こんにちは。今は季節がとてもいい季節です。雨もまだ降らすさわやかな休日が続きますね。
5月も今日が最後の日曜日となってしまいました。今月はどんな一か月になったことでしょうか。
連休もあったものの、日々が過ぎていくだけ今では「忘却の彼方」という感想になるのでしょうか。私は元来の怠け者として感じた5月でした。なぜなら、休みが欲しいわりには自分のやりたいことが見つからず、気がつけば今日という日を迎えていた次第ということでした。かといって、何か新しいことが始まった、始めたという月でもありませんでした。
仕事も異動先では初めての連休で「どうなっることか」という不安な気持ちもありましたが、終わってしまえば、普段の月よりもちょっと忙しい月ということぐらいでした。それでも、日々は過ぎていきます。そして、仕事もたまっていくだけです。いといろと考えさせられた5月でした。
月末の読書紹介になりました。
今月は休日があったにもかかわらず読書をしない月でした。
一冊の本を読むということは、その作者やテーマをなんらかの形でさがして竿の本のありかをつきとめて、パソコンで検索したりたどりつきます。探し当てた本は、足を運び図書館で借りるかあるいは、本屋さんにいって買い求めるという行為が必要です。
そんななかで、いちばん楽しいと思うのは、星の数ほどある本の中から自分がテーマとしている本をむつけるという作業でしょうか。新聞やラジオ・テレビ、雑誌などで見かけた本を「これは面白うそう」とい思い駆けずり回ってやっと自分の目の前にあるわれるまでがいちばん、たのしいかもしれません。
探し当てた本を手もといおいて読み始めればしめたものです。しかし、ときどき自分が思うほどの本ではなかったといこともあります。そんなときは、最後まで読み通せないことも多々あります。なぜ、そうなってしまったのか、分析などすればおそらく自分が求めるテーマも徐々にわかってくるのですが…。なんせ怠け者ですから、ちうのまにか次のテーマをさがして「忘却の彼方の本」になってしまうようです。そんな本とのつきあいがありましす。
最近は、買った本、借りた本を全部よむなんて出来ないということがわかってきました。それでも「いつかは」という希望を捨てずいるのが現状です。現在読んだきた本から、新しいテーマが見つかることも読む楽しさの一つでしょう。
今の自分があるのは、いったいどんな人たちと会い、つながってきたかを説き明かす本です。
生まれた場所も育った場所も「自分が選んだ」ものではないことに苦しむことよりも、じっくり振り返ってみて「どうしてこなのか」とい問いをもちながら来た人生日記です。
それも、だれがつくったか「差別」される側に生きていた。それを悲しむよりその歴史を学びながらこれまでの事実を考えながら、さらには人としての生き方を問い直していく姿を書いた一冊。
■p84 つまり、教養とか知識とか、ひいては学問とか判断力などの人間形成の大切な要素は、家庭を中心とした生活環境がいかに大きな影響をおよぼすかという方向へ、私の考え方に変化が生じはじめたといえましょう。いうまでもなく、その時点から差別を凝視するような視点で考えられたのではありません。相変わらず、先祖の親が甲斐性なしで、定収入を得る仕事に就けなかったこと、文化的な雰囲気の家庭環境に育たなかったからで、私一人の責任ではないと、親たちへの嘆きと恨みが入り交じった複雑な心境であったようです。
■p90 長い人生のなかで、過去の体験はいつ活かされるかわかりません。そう思うと、今日を生きる一コマ一コマをていねいに歩むことが大切であると痛感しています。
■p139 今でこそ、こんな事例も笑い話の思い出の範疇(はんちゅう)に入るのですが、私が社会に出て一年足らずの時間帯の時は、かなりショックと受けとめたようです。これらを中心に、さまざまな人間関係に苦しみ、悩んだ私は、せっかく得た月給制の仕事だけど、やめたいと思う日々がつのりました。
■作者紹介【小林初枝 こばやし-はつえ】
1933- 昭和後期-平成時代の評論家。
昭和8年8月5日生まれ。48年「週刊朝日」の懸賞論文「わが家の3代」で1席入選。54年「被差別の世間ばなし」,56年「おんな三代」(懸賞論文の単行本化),59年「どこへまことを照らすやら」など差別問題,女性問題に関する著書がおおい。埼玉県出身。中央大卒。
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人の人生を読んでみるのも大事な読書の一つだと思う。
「波乱万丈」という言葉でいうのは簡単であるのだが、実際に生きてこのときをむかえるまでに幾人かの言葉で助けてもらったり、あるいは蔑みにも聞こえたりということを思い出しなら読んだ本だった。
60年も生きてくれば、嫌なことや楽しかったことも数多くあるのだと思う。そのなかで、自分を育ててくれたものはいったい何だったのだろうと思うことがある。
それがわかれば、これからもきっとそのことを思いながら生きていけるのかもしれないと思う。
さて、「私の人生ごよみ」小林初枝著(解放出版社)では、生い立ちから今の自分までを書いている。それは、生い立ちからの差別であったように思う。知らなかればいいと思うkともあったろう。それでも、生まれたことを恨んでも生きていけない。大事なことは、そのことを受けとめて前へ歩くことから始まるように思う。
いつになったらしっかり根が地についた自分が出来上がるのか、人の本などを読んでいると問い返されるものだだ。私は、これが正解というのは誰も持ちえていないし、これからも本当の正解などとうのは望んではいないように思う。きっと何度も自分に「これでいいのか」とう問いを繰り返し生きているうちに死んでいくのだろうと思う。あと何年生きるかしらないが、その問いが大事なのだろう。
(後日…)
今週、仕事帰りに昨年までいた職場の人たちが「定年歓送会&はやい暑気ばらい飲み会」を企画してくれたので出かけて行った。今の職場から下り電車に揺られておよそ1時間、某繁華街にての飲み会だった。みれば、当然だがわたしよりはるかに若い人たちだ。今ではこの人たちが仕事を動かしているんだと思いつつ、感謝の夕暮れだった。
思えば、私が入った当時(三十数年前)は、職場ものんびりしていたし経済成長も毎年輝かしい日々だった。労働運動も、政治の世界も保革逆転云々の時代だった。東京と京都はつねに革新とよばれる知事がいた時代だった。先輩は後輩に仕事を丁寧に教えてくれて、新宿のゴーレデン街にもよくてれて行ってもらったものだ。忘年会・新年会はほとんどが参加して楽しかった。
派遣社員も契約社員もいまの時代のように多くはなかった。正社員の方が圧倒的に多かった。
仕事は今よりもっといっぱいあった。それでも若さがその仕事量を押し返していた。
あれから30年以上たった今は、労働者は派遣が多くいて、正社員との関係も難しい時代となった。
少子高齢化の時代が到来した。労働力は減った。さらには、阪神・淡路大震災、東日本大震災、福島第一原発事故、熊本大地震と多くの自然災害、人災をくぐりぬけてきたと思う。
そしてとうとう、経済が疲弊した結果、ますます増え続ける非正規社員。さらには、昨年「集団的自衛権行使」容認をする積極的平和主義とめいうって「集団的安保法制」が成立。まさに一点突破の経済成果をつかもうと「戦争」できる国へと動き始めてきた。
なんとも恐ろしい国がつくりあげられようとしていると思った今年だ。
最終的には「憲法」を変えようとしている時代に。
富裕層はますます富むタックス・ヘイブンへと。貧しいものはますます疲弊していく仕組み。
誰が悪いのか…と思えば、その政治を許してきた人たちであり、無関心を時代の象徴のようにしてきたことだろう。
そんな気がした「定年」の年だった。おさき真っ暗…、と嘆いててもよくならないだろう。
少しでも良くしたいと思うのであれば、最低今の政治はオカシイと思うことだろう、と思った。
いつの間にか、60歳。わたしの場合は「年金」。年々減り続ける年金はいったどうなるのかを考えることから始めようと思った。根っこは同じなのだろうから。
最後にけさ読んだ新聞に面白い記事がでていたので紹介します。
「日曜に想う・経済成長の道 不都合な真実」(朝日5月29日付)の記事だ。
今、日本政府が掲げている「実質的な経済成長2%」という内容について。自室的な成長率を引き上げるには、仕事に就く人が増えること、労働生産性を上げること。それには、日本では働く人が年々減り続けている現状を打開するために①女性の労働力がスウェーデンなみに上昇すること②すべての健康な高齢者が、退職年齢を問わず働き続けること、だそうである。
一生楽にならない仕組みができ上げっていくしかないのだろうか。
①の女子が活躍することは女性の管理職を増やすこと。「女性の活躍する社会」で、②の定年をなくすには一生派遣でいい形をつくること。これは「派遣法」を変える。つまりは高齢者も働くなくてはいけない仕組みが出来がるということではないのだろうか。それでも、労働人口を増やすには「移民」に働いてまらうということ。
私が働いて三十数年後、こんなにも悪くなるとは思ってもいなかった。驚いた。
富裕層はますます富を得る仕組みや、そしてまじめに職をさがして働いても生きづらい社会。このへんで反省が必要なときなのかもしれない。自分にも反省し、立ち止まり考えてみる時なのかもしれないなあ。
歓送会は久ぶりに会う人たちと話ができて面白かった。やはり、仕事であれ遊びであれつながっていることがわかる。今は、私の職場には、「ボッチ職場」で職場では話す人もいない。お客とどうにか一人、二人と話せる人とつながっていくしかないように思う。
5月はいかがでした。
「楽しかったでしょうか」。
私にとっては、人生の節目の月でした。また、みんなと一緒に楽しくできるのだろうかと思っています。
では、今月はお疲れさまでした。
読んでくれた人、ありがとうございました。