日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

今年もあと1か月…どんな年…もう少しです!ガンバルド

2010年11月27日 | Weblog



 12月です…師走。
 町ではクリスマスのイルミネーション、神社では初詣の準備が進められています。忘れてならない年末ジャンボ宝くじも販売されますね。

 さて、今年はどんな年であったのでしょうか。このブログもどうにか今年もあと1回(今日)の更新で12月末ごろまで開店休業に入る予定です…。

これまで、少なくとも私のブログを紹介した読者の皆さまにはご迷惑をかけると思います。体調が悪くての休業ではありませんので心配は無用です。
仕事がら12月はとてもじゃないが更新しよういう気持ちになれない忙しさなのです。(毎年家族に、私は12月はブタの生活と呼んでいます=朝起きて、食べて、仕事して、寝て…朝起きて…という繰り返しの生活=2週間ばかり)。

 不景気といわれる今の世のなかにあっては「うれしいのか…、悲しいのか」。けれでも健康でどうにか働いている時がハナで、きっといいことなのだろう思う。今、仕事から離れたらいったい、どれだけの人と縁をきるのか…会社人間の私には考えられない状況のように思うことが多い毎日です。

 世間では「仕事ばかり」といいますが、この仕事でどれだけ人間が考え、成長させたのか考えたことがあるのだろしょうか。それも、お金もついてきて、少なからず他人様が評価してくれ「少しは社会の役にたっているではないか…」と思ったときにヤリガイがあるのだろう思います。

 とにもかくにも、今の処、健康で働けるからこんなことが言えるのだと思います。と、思うと他人様がいかに私を持ち上げて、支えているか感謝の気持ちがいっぱいつまった11か月だった。
 ありがとうございました。

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【今年の反省点】
 「川歩記」がいっこうに進まなかった。一度全部歩いたがどうもまとまらず沈没状態。来年はリベンジで書き上げたい。

 「私の1冊」は一冊もない。これは読んでいるのだが感想より「道具」にして資料として使っている。読んだ後の感想はあったはずだが、素直になれず書けなかった。来年は、少しでもできるようメモをとり、頑張ってみようと思う。

 来年は「新企画」を考えないとマンネリ化してきたようです。



 今週、朝鮮半島では北(北朝鮮民主主義人民共和国)と南(韓国)の間で緊張関係がつくられました。休戦協定があるようですが…。いままで以上に緊張しそうです。まして、米韓軍事演習もあったりして、火に油を注ぐようなことにならなければいいと思いますが。軍隊は国家の「暴力装置」ですから何らかの因果関係があるようです。
 今回はお休みします。





 今週末、定年を迎えた職場の先輩の送別会に参加して来ました。場所はいつも利用している飲み屋さんでした。会は職場の人たちの温かいもてなしもあり、とても楽しいものでした。こうして、温かい送別会ができるのも先輩の人柄のような気がしました。

 30数年働いてきたなか、私とも何度か衝突したこともありました。それでもこうして出席しようという気持ちになれたのは、やはり仕事のなかで艱難辛苦をのりこえどうにか、無事こうして健康で定年を迎えることができたことが、お互いの喜びだからでしょう。

 思えば、むかし、大手のお客様に去られた時、多くの途中退社を募集する時にも辞めず、今の職場をたちあげ、どうにか軌道にのせてこられたのもこうした年配者の協力があったからこそでしょう。そんな「時代を耐えたことを思うと無事定年を迎え、送別会ができたことは大変なことだった言えます。

 時は流れて「老兵は去るのみ…」ということなのでしょうか。去ったあともその人の残した働き方や考え方などがどこかで、気付きます。
 欲をいえば12月だけでもいて忙しさをのりこえてくれるということが欲しかった。それが、これまで一緒に仕事をしてきた「人情」とうものではないかと思いましたが…。
これから新しい「居場所」を見つけて頑張って欲しいものです。

さてさて、甘えてばかりもいられないし、残った人たちでどうにか頑張っていくしかないと思った一日でした。
 それにつけても、人間って勝手もので失ってみてその大切さにきがつくものですネ…。そう思いませんか。

それで、落ちは、その日の帰りは、わがローカル線最終電車に間に合わずタクシーでの午前様でした。で、タクシーの運転手さんに「あそこで並んでいるのはみんな最終に間に合わなかった人たちでしょうネ…」と聞くと「そうでしょう。みんな同じ方向ですね」と。
そこで、今度は並んだときは「○○方面の人、一緒に行きませんかといいますか?」というと運転手さん苦笑いでした。
なぜなら、私の帰った5分ばかり後、娘も同方面のタクシーで午前様でした。電話でもして待っていれば…と思ったが、それはちょっと遠慮しますわ。

送別会幹事様ありがとうございました。楽しみました。がんばれ!!。君たちの世界だよ。でも、突っ走りすぎると摩擦も大きいゾー。




「産地直送:友達の兄さんから」ごちそうさま…

 うれしいことは続きます。
 友達のお兄さんから今年の秋の収穫の野菜と新米をいただきました。
 これも不思議な縁でして、私が就職をした年のお正月(30年くらい前)友達の実家(東北)にいったところ、なぜかお兄さんと話して以来、ここ数年思い出してくれてようです。その時の私のイメージは『口の重い人……』だったようです。
 まあ、口下手なんです。それは、それなりに通じたことがあったので覚えていてくれたのでしょう。それ以来、私も田舎に帰った時のお土産などを送るようになってからの付き合いです。

 ※ちなみに写真はサトイモ、山芋です。

 世の中捨てたものではありません。
 それでは、また…。
 
たまたま、読んでくださった方一年間ありがとうございました。
来年また、お会いしましょう。



11月も終わり…私の芸術の秋も終わりです

2010年11月21日 | Weblog


秋も深まりいよいよ冬の到来でしょうか。散歩の途中で紅葉を見かけますし、空気が冷たく感じることが多くなってきました。ストーブも登場し、今は、今年の夏の異常な暑さが懐かしく思っています。(人間って勝手ですね…)
 また、もう早々とクリスマスの飾り付けが町のあちこちでみます。エコ、エコって騒ぐのであれば、イルミネーションを派手にする必要もないのではないかと思います。これまた勝手な行為デスネ…。、まあ、このイルミネーションンと山下達朗も、まあ、いいか…と。
 Jリーグも終盤戦にむかっています。リーグも残り3ゲームを残し早々と名古屋グランパスが優勝を決めました。私の地元FC東京は現在でも降格ラインをうろうろしています。がんばれ!。スタジアムの周りは、この熱気で湯気がたっていました。
 
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 さて、今週の「スクラップ」は政治家の「言葉」について考えてみました。
 菅直人政権は「有言実行内閣」をキャッチフレーズを前面に出した内閣にもかかわらず、そろそろ権力の驕りがでてきたのでしょうか、柳田稔法相が地元広島で講演で法相は(国会答弁で)「二つのことを覚えておけばいい。個別の事案については答えをさしひかえる。法と証拠に基づいて適切にやっている」…と。この言動で野党は参院予算会議で「問責決議案」を提出していた。
 また、国会答弁で仙石由人官房長官が「自衛隊は暴力装置…」(11月19日毎日)と発言した。
 おお…、なつかしい言葉。「暴力装置」とは60年安保時代に聞かれた言葉だと思った。確か、レーニンかマルクスの書物のどこかで使われていたなあ、と思った。いずれも、本音だと思いました。

 一方、今週裁判員裁判で「死刑」の判決が初めて出された。横浜で2人を殺害した強盗殺人事件での判決。市民が死刑に向き合う初めての出来事だった。裁判員になった50歳の男性は「本当に(事件が)重いと思いすごく悩んだ。何回も涙を流したし、今も思い出すと涙を流す」という心のうちを語っている。
 裁判が終わっても裁判員になった人は「守秘義務」とういう縛りで悩みはストレスになって精神障害を起こすのではないかと危惧されるという言葉もある。

 また、「守秘義務」という言葉が使われた場所があった。例の尖閣諸島での中国漁船と日本の海上保安庁監視船との衝突の真実を放映したビデオデータが海上保安庁職員によって世界に配信された…という出来事。こちらは「守秘義務」を公開した。政治家の理不尽さをおもいあまってやった正義感ととっている動きもあると…。もっと、俗的にいえば、何らかの利害が働いていたのかもしれない……と思いました。
また忘れてしまっただろうか、大阪地検の事件ねつ造による犯人起訴事実でっちあげの事件など…。

 一方、裁判員裁判に「死刑」に判決を下した民間人の「守秘義務」はどうなるのだろうかと心配になったりもします。
 かりに、この「守秘義務違反」の海上保安庁職員の裁判員裁判になった民間人はどんな判決をくだすのだろうか…。

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裁判員裁判がはじまって、毎日法律関係の記事が連日載っている。「守秘義務」という言葉が日々の生活の中に重くのしかかっているのかもしれない。それも、普段の生活に法律はあってもそれを意識したことがないのに日常だと思う。しかし。最近では、いろいろな法律用語覚える機会が多い。今まで公務員の仕事を民間人が税金を納める以外に負わされる荷となったことは事実だろう。

 現実、為政者にとっては「言葉」はお金と一緒で重要な武器なのだろうと思う。一つの橋を県境に造って隣の市民との言葉を多く交わす機会をつくってくれる。そのことによって隣同士が理解し合うことを知り、より一層の交流が深まる。そして、お互いの誤解をとく重要なものだ。

 しかし、この「言葉」権力者が使い方を謝ると第二次世界大戦中ヒトラー政権がやった「民族浄化」を正当化してユダヤ人虐殺というとんでもない過ちを犯す。もっと身近なことで言えば、自分の勤める会社の経営者が朝の訓示で社員に「檄」をとばす目的でむこう3年間の経営方針を訓示したとしても、実際の現場を理解なくては「絵にかいたもち」となってしまう。大切なことは、その「言葉」ができるまでどれだけ努力してきたかだ。背景があって言葉がなければ真実味が伝わらないし、迫力がない。「信じられない」で終わってしまう。

 さらに、どんなにえらそうな言葉を使って説得してもそれが自分の生活に実となて結実ができそうでないと意味がないのだと思う。
 それにしても、言った本人は自分の言ったことが正解だと思って実行してしまうことだ…。そういうことって多い。だから、普段からのコミュニュケーションが大切なのだろうと思う。冗談を本当に思ってしまう誤解…。そのひずみを埋めるのは、普段の言葉と実行力だ。そんなことを思うと、自分自身がおおいに反省しなければと思う。
 今回、二人の政治家の発言。ある意味本当なことだろう。それにしても、生活と言葉がだんだんかけ離れた政治家は多くなってきている。

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今年もあとわずか。
誰にもこの流れを変えることはできない。時間の流れのなかで、使い方は千差万別あるだろうが時は前へ進む。
 そして12月。一年で一番忙しくなる職場。戦場、修羅場…と思うのは私だけかなあ…。

職業によっては仕方のないことだと理解はしていてもやはりイヤになってしまう月でもある。誰でもなく、自分自身にである。仕事が進まないとすぐ怒る…罵倒する…と。後で考えてみると自分自身が嫌になってしまう。そんな時間の速さのなかで私という人間が翻弄され、自分自身を見失いがちな月でもある。
 と嘆いていても、時間はやって来る。こんな時、つくづく思う。日々、私を支えてくれた人への感謝がもっとわかればいいのか…と。そんな時、感謝、感謝で終わる12月もある。

 と、毎年繰り返しているだけなのだが…。それは分かっていてもやっぱり、大変。
 今年は晦日にどんな思いが残るのだろうか。
 とりあえず、忘年会のスケジュールを記録しておこう。手帳も気持ちよく、書ける毎日でありたい。


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たまたま読んでくださった方ありがとうございました。


混雑は絵を見る…考える時間もない

2010年11月14日 | Weblog


 いよいよ秋も深まり、日本が太陽から遠く離れて寒くなっていくばかりとなってきました。自然は色合いを深め、今年最後の美しさを紅葉してみせています。
 職場でもいよいよ12月バージョンへの切り替えが始まることろでしょうか。最近「年末調整」の用紙をいただきました。これを書く時期になってきたか…という思いにも拍車をかけているようです。
 それぞれの一年間…をゆっくり振り返るのは大晦日あたりになってくるのでしょうか?。それまで、またひと山乗り越えなくてはいけないことも少しずつ気持ちが重くなってきました。
 いずれにせよ、今日がなければ明日が来ない…ということを肝に命じて頑張るしかないかと思う11月です。

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┃今┃週┃の┃気┃に┃な┃る┃ス┃ク┃ラ┃ッ┃プ┃ブック┃
 今週はお休みです。

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┃今┃週┃の┃現┃場┃で┃考えた┃こ┃と┃



 家族で久しぶりに「ゴッホ展」を見に六本木の国立新美術館に行って来ました。今回できっとゴッホも見納めかもしれないと思っていたので、ぜひ本物をと思いで、出かけたのでした。見た感想は、あまり大きなキャンパスで描いていなんだな…と思いました。また、ゴッホの特徴でもある、太陽や木々がぐるぐる円を描いているような絵は本当でした。色で特徴的なのは黄色がとくにきれいでした。また、ゴッホに影響を与えたという「浮世絵」も展示してあり、とても興味を持ちました。わたしはこっちの方がよかった。

 それにしても午前10時の開館でもそれは人がいっぱいで混雑してゆっくり鑑賞できるものではありませんでしたので少し残念。なんせ、絵までたどりつくまで、人、人の頭をかきわけ、さあ、見るぞとおもう間も無く後ろからおされてゆっくり見ることもなく…なんとも忙しい絵画展でもありました。
 …ということもあって、ゴッホ展はほどほどにして隣で展示されていた「日展」のほうに女房と娘からから離れ見て来ました。

 こちらは広いスペースにゆっくり、何時間でも立ち止まって見ていても押されることがなく、いい時間が過ごせました。
 とくにキャンバスが大きくて絵に囲まれているようなところでゆっくり見ることができる他の美術館ではちょっと無理だろうな思いました。
 私の気にいったのは添付した画像にあるような絵でした。色の使い方がいい。本物はもっと落ちついていて、深い青です。さらに、「停留所」(中馬由輔・入選作品ではなかった)という作品がよかった。色をうまく使ってその時間の流れを表現している色使いには感心しました。その絵を見ていると、きっとながい間、風や雨、雪にさらされるなか、この停留所から町へ出かけていく人々の悲喜こもごもがったのだろうなあ…という思いがしました。また、たくさんの人の忘れ物もあったのだろうなあ…とも思えわせる絵でした。

 一人の作家の絵を見る感想も千差万別でしょう。使われている色で何かを感じて自分の感想や物語をつくれれば、自分が好きになっていくための絵の思いなのでしょうね。

 美術館で大切なのはやはり、時間をゆったり感じさせるスペースと静かさだと思います。絵の前に立ったとき、絵に自分の思い入れをつくることが大切な時間だと思いますが…どうでしょうか。それは、やはり写真や本で見る絵ではなく、実物の絵の前に立って初めてもてる思いが生まれてくるもなのでしょう。

ゴッホの絵は何億円という価値があるのでしょう。でも昨日の私が見た感想はそれは、売り買いする一つの基準だけだと思います。その絵を見る機会は大切なことだと思いますが、実際、その絵を身近におくには、その何倍もの管理が必要でしょうね。と思うとどうでもいいや、と思えてしまいます。

※下の画像はもう一つ気に入った作品です。



(男とネコ・日野耕之祐一作・第42回日展)

11月に入りました…で考えました

2010年11月07日 | Weblog


 いよいよ11月ですか…。立冬。
はやいものですなあ。
 散歩をすると最寄りの神社では親子で七五三の参拝を見ました。「一の酉」でもありましたネ…。
 神社もいよいよ大晦日への準備が進んでいるようです。
私も年賀状の準備もしました。あとは12月を残すところです。
こうして、一年の締めくくりは近づいて晦日までいっきょに突っ走るのでしょうか。
 日本シリーズも大詰めで千葉ロッテマリーンズに勝って欲しいと願っているところ…。それにしても6日の第6戦はすさまじかった。およそ6時間近い試合のなかで「プライドをかけた戦い」と思うほど素晴らしかった。さすがプロフェッショナルの試合だった。
 あと、ひとふんばり頑張りましょうか。

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┃今┃週┃の┃気┃に┃な┃る┃ス┃ク┃ラ┃ッ┃プ┃ブック┃
 さて今週の話題は尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件のビデオが何者かによってユーチューブに放映された…という事件で上へ下への大騒ぎです。国の危機管理はその国の信頼にもかかわる重要な課題なのに、なんとのお粗末なことです。これには、大きなただものではない組織が動いているのでしょうか。

 今回のスクラップはこれではなく、2009年8月、新橋で耳かき店従業員とその祖母を殺害した事件の東京地裁判決ついてです。この判決は裁判員裁判では検察から初の「死刑」を求刑した裁判。判決は「死刑」でなく「無期懲役」となりました。この裁判報道を中心に私なりに考えてみました。

 事件の経緯は、被告(林貢二さん・42歳)は自分の通う耳かき店被害者従業員(江尻美保さん・21歳)に恋心を持っていた。これは一方的なストーカー的なものだったのではないかと思います。2009年8月にいつものように被告は被害者に会いたくなり、店にいったが、1階にいた被害者祖母(鈴木芳江さん・78歳)に来店を拒まれ、ハンマーとナイフで殺害。さらに、2階に就寝中の江尻さんナイフで刺して殺害した…という事件だった。

 この裁判で弁護側の主張は「江尻美保さんに来店を拒絶され、抑うつ状態に陥るはど真剣に思い込み、強い愛情が憎しみに変化したもの」(2日・毎日)
 一方、検察側は「自分の意に沿わなかったから殺害」(同)さらに鈴木さんの殺害にも「被告は障害を排しても江尻さんを殺害する意図があり、必然的な結果」(同)。

 裁判員の感想は「裁判員をやることで死刑の重さを感じ、そんな簡単に死刑ができるのだろうかという気持ちだった」また他の裁判員も「いろんな話をし死刑判決の選択もあり得ると気付いたし、生きる中で何かを見つけ出すのが人間じゃないかと思った」(同)

 5日間の審議の結果、東京地裁(若園敦雄裁判長)は「無期懲役」を判決とした。ここまでくる5日間、裁判官と3人、裁判員6人の日々は「はりのムシロ」にいるがごとくつらかったのではないかと思う。とくに、選ばれた裁判員の方々は残虐な殺害事件にかかわり考えた結果だったのだろう。

 裁判になることに関して私も裁判になりかけた事故を思い出しました。
8年ほど前に娘が自転車での通学途中、右折しようとした自動車に横断歩道ではねられたという事故だった。女房から通勤途中の携帯電話に連絡があったときは頭の中が「真っ白」になった。そのとき思ったこと…。「加害者を絶対許さない」と…。
 子どもが救急車で運ばれた病院にいって足の骨折、頭は異常なしという内容にほっとした。その後、娘は松葉杖生活のタクシー通学がおよそ1か月間始まった。
 しばらくして、加害者の某会社員と保険会社の人がやってきて、事故の経緯と謝罪があった。それから後も加害者は時々、会社の帰りによってくれた、娘の様子をうかがい謝罪を繰り返した。
 その時は、少しずつ加害者の憎しみよりも「誠意」が理解できるようになった。話を聞けば、事故後、車は乗らず電車で通勤しているという。

 おおよそ、事故や事件は日常的というより非日常的なことです。まして、自分の身にかかわるということはほとんど皆無に等しい日常だと思います。万が一、事件や事故があっても自分のことではなく身の周りのことだということと考えていました。それが、なんと当事者になるとやはり、パニックなってしまうのではないかと思います。

 さらにその後、裁判所から電話があった。「起訴しますか否か」という応えが欲しいとのことだった。私は「起訴しない」と言った。そのとき、私はお人よしなのかなあ…と。でも、これまで加害者と話すことが多くなってその時は「許さない」だったが、時間がたつにつれ「被害者も加害者も運の悪い事故だった」と思うようになってきた。思えば、仕方がないが事故当時は後先考えずに感情的だったと思った。

 今回の事件で裁判員の人たちはよほど辛い日々が続いたと思う。誰にも話したくないほど苦しいものはない。一日も早く忘れたいと思だろうし、これからの生活にこの判決が支障きたさないものが必要だと思う。少なくとも国はもし精神的な苦痛をひきずるようであったなら、保障する責任が必要だろうと思います。

 実際、5日間という短い審理が妥当といえるのかもしれません。長すぎると精神的に不安定になってしまうのではなか。市民が事件などの悲惨な日常に引き込まれたらやはり、頭が「真っ白」という具合が普通だと思います。
 だから今回、5日間での審理では本当のことは見えてきないような気がします。

 以前(20年前くらい)NHKで「事件」という裁判ドラマがありました。大岡昇平の「事件」が原作をテレビドラマ化したものでした。そこに登場する国選弁護人の菊地弁護士が「事件の真実(動機)」をつきとめるべく、犯人の生まれ故郷から両親、知人、職場など犯人関係するすべてのことを丁寧に調べていくうちに事件の本当の背景を裁判で裁判長に訴えていくドラマだった思います。裁判官の法律で合理的な判決ではなく、犯罪が起きるまでの「動機」をこと細かく追求していくのでした。理不尽な社会のなかで生きていく人間の弱さを表面にだしたドラマだった思います。

 今回の事件で当事者であれば私も犯人は「死刑」だと判断していると思う。それが、第三者の裁判員と裁判官の討論・議論によって「無期懲役」なった。
 「法律家は、事件発生の瞬間、犯罪を犯そうととする意思、…創傷の部位、創傷の程度、凶器の種類、用法、動機の有無、犯行後の行動を殺意認定の基準とする。一方、市民はそもそも事件の発生した危ないことを知ってやった遠因まで遡って包括的に捉えるという」(*「市民から見た裁判員裁判」)

 ということは、傷の角度、深さ、大きさ等など、犯行が行なわれた様々な角度から検証してみたのだろうかという気持ちもある。

 いずれにせよ、裁判員裁判はこれから多く報道されるだろう。そこでもっと市民にも裁判の論争の焦点を知らなければ参考にならないし、判断にもいきづまると思った。

 余談ですが「他人の不幸は蜜の味…。死刑が公開で行われている昔、公開処刑は民衆に対する権力のみせしめであると同時に民衆の密かな楽しみでもあった…。権力の戦略がみせしめから情報操作に変わった今も、世間は楽しみのためにバッシングする対象を探している事情は変わらない」(*「やがて消えゆく我が身なら・池田清彦著)ということも真実であるようです。

 ちなみに裁判員制度導入前2009年1月28日(毎日)報道によると、全国世論調査(電話)で死刑判決にかかわる賛否で死刑判決にかかわることで63%の人が「反対」と回答し、「賛成」は28%だった。男女間では男性では賛成が35%、反対60%に対して女性では賛成21%、反対66%との結果となっている。
 できるだけ極悪非道な裁判には参加したくないのが正直な答えとなっていた。

 もし裁判員にえらばれたらどうしますか…?
 今回は重いテーマでした。
 ※参考:「市民から見た裁判員裁判」大河原眞美著・明石書店



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┃今┃週┃の┃現┃場┃で┃考えた┃こ┃と┃

 ●ケータイで心をとばす日暮れには途切れる消息秋の風

今週、今月で定年する方のプチ送別会の飲み会に出席してきました。30数年間勤めた会社を辞める…とは身が軽くなったというか、他人ととのわずらわしさもなくなってせいせいしたのでしょうか。複雑でしょう…。再雇用も断って何をするのでしょうか。
私なら「石」にかじりついても再雇用だ!!。ローンがあるしね。
仕事は多少のわずらわしさはしょうがないと思う。煩わしさというより「刺激」だと思っています。それが、新しい発想への一段階だとあきらめていますが…。

さて30数年といえば今週高校時代の同級生より「同窓会」の連絡があった。おー30数年…。なんとも月日は流れ、あのほっぺの赤いY君も今頃はオッサンなんだろう。今は親の介護などもしたりしていて大変そうだった。声はなんとなく昔の声…なれどオッサンだろう。かくいう私ももうオッサンだから。どうしても日程があわず無念の断念。
その代わり来年お正月に会うことにしました。
楽しみがまた一つ、つくれたと思いほくそえんでいる。

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 たまたま、読んでくださった方、ありがとうございました。