日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

季節は春……もう少しですが?

2012年03月25日 | Weblog


 なかなか「春いちばん」が吹かないですね。どこへ寄り道をしているやら…。いまだに、春は遠し、の感があります。
 今週はすでに「お彼岸」もすぎたというのに、まだ春遠し…です。

 さて、今週はあいも変わらず残業の多い一週間でありました。朝もはやくからでかけては、夜遅く帰宅の毎日です。それでも、かぜも引かず働けたことはうれしいことです。
 職場ではインフルエンザにかかり、久しぶりに職場にかえってきた人もいました。無理が続き、体力を失い、ここぞとばかり、インフルエンザウィルスが症状をおもくしたのでしょう。無事、職場にきた人の顔を見るとなんとも頼もしい感じがした日でもありました。

 しかし、ますます忙しくなる職場環境には相変わらず変りばえのしないものです。これでは桜の開花などみないうちに花見が終わってしまうような気がしました。
 世間では第84回選抜高校野球が始まっていたんですね。そのなかで、21世紀枠で出場した宮城県石巻工高の阿部翔人君の選手宣誓が印象的でした。

「日本が一つになりその苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。だからこそ日本中に届けます。感動、勇気を。見せましょう。日本の底力、絆を」と。
 まさに、今の日本人の一人ひとりに問う言葉だと思います。とくに、政治家の人たちには思います。
そう感動も誰にも語らず、語れない職場…っていうのは、ちょっと異常なのかもしれません。感動は伝えたいし、伝えてもらいたいものですから…。
 まあ、愚痴ばかりいっても始まらず、とりあえず一週間が終わりホッとしています。

 週末、新聞に「大飯原発の再稼動へ」という記事が出ていました。とうとう、野田政権が本性をあらわにしてきたかと思いました。
 ほんと、このままではなしくずしになってくのではないかと思います。

 今月、いつも使っていたデジカメが壊れていましました。もう、限界かな…と思っています。ですから、ブログの写真は今まで撮っておいたものを蔵出しといった具合で出しています。
 今日はチューリップを出してみました。
 昨年、駅前のバス乗り場の近くで咲いていました。散歩の途中でこんなにいっぱいの花が咲いていると、自然の力、豊かさを思い知らせれます。
 散歩をする多摩川の土手では、ひばりが上空でさえずり、足元では小さな花が咲き始めています。
 3月も終わりですね……。
 さて、どんな思い出が残ったでしょうか。




    

♪今月読んだ本…3月編。
 今月は、少しずつですが通勤にもなれてきました。そして、人間とは偉大だものです。毎日3回の乗り継ぎの習慣で、自分が乗り場所、立つ場所で最良のところを探し出すものです。その中から、通勤読書がより快適にできる時間、場所を確保しようとしています。そんなことから、1時間30分のなかで、できるだけ快適な電車通勤を知らず知らずのうちにできているのだな思います。
 
 さて月末は「今月の読書」の紹介をしていきたいと思います。そんなわけで今月はけっこう長編を読んでいた月でもありました。

◎時代が締め出すこころ(精神科外来からみえること)/青木省三/岩波書店
【内容】

働いて、一生懸命に仕事をがんばって気が付いたらうつ病になってしまった…それでも、治療もせず気がつけば「過労死」という記事が最近多くみることがある。それも年々多くなってきたように思う。それでも、病院のいって、精神疾患として治療をする必要性がある、といわれた方がよい、と診断されて仕事をから離れて治療をする…としほうがよかった場合もある。最悪なのは、それを自分で解決できずいる気持ちだ。さらにはまわりの目を気にしすぎるあまりがまんしてしまう傾向。 
そんな時代のなかででてくる精神疾患という事実はなぜ理解されずに追い込んでしまうのかということに警鐘を鳴らす1冊です。

■皆と同じように働かねばならない。働かなければ、生きている価値はない。と多くの患者さんと家族が考えている。それが仕事への焦りとなり、患者さんを含め、再出発の契機となることさえある。患者さんが働くことは重要である。それにはまったく異論がない。また働くこと、人の役にたつことが、ささややなものであったとしても、その人を支えていることは少なくない。しかし、働かなければいけないという気持ちは諸刃の剣である。頑張ろうと何度も挫折する患者さんを見ていると、人生という戦場での「名誉の負傷」として、誇りを保ちながら、引退できればと思うことがある。少なくとも、働くことが何よりも大切という価値観ならば一歩距離をおいていきたい。(p144)
*……*………*………*……*……*……*
青木 省三
1952年広島市生まれ。岡山大学医学部卒。岡山大学医学部神経精神医学教室助教授を経て、川崎医科大学精神科学教室主任教授。臨床精神医学、特に精神療法、思春期青年期精神医学を専門としている
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【感想】
 私も55歳を超えて、昔の同級生のことがときどき気になりクラスメートだった人に電話などするときがある。「M君は元気か……」とい問いに「亡くなったよ…」などという返事があると、ふと自分の「人生はこれからどうなっていくんだろうと」思うことがある。

 まして、すでに働き盛りは過ぎて、あとはいかにこれまでやってきた仕事をうまくまとめるか…と思うと、途中で切れたしまったら…と思うと「不安」に思うこおともある。また、仕事でも若い人たちと一緒にやっていけるのか…と思うとき、体力の限界が現実的になって重くのしかかる。

 そうはいっても、時代は経済成長が最優先とばかり人を酷使することばかりが優先されているように思える。酷使された人間なんぞ結果さえよければいい…という風潮さえあるように思えるときがある。他人がどれだけ傷つこうと、要は結果さえまとめればいい…と。

 その犠牲者が、今で言う「うつ病患者」や「過労死」のように思える。時代の要請に頑張った結果、かけがえのない生命まで犠牲にしてしまった人が、年々増えてきているのではないか。

 生きていさせすれば、悩んだり、悲しんだりするのは「あたり前」と思える余裕させなくなってきていて、それを理解し合える人もいないと思い込んでしまうのではないか。

 本のなかにうつ病になった患者さんの話しがある。何人かで若いときから付き合ってきた友達のはなし。頑張って、調子の悪いのを我慢して働いて突然、体調の変化に気がつかず亡くなってしまった友達の話しが出てくる。
 そのとき、自分はうつ病で少しの間、仕事から離れていた。友達のように我慢し続けていたら、生命も危なかったという話しある。
 だからいまは、精神疾患は、生命の恩人だと思えるようになったと…。
 ときどきリタイヤは、自分が生きて楽しむことを感がる時間だと思うことが大事だな考えるようになった。一部、世間は非難されるかもしれないが、理解し合える人と一緒にやっていくことが、大事だな思った。なぜなら、私の人生なんだから……。そんな風に思えた一冊でした。

◎拝啓 渥美清様/読売新聞社/中央公論
【内容】

 渥美清といえば「寅さん」。これまで、多くの「男はつらいよ」の映画に主人公として活躍してきた。そして、絶大な人気をとり、ファンに惜しまれながら、病にたおれなくった68年間。
 俳優・渥美清とはいったいどんな人だったのか、多くの親友、スタッフの証言をまとめた一冊。さらに、俳優・渥美清は語られるが、私人・田所康雄はあまり語られていなかった部分も書かれている。それは、俳優・渥美清と私人・田所康雄は同じ人間で、仕事と家族は別であることを徹底的にこだわった意味がわかる本でもある。そして、どれだけ、映画という芸術のなかで、人間の真実の生き方を愛していたか納得させる本でもあります。

■日本はとても文化の低い国だよね。時代劇の斬られ役、人殺し役をやる俳優の子供は学校でいじめられるんだよね。アメリカやヨーロッパじゃこんなことはないんだって。一流の役者なら、悪役だろうが、子供たちは学校でヒーローだ。(p206)


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【感想】
 私にとって渥美清は「男はつらいよ」のテレビで知っている程度でした。それも、モノクロの時代。この、俳優は魅力的、と思うくらいでした。
 それから、ときおり映画を見る機会に遭遇して以来、「男はつらいよ」の寅さんだったと、思い返しました。
 映画をみていると、こんな旅がしてみたい、こんな景色にもみてみたと思うようになりました。さらに、人生に一度くらい、寅さんのような失恋をした経験も好きになるきっかけとなっていたのでしょう。

 そうなると「どんな俳優」だったの?、と思うのは自然なことかもしれません。
 また、人間関係も好きな要因でもあります。
だんご屋に集まる人々。隣の印刷屋さん。町中をあるく人々…。みんな素直に受け入れられるように思えます。町中では、敵が存在しなくて、ばかにはするが、ちゃんとみんな良さを認め合っているように思えるシーンがいくつもあります。

 それは、シナリオのよさもあるのでしょうが、登場人物一人ひとりの個性のよさがみんな支えあって一つにしていこうと気持ちがちゃんと読み取れる安心感があるからでしょう。

 余談ですが、もう一人私には好きな俳優がいます。大地康雄さんです。以前、私が働いて建物でロケがあったのでしょう、朝一番にあったとき「おはようございます」と丁寧に挨拶をしてくれました。挨拶もうれしかったのですが、本物をみたことに感動しました。

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◎平日/石田千/文春文庫
【内容】

 平日、普通は仕事にあけくれる毎日です。平日の東京のあちこちを眺めみた様子の本。
 どんな人が、どのように、日々の生活をエンジョイしているのか詳細な文章で置き換えています。その様子が、東京の「顔」になっているようです。

■ほんとうの気持ちは、すこしはなれたところで、かすかに役にたちあう。たがいの指を触れあうことはなくても、生命のあるものどうし、感じあう波の音をききあっている。ややこしく、やさしく包んでいて、やんだとき初めてわかる。ものとお金は…まとわりついてくる(十条:p67)

■みんな、いつもどこかに行きたがっている。ほんとうにいってしまえる人はすくない。まねてできないことをしてくれるから、男の放浪は町のひとたちに歓迎され、許されていた(柴又:p149)


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【感想】

 平日の東京。どんな暮らしぶりなのか。きっと、町の様子とマッチした景色を眺めるのかもしれません。
 例えば、以前、働いていた永田町(国会周辺)の昼休みでは、地方からの団体バスや都内の小学生の群れが多く行き来している。
 ときおり、スーツに身をまとう男たちが忙しく動き回っている…。動き回って政治をしているわりにはいっこうに生活はよくならないとひにくに思う。政治かも人の子、たてまえは国民のためという動きや身なりでいるが、本当は他人などどうでもいいように思えてしまう。それが証拠に彼らの資産はよくニュースなつほどもうけている。

 団体客はそんなめずらしい人間を見にきているようにも思える。
 誰よりも。高く、速く、とスーパーマンを求めるのも東京の人間だ。

 路地にはいれば下町では、世間はどこふく風とばかり、がんこに自分たちの生活を守っているのだろう。

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◎敗戦日記/高見順/中央公論
【内容】

 1945年1月1日から12月までの作家の日記。敗戦濃厚になってきた日本での生活を克明に描く。鎌倉文庫に集う日本を代表する作家たちの交遊録でもある。敗戦を突きつけられて、日本人は何をしてきたのか…、日々の生活のなかから描きつづけた日記。

■2月27日:国民を信用しないで、いいのだろうか。あの焼跡で涙ひとつ見せず、雄々しくけなげに働いている国民を。

■3月13日:民衆は黙々と、おとなしく忠実に動いていた。焼けた茶碗、ぼう切れなどを入れたこれまた焼けた洗面器をかかえて。焼けた蒲団を背負い、左右に小さな子供の手を取って……


*……*………*………*……*……*……*
【感想】
 1945(昭和20)年。人々はどんな状態であったのだろうか思うと一番身近な日記でよみとることができる。少しずつ、敗戦が近づいてくると、権力者たちのあわただしい日々が続く。民衆は淡々といきている。
 生きていることの本当の価値を見つけ出そうと必死だったと思う。

 読んで思うことは、日本人は非常にがまん強いというか、お人よし(私もそうだが)なのだろうなと思う。戦争が末期でも、あわてず騒がず、日々を淡々と生きている様子がよくわかる。結局、政権にだまされていたこを最後に反省する。おそい……!!。それでも、自分たちの行き方を求めて抗議するわけでもなく、淡々とその日を生きている。

 戦争で英雄は物語になるが、敗者はうずもれて風化されいく……。だまっていれば、うそも平気でつかれている。それでも、生きていくしかない、というのが私も含めて日本人なのだろうか思えてしまう。

 原発でも「安全」という神話を信じた結果、だまされていたように、いまさら「事故」ということが語られた。なにか、今も昔も変わっていないように思え、今を考えるのにとても重要な日記のように思えた。そして、本当のことを知るためには時間のかかりすぎる国でもあるように思えた一冊でした。

 それにしても、時代に敏感に感じ取ってそれを多くの市民に伝える文学者がいないなあーと思えました。いまでは、日本人より外国人の人のほうが、より敏感に日本を表現している。たとえば、アーサー・ビナードという詩人。
 時代の本質を伝える人、大事だな思う一冊だった。

※ちなみに、山田風太郎の「戦中派虫ケラ日記」(筑摩文庫)もおもしろいです。
※余談ですが、部屋をかた付けていたら、『夢声戦争日記』(1)~(7)(中央公論)絶版が出てきました。捨ててなくてよかった!!
 昔、古本屋で買ったものでしょう。これもおもしろうそうですが……。いつ、読めるかわかりませんが、読める条件はあるということです。これも一冊がまた新しい一冊を呼び込むように読書は続きます。ひろーく、浅く読んで楽しい読書をこれからも続けていきたいです。あまりにも、知らないことが多すぎて、それを、かじってみるのもおもしろいと、思いますが…。
 
 


 異動の季節が近づいています…。
 会社という組織で働く人間の歴史は、自分の価値を金銭ではかるしかない現実を知る季節でもあります。
 このことは、戦国時代から戦いの「俸禄」ということがあったように、人に褒美といっしょに、さらに優秀性を高めるために異動を繰り返してき歴史は繰り返しています。

 組織のなかで働いている限り、この現実を受け入れて、あるものは出世という言葉で、あるものは降格という言葉で動いてきたようだ。それが、その人への評価なのだろう。
 それが、矛盾しようと理不尽であろうと、猿山ではないが、ボスをささえる人たちが仲間をつくることは大事な組織のつくる年中行事のようだ。

 最近年をとったせいか、この動きにはとんと無頓着になったように思う。まして若い人との体力さ…は歴然としている。その現実をうまく、受け入れいくしかないようだ。

 まあ、かやのそと……。それは時代の要請なのだろう。その分、若い人たちにはがんばってほしいと思うのだ。
 その気があれば、野心も必要なことだと思う。そこで、学ぶことは仕事以上に多いと思います。とくに、人間関係も、後々大事なかかわりがつくれたりします。

 そして、わたしは話せる人をみつけ理解しあい、働いていくしかないように思う月末だろうな……と思った。すこしずつ、身の回りのものを少なくしていこうと思う。できることをやりながら、あとに残すものは何がいいか考えつつ……行動するしかないようです。

 早く、あたたかくなってほしいですね……。
 さて、4月が始まります。どんな月にしましょうか。とりあえず、今日という日を楽しくおくることをから始まります。
 最近、自分が楽しく思うことを追いかける時間がないのが悲しいです。また、山歩きでも時間を見つけてはじめようと思います。
……で、好きなことを何時間でも話せる友達も大事ですよ!!
ほんじゃ、また来週までお元気で。
 

 *いつも、読んでくださる方、ありがとうございました。






春まだ遠し…一歩前へと思う

2012年03月18日 | Weblog


 一週間のご無沙汰でした。
 「暑さ寒さも彼岸まで」といいます。
 今年は、温かさが少し遅れているように思います。昨日、九州で「春いちばん」の便りをききつつも、関東へやってくる風を楽しみに待っている次第です。私の住む町には、都営墓地があるので駅前は、墓参りの人たちが日々増えています。

 温かさを感じて、一年の始まりを家族や兄弟姉妹での墓参りではじめる日本の行事は季節の「節目」ということではなくしてならないものでしょうか。

 さて、今週は慢性的な残業は多い1週間でした。これを解決する手段はもう、私のての中にはないような気がします。
 もう、経営者の責任でしょう。本当に社員の健康を考えれば必要なことなのだと思います。まだ、土日は休日がありますから、そこで全てのストレスを解いて始まっているような生活です。

 ただ、こんな1週かですが、唯一いいこともあります。それは、通勤に1時間30分のため、時間をみつけては通勤読書にせいをだしている毎日です。ちなみに、100頁くらい読めてしまうのですから…。満員電車のすきまを探しては読書に励んでいます。少しずつなれてきたおかげですね…。なんせ、都心から埼玉県にむかう朝の通勤は、混雑する上りではないため、けっこう座れることが多いのですよ。

 しかし、帰りは座っていると本を片手に居眠りをしているありさまですが…。ちなみに、新宿駅の午前零時の中央線は朝並みの混雑にはまいってしまいます。
 それにしても、いまだに余震があることには不安を覚えるこのごろでもあります。さらに「首都直下型地震」の予想もだされていることもあるとなると、少し揺れると「ドキッ」っとします。それは、仕方のないこととは思いますが…。




◎北朝鮮、人工衛星(光明星号)発射を予告(3月17日/東京
 北朝鮮が16日に予告した「実用衛星」の打ち上げは、長距離弾道ミサイルの開発の予告か。北朝鮮側は故金日成生誕100年(4月15日)を記念しての打ち上げ…と。

 これに対して米国は反発。「極めて挑発的行為」と非難している。もちろん、日本もこれ避難に追随する形となっている。
 …………………………………………………
 たかが人工衛星打ち上げ…と思うが、ことが北朝鮮だからこんなに騒ぐのであろう。まして、米国にとっては天敵みたいな存在でもある国のこと。今後の世界をリードしていきた米国にとっては北朝鮮を起こしてはいけないように見える。だから、なんにつけ文句をいう。はっきりいって、今後のアジアの支配力が弱まることが懸念される事態を怖れているからだろう。
 
 そのために、米国の北朝鮮への「食料支援」を見送りこともあるとおどしをかけたいた。まさに、アメとムチ…。

 よーく考えると、日本の新聞もどちらかというと米国よりで、その真意は不明だと思う。だから、北朝鮮の本当は今後どうなって報道されるかはジャーナリストの活躍次第ともいえる。茶の間の話題を提供するような報道では真意は伝わらないし、日本は米国と一緒に非難しつづけるだろう。

◎吉本隆明氏死亡(3月16日)
 吉本隆明が16日に87歳でなくなった。詩人でもあり評論家でもある吉本隆明氏の功績をたたえている。60年安保や学生運動に大きな影響力をもった偉大な思想家の死を惜しむ声もある。
…………………………………………………
 私の時代は1980年代。それほど読まれていなかった。なんせ、学生運動も下火であったのだろう。読んでいる人もいた。吉本隆明全詩集を買い込んでいた人もいた。現在、彼がどこで何をしているのか不明だが…。

 しかし、少なからず社会を考えていた学生にとっては影響力をもった思想家だと思う。意味が不明なところもあった(僕は理解不明だった)。それでも、社会にむけたメッセージは肌で感じていたのだと思う。
 いまでは遠い存在。いまでは、隆明より娘のばななの方がわかりやすい。そいう時代なんだと…つくずく思った。

 ※また「スクラップ」はじめした。日々の新聞の断片を切り抜いて、わたしなりに述べていこうと思います。

 

▼第29作品 寅次郎あささいの恋
 第一発目!!。
 私は。「男はつらいよ」シリーズ48作品のなかで、29作めが好きです。それは、寅んがいつもマドンナに恋をして生き生きしているなかで、本当に恋が成就する際にこの男はどうなるのか…という残酷な思いがあるからです。こんなに、恋をして愛をつくるときどうなるのか?という私の思いがあるからです。

【あらすじ】
 物語は京都から始まる。
寅さん、京都の葵祭りで老人に会う。老人は「嫁にいびられ寂しそうな思えた」老人に声をかける。それが老人に気に入れられて老人宅に招待される。そこは、陶芸家の大御所で有名な陶芸家の家だった。

 そこで、働いていたかがり(いしだあゆみ)に会う。かがりは将来を嘱望された若い陶芸作家に恋をしていた。しかし、若い陶芸家は自分の陶芸のために資金など工面してくれるであろう女性と婚約を決めてしまう。老人もいつか、かがりと若者の二人は結婚するものと思っていたが、これを聞いて憤慨する。かがりを呼びつけ、なぜ結婚したいと言わなかったのか責めた。「そんなことでは、いつになっても幸せはつかめない」とも叱責してしまうだった。

 失意のかがりは陶芸所を辞めて、生まれ故郷の丹後に帰ってしまう。そんなとき、また寅さんが訪問する。しかし、もういない。その理由を老人から聞いていなくなったことを老人の叱責のせいだと、怒ってしまう。
 寅はかがりに慰める言葉をかけてやりたいと思い、かがりのいる丹後に尋ねる。話しをして、寅は帰ろうとするが連絡線の最終便にまにあわず、かがりの家に泊まることになってしまう。

 夜、かがりは本当の寅の気持ちを確かめようと勇気をもって寝間にいくが、すでに寅は狸寝入りになってしまっている。
 翌日、寅はなにもなかったことに安堵しつつ柴又に帰ったのだった。
 かがりの気持ちはいまださめず。(老人の言ったことを思い出したのであろう)寅のいる柴又を訪ね、鎌倉でのデートを申し込む。
 デートをしていくなか、優柔不断の寅があらわになっていく。かがりはいつもの寅でないこと気づく。こんなはずじゃなかったと思い分かれる。
寅の目にも涙があった。

 その後、物語は、長野で商売している寅のところに旅先で陶芸家の老人にまた会うことになる。これまでの思い出話をするだろう気配をつくって終わる。

◎監督/山田洋次/脚本/山田洋次・浅間義隆/ゲストスター/いしだあゆみ・柄本明・片岡仁左衛門/ロケ先/京都・長野・鎌倉/封切り/1982年8月7日/110分
◎参考図書「キネマ旬報№1516号」/朝日新聞日曜版/完全版「男はつらいよ」の世界・吉村英夫著・集英社


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【感想】
 私が29作目が好きな理由は、女優のいしだあゆみさんがとても気持ちの強い役をやっていたころにひかれたからだ。決心の強さをもってせまる人間らしさ……がよかったとおもうからです。
 本当に好きなひとがいたら、地位も財産もなくていい…とい強さを見せ付けれたような気がしました。
 現実は厳しいものですが、本来こんな形で愛を成就していくしかない……ということもかがりの気落ちの強さなのだろうと思えました。
 あとは、どうにかやっていく覚悟ができているか、確かめたかったかもしれない。

 それに比べたら、寅のなんとも情けない対応だった。恋はして元気になるが、愛は性的イメージがいつもついてくる、ということへの拒否感があったのだろうか。
 これは、男として寅を情けないということではなくて、寅自身の女性に対する美学のようなものだろうと思えました。

 事実、妹さくらの質問にたいして「バカヤロー。あんな美人でしかも賢い人が、俺みてえなヤクザな能なしにの男を、どうこう思うわけねじゃねえか」といいわけで応えています。

 撮影後のインタビューにしだあゆみさんは、渥美清という役者を「信州の上高地にいるような清涼感のある人でした」(朝日2011/5/8)と評しています。NGも40回出したシーンもあったそうです。

 いつもの寅さんが、寅さんらしい恋の流れが違うところもこの作品の魅力だと思います。
 今回は、その流れが面白いと思って紹介しました。
 失恋するということは同じでしたが、ちょっと違うことがよかったですね。
 いつもの「水戸黄門」のマンネリではあります。、いつものパターンが演じられない「男はつらいよ」終わるのですが、この作品は男と女の哀愁を感じさせた映画だった思います。

 ※今回は、好きな女優のいしだあゆみさんが出ている作品を1回目にしました。次回からも、私の趣味でランダムに紹介していこうと思います。
 誰がみても、寅のようなフーテンは嫌われ者としていますが、こんなに魅力的に、みんなに慕われている男は映画のなかでだと思います。でも、こんなシーンをいつも、ひと思い出して楽しくなる自分がいます。
 「男はつらいよ」という映画はそんなところがいいのだと思います。こんなシーン、自分もあったなあ……などと思い出すこともあるでしょう。
 なさけない、ことも恥じもかきつつ生きていく、でもこれだけは言っておきたい強がり……みたいな寅がいいのです。
 では、次回を楽しみに……

寅さんコーナー ※詳細はこちらでどうぞ。




最近は、日ごろの疲れからか休みの散歩と昼寝ぐらいが楽しみになっています。「お彼岸」で、親戚、身内があつまって墓参りの様子を近所でみかけます。久しぶりに兄弟があつまった家族の様子もみます。

 まあ、友と集まったようには楽しくは見えませんが、なかなか集まることがない人たちがこの日だけは集まるということも大事なことでしょう……。大切な一日には変わりはないのですが。

 集まる……といえば、移転後、営業と現場が完全に分離にされて、営業にいる友達とも飲む機会がなくなっていくます。
 時間をさがして……と思っていますがなかなか調整がうまくいきません。
 移転は、結局、仲間も分離させた形になっています。あと健康なら10年ばかり……とおもうと、いまさらあわてても仕方がないと思っています。
 月末には絶対、計画し行きたいと思いますが……。さて、さてどうなるのか。

 また、地震があったようです。小さな地震ですがけっこう多いのには気になります。

※『workingスポット』はお休みです。


*読んでくださった方、ありがとうございました。
 

春を待ちつつ…3.11を刻んで

2012年03月11日 | Weblog


 こんにちは!!
 3月も始まってみれば、まだまだ寒い毎日が続いています。そろそろ、花粉症の症状が出てくるころです。それに、雨もこれから生まれるであろう生物に栄養を与えているようです。でも、まだ寒いなかでの散歩は、ゆっくりしていられないのが残念な気がします。
 散歩の途中の場所(多摩川土手)焚き火がいいでしょうね…。焚き火のそばでゆっくり新聞でも読んで、一日の始まり…夢デスネ。

 さて、今週はちょっときつい毎日が続きました。なんせ、最終電車に間にあわずタクシーで帰った日が2回もありました。4時間ばかり寝たらまた、職場でいつものように働いていました。さすがに、金曜日は夕方から眠かったです。

 移転後というもの職場も遠くなり、終わりも遅くなっていました。日本人ってこんなに働いて生きている動物なのでしょうかね。
 とくに男は女性より長生きできない理由がわかるような気がします。
 まっ、仕事ですからやることはやっておこないと会社に迷惑がかかるより、お客様に迷惑をかけてしまいますので頑張るしかないかと思っています。今はお客との会話の方が意外と楽しく思っています。そんなことを思う1週間でした。

 そこで思ったこと、午前零時の新宿駅は朝のラッシュと同じです。昨日のことなど思い出せないほど時間がはやい一日が終わった場所になっています。都心は「不夜城」とよくいったものです…。むかし「24時間戦えますか」というCMがありましたが…。24時間戦って「過労死」はゴメンです。

 ▼▲▼うれしいこともありました。▼▲▼
 Jリーグで今年昇格したFC東京の初戦で大宮アルティージャを1対0で勝ちました。このまま、一年間いくとは思いませんが頑張ってほしいと思います。今年、注目の選手はゴールキーパーの権田選手、今年キャプテンになった梶山選手、徳永選手と昔からFC東京をささえてきた人たちです。

FC東京 ※応援、声援よろしく!!詳細はこちらでどうぞ。



しばらく休みます。ごめんんさい…。




 早いものです。
 大震災から1年。
 福島第一原発事故から1年。
 震災地では片付くものはかたづけられ、今日もまた片付けれています。
 人の思いも、少しずつ整理され、悲しいできごとの思いをできるだけ小さくして記憶にとどめようという毎日があるように思います。

 さて、わたしにとってこの一年間はどんな思い出送ってきたのしょうか。
 仕事をしていました…。なにげない毎日の一日でした。午後2時46分の地震が起きるまでは…。今日も仕事が終わってゆっくり、片付けをして帰る予定でいました。

 人生でこれほど大きな揺れを経験したことがなかったくらい強いものでした。ビルの壁にはヒビが入り、一斉にビルの中から道路に避難する人たちがみえました。そして、私も、外へと…。外でも、自動車が上下していました。街灯はいまにも、引き抜けてしまいそうに揺れていました。

 次々に流れてくる情報…。都内のJR各線、私鉄も不通になり、これで帰るどころではなくなっていました。お客様も校正室で一緒に一夜明かしました。「帰宅困難者」になった、この日、怒りを覚えたのは、責任者が全員いなかったこと…。どこへいったのか、誰も身動きできない中、だれも館内にいなかったことには怒りを覚えました。今でも、それは言葉にしませんがシコリとして残っています。頼るべきは、こんな人たちではなく、隣にいるいつもの人たちであったのことに気がつきました。そんな気がします。
 翌朝、職場の人と一緒に無事帰れたこと。家族が揃ったとき、抱き合って歓んだこと…。

 さらに、計画停電、携帯電話の緊急地震警報が鳴ると、ビクッとする毎日でもありました。福島第一原発の水素爆発による放射能漏れが関東まで流れてきたこと。水に放射能がはいったとのこと…。原発の冷却機能が不能になり、次の爆発が心配されたりもした。テレビをつければ、地震による津波被害、火事、原発の制御不能による放射能漏れ、倒壊、計画停電…と次々に起こった被害。

 こんなとき、つくずく思ったことがある。日々のなにげない景色や人とのかかわりがいちばん大事なことだと…思えました。なによりも、その人たちの方がより頼りになり、信頼できたと思えた日々でした。

 今でも被害の修復はついていない状況です。とくに、心の被害(震えていた心)は修復ができていないのが現状のようです。

 人は「のどもとすぎればなんとやら…」で忘れてかけているように思えます。とくに、原発の被害は今後40年近くつづくだろうといわれています。さらには、首都圏直下型大地震もいわれています。つくずく、日本は地震の多い国であることを覚えています。

 地球が太陽の周りを1年かけて廻るように、自然の災害はどうにもなりません。地球から離れない限り、無理なことです。
 大事なことは、生きている、生き続けることを日々覚えていて大事なことを見失わないことを知ることだと思いました。
 私だけの人生ではなく。これから生まれてくる生命にどれだけ伝える工夫をしているかということだと思いました。
 「安全・安心」という付加価値をつけて将来に残すことは、今まで生きられた私たちの責任でもあるはずだと思います。


『3.11に思う』

時はすぎゆくばかり
思いは、募るばかり
歩いてきた後ろにふり向けば
過ぎた時間といっしょに
「災害」「避難生活」「棄民」「放射能」「絆」
という言葉がかけめぐった

足もとをみつめてみれば
すべて生きることばをみつけて歩いていた
だれが語ったものではなく
わたし自身の思いの言葉でいくしかない
過去をうらんでみたところで仕方がないのだ

2011年3月11日午後2時46分以降
いやなことも多いけれど…
前にすすむしかないことを決心しつつ
今日をむえられたことに感謝。
また歩いていくしかない
時はすぎていくばかりだが
終の棲家に過去を持ち込んで
気がつけばこんな自分でよかったなと…
気づかせてくれる人がいて
それを素直にうけうれられる私であればいい




近所の散歩道に菜の花が咲き始めていました。
少しずつ春がきている証拠です。
今、思うと自然災害は防ぎようがありません。ですから、その自然の恵みをおおきく人の生活の支えになっていることに感謝するしかありません。
 また、一週間が始まります。どんな日々を作っていこうとしているのでしょうか。明日は「こんな日に…したいな」と思える、私でありたいと思います。ちょっと厳しくても、大震災で被害にあわれた人々と一緒の地面の上に立っていることを忘れないようにしたいものです。
合掌
 
*読んでくださった方、ありがとうございました。







春を迎えつつ…月のはじめに思う

2012年03月04日 | Weblog


 こんにちは!!
今週に雪が降りましたね。
当日、「凍りついた道を歩けば滑って危険だ」と思っていました。
そんな日の会社帰り、夜道を歩いていたら、路地や道路の雪がきれいに端に片付けられて安心しました。
 きっと、商店街の人たちやここに住む人たちが昼間、協力しあって雪かきをしたのでしょう…。「ああ…ありがたい」と思いつつ帰ってきました。そして、こんな不便な町ですが、住む人々の温かな心づかいが感じられました。

 季節は雪が降ろうと、やはり雨が運んできているように思います。
 3月。いよいよ「お雛さま」が主人公の一日の到来ですか。わが家のお雛様は、もうおひな様というより「おば様」でしょうか(こんなことを言ったら口も聞いてくれませんが)。それでも、今日も元気で一日中、友達と会い、忙しく送っているのを見るにつけ、ありがたいことですわ…。

 今週は、まともに家族と食事をとった日がありまでんしたよ…。いったい、この世の中どうなっているだろうと…。
最近は「残業」が多くなってきました。なんと、社長おん自ら「残業は至上命令」とばかり豪語しているありさまですから。ばかなこうとを言うなあ…と思いました。なにを思っていることか。
 自分の経営のまずさを全部、社員になすりつけているようなものでは…と思いすが。

 豪華な食事でなくてもいいのです。質素でも家族で「うまい、うまい」と言い合っている時間が大切なのでしょう。それに、お互いが笑っていられるちょっとの時間にお互いが感謝できることが大事なのでしょうね。
 まあ、働けるときはしっかりと働いておいて、老後はしっかり老人ができればいいのですが。そんな社会のありかたが今はくずれてきていますが…。
 今週はそんな思いがかけめぐった週でした。




 早いもので、東日本大震災、福島第一原発事故から一年が経とうとしています。新聞では「特集」がくまれ「検証」する記事が多く載っていることが目に付きます。

 「検証」したなかからいちばん気になるのは、「後世に何が残せるのか」という時がきているように思えます。自分が生きている時代では、きっとなくならい原発事故の後始末…となります。事故を起こした原発は、事実、廃炉にするには30~40年かかるとういうことがあります。

 そんな時、自分の時代は原子力発電で栄華をきわめた人たち(いわゆる原子力村)が残した人たちは、おそらく亡くなっているでしょう。彼らのつけを次世代が炎々と片付けていく…。
 そんな中でも、原発は「稼働するか。停止させておくか」という問いが、日本中に問われているのでしょう。
 停止させておいても、自ら化学反応によって放射能を出す原発は危険なことは変りはないのですが…。とりあえず「停止」状態にして、その代わりの熱エネルギーに替わるものが問われる一年でもあります。

 以前読んだ新聞のコラム(朝日2月25日)にこんな記事がありました。
 内容は今は、ちょうど国民は、国民の安心・安全は十分な対策を使命とする政府や学者たちの怠慢のつけでロシアンルーレットというゲームしてるようなもの…だと。
 ロシアンルーレットととは、拳銃に弾丸を一発だけこめてシリンダーを回転させて、その一発が引き金を引いたとき、生死がきまるゲーム。

 そのゲームのなかの中心をになっているのが地震学者で、「今後の発生率」なるものを発信してますます、日々の不安を喧伝しているといいます。
 いままで一体、何をしてきたのかということをぬきに、そればかり先行してきた。ここは、猛省して責任を果たすべきときなのだ…という記事にはなっとくします。

 日々が、少しずつ「原発事故の恐怖」を忘れてさせています。このことは生きていくことで大事なことです。でも、いつまでも、記憶に残しておいて、その事実を隠さずニュースにするものを見つめていくことが大事だと思います。
 そして、小さなことでもできることを…と思います。

 なぜなら、いまだ地震があります。また、多くな地震がくるという研究者の声もあります。不謹慎ですが、あたるか、外れるかという段階でではありあせん。そんなとき、またしても、原発事故がおきたら、今度はほんとうに大変なことになるのでしょう。






 今週は残業の多い週でもありました。
 ひどい時には、翌日に(日付がかわる)日もありました。これで、いいのかという気がします。仕事がこんな具合で続くと、身体がもたなくなるのでは時間のもんだいでしょうね…。

 働くことは日常のできごと。そう考えると、日々がこんな具合ではある意味「異常」だといいわなかれななりません。原因は、現場でつくっているのではなく、他のところに原因があるのでしょう。そんなことを思った一週間でもありました。
 もう少し。このまま、やってみて、続くようであれば、開き直って時間をずらすことを提案したいと思いました。あるいは、休息をとるとか対策が必要なのでしょう。だいたい、交替制でもない現場が日々、この連続は異常です。
 機械を相手に仕事しているのではありません。人間様をあいてに仕事をしているのですから…。

 仕事は工夫も必要です。できれば、時間に余裕があるように、さらに自分の仕事に誇りが少しでも、もてるようにやりたいものです。
 まあ、とりあえずこの状態でやっていくしかないようです。あとから、改善すべきところは、もりたくさん出てきても仕方のないことです。
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 週末、家族と友だちをさそって靴の展示会にいってきました。所は浅草。
 娘が靴の専門学校にいって、卒業展示でもありました。
 いやーきれいな靴あり、とんでもない靴アリで面白い展示会でした。すぐにはいてみたい靴もありました。
 いずれにせよ、モノをつくる仕事とはおもしろいものです。人間の可能性のなかでものづくりほど楽しいものはありません。
 
 楽しくするには、工夫や勉強も必要なのだということもわかります。
 当り前ですが、人間が必要とするものをいかに美しく、機能的かつ実用的なものをつくる楽しさを日々送れる…ことが大事な仕事の基本だと思いますが…ね。

 町は浅草の隅田川沿いから見える「東京スカイツリー」がとても見事でした。この地点からだと、ちょうど30度くらい目を上に向けて眺める景色になります。台東区や墨田区の人たちは、毎日夜が明けると、上を見上げる景色にスカイツリーがあることでしょう。下ばかり見ているこの頃、こういう目標のような見上げるものがあるということは大事なことですね。
 ちなみに、私は天気のいい日に電車から見える富士山が好きです。
 年々、高層マンションが建設されて見えなくなってきたところもあるようです。残念だわ。
 スカイツリーの開演はチケット完売で、満員だそうです。
 そのうち、見物もあきてくる日があるでしょう。その時に、ゆっくり見にいきたいものです。
 まあ、のんびり入れるような時期があったらいきたいと思います。

 『会話』

 友だちに
 「家族が仲がよくていいですね…」と
 いやいや
 仲がいいとか悪いということじゃないですよ…
 と私は応えていた

 なにか一生懸命
 手をつかってつくることをしている人をみると
 問われていることがあるんです…よ
 「あなたは何をしていますか」と。

 その事実を見つめなおして
 我にかえり
 私の一生懸命をさがしているんですよ…と
 
 小さな笑顔が
 私のこころにほほえみをつくらせる
 けんめいな人たちを思いうかべては
 そんな人たちは好きだと思える自分でありたいと思う
    2012.3.3/13:00/My POEM

 


※これは、わたしのお気に入りの靴です。どうです。きれいでしょう。
 こんな靴を履いて、ゆっくり散歩なんかすると楽しくなりますよね。


 3月もはじまり、花粉症も始まりました。今年は花粉プラス放射能と気の重い始まりですが…。

*読んでくださった方、ありがとうございました