日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

コロナ禍のなか、1月は終わります。

2021年01月31日 | Weblog

 こんにちは。
 とうとう1月も終わりです。新年のあいさつもしたのか、しなかったのか忘れるくらいの速さで・・・終わりますか。さすがに。新型コロナ感染症者の激増に政府も「緊急事態宣言」をわてて出すような1月でもありました。さらには、もっと感染を防ごうと法案までつくって1月は進行中というところなのでしょうか。
 いったい、いつ収束がくるのやかいもく見当がつかいない日々を送っていました。収束とさせるというより、いかに自分が感染者にならないようにするか「不安」な毎日でもありました。とくに、人の多いう駅構内の移動や通勤帰りの夕方の電車のなかが心配でした。それでも、乗者数は通常より2割くらい少ないように思えます。


 月末になって今月読んだ本の整理していると、今月のこころのよりどころのような本に目がいっているようです。平日はまったく書店によりことはありません。休日に散歩のついでに立ち寄ることが多いようです。
 今月はコロナ禍のなかでなかなか行動にうつせない山歩きのことが気になって手に取った『山小屋の灯』でした。日帰りの山歩きにとっては、山小屋はあまり関係なのないのですが、いつかは泊まってみたいと思う山小屋の紹介もあって楽しく読めました。


 昨年から今年にかけて、コロナ禍のなかで山には二の足を踏む日々であった。頭のなかでは、「今ごろは紅葉がきれいだろうなー」とか「枯葉を踏む音がなつかしい」など山歩きでの、色や音、匂いがなつかしい。とはいえ、コロナ禍でも山に行っている人がいるのは現実だが、私はあとさきのことを考えると怖さを感じるのでゆくじなしの私には無理だなと思っている。そんなことを思いながら手に取った本だった。
 山小屋でなくとも、他人と話をするのは楽しい。とくにコロナ禍では会話もこころもとない日々である。なおさらである。いまごろ、この本のなかの山小屋の人たちはどんな思いで生活をやりくりしているのだろうかと思うと、きっとこの本のなかでの会話もなつかしんでいるののではないかと思う。
 山小屋のよさは、私たちが平日、職場で仕事をしているころ、自然と一体感のある毎日の生活のなかで暮しているとどんな思いがよぎっていくのかということを聞いていみたいということかもしれない。
 そんな一片を切り取ってこの本は紹介していて思いしろい。季節の中で、語られる山小屋の住人と話が自分をとりもどす何かになっているということ思い出す。

■p38 丸川荘・大菩薩嶺・・・「~帰りぎわ、くだんのトイレにちょっとした仕掛けしたから、ぜひ使ってよ」木製電話ボックスのようなトイレ小屋だが、先に入った野川さんが「何コレ~!」と噴きだしながら出てきた。確かに意表をつく演出があって、おかげで尻にあたる冷たい隙間風も忘れてしまう。

■p55 ころっぽくりひゅって・霧ヶ峰・・・「父はよく、『山小屋は質素でいい』と言っていました。道路が開通してからペンションが増えましたが、父は山小屋というスタンスを変えなかった」

■p65 のろのろと食卓につく。白いごはんと、漬物、味噌汁、鯖の塩焼き、とろろ、海苔、ふだん二日酔いの朝はろくに食べられないが蓼科山荘の朝ごはんは食べれる。

■p75 両俣小屋・南アルプス・・・夜、星さんも一緒に夕食を囲んだ。東京で謳歌した女子時代初登山で歩いて表銀座で大感激したこと、出版社でバリバリ働いたこと。や山小屋に入った理由。波乱万丈の星さんの女道を肴に気持ちよく酔った。

■p81 雲ノ平山荘・北アルプス・・・小屋のついて語るとき、二朗さんは何度も「文化」という言葉を使った。小屋に刻まれた黒部の自然と人々の歴史。それらはこの土地の文化であり、それを残しながら新世代の山小屋を造りたかった。「その時代にはもう戻れないけれでも、山賊たちがただそこにある自然を純粋に受け止めたように、僕たちも未知との出会いに心打たれたり、そんな気持ちになってもらえたら」。スポーツのように山を歩くのではなく、山と自然と「関わって」ほしい。その方法を知るための場所に自分の山小屋がなれたら。それが二朗さんの思う、理想の雲ノ平。

■p96 船窪小屋・南アルプス・・・「こんなところまで泊まりに来てくれてありがとう」と繰り返し頭を下げていた。ふたりは60年間毎晩、感謝の言葉を述べてきた。愉快なレシピノートがある。小屋を愛し、助っ人に来てくれる人だってたくさんいる。そして何より、60年間ひたりが迎えてきた登山者がいる。疲れ果て倒れ込んだ土間で差し出された熱いお茶。あの温かさを、安堵を、感謝を、私たちが忘れるということは決してない。

■p109 駒の小屋・尾瀬・・・小さくてもしっかり目の届く小屋のほうが客も自分も楽しいし、居心地がいい。それが長年小屋番を務めてきた三橋さんがたどりついた理想の山小屋像だ。うちのスタイルは「薄利薄売」と笑う。



 どこにもあるような風景が消えてはつくられ、また壊される。そして新しい風景が出来あがる。これが資本主義法則の原則。そしてそれが「文明」とばかりうそぶくのだろう。そこでの失われるものは金銭でははかりしれないものがあるということを考えさせられる『チッソは私であった』という本かもしれない。
 水俣チッソ事件は、自分たちの住む海辺のまちに大工場が建ち、人々の雇用がつくられ、工場の働く人も、海辺で漁業を営む人も生活がえんえんと続くはずだった。ところが、工場から海に流された水銀の汚染水によって人々の生活は一変していく。生活をささえるための海で漁業ができなくなり、生活を楽しんでいた人々の体は病気になり、町そのものが破壊されていった時代になってしまった。その原因を被害者から追及しようと「チッソ水俣闘争」が始まる。その原因は被害者が指摘するように、工場の廃液があるということが確定されることになる。政治家をも巻き込んで、補償問題へと追及されていく。そして、著者の緒方正人さんはほんとうの原因は、工場よりももっと大事なものがあったはずではないかと提起するようなる。

 そして最後にたどりつくところは『チッソは私であった』という問いかけである。
 水俣病で多くの人の命や生活がなくなってしまった。人間の営みさえも壊され失っていった。小さな島々から昔のよう人と人との関係も消えて行った。補償されたことは大切なことかもしれない。そのための、国や県によって制度・政策としての法律もできた。
 しかし、これまでの島の人々の暮らしや声が戻ってくるわけでもない。自然破壊の時代とともに守るべきものがちがっていく・・・。本当は守るべきものは一つであっていいはずが、水俣病事件に多くのものを守るようになっていってしまった後悔が残った。本来ならば、制度・政策の法律などいらない世界が必要なはずなのに、押し売りのようにつくられた。

 とはいえ、一度壊されたものは戻ってこない。その代り、国や社会はその戻らない代償として「責任」ということばでいろいろと取り繕っているにすぎないのだろう。
 人間は守るべきものを問い直す時期にきている。みじかなものが最も大切な自分であることを確ために必要なことがいわれているような気がする。
 コロナ禍のなかでこの本を読むと、緊急事態宣言が出ていくなかで水俣病事件の繰り返しを人類はいつも繕っているようになっていないのだろうか、ということをつくずく考えさせられた一冊だった。

■p46 私自身は、一九八五年、自らが求めうづけていた患者として認定申請を取り下げました。~一つは水俣事件の本質的な事件の責任のゆくえを自分が追っかけていたかと思います。~しかし、チッソや国や県にあると思っていた水俣事件の責任が本質的なものかという疑問がずっとありました。そういう構造的な責任の奥に、人間の責任という大変な問題があるという気がして仕方がなかったのです。もう一方で、水俣事件は私たちに何をいっているんだろうかと考えるようになりました。

■p50 時代のなかに自分を引きすえて総括することが求められているという気がします。

■p53 チッソは一体何だったのかということは、現在でも私たちが考えなければならない大事なことですが唐突ないい方をするようですけれども、私はチッソというのは、もう一人の自分ではなかったかと思います。

■p60 ~水俣病四十年を迎えて、大方、ある処理機構の中に入れられてしまったと私自身は思っています。

■p61 ~遺憾に思うという程度の官僚作文の謝罪文であったり、和解金という低額の金銭が支払われたっりというふうに、責任の意味、内容が型に入れられしまった。今度の和解でも訴訟や認定申請を取り下げることがことが条件になりましたから、当の未認定者といわれた人たちが、もう国と県ともチッソとも闘いようがないわけです。これから先、誰と闘えばいいのか。相手がいないわけです。私は、そう意味では、和解は、制度的な処理機構をつくって、いわば金策でもって患者の魂を遺留地の中に閉じ込めようとしたものだと思っています。

■p70 ~一言いえば「偽りの記憶装置」を作ってきたということではないか。それによって私たちは、生命としての本質の記憶から外れてしまったところにきてしまったのではないかという気がします。

■p72 そのいのちのつながりを断ち切ったのが、水俣事件のあらわれだと思います。水俣事件では、人だけでなく、魚や猫や鳥や、家で飼っていた豚まで亡くなったのです。生活の中にあったといえばいろんな生き物が殺されていったわけですけれども。私は加害者チッソといったときに、以前は自分と離れた別の存在だと思っていました。会社であり、権力であり、体制だと思っていた。ところが自分が問われていること―。事件の意味を考えている時に、私自身ももう一人のチッソだったと考えるようになったわけですけど、いのちのつながりから自分自身も遠ざかっていっているのではないかと危機感がありました。

■p106 命の記憶という時に、私自身の体験の中にそういうことがあるような気がする。~一言で言うと、殺生の罪深さを知っとったと。そういう伝統が村の社会の中にあったということ。それを壊したのが水俣病事件であったり、近代の文明であったと私は思います。

■p113 わたしは海山とつながりたい。そして人間だけでなく自然に対する信頼を持っていたいと思い続けているんです。

■p139 水俣病の病気のことは大きかですけれども、家族、地域が壊されて、親戚の関係も壊され、汚か、うつるからあっちへ行け、あんたの魚は買わない人とか、ある補償金のことを汚か金ばもうろうてとか、散々なことがあったわけである。

■p149 ~社会制度や補償といったものの中では救われない。そうしたものの中に納まりきれない何かがあるということです。それがどうもやっぱり魂というもののように思えたんです。~それが救われてない、救われてきれないという感じがするんです。
 ■p164 ~一番よく感じるのは、私たちがあまりにも沢山の仕組み社会の中に閉じ込められているような息苦しさにあるように思うのです。~会社は社会の重役、斜塔は、はじめ加害者と呼ばれた人たちの責任についても損が賠償責任とか、あるいは役所の厚生省とか大蔵省の責任なんかそうです。刑事責任とか民事責任とか賠償責任とかいわれてきて、そうした仕組みを作ることだけは必死に行われてきたわけですけど、一番奥にあるところの人間の責任ということを避けて逃げてといってもいいんですが、やはり仕組みを作ることで埋め立ててきてしまったという気がします。


 とうとう私も年金満額取得年齢になった。さてどうするのか?。
 同じ世代の人たちは、それぞれ老後の生活を始めて行った。年賀状にもそのことをふれるものが多かった。
 「定年」とは、働き続ける人、働かない人の分岐点のようにも思える。だからといって働くことをやめることはないのだが、これまでさんざん働いてきた人生をふり返れば、本当の意味で自分のための時間が持てるということだろう。できればそうしたい・・・、よいうのが本音だろう。しかし、それを気にしてくれる人もいなければ働けないほどの体が弱っているわけでもない。
 年配者で働いている人の意見は「働くのが好きだ」という理由で続けている人がいるが、これは本当ではないのだろう。
 そんな問いの繰り返しの中で読んだ本が『あのひとはなぜ定年後も会社に来るのか』であった。この本では、自分の位置を再確認するために訪れるようになっている。要は、働くだけで一生のほとんどを生活してきたライフサイクルへの問いかけでもあるようだ。なぜなら、日本では、定年後のライフをサポートするほどの社会にはなっていないことだからだろう。サポートするまえに「生涯現役」という言葉が讃えられるような社会になっているからである。
 裏をかえせば、高齢者の対する制度・政策が貧困からだろうと思う。
 ※そうならないためにどうしたらいいか、と思って読んだのだが、結局のところ老人の孤独感についての処方箋のような本であったように思う。期待して失敗だった。
 もちろん、この本は途中でやめたのだった!

■p10 老後の不安と孤独感の問題は、ご自身の「認知」と「行動」を見つめなおすだけでシンプルに、どう付き合っていけばよいのかが見えてきます。ほんのちょっとのコツでできるのです。

■p43 ~70代、80代と年齢を重ねると、友人や家族など周囲の人を「死」という形で喪い、物理的に孤独な状態となった人生とどう付き合っていくかについては、また変えられる余地がありそうです。

 
 天気がいいと用事がない限り、多摩川の土手沿いに散歩にいくことにしている。
 今日も南向きのベランダに風に吹かれながら洗濯ものやらフトンが気持ちよさそうにほされている。紫外線がどうの花粉がどうのといっても、お日さまに乾かされたものは一番いいと思う。フトンであれば、一日の温かさが残っているような気がする。お日さまのにおいもあるのだろう、と思う。
 少しずつ、日が延びていく。うれしい限りである。通勤でバスを待つあいだ夜道のいるのはさびしいものである。それが明るいと気持ちの持ち方も違う。
 今日も青空の下で、少年野球チームが元気に練習をしていました。しっかり太陽の光が元気をつくっているようにも思えます。
 
 野球といえば、春の選抜高校野球の代表の32校が決まりましたね。今年は出来るのでしょうか。できれば、無観客でもいいからやってほしい気がします。それも、さんさんと太陽にしたでやってほしいものですが・・・。どうでしょうか。
 高校野球に関して明るいニュースもありしたが、暗いニュースもありました。
 2017年夏の甲子園で活躍し、みごと優勝した花咲徳栄高校の主将を務めていた元選手が2019年4月に八街市で起きた強盗事件に関与していたということで強盗致傷罪で起訴されたと報道されていました。 
 しかしその経緯があまりにも理不尽な理由で起こしてしまったということも報道されています。高校を卒業後、名門私立大学の野球部に入部して練習をしていた時代に先輩部員から「コンクリートの上に正座させられたり、たぼこの火を押しつけられるなどしごきが毎日あった」と話していました。そのため、高校野球時代の監督に相談にいったもの「耐えろ」といわれてたのですがとうとう退部してしまったそうです。
 途方にくれるなか知人に誘われて事件に関与したそうです。最終意見陳述で「理不尽を知る自分が理不尽な被害を与えてしまった」といって頭をさげたそうです。
 もっと、周りが親身に相談にのってやれればと思います。
 こんなニュースを思い出しました。個人的には刑の軽い方をと思います。
 まだ、将来があるスポーツマンだと思います。


 1月も今日で終わり。はやいですね。
 今月長い間、一緒に仕事をしていた同僚が定年でやめていった。これまで私と同様の「再雇用」で働いてきた。「辞めてどうするの?」と聞いたものの返ってきた返事は「自分のために・・・ね」という気のない返事だった。
 思えば確かにこれから先のことを考えると、そう思うこともあるのだろうと思う。自分でやることがあればなおさらだろう。それで、「やることがあるのか」といえば「ないけど、これからは家族と一緒にと」いうものだった。正直なところできればそうしたいのもやまやまだが・・・。現実はきびしいという思いもあった。
 私は、会社にいることは「働くのが好きだから」なんてうそっぽいことは言わないまでも、今抱えているお客とけっこううまくやっていることは、仕事だから大変なのだが付きあっているのはけっこう楽しい気がするのも本当かもしれない。きっと、今のお客とも(変わったりして)手伝いができなくなったら考えるかもしれない。
 そのときまで、ボチボチのんびりやっていくしかないのだかな・・・とも思う。

 コロナ禍での「緊急事態宣言」は残り1週間で終わるのだろうか。
 毎日感染者数があるなかで宣言解除したらGoToキャンペーンが始まって、またもとに戻るだろうと思える。「自粛してください」といわれても、正直、自分のストレスがたまったら、発散するところ求めるだろう。だから旅行に行ったり、飲みにいったりとするのはわかるような気がする。国はそういうことは「自助」で解決してくれといっているような政治が続く限り、繰り返すばかりだろう。

 今週はこれで失礼します。
 天気がつづくのはいいのですが乾燥しすぎるのも困りものです。
 また、明日からコロナ感染に気をつける日々です。困ったね。
 それでは、今週はこのへんで。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

寒さがきびしくなってきました・・・

2021年01月24日 | Weblog

 こんにちは。はやいもので1月も下旬です。
 あわてて1月の出来事をまとめてみたところなのですが、今年も新型コロナ禍のなかにありました。ニュースも感染者の減らない傾向が日々、医療関係のひっ迫を訴えていました。そして、今月初旬に政府が再「緊急事態宣言」を出しました。ところが、報道でもあるように感染者は減るどころか日々増えることになっていくことに驚いていました。昨年の宣言のときは、徐々に減っていたので、今回も…と思っていたのですが甘かったようです。むしろ、感染傾向は今年になって世界中で激増の傾向にあるようです。それにともなって、会社や飲食店の倒産が多くなってきていました。さらには、人間社会と同じように鳥インフレエンザが養鶏業者を怖がらせていました。
 まさにパンデミック状態でしょうか。

 コロナ禍によって、今年開催予定の東京五輪も黄色信号から赤になっていくような状況になっているのでしょうか。
 この状況から考えると「延期」がなければ「中止」にする方が賢明なのではないかと思えてしまいます。ただでさえ、医療がひっ迫している状況のなか、選手への対応も困難になってしまうのではないのでしょうか。ワクチンも2月に接種が始まるということですが、ワクチンを打った人間がどれだけ効果が認められるかも未知数です。
 最近では、「東京五輪中止」という報道さえみることもできます。外国ではいちはやく「東京五輪開催中止」を公表している記事さえあるようです。その内容に日本では否定してますが、いずれにせよ難しいことにはかわりはないようです。
 正直なところ、東京五輪より感染しない都市づくりとか医療体制の充実などが先決ではないのでしょうか・・・。
 いまの状態で、強行するようなことがあればそれこそ、国民なき商業スポーツそのままの状態です。


 ひさしぶりのワーキングマップです。再雇用となり、契約上は、最後の年となりました。今年は働きながらどんなことを思いながら過ごしていくのでしょうか。見渡せば、同僚たちはそれぞれの人生をつくるべく職場を去っていきました。今年は、そんな中でのできごとを少しずつ語っていけたらと思います。「働くとは」というおおげさなテーマを考えず、単純に働いていて考えたことなどを楽な気持ちでいけたらと思います。
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 新年になって寂しいできごとがありました。
 それぞれの職場には「同僚」という人がいる。入社が同じ時期の人である。お互いが、嫌なこと楽しかったこと、そんな時代のながれの中、同じ空気のなかで働いてきた人のことである。
 これまで、昭和天皇の崩御のときも、阪神淡路大震災、東日本大震災のときも一緒に職場で仕事をしてきた人である。お互い、一緒の仕事をしていたわけでもない。ときどき社内でみかけては「元気でやってるか」と思っていた。遠くから、「がんばれ」と思った人でもあった。
 できれば、「お疲れさま」で歓送会でもあるのだろうが、コロナ禍のなかにあってはできそうもない。最後に話したことは「これからゆっくりするよ・・・」ということぐらいであった。

 いずれは定年があり、定年後はアルバイトや再雇用としてさらに、一緒に働いてきた人でもある。ながい間、ときどき話すことがある人でもあった。今年、新型コロナ禍によってとうとう再雇用をリタイヤすることになった。
 見渡せば、一人減り、二人減り・・・と高齢者労働者は少なくなっていきます。「生涯現役」なんてことは無理でしょう。高齢者雇用をして、働くだけではなくなった体とも相談しながらです。

 おそらく、新型コロナはそれぞれの人生の選択をせまっているようなものだろうと思います。「去るも地獄、残るも地獄」という言葉にならないようにしたいものですが・・・。
 さて、どんな人生を送りましょうか。


 今月もはや終わり。1月のお正月と思いきや毎日コロナ、コロナで新年の光景も楽しむこともなく去っていきそうです。冷たい風、冷たい雨、雪、そしてコロナ感染・・・。いやなことばかりです。
 いったい何が日々を支えているようような気がします。
 コロナ感染になってしまった人もならない人も「不安」であることにはかわりはないのでしょう。できるだけ、感染しないようにしていても感染してしまうときはあるのでしょう。そんなときにそなえているような準備も必要になってくるのでしょうか。いまのところ大事なことは、感染した時にそなえ、日々の生活で抵抗力をつけることぐらいでしょうか。それには、無理をしないこと、よく眠ること、食べること、混雑する人の中を避けるこなど、いまできることをやるしかないようです。

 この時期、散歩をしているとマスクという花は日々たくさん見ますが花をみつけることは大変な時期のようです。寒さのなかでは植物も休眠の時期なのでしょう。今年はコロナ禍。そんななかで関係なく咲いている花を見ていると足を止めて、見つめたりしている。

 今思うことは、これだけ長く感染状況が続くと人間がなれてしまって緊張感がなくなり、ますます広がりがでてくることでしょうか。昨年の「緊急事態宣言」のときは、感染が減っていたものでしたが、今年は経験しているわりには増えていく傾向に驚きを感じています。これは、なれてきてしまっていくことで油断している傾向にあるからでしょうか。その中で、経済を活性化したい政府の政治政策がうらめに出ているからでしょう。
 そしてとうとう、最近「特別措置法」とか「感染症法」とかの法律が出てきました。その内容は、感染者の対しての人権をも奪いかねない危険な法案内容にもなっているようです。まさに「魔女狩り」状態になっていくのでは、思えたりもします。自分の政治政策としてやってきた医療崩壊の不備を棚に上げ、感染者のせいにしてしまうようなもののようにも見えます。



 今週、会社で「緊急事態宣言」をうけて、「自宅研修」というものがありました。あくまでも、仕事に支障がないこと、連絡ができることが条件です。これもコロナ禍での人を減らすという政策のひとつ方法なのでしょう。
 今年は、自宅での研修とのことでした。
 私のやったことは担当している『月刊誌マニュアル』でした。
 作っていて考えたことは、昔(40年ほど)は仕事を覚えるということは、職場の先輩から教わっていたようでした。先輩から、叱られ、褒められ日々覚えていました。そのなかで作業の流れを知って、自分なりの仕事での「決断・判断」をしていたものです。

 ところが最近では「即戦力」といわれているようになっているからでしょうか、少しは仕事のことができるようです。さすがに決断はできませんが、仕事のことに関してはある程度できるのが当たり前になっているようです。派遣会社にも依頼する時の、仕事の条件をいうえばそれに合わせた人を紹介してくれるようにもなっています。
 とはいえ、このことによて仕事はある程度できるのですがコミュニュケーションがなくなり、ミスもあるようです。なんであれ、仕事にはそれぞれの形があるようで、そのところを長年の技術でカバーできていくわけです。しかし、形が出来てもお客の要望もあります。その、ニュアンスをうまくつかみとって商品にしていくことはすぐにはできません。いまはそれがないのが現実です。すると、作りかえたりすることになっています。その辺を教えてくれていたのが日常の会話であったのだと思います。
 こんなことを思いながらマニュアルを作っていました。
 どうしてこうなってしまったのでしょうか・・・ね。 
 もっと日本の労働者は明るかったのではないのでしょうか・・・。


 せっかくの日曜日、朝から寒い雨です。
 今週は月末で忙しかった・・・。それでもどうにか終わりにできるってことが不思議に思えるほどった。もう、残業をやれる身体じゃないなぁ、と思えた週でもある。残業などやろうものなら、翌日はきついだろうと思う。
 今月なかなかうれしいことがない中、一つあるとしたら知人が結婚したことだろう。かつては、職場の人たちと山歩きにも行きました。残念なことは職場を辞めてからのことでしたが。なかなか楽しいことがないのがコロナ禍の現状でしょう。

 それでもボチボチいくしかないのだろう。
 読者のみなさまはいかがでしょうか。
 それでは今週はこの辺で。
 読んでくれた人、ありがとうございました。 

再びの緊急事態宣言で思うこと・・・

2021年01月10日 | Weblog
 こんにちは。
 コロナ禍のなか、お正月休みも終わり仕事も始まったころでしょう。寒さはますます、きびしさをますますばかりです。今年のお正月は、遅れて近所の初詣にいいったくらいで、コロナ禍の影響はわが家にもおよぼしているようになってきました。それでも、まだ、身近に感染者がでていないことはなによりだと思っています。

 今週、政府が再度「緊急事態宣言」(来月7日まで)を出しました。昨年の宣言よりはたいへん緩やかな気がします。どうしてか、昨年より感染者が増えているような状況なのに緩いのはなぜだろうか、「出ないよりは」と思うしかないのでしょうか。そして、内容は飲食店などが集中的になっています。これまで、午前零時まで営業していたお店は午後8時までになりました。そして国民には「不要不急」の外出は自粛するという内容でした。

 1月になって毎日、これまで2ケタの感染者が3ケタになっているにもかかわらず、今回出た宣言は何を意味するのでしょうか。
 昨年の緊急事態では、それなりの結果がでたように見えました。感染者が月を追うたびに減っていったこともありました。学校もそれ以降感染者を出さないように頑張ってきました。ところが、経済の立て直しのために「GoToキャンペーン」が始まった。人の流れも、全国的に移動が緩やかになっていくなか、月数がたっていくと、感染者がさらに激増していくようになっていきました。このキャンペーンがなかったら少しはましになってきたと思っていたやさきにあまりも早急な経済政策は失敗だったいうほかなのでしょうか。事実、そのため今回の宣言のなかには「GoTo」は一時中止になっていました。やはり人の移動は感染には大きな原因になることがわかったということなのでしょうか。
 これから、どんな状況になっていくかはいまだの分からない状況なのだと思います。ただ、人の移動や人が過労してしまうような働き方はより多くのコロナ感染はなくならないのではと思います。
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 65年目の仕事がボチボチ始まりました。毎年のことですが、1月はゆっくり仕事が始まっていくようです。どこでも「新年のあいさつ」があり、動き始めました。今年は、コロナ禍でメールの挨拶が多かったようです。リモートというのでしょうか、文字だけの挨拶もこれからのスタンダードになっていくのでしょうか。職場も再度の「緊急事態宣言」のよって、昨年よりより強力に感染対策が実施されるようになってきたようにも見えます。それが、お客と対応するところがいちばん実施されるようになっています。フェイスーシールドやシールドの衝立などがあちこちにみられるようになってきました。

 とはいえ、当該職場いくら警戒したところで他からの感染もあるのでしょう。人の移動によって持ち込まれるということも考えられます。そんなときは、感染しないようにしているなかでのこと、ある意味仕方のないことでしょう。そう思うしかありません。要は「いまできること」をやるということでしょうか。あとは、神のみが知っていること・・・なるのでしょう。



 いよいよ2021年が始動しました。
 それほど心ウキウキというところではないのが現実でしょうか。毎日、通勤が始まって乗客の様子はそれほど変わってはいません。マスク姿の人々の中に、私もひとりいるにすぎない毎日です。
 3連休のなかの「成人式」。今年は124万人の新成人がいるそうです。これまで通りの成人式とはいかないのでしょう。それぞれの地域では延期や中止、あるいはオンラインにしたりいろいろな工夫によって実施されるようになっているそうです。
 とはいえ、一生の一度のことです。新成人への対応はどんな形になっていくのでしょうか・・・。コロナ禍での対応がきっといい経験になるような成人式になっていくといいのですが・・・。それでも感染が止らないことの中にあっては、喜んではいるところではないのでしょうか。大事なことは、なんであれ、リスクの多い世の中にあっては自分たちの暮らしをどうつくったらいいのか考え、行動できる時間になるといいのですがね・・・。
 これから、新成人のほとんどは働くこと、趣味をもつこと、結婚すること、家庭をもつこと等など、自分にとって「幸せになる権利」があることを考え行動していくしかないようです。それは、別に成人の人だけにいえることではなく、生きているものすべてに言えることなど思います。
 そんな中で、「守るべきもの」を発見していくことが大事なことなと思えますが・・・。



来れば避けたい理事長でした(本音)・・・①
 遅ればせながら、昨年の総会で理事長になってしまいました。輪番制なので仕方がないと思いつつ引きうけた役職でした。読者のみなさんのところではいったい、どんなふうに理事を選んでいるのでしょうか。私のところは、おおよそ8~9年に一度廻ってくるようになっています。その輪番制で決まった理事のなかから、理事長から会計幹事まで4人がそれぞれの役職を決めることになっています。
 いろいろ4人でこれまでの経験の事情を聞いていくと「私はすでにやってます」とか「まだ引っ越したばかり」とかのそれなりの理事長避難の意見がありました。私の場合は「以前副理事を」ということでした。それらをまとめてみると、「ムム・・・これでは私が」という結果、理事長になってしまったという顛末です。

 ということで、私が理事長になってしまいました。正直なところ自分の住んでいるところにほとんど無関心でいたというのが本音という所です。気持ちは新品でも、建物は老朽化がすすみ「経年劣化」は進んでいるようです。体と同じで、表面は昨年と変わらないと見えていても、体をレントゲンでみるように、水道管や「立管」などの劣化で水漏れなどが報告されます。根源的な原因は業者を頼んで調査してみないと分からないのです。私たちに分かるのは、「天井に水漏れの後がある」とか「水が茶色になっている」とかでしょう。だいたい、目に見えるくらいなるということは「相当重症」ということなのでしょう。その対策と予算の見積などがあります。
 また、駐車場の「機械式」であれば、劣化が進んでいます。この辺は、毎日利用する住民もいるので絶対ゆずれないところとなります。ここは修理をしないとり世数る人の仕事にも関係してくる重要な問題となるようです。これも見積・・・。

 あーあっ、やることが山ほどあります。それだけ人の住む場所は手がかかるということだ、ということでしょう。これまでの「無関心」について、今年一年、ちょっと勉強していこうと考えています。
 コロナ禍もあり、めんどうな一年になるようですが・・・。マンション管理組合の実態はどんなものなのでしょうか。建物自体を生かすも殺すも管理組合の関わり方といいます。「資産として」ということをよく聞きます。一方で「担保」でもあるのでしょうか。そんなことを考えながら、2ヵ月に一度のペースで、11月ごろまでやります。今年はそれらの愚痴や様子ををかけたらと思います。


 2021年が始まりました。「緊急事態宣言」(2月7日まで)が発令された1月です。「後手、後手」といわれていますが、いずれにせよやらなければ「日本沈没」も現実なってくることも現実でしょう。今年一年、政府は本当に税金を国民のむかって使ってくれるのかみえる年にもなるのでしょう。
 このままでは、「繁栄あって国民死滅」の状態になりかねません。それでいい、という人もいるでしょう。でも廻りまわって、この国を支えているのは国民であったということもわかってくるのでしょう、ね。
 「東京五輪」? 現段階では「無観客」で、外国からの旅行者は禁止にするとか。個人的にはやめてほしいところです。人の移動が世界的になるということを考えればそれは「無理」ということになるでしょう。

 ところで、ちなみにコロナ感染はいちばんどこで起きているのでしょうか。飲み屋さんせしょうか? 電車の中でしょうか? 感染者数は日々、報告されますが、実際、わたしたちはどこがいちばん注意すべき場所なのか知らされていないようなところがあつのではないのでしょうか。

 それでは今週はこの辺で失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。 

あけましておめでとうございます。

2021年01月03日 | Weblog
 こんにちは。
 あけましておめでとうございます。そして、1ヵ月のごぶさたでした。
関東地方では、今年のお正月は天候にもめぐまれています。とてもいいお正月です。コロナ禍をのぞいては最高のお正月びよりだったのではないかと思います。おそらく、読者のみな様のなかには、やっと帰ったきた故郷でお正月を迎えている人や、いまだの帰れない人(外国の人など)も多くいる状況は変わったはいません。帰ったも、都内からの帰省者として、肩身がせまいなかで送っている人も多いと聞きます。
 私は、どこへも行かずの家の周りを散歩したり、スポーツのテレビ中継を見たりしていました。
* * * * *
 とはいえ、今年は寒さの厳しさと同様、コロナ禍でこれまで以上に自粛生活のなかで過ごしているのでしょうか。とうとう、都、千葉、埼玉、神奈川の1都3県の知事が厚労省に「緊急事態宣言」を発出するよう要請していました。昨年の12月の感染激増の状況をみれば、「遅い」とも思える要請であったとも見えます。
 そんな中、元旦からテレビでスポーツ観戦の状況をみていたら、どこでも観戦する人の多いことに驚きました。それぞれ、感染には気をつけているのでしょうが、この時期大事なことは移動の自粛でしょう。それが医療関係者の負担を減らすことだと思うですが・・・。歩道で応援している様子をみていたら、東京五輪も無理じゃないかなと思えてくるのでした。五輪を成功させたければ、今を考え行動する日々であっていいのではないかとおもうのですが・・・。だいたい、できることは簡単なことなどせすがこれが難しい。人間永遠のテーマなのだと思えた日々でした。
 毎日、「医療現場の危機」といわれています。そういわれていてもこの状況はいったいなぜなのかなーと思えてしまいます。



 今年の正月は感染しないようにと、身近なところに出かけたりして遠出を避けた人が多かったことでしょう。一年に二度「お盆・お正月」に帰省するのがこれまでの一年の行事であったようです。それが昨年は、新型コロナウイルス感染が中国の武漢からはじまり、猛スピードで世界中に蔓延した一年でもありました。その感染スピードは衰えをしらず、昨年暮れから今年には変異した(バージョンアップ)ウイルスが少しずつ拡大している様子に人類は混乱状況です。
 ウイルスも環境に合わせて成長(?)した変異したウイルス感染が少しずつ増えているようにも見えます。いずれにせよ感染はさらに、弱者層への猛威をふるっているとうのが現段階の状況のように思えます。その対応が今後の地球の形になってくるのではと思います。

 昨年6月ごろでしょうか「新しい生活様式」という言葉が記憶に残っていたことを思い出しました。人間の営みは、朝起きて、夜になったら眠るというあたりまえの形が生活様式なのですが「新しい」ということはどういうことなのだろうかと不思議に思えました。では「新しくない・今までは」はどうなのでしょうか。コンビニは24時間営業、働く人は長距離通勤時間、超過勤務による「過労死」。さらには、政治の判断がいつの間にか弱者救済の政治でなくなり、ひとにぎりの富裕層への対応になってきたりしていました。米国の一国一強体制、差別の増加などでしょう。
 それらを抑制するのが「新しい生活様式」ではなかったのでは考えていました。
 それを追求することがまさにコロナ対策ではないかと思うですが、今は忘れてしまったように、それぞれバラバラで政治の対応も他人任せの状況だと思える日々です。
 新型コロナ感染収束後の世界はどうなっていくのだろうか。今日の政治状況をみれと結局は同じようになって、「何もなかったような」ことになっているのではないかと思えてきてしまうのは考えすぎなのでしょうか。
 今は空を見上げるだけ・・・悲しい現実だなと思えます。
 ほんとうの「新しい生活様式」。それぞれ考えていく1年になりそうだ。


 新年に…
昨日より一日多い今日
新年である
生活は新年だからといって
華々しく輝く今日をつくっているわけではない
昨日より一日増えた今日
それが新年という一日というわけだ
日々は昨日のつづきを淡々とつづけた
証拠として今日なのかもしれない
昨日を忘れたわけではない
昨日を終えた結果としての今日がある

それが新年である
形ばかりのお祝いの元旦がある
一日の無事と明日からの始まるだろう
人々とのあいさつのなかに
今日は元旦だということを
静かに飲みこんだ一日である
今年がどんな年になるのだろう
予測不能な社会にあっては
不安ばかりの新年になっている
あなたはどんな年にしたいのだろうか

時刻は一刻一瞬にすぎていく
「時は金なり」という常識のことばのなかへ
身をおいてがどこへ向かっていくのだろう
コロナウイルスという共存が今の事実のなかかに、
なにをする一年になるのだろう
もう二度ともどらない昨日がどんな思い出が出にきたのだろう
そしてどんな災害がまっているのだろうか
新しい年とはなにもわからないという日々にすぎない
ほとんど嘘ばかりの世の中になにを求めていくのだろうか
ただいえることは、本当のことを見つけ出していく日々を求めていきたいと思う
心とつながりだろう
少しでももののいえる毎日を求めていきたいと思うこと


 とうとう2021年が始まってしまいました。今年1年どんな年になるのだろうか。
 そう思うなか、私はどんな「老い」をむかえていくのだろうかということが気になるところである。どうも、老いてくるとなんにでも悲観的になってしまうようだ。
 年賀状には、ほとんどんど仕事を引退した人たちからくるようになりました。その生活は、リタイヤできる生活を送っている様子だ。そんな年賀の文面をみているとうらやましくもある。
 とはいえ、人それぞれの生活があるのだろう。私の生活はどうつくっていくのか・・・。老いを体感しながらボチボチ行動していくようにしていきたいものだが。世の中はどう動いていくのだろうか。老いにムチうってまた一年が始まるのだろう。「生老病死」という言葉が頭をよぎる日々となっていくのだろう。それでも、少しずつ楽しいことを考えながら進んで行こうと思う日々であるといいと思う。



 正月休みの最後の日、初詣いってきました。今年はコロナ禍で静かなさ初詣となりました(写真上)。
 参道には出店もありませんでした。ちょっと寂しい気もしますがこれが、感染症流行の時の風景なのでしょうか。一年に一度のことです。出店を商売にする人たちにとっては大打撃となったことでしょう。正月の風景がひとつ消えてしまったような気がします。記憶のなかにのこっていく風景になってしまうのも寂しいものです。誰がのせいだ・・・と思うとこれは政治のせいでもあるのでしょう。
 
 散歩の途中、ロウバイが咲いていました。季節ははやくも春の見せてくれいました。そんな景色がまた始まります。
 まだまだコロナ禍もまだつづくのだろう。ワクチンがつくられているといいますが、間に合うのでしょうか。できたとしても、こんな状況下で五輪はないのではと思います。それより、まだ政治はやることがあるのでしょう。
 そんななか、すこしずつまた更新していけたらと思います。一日でもはやくコロナ禍が収束してほしいところです。それでも、コロナは人にいろいろなことを考えさせるきっかけをつくってくれたのではないのでしょうか。
 今年もきっと、誤字、脱字が多い更新になってしまうかもしれませんが読者のみなさま、ことしもよろしくお願いします。とりあえず、明日からまた仕事が始まります。愚痴やボヤキの多い年になるそうです。それでも、ボチボチ始められることは大事なことでしょう。
 近々「緊急事態宣言」がでるようです。これにはいつも遅い対応だと思います。政治家ばかりではなく、経済界も対応が求めらることになると思います。それがこれからのコロナ禍の対応になってくることなのだろうと思えます。
 読んでくれた人、ありがとうございました。それではまた来週。