※久しぶりに東の空に虹をみました……………………………………………………。
4月も、もう終わりです。そして3月11日の大震災からおよそ40日がたちました。通勤路で空を見上げると、今年もツバメが巣づくりをしていました。今年も、パン屋の軒下にいました。
今月は日本全国、大震災で「自粛ムード」が先行し何をやるにもすこし引いての行動であったように思えます。
さすがに自然の前では、無力な人間。これまでに多くの犠牲者をだしてしまいました。亡くなった方の多いのには驚きます。いまだに、その行方がわからない人もいるといいます。一日もはやく消息がわかり、次へ一歩がふみ出せる日がくることを願っています。
私の心もなんとも沈滞ムードは隠せません。今でも、なにをやっても、心の片隅には地震のゆれがいつも身体を駆け巡っているような毎日にはかわりはありません。
さて月末は「今月の読書」です。
4月は小説を読んでいました。
とくに、佐藤泰志が気にいり読んでいました。小説はときとして、読者に現実よりリアルに創造力をふくらませる効用があるようです。
かと、いって小説の中に埋没するほど若くはありません。大切なのは、本当に聞こえる生の声や音。肉声を通じて感じる自分です。
人生には悲喜こもごもあります。それがどんな時か…。そしてそれがどんな人生をつくりあげていくのか…。大切なことだと思います。
小説はその一部分の「道具・参考」のようなところです。なぜなら、生身の人間はそれ自体が自分の小説の主人公でいるからでしょう。読んでとくする、楽しくなる小説もいいですが大切なのはどんな困難にあっても自分の生き方をいかにつくっていくのか…ということだと思います。
本でも人でもめぐりあいです。そのめぐりあいをつむいでまた、新しいめぐり合いをみつけます。そんな一冊を探すのもいいです。
◎海炭市叙景(佐藤泰志/小学館文庫)
※人生は愉しむものだよ(P160)
※三十にならない前に、自分の人生が見えてしまっても、もうとうこういうことが、朝野球で海炭市一になりたい(P184)
※彼は来年ま、五十にもなるというのに、八畳と六畳のアパート暮しだ(P245)
※海炭市の歴史?そんなものより、俺の家のありさまの方が先決だ(P246)
※啓介は自分の肩書きを考えた。課長補佐。二十九年、来る日も来る日も失業者相手に働いたということだ(P266)
4月はどこの企業も「入社式」を行われるだろう。そして、新年度事業計画のなかで一年間の仕事の量と働き方がおおよそ決まって日々をそのプランニング通り消化していく。
しかし、今年はそうはいかないようだ。なぜなら、未曾有の大震災が起き、多くの企業はかの被害をこうむっているからだ。年度始めの仕事はこの震災からのどう立ち直り、目標を立て仕事をしていくか…ということになった。
通常なら、出来立ての名刺をもって外回りをしてたくさんの人に自分の名前を覚えてもらうのが4月だったはずだ。今年は、まず自分のところの会社立て直しから始めるということになってしまった。
立て直しができる企業はまだいい。再建もできず、倒産する会社も多い。そんな中で「頑張ってください」ほどむなしいものはない。何に頑張るのだ?となってしまうからである。
佐藤泰志の「海炭市叙景」の小説では多くの職業を登場させ、そこで働く人達の物語を描いている。ある意味「労働者文学」ということといえると思う。藤沢周平が江戸時代の市井小説を描いたように、佐藤泰志は現代の市井小説を描いた小説家であるといってもいいと思う。
自分の仕事を通じて多くの人とのかかわりを描き、さらには時代の流れに翻弄される労働者たちを描いている。そして、人と仕事のかかわりのなかでどんな人生をつくってきたかを読者の語っているのだと思う。
人生の中で最も多くいる仕事のなかで、仕事をどう考えていたかを反省させる小説でもあるように思える。働きながら何を大切にして、何を捨ててきたのかも一度考えさせられる小説でもあるように思えた。
最近この小説の映画化になったようです。(以下は紹介文)
北の町に暮らす人々を描く悲運の作家の遺作
「海炭市叙景」は、90年に自死を遂げた作家、 佐藤泰志(1949-90)の遺作となった短編連作です。海に囲まれた北の町、「海炭市」(佐藤の故郷である函館市がモデルです)に暮らすさまざまな人々 の日常を淡々と描き、落ち着いた筆致の底から、「普通の人々」の悲しみと喜び、絶望と希望があざやかに浮かび上がってきます。この作品が執筆された当時は いわゆる「バブル」時代でしたが、地方都市の経済的逼迫はすでに始まっていました。20年の歳月を経て、佐藤泰志が描いたこの作品内の状況は、よりリアル に私たちに迫ってくると言えます。
函館市民たちが主導した映画(熊切和嘉監督・加瀬亮、谷村美月、小林薫、南果歩などが出演)の公開は2010年12月の予定。映画化をきっかけに、心ある読者に愛されてきた幻の名作が、ついに文庫となって登場します。
◎そこのみて光輝く(佐藤泰志/河出書房)
佐藤 泰志 (サトウ ヤスシ)1949-90
1949-1990。北海道・函館生まれ。高校時代より小説を書き始める。81年、「きみの鳥はうたえる」で芥川賞候補になり、以降3回、同賞候補に。89年、『そこのみにて光輝く』で三島賞候補になる。90年、自死。
◎父への恋文(藤原咲子/ヤメケイ文庫)
新田次郎の作品でいちばん好きな小説は「孤高の人」だろう。山岳小説の第一人者らしく山に挑む男の気持ちをみごとに描いた作品だと思う。歴史小説では「武田信玄」だろう。
今ではその内容まではとうに忘れていて、どんな感動もとに読んだか思い出すことができないのが残念。
「父への恋文」は新田次郎の父親像を書いている。作品が生まれるまで、どんな苦労をしたてきたのか娘の目にうつった作家新田次郎ではなく、父親としての新田次郎を語っているエッセーでもある。さらに、熱烈な読者の一人としてのエッセーでもある。
一つの作品が発想から作品にうまれるまで、娘の目からみてきた細かなことを書いているところも面白いと思う。そして、自分の成長をち父親としてみてきた新田次郎とのエピソードもいい。
家族との一員として、ひとつ屋根の下に住んでいると幻想も、美辞麗句もない。あるのは、淡々とした作家を仕事してきた父の姿でもあったはずだ。苦しんでいるとき、悲しんでいるとき家族としてどう励ましあい乗り越えていったのか…。ベストセラー作家の家庭像でもあると思う。
ただ、残念なことは、あまりきれいごとばかりで生きている間におこるであろう父親への憎しみ、悲しみがないなあ…と思った。
家族であれば、一つの暴言によって1か月近く口も聞かなくなることもあるはずだ。事実、私の家族でもそんなことはよくある。「また、やっちまった!」という間も無く、父は罵られ、軽蔑され口も聞かなくなる。あげくの果て父は「孤独」にうちひしがれる…。そんなとき、どう家族を立て直してきたのだろうかと思う。
◎いのちと放射能(柳沢桂子/筑摩書房)
今、日本は3月11日の大震災以降、放射能のさらされているのが現実です。それも「制御不能」になった原子力発電所によってです。これまで、原子力エネルギーを意識せず消費してきたことがいかに危険なことだったのかと反省のまえで茫然自失の状態です。発電所20km圏内は「警戒区域」として強制避難され、村自体が消えていく状態でもあります。そこに住んでいた全てに人々の思い出や人間関係までが放射能によって葬られていってしまうかのようです。
以前、私の好きなSF映画に「猿の惑星」がありました。最後のシーンに、宇宙に飛ばされたただよったあげく不時着した星が猿に支配されていた地球という作品があります。主人公のテイラー(チャールトン・ヘストン)が海岸を馬にのって走っていく最後のシーンこそまさに核戦争後の地球のように思えます。さらに、自分が住んでいた土地から遺跡のように現れた自由の女神…。その後、何作かできます。人類が滅亡して猿の惑星になってしまった理由が「放射能」だったことを暗示させている映画だった思います。
いままさに、映画のシーンではありませんが20km圏内の町や村が無人化しています。人間はなんと恐ろしいものを作ったと思います。
「いのちと放射能」という本はこのシーンを作らないために読まれるものだと思います。
人間が何十億年もかけてDNAをつくりあげ、受け継がれ来た人間のながい歴史…。人間がいかにひよな存在のなかでいまの人間に進化してきたのかが冒頭に書かれています。何千キロという旅をしてきた人間の遺伝子がいかにいまの人間のかたちをつくりあげ成長させてきたのか。気のとおくなるような歴史のなかで地上に立つことになるか、とう問題を大変な熱意をもって書いています。
そのなかで、放射能が人間の肉体にとってどれだけ有害かも述べています。これまでの数十億の遺伝子の歴史を一瞬にして破壊するのが放射能であるということ…。放射能に非常に弱い動物でもあるのです。
最後には原子力エネルギーに警告を発しています。いままで謳歌してきた原子力エネルギーとの訣別が人類の生き残る道だとさえ言い切ります。これまでに起きた事故の検証から人間の欲望とそれに賛成してきた人類への反省を訴えてもいます。
そろそろ、原発なき社会への「不便さ」を克服することを覚悟していきていく人類が必要のだといいます。それはなぜか…。放射能が危険だからです。
その危険生を平易な文章でかかれてある一冊です。
この本はおすすめです。なぜなら、これから誕生するであろう遺伝子を持つ子どもたちのために大人の覚悟も必要になってくるのではないかと思うからです。
柳澤 桂子(ヤナギサワ ケイコ)
1938年東京生まれ。60年お茶の水女子大学理学部を卒業し、アメリカに留学。分子生物学の勃興期に立ち会う。63年コロンビア大学大学院修了。慶應義塾大学医学部助手を経て、三菱化成生命科学研究所主任研究員としてハツカネズミの発生の研究に取り組む。30代より激しい痛みと全身のしびれを伴う原因不明の病に苦しみ、83年同研究所を退職。以来、病床で多数の科学エッセーを執筆。主な著書に『二重らせんの私』(ハヤカワ文庫)『生きて死ぬ智慧』(小学館)『癒されて生きる』(岩波現代文庫)『母なる大地』(新潮文庫)他多数。
◎黒い雨(井伏鱒二/新潮文庫
今月最後の一冊です。まだ読みかけですが紹介します。
最初に、「黒い雨」という映画(今村昌平監督)で主人公を演じた女優の田中好子さんが21日にガンで亡くなりました。なんの因果か私が読み始めた「黒い雨」読み終わらる前にその存在の大きさに驚きました。
心からご冥福をお祈りいたします。
また、きっと、どこかで、いつか「黒い雨」をみるでしょう。
さて、読みかけですが「黒い雨」は広島原爆によっておこされた悲劇でもあります。また「風評被害」で苦しむ主人公の物語でもあります。
感想は来月にします。
では、では長い下手な文章をお読みいただいてありがとうございました。
今週、会社で「健康診断」がありました。
半世紀も生きていると、体のどこかにきっと異常があるのかもしれません。私にとっては時々やってくる腰痛があります。おおよそ、私の体は成長するより老化する一方なのでしょう。老眼もそうですし…。
それでも、これらとうまく付き合っていかなかればいけないのが現実です。大切なのは、こうしたものが出たときに自分なりに工夫して日常生活をつくっていくことなのだと思います。
例えば、休日には出来るだけ普段歩いていない分ゆっくり時間をかけて歩く…とか、煙突のようにタバコをすっているの本数を減らすとか…などあります。歩くことは好きなので何時間でも平気なのですがタバコは無理なのでしょうか。
健康診断では「タバコと酒はとくに一緒に飲まないで下さい。1プラス1が3にも4にもなるほどガンになる速いのですから…」ともいっていました。こわいですね。
私の年代はこれからは生きていく時間よりも死に近づいていく時間の方が速いです。これは避けられない現実でもあります。そんなことを思うと、これからはガマンするより自分ができる楽しみは健康につながっていくものであればやっていきたいと思います。
例えば山歩き…、低い山であれ、高い山であれ一歩一歩歩くことには変わりません。あとは、計画がどこまでより具体的か…ということのなのでしょう。
要は続けられる計画に自分がでつくる…ということ。
健康診断で「再検査」なならないように…願いつつまた頑張ろうと思います。
ちなみに休日(5月連休)には近くの山を歩いてみたいと思っています。また、今年、お彼岸に墓参りができなかったので行ってみたいと思っていますが。
もう一つ、神田川を下流から上流まで歩くか、甲州街道を新宿から住んでいるところまで歩きたいと思っていますが…。
さて、連休はいかがお過ごしでか…。
たまたま読んでくださった方ありがとうございました。