今後は、野党の国会議員の人たちがその税金の使途をどれだけ透明にできるのかが大事なことだと思えます。「アベマスク」のときも、マスクの発注先が不明で、なぜそうなったのか国会でも追及いましたが、「藪の中」状態で今も解明されていないという今の状態でしょう。

 どれも手続きも複雑のようで、あきらめてしまう経営者もいるとのことです。本当に支給する気があるのか疑っていまします。そして、その手続きを代行する会社ができたり、あるいは詐欺のような事態も起きているともいいます。いちばん、苦しんでいる人を、さらに足枷をつけるような手続きや書類の書面など簡略化を、ともいわれています。
 いちばん簡単なのは、消費税をやめるとか、もっと具体的に身近にわかるようになることが政治家の仕事ではないのではと思います。今後、新型コロナ禍でいろいろな問題がでてくるでしょう。それを、一つひとつ私たちに知らせる新聞やマスコミの課題は大きいでしょう。それらを追い求めて知らせてほしい。


 東京に初めて来たとき、いちばん目にした花はきっとアジサイだったろうと思う。10代のとき下宿生活をするようになって都内に引っ越した時分、それほど花には興味はもなかったが、なぜか多くの目にしたのはアジサイだったように思える。
 それも、アルバイト帰りの夜道。街灯に照らされてかがやいているように咲いていた記憶がある。塀のすき間から花だけ見たことや、家先の大きな鉢に並んで咲いていたアジサイが印象的だった。
 思い出を語れば、昔は(40年ほど前)都内はもっと民家が多かったように思う。数少ない田舎者同士の下宿を訪ねて、夜中の帰り道たくさんのアジサイの葉を見てかえっていたように思う。特に、目黒区にいたころは、東横線沿いは、いまのようなマンションばかりの町ではなかったように思う。それに、終電がなくなっても、夜道を大田区に帰るきも道も分かりやすかったように思う。だから迷うこともないなか、夜道に咲くアジサイはきれいだった。
 冬の間は、いまにも枯れて死にそうになっていたのが、梅雨時期になると必ず咲いていたいました。

 きっとアジサイという花は田舎の道々さいていても、それほど目立たない花ではないかと思う。なぜななら、自然豊かな田舎道ではアジサイよりももっと多くの花が野草してたくさん見ることができるだろう。都会のせまいすき間から顔を出すように咲いているアジサイは美しいとも感じる。これが田舎道では、きっと通り過ぎてしまうだろうと思う。

 コロナ禍のなかで「新しい生活様式」とうことを多く耳にすることある。なんでも感染症とつきあうことになるようになってから、今後の生活様式をのことをいているのだろうと思う。それぞれの業種別にこれからの注意とことなのだろう。ひとつに、人間同士の密を避けるともある。オンラインやテレワークをしなさいということなのだろう。映画館や買い物などによる密接なことを避けるとでもいいうのだろうか。ならば、駅構内の出店をなくしたりして、人間のいる空間をもっと考えてもいいのではないのだろうか。もちろん、そこに働いている人のはなんのうらみはないが、だれにとっても、歩きやすい方がいいだろうし、スマホで下ばかり見ている人ぶつかって気分を害したくないのだろう。
 おおよそ、朝起きて夜眠るまでの時間まで、あまりにも多くの人たちが交通の発達やインターネット普及によって無理な生き方を強いられてきたことが今の生活様式ではないのだろうか。そして国同士の経済競争がグローバルというなかでしのぎを削っている日々だということを気付かされている。コロナ禍によって、それが色濃く出たのではないのだろうかと思う。

 アジサイの花を見ていると、一年の四季のなかで無理なく、遠慮なく、与えられたなかで静かに咲いては消えていく。それでも、美しいと思える花を咲かせてくれのである。生きとし生けるものもこうありたいと、アジサイは思わさせてくれているように思う時間でもある。「新しい生活様式」というのは、別に力を入れてやることではなく、一つひとつ、人間が明日また元気に働いたりできる環境をつくることを一生懸命に考えればいいことなのではないのだろうか。夕暮れには家族で食事できる、あるいは友だち同士で話ができることが当たりまえに、無理なくできる環境を追求すればいいことなのだろう。それを考えるのが政治家だろう。いまさら「新しい生活様式」とうのではなく、まともに生きられる社会をつくように政治をすることだろう。うらを返せば、それができていないということではないのだろうか・・・。コロナ禍は人間としてできていないことを反省させることを時間を問いかけているように思える。

 路地にそれますが・・・アジサイで思い出す言葉は、作家、林芙美子の「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき 」とい言葉が似合う花のような気がする。まさに今でも『放浪記』となっている都会生活には似合う花だと思える。
 それから『男はつらいよ』シリーズで丹後出身役を演じたのマドンナ役で登場したいしだあゆみさんの「あじさいの恋」がありました。最後の方で、寅さんと一緒に鎌倉でのデートシーンは印象的でした。気持ちの読めない寅さんの気持ちをさっして、身を引いていくなかでも凛としたいしだあゆみさんが印象的でした。


 今年はコロナ禍で新入社員にとっても大変な時期でしょうか。
 最近、再雇用最後の年ということもあって、少しずつ身の周りのものを棄て始めています。辞書などはどうしようかとか、今まで使っていた道具はどうしようとか思う日々でっもあります。そんななかで、ちょっと若い新入社員のことを考えている日々でもあります。
 私が新入社員の時は、いまよりもはるかに先輩のパワハラのようなことは多くありました。それでも、一緒に飲み会に行ったり、仕事を教えてもらったりしながらそのわだかまりは解消していくこともありました。要は、排除することではなくてずーっと仕事をしていくことを考えた末のことなのでしょうか。ひとつの応援でったように思います。

 「すいません」の毎日でもあったようにも思います。それを許して長い間仕事を一緒にできたのも先輩たちのおけげであったようです。いまは、その先輩は誰もいなくなりました。
 今の人たちはどうなるのだろうか・・・ね。コロナ禍のなかで自分のことだけを考えて行動するのに必死な毎日です。そんななかでも、がんばって姿を大切にする職場であってほしいと思います。



 プロ野球やJリーグも無観客ながら試合の日程が出てきました。選手にとっては待ちに待った日でしょう。選手にとっては、グランドでプレーしての選手ですから。
 最近、コロナ禍後の形が言われているようになっています。本当はまだまだでしょう。勝手にそうなっていくの方がウイルスともども怖くなってしまいます。とくに都会ではその危険性は人口密度のせいで高いのでしょう。
 これからも「自粛」の毎日が続くように思えてなりません。
 とはいえ、どんなに注意していても、外へでることは感染するリスクは消えません。それが6月も続きそうです。
 
 これは、格好良くいえば全人類に課せられたこれからの問いでしょうか。経済グローバル化によってつくり上げられた特徴ともいえることでしょう。
 便利のはざまに感染はグローバルになってきたということでしょう。その地域ごとのものが消えていく時間がきたのかもしれません。
 私にとって初めてのことでしょうから、つきあっていくしかないようです。だから、私の新しい生活様式はなにもこの期におよんでやることではなく、これまで以上に自分の体に無理をさせないことからはじめることぐらいしかないのでしょう。
 それでは今週はこの辺で。
 気をつけましょう、特に人口密度をたけめてしまう電車のなかは・・・。
 読んでくれた人、ありがとうございました。