日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

夏の思い出で、できましたか…

2013年08月25日 | Weblog

 こんにちは。
 8月も終わりですね。さすがに、このごろは日も短くなり、朝夕も少しは涼しくなってきました。
 通勤路ではセミが短い一生を終えて、ころがっています。そして、世代交代でしょうかツクツクホウシの鳴く声が聞こえています。
 また、夏の全国高校野球選手権も前橋育英(群馬)が初出場ながらみごと優勝をかざって幕をとじました。静かになってみると、声援と応援がまだ耳に残響音として残っています。今年の野球大会は、強豪がおしいところで負けた試合でもありました。暑さとのつきあいがうまいチームが勝ったともいえそうです。

 今年の夏はいかがでした。
 暑い、暑いと思うのもおよそ一か月くらいです。これから、だんだん涼しくなり、長い冬にむかっていくのでしょうね。楽しい思いでもたくさんつくったことでしょう。
 近所の歯医者で順番を待っているとき、となりにいた小学生(2年生)とおしゃべりをすると、まだ宿題がいっぱい残っているそうです。いずこの時代も宿題はあとまわしで、いまごろになって追い込む様子はかわらないなあ…と思えました。日焼けした少年も歯の痛さのなか残った宿題を片付けるのかと思うとちょっとかわいそうに思えました。がんばれ~!!

 さて、今週は福島第一原発の汚染水がタンクから漏れて問題になっていました。もれた汚染水は地下水まではいりこんでいってしまっているのでしょう。
 原子炉を廃炉にするにもながい時間かかるやっかいな問題です。メルトダウンをした原子炉にたまった汚染水をタンクに貯蔵しているのですが、日々、増えるばかりです。そして、増えたタンクの置き場所にもことかくありさまです。さらには、管理するのもおろそかになってしまっている。そんななかでの情報の隠蔽がさらに汚染水がたまる、もれるという悪循環です。
 これから、どうしていくのか。当の東電では限界がきているのでしょう。政府は、汚染問題についての具体的なものが見えてきません。
 スポーツも大切ですがもっと大事なのは人の命。東京五輪どころではないと思える週でもありました。

 また、気になったことは「派遣労働拡大へ転換」という記事でした。
 これは、派遣労働の見直しを議論する厚生労働省の研究会が20日まとめたもので、これにゆると、これまで派遣労働者の仕事の内容を規制したものを緩和してなんでもまかせられるようにする…としていくとのこと内容でした。
 これによって、とくに人件費が高い正社員(中・高齢者)の仕事を派遣に置き換えるという可能性がでてきた、といことです。
 けっきょく、人件費の高い正社員への締め付けを強化し、いつでも解雇ができる条件をゆるくしていく動きなのだと思います。これでは、派遣の生活不安定にあわせて正社員も不安定になっていくのではないかと心配しています。
 なんでも派遣ですまそうとする、企業も企業です。

 だから「心の病」がふえる条件ができるのではないかと思います。
 今週、大企業の社員が約1600万人いる「健康保険組合」が発表した2011年めでの3年間で2割増えた…と発表しました。これも、社員の不安定な長時間労働や派遣の増える一方で雇用不安があったりして増えているのではないかと思えます。
 なぜ、こうも労働者の健康を不安定にしてまで働かせて利益を上げようとする企業の本音が出ている状態があるのではなのでしょうか。社員を育てる時代からいつも替わりがいるよ、とでもいっているような不安定雇用を助長している派遣労働者の増加歯止めがかかっていません。

 連合はいったい何をしているのか。また、野党政治はないのか!
 なぜ、「万国の労働者、団結せよ」といえないのでしょうか。

 ブラック企業、追い出し部屋なども表にはでていないだけで、けっこう多くなっているのでは、と思えます。給料はあがらないし、物価はあがるし、何が「経済成長」なのか。誰のための成長なのか、少しずつその正体がはっきりしてきたのではないかと思えます。私たちはいつのまにか、「経済成長」という言葉に踊らされて自ら「墓穴」を掘っているのではないのでしょうか。


 雨上がりの散歩コース。
 いつものように神社山道脇の空き地。くらがりの舞台ができていて、そこだけがライトに照らされて異様に明るい。舞台の上ではそれぞれのコスチュームに身を飾り、そのチームの踊りを披露している。これで、酒やつまみあがあり、のんびりと見ている光景は村の鎮守様の秋祭りではないか。収穫も終え、これから寒さ厳しい冬にむかう前に、地の神様にお礼として人々が踊りを見せて、収穫のお礼をあらわす……。まさに、秋祭りのうようだった。

 でも、ここは東京の都下。農家よりサリーマンガ多い。さらには、江戸っ子ではないが、流れ流れてこの土地に住んだ人のほうがいまでは多いのではにかと思う。でも、市内の奥は田んぼも畑もある。
 人間が踊る……って、素的なことですよね。人間がちがうものになって、踊りによって何らかの表現を披露している。それが、悲しかったり、おかしかったりと、人間の悲喜こもごもを表現する。
 一枚板のしたは、人間。いまは人間でもあり、それ以上に何者か化身になって人様のまえで表現している……。
 こんな光景がとても大好きです。これは、人間にしかできないことですから。「踊り阿呆に見る阿呆。同じ阿呆ならおどらにゃ損損」って言葉がありますが、本当ですね。
 おもしろかったですね。そんな時間も大事だと思えました。
 


 今月「心の病」が多いという記事がきになっていました。その原因のほとんどは仕事についているときでしょう。人間関係も利害関係がはいってくると、命令さうるものされるもの、という関係がきつくなっていくように思えます。
 上司の一言で苦しくなってしまってしまう関係であったりもします。さらには、パワハラやセクハラという弱者を追い詰める行為も増えてくるようにも思えます。

 なにか言い方法はないかと悩んだ末、「話し方」がひとつの解決する方法になるのではないかと考え、読んだ本「認められる話し方」もある月でもありました。
 そこでの、自分の判断、決断も大切です。それでは、判断する条件をどうやって自分に言い聞かせてつくっていくのか…、ということも気になり読んだ本「捨てる・片付けるで人生が楽になる」もありました。

   


◎認められるには「話し方」を変えなさい/福田健著/李白社

・住宅販売のセミナーでは、「営業は家をうっているのではなく、暮らし方をうっている」P78

・「自分の話は自分にしか話せない」そのことに気がついたときから、何か肩の荷がふっと降り、少しずつ会話を楽しめるようになったのです。P80

・「他人の目で自分を見ることは不自然です。自分の意見をしまいこんで相手と合わせていたら、それは自分を否定することになりませんか?。自分を大事にすることで、はじめて相手のことも大事にできます。あなたの話しはあなたにしかできないのですよ」

・今の時代は毎日の仕事や生活にせわしなく追われ、じっくりと人と言葉のやりとりをする心の余裕がなくしています。また、会社では成果主義のもと自分のことに精一杯で周囲のことには無関心になりがちです。さらにひと昔前と違い、契約社員や派遣社員が増えて互いの時間を共有することが少なくなっています。p61


【感想】
 自己啓発のほんです。日ごろ、わかっていてもなかなかじっくり考えたことがないことを、念押しで語っている本でした。
 以前「人は話し方で9割替わる・福田健/リュウ・ブックスアステ新書」という本がベストセラーになったことがありました。そこでも、人と人の関係は「話し方」で全然ちがう、というようなことがかかれていました。

 よく考えてみれば、いばって命令調でいわれるより、依頼するようにお願いされたほうが人は仕事にも気持ちよくできます。また、一緒にできるようなことがあるとき、やる人やらされる人という関係を言葉で置き換えたい上司の言い方一つで「がんばてみよう」という気持ちになります。
 さらには、頼りされ、信頼されているという会話のなかみには「失敗」も乗り越えていくような勢いをつくってくれると思います。

 「おはよう」からはじまり「ありがとう」「お疲れ様」、「おやすみ」まで一日を楽しく送るための基本語だけでもちゃんといえる自分でありたいと思います。そういう環境もしらないうちにつくることが人として、次の一歩を探せることだと思えます。日ごろの言葉をも一度考え直す一冊でした。


◎捨てる・片付けるで人生が楽になる/斎藤茂太著/WIDE SHIBSHO


・すでに目を通してしまえばよいのだ。そうすれば、それが使えそうな情報なのか、使えない情報なのか、その場でわかる。そして、使えそうな情報だけ残し、使えない情報は捨ててればよい。p33

・ルールをつくる。情報の選択眼を養って、見ないで捨てるその目ができたら、容赦なく捨てる。p35

・人は、たとえばボロボロであっても、ガタガタであっても愛着のあるモノに囲まれて暮らす方が幸せなのではないか。p47

・見ること、聞くこと、知ることにすなおに感度する気持ちをもつこと。好奇心を旺盛にしておくこと。未知なことへとチャレンジすること。人との出会いを喜ぶこと。友人の輪を広げること。同行者との親睦をはかること。p124

・モノを捨てられない人が「これまで」のことを話題にする。モノを捨てる人は「これから」のことを話題にする。p128



【感想】
 わたしは読んだ本であれ、集めたものであれどうしても捨てられない習性がある。しかし、入る入れ物には限界があるように、わたしの住む家にも限界がある。いつも、妻に「捨てて……!」といわれることがある。それは、本である。考えてみれば、何であれいつかは自分の手から離れいく宿命だ。

 「本の運命」井上ひさし著という本を読んだことがある。これは、作家の井上ひさしと本との関係を書いた本だ。本によっていろいろなことを知った作家の井上ひさしが本への思い出をつづったもの。結果として、多くのすぐれた作品を残したことは有名だ。本と共に生きてきた井上ひさしさんの半生と、十三万冊の蔵書が繰り広げる壮大な物語だった。

 ……と思うと、私も本への愛着もある。かといって、部屋中、本があっても限界がある。その限界をどこでつくるか。そして、限界にきたときどう整理するのか、ということが読んでいて面白かった。
 でも、いつまでも捨てないでおけばパンクしていまう。さらには、妻のげきりんに触れそうだ。
 そんなときこの本を読んで、本の捨て方を学んだように思う。片付けるは捨てる、別れる……だと思う。
 でも、でも、女々しい私は未だに、捨てられずにいる……。
 捨てる勢いになってくれるかと思った一冊だったが、一番先に、この本を捨ててしまったようだ。残念。


◎靴の話し/大岡昇平著/集英社文庫


・完全に非人間的な状態にあるが、それが戦争なのである。この状態を廃止するためには、心理的ヒューマニズムを説いても無駄である。ただ戦争という行為を止めるほかない。「襲撃」p82

・私は既に日本の勝利を信じていなかった。私は祖国をこんな絶望的な戦に引ずるこんだ軍部を憎んでいたが、私がこれまで彼らを阻止すべく何事も賭さなかった以上、今更彼らによって与えられた運命に抗議する権利はないと思われた。一介の無力な市民と、一国の暴力を行使する組織とを対等に置くこうした考え方に私は滑稽を感じたが、今無意味な死に駆り出されて行く自己の愚劣をわらわないためにも、そう考える必要がある。「促まるまで」p115

・~「こんな戦場で死んじゃつまらない」~この言葉は一種の天啓であった。この死を無理に自ら選んだ死とする据倣が、一種の自己欺瞞にすぎないことに私は突然思い当たった。こんな辺鄙な山中でなすところなく愚劣な作戦の犠牲になって死ぬのは、単に「つまらない」ただそれだけである。「捉まるまで」p118


【感想】
 8月がくると日本では「戦争」という言葉がいまだに残っている。
 そして、私の口から「勝ってくぞといさましく、ちかって国をでたからにゃ、手柄たてずに……」という詞がうかんでくる。
 あー、これった軍歌だよなあ……。こんあ曲をいまでも覚えているのは、私が子どものころ、今は亡き父がよく話してくれた戦争の話し、さらには酒によって、この歌を口ずさんでいたことが、記憶のどこかに刷り込まれているからだろうと思う。
 「戦争を知らない子どもたち」である私は、戦争をこんな具合に記憶していたのだろうと思う。
 戦争にいって負けて、命からがら帰ってきた父にとっては悲しいことは思い出したくないのだろうと思った。

 小説を読んで思ったことは、普通、よほどの悪党でないかぎり人は殺さない。戦争にいって合法的に殺戮をする。でも、この小説では、本当は敵であってもできれば、お互いが殺しあいたくない……という。
 できれば、どさくさにまぎれて生き延びていたいと思うのは自然だと思う。
 これが本音だろう。しかし、一部の権力の命令によって殺さなくてはならない、という苦悩が一番つらいことだと思えた。戦争というのは、本当の自分の思うことは殺さなければならないし、さらには政治的につくられた敵という人間を殺さなければならない。こんな不条理を毎日実践している人間は普通では生きてはいられないだろう。ただただ、何も考えず流されていくしかない…ような人間になる。

 戦争はやっぱり人間でなくなること、人間を取り戻すことの連続であるのだろうと思えた。他に読んだことのある「人間の条件」(五味川純平・岩波現代文庫)でも、兵士になった人間が自国の政治と敵の政治のはざまで無意味に死んでいくありさまをえがいた。まさに、そういう人間をつくってしまうのが戦争なのだろうと思った。
 誰も戦争は望んでいない。時の権力の都合で駆り出されていく。だから、時の権力者を選ぶ選挙は、本当は市民にとっては戦争なのであるのだろうと思った。もっと、大事にしなくてはと思う。


◎怒る富士し(上・下)/新田次郎著/文春文庫


 世界遺産になったと喜ぶのもいいが富士山の歴史を小説で読んで味わってみるのもいい一冊。(略)


 今月、意味もわからないまま引き受けた会議の議事録をとっている。
 上司には、書き方ちがうといわれながら修正をくりかえし、やっと出来上がったと思いきや、もう次の会議にはいっていた。
  
 まとめるが追いつかない……よと、開き直っていた。
 そうしたら、人間っておもしろいもで、少しずつわかってきた。それぞれの発言に一字一句聞いては書いていたら、人の思惑がだんだん出てきた……。
 なにをどうしたい……という、人それぞれの思惑や性格わかってきた。
 あとは、発言をどう具体的にしていくか、さらにはそれを実行していくかというプロセスをもとにできることをやっていくことなんだとわかってくる。

 とりあえず、いまはじっとこの議事録をとってみようと思っている。
 (内容は書けませんよ……)

 人間って面白いものだと思った。なんでもそうであろうが、いやいややると覚えることはない。ただ、興味をもってちょっとガマンしてやってみると、意外なものを発見できて面白いもんだな…と言える。それが、いいのか悪いのかは結局、最後は自分が判断すればいい。


 早いものだね。
 お盆が待ち遠しい、と思っていたらもう終わりである。
 暑い、暑いの日々連発だったが、雨がふれば涼しくなっていく。今度は「涼しくなりましたね」で日々がはじまりそうだ。
 それにしても、今年の8月は連日の猛暑……。まいった。初旬に体を壊して診療所にいき、花火大会にも欠席してしまった。それに、日々のスケジュールに暑さも重なってダウンしてしまった。
 それでも、体調が月末にはもとにもどってきた。よかった…というところ。

 高校野球の熱戦も少しずつ忘れていく……。
 また、新しいことを探さないとね。
 来月は、山歩きも再開していこうかと計画中である。こうして、楽しみも見つけないと生きている意味さえ失われいくように思える。

 また、NHKBS「こころ旅」も始まるだろう。火野正平さんの自転車の旅が楽しみだ。(できればこんなふうにのんびりしたいと思う)。そして、議事録……どうなることやら、はじめたところ、面白くしていきたいね。

 お疲れ様でした……。
*読んでくださった方、ありがとうございました。

暑い夏も…もう少しです

2013年08月18日 | Weblog


 こんにちは……
 毎日、暑い日がつづいています。いまごろは、故郷から帰ってきた疲れが出ている頃でしょうか。
 短い夏休みを利用して帰省先での思い出をいっぱいつめて、8月も終わりそうです。

 暑い……暑いと記録的な猛暑が全国で報告されていますが、朝は少し涼しくなりました。飛んでいるトンボも少しずつ多くなってきました。夏の甲子園での高校野球でも、ときおりカメラにトンボが飛んでいるところが選手と一緒に映ります。空を見上げれば、すじ雲も見えました。秋は少しずつやってきているようです。

 さて、今年の夏はスポーツ観戦がおおい夏でした。昼は甲子園の高校野球。夜はロシアでの世界陸上大会……という日々でした。
 スポーツ観戦はいいですね。
 とくに、甲子園での高校野球はいいです。みんな一生懸命で、スポーツの原点みたいな気がします。そして、今年は震災のあった東北勢の活躍も目立ちます。彼らの姿はきっと多くの被災者に元気をつくってくれるのだと思います。そして、この時期、おもしろいと思うのは、選手を紹介している新聞のコラム記事。負けたチーム、勝ったチームでも選手一人ひとりには、多くの悲しみや、励ましがいっぱいつまっているんだなと思います。

 新聞などで紹介されている記事などを読むと「こんな状況でもよく頑張っているんあ…」と思える選手もいます。
 出場選手の一人ひとりの、ここまでの歴史などを紹介したら、甲子園の活躍も、もっと応援したくなるのだと思います。人に歴史あり……。たかが18年くらいの人生とはいえ、すごい選手もいますよ。
 この時期は、こんなコラムが楽しいものです。

 またいま世界中でいちばん燃えているのがエジプトでしょう。
 せっかく選挙で選ばれた大統領をデモで解任して、事実上、軍事政権にもどってしまったエジプト。なぜ、こうなってしまうのうか、ということを考えると、アフリカ大陸の問題が浮き上がってくるだろうと思います。
 せっかく、市民の選挙で選んだ大統領がなぜこうも簡単にデモによって変わってしまうのか?軍事政権によっぽどいい思いのする政治家や資本化がいるのだろう……。 そこには、どこへいってもアメリカの影もあるのでしょうか。これからの行方が大事だ。


 朝、散歩道の多摩川。
 遠くで釣りをしている人が多いようです。アユももどってきたというニュースもあり、釣り人はアユをねらっているようです。
 ここにも、川面を吹く風は秋のすずしい風がふいています。
 この風景はやはり、夏だけの景色なのでしょう。

 夏の間の趣味でしょうか。
 なんでも、自分の趣味からいろいろな人間関係をつくって生きていくようです。夏は、夏の好きな人どうしであつまる川の風景。
冬のあいだはだれも川には近寄らないようです。
 川の流れを眺めているだけで少しは日々のストレスを流しているような気になってくることもあります。


 今週の仕事も終わった、帰り際「暑気払い」なのか、仕事の延長線上なのか、池袋の某繁華街の酒場で飲んでいました。
 
 それにしても、なんと人の多いこと。行く手には人、ひとの群れです。
 目的地のお店はどこだろうと探しても、ウロウロするばかり……。結局、近くの交番で聞いて居酒屋にいけました。
 よくよく考えてみれば、こんなことがないように今のスマートフォンやアイフォンはGPS機能がついているようです。電波の届くところはどこでも地図が出て、目的地までの道順を示してくれるそうです。

 余計なお世話か、電話代をちょっと多めにはらって利用するかそれぞれです。ちなみに、ぼくにとっては「余計なお世話」でしょうか。
 便利なのはいいですが、そのことによって人との関係がうすれてしまっていることも事実でしょう。

 今回、出席した(?)のは年配者が多く、結局、こういう人たちは酔うと最後には、自分の自慢話しと若い人へのこごとが多くなっていました。
 あーあ……、ぼくも結局、ときどき若い人に自慢話しをしているのか、なあと考えてしまいました。
 「友だちには年齢は関係ない」というのが外国人の論理。日本人は「親しきなかにも礼儀あり」なのでしょうか。この、年配者の自慢話しを飲んでいる後半は聞き入っている状態でした。
 なんとも、正直なところ退屈な時間でした。
 そんなことは結構多いようです。ぼくも、反省しなくては……。

 ときどき思うことは、この年になってゆっくり話せる「飲み友だち」なるひとが年々いなくなっているなあ、という思い。忙しいのか、それとも避けているのか、いずれにせよ最近、こんなふうに飲むのも久しぶりでした。
 ちょっと時期はずれの「暑気払い」の夜でした。
 それにしても、池袋というところはなんとも人の多いことか。この人の熱気が暑さにもばなっているのでしょう。


 8月のほとんどのメインイベントも終わったようです。
 ぼくの今年の8月のメインイベントは、墓参りでしょう。かえってみればうれしい出来事あり……。たまには……ね。
 残念なことはあいかわらず、片付けと、ぼくの自転車のパンクの修理は終わっていません。今後の宿題ですか。
 「いつか片付ける……」は半年前。きっと、永遠に片付かないかもしれません。涼しくなったら……弁解しています。

 まあ、すずしくなれば体も今以上に動かせるでしょう。
 それまで、暑さにも負けずボチボチやります。


 さて、今年の夏も海や山、さらには故郷のお墓参り…と忙しく送った人たちも、どこへもいかず、なにもやらずボーと送ってしまった人たちも、まずはお疲れ様でした。
 これも、人生です。
 また、明日から、サラリーマンはいつものようにこきつかわれつつ働く半年なるでしょう。それでも、日々の断片にキラリと輝く自分のやりたいことをコツコツと温めて秋にむかっていければいいと考えています。
 また、満員電車にのって始発電車では椅子取りゲームのような日々がやってくるのでしょうか……ね。まあ、あきずにがんばるしかない。
まあ、ボチボチいきます。
 残暑きびしいおり、くれぐれも夏ばてになりませんようご自愛ください。

*読んでくださった方、ありがとうございました。

短い盆休み……

2013年08月11日 | Weblog


 こんにちは……。
 いまごろは盆休みで故郷に帰っていることでしょうか。今年も8月がやってきて、どんな渋滞に巻き込まれていても、どんなに満員の電車でもじっとガマンを覚悟して故郷に帰っているころでしょうか。

 さて今週は仕事では残業の多い一週間でした。まあ、休み前で客もあわてて終わらせたいのだろうと思いつつ付き合っていくしなない週でもありました。
 そうやって、日本人は一年の暑い8月を送ってきたのでしょう。
 残業を終えて、薄暗くなった帰り道を歩いていたら、アスファルトに動く虫がいたので、よくみたらセミの幼虫が、まさにこれから羽化する自分の場所さがしている途中でした。ゆっくりと動いている姿は、まさにやっと「生」をうけた者が地球上に誕生したときのようなセミの姿でもありましたよ。短い一生ですが、ここでも一生懸命なんだな、と思えました。

 今週久しぶりに聞いた音がありました。あの、携帯に地震などの緊急をつげる音「キュー、キュー」って音がありました。それも、仕事をしていたとき一斉になりだしたのにはびっくりしました。また、はじまったのか余震が……と思っていました。予報では「奈良県と大阪府で震度6弱から7程度の地震が起きる」とありました。数分後、それが誤報だということがわかったときは「怒り」がこみあげてきました。まったく…気象庁の仕事がいいかげんだなと思えました。気象庁の発表もあまりあてにならないようにも思えました。どうしてなったのか、調査をして報道する責任があるのでしょうが、謝罪したところでどうにもなりません。

 それにしても、気象がおかしいです。東北地方では豪雨がふり死者がでるほどの被害をだしていました。
 

 休日には多摩川を散歩することが多いのですが、サッカー場では草サッカーの試合が行われていました。戦術はシンプルに相手のスペースを探してパスをして、シュートまでもっていくというゲームです。
 よくみていると、相手のスペースがなかなか空きません。スペースを作るにはボールを持つ人以外の動きが大切なのですが、なかなかむずかしいようです。強いチームはそれが組織的に意図的にできています。それがチームです。どれだけお互いのプレーを信じあって動けるか……ということなのでしょう。

 いままさに夏の甲子園では高校野球の試合が行われています。各県の地方大会を勝ち抜いてきたチームだけが甲子園での試合ができる大会でもあります。
 暑いので一日。テレビの前でボーとしてみていることが多い日もあります。みていると、やっぱり子どもですからプレーに成功も失敗もあります。それがチームの流れを大きくつくってしまうのがよくわかります。これが、「心技体」のチームづくりが大切なんだな、と思えます。
 勝負ごとですが、勝ち負けは必ず結果としてついてきます。まだまだ伸び盛り人間。これだけに終わってしまわないようがんばって欲しいと思います。


八月になれば

平和、平和とどれだけ
言葉をくりかえしても
わたしの前には平和はない

世界ではじめて原爆を落とされた国
そのあやまちを花に線香に火にたくして
ねむる人たちへのメッセージをこころに刻む夏

わたしの生活に原爆はない
戦争もない
あるのは、その結果今があるというリアル
日々に追いまくられ
仕事にうつつをぬかし
女にそそのかされ
私を忘れた今がある

ただ
自分を見失うことがないように
身をちじめる日々もある
私はだれでもないわたし……
と、わかりあえる家族がある
それがはじまりだと

いいんだよ…
それで、とやさしく語り合える
人もいることを忘れないよう
淡々として
今日をおえていくことで
八月は教えている



 はやいものだなあ……と思っている。
 今年も暑い夏がやってきた。
 私にとって今年も、どこへいくでもない盆休みが始まった。毎年行っていかみさんの両親の墓まいりもいかなくなった。今年は法事もあるそうだがきっといけないだろうと思う。

 私の故郷は近いが、夏らしいお祭りはない。
 かみさんの方は夏は「阿波踊り」があり、ほんとうに夏らしい、故人を町全体でむかえているような雰囲気がある夏でもある。最近も、それもご無沙汰である。
 鐘の音、三味線、太鼓…と夜空になり響き、さぞかしご先祖様も騒がしい盆をみているのだろう。でも、生きて思いっきり汗をかき「元気でやっているよ」という下界から天国にいる人たちにいっているような夏でもあるのだろうと思う。

 去年の夏の今ごろは妻のようたいが悪く、不安な日々を送っていた。
 近所の診療所へいったり、日赤にもいったりと妻の病気がこんなにも重いとは思っていなかった。暑いので「熱中症」にでもかかったのだろう……くらいにしか考えていなかった。それが、意外なことに整形外科に行ったとき、先生
「MRIを撮ってみてください」ということで、ちょっと遠いレントゲン専門の医院を紹介してくれた。そのレントゲンのフィルムを先生に見せたら、今度は市内の専門の医師を紹介してくれた。その名は脳神経内科という専門の都立専門医院だった。その日、即入院……。あわただしかった……。
 息をつくひまもないほどだった。病名がつけられ、さっそくその処理がはじまった。およそ1か月半の入院。少しずつ様態は薬と入院生活で、もとに戻っていった。

 それから一年。
 今年は暑さもさることながら、その病気がまた再発するのではないかと日々の生活を送っているのが現状だ。
 とはいえ、でもこれだけはわからない……と思っている。ただ、再発しないように薬と日々の生活に注意していくしかないことは、今年はわかっている。
 それでも、再発しない…という保障はない。

 思えば、誰にでもいつ、どこで、どんな病名がつけられ生きていくかわからない。それは「神のみぞ知る」世界であると思う。
 健康なつもりでジョギングしていた人が、心臓麻痺に遭ったり、タバコも酒もがまんしていたら、職場の上司のパワハラでストレスがたまりうつ病になってしまうかもしれない。
 きっと大事なことは、その日、その日を自分にとって悔いの残らないように送っていくしかない、ということなのだろうと思う。暑いときであれ、寒いときでもあれ、自分がその自然の体感をえながら、日々を送っていくしないのだろう思う。
 では、悔いの残らない日々をつくるとはどういうことなのか?
 ……と思うととりとめのない時間がすぎていくような気もする。それでも、そう考えて試行錯誤しながら送っていくしかないのは確かなことだ。それが、失敗したという結果であったにしろ、それしかないようだ。

 暑さがじゃやまをして、なにをやるにもめんどうに7なってしまいがち。
 無理のないよう、淡々とできる生活をしていくしないと思えた夏でした。
 


 今年も短い盆休みが終わろうとしている。
 なにもできず、ただただ暑さから逃げ回っているような日々だったようになってしまった。これが、私の夏でもある。
 ただよかったのは、朝のんびりできること、夜は家族で夕食ができる……ことくらいであろう。休みが終わると、また家族がバラバラの夕食がはじまるだろう。日本の家族はそれが当たり前になってしまったようだ。

 よくヨーロッパなどの旅するテレビ番組などを見ていると、ほとんどの家族は、なんらかの用事や約束がないかぎり、夕食は家にかえって家族と食べている様子が映される。
 そんな光景をみるたび、企業が夜遅くまで働かせ、ほんとうに人間同士の核となる家族がないがしろになっているんだな…と考えさせられる。それで、企業ができているってえことはこれも、今の気象とお同じで異常だな…、と思えてしまう。しかし、これが日々続いて、これが当たり前になってしまえば「異常」ではなくなるみたいなところがある……、これも現実だ。

 だからときどき体を休めて、本当はどうあるべきか考える時間が人間にはひつようなのだろうなあ、と思えた休みでもあった。

 今日は28年前、東京から大阪に向かった日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落した日でもある。この年、娘が生まれた年でもあったから覚えている。
 それにしても、この年、四国に帰るには私たちも満員の旅客機にのっていたと思うと、ひとごとではにように思えた。ちなみに、いまごろ(12~15日)は阿波踊りの真っ最中だろうなあ……。
 小学校の校庭のあちこちで、浴衣をきた子どもからばあちゃん、じいちゃんまで練習して、町にくりだすことだろう。行きたかった……ねえ。
 墜落で多くの人命を奪ってしまった便利さは、いまでも追及されるべきは企業の倫理と政治なのだろう思う。(合掌)



●おまけ●

 休みの最後の日に、これからの仕事のことを考えて、ヨドバシカメラ(吉祥寺店)でICレコーダーを購入してきた。会社での会議ではこれから、レコーダーを使って会議に出ようと考えている。人の言ったことを一つひとつ記録いたら、まとまめるのに困難になってしまった。その時間を聞くほうにするためにオリンパスのICレコーダーに記録して、あとで議事録でだすことに考えた結果であった。世の中には便利なものがでているものだとつくずく感心する。

 まあ、使いこなせるのか、使われてしまうのか「マニュアル」を読んでいたら、機能がたくさんあったが、さて使いこませるか、お楽しみである。
 けっこう、使い勝手がいいのではないかと思う。
 ただ、これを前に発言するひとはよほど緊張してしまうのでは……と心配はするが、了承してもらうしかない。
 もちろん「自腹」である。自分の生活をつくる道具だから……と思うしかない。仕事の基本は自分の生活を支えるものは「自腹」が原則だと思っている。あまりにも高価なものは、会社と相談して「稟議書」あげて……となる。今回は自分の趣味でも使うので「自腹」で買った。

 今年も何もしなかった。
一生懸命、ICレコーダーのマニュアルを読んでいました。
ぼくの短い盆休みが終わった。




 12日の夕方市内に大雨が降ってきました。空では、雷が何度もなっていました。こんな写真はめったにとれるものではないのに……めずらしいことです。
 日本列島は12日記録的な暑さがつづき、高知県四万十市の江川崎で41.0度の気温を記録したといいます。これは、国内歴代一位の高温だそうです。これまでの一位2007年8月熊谷市の40.9度を抜いたそうです。
 暑いわけです……。これは、いよいよ日本も砂漠化にむかっているかのようです。この暑さはお盆過ぎまで続きそうです。
 くれぐれも、無理のない生活をこころがけたいものです。

*読んでくださった方、ありがとうございました。

 

8月…戦争が終わった月でしたね

2013年08月04日 | Weblog


こんにちは……
 8月に入りました。今月は、日本人にとっては大事なひと月。その結果、お盆で故郷にむかう人がたくさんいる月でもあります。帰る故郷はあるかぎり、帰って楽しむのも大切な行事でしょうね…。さらには、この月は日本人にとって戦争の歴史をふりかえる月でもあります。それは、二度と経験しないための行事でもあるのだと思います。

 さて、季節は多摩川を散歩していると、とんぼがたくさん飛んでいました。
 暑さも少しは和らいだということを自然は知れせています。
 駅では浴衣姿の女性を多くみる季節でもあります。都内、あちこちで花火大会があります。今年も、私の働く職場の近くでもありました。
 私も花火大会で、毎年ボランティアで手伝いに行っていた年でしたが、今年は体調を崩し不参加でした。花火をみて、うまいビールも飲めず、今年はさびしい8月の始まりでもありました。

 さて、世の中はといえば、参議院議員選挙で圧倒的勝利となった自民党の動きも加速しはじめています。そのなかでも憲法についてはさっそく新聞ばどで報道されていました。なんで、こうなるのか?などいうのは無用のような強引さが目立ってきました。それも、あれこれといいわけをして、最後には改正になってしまうような勢いがあります。

 麻生副総理のヒトラー政権のやったワイマール憲法を成立させたように日本国憲法も変えよう、などいう発言がありました。ヒトラーとはだれも知っているドイツのナチス政権でもあります。ユダヤ人迫害によって戦争をさらに悪化させた人物でもあります。その、政権を引き合いに出して、またしても暴言を言ってしまった……ということは、少なくともそうしたいという気持ちではないかと思えます。

 それにしても「野党」はどうなっているのでしょうか。どこで、何をしているのか見えません…ね。
 さらには、福島原発事故後の放射能汚染水の行方がいまだに決まらず、あげくのはてに海水に流してしまっている。それも、秘密裏に。
 これから、いったいどう処理していくのか。
 最近、放射能の影響があまり語られなくなってきましたが、本当はこれからが問題になってくるのではないかと思えます。原発爆発で全国に飛び散った放射能が人体に蓄積されてきたものが、どれだけの影響を及ぼすのかがとわれてくるのでしょう。福島はもちろん、近県においてもどんな影響がでてくるのかがこれかなのでしょう。
 少しも原発事故以後の解決の糸口がでてくればいいのですが。


 都会のどまんなか…で釣です。
 ここは、神田川の外堀の一角。涼しさを求めてつりにやってくる人が多いようです。以前は会社の帰り道、この光景はよく夕方みかけたものでしたが移転後は久しぶりでした。いあかわらず繁盛している様子。
 大雨が降ると、釣堀の水が座る場所も消えてしまうくらいの景色もみたことがあります。鯉が目の前を横切っていました。それでも、天気がよくてのどかな日には釣り糸をたれる太公望の姿は気持ちを落ち着けてくれています。
 都会のどまんなかにこんな景色は貴重な場所です。
 

◎長野県中央アルプスで韓国人登山客が集団遭難(7/31/東京/213)
長野県警は30日午後、宝剣岳(2931m)西側の沢で男性1人が心肺停止、尾根から100m滑落。他心肺停止で3人の死亡も確認。死因は低体温症。

日本の山は世界的にみて美しく外国人観光客も多いという。それに、パソコンの影響で情報が多くなってきたため便利になったのだと思う。しかし、現地にいってさらに、山の情報を入手するのは外国人にとっては大変だと思う。なぜなら言葉の壁があったりして敬遠する。だから、必要なのは外国人に対しては地元観光地で入山するお客に対しては言葉の壁を取りのぞく対応はまちろん、ある程度強制的に手続きが必要だと思う。富士山もこれからこれまで以上に外国人が多くなると思うとなおさらだ。

◎振り込め詐欺被害増加(8/3/朝日/214)
警視庁は2日、1~6月に都内で起きた振り込め詐欺の被害状況を発表。被害総額は約41億1千万円。1千万円以上の高額被害者も増えた。

いつも思うことだが、これほど金額を高齢者が使わずいつかなんかの役に立てようと思っていたのに……。人の善意をこうも簡単にだまされてしまうのは、高齢者の社会保障の問題があるように思う。孤独死など社会とのかかわりをもてないで、結局お金がたより、みたいな思いがした。「不安」のすきまをついて振り込め詐欺にあってしまったのだろうと思う。世の中大金をもっていても不安なのだ。

◎伊藤忠、夜10時以降の残業禁止(8/3/朝日/215)
 伊藤忠商事は10月から夜10時以降の社員の残業を禁止すると発表。代わりに、就業時間前の午前5時~9時の時間外手当をを、今の25&割り増しから50%割り増しとする。終了時間の区切りがない深夜の仕事を早朝に振り替え、社員の残業を減らすという。

つねづね残業を減らさないかと思っていたが、これはいいかもしれない。いつ、終わるかわからない残業は結局、自分の体調をくずし、精神的にも消耗させてしまう。最近、躁鬱病が多いのはこれが原因でもあるようだ。でも、それをやらないと仕事をやっている雰囲気が環境としてつくりあげられている事実もあわることを忘れないでほしい。さらに男が「育児休暇」をどれだけとっているか、日本の場合は一割にも満たないのではないか。残業時間を夜型から朝方にしたところで、またきつくなってしまう。また、お客相手の仕事はこんなにうまくいかないだろうと思う。


※今月から長い間開店休業の「スクラップブック」のコーナーを再開しました。内容は以前と変わらず、ニュースと私の感想を記述するコーナーです。


 週の初めから「何か~へんなおなかの感じ」がすると思っていたら、脱水状態になり近所の診療所に通うはめになってしまった。

 診療所の診断では「熱中症でないです」とのこと。問診をくりかえし、おなかを触手して痛みや鈍痛の部を診断してもらう。どれも、異常ないとのことだった。とりあえず、薬をもらい二日間休養をとり、やっと日曜の朝あたりから食欲もでてきて今日をむかえられたという顛末だった。

 これから楽しい夏休み(短いが)が待っているというやさきにとんでもないことになってしまってまいってしまった。これまで、なつには、山にいったりして自分の時間を一日、二日はとっていたが、大丈夫かいな……と心配な一週間でもあった。

 最近は、かみさんの実家(四国)にも墓参りもごぶさたしている。今年もきっとパスになるだろうと思う。あーあ、懐かしい阿波踊り……、山登り、釣り、とことごとくパスである。
 私のいなかは、自慢できるイベントもなにもないし。
 こんなことより、まずは体調を少しずつ整えていくしかないように思う。
 いまさら、競争するような年でのない。むしろ、ゆっくり自分のやりたいことをじっくりやっていきたいと思う。若いときのように、ちょっと体調不良は自分の身体を動かしながら、じょじょに自分の普段の形に戻していくやりかただった。いまは、休養がいちばん。それから、自分の行動パターンができるかをためして戻していくしかないように思える。

 今は、薬がきいているせいか、それとも私の元の体調が戻ってきたのか、少しずつ動きはじめている。ちなみに、わが家族は、全員が薬を愛用している異常事態である。(妻は難病だから仕方がないが娘までも医者通いだ)
 開き直って、「少しずつよくなっている」と自分に暗示をかけていくしかないと思っている。今後は……と、ぜんぶ体調次第かな……。読者の皆さんもくれぐれも、無理のないように。ろくなことがありません。


 さすがに、朝夕、顔にあたる風は少し涼しくなったように思える。それでも「暑いですね……」のあいさつはもうちょっと続きそうだ。今年の夏はどんな計画をしようかと考え中だ。あれも、これも企画はあるのです。
すずしくなってくると、背中の山のザックがなつかしくなってくる。そろそろはじめようかと思っている。のんびりとやっていこうと思う。

*読んでくださった方、ありがとうございました。