日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

12月を迎えて…一年ありがとうございました

2007年12月02日 | Weblog
 とうとう12月が始まってしまいました。寒さも日ごとにましていくように思えます。
 いやな、いやな12月です。この月、一年のうちでいちばん働いているのではないかと思えます。会話も少なくなり、たんたんと残業の多い2週間ほど、グッとガマンが続きます。365日分の14です…。ムリせずやるしかありませんか…。
 さらに今月から灯油やガソリンが値上げされたと報道されていました。ガソリン1リットル156円、灯油18リットル1700円となり、工場などで多量に使っている光熱費がかかると食料品やその他の日常品まで値上げへの影響は必須です。12月が始まったところから頭の痛い話です。
………………………………………………………………………………*
 さて、12月をむかえるとふと「今年1年はどんな年だったのかな?」と思います。わたしにとっての今年1年を振りかってみると、あまりいい一年ではなかったと思えます。10月、11月にたてつづけに身内の訃報があり、四国に千葉に家族での移動などそうとう交通費や葬儀などに費用がかかったことなどもその理由でもあります。反面、こればかりは予想がつかないことなので仕方がないのかもしれません。
………………………………………………………………………………*
 ふたつの葬儀に列席して思ったことは、「盛者必衰、諸行無常」という気持ちでした。人はいずれ別れがきて、土に還っていくのだろうとつくづく思った2カ月もありました。
 それぞれの違う土地での葬儀のありかたも違うこともリアルに感じたものでした。
 四国では他界した父が94歳という、おそらくこの記録を身内は破れないほどの前人未到の年齢でした。私はこの歳に近づけるのか自信はありません。彼をこうんなにも高齢であっても頑張れた理由がいつか私もゆっくり考えてみたいと思います。きっと支えることのできたものがあったのではないかと思います。
 千葉では63歳という若さで兄が他界しました。私とは12歳くらい離れていて子どものころは一緒に遊びにいったこともなかったし、日常的にはあまり会話もしなかった兄でした。病気で倒れてから2回ほどお見舞いにいきました。わたしの想像ではタバコも酒もそれほどやらない兄がこんなに若い歳で他界したことに「あまりにも若い死に無念だろう」と思いました。
 お通夜では、兄のつれあいが、子どものためい一生懸命、パートやアルバイトなどに奮闘してきたことなど話がありました。また、カラオケなど日常的に楽しそうだった兄の姿などの話が聞かれました。以外と兄は元気に楽しく、子ども達や姉の親戚などと楽しく送っていたんだろう…と想像できたのも救いでした。
 最期にこれまであまり話ができなかった人たちと会えて、話ができたことが救いでした。
 そして、私自身も気をつけないと思いました。
………………………………………………………………………………*
 日本は男女とも平均寿命が延びているといいます。しかし、実態は平均寿見を伸ばしているのは当人や生活環境がよくなったからではなく、医療技術や薬のおかげが大きいのが現実です。医薬品もも大切なひよつです。そのおかげで、病院で何年も寝ていても寿命があるとうことになります。
 でも、大切なのことは医療の2割くらいかかって、あとの8割は病気とつきあって毎日を自分の足で生活できることだと思います。
 いつでも、新しい薬ができるといかにも病気がなおるかのようにセンセーショナルに報道されますが、大切なことは病気であれ、健康であれ自分自身や家族との余裕のもてる生活保障がもっと大切なことだと思います。
 最後はそういう「政治」になるのでしょうか。
………………………………………………………………………………*
 一年間どうにか続けられました。言いたいことや書きたいことなどをうまくいえないことが多いブログでした。簡単に「言葉」や「文章書き方」などが不足しいるのでしょう。そんなことをいったら、進まないというところが正直なところでしょう。
 12月は忙しくなるので今回でブログは休止します。
反省として、ほとんど「自己満足」でしたが……。
それではまた来年まで……。カゼなどひかぬように注意してください。
一年間、読んでくださった方、ありがとうございました。