日々徒然に

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「危険な暑さ」のなか終わった盆休みでした

2020年08月16日 | Weblog

 こんにちは。
 コロナ禍の夏。暑さに逃げるような日々でした。
 今夏のお盆はほとんど近所を散歩で終わっていました。足元にセミの死骸が転がっていました。木々の間からツクツクホーシの鳴き声も聞こえていました。季節は、着実に前へ進んでいるのかなーと思えました。多摩川の散歩道では足元からバッタが多く跳んでいくようになりました。残暑がきびしい毎日が続いています。 

 今年の夏、コロナ禍のなかの盆休みも今日で終わりです。どんな休みを送っていたのでしょうか。ここにきてコロナ感染が増え続けている現状の中、「お盆の移動は控えて」という「自粛」がありました。通常なら、今ごろ高速道路は大渋滞、空路、陸路も満員の状態の頃でしょうか。故郷の楽しい思い出がつくり、記憶に残すころでしょうか。今年は「コロナなので田舎に帰ってこなくていいよ」という声も聞こえた夏でした。事実、7月から8月にかけての感染者数は今年になっていちばん多い日もありました。そんな中での帰省はどうでしたでしょうか。

 私は、家の周りを散歩の日々でした。この時期に山歩きを考えていたのですが、気持ちがどうも行く気になれません。唯一、遠出をしたのは墓参りくらいでした。それも、レンタカーを借りての移動でした。なるべく人を避け・・・との移動が目だった夏になりました。おかげで、高速道路はすいていましたが、休憩のサービスエリアではけっこう人がたくさんいました。誰もが、車での移動を考えてのことなのでしょう。人々には「自粛」などと言う言葉より、それぞれの知恵をしぼって移動をしています。
 ちなみに、今年の空路、陸路、電車などはコロナ禍でどれも減っていたそうです。


 
 今週はほとんどの会社が盆休みだったのでしょう。
 そんななか1日、自分の仕事の都合で出勤する日が毎年ある。電車から電車へ乗り換えながらやっと会社の到着。およそ90分。私の仕事の予定では、60分の通勤時間が理想だった。2011年に起きた「東日本大震災」によって、当初通っていたビルにヒビがあちこちできた。こんどこのような地震がきたら大震性から考えて無理だろうと判断した。結果として、現在のビルに引っ越した。8年間ほどの前のことである。
 自然はなんとも過酷であることか。

 いまでは毎日90分の時間をかけて通勤している。片道90分である。それでも、盆休みのなかの出勤は嫌いではない。乗車する電車は涼しく座席には座れる。駅構内は、人も少なく歩きやすい。毎日こんなに楽ならいいなと思う。
 コロナ禍のなかにあってはつくずく通勤電車は怖い。いまだの「密」の場所であるからだ。移動の構内も「密」になる。とくに、今は人の汗をきにしながら、すきまにうまく入りこんでは日々通勤している。誰もがお互いのことを気にしながら電車通勤をするようになった。「お互いさま」の気持ちを持ってゆずり合いの気持ちがあればいい。ときどき、「車内トラブル」などのアナウンスにこれもコロナの影響だろうと思う。そんなことをゆっくり考える時間をももてるのも、電車がすいているかだろう。週明けには、「危険な暑さ」のなか「危険な人との距離」をきにしながら電車通勤が始まるのだろう。暑さと温度とともに感染者の数字が上がっていくのは気になっている。

 「暑いですね」という挨拶が毎日になった。そのお互いの顔には必ずマスクがついて、さらに暑さを増しているように思う。戦後75年目。だれが、コロナ禍を想像したのだろうか。いつだか、戦争が感染症を増大させたということを読んだ記憶がある。14~16世紀ごろ、ヨーロッパでは戦争の時代に、感染症が爆発的に流行したのは軍人の移動がはやらせたという。医療などが発達していなかった時代である。とにかくどんな病気かもわからない。わからないまま一緒に移動することで国境を越えて感染者が増えたという内容だった。太平洋戦争時代もマラリアなどの病気も人と一緒に増大したことだろう。こちらは、薬はあったが物資の輸送が戦争によって断たれたりして蔓延したのだった。文明がいくら発達してもそれをつかう機構がうまく機能していないということだ。

 最近、コロナウイルス感染症がブラジルのアマゾンの奥地に住む先住民を襲っているとの記事があった。ただでさえ、ブラジルは316万人を超える感染者が多い国。それにボロソナー政権がコロナ感染に力をいれていない状況のなかである。5月には環境相が閣議で「新型コロナで混乱している間に、アマゾン開発を進めるべきだ」と発言したことが明らかになった(14日・朝日)。
 先住民メチキチレ族のリーダーは「この病気で年長者死ねば、私たちの歴史、神話、文化、社会のすべてが消えてしまう」と不安を述べている。「年長者は、私たちの先生であり、医師である。彼らを失うと、歴史の多くを失うことになる。私たちが文化を引き継げるよう。国や地方、そして国際社会が支えてくれることを望む」とも発言している。

 この記事を読んでいると、人間がこれまで何を後世に遺そうときたのかを思う。森林を伐採して環境破壊が叫ばれるなか、コロナ禍になっていちばんをワリを食うのがこうした弱者でもあるのだろう。それは日本でも同じ。為政者によって利権がつくられ、その犠牲者がいつの時代も弱者だという現実は世界でも同じだとつくずく思う。
「Go Toトラベル」もいい例ではないのか。観光業者を救う経済政策であっても、本当にいまやるべきことなのだろうかと疑問にさえ思えてくる。地元住民は観光客の移動によって感染が広がることに不安がおぼえることだろう。じじつ「今回の帰省は控えて・・・」といっているではないか。観光はいいのだろうか。
 なにか不自然な気がする。


 今年の盆休み・・・。やっているっことといえば昨年と変わってはいない。ただコロナ禍こということもあって、できるだけ外出を控えた、でもなかった。毎年この時期の外出と言っても散歩くらいだろう。
 遠出の外出といえば、今年は「墓参り」は電車はなくレンタカーでいったことくらいだろう。さすがに、家族での移動は楽であった。道路も混雑していなくてどこへ移動するにも道を間違えない限りスムーズだった。コロナでいいとは思わないが、コロナウイルスは人間のいどうをかくあるべき・・・だという強制力を持っているのだろうかと思えた。逆に、これまでの大渋滞は人間にとってどれだけのストレスを作ってきたのかということを思えた時間であったように思えた。
 今年コロナ化にならなければ人間はもっとストレスを抱えていたのではないかと思う。さらには、もっと身勝手なことをして人間や自然を壊していたのかもしれない。そんなことに「警告」しているようにも思えた夏だったように思う。
 とはいえ、コロナ禍ならなければそれを考え直さない人間の身勝手さもあるのだろう。世界中で2000万人以上の感染者が出ている現在、地球人はなにを思い、どうやって収束させていくのだろうか。「自分の国さえよければいい」という協調が大国によって失わえていうように見えるなかどうしていくのだろうか。


 今年は、戦後75年目の夏だそうだ。日本の8月は各地で戦争犠牲者への追悼の式典がおこなわれた。わたしが、いちばん身近に感じる戦争は、墓参りをしたときである。家族の親戚の墓石に刻まれた文字にその痕跡をみるときぐらいだろう。その文字を見るたびに、どこかのテレビ番組や本なのでみた戦争の炎や逃げ惑う人の群れが浮かび上がってくる。そんなことを墓参りをするたびに思う8月である。どれだけ暑かったことだろうか・・・とか、どれだけ腹がすいた日々を送ったのだろうかと思う時間でもある。みんな死んで墓にはいってしまった過去である。それでも後世につたえる方法が模索されていくのだろう。戦争経験者が年々亡くなっていく時代にはいっていることも事実だそうだ。私の父も戦争経験者であったが、もういない。思えば、生前、父のつくった漬物や料理を食べたことがある。味が濃い目であったがそれがうまかった。あの味は戦争のなかで自分なりに工夫した味なのだろうと思える。そして、酔っぱらってはときどき口ずさんでいた「さらばラブウルよ・・・」の歌詞もなつかしい。
 戦争は嫌いである。誰もかも人生を切り刻んで狂わせてしまう。そしてそれが多くの悲劇をもたらす。勝手も負けても多くの不幸をつくってしまう。戦後75年目、人間はどれだけ戦争の歴史から今をつくろうしているのだろうか。とくに為政者たちは。



 散歩のとちゅうにセミの死骸が落ちいるのを多く見かけるようになりました。ツクツクホウシの鳴き声も聞こえてくるようにもなった。多摩川ではトンボもとびかうようになっている。季節は少しずつ秋にむかっているのだろう。
 「暑い、暑い」という挨拶も、あと半月もすれば消えてしまうのだろうか。そしてセミの鳴き声が消えていくのだろうか。
 消えて欲しいのは「コロナウイルス」なのに・・・。ウイルスは消えることのない人類共存の存在。ただ、コロナウイルスはいまだ共存できるようなウイルスではないということなのだろう。少しずつその攻撃性が薄くなっていって、人類には必要不可欠なものになることだってあるかもしれないなーとも思う。
 とはいえ、今現在は最悪なウイルスには違いないのだ。現段階では、来年の東京五輪などということさえ考えにくい時なのかもしれない。
 国内でのスポーツは少しずつ始まっているが、チームに感染者でていることで試合が中止になることもある。
 なにか「見切り発車」のような気もします。それでも発車してしまう理由はいったいなんでしょうか。これからは、自然災害やウイルスなどに対応できるものをちゃんとつくれるのでしょうか。

 暑い夏が終りに近づいています。
 これから、きっと迷いながら始まるのでしょうかね。コロナを怖がって・・・またはじまるのでしょうか。それでも、前に進まなければいけない日々のように思えます。まあ、少しずつ感染者が減るといいですね。
 ということで今週はこのへんで失礼します。
 休みあけはいちばんきつい一日が待っているようです。
 またしても、混雑電車の日々です。
 読んでくれた人、ありがとうございました。
 

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