日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

ゴールデンウィークまじか…

2011年04月23日 | Weblog


※久しぶりに東の空に虹をみました……………………………………………………。

 4月も、もう終わりです。そして3月11日の大震災からおよそ40日がたちました。通勤路で空を見上げると、今年もツバメが巣づくりをしていました。今年も、パン屋の軒下にいました。

 今月は日本全国、大震災で「自粛ムード」が先行し何をやるにもすこし引いての行動であったように思えます。

 さすがに自然の前では、無力な人間。これまでに多くの犠牲者をだしてしまいました。亡くなった方の多いのには驚きます。いまだに、その行方がわからない人もいるといいます。一日もはやく消息がわかり、次へ一歩がふみ出せる日がくることを願っています。

 私の心もなんとも沈滞ムードは隠せません。今でも、なにをやっても、心の片隅には地震のゆれがいつも身体を駆け巡っているような毎日にはかわりはありません。

 さて月末は「今月の読書」です。
 4月は小説を読んでいました。
 とくに、佐藤泰志が気にいり読んでいました。小説はときとして、読者に現実よりリアルに創造力をふくらませる効用があるようです。
 かと、いって小説の中に埋没するほど若くはありません。大切なのは、本当に聞こえる生の声や音。肉声を通じて感じる自分です。
 人生には悲喜こもごもあります。それがどんな時か…。そしてそれがどんな人生をつくりあげていくのか…。大切なことだと思います。

 小説はその一部分の「道具・参考」のようなところです。なぜなら、生身の人間はそれ自体が自分の小説の主人公でいるからでしょう。読んでとくする、楽しくなる小説もいいですが大切なのはどんな困難にあっても自分の生き方をいかにつくっていくのか…ということだと思います。

 本でも人でもめぐりあいです。そのめぐりあいをつむいでまた、新しいめぐり合いをみつけます。そんな一冊を探すのもいいです。






◎海炭市叙景(佐藤泰志/小学館文庫)
※人生は愉しむものだよ(P160)
※三十にならない前に、自分の人生が見えてしまっても、もうとうこういうことが、朝野球で海炭市一になりたい(P184)
※彼は来年ま、五十にもなるというのに、八畳と六畳のアパート暮しだ(P245)
※海炭市の歴史?そんなものより、俺の家のありさまの方が先決だ(P246)
※啓介は自分の肩書きを考えた。課長補佐。二十九年、来る日も来る日も失業者相手に働いたということだ(P266)

 4月はどこの企業も「入社式」を行われるだろう。そして、新年度事業計画のなかで一年間の仕事の量と働き方がおおよそ決まって日々をそのプランニング通り消化していく。
 しかし、今年はそうはいかないようだ。なぜなら、未曾有の大震災が起き、多くの企業はかの被害をこうむっているからだ。年度始めの仕事はこの震災からのどう立ち直り、目標を立て仕事をしていくか…ということになった。
通常なら、出来立ての名刺をもって外回りをしてたくさんの人に自分の名前を覚えてもらうのが4月だったはずだ。今年は、まず自分のところの会社立て直しから始めるということになってしまった。

立て直しができる企業はまだいい。再建もできず、倒産する会社も多い。そんな中で「頑張ってください」ほどむなしいものはない。何に頑張るのだ?となってしまうからである。

 佐藤泰志の「海炭市叙景」の小説では多くの職業を登場させ、そこで働く人達の物語を描いている。ある意味「労働者文学」ということといえると思う。藤沢周平が江戸時代の市井小説を描いたように、佐藤泰志は現代の市井小説を描いた小説家であるといってもいいと思う。

 自分の仕事を通じて多くの人とのかかわりを描き、さらには時代の流れに翻弄される労働者たちを描いている。そして、人と仕事のかかわりのなかでどんな人生をつくってきたかを読者の語っているのだと思う。

 人生の中で最も多くいる仕事のなかで、仕事をどう考えていたかを反省させる小説でもあるように思える。働きながら何を大切にして、何を捨ててきたのかも一度考えさせられる小説でもあるように思えた。

 最近この小説の映画化になったようです。(以下は紹介文)

北の町に暮らす人々を描く悲運の作家の遺作
「海炭市叙景」は、90年に自死を遂げた作家、 佐藤泰志(1949-90)の遺作となった短編連作です。海に囲まれた北の町、「海炭市」(佐藤の故郷である函館市がモデルです)に暮らすさまざまな人々 の日常を淡々と描き、落ち着いた筆致の底から、「普通の人々」の悲しみと喜び、絶望と希望があざやかに浮かび上がってきます。この作品が執筆された当時は いわゆる「バブル」時代でしたが、地方都市の経済的逼迫はすでに始まっていました。20年の歳月を経て、佐藤泰志が描いたこの作品内の状況は、よりリアル に私たちに迫ってくると言えます。
 函館市民たちが主導した映画(熊切和嘉監督・加瀬亮、谷村美月、小林薫、南果歩などが出演)の公開は2010年12月の予定。映画化をきっかけに、心ある読者に愛されてきた幻の名作が、ついに文庫となって登場します。


◎そこのみて光輝く(佐藤泰志/河出書房)

佐藤 泰志 (サトウ ヤスシ)1949-90
1949-1990。北海道・函館生まれ。高校時代より小説を書き始める。81年、「きみの鳥はうたえる」で芥川賞候補になり、以降3回、同賞候補に。89年、『そこのみにて光輝く』で三島賞候補になる。90年、自死。


◎父への恋文(藤原咲子/ヤメケイ文庫

新田次郎の作品でいちばん好きな小説は「孤高の人」だろう。山岳小説の第一人者らしく山に挑む男の気持ちをみごとに描いた作品だと思う。歴史小説では「武田信玄」だろう。
 今ではその内容まではとうに忘れていて、どんな感動もとに読んだか思い出すことができないのが残念。
 
 「父への恋文」は新田次郎の父親像を書いている。作品が生まれるまで、どんな苦労をしたてきたのか娘の目にうつった作家新田次郎ではなく、父親としての新田次郎を語っているエッセーでもある。さらに、熱烈な読者の一人としてのエッセーでもある。

 一つの作品が発想から作品にうまれるまで、娘の目からみてきた細かなことを書いているところも面白いと思う。そして、自分の成長をち父親としてみてきた新田次郎とのエピソードもいい。

 家族との一員として、ひとつ屋根の下に住んでいると幻想も、美辞麗句もない。あるのは、淡々とした作家を仕事してきた父の姿でもあったはずだ。苦しんでいるとき、悲しんでいるとき家族としてどう励ましあい乗り越えていったのか…。ベストセラー作家の家庭像でもあると思う。

 ただ、残念なことは、あまりきれいごとばかりで生きている間におこるであろう父親への憎しみ、悲しみがないなあ…と思った。
家族であれば、一つの暴言によって1か月近く口も聞かなくなることもあるはずだ。事実、私の家族でもそんなことはよくある。「また、やっちまった!」という間も無く、父は罵られ、軽蔑され口も聞かなくなる。あげくの果て父は「孤独」にうちひしがれる…。そんなとき、どう家族を立て直してきたのだろうかと思う。

◎いのちと放射能(柳沢桂子/筑摩書房)


 今、日本は3月11日の大震災以降、放射能のさらされているのが現実です。それも「制御不能」になった原子力発電所によってです。これまで、原子力エネルギーを意識せず消費してきたことがいかに危険なことだったのかと反省のまえで茫然自失の状態です。発電所20km圏内は「警戒区域」として強制避難され、村自体が消えていく状態でもあります。そこに住んでいた全てに人々の思い出や人間関係までが放射能によって葬られていってしまうかのようです。

 以前、私の好きなSF映画に「猿の惑星」がありました。最後のシーンに、宇宙に飛ばされたただよったあげく不時着した星が猿に支配されていた地球という作品があります。主人公のテイラー(チャールトン・ヘストン)が海岸を馬にのって走っていく最後のシーンこそまさに核戦争後の地球のように思えます。さらに、自分が住んでいた土地から遺跡のように現れた自由の女神…。その後、何作かできます。人類が滅亡して猿の惑星になってしまった理由が「放射能」だったことを暗示させている映画だった思います。
 
 いままさに、映画のシーンではありませんが20km圏内の町や村が無人化しています。人間はなんと恐ろしいものを作ったと思います。

 「いのちと放射能」という本はこのシーンを作らないために読まれるものだと思います。
人間が何十億年もかけてDNAをつくりあげ、受け継がれ来た人間のながい歴史…。人間がいかにひよな存在のなかでいまの人間に進化してきたのかが冒頭に書かれています。何千キロという旅をしてきた人間の遺伝子がいかにいまの人間のかたちをつくりあげ成長させてきたのか。気のとおくなるような歴史のなかで地上に立つことになるか、とう問題を大変な熱意をもって書いています。

 そのなかで、放射能が人間の肉体にとってどれだけ有害かも述べています。これまでの数十億の遺伝子の歴史を一瞬にして破壊するのが放射能であるということ…。放射能に非常に弱い動物でもあるのです。

 最後には原子力エネルギーに警告を発しています。いままで謳歌してきた原子力エネルギーとの訣別が人類の生き残る道だとさえ言い切ります。これまでに起きた事故の検証から人間の欲望とそれに賛成してきた人類への反省を訴えてもいます。

 そろそろ、原発なき社会への「不便さ」を克服することを覚悟していきていく人類が必要のだといいます。それはなぜか…。放射能が危険だからです。
その危険生を平易な文章でかかれてある一冊です。
 この本はおすすめです。なぜなら、これから誕生するであろう遺伝子を持つ子どもたちのために大人の覚悟も必要になってくるのではないかと思うからです。

柳澤 桂子(ヤナギサワ ケイコ)
1938年東京生まれ。60年お茶の水女子大学理学部を卒業し、アメリカに留学。分子生物学の勃興期に立ち会う。63年コロンビア大学大学院修了。慶應義塾大学医学部助手を経て、三菱化成生命科学研究所主任研究員としてハツカネズミの発生の研究に取り組む。30代より激しい痛みと全身のしびれを伴う原因不明の病に苦しみ、83年同研究所を退職。以来、病床で多数の科学エッセーを執筆。主な著書に『二重らせんの私』(ハヤカワ文庫)『生きて死ぬ智慧』(小学館)『癒されて生きる』(岩波現代文庫)『母なる大地』(新潮文庫)他多数。


◎黒い雨(井伏鱒二/新潮文庫

 今月最後の一冊です。まだ読みかけですが紹介します。
最初に、「黒い雨」という映画(今村昌平監督)で主人公を演じた女優の田中好子さんが21日にガンで亡くなりました。なんの因果か私が読み始めた「黒い雨」読み終わらる前にその存在の大きさに驚きました。
心からご冥福をお祈りいたします。

 また、きっと、どこかで、いつか「黒い雨」をみるでしょう。

 さて、読みかけですが「黒い雨」は広島原爆によっておこされた悲劇でもあります。また「風評被害」で苦しむ主人公の物語でもあります。
感想は来月にします。

では、では長い下手な文章をお読みいただいてありがとうございました。




 今週、会社で「健康診断」がありました。
 半世紀も生きていると、体のどこかにきっと異常があるのかもしれません。私にとっては時々やってくる腰痛があります。おおよそ、私の体は成長するより老化する一方なのでしょう。老眼もそうですし…。

 それでも、これらとうまく付き合っていかなかればいけないのが現実です。大切なのは、こうしたものが出たときに自分なりに工夫して日常生活をつくっていくことなのだと思います。

 例えば、休日には出来るだけ普段歩いていない分ゆっくり時間をかけて歩く…とか、煙突のようにタバコをすっているの本数を減らすとか…などあります。歩くことは好きなので何時間でも平気なのですがタバコは無理なのでしょうか。
 健康診断では「タバコと酒はとくに一緒に飲まないで下さい。1プラス1が3にも4にもなるほどガンになる速いのですから…」ともいっていました。こわいですね。

 私の年代はこれからは生きていく時間よりも死に近づいていく時間の方が速いです。これは避けられない現実でもあります。そんなことを思うと、これからはガマンするより自分ができる楽しみは健康につながっていくものであればやっていきたいと思います。

 例えば山歩き…、低い山であれ、高い山であれ一歩一歩歩くことには変わりません。あとは、計画がどこまでより具体的か…ということのなのでしょう。
 要は続けられる計画に自分がでつくる…ということ。
 健康診断で「再検査」なならないように…願いつつまた頑張ろうと思います。

 ちなみに休日(5月連休)には近くの山を歩いてみたいと思っています。また、今年、お彼岸に墓参りができなかったので行ってみたいと思っていますが。
もう一つ、神田川を下流から上流まで歩くか、甲州街道を新宿から住んでいるところまで歩きたいと思っていますが…。

 さて、連休はいかがお過ごしでか…。


たまたま読んでくださった方ありがとうございました。

上を見て進んでいきたい、花見で思う…

2011年04月19日 | Weblog


※近所の公園に散歩途中、子どもの成長を楽しんでいる家族がいました。
とても、楽しいそうな花見に見えたので撮ってしまいました。


 桜の花も散りはじめました。
あと1週間くらい遅いとのんびり見たかったのですがそうもいかないのが現実のようです。自然と一緒に生きる…というのは難しいものです。
 今後、桜は北上していくのでしょう。

 東日本大震災も少しずつ時間が経過してきて、現実の厳しさを伝えてきます。そして、自然の前では人間がいかに無力かということをあらためて痛感させる1か月でもありました。人間が自然への怖れを謙虚に向き合うときが必要なのだな、ということ考えました。こんな時だからこそ、人のありがたみや醜さが身近になって私自身の問いかけることが多い1か月だっともいえます。

 14日に宮城県仙台空港が動きはじめたそうです。ディズニーランドも開園されたようです。仙台空港でインタビューを受けたサラリマーンが涙をこぼして答えていたのが印象的でした。
 今は、こうして当り前になることが実に大変なのだと思えました。

 仕事をしているとき、一人で散歩をしているときや家族といる時、親しい友人といるとき等などを振り返ってみると、私を支え、ともに歩んでいきたいと思うことも大事な人たちが、おのずと答えが見つかってきます。
 日頃、なんとも思わなかった日常の通勤途上での様子も少しずつ震災まえの景色を取り戻してきたように思えます。
 毎日見てきた光景に電車内での足をのばして座っている高校生、髪をそめてジャンパーからジャケットに替えたサラリーマン、あいかわらずうるさいアメリカンスクールの学生がうるさい人たちと思っていた日常がまた少しずつ少しずつ戻ってきたことに「うれしさ」を感じてしまう自分がいます。

 私の目の前に変わらないこと、変わってほしいことが明らかになってきたように思えた。
 変わらないでいてほしいこと…。これまでどおり、日頃のうっとうしさ、毎日通勤で顔をあわすサラリーマン。そして、私がいまいちばん親しく、やさしく話せる人、家族…友だち。

 変わって欲しいこと…原発の安全神話の現実。原発の電力に頼っていることからちがうエネルギーへの転換。さらには、原発で利益を得ている人たちへの政治のありかた。3月11日以降、原発への危険は誰もわかってきたように思う。人の制御などもろともせず、放射能を生む原発の危険性もみんな身をもってわかってきたからこそ思える現実。東電社長が「1~4号機は廃炉にする。6号機については未定」としている。安全か危険かの綱引きがここでもうすでには始まっている。今の実態を見れば明らかに原発は廃炉にすべきことがわかってくる。しかし、この現実を忘れたかのようにまた変わるかもしれない…。

 万物は流転する…。それは人間にとって、安心・安全ということが大前提。さらには自然に謙虚になることから考えていくことが大切なのだと思う。
 今は、「いい方に変わってほしい」ということは、常日頃の努力がチャンスをつくっている…ということを確認した一日でもありました。それを怠ったのが福島第一原発。

 いずれにせよ、地震に放射能(レベル7)と日本をとりまく状況は悲しいほどいいことがない。でも、こんな中でも身の回りを眺めてみると、必死に生きていこうとして人たちの姿は、私を励ましているように思う。写真にもありましたが、小さな生命を家族が励ましている姿は、印所的で感動的…。そんな姿をあちこちで見れる桜のシーズン。「きっと、これからはいいことがあるよ…」と信じて、上を向いて歩んでいきたいと思っている。


今週は休みます。すいません。



 12日(火曜日)でした。
いつものように通勤電車のなか、突然、「キューキュー」というけたたましい音。携帯電話の地震警報の音だった。それも、多数から大音響が一車両内で鳴る。…と思いきや電車がゆっくり揺れだした。オー…。来たか地震。こんな状態がいつまで続くのか…。

 それでも、思えばひと月前は、計画停電で電車の運休が相次ぎバス通勤や徒歩で1時間も歩いて帰った通勤路だった。それを思えば、今はおおよそ時刻どおりに電車は動いているし、放射能の水で一時は確保するのもむずかしいほどだったが、今はどうに確保できるようになっている。それでも、「不安」はまだ忘れてしまうほど解消できていないのは事実だろう。

 今週は仕事で日曜の夕方からの出勤があった。仕事が終わったのは午後10時。
 日頃この時間はテレビでもみてくつろんでいるころだ。毎日、通勤で利用する電車もガラガラ…。静かなので、電車が線路の鉄を削って走っているのが聞こえるぐらいだ。キーキーと車両をつなぐ鉄がぶつかっているのも聞こえてくる。

 ふと…、いまごろ福島第一原発では東電の下請けや孫請けといわれる社員が命がけで修理にがんばっているのだろうなあ…と思った。それも、鉄ではなく生命を削っているのだろう。なんとも理不尽な仕事だろう。

 鉄は削れてもいい、取り替えればばすむ。しかし、命の取替えはできない。まして、人ひとりの人生は永遠に取り替えられないのだ。そんなものをつくったのも人間なのだ。
思え返せば…25年前チェルノブイリで同じような事故が起きている。その反省が現在全然活かされていないのだろう。

なぜ…。誰が、何のために…。そんな反省が、ことが重大であればあるほど問われなければいけないはずがなかったのだろうか。

身近なことから反省するクセが大切なのだろう。

※今回は、週末の花見大会、日曜出勤などで更新が今日になりました

 ちなみに、花見は大変楽しく、うれしさいっぱいで、楽しかったです。
 しかし、夜は寒かった!!きっとカゼなどひいた人もいます。日頃の
鍛え方がタランのじゃ…。若者よ身体を鍛えておけ。あとあと、いいで
すよ。これで、悲しいかな桜の見納めでした。いつまでも、落ちいく桜
の花びらをゆっくり眺めていた一日でもありました。

 日曜出勤は、それなりでした。まあ、仕事ですから…。

※最後に詩をかいてみました。

「深夜電車」
電車が線路を削って走りつづけている
静かな日曜の深夜

それぞれの目的を乗せて走っている
合わせのにぶい車両がうめいている
うなり声のようにも聞こえる

元気に対抗車が太い光の線をつくって
消えていった

街角に人の顔が
路地にビーだまをもった私が
三叉路に恋人たちが
立ちすくんでいる

そのあとには人々の思いが
造られては消え
創られては消え
進んでいく光のようだ

光と陰になって消えていく
そして
物語はできあがっていく




たまたま読んでくださった方ありがとうございました。
それは、また来週…


今年も桜を見ることができました…

2011年04月10日 | Weblog


※武蔵野中央公園



※国際キリスト教大学の脇・坂道



※武蔵野中央公園



※多摩川の土手散歩道・これから花見の準備の真っ最中!




 関東地方も桜が満開の状態になりました。東日本沖大地震の余震もまだあります。だからでしょうか私の住む市内でも今年は「自粛」ということで「桜祭り」が中止となりました。
 こんなときにまた余震の影響で事故でも起きたら困るからでしょうか。なぜか管理一辺倒な世の中になっていく様子が、自然災害とともに恐さを感じています。
 地震は止まれ!福島第一原発は停止!と毎日思っているのですが、まだまだ続きそうです。ここは、くじけないことを肝に命じていくしかないようです。

くじけない、心をつくるためにも華美なことよりも、淡々と自然とのかかわりを考えてしまいます。
 自然には謙虚にむかい、怖さを知る機会となったような気がします。自然に身をまかせる…しかないようですが、そのなかで逆にうまく自然を楽しめるのも人間です。



「東京物語」小津安二郎監督/1953年作品DVD
(今週はCDの私の思い出の歌・紹介ではなくDVDの紹介にしました)

あらすじ - 東京物語

周吉、とみの老夫婦は住みなれた尾道から二十年振りに東京にやって来た。途中大阪では三男の敬三に会えたし、東京では長男幸一の一家も長女志げの夫婦も歓待してくれて、熱海へ迄やって貰いながら、何か親身な温かさが欠けている事がやっぱりものたりなかった。それと云うのも、医学博士の肩書まである幸一も志げの美容院も、思っていた程楽でなく、それぞれの生活を守ることで精一杯にならざるを得なかったからである。周吉は同郷の老友との再会に僅かに慰められ、とみは戦死した次男昌二の未亡人紀子の昔変らざる心遣いが何よりも嬉しかった。

 尾道に居る末娘京子からの電報が東京のみんなを驚かしたのは、老夫婦が帰国してまもなくの事だった。脳溢血である。とみは幸一にみとられて静かにその一生を終った。駈けつけたみんなは悲嘆にくれたが、葬儀がすむとまたあわただしく帰らねばならなかった。若い京子には兄姉達の非人情がたまらなかった。紀子は京子に大人の生活の厳しさを言い聞かせながらも、自分自身何時まで今の独り身で生きていけるか不安を感じないではいられなかった。

 東京へ帰る日、紀子は心境の一切を周吉に打ちあけた。周吉は紀子の素直な心情に今更の如く打たれて、老妻の形見の時計を紀子に贈った。翌日、紀子の乗った上り列車を京子は小学校の丘の上から見送った。周吉はひとり家で身ひとつの侘びしさをしみじみ感じた。
登場俳優:笠智衆/東山千栄子/原節子/杉村春子/山村聡/三宅邦子/香川京子
/東野英治郎/中村伸郎/大坂志郎


 感想…………………………………………………
 観て…初めに思ったことは「人間で悲しいなあ」ということでした。人生わずか云十年…。その中で、いろいろな人とめぐり会い、世話になったり、お世話したりと。そのなかで、いちばん自分を理解いしてくれる人に逢う。

 それが人生の起点の一つ。
 家族ができ、親戚ができ、友だちができる。時代のなかで翻弄されつつ生きてきた。その結果、いちばん自分を慕ってくれる人が、あかの他人様だったとは…。人生はそんなものなかもしれない。みなそれぞれ家族になる前は、一人ひとりの他人のあつまりなのだから仕方のないことだと思う。

 この映画でも、家族である子どもたちよりは、次男の嫁(原節子・紀子)がちばん正直で義父をいちばん思いやる。しかし、義父が次男が死んで8年、そろそろ紀子さんも次男を忘れて、新しい人と結婚を考えてくださいと説得する。
 母も生前に紀子におなじようなことを言われた。紀子は自分のずるさを正直に義父にうちあける。

 親のあり方、家族のあり方が映し出されているのだと思う。結婚して、新しい家族をつくる子どもたちが、つれ合いに他人が入るためだんだんよそよそしくなってしまうのは、どちらも気をつかってのことで仕方がないように思う。子どもたちもまた、自分の息子や娘が結婚すれば同じような経験が永遠につづくのだということを暗示している。

 映画のなかでいちばんよかったのは、両親(笠智衆/東山千栄子)の悲しさが静かに伝わってくるような老夫婦の演技である。さらに、原節子演じる紀子のまだ、夫に死なれ女性としての魅力をまだ残して生きているというところだと思う。謙虚に語る紀子にまだ本当に結婚して幸せをもてない人をみる思いがした…と老夫婦は思ったことだと思う。

 ちなみに、登場人物のなかで尾道で学校の先生役を演じている、紀子役の原節子、末娘役の香川京子しか生きていない。二人以外は亡くなっている。

 いま、大震災で多くの家族がなくなったり、奇跡的にも全員が助かったりと…家族を様子が新聞に報道されている。人間のさがなのか、不幸に遭遇しないと本当の家族のありがたみを感じないように思える。しかし、そんなときこそ、他人以上に力を発揮するのも兄弟家族だと思う。それが、生きている人間の悲しさなのかもしれない。それでも、楽しさを追求するのも生きている証とばかり頑張るのも人間だということを忘れずに…

 何かの機会があったら一度みる価値はあります…

※「朝日新聞」の最終ページ面に「ニッポンみんなで・いま伝えたい被災者の声=写真付き」をみると、それぞれの思いや家族の形があります。家族で避難した家族の声、家族を亡くした人の声…。とても読みごたえがあります。助かっても苦渋の選択のなか生きていくしかない。それでも、生きる意味を淡々と語る人…。避難先で自分のことをふと、振り返ってでてくる言葉がいいです。




 つづきそうです…。
3月11日以降、M5以上の余震が460回以上だそうである。また、M7以上の余震は4回。今後、どれだけ地震がつづくのか…と思うとやるせない思いがある。
 こうよくない現実が毎日続くと、人間の力などははかないものだと思う。やはり、そんな微力な人間のできることは、生きている間は、お互いが支え合うことでふんばっていくしかないのかとも思う。

人生一度だけ!…と思うと、自分がこんな時に怒り、誰かを恨んでも仕方がない。
 逆に自分にとってこの地震は乗り越えなくてはいかない試練なのかもしれない思うしかないようだ。

 福島第一原発の事故。どれだけ「安全」といわれても、もう信じることができない原発だ。事故は「想定外」などといわれて、死の恐怖を、一企業の利益のために犠牲にしたいと思わない。たまたま、この企業につとめた技術者達は今まさに「命がけ」で復旧作業の仕事をして頑張っていることはわかる。それにしても、これほど、漁業(北茨城沖でとれたコウナゴの買取り拒否)、農業(福島など原発周辺でとれた野菜出荷不可能)など、市民生活への多大な被害(風評被害)での破壊力はすさまじい。それも、ジワジワとである。さらには、労働者への採用が停止、生産停止、倒産などと経済影響もすさまじい限りだ。さらに、生活保護世帯が多くなってきたという。

 また「計画停電」。この夏は「輪番操業案」が出てきた。各企業ごとに、操業する時間や日を設定するとうう方法だそうだ。
 操業時間の短縮や休暇の分散化など。
 これも、公共企業(ライフライン)などが優先されていくのだろう。中小、零細企業に勤める私のところなどはいったいどうなるのかと不安が頭をよぎるのは考えすぎだろうか。

東電の顧問の榎本聡明は「原子炉を冷却し、廃炉に不可欠な核燃料を取り出しに着手するまで約10年かかる…」と。(毎日4月7日)原子力とはいったいなんだと思う。まして、原爆の怖さを世界一知っている日本人なののに。こんなものをつくりあげてしまって…。
 原発震災は、いまにはじまったことではないと…いまさら思う。これらを推進・容認してきた人たちの責任も大きい。まして、原発というモンスターと暮らしている日々に生活をしていることを忘れていたわけではないが反省が必要だろう。

 いま、私がいちばん大事なことは、肩書きなどではないと思うときだろう。一緒に考え、働き、前へすすむ人たちとの一歩だと思える。こんなときだからこそ、ありがたい訓示などよりも、日々の不安を語り、一緒にがんばろうという身近な人たちなのだといまさらながら思う…。

◎…………………………………………………おまけ…◎

「雨にも負けず」(宮沢賢治)

雨にも負けず、風にも負けず
雪にも、夏の暑さにも負けぬ、丈夫な体をもち

慾はなく、決して怒らず、
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と、味噌と、
少しの野菜を食べ
あらゆることを、

自分を勘定に入れずに
よく見聞きし、分かり、そして忘れず

野原の、松の林の陰の、
小さな、萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば、
行って看病してやり

西に疲れた母あれば、
行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば、
行って、怖がらなくてもいいと言い

北に喧嘩や訴訟があれば、
つまらないからやめろと言い
日照りの時は涙を流し、
寒さの夏はおろおろ歩き

みんなに、木偶坊(でくのぼう)と呼ばれ
褒(ほ)められもせず、苦にもされず
そういうものに、私はなりたい



たまたま読んでくださった方、ありがとうございました。

まだまだきびしい環境ですが、一歩、一歩前にいけるといいと思います。
 今日は都知事選挙投票日。静かな選挙戦でしたが…投票者はヤル気のある、私にとって、労働者にとって代表となってくれる人に投票したいと思います。結果はどうあれ、それが私の今の気持ちの一票です。
ほんじゃ、また来週…




緑は光をめざして生きている…ことを信じて。「黙とう」ではじまる!!

2011年04月03日 | Weblog


 4月に入りました。桜の開花だよりも身近になってきました。この時期、季節は温かくなってきて植物はどこそこで芽吹いてきます。春ですね…。
 さて、学校や企業、役所では入学式やら入入社式、入所式と若い力がみなぎる季節ともなってきました。東北太平洋沖大震災で未曾有の災害を受けた東北、宮城、福島、岩手でも入所式が放映されていました。「こんな時期、いまいちばん大事なことは若い人の力、頑張ってください。被害者も期待しています」と新採用の若者に声をかけていた人が印象的でした。
…………………………………………………
 いずこも、大事なのは若い人の活躍…。まっさらな気持ちで新しい大地を築いていこうとする気持ちがどれだけ年配者の励みと力となるか、私も期待したいと思います。
 ましてこんな時期、不幸にもこんな大変な時期に採用されたことを「不運」と思わず目の前の仕事を淡々とやっていくことしかない気がします。その仕事が、あらゆる真摯に頑張って働いていく人たちとも連帯につながるものであると思います。今、できることを仕事として頑張ることしか「復興」はありえません。
…………………………………………………
 そして、自分のいまやっている仕事がどれだけの人達の役にたっているか、深く考えてみる季節でもあるのです。なぜなら、被災された人、職をなくした人に働いている人が目標(復興や再びもとの仕事つく)の見える仕事に頑張っている姿しか希望を与えないと思うからです。それが、今できる私の復興でもあると思うからです。

 3月11日以降、少しずつですが今回の東日本大震災での被害全容が明らかになってきています。大津波による、多くの犠牲者が日をおって増えていくことで、この重大さがわかってきます。さらに、福島原発での事故が放射能被害をつくり、食物や水という人間が基本的に必要な部分にまでおよぶ風評被害と、人災がますます人々の不安に拍車がかかっています。また、このことによって、経済活動にも不安定さをましていることも現実です。これが、今の社会のどこにでお起こりうる問題を全世界に警鐘を鳴らしていることも事実です。それが証拠に世界中の原発依存の国々が日本の現状のついてあらゆる技術協力をさしのべています。
…………………………………………………
 震災後の新聞のなかには「今の社会をどうみるか」という視点で多くの記事が載っている。私の好きな内山節(哲学者)の抜粋記事をここに紹介しておきます。

時代を読む・システム依存からの脱却」より内山節
(東京3月27日


 …略…今日の私たちは、さまざまなシステムに依存して暮らしている。電機をはじめとするエネルギーの供給システムもそのひとつだし、携帯電話やインターネットなど情報通信システムに私たちは依存している。医療システムや年金・社会保障システム。多くの人々が企業システムのなかで働き、その企業は市場システムに依存する。子どもたちは教育システムのなかで暮らしている。

 ところがそのシステムは、何らかの想定の範囲内で維持可能なように、設計されているのである。ある程度の経済成長がつづくと想定の上に、市場や年金・社会保障システムなどが設計されているように、あるいはエネルギーや通信回線が維持されているという想定にもとづいて、今日の社会システムが設計さているように。
 
 原子力発電もそのひとつであった。これ以上の地震は発生しないという想定にたってシステムは設計されていた。
 ところが今回の大震災もふくめて、この数年に世界でおこっていることは、システムの前提になっている想定が人間の思い込みにすぎなかったという事実の暴露であった。そうした想定と現実が合わなくなったとき、市場システムも、年金・社会保障システムも、混乱をめせはじめた。

 この事態に対して現在の体制を守ろうとする人々は、システムの維持や復旧に全力をあげようとする。フランスなどの国々が、反原発意識の高まりに警戒心を示すのも、現在のシステムの維持に目的があるからである。

 ところが今回の災害時にも示されるように、「想定外」の事態がおこり、システムが崩壊したとき助けになるものは、人々の冷静な行動であり、支え合おうとするひ人々の意志と働きである。福島の原発でも、これ以上の災害をくいとめようとしているのは、電力システムではなく、自己犠牲的に自分の労働を提供する人々がもたらしている。被災者を支えているのも、他者のために頑張りつづける人々の努力である。

 想定にもとづいてつくられたシステムは、想定外の事態にがおきた瞬間に崩壊する。それに対して、支え合い結び合う人間たちの働きは、どんな事態でも力を発揮する。とすると未来の社会は、どんな方向にむかうべきなのか。…略…私たちに求められているのは、人間の結び合いが基盤になるような社会の想像である。

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 と、今生活している私たちの便利さの「危うさ」を述べているように思います。そして、今の社会のありかたへの警鐘であるのでしょう。

※このこれまでの震災記事スクラップは落ち着いたら整理したいと思います。



 いよいよ2011年新規事業が始まった。どんな仕事が展開されるのか、どんな人とめぐり合うのか、予算はどうなのか…など不安な日々はつきない。さらに、東日本大震災、福島原発事故と数年にもおよぶと復興と事故処理、と先がまったく見えない状況のなかのスタートだった。

 それより、今回の大震災で日々増える犠牲者の多さだ。まだ全容がわかっていない状況のなかでさらに多くなるのは確実な状況が続いている。そんな中の新年度開幕。

 きっと、この震災・原発事故によって犠牲者の中には私たちの仕事と係りをもった人もいるのだろうと思う。さらには、いまだに自分の親戚や親友の安否も気になる。また、自分の住んでいるところの被害もあった人もいたことだろう。

 そんな中でのスタートだった。今年のスタートはまず「黙とう」で始まった。すべての犠牲者やこれからさらに出るであろう死者に、そして復興をめざしているすべての頑張りに静かに一分間黙とうのスタートだった。

 世界中の注目をあびている日本という国はいったいどこへいこうとしているのか?と思った。
こんな中でも、復興をめざしているところであっても新学期、入所式、入社式が行われた。こんな時期だら自分のやっている仕事の本質・大切さを思う原則が思い出される。被災地で操業をしている会社も場所を変え、時間をかえ行われた入社式の挨拶でも自分が今からやろうとしている仕事の本当の意味が話された。

 小売最大大手のセブン&ホールディングスの鈴木敏文会長の挨拶は多くの震災で亡くなった遺影を掲げ「災難をはねのけて、幸せな日本をつくる一助になってほしい」と。また、スポーツメーカーのデサントの中西社長は「我々はスポーツを通じて世の中を明るくする使命がある。逆境を乗り越えてほしい」と述べた。それぞれ、自分のやって仕事の大きな目標(目的)が挨拶されたように思う。

…では、私の仕事は誰を幸福にしようとしているのか改めてその目的を深く考えされた一週間であった。
 まだまだ、災害途上、解決の道筋は遠いかもしれない。
 それも今、緑は光にむかってまっすぐに伸びようしているのが自然の偉大さである。そう思うと、私たちも頑張れねば…と思う。

 暗い話ばかりではなく、集まったときは明るい、楽しい話もしてみたい。今月中旬、会社の仲間と花見の計画中だ…。

 暗いことばかりでは先が見えない。小さな場所でもいいから、少しずつ楽しい話ができるようになって欲しい4月でもある…。
 そう思った4月はじめだった。
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◎考えさせられたコラム記事

●学者の責任(山口二郎・東京4/3「本音のコラム」より)
原発事故は、学問と学者の責任を問うている。本当にそうだろう。今回のような事故は「想定外」だといいそうだが、それにしても推進してきた学者の責任は非常に大きいと思えた。
●震災下での新聞の役割(谷口尚子・東京4/3「新聞を読んで」)
インターネットが普及していても、多くの人に震災の安否状況や被災者への援助情報を誰でも見ることができる新聞は大きな役割がある。
新聞は多くの人への情報を届ける役割は大きい。さらに、パソコンができない子どもや高齢者にとっては大切な情報源になっていると思う。
●花見を自粛
ゆっくり咲き始めた桜。それを楽しむことを自粛…?。まあ、バカ騒ぎ、たくさんのゴミを出さないければいいのではないかと思う。花を楽しむのは、古来日本の文化。ある意味「命がけ」の通勤、仕事しているわけで、花見は大切だと思う。それぐらいの楽しみがなければ、生きていることの楽しみも消えてしまう。ただ、そのやり方やゴミの出し方などがおかしいだけ。


 たまたま読んでくださった方ありがとうございました。それではまた来週…