日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

自然(人)災害あり、戦争を意識した8月でした

2014年08月31日 | Weblog



 こんにちは。
 8月も今日で終わりです。どんな8月であったのでしょうか。
 毎年、くる夏ではあるのですが今年は昨年よりちょっと違う夏を見つけたのでしょうか。
 散歩をすると、朝夕は涼しくなってきて秋の虫が鳴いています。セミの声ももアブラゼミやクマゼミからツクツクホウシへと変わってきました。
人と人の挨拶も「暑い…、暑いですね」から「涼しくなってきましたね…」に変わっていくのでしょうか。そして、今月は日本にとっては「戦後から69年の夏」でもありました。ふつうは、年をとるにつれて、過去の歴史には謙虚になって反省するのが常なのですが、今、日本は年々、「危うい日本」という気がするようになってきました。それも、自然災害や原発被害と再稼働、さらには暴力=軍隊の足音が少しずつ大きくなるようなニュースが身近になってきたように思えました。それも、直接ではなく、周りから徐々に少しずつ…という感じで日本が窮屈になっていくようにも思える8月だったように思えます。
 
 一つに、日本の表現の自由が危ぶまれたニュースがありました。
 都内国立市で毎月行われている「憲法とわたしたち」という連続講座に市が待った…、という記事がありました。いまこそ、憲法を知るいい機会であるはずなのに市の後援をしないというものでした。
 調布市でも「調布九条の会『憲法ひろば』」が創立10周年イベントを市に後援を申し入れたが後援要綱に難色をしめしているという。
 こればかりっではなく、さいたま市大宮区でも「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」と詠んだ市民の句が排除されました。
 担当教育長は「集団的自衛権が背景にあり、掲載すべきではなかった。今後もこの立場をご理解いあただく」という対応であった。

 少しずつ、暮らしを考える政治が市民の手から「一強多弱」のあおりで黙らされていくように見えた。通常、市民が「反対」という声がとりあえず選挙結果にあらわれて、市政が運営されていきます沖縄では、反対が選挙結果に反映さていても、米軍の基地移設を辺野古に移設する政治が強行されています。
 いったいこの国の地方自治はなんだろう…という疑問がうかんだ8月でした。これが、2014年の日本の夏であったことは事実です。事実は事実として受け止めて、9月へと向かうしかありません。
 私にとっては、8月は終わってしまいますが、今年はこれまでで最悪な8月になったように思えるものでした。

 さて、読者の皆さんにとってはいかがでしょうか……?


 月末は、今月図書紹介コーナーです。
 暑いせいでしょうか、本は遠い存在でした。暑い、厚いのは敬遠気味でした。事実、今月読み終えた本は2冊でこれまでで最低でもありました。
 一冊は、知人の紹介で読んでみた村上春樹さんの小説でした。これは、おしゃべりをしていて、友達がなんかのひょうしに名前を出して、ならば一冊いい本があったら貸してください…、ということで読んだものでした。それにしても、ぼくは今一度、村上春樹という小説がよくわかりません。なにをいいたいのか、何をめざしているのか、よくわからなかったようです。これは、ぼくの勉強不足なのでしょうか。

 単純に思うのは「本なんて読まなくても生きていける」という認識でいれば、村上春樹さんは読んでいなかったでしょう。貸してくれた人が、あまりにも熱心で、その人そのものの熱意があったからお借りして読んだものでした。えらいもので、作家は読者がいてなんぼで、それがいい読者にあたってみれば作家生活も続けられるというものです。

 

 センセイの鞄/川上弘美/新潮文庫
・失敗した。大人は、人を困惑させる言葉を口にしてはいけない。次の朝に笑ってあいさつしあえなくなるような言葉を、平気で口に出してはいけない(p182)

・たとえばセンセイと肌を重ねることがあったならば、センセイの気配はわたしのとって確固たるものになるだろうか。けれども気配などというもともと曖昧模糊としたしたものは、どんなにしてもするりと逃げていってしまうものかもしれない(p209)

・しかしほんとうに、今まで一人で「楽しく」などと生きてきたのだろうか。楽しい。苦しい。暑い。なまぬるい。いったいわたしは、どんなふうに生きてきたんだっけか(p243)

・センセイの意向を気にすることをわたしはもう止めたのだ。つかず。離れず。紳士的に。淑女的に。淡い交わりをを。そうわたしは決めたのだ。淡く、長く、何も願わず…近づこうと思っている(p260)

・人間の体の営みは、脳下垂体も内臓も生殖器もひとなみなのである。そのことをわたしはセンセイの年齢を通じて知るようになった(p279)

【本のあらすじ】
ひとり通いの居酒屋で37歳のツキコさんがたまさか隣あったご老体は、学生時代の国語の恩師だった。カウンターでぽつりぽつりと交わす世間話から始まったセンセイとの日々は、露店めぐりやお花見、ときにささいな喧嘩もはさみながら、ゆたかに四季をめぐる。年齢のはなれた男女の、飄々として、やがて切々と慈しみあう恋情を描き、あらゆる世代をとりこにした谷崎賞受賞の名作。


【感想】
 こんな偶然があっていいのだろうか。年をとっても男は男、女は女、そして人間。男女の感情は死ぬまで無くしたくないと思った。まして、好きな人は人間を成長させてくれる。それも、憎しみ、苦しみ、愛というものを思いながら「一人では人生、生きていけないなあ」とつくずく思わせる小説でした。
 そして、二人を包む四季おりおりの風景もいいと思えました。会話のなかに四季のできごとからはじまるのだろう日もあったのではないかと思う。
 生きていることを、今から楽しもうとしたい人は是非、一度読んでみたらいいと思う一冊でした。

 実はぼくがこの本を読んでみようと思ったのは、以前「年をとってはじめてわかること」立川昭二著(新潮社)がきっかけだったと思います。シルバーシートの前に立ったとき、小学生に「どうぞ」といわれたら「私ってそんなに年とっていたっけ」と思った。でも、客観的にみたら年をとっているのだろう。白髪まじりの頭だし、顔にはシミが少し出てきているし…とやっぱり老人なのだろう。では、老人は何が得したと思い生きていったらいいのか、と考えたとき読んだ本でした。そのなかに、「センセイの鞄」という本が紹介されていたので、手にとってみました。

 読んで、肉体的には衰えていてもまだまだ成長するところがあるのではないかと思いました。それは、人としてのもつ生き方にもつながるものではなかったのではないかと思います。
 「命短し、恋せよ老人」です。そんな気持ちは大事だと思います。度が過ぎると、セクハラやパワハラのリスクはあるので注意して読んでください。これは、あくまでも独身(一人身)の話ですから、誤解しないように。

川上 弘美(カワカミ ヒロミ)
1958(昭和33)年東京都生れ。’94(平成6)年「神様」で第一回パスカル短篇文学新人賞を受賞。’96年「蛇を踏む」で芥川賞、’99年『神様』でドゥマゴ文学賞、紫式部文学賞、2000年『溺レる』で伊藤整文学賞、女流文学賞、’01年『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞、’07年『真鶴』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞


 アフターダーク/村上春樹/講談社文庫

【感想】
深夜から朝までの時間を追って、傷つきやすい若者たちの会話が読んだ人に作者の思いを伝えているよう小説でした。背後には音楽の曲名をいれてBGM効果もイメージさせることによってより効果的に読者を引き込もうとする作者の粋(いき)な配慮が、いかにも村上風なのかなと思えました。でも、まったく曲名に音としてイメージできない読者はどうなのだろうと思えます(ぼくはソニーロリンズくらいしかわかりませんでしたが…)。

 小説では、人々が眠りつくころ、静かになったホテルを舞台にそれぞれの言葉が、自分の生き方のシンボルとして語り合っているように思えます。理不尽な時代に影響された若者が自分の言葉をさがしています。
 その中で語られる会話が印象的です。
 「……僕らの人生は明るいか、暗いかだけで単純に分けられているわけじゃないんだ。そのあいだには陰影という中間地帯がある。その陰影の段階を認識し、理解するのが健全な知性だ。そして健全な知性を獲得するには、それなりの時間と労力が必要とされる。君は別に暗いわけじゃない」(p273)と語るなかに、眠れない原因を肯定しようと語られている。
 さらに、マリという女性が
「……正直な話、私はこれまでにけっこうたくさんの男とセックスしてきたけれど、考えてみれば結局ところ、恐かったからやねん。誰かに抱かれていないと恐かったし、そんな風にセックスをしてもね、なにもええことなんかない」と語る。男の女の関係を肯定するなかでマリは眠ろうとしている。そして、会話は自分の立っている位置を確認しようと続く……。

 私は小説の中での会話をする内容は何十年もまえに誰かと語り合っていたように思えたように思えます。それが、小説を読んでいて「追体験」をしているような気分にさせていました。
 「同日同刻」世界中のどこかで何万回も同じような会話があったのだろうと思い起こさせる内容だと思えました。戦争であれ恋であれ、人が生きていくという前提に会話は言葉として話していかなければ「人」という生き物を理解していけないだろうとつくづく思えました。

 私は、一方で多くの読者を持つ村上春樹という小説家は、今の時代の特徴に多大な影響をもっている小説は「時代を写す鏡」と思えば、『アフターダーク』という小説も、読者の鏡になっているようにも読めます。その時代の若者が、夜も眠れず、延々と話す内容に心あたりが、きっとあるはずだと思える会話もありました。それが、この小説のよさなのだと気がつきます。

 今、時代は「ブラック企業」「契約社員」「再雇用」という若者に生きづらい社会になってきていることを考えれば、会話の大切さがゆっくり眠るためにも必要になってきたのではないのでしょうか。
 言葉に優しさをもつことも大事です。多くの理不尽な社会を憎んでも何をもうまれないということにも気づかされます。会話をもって、時間とともに解決していく日々が大事なことだろう。曖昧さのなかからつくられたものを、会話の中から探し出し、自分を変えていくしかないようにも思えました。
 そのための「深夜の会話」が眠らずやるときがあっていいと思います。

 これまで、生きてきた年数だけの言葉があるのでしょう。記憶に残しておきたいもの、忘れたいものいっぱいあるのではないかと思います。忘れたい言葉は暴力的なできごとが生み出されたものだと思います。それが憎しみになって覚えているのでしょう。
 言葉には痛みをともなうものがあります。戦争のような物理的な暴力もあるでしょう。

 大事なことは、「言葉って本当は、仲良くなるためにあるはずなのにね……言葉って、心を一つにしてくれる大事なものだよ……」(徳永英明「WEALL」より)ということを忘れてはいけないこと。
 でも、私は大事に思うことは、暴力で理不尽であれ、解決するというよりも、楽しいことをたくさん作り出すことで、自分が変わっていかなければ、いつになっても変わらないでしょう。
また、すべてを肯定してしまう自分をつくること。そこからしか始まらないように思えます。

もう一つ「言葉」に関して8月という月で忘れてはいけないものもあります。
太平洋戦争の時代、連合軍の攻撃によって日本は次々に玉砕という悲劇をつくってしまいました。そのとき、連合軍が日本人の戦死した軍人たちの日記や手帳を集めて研究のため自国に持ち帰ったそうです。日記や手帳は現在もアメリカが保管していて遺族には返ってはいないそうです。
今回(2003年)にNHKが保管しているアメリカに渡ってそのコピーを持ち帰ったそうです。そして、その内容と日記や手帳を遺族に返していく番組を制作し放送されました。
 その日記や手帳には戦地で家族や恋人に伝えたかった言葉がめんめんとつづられていました。
 戦争も末期、負けるとわかっていてもなお抵抗を続けたなか、死んでいった人たちの「本当の言葉」が放送されていました。
 戦後「ただいま」と言えず死んでいった人たちの言葉が、妻へのお礼、兄弟への励まし、恋人へのやさしい言葉であり、と本当に大切な「伝えるべき言葉」だと思えました。

 そして思うことは、人は言葉を伝えるために、また自分を励ますために残していることに気づかされます。そして、書き残すことの大切さをいっているのではないかと思います。それが、マスコミの誇大化された言葉でなく、自分の生きた言葉で伝えていく……ということが大事ことかわるような気がしました。

 少し横道にそれてしまいましたが、「言葉」つまりは会話の中身が自分の意思として伝わることということは大事なことだとつくづく思いました。それが、その時代のわたしの言葉として、振りかえるときに大事な記録と記憶として伝わることが大切な時代かもしれないと思えました。
…………………………………………………くどいですか?


 今、国会は休館中です。
 7月に「集団的自衛権行使」の閣議決定を受けて時間がたっています。
 忘れてしまいそうな日々もあります。ぼくも、「集団的自自衛権ってなんだっけ」とならないよう、28日(木曜日)夕方の学習会にお茶の水に行ってきました。途中、御茶ノ水の夜の静かさのなかの居酒屋を振り切っての参加でした。(御茶ノ水の学生街です。夜は静かで、路地を入って、遠いところにポツンと居酒屋の灯りが見えたりすと、立ち寄って静かに飲みたい雰囲気満載の場所ですねえ)

 この日は、東京新聞論説員の半田滋さんの講演でした。テーマは「集団的自衛権のウソ」というものでした。
 「うそ」とうのは、これまで安倍首相が集団的自衛権の閣議決定をするために、国会で説明したことについての解釈でした。実際はありえないことを、人の同情をひくような言葉と説明に半田さんが、具体的に歴史的経過をまじえて現実ではどうなっているのかという説明でした。

 そのなかのひとつを紹介すると首相答弁の「他国を守るために日本が戦争に巻き込まれるという誤解があるが、あり得ない」という説明では、これはもう「政府の思考停止」状態である、ということ。
 「戦争に巻き込まれない」はない。まして、日本は島国。周りには原発がある。集団的自衛権行使をした相手は必ず、何らかの攻撃はしてくる。攻撃しやすい国。事実、朝鮮労働党新聞では「朝鮮半島で戦争の火花が散り、自衛隊が介入しても、日本が無事だと思うならば、それより大きな誤りはない」といっている。
 日本側では「K半島事態処理計画」(防衛庁・防衛省)という想定がされている。それによれば、一個軽歩兵師団、港湾・重要防護施設の破壊、弾道ミサイル、27万人の避難民……という想定がされていたそうだ。
 ほかにもありますが省略します。

 等など……。民間の船舶も利用可能にしていると報告してもいました。
 私たちには知らされない場所で既成事実が着々と進んでいるそうです。
 また、危険があると防衛大学の幹部候補生が辞めることが多いそうで、今回もいつにも増して多かったそうです。

  正念場は来年の通常国会だそうです。関連法案が矢継ぎ早に出され、強行採決……かということでした。
 久しぶりに、社民党の福島瑞穂副党首の顔がみることができました。がんばっていますねえ。
 以上簡単ですが報告です。

 当日、会場で気になったことがありました。参加した人を見渡せば、ぼくと同年齢くらいの人ばかりでした。若い人の参加は、少なかった。学生さんもいないようですし、いったいどこへいったのかなと不安になりました。
 これが今の現状なのでしょうか。以前、新聞で「若い人の参加」がないとの投書に出ていたことを思い出しました。若い人の張りのある音がない。
 徐々に、人が生活する「音」が消えていくような思いがしました。その代わり、人の心も建物も破壊をする「音」が小さく聞こえるような講演でした。
 いったいどうなるんだ……という気持ちがあります。
 少しずつ、中身を勉強してこれからもできる限り参加していこうと思いました。


 今日で、最悪の8月が終わります。
 最悪なのは「政治」のことで、日本の政治家の歴史認識を疑ってしまいます。講演会では、これまで以上に政府は秘密を国民に報せず進めるでしょうには、唖然としてしまった。これが、最悪というもの。

 職場の人が辞めたということもショックでした。これから、自分の夢を実現するべくがんばるー、との声に応援したくなりました。

 明日から9月です。さて、どんな月になるのでしょうか。スケジュールも考えていこうと思います。当面は、4日(木曜)の日比谷野音での集会に参加。参加したところでどうなるの…という声を振り切って、日々思います。ぼくはいいけど、次世代はどうなるんだよ、と思うと自分の子どものことが気にかかります。できるときにやっておこうと開き直っていくしかないようにも思います。
しごともがんばらないと……ね。
お疲れ様でした。
*読んでくださった方、ありがとうございました。

久しぶりに飲めば……

2014年08月24日 | Weblog



 こんにちは……
 お盆も過ぎ、短い夏休みの余韻を残しつつ、仕事の一週間はすこしきつかったように思えます。みなさまはいかがでしたか。
 久しぶりに、暑さも少しばかりやわらいだということで多摩川に散歩にでかけてきました。それでも、やはり残暑です水辺では暑さをしのぐ遊ぶがみられました。散歩の道すがら近くにある市営プールにもたくさんのおやこ連れがいました。夏休みももうすぐ終わりますね。
 散歩道にはセミの死骸がポツンと落ちている光景もみるようになりました。それでも、今を必死に鳴いているセミたちにはいとおしさを感じさえします。

 さて、暑さを避けて海に山にでかけてた後の様子といえば、無事帰ってくることがなによりです。それでも、今週は水の事故も多くありました。
 とくに集中豪雨によって、住んでいる裏山が崩れ、土砂に押しつぶされた土砂災害が連日報道されていました。
 広島市で起きた土砂災害では死者42人もの災害が起きました。ニュースで報道される映像をみていたら、住んでいるすぐ後ろが山になっている。豪雨で山の斜面に大量の水がしみこんで地盤がゆるんで土砂がくずれたようになった…という思いは容易に想像できた。避難も情報が遅れ、さらにはその情報をきいて避難する時間が明け方、いずれも初動が遅くなってしまった結果、災害がおおきくなった。スマホが普及しても、それを行動にうつせる瞬時の住民への訓練ができていなければ意味がないように思えた。
 まだまだ、土砂にうめれた人たちを救助の活動は続いている。
 亡くなられた方にはご冥福を祈るばかりだ。
一日でも救助ができる天候に回復してほしい。


 8月。日本にとっては「反省」「猛省」の月でもあります。
 69年前まで戦争を繰り返してきた歴史を反省の月もあります。
 今年の8月は読者にとってはどんな夏になったのでしょうか。
 今週そんなコラムがありましたので紹介します。
 
 安倍晋三首相の下で八月を迎えることが苦痛である。広島、長崎の原爆忌の式典におけるあいさつで、彼はコピペの文章を読み上げた。彼の真意は、この二つの行事に嫌々参加していることを伝えたという点にあったと思う。彼は靖国神社に祀られている戦没軍人に大いなる「尊崇」の念を訴えるのだが、眼前にいる被爆者は「義理で付き合っているんだよ」という尊大な態度をあらわにする。性格の悪いガキのような行動である。
 戦没軍人と被爆者(あるいは民間人犠牲者)を分けるのは、国家のために犠牲になったかどうかである。しかし、戦死者をそのような意味づけることは、むしろ戦死者に対する冒瀆ではないか。理不尽な死を強いられた兵士も民間人も同じである。我々にできることは、その無念と恐怖を想像し、死を悼むことだけである。

 戦争の犠牲者をどのように悼むかは、戦後の日本がどのように生きていくのかという問いに直結する。八月十五日は、すべての戦争犠牲者を悼む日である。そのことを確認すれば犠牲者に報いるためにはいま生きる我々が何をすべきか明らかとなる。外国の戦争に日本が参加して犠牲者を作り出すなど、論外である。来年の戦後七十年に向けて、この議論を続けなければならない。
「東京・「本音のコラム」8月17日(日)・山口二郎」より掲載


 この夏NHKの世界ドキュメント「ヒトラー 権力掌握への道」の再放送をみていた。第一次世界大戦から第二次世界大戦のの流れのなかでヒトラーは政治をどのように権力を掌握し、悲劇の歴史を私たちの前に突きつけてしまったのか…という内容だった。ヒトラーの青春時代は芸術家志望で勉強をする普通の青年だったようだ。戦争、疲弊した経済によって彼は軍人になっていく。そこで、見たものは戦争での生き方が彼を変えていったように思う。

 戦争時代から政治家に転進する理由は「わが闘争」という本に書かれている通りユダヤ人迫害によって権力を掌握することだった。当時のワイマール帝国が崩壊。政党政治では他党を迫害、追放によって一党独裁。とうとうファシズムともいわれる状態をつくってしまった。
 世の中は、ドイツ人は迫害されているのはユダヤ人だけだと安易にも考え政治に関心がなかった時代だった。多くのユダヤ人迫害、さらには戦争による併合で多くの戦争の「賠償で裕福となっていくなかで無関心はさらに増幅されていったようだった。
 戦争拡大でさらに若者が組織され気がつけば、戦死者がでてきた結果、ようやくドイツ人にもヒトラーの悲劇であることに気づくのだが遅かった。それも、「無関心」ということがさらに拍車がかかり悲劇は暴走を続けた。結果として、わかったことはのちに、悲劇の歴史としてが証明されるのは多くの死者がでてからだった……。という内容だった。

 ここでつくづく考えてしまうことは、ヒトラーも若い時代は普通の夢多き青年に過ぎなかった…とうことだ。経済不況が人々を貧しさにさらさなければ、ヒトラーという青年は違う面で活躍していたもかもしれない。そして、ヒトラー政権の時代、ドイツ人たちが政治に無関心でなく、当たり前の民主主義をやろうとしていれば暴走は防げたかもしれなかった……ということを暗示しているいかのようだった。

 そして、日本。
 第一次安倍内閣から第二次安倍内閣になって、あまりの変貌ぶりにヒトラーの時代とどこか似通っていると思えてしまうのは考えすぎなのだろうか。NHKの人事や特定秘密保護法の強行採決。一強多弱の政党政治で戦争はもっと身近になったようにヒトラーのドキュメントとオーバーラップしているように思えた。


 


くされ縁でもともだち……
おとなになって考えた
ともだちは
子どもにかえれるともだち
大人にもどるともだち
恋人のような気持ちにさせてくれるともだち
3人の友をもつことがいい
くされえんでいい

昨日のわたしなら
子どもにかえっていた
それをゆっくり静かに
聞いてくれたともだち

そうしてきょうは
いい思いでは生きているうちに
悲しい思いでは生きていれば
わたしを優しくすることに気づかさせてくれている
人ということを後悔させない
三人のともだちをつくればいい
目線を合わせて語れる友だちがいればいい



 季節はいつのまにか秋にむかっているようです。
 それが証拠に、生きとしいきるものが少しずつ地上に降りてきていることに気がつきます。葉っぱが、セミのし死骸が地面に落ちていきます。日の出も初夏のころよりおぞくなってきました。夕暮れも、西の空に夕焼けがきれにうろこ雲と一緒に見えます。

 さて、今年の夏はいい思いでができたでしょうか。人それぞれ思い出がちがう中、わたしは、これかも人間として付き合っていかなればならないということに気づいた8月でもあったように思います。
 人生、出会いあり、別れありでそれぞれの人間的深みをつくっていこのだと思います。そして、きっと誰かに励まされて前へ進んでいるのでしょうね。気がつかずいてもいっこうに害はないものも多いようです。私は、今月、愚痴をいっているうちに「三人のともだち」という詩を書いてみました。還暦も近づいてくると、気がつけば疎遠になることも多いようです。
 そのなかでも三人はいてほしいと思いました。
 さてさて、みなさまの友だちは家族以外に何人いますか……。
 友だちは多いほうがいいといいます。でも、実際付き合うのはそのなかの数人になってしまいます。それを「くされえん」と書いてみました。

 一週間がはしまります。どんなことを思い、どんなことを伝えていく一週間になるのでしょうか……。

 30年もの長いあいだ連絡しあっている友だちから「残暑お見舞い」が届きました。この年のなると、自分も老人、親も老人ということになります。そして介護ということもあるようになります。大変さは消えようとはしませんが、人とのつながりのなかで、やっていくしかないように思います。

では、お疲れ様でした。
*読んでくださった方、ありがとうございました。



58年目の短い盆休み

2014年08月17日 | Weblog



 こんにちは……
 8月も半ば、不安定なお天気に毎日悩まされています。盆休みも故郷へ帰って一息いれてきたところでしょうか。短い盆休みはいかがでしたか。
 いまごろは、休みの疲れを休めているころでしょうか。
 立秋がすぎてから、日の出が少しずつ遅くなっていくようなってきました。散歩道を歩いていたら、セミの亡骸を多くみるようになりました。

 今年はなにかと物騒なニュースばかりで、平和さえも危うい年なのでしょうか。ニュースでは「69年目の夏」という記事が多くみられた夏でもあったように思えます。
 あいかわらず、日本と韓国、中国戦争時代の歴史に認識がちがっているようで外交はギクシャクしています。さらには「集団的自衛権行使」「憲法改定」となれば、アジアの国々からは日本の未来に不安をいだくのは当たり前かも知れません。それを外交で話し合いで解決していこうという安倍政権の動きがみえないのは、危険な兆候です。このまま、中国や韓国にたいして、戦争の反省を「歴史」の中から見つけ出していく作業がなかれば、いつのまにか「力・暴力」によって解決しよういう関係になっていくのではないかと危惧します。

 8月15日に靖国神社で若者(大学生らしい)に今日という日についてインタビューしたニュースが報道されていました。そのなかで「日本はどこと戦争をしていたかわかりますか」という「どこだっけ…」「わからない」という回答にはあぜんとしてしまいました。全部の若者がそうだとは思いませんが、これにはびっくりしました。これが現実の8月15日の日本なのでしょうか。
 なぜなんでしょうね……。今、起っているところはどんなところなのかということもわからないのでしょうか。ちょっと、怖い気持ちになりました。

 「平和」という言葉は、生きて生活していくうえで社会の目標のようなものだと思います。今の政権は「積極的平和」といっています。積極的……??
 積極的はいりません。市民の声を政治に反映させればいいだけなのだと思えますが、それを「積極的平和」とい言葉がぬきんで出て、安倍政権は平和をつくろうしているようです。
 政権をとった政党の「平和」に関する考えもバラバラとうことなのでしょう。そこには、利害関係でがんじがらめになっている平和が見え隠れしているように思えます。

 こうした、なにもわからないうちに事がすすめらていくことがいちばん危険な時代かもしれません。「なぜこうなるの…」「わからない」という時にいっきに政治が多くの法案をつくり、気がついたときにはがんじがらめになっていてなんの解決策もなくなって進んでいく政治にほんろうされていくことは、これまでに経験してきたはずなのに忘れてしまっている……そんな時代ではないかと思えました。

ここに戦争はいつ終わったのか…という問いに、とても分かりやすく応えている文があったので紹介しておきます。(2014/5/18/東京新聞「時代を読む」/内山節)

  第二次世界大戦はいつ終わったのだろうかと思うときがある。国としての戦争は、昭和二十(西暦一九四五)年八月十五日終了した。しかし、たとえば、その後ソ連軍の捕虜となりシベリアに抑留された人々の終戦はいつだったのだろうか。数年後に日本に帰ることができた日なのか、抑留中に亡くなった人たちにとては、終戦はあったのだろうか。

 空襲によって焼け出され、その後も苦しみ抜いた日々を過ごさなければならなかった人たちにとっての終戦は、いつだったのだろうか。昭和の終わりに近づいていたころ、私は夫の南方戦線で行方不明になった夫の帰宅をいまも待っているおばあさんに出会ったことがある。このおばあさんにとっては、戦争はまだ終わっていなかった。

 こんなふうに考えていくと、昭和二十年は、国としての戦争が終わったにすぎなかったのである。戦争の時代を生きたきた人々にとっては、まだ終戦は訪れていなかった。
 いや、正確に述べれば、昭和二十年に国としての戦争が終わったのかどうかも疑わしい。日本としては八月に無条件降伏をしたのだから、それで終わったというかもしれない。しかし戦争の目的は、相手を倒すことではなく、その後の統治をへて、戦勝国に都合のよい社会や世界をつくることである。だからたとえばイラク戦争では、アメリカはフセイン政権を倒すことには成功したが、その後の統治に失敗し、都合のよい世界をつくることができなかったという意味では、戦争に勝ったとはいえないのである。

 このような視点から考えると、アメリカの対日戦争は昭和二十年に終わったのではなく、都合のよい日本をつくりあげることによって終了したと思った方がよいのかもしれない。
 とするとアメリカにとって都合のよい日本とはどのような日本だろうか。それは同盟国としての日本ということも、価値観を共有する日本ということもできる。アメリカ的民主主義やアメリカ的経済観を共有する日本ということになる。

 そしてそのために必要なことに、日本の社会のなかに蓄積されていたさまざまな記憶の抹殺があた。そのなかには大東亜共栄圏を目指した強国日本の記憶や、大日本帝国憲法とともにつくられた社会の記憶を抹殺することも含まれていた。しかしそれだけではなく、日本文化や日本的自然観、コミニュティーなどの記憶を消し去ることも、また課題だったのである。
 もちろん大東亜共栄圏を目指した帝国主義時代を、きちっと総括しておくことが必要だ。日本の社会がもっていた負の部分を改革することも大事な課題だ。

 しかしアメリカにとっての目的は、そういうことも含むさまざまな記憶を抹消することによって、都合のよい日本をつくることにあった。戦争が都合のよい世界をつくるということにあるなら、最終目的な目的は、その社会の記憶を抹消し、自分たちの価値観を共有させることにある。とすると、いま日本の政権のおこなっていることも、ひとつの戦争なのかもしれない。まぜなら、改憲をもくろんだ集団的自衛権の確立や近隣諸国の敵国視などをとおしてすすめられている政策の背後には、何よりも平和を望み、戦争を否定した戦後の記憶の抹消にあるからである。


※すこし長めの文章でした。この文章が8月のいまいちばんぴったりくるように思えます。




 私にとって58年目の夏。
 今年も毎年の行事でもある墓まいりや、故郷に帰ることもなくなった分、都内のあちこちで行われているイベントに参加していました。
 故郷というところは、生まれた場所でもあります。また、そこに私をこの世に出してくれた父母がいる土地でもあります。生前は、無理をしてまでも、その父母に会いにいっていましたが、亡くなってからは疎遠になっていくようです。いまでは、それに代わって、私たちが子供の故郷になっているのでしょう。年々代々、それが受け継がれ、故郷は移動していくのだろうと思います。

 今年は盆休みは、趣向を変えて都内のめずらしいところを見学したり、体験してきました。
 一つには、新宿でのフルーツ専門のお店での食事会。なんとも、フルーツだけで昼飯を済ませようと魂胆でいったのですが、まあ、けっこう混雑していました。それでも予約をして行ったおかげで時間とおりには食事ができました。世の中にはこんな食事もあるんですね……。

 さらに、久しぶりに歌舞伎にいってきました。
 行っていることは良く分からなくても、身振り手振りでなんとなく分かるので面白いと思います。なんといっても、喜怒哀楽の表情が豊かであるのでわかるように思います。わたしなんか、にわか歌舞伎ファンなのであまり詳しいことはわかりせん。それでも、伝統芸能というのでしょうか、日本人の感情をゆさぶられる幕もありました。
 要は、人間の滑稽さや醜さを見事に芸で表現しているのが歌舞伎ではないかと思います。それも、江戸時代から受け継がれてきた芸ということもあって、こんな風に昔の人も楽しんでいたのだろうか…と思えました。

 年々、盆休みの形が変わっていくようです。来年はどんなことをやっておるのでしょうか。健康であれば、家族で山登りにでも生きたいものです。


 今年の盆休みが終わりました。
 みんさんはどんな盆休みであったでしょうか。都会の盆休みは、人も車も少なくていいです。静かな都会を感じることができます。
 公園にいっても人もまばらであるし、けっこう穴場なのではないかと思えますが……。

 また、ボチボチ仕事の生活にもどっていきます。いまのところ、仕事が以前よりはちょっと面白くなってきたように思えます。
 それが事実に去年の健康診断では「胃の再検査」だったのですが今年は「異常なし」でした。これも日々のストレスがなくなったからかもしれません。
 
 また、暑さをさけていた休止していた山歩きを再開しようと思います。のんびり、近所の山をあるいてこようと思います。
 今年はなんにつけ、集団的自衛権…という言葉がついてくる年になりそうです。自分の国の将来を左右する政治状況がだんだん身近になってくるように思えます。どんな内容になるかはこれから少しずつ、現れてくるのではないのでしょうか。これが、安倍政権が本当にやりたかったこと…ととして出てくるのではないのでしょうかね。そんな状況もみながら、出来る範囲で参加していこうとも考えています。それについての勉強も好奇心をもってやっていきたいです……。みなさんもキャンプに山登りに観光地にと、きっと楽しいお盆休みをとったことだと思いますが……。
お疲れ様でした。また、明日からがんばんりましょうか。

※今年の夏は、雨の被害が多いようです。天気も集中豪雨ばかりです。ニュースなのでは洪水で避難されている地域もあるようです。いったい地球にどんな変化がおこりつつあるのでしょうか?
それでは、読んでくださった方、ありがとうございました。

 

残暑…夏はこれからですね

2014年08月10日 | Weblog



 こんにちは……残暑お見舞い申し上げます。
 季節はいつのまにか立秋となりましたね。
 お盆が近づいていますが、台風11号の発生で故郷へ帰る人たちを困らせています。飛行機は欠航になり、高速道路は渋滞をはじめました。
 日本という国をグート引いて見てみれば、町のあちこちで祭りや地元での昔からの催しがあることがわかります。最近では、子供も少なくなっているからでしょうか、ちょっと寂しい祭りが多いようです。

 路地をはいればそれでも楽しみはきっとあるのでしょう。これからはそんな散歩も大切な行動なのかと思います。この時期、故郷にかえって子供のころ行けなかった路地を発見して懐かしむのもいいかもしれません……ね。
 
 さて、今週日本中は「盆休みモード」にはいっていくようです。それぞれの通勤電車は学生さんが休みということもあってちょっとすいています。朝の通勤ラッシュはちょっとは緩和されています。これは今月くらいなのでしょうがとても楽です。

 そして8月といえば、日本ではこの時期は、戦争を考え反省し、二度と繰り返さないように決意を新たにする月でもあります。
 長崎県では原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が行われていました。
 原爆で戦争の怖さを知っている県が全国にむかって、原爆の現実と今の日本の状況を発信する貴重な日でもあります。今年は、集団的自衛権のこわさ、原発事故の怖さなど、式典のなかでは述べられています。被爆者代表の城台美弥子さんの集団的自衛権について「戦争がはじまれば、限定的なんてありえない。新たな被爆者を出さないためにも、海外で戦う国にしていはいけない」という発言に耳を傾けることが、いま、いちばん大事なことではないかと思います。
 時は、「集団的自衛権行使容認」の閣議決定した年、ますます重要な発言のように思えます。沖縄では、辺野古への強行移設の夏でもあります。関東ではあまり、ニュースにはなりませんが、ここは現実の集団的自衛権の場だともいえると思います。なんとも、日本という国は、過去の過ちを反省するどころかますます、同じ道に進んでいるようなときに見えます。

 まあ、いろいろと社会はとても厳しい状況ですが、うれしいこともありましたよ。
 先日、ベオグラード方面に仕事で行っていた知人から絵葉書が届きました。
 あーあ、久しぶり……。前回はハンガリーで日本語教室の先生でいて、その後、どこへ行ったのか心配していたのですが、今度はベオグラード方面です。なんとも、元気な古希です。
 その方が日本に一時帰ってきたとき感じたことは「日本は食べ物が美味しいし、安い」との感想でした。食の文化遺産っていうものもわかるような、とか。ぼくは、食の話しより、古希でもこんなにがんばっている人もいるんだなあ…、とそのご婦人に感動してしまいました。がんばって……と応援するばかりです。日本を離れてみてみると、よくわかるのでしょう。

 最近、「年をとってわかってきたこと」という本を読んでいたら、年をとることは肉体的に衰えるのは事実として、好奇心は若いときよりも広く、深く探せることが年をとるということ、また、人をほめることの大切さをよく知るようになること、だそうです。
 ライバルという人と先を競って走る年でもあるまい。マイペースをいかに長く続けるかが大事なことだとも思えました。ほめて、励ましてこれからも、ゆっくりいこうと思えました。

 ぼくとしては、8月という月は、来月からまた「1000人委員会」の集会やデモに行こうと勉強中の8月でもあります。どんな形になっていくのか、最低でも「ぼくはこう考える…」というものをつくっていく8月にしたいと思います。


 今月、定年退職、再雇用をした先輩が無事その仕事を終えて会社を去っていきました。苦節、40年以上でしょうか働いてきました。今の会社の創立からいた人でした。なんとも、大きなけがも病気もなく終わりました。これからは、「畑仕事の孫の顔でもみながら生活するよ…」とのこと。

 人はどれだけ仕事をするのでしょうか。通常、会社という組織にいれば30年から45年くらいでしょうか。そのなかで、その景気の動向に影響されお客の顔ぶれも変わっていきます。消えていってしまったところ、新しい(最近はなかなかないのですが)お客とのつきあい、など多くの人たちとめぐりあうことでしょう。最後まで、人に知られるほどの仕事をしたわけでもなく、会社の経営の関係したわけでもなく、日々の仕事を淡々と消化してきた人でした。
 いまでは周りには、同期がだれもいなくなったようです。

 いずれ、ぼくも同じようにこの会社を65歳まで働いていたら去るのでしょう。それまで、残り7年間余り、いったいどんなことをしているのでしょうか。働くといくことは、生活することです。そこで得た人たちの悲喜こもごもをおかずに残りを人生をいったいどんな風に生きていくのかと思うと少し、気が重くなります。それでも、日々ときは過ぎ明日がくるのでしょう。
 やめるまでに、かけがえのない友だちを見つけるにも大切なことだと思います。とくに、男は、「七人の敵」ともいう常識のなかでいきているのですから……。

 ちなみに「2030年の労働人口は約2700万人と13年より約900万人減る見通し。高齢者は人口激減時代に働き手として期待される。年金の受給開始年齢の引き上げに伴い、社員を65歳まで雇うことも義務付けられ、「60定年」は減っていく。(朝日8月10日)」という。
 これからは、高齢者の働き手が必要になってくる時代といえよう。今、若者をブラック企業でつかっている会社はいずれそっぽを向かれ、従業員が減っていくだろうとう見方だ。さらには、女性が働き手として増えるには、育児などに必要な条件がそろった会社がだんぜん有利になるだろう。
 安倍政権は労働対策として、外国から安い労働力を入れて…という考え方。しかし、そう簡単にはいくまい。環境も文化も違う国にきてそれなりの保障を手厚くしなければならなくなる。もし、訴訟ばかり起こされたら、日本の信用は失墜する。だから、大量消費の軍需産業…という動きも考えられると思う。そうしたらますます、日本は戦争への加担に拍車がかかる、とは短絡的だろうか。


 さすがに働く人が休みが多くなってきやからでしょうか、通勤は楽になってきました。ぼくにも両親のどちらかが元気あれば、故郷に帰ってみるのですが、今はお墓があるくらいになって、四国には帰らなくなりました。
 ほんとうは、四国に行って「阿波踊り」など見たいと思っています。それでなければ、無事退職したら「お遍路」などやりたいと思いますね。では、これから来る夏休みを楽しく過ごしてみてください。

●おまけ●
 一日中、台風11号の余波で散歩に出かけることも困難でした。時間があったので、先日、友だちが「いい映画だよ」といって紹介してくれた「SMOKE(スモーク)」というDVDを観ましたので紹介します。



 アメリカのブルックリンの小さなタバコ屋を中心に集まった人たちの人生模様を描いた作品です。事故で妻を亡くした作家のポール。今は作家活動が休止状態。
 強盗の落とした大金(5000ドル)を拾って、命を狙われている黒人少年のラシード。そしてタバコ屋の店主のオーギー。別の男結婚してして失敗した、元オーギーの彼女。彼らはそれぞれの傷を持ち、それをいつのまにか分かちあい活きている。もちろん、それぞれの過去のことは引きずっている。

 圧巻はオーギーが作家ポールに話すクリスマスに起きた話し。
 タバコ屋に来た少年がエロ本を万引きされる。気づいたオーギーが取り押さえようと追いかけるが、逃げれてしまう。途中、その強盗が落としたであろう財布を拾う。中身をみれば、2枚の写真と身分証明書。クリスマスの日に、オーギーは財布を持ち主に返してやろうと思い、家を訪ねるのだが、留守だった。代わりにでてきたのは、盲目のおばあさんだった。盲目のおばあさんは家に帰ってきた少年だと思い、クリスマスすようという。オーギーは、少年になりすまして一緒に食事を用意し、おばあさんはとっておきのワインを出してくる。そして、クリスマスの夜、二人は楽しい時間を過ごしたのだった。
 そして、オーギーは「一冊の本の万引きなんて、このクリスマスのことを思うとどうでもいいや」と思うだった。
 きっと、ここでこうして、寂しい者同士が一年に一度の温かい夜の方がいいと思ったのだと思う。

 彼らの織りなす人生は、決してほめれてた活き方ではない。他人の目には間違っているともいえる。それでも、そんな間違っているもの同士でも本当の営みはできることをいっているように思う。
 強盗の大金を拾って逃げていたラシード少年には、甥を心配するおばさんがいる。また、タバコ屋のオーギーや作家のポールもいる。まともな道を歩かせようと心配する人たちがいる。ラシード少年が資材を水浸にして、弁償代金として渡した5000ドルの大金。そして、オーギーが、元の恋人のかわいそうなルビーに5000ドルあげてしまう。

 皆それぞれまともでなく、危なっかしい日々である。それでも、人を助け、励まし、失敗を取り戻そうと必死なのだ。大事なことは、失敗ではなく、そのときそれを乗り越えるための人がいるのかということを語っているように思う。それぞれの、人生のいえない秘密を分かちあえる友達はいるのか…、といっている作品だと思えた。そして、励ましてもらったような作品だった。

来週は夏休みも終わっていることでしょう。それぞれ、どんな夏休みを送るのでしょうか。くれぐれもけがのないよう、楽しい盆休みをお送りください。
*読んでくださった方、ありがとうございました。


書中お見舞い申し上げます

2014年08月03日 | Weblog



 こんいちは……。
 書中お見舞い申し上げます。

 季節は盛夏。歩くところから汗がおちる季節になってきました。うっかり、水分補給をおこたると立ちくらみ(熱中症)がします。この時期は、無理はせずにできるだけ楽をして過ごす月なのではないんかなあ、と思います。
 東京にくらして30年。この時期は、ビルの谷間はできるだけさけクーラーのきいたビルを移動するようにしたいものです。アルコールを飲んでいい気持ちになって昼間から暑い場所で寝込んでしまうと危険ですよ。

 今週、危険といえば佐世保での「高校生の殺人事件」には驚きました。なんでこんなことが起きてしまうのか……。優しさが殺人の動機みたいなところもあって、こうなるといったい人は何を信頼していいのかわからなくなるような気がします。まだまだ、容疑者の女子高校生の動機が不明な点も多いと思えます。まいってしまう事件でした。

 さて、今週久しぶりに集会に参加してきました。それも、いまいちばんの旬のテーマでもある「集団的自衛権」と「沖縄の平和闘争」についての講演でした。会場は熱気で盛り上がっていました。久しぶりに熱い政治の場所に遭いました。ということは、やはり危険きわまりない法案なのだろうと考えてしまいます。そんなことと思いつつレポートしてみました。

 


憲法破壊の閣議決定を今すぐ撤回しろ!
(戦争させない1000人委員会7.31集会)
7月31日(木)お茶の水・電通会館ホール 午後6時30分~8時30分

集会参加レポート・私の感想です
 7月1日に安倍内閣が「集団的自衛権行使」の閣議決定を行ってから1カ月。閣議決定から憲法改定までの暴走を防ごうということで集会は行われていました。
 夕暮れの神保町の会場は500人以上。立ち見の人もいるほどでした。会場の熱気は「これは本気だな」と思えました。これが、集団的自衛権への良識ある市民の声だと思えました。
 私は、今回の集会への参加は久しぶりでした。さて、どんなものなのか? と思っていまいした。今回の集会を私なりにいえばこれまでの、そしてこれからをすすむ方向を再確認した集会でもあったと思います。正直なところ、「こんな時代で、個々人がバラバラな状態が印象にあったのでどれだけ集団的自衛権で集まるのかな」と疑心暗鬼でもありました。会場に行って「びっくり!」。満員の会場に「本気さ」を強く感じました。(35年ほど前に集会やデモに行ったときの景色がいつの間にか蘇ってもきました)

 今回のメインテーマは「集団的自衛権の歴史的背景」でした。
 前半は講師の浦田一郎(明治大学法学部教授)さんの講演でした。憲法をめぐる歴代の首相や当時の外交情勢などを講演していました。そのなかでも、自衛隊の活動について憲法のなかでどれだけ可能であるのか、ということをいっていました。「専守防衛」のために自衛隊の活動の許容範囲や「集団的自衛権は」はどこまで可能であるのかということも研究テーマでもあったようです。
 講演は教授の講義であったので眠くなってしまうほど、たんたんと報告をしていました。実際に「集団的自衛権」の歴史は大事なテーマであること思います。知ることも必要だと思えます。それは、今回の安倍政権が簡単に公明党との与党同士の閣議決定で決めるまでには、自民党内で憲法9条のことを鑑みれば絶対に集団的自衛権によって、自衛隊の武器使用は認めない、という時代もあったという事実です。歴史的経過のなかでなぜそれほど反対したことがあったのか、ということを知ることは憲法を知る上で大事なことだと思います。

※集団的自衛権とは(集団的自衛権の歴史)=豆知識です
 自国と密接にある外国が武力攻撃をうけていて、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず実力をもって阻止する権利。
例には、集団的自衛の行使は1965年のベトナム戦争で南ベトナム政権の要請によってアメリカが軍事介入したことがあります。また、韓国も米韓相互防衛条約によって介入をしました。日本では、沖縄が嘉手納基地からB52爆撃機が作戦の拠点として利用されていました。(ちなみにこのときの死者は米国56,000人、韓国5,000人、南北ベトナム合計90万人。大量の化学兵器枯葉剤使用)
最近では英国のブレアで政権がイラク参戦で敗北をしています(劣化ウラン弾)。戦争で生存してかえっても心的外傷後ストレス障害(PTSD)が発症して問題になっている。

参考:「日本は戦争をするのか」半田滋著・岩波新書。

後半は沖縄平和運動センター副議長の福元勇司さんの沖縄の現地報告がされました。
 今、沖縄は米軍基地を普天間から名護市辺野古に移設問題の反対運動の報告でした。そのなかでは、政府の強硬姿勢の移設に対応して、沖縄県民の声を聞けというなかでの現状が報告されました。
 沖縄県知事の移設反対を反古からはじまり、安倍政権の後ろだてにより反対者へのきりくずしが行われている事実を当地の新聞(沖縄タイムズ・琉球新報)から抜粋して報告されていました。
 今後は11月の県知事選を目標に「辺野古移設反対」をつくりあげていく決意表明をして終わりました。

※詳細はこちらでどうぞ。戦争させない1000人委員会 



 最後に集会に参加して思ったことは、勉強することは山ほどあるということでした。
学者はいろいろと過去のことを引っ張り出して、こねくりまわし、私たちの目に前に提起します。それを理屈でうまくまとめているように思えました。それよりも自分の気持ちを素直に行動にしていくことが大事ななんだなあーと思いました。
 はっきり言って学者先生のいうことは、いろいろな文献を調べればでてくる知識です。もっと大事なことは、当の本人が「こだわり」を持ち、そこへたどりつくまでの経験や思いだと思います。こうして人の熱意にうたれて行動して、悩んで、考えて、学んで、また行動して、という繰り返しで終わっていくのだろうと思います。これが運動なのだと思います。情報過多の時代、選択して信じてすすむのは自分なのですから…。
 「それはそれでいいんだ、と自分で最後に笑えればいいんだ」と思います。
 
 それから、こんなことをしたからといって私の反対は、本当に通るのと思うことはあります。きっと、ながーい(来年の秋の国会で本番まで)大変なことばかりではないかと思うときつくなるかもしれません。でも、格好のいいこというと、それを話せる場があって本音をいえる場所が大事だなあーと思えます。それが、いつか米粒ほどの歴史としてちょっとでもいい方向に向いて、私の子孫や友達が楽しいと思ってくれれば(自己満足でも)いいなあ、と思うしかありませんか。いまのところそう考えています。

 ぼくは、誰のためにとか、平和のためにとか…という大儀名分より大事なのは自分のことではないかと思います。最後は自分がいちばんかわいいと思ええることがいいのではないかと思います。だから、何かを変えるときは、まず自分が変わることが大事な条件だと思います。
 そして百聞は一見に如かずで自分からいかないと政治は変わらないようです。黙っていては、やりたいように他人が政治を独占してしまうんが政治ではないかと思います。
 誰でもが「あたりまえがあたりまえ」にできていることが政治の目標なのではないのでしょうか。憲法も政治家の横暴を防御するはずのあたりまえの法律であってほしいと思えば、閣議決定はあたりまえじゃないのではないかと思います。
 久しぶりに「政治」というのが身近になったような気がします。こうして思うと政治は決して遠い国の物語ではないのだな…といえます。
 どこまでやれるのか、自分なりにみつけていく8月です。
 それではまた来週まで
*読んでくださった方、ありがとうございました。