日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

5月も終わり…お疲れさまでした

2016年05月29日 | Weblog


 こんにちは。今は季節がとてもいい季節です。雨もまだ降らすさわやかな休日が続きますね。
 5月も今日が最後の日曜日となってしまいました。今月はどんな一か月になったことでしょうか。
 連休もあったものの、日々が過ぎていくだけ今では「忘却の彼方」という感想になるのでしょうか。私は元来の怠け者として感じた5月でした。なぜなら、休みが欲しいわりには自分のやりたいことが見つからず、気がつけば今日という日を迎えていた次第ということでした。かといって、何か新しいことが始まった、始めたという月でもありませんでした。
 仕事も異動先では初めての連休で「どうなっることか」という不安な気持ちもありましたが、終わってしまえば、普段の月よりもちょっと忙しい月ということぐらいでした。それでも、日々は過ぎていきます。そして、仕事もたまっていくだけです。いといろと考えさせられた5月でした。





 月末の読書紹介になりました。
 今月は休日があったにもかかわらず読書をしない月でした。
 一冊の本を読むということは、その作者やテーマをなんらかの形でさがして竿の本のありかをつきとめて、パソコンで検索したりたどりつきます。探し当てた本は、足を運び図書館で借りるかあるいは、本屋さんにいって買い求めるという行為が必要です。
 そんななかで、いちばん楽しいと思うのは、星の数ほどある本の中から自分がテーマとしている本をむつけるという作業でしょうか。新聞やラジオ・テレビ、雑誌などで見かけた本を「これは面白うそう」とい思い駆けずり回ってやっと自分の目の前にあるわれるまでがいちばん、たのしいかもしれません。

 探し当てた本を手もといおいて読み始めればしめたものです。しかし、ときどき自分が思うほどの本ではなかったといこともあります。そんなときは、最後まで読み通せないことも多々あります。なぜ、そうなってしまったのか、分析などすればおそらく自分が求めるテーマも徐々にわかってくるのですが…。なんせ怠け者ですから、ちうのまにか次のテーマをさがして「忘却の彼方の本」になってしまうようです。そんな本とのつきあいがありましす。

 最近は、買った本、借りた本を全部よむなんて出来ないということがわかってきました。それでも「いつかは」という希望を捨てずいるのが現状です。現在読んだきた本から、新しいテーマが見つかることも読む楽しさの一つでしょう。




 今の自分があるのは、いったいどんな人たちと会い、つながってきたかを説き明かす本です。
 生まれた場所も育った場所も「自分が選んだ」ものではないことに苦しむことよりも、じっくり振り返ってみて「どうしてこなのか」とい問いをもちながら来た人生日記です。
 それも、だれがつくったか「差別」される側に生きていた。それを悲しむよりその歴史を学びながらこれまでの事実を考えながら、さらには人としての生き方を問い直していく姿を書いた一冊。

■p84 つまり、教養とか知識とか、ひいては学問とか判断力などの人間形成の大切な要素は、家庭を中心とした生活環境がいかに大きな影響をおよぼすかという方向へ、私の考え方に変化が生じはじめたといえましょう。いうまでもなく、その時点から差別を凝視するような視点で考えられたのではありません。相変わらず、先祖の親が甲斐性なしで、定収入を得る仕事に就けなかったこと、文化的な雰囲気の家庭環境に育たなかったからで、私一人の責任ではないと、親たちへの嘆きと恨みが入り交じった複雑な心境であったようです。

■p90 長い人生のなかで、過去の体験はいつ活かされるかわかりません。そう思うと、今日を生きる一コマ一コマをていねいに歩むことが大切であると痛感しています。

■p139 今でこそ、こんな事例も笑い話の思い出の範疇(はんちゅう)に入るのですが、私が社会に出て一年足らずの時間帯の時は、かなりショックと受けとめたようです。これらを中心に、さまざまな人間関係に苦しみ、悩んだ私は、せっかく得た月給制の仕事だけど、やめたいと思う日々がつのりました。

■作者紹介【小林初枝 こばやし-はつえ】
1933- 昭和後期-平成時代の評論家。
昭和8年8月5日生まれ。48年「週刊朝日」の懸賞論文「わが家の3代」で1席入選。54年「被差別の世間ばなし」,56年「おんな三代」(懸賞論文の単行本化),59年「どこへまことを照らすやら」など差別問題,女性問題に関する著書がおおい。埼玉県出身。中央大卒

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 人の人生を読んでみるのも大事な読書の一つだと思う。
 「波乱万丈」という言葉でいうのは簡単であるのだが、実際に生きてこのときをむかえるまでに幾人かの言葉で助けてもらったり、あるいは蔑みにも聞こえたりということを思い出しなら読んだ本だった。

 60年も生きてくれば、嫌なことや楽しかったことも数多くあるのだと思う。そのなかで、自分を育ててくれたものはいったい何だったのだろうと思うことがある。
 それがわかれば、これからもきっとそのことを思いながら生きていけるのかもしれないと思う。

 さて、「私の人生ごよみ」小林初枝著(解放出版社)では、生い立ちから今の自分までを書いている。それは、生い立ちからの差別であったように思う。知らなかればいいと思うkともあったろう。それでも、生まれたことを恨んでも生きていけない。大事なことは、そのことを受けとめて前へ歩くことから始まるように思う。
 いつになったらしっかり根が地についた自分が出来上がるのか、人の本などを読んでいると問い返されるものだだ。私は、これが正解というのは誰も持ちえていないし、これからも本当の正解などとうのは望んではいないように思う。きっと何度も自分に「これでいいのか」とう問いを繰り返し生きているうちに死んでいくのだろうと思う。あと何年生きるかしらないが、その問いが大事なのだろう。




(後日…)






 今週、仕事帰りに昨年までいた職場の人たちが「定年歓送会&はやい暑気ばらい飲み会」を企画してくれたので出かけて行った。今の職場から下り電車に揺られておよそ1時間、某繁華街にての飲み会だった。みれば、当然だがわたしよりはるかに若い人たちだ。今ではこの人たちが仕事を動かしているんだと思いつつ、感謝の夕暮れだった。

 思えば、私が入った当時(三十数年前)は、職場ものんびりしていたし経済成長も毎年輝かしい日々だった。労働運動も、政治の世界も保革逆転云々の時代だった。東京と京都はつねに革新とよばれる知事がいた時代だった。先輩は後輩に仕事を丁寧に教えてくれて、新宿のゴーレデン街にもよくてれて行ってもらったものだ。忘年会・新年会はほとんどが参加して楽しかった。
 派遣社員も契約社員もいまの時代のように多くはなかった。正社員の方が圧倒的に多かった。

 仕事は今よりもっといっぱいあった。それでも若さがその仕事量を押し返していた。
 
 あれから30年以上たった今は、労働者は派遣が多くいて、正社員との関係も難しい時代となった。
 少子高齢化の時代が到来した。労働力は減った。さらには、阪神・淡路大震災、東日本大震災、福島第一原発事故、熊本大地震と多くの自然災害、人災をくぐりぬけてきたと思う。
 そしてとうとう、経済が疲弊した結果、ますます増え続ける非正規社員。さらには、昨年「集団的自衛権行使」容認をする積極的平和主義とめいうって「集団的安保法制」が成立。まさに一点突破の経済成果をつかもうと「戦争」できる国へと動き始めてきた。

 なんとも恐ろしい国がつくりあげられようとしていると思った今年だ。
 最終的には「憲法」を変えようとしている時代に。
 富裕層はますます富むタックス・ヘイブンへと。貧しいものはますます疲弊していく仕組み。

 誰が悪いのか…と思えば、その政治を許してきた人たちであり、無関心を時代の象徴のようにしてきたことだろう。
 そんな気がした「定年」の年だった。おさき真っ暗…、と嘆いててもよくならないだろう。
 少しでも良くしたいと思うのであれば、最低今の政治はオカシイと思うことだろう、と思った。
 いつの間にか、60歳。わたしの場合は「年金」。年々減り続ける年金はいったどうなるのかを考えることから始めようと思った。根っこは同じなのだろうから。

 最後にけさ読んだ新聞に面白い記事がでていたので紹介します。
 「日曜に想う・経済成長の道 不都合な真実」(朝日5月29日付)の記事だ。
 今、日本政府が掲げている「実質的な経済成長2%」という内容について。自室的な成長率を引き上げるには、仕事に就く人が増えること、労働生産性を上げること。それには、日本では働く人が年々減り続けている現状を打開するために①女性の労働力がスウェーデンなみに上昇すること②すべての健康な高齢者が、退職年齢を問わず働き続けること、だそうである。


一生楽にならない仕組みができ上げっていくしかないのだろうか。
 ①の女子が活躍することは女性の管理職を増やすこと。「女性の活躍する社会」で、②の定年をなくすには一生派遣でいい形をつくること。これは「派遣法」を変える。つまりは高齢者も働くなくてはいけない仕組みが出来がるということではないのだろうか。それでも、労働人口を増やすには「移民」に働いてまらうということ。

 私が働いて三十数年後、こんなにも悪くなるとは思ってもいなかった。驚いた。
 富裕層はますます富を得る仕組みや、そしてまじめに職をさがして働いても生きづらい社会。このへんで反省が必要なときなのかもしれない。自分にも反省し、立ち止まり考えてみる時なのかもしれないなあ。

 歓送会は久ぶりに会う人たちと話ができて面白かった。やはり、仕事であれ遊びであれつながっていることがわかる。今は、私の職場には、「ボッチ職場」で職場では話す人もいない。お客とどうにか一人、二人と話せる人とつながっていくしかないように思う。

 5月はいかがでした。
 「楽しかったでしょうか」。
 私にとっては、人生の節目の月でした。また、みんなと一緒に楽しくできるのだろうかと思っています。
 では、今月はお疲れさまでした。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

 


梅雨前のひととき

2016年05月22日 | Weblog

 こんにちは。
 今週は暑かったですね…。朝夕はさわやかな季節でしたが昼頃には暑さが「夏日」模様のでした。通勤電車も一部クーラーをいれていることもありました。
 梅雨入り前の季節。春先でこの時期がいちばんおちつく時期なのではないのかと思います。吹く風もさわやかに感じる時期だろう思います。季節は少しずつ夏へ…。まだまだ太陽の陽ざしは柔らかくていい時期です。

 今週は、毎月のなかで一番気を使う一週間でもありました。働いていて、自分の担当の仕事でここはちょっと「力」をだして踏ん張るところだという週があるとしたら今週だったと思います。この週が終わると翌日は、もう一日中ぼんやりして帰る時間をまっているような日になります。だれにも、気合をいれる週が、あるのでしょう・

 さて今週は、わたしのとって「気になるニュース」というと…。



◆1 エンゲル係数:2016-0152(5月15・20日・東京)
 「エンゲル係数」ってご存知でしょうか?。
 なんか聞きなれない言葉ですが、この言葉は日々の生活のなかでどれだけ食費の割合があるか調べた生活の安定の度合いの数字のことです。日々の生活が賃金もあがり、暮らしやすかれば気になる数字ではないのです。しかい、経済の悪化により余裕を失って最低いきるために必要な日々を送るとき何にお金をかけてるのかわかる仕組みになっています。人が生きていくためには「衣食住」が充実することが大切な条件ですが、経済が悪化すると生活するというより生きていくために最低「食」を考えなければなりません。その「食」の割合を出した数字が「エンゲル係数」といいます(「エンゲル係数」も求め方は下図)。


 なぜ、「ンゲル係数」が注目するかというと、安倍政権になり経済政策が円安の方向にむかい輸入品が中心に食品課が上がった。物価の上昇率を超えて賃金が上がったかを示す「実質賃金指数」は2015年までに4年連続で前年を下回った。限られた収入のなかで前年と同じように消費ができなくなっています。その結果、食べるだけにお金を使い、旅行やレジャー、教養娯楽に使うお金が目減りをしている傾向にあるということなのです。
 も一度、自分の生活の消費範囲を調べてみるといいのだと思います。

 よく春闘のとき「家計簿調査」というのをやります。そのなかで、自分が一番お金をつかっている項目がわかります。私の場合、お小遣いが年々減っていく傾向にあります。だから、その減ったなかなでどう使っているのか見てみると、自分がどれだけの生活の位置にいるのかわかります。
 ちなみに、私は「下の下」です。見栄をはっているどころではないのだということがわかります。
 「1億総活躍プラン」なるものがあっても、そこで活躍【働く)のは生身の人間。日々、食べて寝て、排せつして、ときにはおしゃれをして、うまいものを食べて、何かに感動して生きていくことが人生です。ほとんどが苦しいなかでこそ、それが必要なのだと思います。いろいろ工夫して…といわえますが、その工夫も限界にきているのでは危惧します。それをわらわすのが、個々人の「エンゲル係数」だと思います。一度、家計簿をつけて自分の生活実態を把握してはと思います。

◆2 都知事の会見・公私混同という人:2016-0164(5月21日・東京)
 東京都の舛添知事が政治資金(税金)の使い道を私的使用が発覚。なぜ、そうなってしまったのか、20日に定例記者会見で「疑惑」の説明祖をそたが、結局、説明すのは第三者機関をつくり調査説明すると開き直った。
 私は疑惑に対しての説明は潔白なら簡単なことだろうと思った。ところが、本人からは「都民に4年間の信託をいただいている。仕事で信頼を回復するしかない」と弁明。
 そういうことじゃなくて、これまでの自分が使った金額のお金の内容を説明するだけでいいのに、それさえも拒んだということは「疑惑」は本当だったということだということだろう。
 第三者機関でやろうと、同じことことだろう。わざわざ税金を使ってやることではない。ほかに税金をつくあところはあるだろう。これれさえも、私的に公金を使用そしているように見えた。調査をする税金を保育園にまわしてほしい。
 
 前知事の猪瀬直樹氏のようにきっぱりと辞職を考える時かもしれない。
 それでも、政治家として浮上しなければならないと考えるから辞職しないのだろうか。政治学者であるのであればいちばんわかっているようなもんだろうと思う。




◆3 沖縄で米軍属が女性殺害:2016-0160~0163(5月21日・東京)
 沖縄県で米軍属の男が女性の死体遺棄容疑で逮捕された事件が起きた。捜査によると性的暴行し殺害したと自供している。 沖縄県で知事や野党が抗議が広がっている。

 なんとも「反省しない米軍」。これほど殺害事件を犯す基地は必要か? という思いが残る。これまで何度も殺害事件が起きていて1995年の少女が3人の米兵の殺害されたのは痛ましい記憶がとよみがえる。さらには、2008年には女子中学生を米軍が暴行とつづく。いったい日本をなんだと思っているのか。正直「出ていけ!」という声さえあげたくなる事件が起きている。
 まして「辺野古新基地建設」となると、犯罪基地をまた新しくつくるようなものだ。この事件に対して、日本政府や米国はどう謝罪していくのだろうか。日本のとっては、いちばん危険な存在はいあまは「米軍」に見えてくる。全体がそうとは思わないが…

 以前に、記憶が正しければ新聞で「駐留米軍が他国でこのような事件をきいたことがない」という記事を読んだことがある。絶対に、米軍を撤退させるだろう。だから、他国での駐留地での殺人事件ははやらないだろう。聞いたこともない。「日本はなめられている…」という会話がでてのもあながし間違えではない」と思う。
 「日米安保」や「日米地位協定」もろくなものではないなあ。





 還暦をむかえ「定年退職年齢」とはなったものの、満額年金適齢年齢までまた働くことになった。それまでのまだまだなれない仕事がたくさんあることに気づいた一週間。
 通常は忙しくても一つの仕事をしていたにも関わらず納期に間に合わせるために(5月の連休があったため)で責了日が重なってしまった。さらに入稿執筆者が忙しいので責了当日の午前中にもまだはいってこない…。
「どうなるんだ…」とヤキモキしていたが「夕方はいる」との連絡があってホッとした次第。

 レイアウトは準備していたので、入稿してあっけなく性責了となった。
 やはり、準備が大事、と痛感した一日だった。これでクタクタになって今週は終わった。

 さすがに60歳になって細かさを要求されると時間がかかった。その覚悟はできていた。その分、自分の弱点をうまく準備できていたおかげで終わったと思った。
 なんにつけ、準備ができていればほぼ仕事は終わりにいくだけ。これが第一だと、この年になって思う。自分の弱いところを克服する努力を…と言い聞かせた。

 まだまだ初体験はあるだろう。それにむけて少しずつ自分なりに準簿をしておこうと思う。
 それにしても、元来の「自称・怠け者」の私にとっては、今回は疲れた。体の便りを聞いてみれば、そろそろ休みも必要だなと思会った。



 天気がよかったので散歩のついでに近所のバラ園に足を延ばしてきました。
 ちょっと遅かった感じはしましたが、きれいなバラをたくさんみることができました。
 
 さて、仕事は来週はちょっとはゆっくりできそうです。
 それでは今週はこのへんで失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

初夏ですね…

2016年05月15日 | Weblog

 こんにちは。
 連休明けです。
 まだまだ職場では連休の余波というのでしょうか、のんびり進んでいるようにみえます。仕事が盛りたくさんあるのかと思えばお客ものんびりとしていました。しかし、こののんびりの付が最終的にぼくのところにまわってくるのでしょうから喜べるものでもありません。
 今週の月曜日はなんとなく「だるい」一日思えました。

 それでも職場では久しぶりの顔を見合わせては挨拶をしていました。いつのまにかまったく知らない人達が仕事を通じてどうにか世間話ができるようになっていました。まだまだ一年たらずの出向職場では、やっぱり他人行儀なところがあります。それでも、日々の仕事がこのなかだちをしているのだから「めんどうくさい」といいながら、仕事はあるいみありがたいものだ思うものです。

 さて、初夏のように暑くなってきました。
 電車はクーラーが入り始めました。半袖でも寒く感じることも少なくなってきました。それでも、まだ朝夕の冷たさはあります。こんな天気の日は、山歩きが最高なのだと思っていました。もうすぐ、梅雨です。



◆1 定年後再雇用で賃金引下げ違法・東京地裁判決(5月4日・朝日)
 横浜の運送会社で定年後の再雇用のトラック運転手3人が、定年後再雇用の仕事が定年前と同じなのに賃金の引き下げは違法だと訴えた。東京地裁は、3人の訴えを認め「業務の内容や責任が同じなのに賃金を引き下げるのは、労働契約法に反する」として、3人の差額分を払うように運送会社に命じた判決が出た。
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 この記事を読んで「他人事」には思えない人が多いのだろうと思う。ぼく自身、今月定年になり、出向で仕事が前回より労働濃度が上がったように思える。それで、賃金がさがったなら、やはり同じように考えたのではないだろうか。まして、一人の職場で「責任」も重くなっていることは確かだ。この仕事は、あと一年くらいやれば、ほぼ肉体の衰えもあるし、これまでの同じようにできないだろう。それでは、どううするのか。
 「再雇用契約書」に希望を添えた形で「この職場を一年での異動を希望。さらには、今後のことを考えて後継者育成を経営側も考慮して判断してほしい…」と。

 正直、今後は高齢化社会をむかえいかに老人をうまく使うかかこれからの課題でもあるのだろうと思う。
 若い人の仕事のスピードは、ぼくの比ではない、ということは自覚している。だから、納品前日は、絶対の若い人にきてもらって時間を短縮して終わるようにしている。ぼくがやっていれば、終われるかもしれない到底時間内には終わらないということはわかっているだろう。それを、どう今後のことを考え、変わらないようにいsていくのかが経営者に問われているのだろうと思うのだ。それも、法令順守での話でである。


◆2 都知事の税金の使い方が疑惑・説明不足(5月4日・東京)
 東京都知事(舛添要一)が政治資金を私的利用したという疑惑が持ち上がっている。高額な海外出張や公用車での別荘通いも問題になっている都民が日々の労働のなかからでている税金の使い方が問われている。
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 今週はお金の問題がクローズアップされました。政治家は何も生産せず他人の税金で仕事をしていること自覚してほしい。それも、富裕層のためにではなく、弱者のためにである。
 とはいえ、「またか」という気もある。もう政治家がこういうことをやるのは、芸能界のスキャンダルと同じようになれっこになってしまった。(これは、なれてはいけない習慣ではあるのは知っているが)。

 お金と言えば、2020東京五輪を誘致をめぐり、多額の資金(2億2200万円)が委員の国際陸連のディアク氏振り込まれた日本オリンピック委員会(JOC)が認めた(同14日・東京)。これは、東京五輪を誘致するためのコンサルタント料金だと竹田会長も認めたそうだ。
 五輪を誘致するために、五輪ロゴのデザイン料、さらには競技場建設するための設計・デザイン料。最後には各競技場建設にもお金が使われていく。これはら全部、スポンサー料や税金で賄われる。それはもうぼくたちが考える金額の比ではないように思える。そんなお金があるのであれば、保育園や高齢者の福祉にまわせばと思う。さらには、熊本大地震の復興支援に回せば思う(単純すぎるかな)。

 とかくこの世は「お金がかたき」というか、お金の流れをもっと透明にするようにできまいか。そうできれば、もうちょっとは理解できるものを…。でも、そういう社会を選んだのも国民であるのだから仕方がないのだろうかとあきらめているが、それにしても、立ち止まって考えてほしいことばかりである。
 スポーツの祭典、オリンピックは競技をみるのであり、競技場はそこそこでいいのではないのかと思う。
 これでいちばん喜んでいるのは、建設業界だろう。もっと、国民が素直に喜べるものになってほしい。

 今週読んでいた東京新聞の社説に「水俣病公式確認60年」という記事に水俣病が出てくる背景をうまく書いた文章があった。
 「生命よりも経済を優先し、止められるもの、止めなければならないものなのに、誰も止めなかったのだ。だから、それはたただの『病』とは言い難い。人間の欲と不作為が引き起こし、拡大させた『事件』とよぶしかない」と。
 何かを忘れて、奔走した。努力した…。都民が喜んだ…、その背景にはなんとも人間の欲望の塊があった。それは本当に人々を喜ばせているのかという疑問がいっぱいあるのだと思った。とくに、この日本は危ない道を進もうとしてるさなかだと思えるからなおさらだ。




 今の地下鉄の駅を使いようになってもうすぐ一年である。東京は以外と坂が多いと思うが地下鉄はさらに階段の多さにはまいってしまう。一度の階段ならまだいいとして、次から次に階段が目に前に現われる。昇りはよほどのことがないかぎりころぶようなことはないが、気をつけないといけないのが降りるときだろう。
 雨が降って駅にむかう途中、折りたたみ傘をたたみながら下りているとき、ちょっと階段から目を離した瞬間だった。足の降ろすところを間違えたのかそれともタイミングが合わなかったのか足首がへんに曲がってしまった。「痛っ…」と声が出た瞬間でもあった。

 急いでいなかったので、少したったら痛みはなくなった。「よかった」と思いながら駅のホームにいった。
 ぼくは、スマートフォンを見ながらよく階段を降りていく人を多く見るにつけなんとも危険な毎日を自分に課して通勤しているのだろう思える。

 満員電車の中でも、駅のホームでも、ありとあらゆる場所の足が地についているところでは、こんな光景を多く目にする。最悪なのは、混雑している電車の中で目の前にスマホがスーっとあらわれては、はじめるご仁には閉口する。目の前のスマホに勢いでもつけてクシャミでもして思い切りツバでも落としてやろうかと思うこともある(意地悪じいさんになりつつあるのかな)。スマホをのぞけばたいしたことはやっていない。ゲームやら商品の紹介やらを指でなぞっては新しい画面を開き小さな欲望を満喫させているのだろうか。

 ときどき、駅のホームからスマホを眺めながら線路に落ちる人には驚くばかり。どうしたものか。スマホがないとやっぱり不安な社会になってしまったのだろうか。
 歩道でも必死のスマホをみている青年に正面衝突が起きるほどの距離になることもある。世はまさに「一億総スマホ時代」なのだろうか。

 ぼくはいまでもガラ携だ。電話は相手と話せれば、メールは届けばよいと考えている。それで十分だ。スマホを持って歩きながら見ていたら青年のような運動神経はないので人と衝突するか、線路に落ちてひかれるか、車に衝突されるかで命がいくつあっても危険だ。

 最近はつくづく、筋力のなさを痛感しているので運動神経のいるスマホは持つことはないだろうと思う。駅の階段でさえ一歩まちがえれば骨折や命の危険性をもっていると思うこのごろだ。便利な機械を使って楽な暮らしと思っているのはとんでもない誤解の世の中のようだ。



 連休明け、無事に学校や職場にいけたでしょうか。
 5月は「五月病」というのがよく話されますが、今年はどうだったのでしょうか。
 一年のうちでいちばんこの月が植物の勢いを感じる月ではないのでしょうか。多摩川を歩いていると、短いを春を待っていたように小さな花が足元にたくさん咲いています。あとひと月もすれば消えてしまう花です。
 それでも、小さな花たちは足元にいっぱい咲き誇っているようです。誰にもつげず、この時だけをまっていた花のけなげな美しさを思います。欲もなく、人を悲しませることもなく、その小さな花弁には励まされるような気持にもなりますねえ。
 もう少しすると、いやな梅雨がやってきますね。今が春と呼べるいちばんのいい季節かもしれません。
 満喫してください。

 さて、来週は忙しくなるのでしょう。しめ切り近い雑誌も納品の日が今週にあります。仕事とはいえ、学者たちの文を待っては苦しむ毎日になるのでしょうか。まだまだ、楽になれぞうにありません。
 それでは今週はこのへんで失礼します。
読んでくれた人、ありがとうございました。


連休明けは疲れます。

2016年05月08日 | Weblog

 大型連休も終わり、少し休み疲れがでてきて記憶のどこかに楽しい思い出がのこる一週間でもありました。
 こんにちは。
 連休は楽しかったでしょうか。休みを利用してそれぞれリフレッシュできたのではないのでしょうか。
 日々がゆっくり過ぎていく休日を館がると、働きすぎの日々をつくづく感じたのではないかと思います。ぼくの方は、きっと休みの反動が連休明けにあることがなんとも怖いような気がしています。なぜ、こうなってしまうのかいつも考えてしうまうのですが、月刊誌や新聞など日付におわれているような仕事の宿命なのでしょうかねえ。
 それでも、数人でやれればバタバタと騒ぎながら(相談)やればきっといいのでしょうか。一人(ボッチ)職場では苦情や相談を言う前に「体を動かせ…」との状況です。休みあけ、ボチボチやっていくしかないでしょうか。それでも、今回は山歩きができたことが収穫でした。初夏を感じながらゆっくりマイペースで歩く山はよかったです。これからも、続けていきたい趣味として幅を広げていけたらと思います。

 さて、通勤路では軒先にツバメが巣作りを始めていました。空高く飛んでは気持ちのよさそうに風にのって飛んでいました。バラもそろそろ先ごろです。いつもの散歩道では、大きな花を咲かせてしました。




◆1 パナマ文書ってなんだ…その内容とは タックスヘイブン(租税回避地)と各国指導者の関係を暴露した「パナマ文書」が南ドイツ新聞が各国記者の協力のもと厖大な文書を解明しつつあるとのこと。内部文書には武器の密売人や麻薬組織のメンバー、あるいは政治家も含まれることが少しずつあきらかになっていく。ちなみに日本では朝日新聞が協力しているという。世界中のジャーナリストが命がけで頑張っている姿がうかびあがる。
…………………………………………………………………………………………………………………… 世界中の大富豪があまりある自分の貯金を自国に置かず税金のかからない他国の施設にずけ管理してもらうことが「タックスヘイブン」だという。つまり、自国の銀行にあずけず自国で稼いだ利益を他国にあずけて税金逃れをしているようなものに見える。法律的にはなんの問題もないという。それでも、自国で自国の労働者を働かせ利益を得たのであれば、税金として還元するのが当然だと思うのですが。それは庶民の発想なのでしょうか。その税金で国の予算にして少しでも後世のために役立てるようにするのが高所得者の行動ではないのでしょうか…なんて思っているのは甘いのでしょうか。
 ちなみ、日本の国内にも「タックスヘイブン」をやっている人がいるようです。(パナマ文書には日本の在住者や日本企業の名前が重複を含めて約400あり、日本人230人、外国人80人、企業などが約20となった=5/7東京)
 「自分でもうけて自分で預けて何が悪い」といわれればその通りなのだが、それにしても金持ちほど自国をよくしようなどとは思っていないのだろうか。ぼくなどは、日々の生活で精一杯なのに…。


◆2 止まっている浜岡原発(静岡)のその後から…今、熊本地震で心配なのは川内原発の様子。余震がいまだに続いている。さらにとくには熊本県以外にも余震が続いている。万が一、さらに大きな地震がきたら、津波が起きないにしても、地殻が盛りあがり原発建物そのものが動いてさらには誤作動がおきて…と想像するのは考えすぎなのでしょうか。
…………………………………………………………………………………………………………………… 浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)をとめたのは政治判断から、6日で5年。中部電力は長さ2キロを超える防潮堤を今春関せさせ、再稼働をめざす。全国の原発停止の発端となった地元周辺はは、東京電力福島第一原発事故の風化にも映る動きが出ている(5/7日/東京)。
 浜岡原発は東海地震の想定震源域の真上にあり、近くを東海道新幹線や東名高速が走る。5年前の福島第一原発の事故で当時の首相の菅直人氏の政治的判断でいちはやく停止を決めた。この判断は当然だと思う。原発は止めるのにも時間がかかり、停めたところで炉心そのものに異常があれば勝手にメルトダウンをはじめ高熱ですべてを溶かし放射能を出し続けるというしろもの。停めたからといって安心できるものではないと思える。完全に廃炉にするには半世紀くらいかかるというのも、どうにも恐ろしいしろものだ。

 それでも新聞では(浜岡停止にホッとしたのは5年前。当時、積極的だった「原発リスク」への言及が、最近は減った。御前崎市長選も様変わりした。4年前は再稼働が争点になったが、今春は再稼働を容認する2人の争い。投票率は過去最低。前回、再稼働反対を掲げて敗れた新顔は「事故の恐怖も風化し、市民の多くが目先の生活を重視する現実路線に戻った」とみる)という記事だ。
 人間はどうしても忘れっぽいくなってしまうのでしょうか。5年前の原発事故を思えば再稼働などと考えないのでしょう。それにつけても、自然の驚異には勝てないことはわかっているのですから、その前に災いをできるだけ少なくするのが人だと思っていましたが…。ちょっと考えをあらためないといけないですね。


 今月、ぼくの誕生日でした。ということは60歳です。見渡せば、今は一人の職場…。
 働いて三十数年と…。「定年」ということで一つの区切りになるということしょう。自分はまだ働けると思っていても年は毎年一つずつ加わります。他人事のように思っていたことがとうとう現実になりました。まだ、年金は満額でないので「再雇用」という制度を利用して働く予定です。
 ここでいちばん大事なことは、仕事ではなくて自分の健康でしょうか。なぜなら、ここまできて仕事以外になにかできることもやってみたいように思います。一生仕事などと思いせん…。

 さて、どんな定年以降の自分をつくっていきたいのでしょうか。ぼんやりと考えることもまだなくて…。
 日々の延長を繰り返しぼやきながらここ一年は送っていこうと考えています。その間のやりたいこと、やれないことを少しずつ区別して一年を送っていこうと思います。まずは、身の周りのものを整理していこうと思案中です。使うもの、これから必要なもの等などと整理していくしかありません。
 月末、知人が内々で「ご苦労さん会」を企画してくれるそうです。気兼ねのない人たちのあつまりで楽しみにしているところです。


 連休明けの職場がちょっと怖いです。ドカーンと仕事がたまっているような予感です。
 それでも、どうにかやるしかないのでしょうね。
 できれば定年後の様子を更新していきたいと考えています。

 早いものですね。月並みないいかがれば「光陰やのごとし」とでもいいのでしょうか。とはうっても変わることと言えば、毎月の賃金はいままで通りとのこと。そして決定的に違うことは「夏冬のボーナス」はでないそうです。なんと悲しいしらせか…。これでは、正直なところはりあいがうすれますねえ。仕事はそれなりに、ということなのでしょうか。それでは、ぼくの方もそれなりに、といくようにやるしかないような気がします。

 これで小遣いも減るのでしょうかね…。無理のない生活設計などと銀行の文句ではありません、そうなります。要は、老年になったら融通のきくいいわけを「健康な体」を軸に考え実行いsていくということのあでしょうかね。趣味もあちこち手を出す機会も少なくなっていきます。まあ、できないでしょうが。山歩きだけは続けられるようにしたいと思案中…。
 まずは、病気をしないようにしますわ。では、今週はこのへんで失礼します。

 読んでくれた人、ありがとうございました。


5月が始まりました。

2016年05月01日 | Weblog

  こんにちは。
 すっかり季節は初夏を思わせるほど日中はあつくなりました。そして連休です。
 大型連休も前半が終わり、明日から後半にはいります。たかだか一週間の休みですが、それでも故郷へ帰ったり、旅行をしたりといろいろプランを立てて実行している頃でしょうか。わたしの場合は、これっといって計画をたてて行動はしない連休です。前半は、メーデーに行ったり、自分の用事をしたりと通常の休日と同じように送っています。後半にどこかで天候のいい一日をとって山歩きに行くくらいでしょうか。とりあえず、読んでくれている人にとっていい休日になるといいですが…。

◆1 三菱自動車の燃費偽装問題(12日・東京/発言より)
 さて、今週いちばん話題になっていたニュースは、三菱自動車の「燃費偽装問題」でした。それも25年間も偽装を続けたいたようです。なぜ、そこまでして自社の自動車をよくみせたいのでしょうか。車の燃費がいいということは、乗っている人にとってはガソリン代が少なくてすむからいいのですが、それが本当であればばしょうが。25年もの間ですから、その偽装に関わった人たちのなかにはすでに定年で退職された人もいるのでしょう。現役のひともいると思います。
 
  いつの間にか「低燃費」のいう仕事が「偽装=ごまかす」ということに代わっているような時代になってしまったのでしょうか。それで「OK!」ではないのでしょうが、「隠す」ことが仕事になっていれば、それは少し働く意味合いもちがってきうるのではないかと思います。犯罪に手をそめているようなものではなのでしょうか。

 もう一度、働く(仕事をする)ということについて原点に戻って考えてみる必要があるような事件です。
 通常、働く(仕事をする)ということは、暮らしをよくしてより楽しく過ごす日々をつくるためにやってきたように思います。さらに多くの人手を借りてようやく商品にします。そんななかで、怒りたくなってしまう人、頼りにしている人とさまざまな人間関係をつくってやっと仕事ができるのだと思います。
 そんな中で、たくさんの人との妥協点(まあ、こんなところで)を理解しながら終わるのだと思います。でも、その途中でミスであることを黙ってしまってそのまま行ってしまうこともあると思うのです。ミスを出さないようにと頑張ってあげく、それでもミスは起きてしまいます(私の経験から)。
 そして、ミスの原因の検証。さらには「始末書」とか「謝罪」とかしながらやっとしながら、仕事が終わるものではないかと思います。
 今回の「三菱自動車燃費偽装」は、なんと25年間も放置されてしまっているのですから一人の仕業ではないのでしょう。どういう流れで、そうなってしまったのかこれからの検証がまたれるところです。
 きっと、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」方式のように思います。
 それで、利益を得て、賃金いただいて、となっているわけですから致命的なことだといえるのではないのでしょうか。仕事がいつの間にか、「隠す」ことに代わっていたのです。きっと、あとあと後悔しているのはないかと思えます。
 この問題で当の企業より、その自動車の部品を作って納めている多くの中小企業はもっと大変なことになることを分かっていたのでしょうか。大企業のお世話になっている会社にとっては経営の危機になることを考えていたのでしょうか。
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 最後に、日曜日に新聞を読んでいたら、内山節さんがこの問題にぴったりな文章が出していましたので紹介します。(東京新聞・5月1日付です)
 「(略)職業は職業以外との結びつきを失ったとき、職業だけが独り歩きするようになり、頽廃していく。その結実たえず職業倫理の重要性が語られ、しかし現実は倫理観の欠如した事件が頽廃し続ける。そのことに気づいている人たちは、自分の仕事が社会や暮らし、文化と結ばれている世界を確立しようとして、新しい仕事づくりをはじめ、あるいはボランティア活動などに力を注ぐようになってきた。企業でも従業員の社会貢献活動に本気で取り組むところから生まれはじめた。
 放置すれば仕事が人間を頽廃させる時代を私たちは直視せざるをえなくなっている」(東京新聞5月21日「時代を読む」内山節より)。



◆2 熊本地震…余震はつづく2
 熊本地震の被害が日々拡大だれているように見えます。不幸にも震災によって命をなくした人が日々あきらかになっていくのを見るにつれ大変だろうと思います。
 この連休でボランティアの人たちが多く参加するようになってきたとニュースで見ます。
 この震災復旧の補正予算も組まれました。ここは政治家がでなくてはどうにもならないほど甚大な震災です。
阪神淡路大震災のときは、村山首相が災害の起きた避難場を訪問しれていた映像が浮かびます。そして、東日本大震災では菅直人首相がいちはやく静岡の浜松原発を停止させたことが印象にのこっています。当時の首相のそれぞれの行動は、最悪を想定した決断であるように思います。
 それで、今回では安倍首相は訪問することも大切ですが、なによりも川内原発の停止だろうと思いきや、停止はしませんでした。
 原子力規制員会の権限が優先されたのでしょうか。それにしても、地震によって避難するまでの道路も寸断されるだろう。原発事故が再び起こったらどうする気でいるのでしょうか。やっぱり、ここはとりあえず「停止」で様子をみることが大事だと思うのですが…。





 今年は久しぶりにメーデーに参加してきました。(29日・連合主催・代々木公園)
 昨年は、勤務地が異動でしたので右往左往そいるときでそれどころではなかったので参加できませんでした。今年は87回目だそうです。わたしが参加したのは連合主催の「中央メーデー」。新聞によると約4万人の参加だったようです。年々、メーデーもさまがわりしているように見えます(政府代表も参加するのですから)。組合旗も以前は赤い一色でしたが、青や緑の色の旗も目立つようになったようです。さらに、違ってきたのは労働組合の闘いのや、いまいちばん労働運動の課題などが聞かれなかった(?)ように思えます。
 それでも、各労働組はそれぞれの職場で理不尽な労働者のことに権利を主張して頑張って闘っているのでしょう。メーデーはその団結を意識するのですが、なぜかバラバラにも見えました。

 労働者どうしの連帯・団結がいのちであることを確認する場であるのだと思います。

 

暮らしの底上げ実現に向けた特別決議(案)

 雇用・生活の安定と明日への希望――これこそが社会の持続可能性を実現するカギである。雇用労働者の7割を占める中小企業で働く人々や約2,000万人の非正規雇用で働く人々をはじめ、すべての働く者の「底上げ・底支え」「格差是正」を確実に進めることが不可欠であり、子育て・医療・介護などの将来不安も払拭されなければならない。当然のことながら、雇用と生活に重大な影響を及ぼす労働者保護ルールの改悪は、これに逆行するものであり断じて認められない。
私たちがめざすものは「働くことを軸とする安心社会」である。それは、誰もが公正な労働条件のもとで多様な働き方を通じて社会に参加でき、互いに社会的・経済的な自立を支え合い、自己実現に挑戦できる活力あふれる参加型の社会である。
こうした社会を実現するため、私たちは以下を求めて取り組む。
  一、将来世代への責任を果たし、真面目に働き生活を営む者が報われ、暮らしの底上げにつながる政策の推進
  一、誰もが誇りを持って働き続けられる良質な雇用と労働条件の確保、安全・安心に暮らすための社会的セーフティネットの拡充
  一、立憲主義と民主主義に立脚し、基本的人権、平和主義などの普遍的価値を尊重する、健全で緊張感ある政治の確立
本メーデーを契機に、私たちは「クラシノソコアゲ応援団!2016 RENGOキャンペーン」を通じて、一人ひとりが、職場・家庭・地域で理解と共感を呼び起こす取り組みをより一層展開し、社会的うねりを巻き起こしていく。そのうえで、連合は、働く者に寄り添う政治の実現をめざして、来たる7月の参議院議員選挙での組織内候補者ならびに推薦候補者全員の勝利に向け、総力を挙げて取り組む。
以上、決議する。
2016年4月29日
第87回メーデー中央大会





※毎年、天候にめぐまれない「くらやみ祭り」がはじまりました。こえれが始まると、もうすぐ夏だなあと思います。この連休中は、関係者は休めず毎日のんじゃお祭りなのでしょうなあ。


     ■くらやみ祭り■ 





●●●●>おまけ<●●●●

 今年も連休中一度は山歩きにくと計画していました。一人になるか数人でいくか迷っていましたが、結局一人で行ってきました。毎年この時期は一日つかっていきます。
 最近び高尾山は、多くの人が足を運ぶようになり、連休中は人が多くて大変です。いつも山歩きの最終目的地は高尾山としていましたが、毎年、人をかきわけて、駅までむかうことが多くうんざりしていました。
 こんな所でけっこう時間を多く使ってしまうので大変でした。そこで今回は、逆から(スタートを高尾にして)行くことにしました。高尾から入り、陣馬高原へぬける予定で歩きました。

 さすがも午前7時半ごろは人もまばらでスムーズに歩けます(写真下)。
 混雑は駅から(京王「高尾山口」)まででそれぞれが自分のコースに進むうちに人もまばらになってきます。






 城山では桜がまだ咲いていました。



 緑のグレデーションがこの時期ではならではです。



 小仏~景信山へ。登山者も少なくて楽です。




 どんな連休をお過ごしでしたでしょうか。どれも天候にめぐまれればいいのですが、こればかりはどうにもなりません。天候を読むことも大事になってきました。
 この時期の、山歩きでいちばんいいのは、たくさんの花をみることが出来るということでしょうか。こんなところに…と思うこともあります。いやなことは、虫もいっせいに動き出すので、ハチにさされたりすることでしょうか。
 この連休中もニュースで山での遭難者やけが人が多いことを伝えています。休み中にどうしても行こうと計画してしまいます。それもわかるように思います。大事なことは、行っても無理をしないように心掛けることだけでしょうか。自分にあった登山を楽しむことが大事だと思います。

 さてさて、連休も終わりです。
 休み中にやろうと思ったことができたでしょうか??。
 けっこう恒例の帰省ラッシュは続いている様子です。なんとなく、過ごせばなんとんく…終わってしまいます。それでもけっこう人生「楽」になりそうにもありません。世の中、黙っていたら「苦」にひきずり込むようにできているのでしょうか。

 連休…とはいってもそれほどやるようなことがないのが現実です。終わってみれば「休み」はいかに「時間を使うか」ということに悩んでしまいます。それでも、時はすぎていきます。
 あーあ、休みがおあるとまたもっとも長い「日常」がかえってきます。それでも、ときどき「非日常」をみつけたは楽しむしかありませんかねえ。

 また仕事があります。宿命ですね…。
 それでは、この辺で。今回は更新が遅れてしまいました。
 この連休が終われば、この休み中にたまった仕事がまっているだけ…だと思うとウンザリする気持ちも起きてくる。それでも、どうにか、毎年送ってきた。今年もそんなところで始まるだろうと思う。

 まずは、職場のプリンター2台、パソコン3台のスイッチを「ON」にする前に自分の心に「ON」にしようと思う。
 それからしか始まらないようだ。それにしても、九州地方の地震はちいさくなったものの毎日続いている様子だ。なんということなのだろうか。地球は生きている…とつくずく思う。そこに暮らす人々も生きている。一日もはやくそのバランスが保たれて、あたりまえの生活を戻ればいいとねがうだけだ。


 読んでくれた人、ありがとうございました。