日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

5月も終わりをむかえて…思うこと

2011年05月29日 | Weblog


 5月も終わりです。
 関東地方も梅雨に入ったそうです。
 初夏のさわやかさが一転、梅雨空の毎日が続きそうです。今日も、手元には傘が常時あります…。いつのまにかそんな季節になっていますね。
 台風2号も発生し、これからも注意が必要とのこと。

 さて、今月はどんな月であったのでしょうか。5月は、よく「五月病」というのが言われます。今年は大震災でそれどころではなく、ひたすら生命を明日につなげるために生きていました。それが、ラジオの声であったり、友人であったり、親であったり、不良の友だちであったりと、何らかが関わりがあって、つながっていて、どこかで助けられてきたのではないかと思います。
 「人は空を仰ぎ、地球の表面にへばりついて生をつなぐ(天声人語5/29)」です。お互いさま気持ちはどこでも同じです…。

 私にとっての5月は、せっかく授かった「命」ただぼんやりするより、アクティブにいった方がいいのではないかと思った月でもありました。それには、大失態あり、笑いあり、大恥をかく…などありましたが、それでも生きて「人生」を自分のものにしようとして月でもありました。

 今でも、余震は以前よりも少なくなったものの、あります。天災は、すでに気持ちとして受け入れるしかないものだと思えてきました。これからは、原発事故の方が、ずっと怖いと思うようになりました。
 「メルトダウン」という言葉がわかれば、わかるほど、いったいこれからどうなるのだ…という気持ちでいっぱいになります。 (今月の本で紹介しています)

 月末は「本の紹介」です。
 今月は遠藤周作の「女の一生」第1・2部、食べ物の本、最後に緊急で原発の本も読んでいました。そして、久しぶりに「仕事」についての本も読んでいました。






◎女の一生・一部・キクの場合/遠藤周作/新潮文庫

・日本では、まだ日本人が基督教を信ずるのは絶対に禁止している。彼が日本に行けるのも横浜や長崎にいる外国人たちのためという厳しい制約のもとで幕府は許してくれただけだった。(p37)

・二百数十年間、日本はこの形で世界から孤立していて…この形で続いてきた日本が今、変わろうとしている。その変わり目に彼は日本にやってきたのだ。1958年(安政5)(p47)

・日本人が私たち外国人を警戒するのは…私たちの罪です。私たちのヨーロッパ人は3世紀前から東洋の国々を侵略してきたんですからね。…悲しいのは基督教がかつてその侵略に協調したことです。(p48)

・200年以上のものすごい迫害とすさまじい圧迫とに日本人の基督教徒は豪雨の中の一本の木のように耐え、生き残ってきた。(p139)

・幕府の命ずるままに従ってきた浦上の百姓がはじめて自由を訴えた。(p200)

・切支丹…それは彼女にとってあの女のことにほかならなかった。あの女は清吉があれほど崇めるサンタ・マリアという女性である。(p262)


●あらすじ
 切支丹禁止の徳川幕府幕末の長崎。幼なじみの清吉とキク。清吉は禁止された切支丹であった。この二人に恋がめばえ、多くの迫害が清吉にふりかかる。それでも、清吉は信ずるものを捨てようとしない。とうとう、幕府は伊藤清左衛門という役人をとおして、津和野に清吉たち信者を流刑にする。
 流刑地にいってからもキクは、お互いの愛を育てるために、どうにか意志をつなげたかった。「清吉を救いたい…」という気持ちが強かった。キクは、自分の身体を売ってまで、清吉に自分の思いを伝えようとする。しかし、キクの身体は結核におかされていく。
 とうとう、清吉を救うことができず、キクは死んでしまう。時代は幕府が倒れ、明治時代にはいる。それでも、基督教はしばらく市民権はえていなかった。ながい迫害のなか、とうとう基督教が日常の生活に芽生えた時代がきた。しかい、そこにはキクはいなかった。

●感想
 遠藤周作の作品といえば「沈黙」という代表的な基督教をテーマとした小説がある。そこでも、鎖国政策をとる、権力者の迫害に苦しむ信者を描いている。そこでは「宗教」をとおして、信ずることの大切さを訴えていたように思う。
 今回の「女の一生」で思ったことは「人は何によって救われているのか」というテーマでったように思う。それを、清吉とキクの愛を通して描いた作品ではなかったと思えた小説だった。

 いつの時代にもいる為政者の権力によって、邪魔になるものは迫害される。それが、幕府にとっては宗教でったのだろう。鎖国政策をとっていた国にとっては、怖いものは、人の心に入り込む宗教(宗教はアヘン:カールマルクスという)だった。
 裏切りと後悔…の歴史のなかで、人は最後に、何によって救われたのかということだったのではないかと思う。

圧制にも屈せず生きていくのも人間であるということ…。それを支えたのは「信じあう」という気がする。簡単なことなのだが、それがむずかしくするのも人間が、なせることだろう。まず、信じなければつながらない、進まないというのが世の中だろう。
 打算がいっぱい、はたらく世の中。こんな小説は大事だな…と思う。
 そんな小説がないと、また救われないなあ…とも思えた。

 柳美里の「私語辞典」(朝日新聞社刊行)にこんな文がある。
 【二人】或る新興宗教の教組曰く、二人の関係なら恋愛、三人なら不倫、大勢で愛し合えば宗教になる…と。
【愛】血を流すほど他者に係わることである。(まさにキクの生涯でしょう)
※この本は面白いです。辞書も大切ですが、この本は言葉が生きているような辞書。

◎女の一生・二部・サチ子の場合/遠藤周作/新潮文庫

・昭和十七年の三月。純心女子学校の制服を着た一人の娘が石畳の坂をのぼっていった。坂路から長崎港をみおろす家はすべて雨戸をしめるか、カーテンで窓をかくしていた。(p83)

・愛…そんなものは平和の時代に人間が使った言葉だ。それは夕暮、街の灯がうるみ赤ん坊が母親の腕の中で笑い声をたて、窓べに少女が薔薇の夕焼けを若者の肩にもたれて眺め、家族がうちそろって一家団欒の夕食をとれた時代にだけ意味のあった言葉だった。(p151)

・政府や軍部がいくら誤魔化そうとしても民衆の臭覚は戦局のよくないという事実をうすうすかぎはじめていた。(p127)

・愛…それは人々が一張羅を着て教会のミサに出た時、神父や牧師の説教壇から語る愛で、人間は愛しあわねばならぬ、と神父や牧師が言ったっけ……

・俺はだめばい。一人の人間が殺人するというのは、そん男の人生ばぜんぶ消すことぞ。文学ば一度知った人間には人の人生は消すことはとてもできません。(p171)

・馴れだよ、君。それは適応性なんだ。(p229)

・年があけ、昭和十八年になった。そして、この年の正月からすべての局面ががらりと変った。(p268)

・俺にとって、日本はお袋や妹やあの人のことや、その女たちを守るために俺は兵隊になるのや。国歌というものをそう思わなかれば、そう考えなければ悦んで戦場に行く気にはとてもなれない。そのせつない精一杯の納得の仕方は、同じ運命を前にした修平にも肯定すえうことができた。(p275)

・殺すということ。それは一人の人間の動物的な生命を奪うということだけではなく、その人間の全人生を、生活を、過去を、その男の愛する者から取り去るということだった。(p321)

・残された日はみじかい。自分は人生の三分の一しか知らずに去っていくだろう。人生の意味も愛の意味も-恋愛も、娘たちも知らないで去っていくのだろう。(p341)

・戦争で死ぬかもしれない人間に、どうして愛していると言えるだろうか。ひょっとして、それが敵であれ、誰かの生命を奪うような人間に、子供の父親になる資格があるだろうか。(p357)


●あらすじ
 第二部では、キクの従姉妹(いとこ)ミツの孫娘サチ子が登場してきます。それだけ、時代は変ったいうことです。時代は昭和17年~20年ごろの物語です。
 舞台は長崎。サチ子は幼なじみの修平の物語でもあります。子供ころ一緒に遊んでアメリカ人、コルベ神父もまた、第二次世界大戦に巻き込まれていきます。そんななかで、サチ子は修平を愛し、修平は戦争で人を殺す」行為がキリスト教の教義に反していることに悩みます。戦争によって、強制的に人殺しをしなければならなくなっていく時代に悩む青年たち(学徒出陣)の姿がわかります。
 悩んだ末、修平は特攻隊員になり,戦争へ参加していきます。そして、サチ子の暮らす長崎にも原爆が投下され、戦争がおわり、新しい人生がサチ子を育てていくという物語です。

●感想
 人の命は受け継がれ、どんな厳しい時代でも「信念」をもって生きていく大切さを読んだように思います。
 キクの時代は切支丹弾圧、清吉とキクの人生を、生命は受け継がれサチ子と修平の時代は、戦争という厳しい世の中での人生を生きていく姿が描かれていたと思います。そのなかで、バックボーンにあるのは「人を愛する力」のように思います。
 人間の底には、どこかで誰かを愛する時間があるのでしょう。それが、繰り返し思い出されていくなかで「生きる力」になっているのだろうと思いました。
 きっと、キクもサチ子もたくさんの涙がだされたでしょう。そのたびに、思い出されるのは、清吉や修平の顔であったのだと思います。
 「信ずる人、信じられる人」がいるということが、人生にいかに大切かいまさらのように考えさせられる小説でもありました。

遠藤周作(1923-1996)
 東京生まれ。幼年期を旧満州大連で過ごし、神戸に帰国後、11歳でカトリックの洗礼を受ける。慶応大学仏文科卒。フランス留学を経て、1955(昭和30)年「白い人」で芥川賞を受賞。一貫してキリスト教の問題を追究する一方、ユーモラス作品、歴史小説も多数ある。主な作品は「海と毒薬」「沈黙」「イエスの生涯」「侍」「スキャンダル」等。95(平成7)、文化勲章受賞。96年、病没。

ふぉん・しいほるとの娘〈上・下〉吉村昭 (新潮文庫)
 こちらも女性の一生を描いた作品です。そして、舞台も長崎です。医学に一生を捧げた女性の物語です。ずーと以前に読んだいました。併せて紹介します。


◎「働く意味」の見つけ方・杉浦健

・仕事において何が幸せであるかは最終的には、人それぞれなのでしょうが、やりがいと充実感があり、期待しただけの成果と自己の成果を与えてくれるような仕事は多く人が望むでしょう。(p19)

・~そもそも自分がなぜ、何のために競技しているのかというスポーツをするにあたっての根本的な問いに答えられるようになることの方がずっと大事だということだ。(p21)

・人間にとって意味もわからずやらされる行動は「拷問」を意味することさなりかねません。(シーシュポスの仕事)(p56)


●内容
 人が働く…ということについて、さまざまな理由が持っているでしょう。
 例えば、海外旅行に行こうという目標があれば、少しきつい残業でも頑張れる理由になるでしょう。そして、旅行へいって、自分がみたいものや食べたいものが達成できたとき、新しい次の目的も見つかるのではないかと思います。

 何であれ、目的と目標をつくることをつくる日々が、人にとっては大切なことだなります。「働く意味」の見つけ方は、そのいう観点から書かれています。
 著者はスポーツ心理学者ですから、アマチュアスポーツ、プロスポーツ選手をみてきた中から、その「意味」づけを探し、書いています。

 結果が重んじられるスポーツ選手が、納得する結果をえるまで、どのような苦労をしているのか、そして、そのなかでいちばん、大事なことはなにか…ということを探求、紹介している一冊です。
 
 そのなかで著者は、「働く意味」を選手に問いつづけ、その意味を動機付けとして結果までもっていく作業を推奨しています。一流プレーヤーといわれる人は並大抵の努力しているだけでは、一流になれない…ではいったい、どんな努力をしているのか、考えています。勝つためには、勝つこと以上に価値のあるものを目指す。つまずきや迷いもマイナスにはならない。変わりたいと思うことで、人は変われると…

そして、働く人にとってもそれは同じだといいます。働く意味は、自分を探すきっかけにもなり、自分自身を知るきっかけにもなると思います。

●感想

 ながい間、働いていて時々、疲れた…と思うことが多々あります。
 仕事は、毎日、同じことの繰り返しで日々が過ぎています。そして、「何のために働いているのだろうか」という疑問が残ります。理由の一つとして、直面する家のローンの支払い、日々の生活費を稼ぐためとか…。

 当面、目的は「ローンの支払いと、生活費」ということになるのでしょうか。そして、目標は○○年までには、これだけ貯める、支払うという目標ができ、日々の生活がはじまっていくのだと思うです。

 日々の働く動機付けを探すことが「働く意味」の中味であるのでしょう。
この本には、日々の働きのなかで、私という人間は、いったいどんな人間で、何がしたいのか分かっていく中で、働く意味が、できあがっていくのだろうと思います。そして、一人の人間として、いったいどう生きたいのか、どう死んでいくのか…という問いの答えがきっと「働く意味」のなかにあるんのだろう思いましたが…。


杉浦 健(スギウラ タケシ)
近畿大学教職教育部准教授。1967年静岡県浜松市生まれ。上島小・曳馬中・浜松北高と地元公立学校で部活動(陸上競技)に熱中する学校生活を送る。京都大学教育学部および大学院教育学研究科博士課程修了まで11年の大学生活を送る(2年留年。教育学博士)。大学院時に洛陽工業高校定時制にて国語常勤講師を経験。授業に開眼。近畿大学教職教育部非常勤講師・講師を経て現職。スポーツ心理学・教育心理学・青年心理学の各分野にわたってやる気(動機づけ)の研究を行う。

◎福島原発メルトダウン・広瀬隆/朝日新書

・~これほどまでに福島第一原発が危機に陥ってもテレビの専門家らが触れようとしない「原発をめぐる当り前の事実を」を明らかにしたうえで、「次に想定される原発震災」のことを多くの人々に急いで伝えて、子供たち、若い人を救わなければならない、と考えなおしたからである。(p19)

・こわいのは、これから何年もジリジリと続くこの蓄積が、においも味もなく、若い人たちの体内に入り込んで、人間と生物の体をむしばんでゆくことです。(p21)

・~熱エネルギーを運動エネルギーに変え、さらに電気エネルギーに帰るたびに大きなロスが生じています。結局、ウランを燃やしてつくられた熱エネルギーの三分の一だけを電気にして、三分の二を「温排水」として海に捨てるという不細工な機械装置が原子炉です。(p31)

・放射線の最大の特徴は、人間の五感に感じられないのに、人体に非常に危険であるということです。私たちは、銃で撃たれて痛みを感じたり、スギ花粉を吸い込んで鼻水が出たりしますが、放射線を浴びても(これを被曝と言います)何も感じません。しかし、何も感じないまま死に至ることがあるのです。(p39)

・ウランの原子が割れることによって、新たな小さな原子が誕生します。しかし、そうした原子は形をかえいびつで、不安定です。これらの原子が、「ヨウ素131」や「セシウム137」「ストロンチウム90」といった放射性物質になります。「アルファ線」、「ベータ線」。「ガンマ線」と呼ばれる放射線を出し始めます。(p82)

・ 「~ヨウ素131は半減期は8日ほどだから時間経過とともに危険性は低下します」~最も大事なことは、「いくど放出されたヨウ素131は永遠に消えない」のです。(p83)

・原発からの避難私案(本より抜粋)(p105)
①30歳以下の人、若い世代、幼児、妊婦や若い女性は約250kmを最低の避難圏として福島原発から逃げる…西日本へ

②退避する受け入れ態勢は政府が考え、東京電力は専心する責務を負う…

③食品汚染の測定は長期にわたって続け、データを一切隠すことなく公表…
告知する。

④30歳を超えた個人は、自ら判断し、人生を選択できるようにしたうえで、農家と漁業を守るためにすべての出荷制限を守り、みながすべて放射能汚染食品を食べるほかない、汚染水を飲む。政府は「ただちに健康に影響はない」と言い続ける。

・でも子供たちは守らなければいけない。10年後、20年後の、50年後の、日本、この国の未来を決めるのは、いまの子供たちなのだから…。(p166)


●感想
 地震直後から2か月後…。いまだに原発の危険性は回避されていないどころか、時間がたてばたつほど、その危険性は増すばかり、と怖い存在にさえなってきた。さらには「レベル7」「メルトダウン」とその危険生を表す言葉が次々にでてくる。そのけっか、「20kmは危険区域」で強制避難、土壌につもった放射能によって、校庭で遊べなくなった児童、食べられなくなった放射能汚染の野菜、魚の「風評被害」。田植えも出来なくなった田んぼ、森林の手入れもできなくなった森林…などなど。まいきょにいとまがないほどの被害の多さ。

 放射能汚染による町や村が一度に移動。無人と化した土地。
 これほどの被害は、片付くどころか次々に新しい被害がいまでも出てきている。原発とは化け物だと、つくずく思う。
 それが、臭いも、痛みも伴わず身の周りを汚染していくという化け物だ。
 「ただちに危険はない」などと、ニュースではいうが、実際に放射能はこの本では10年後、20年後がその被害がいちばん多く出てくると警告している。その時、日本は病人ばかりになってしまう危険。とくに、今の子どもたちが大人になったときがいちばん危険ともいう。

 そう思うと、今まで日本の原発関係者は「何をしてきたんだ」と思う。おそらく「何もしてこなかった」のだろうと思った。原発推進には躍起になって何億もの広告費をかけて宣伝したきたが、その防災には重要視してきなかったということだろう。ということは、放射能によって何万人もの患者が出ても何も考えてこなかったということだろうと思えた。

 これは共存できるしろものじゃ到底、できないとつくずく思った。


広瀬 隆
1943年東京生まれ。早稲田大学卒業後、大手メーカーの技術者を経て執筆活動に入る。『東京に原発を!』『危険な話』『原子炉時限爆弾』などで原子力の危険を訴えるとともに、一貫して反原発の論陣を展開してきた。



 はやいもので3月11日の大震災も2か月が過ぎました。私の身にまわりでも、ようやく、日々の生活が少しずつ帰ってきたように思えます。それでも、ときおり「地震」の揺れがあります。さらには、日本のどこかでの地震情報がテレビのテロップで流れるたびに「いったいいつになったら静まるのか…」という不安に気落ちします。

 これまで、被災地でも元の生活に戻そうと必死の復旧・復興が行われています。
 そんななか、ボランティアで写真の修復の記事がありました。流されて、汚れたり、欠けたりした写真を修復し、持ち主に返すという作業です。
 大津波でも家族も、友だちも、家も、車も、ペットも、そして思い出も流された人たちに、少しでも心に届くものを…というボランティアなのだと思います。

 誰にでも、思い出を形にしておきたいという願望があるのでしょう。その一つが写真なのだな思います。一枚の写真をみると、たくさんの情報が読み取れます。写った人にとっては、情報よりも「宝」なのだと思います。その「宝」によって、また明日に向かっていければと思うばかりです。

 おおよそ、写真には楽しいことが多いようです。また、こんな楽しい日々をつくりあげたいと思う力になるものだとも思います。そんなことを考えると、「たかが写真一枚」ともいってられません。撮られた本人ととっては何よりも大切な一枚なのでしょう。

 そんな様子をみて、私自身、写真の大切な役割を知ったように思います。これからも、そんな気持ちにさせる写真をとっておかないと…とも思います。

 こちらは形があります。笑顔、泣き顔と人の形が映し出され、人を和ませます。

 一方、福島第一原発の事故。こちららは、影も形も、そして臭いもない…というものです。日々がたつにつれ、明らかになってくる放射能の恐怖。いったい、これまでどれだけの放射能が人の身体にはいったのかと思うと、痛さを通り過ぎて目に見えない「恐怖」です。

 25日の毎日新聞の投稿欄に福島の教師の投書が掲載されていました。内容は、この放射能によって、10年後受け持った子どもたちが白血病や甲状腺がんになったらと日々おびえている日々。また、「安全」といわれ教育されてきたことで、その怖さを知らされてこなかったことを悔い、その怖さがついに出て、電話でもかかってきたらどうしよう…。そして、罪の大きさに教師はどう受け止めるべきか、というものでした。

 チェルノブイリ事故でもそうであったように、何年後かに発病が出てくるのが放射能の怖さでもあるのといいます。ほんとうに、これが安全か!!と怒りは、事態が明らかになればなるほど大きくなっていくようになっていあように思えます。

 やっぱり、日本の原発は危ないと思ったほうが、いいのかもしれまないと思いました。
 これまで、多くのジャーナリストや科学者が警告してきたにもかかわあらず、この結果を反省するときなのだと思います。

 地球の表面にへばりついた、人間が自分の住む場所を住めなくする道理は、誰が考えてもおかしな話です。
 震災2日月後…そう思いました。


*読んでくださった方、ありがとうございました。

うすれゆく大震災の日々ですが…

2011年05月22日 | Weblog


 夏到来…。
今日(21日)は今年最高の気温であったそうです。
やっと大好きな季節になってきました。
 毎週の、休みの日に多摩川の散歩にでかけていくと、知らず知らずのうちにたくさんの小さな花が足もとで咲いています。
 季節はめぐり…そして人の心はうつろいやすく過ぎていくのでしょうか。
普通なら、今頃は浅草の三社祭りで、東京での夏到来を人々の掛け声で、運んでくるような時期なのです。

 今週も、無事終了したような気がします。
東日本大震災、福島第一原発事故と大きなことが起っているはずなのですが、日々の生活に追われていくと、その重大性を少しずつ忘れていくようです。余震がおこるたび、また思い出している状況です。
 被災した現地では、何年かかるかわからないほどの大きな震災。それでも、負けずと、人の動きは勇気を与えているように思えます。

 とはいえ、健康が第一です。今週、今年の健康診断の結果がでました。とりあえず、「再検査」はまぬがれました。それでも、年齢が年齢ですから、体がけっこう衰退しているのは事実でしょう。
 人それぞれ、健康づくりは違います。さて、どんな健康管理をしているのでしょうか。
 今週は、それを簡単に考えてみました。





■節電社会

 福島原発第一号機の事故で今年は、電機の供給が大変であるうようです。これまで、東電がコマーシャルを流していと「オール電化」などとは逆の状態になっていました。
 浜岡原発も停止させたことも、首相の決断はよほどのことなのでしょう。

 これで原発は安全ではない。原発事故は人の知識だけでは、制御ができなくなるほどの危険、だということがわかった事故です。

 多くの人の体に、見えない放射能がふりかかってくるという、恐怖もつくってしまうということでもあった。最悪なのは、人の住める環境を根こそぎ消滅させてしまうという恐ろしさをもった爆弾ともいえる。

 地方では「20キロ警戒区域(浪江町・双葉町・大熊町・富岡町・楢葉町=対象9市町村約2万7千世帯)」の人々の住む町や市は無人化された地域になっていってしまいます。これまで、何百年もかけてきた、地域のコミュニティーも土地も、収穫物もすべてばらばらにされる。これから支えていくであとう、子ども達も計画避難によってバラバラにされる。

 考えようによって、わたしたちは「とんでもないものを抱えている」状態の世にいることがわかったような気がしました。

 東京では「節電社会=各企業15%の節電目標」という言葉が出てきた。事故によって電力需要量が供給量を上回った場合を考えたら全てのライフラインもストップもしてしてしまうだろう。

 そこで出てきたのが「計画操業」や「クールビズ」だ。真夏になれば、これまで通りの「節電」ではすまなくなってくる。それを考えると「ガマン」は強いられる状態。

 すでに、企業では対応するために、電力を節約できる操業として、休日出勤や時間をずらして操業する計画もあるという。できるだけ、電力を分散し、一極集中をさけいようという動き。
 ここでも、働く人の都合は「節電」のためにバラバラさされるかもしれない。さらには、そこでつちかってきた人間関係も危うい。
これから、当面、今年の夏をどう乗り切るのか、都会でのテーマかもしれない。

 と、原発事故によって、放射能以外にも人々のつながりまでも危うくしていっている。

 東電社長が責任をとって退任したところの話ではすまい。

 おっと!。今、地震がありました。まだ、続きそうです。
 「震災・原発」のスクラップをいつか、まとめたいと思っています。




今年、実施された「健康診断」の結果が手元にもどってきました。
「再検査を免れた…」という安堵感が、正直なところです。
すべてのデータはどれも「A」評価であったのですが、一つだけ「C」がありました。それは「胃腸部分」でした。この結果、私に考えられることは、よく噛まないで食事している。

 それは、私の歯が弱いのにも起因していることだと思いました。そして、「早飯…」でしょうか。自分ではわかっているのですが、早く食べることで、満腹感をつくっているのしょうか。悪い習慣ですが。

あとは、タバコでしょうか。しょっちゅう、くわえタバコ状態がよくない…とうことはわかりつつ、生活していることもあるのだと思います。

いずれにせよ、こんな習慣は少しずつ修正していくことが大事なのですが…。具体的には、早いを遅く…、タバコの量を減らす…と簡単なことなですが、いざ、やろうとなるとむずいかしいものです。

人の健康を示す習慣のようなものがあるものです。例えば、どんなに前日、大変であったとしても、休日は必ず散歩をする…、あるいは友だちと会話をする…、など。何でも、続けて、きることが大切なことです。
自分の「健康・元気」を支えているものがあるのではないかと思います。きっと、十人十色のやりかたがあるはずです。それを、改めて考えて実行していくこが大切なことなのだと思います。

今年、一年、がんばってみようと思います。
とは、いえ、楽しくできなくてはだめですが…ね。




※多摩川で草野球もいいですぞ…、これが、みんなうまいですね。

*読んでくださった方、ありがとうございました。

初夏がきて、久しぶりの古き友との飲み会

2011年05月15日 | Weblog



 初夏になってきました。
 毎週、多摩川で、散歩をしていると、自然の身近かさを、動植物の成長が、気づかせてくれます。今日も、天気がよかったおかげで、頭の上でヒバリがないていました。初めは、鳥の形をして飛んでいても、しばらくすると、小さな点になっているほど、高いところを飛んでいました。

 さて、東日本大震災も今週は2ヶ月をむかえました。いまでも、ときおり、小さな余震が、体を揺すっています。
地震ばかりは、人間がどうがんばても、どうにもすることは、できません。
 妻との会話で「今度、大きなのが来たら、きっと、ペチャンコでしょう…な」、妻曰く「子ども大きくなっているし、私も、還暦もむかえたし、ペチャンコなってもいいわ…それが運命だ」と。

自分の運命をあきらめたわけではないのですよ。
人と自然とのかかわりのなかで、自然は、毎年春に、新しい生命が、誰に求められるわけでもなく誕生し、四季をつくってきました。
 人間も四季のなかの一部でしょう。
 そんなことを思うと、ペチャンコもしかたのないな…とも思えてしまいます。

 一方、福島第一原発の「メルトダウン:燃料が融ける=放射能がでる」、というニュースがありました。
 ということは、またしても、原子炉停止の目算が、おおきく狂ったことになります。これでは、東電はウソばっかりいっているような気がします。事実があきらかになれば、原子炉の冷却をするためには時間がかかり、その間、放射能はどれだけ出されていくのか、心配なところです。

 その意味で静岡の浜岡原発の停止は大きな意味があると思います。
 今回の福島第一原発のように、制御ができなくった原発ほど怖いものはないことがわかりました。
 
さらに賠償問題がでてきています。
 東電がこれまで貯めてきた財産から払われるとか、社員の賃金やら、役員の報酬からの企業努力によってやるそうです。その企業努力をもって、支払うめどをつけるそうです。
 私が思うにまた、これをおしすすめてきた学者や政治家もやるといいのではないかと思った。すべての財産を出し切って補償すべきでしょう。責任はきっちりとるべきです。税金や電機料金値上げは、その次のことだ!!。

 政府は、今回の賠償問題で「電力10社で出資で機構をつくり、東電の資金繰りを支援」してもらう…とのこと。
 下請けや孫請けまでの影響が必至でしょう。東電だけで生計を立てている会社はにとっても補償問題は影響していくのは当然のなりゆきだと、思います。しかし、彼らは東電がいままでやってきた経営の被害者だと思えてしまうのです。それは、考えすぎでしょうか。



♪「JAZZDAGA?,JAZZDAJA!」
伊藤君子・伊奈かっぺい・
VACV-1051CDより
「MyFavoriteThings」(私の好きもの)
訳・伊藤君子:津軽弁訳:甲地正幸

………………………………………………
バラに たもすがる 雨コの雫 ちゃぺのひげコと キガキガの星コ
(バラに止まった雨の雫、子猫のヒゲとピカピカの星)

温(ぬく)だまるてげしと 茶色の紙袋コ  みんな私(ワ)が大好きなもの
(温まる手袋と茶色の紙袋、皆私の大好きなもの)

めいんこい馬コど 林檎の菓子コ ソリの鈴コどカツレツどスパゲチ
(可愛い仔馬と、林檎のお菓子、カツレツとスパゲッティ)

まんどろの月コさ 飛ぶ渡り鳥 これも私(ワ)が大すきなもの
(まんまるな月、飛んで行く渡り鳥、これも私のお気に入り)

青いはんちゃの めごいあだこ まつ毛サど鼻っこに ねばる雪コ
(青いドレス、可愛いお嫁さん、睫毛に止まる、春先の雪)

春に融けでく 銀色の冬コ あれもこれも 皆大好きなものだぁ
(春に融けゆく、銀色の冬、あれもこれも、皆大好きよ)

犬コに齧られたり 蜂コに刺されたり
(犬に噛まれたり、蜂に刺されたり)

もうまいねど思っても 好きだもの思い出へば
(もう、まいった、と思うときも、好きなものを思い出せば)

何でも けねんだねぇ!
(ほら、大丈夫!)
略(英語部分)
…………………………………………………
 気がつけば、東日本大震災、原発事故と、今年の東北地方は災難が続いている。
その、情報がいわゆる標準語で全国に流されている。しかし、地元住民にとっては、それは「他県の言葉」だろう。いちばん、ふんばる必要があるのは、現地の被災者だ。そんなとき、地元方言がいちばん力強さが発揮されるのだと思う。だから、地元ポスターも「方言」で大きく印刷されているのは、うなずけることだ。

今週、紹介するのは「津軽弁」でジャズを歌ったCD。
 私自身、一度にいろんなことがおこるとパニックなる。悲しいことやりきれないことなど…。
 そんなとき、追い打ちをかけるような言葉で歌を聴きたくはない。これでもかと、人のしくじりを反省させるかのような歌は嫌いだ。
 そんなとき、聴きたいのはバラードやジャズがいいと思う。なにか、女々しさより、遠いところに目印みたいな歌が好きだ。

 英語だと意味がわからない。でも、そのメロディーに励まされているようなところがある。だからアフリカ音楽も好きなジャンル。これも、飛び跳ねるようなリズム。歌の意味は不明でもいいと思える。

 今回のCD「津軽弁」である。これも、方言の意味は、不明でも、なんとなく温かさが伝わってくるように思えた。
 学生のころ、東北の友だちが多かった。青森、福島、岩手…と。酒が入ると方言がときおり飛び出し意味不明。それでも、わかるのは、一緒の雰囲気でわかる。あるとき、女性の人に命令調で「これ、食べれ…」といわれたのは驚いた。でも、その温かさが、今も懐かしい。





 今年になって、行くぞ…行くぞ、と予定には入っていたが、仕事の関係で参加できなかった「友人・他人会」とでもいう飲み会に行ってきた。
 年配者が多いので私などは若僧にはいってしまう。それでも、会話は面白い。
 今回は原発の話だった。浜岡原発の停止について、政府は安堵だが、それを支える連合という組合組織はなんといっているのか…ね。というのも面白い。それを、再度、検証することも大事だという。

 最後は仕事のこと…。この年齢の人が集まると、最後は仕事で終わる。経営者の哲学とか、会社でいえない話…。貴重な意見からくだらないことまで、「亀の甲より年の劫」で情報は無尽に出てくる。そんな、話が「私も元気」ですの表現する場になっているように思う。

 世には「経営哲学」というのがあるのでしょうね。
 会社をどういう考えで、まとめていくか…ということでしょう。
 例えば、松下幸之助的であったり、本田宗一郎的であったり、と個々人経営の陰には勉強がある…。それが、何であれバックボーンになるものがあるのだと思います。

 「いまの経営者は、それを感じない?」という。

 それは合点がいく。
 話さないのか、話せないのか、いずれにせよ、組織が動くときその根本をみて信じていく…ことを忘れないでほしい。
 しょせん、負け犬の遠吠えでしょうか??



 ちなみに、今週に、私の55歳の誕生日がありました。
 定年まで、いまのところ5年というところですか…。
OBの皆さま、私も他人事ではなくなりつつあります。
 もう少しですよ…皆さんのお仲間は…。

 でも、私が働いている間に、年金問題で65歳が定年になる、確立の方が高いです。

 とは、いうものの、会社があるかねえー。
 まあ、つぶれないように、とにかく、一歩ずつでもがんばるべ。

※ちなみに、いちばん最後の写真は、まさに初夏(新緑)の季節を、彷彿とさせます。左側の木々は、この辺では、めずらしい「かつらの木」です。


*読んでくださった方、ありがとうございました。

連休(GW)が終わって…思う

2011年05月08日 | Weblog


 待ちに待った、連休もふりかえれば、アッという間でした。気がつけば、また仕事の準備や思いを、手帳に書いている時間をつくっています。
さてと、これから、夏休み…にむかって、仕事に追われる日々が始まったということでしょうか。

 さて、連休は楽しくおくれましたか。

 3.11震災後、久しぶりの連休です。まだ、余震もありますが、その合間をぬってどうにか楽しい一日を探そうとふんばった休みでした。
 わたしは、友達と久しぶりの、山歩きを楽しんで来ました。(「山あるき」記載)
 多くの出会いと別れがある中で、自分の人生観が一つよくなったとか…というものを日々さがしていたいものです。



「浜岡原発停止」要請


 3.11東日本大震災も、もうすぐ2か月がむかえようとしています。思い出すたび、むなしさというか、怖さが頭をよぎっていきます。天災の地震、人災の原発事故がセットになって、いま、日本は揺れている状況です。

 さて、今週はいまだ続く余震と原発についてスクラップを整理してみました。
 5月7日の新聞に「首相、浜岡全炉の停止を要請」という記事があります。
 内容は…東海地震の想定震源域でもある静岡県御前崎市にある中部電力の浜岡原子力発電所について、定期検査中の3号機のほか現在稼動中の4、5号機も含めてすべて原子炉停止を要請した(朝日5.7)…とあります。

 東日本大震災からおよそ2か月。これまで、マグニチュード5以上の余震回数は439回に達した(東京5.5)。さらに、予断をゆるさない状況で、また気象庁は「M7位上の余震発生率を10%未満」と発表しています。

 今回、首相が「浜岡原発停止」を要請した理由を「国民の安全と安心を考えて決断した。浜岡原発で重大事故が発生した場合に日本社会全体に及ぶ影響も考慮した」(東京5.7)とある。さらに「浜岡原発が東海地震の震源域に位置し、文部科学省の地震調査研究推進本部は今後30年以内にマグニチュード8程度の地震が発生率を87%と予測」(同5.7)としている。

 一方、中部電力ではこの要請に対し「検討する」にとどまっていて、現時点では「停止」はみえていない状況だ。電力会社ということから、当然、雇用、株主の配当、さらに地域住民への経済への影響などなど、多くの課題をクリアーする必要があるでしょう。

 日本の原発はほとんどが海岸に面してつくられていて、もし、津波が福島原発のような状況をつくったら、狭い国土では避難するところもなくなってしまう。それを、考えたら「停止」によって、どれだけの問題が出てきて解決しなければならないのかやってみる必要があると思います。住民が被爆するとか、土地や作物、さらには人間関係が破壊されるのが、原発被害です。
 いまや一部の人間の欲望を満足させる状況ではないのだと思います。とくに、子どもへの影響は大きい原発は、停止させ、再検討する時期にきています。
 それが、地震と同居している、日本という国の宿命だと思います。

 事故が起きてからでは遅いのです。原発が停まることで、多くの世帯に電気の供給ができなくなり「計画停電」や「計画操業」も出てくるでしょう。でも、それにそった生活(きびしいものになると思う)をつくることも大切ではないかと思います。快適さは遠のくかもしれませんが、人の一生を病気でおくるより、いいと思います。




 久しぶりに、高尾山・山歩きに行ってきました。
さかのぼれば、昨年の10月に行ったきりでした。なんとも、こんなに近くに山があるのにもったいことだと思いました。

 季節は春の芽吹き…です。今は、常用樹と新緑樹がグラデーションがとても美しいものです。鳥の鳴き声も春をつげるやさしく聞こえます。
 誰に求められるわけでもなく、四季の折々の色を大地からしっかりと、静かに、力強く育つ植物がたくましいと思えました。

 いつもはソロ(単独)での山あるきを楽しんでいたのですが、今回は友だちも一緒でした。そして、天気も快晴。

★コースはJR高尾~歩き小仏登山口(90分)~小仏~城山~高尾~JR高尾までコースでした。

 とにかく、ゆっくり歩けるところを、と考えた末のコースでもありました。友だちも初心者であることから、できるだけ歩くことを基本に…と考えました。そして、高尾名物といってもいいほどの混雑さをできるだけ避けるコースを思いで決めました。

 まず、最初に驚いたことは、いくら低いといっても山は歩くことが基本で、できるだけ両手はフリーな状態にしておきたいものですが、当日の友は「トートバッグ」でした。これにはア然…。人はいいのですが、その場、その時の恰好があるものですが…ね。

 そしてカメラ持参でたくさんの写真を撮っていました。本当に、いい自然の写真は、時間をかけて、ゆっくり被写体が自分のイメージ固まるまで、ひたすら待つ…ものですよね。

 当日の高尾山は、静かな山あるきや、写真を楽しみつつとは、難かった一日であったのではないかと思います。
 なんとも、騒がしかった。

 ほら!見ろとばかり、上空では警視庁のヘリコプターが、遭難者を探してマイクで、登山者に協力の要請をしていたではありませんか…。
 こんな低い山でも遭難者が出るのは初めての経験です。低かろうと高かろうと山は山ということでしょう。油断は禁物です。

 やっぱり、このシーズン、やはり人が多いせいか、歩いていると川から、カジカカエルのきれいな鳴き声が聴こえて来たものですが、今年は聴けませんでした。カエルの声より人の声のほうが多い、一日でした。こんなときもありますよ…。

 やはり、気心の知れた人との、山歩きは楽しいものです。いろいろと、騒音、人の混雑と大変でしたが、結局、おもしろい山歩きでした。そして、いい思い出となりました。また機会があったらさそって、行きたいと思います。次回は、リュックにしてもらい、ガスコンロも準備し、昼食を楽しくつくれたらと思います。

 今週で、連休(GW)も終了です。いろいろと、考え、計画したにもかかわらず、実行できなかったことの方が多いのではないかと思います。でも、まだ、計画できるものでがあるだけ、人生エンジョイしようという気持ちがある証拠です。これさえも、なくなってしまったら、人生も楽しくありません。

 まだ、きっと続くであろう自分の人生をちょっとでもいいから、楽しくできる工夫が、あちら、こちらの人間関係でつくれるかもしれません。そんな、関係を築きつつ、がんばっていけたらと…思います。

 そして、仕事…がまっています。わりきって、やるだけと思います。でも、この仕事のなかに「人間が、人間たらしめる、ものがるのでは」お思います。なぜなら、社会人となった日から人生の大変は、この仕事まみれの中で、日々過ごしているからです。
 でも、仕事を忘れる一日もあっていいのです。

 今週はスクラップ2011で「原発」をちょっとカジッテみました。いまさらのように原発の「安全神話」は崩れているように思えました。これから、原発停止の賛成派と反対派との綱引きがはじまっています。
 でも、その前に、「本当に日本の原発は地震と同居しても大丈夫」なのか考えてほしいものです。



 若者よからだを鍛えておけ!
 お疲れさまでした!!


では、また来週まで。
*読んでくださった方、ありがとうございました。





2011年のGW(連休)はどう過ごされてますか…

2011年05月01日 | Weblog


 5月が始まりましたね…。
 日本はゴーレデンウィークの真っ最中…。普段であれば日本中の「民族大移動」で道路は渋滞、鉄道はすし詰め状態…です。人は田舎に帰り、農家は農繁期で土に入り、動物たちは繁殖期にはいり、緑はいっそう濃く人の目に豊かさをつくっている時期です。

 そして「端午の節句」。子どもたちの成長を願う日であり、親にとっては自分が子どもの頃を思い出してわが子にも幸せをつくってあげたいと強く念じる日でもあります。
 赤ちゃんの笑顔が人を人として目覚めさせる一日…とおおげさでしょうか。また、人の笑顔が人を支えているんだ…よと思う一日。


◎黒い雨(井伏鱒二/新潮文庫)4月よりつづき




※道に転がる死体は、この辺では幾分か少なくなっていた。死体の恰好は千差万別だが、共通している一点は、俯伏せの姿が多すぎることである…頭髪もその他の毛も焼けて失せて、乳房の形状などで男女を区別することが出来ただけだ。(P126)

※タカが当工場に辿りついた時-昭和二十年八月八日午前八時頃。ふらふら炊事場に入って来て「カネさん、水、水、水……」と云う。(P177)

※田端の話では、昭和二十年八月六日の朝、出勤前に新聞を見ていると、空に淡いスパークが走ったような気持ちがした。錯覚ではないかと思ったが、正午ごろ軍の報道がラジオを通して広島に爆撃されたと伝えた…広島の惨状には仰天したが、どんな爆弾が落ちたのかまだ知らなかった。(P197)

※「大本営発表、(一)昨八月六日、広島市に敵B29少数機の攻撃により、相当の被害を生じたり。(二)敵は、右攻撃に新型爆弾を使用せるものの如きも、詳細目下調査中なり」(P253)

※焼跡に入ると路上に硝子の破片に太陽が反射して、まともに顔をあげて歩くことが出来ないほどであった。屍臭は昨日よりも少しずつ薄らいでいたが、家が潰されて瓦の堆くなっているところは臭気が強く、蝿が真黒になるほど群がっていた。(P347)

※「ピカドンは、原子爆弾というのが正しいそうだ。物凄い輻射エネルギーを発するらしいな…」(p359)

※「今、もし、向うの山に虹が出たら奇跡が起る。白い虹ではなくて、五彩の虹が出たら矢須子は病気が治るんだ」(p384)


◎黒い雨あらすじ
 広島に8月6日にアメリカ軍のB29により原爆が市内に投下された。一瞬に町は廃墟となり、市内に住む人、植物、動物、建物とあらゆるものが破壊された。その後、原爆被爆者が次々にでてきた。主人公でも矢須子も例にもれず、閑間夫妻の安否を気遣って市内を歩いていたとき被爆してしまう。
 閑間重松・シゲ子夫妻にとって、矢須子は姪にあたる。
 夫妻も被爆して治療つづけるかたわら姪の矢須子の縁談をまとめて幸せにしたやりたかった。縁談の相手から矢須子は被爆者ではないかと疑われる。被爆をしていないことを証明したいため、重松は矢須子の当時の足取りである日記をまとめてみた。しかし、そのかいもなく矢須子は少しずつ原爆症の症状が出てくる。最後に「被爆日記」を全部清書し終わるときは相当悪化していた。それでも重松は「奇跡」を起こしてまで矢須子の病気が治ると祈りつつ、この物語は終わる。

感想…………………………………………………
 「日本は原爆から放射能の怖さをなにも学んでいない…」と思った。
 言い古されたことば「日本は唯一の被爆国」というが、日本にいまある原発は北は北海道の泊原発(北海道電力)から南は九州の川内原発(九州電力)と福島第一原発の他に50基もの原発が稼動中だ。もし、大地震がまた日本の何箇所によって起り、幾つかの原発が福島第一原発の同様の事故を起こしたら狭い日本では逃げ場がなくなり日本が全滅するというのも言い過ぎではないかもしれないと思った。

 さらに怖い「風評被害」による「黒い雨」でもあった結婚や就職の差別が起る。また、農業、畜産業、漁業にいたるまで打撃を受ける。そんなことになったら国の財政も滅びる事態になりかけねない。
 子どもにも影響を及ぼし、日本が成り立たなくなる…ということもSFだけの世界ではなくなると思う。

 そろそろ原発に変わる電力エネルギーを研究者が考える時期だと思える。それに、産業界が計画的な事業をつくる。家庭では不便な生活も覚悟しなければならないという。まして「原発は安全」などという教育はさっそく考え直すべきだと思う。

 ながい間「黒い雨」という小説に私自身、封印してきたように思う。今回こんな事態が起らなければきっと継続していただろうと思う。
 人間は忘れやすく冷めるのがはやい…。まして私はそうだとつくづく思った。人の不幸がなければできない「学問」とはいったいなんなのだろう。原発推進をしてきた学者はその功罪は大きいといえる。
 いまこそ、この学問を人間の生活に役立てるときではないかとつくづく思う。

◎朝日新聞社からAERA臨時増刊№22号「原発と日本人」も併せて読むといいです。「100人の証言」は被害者、学者、原発労働従業員とその家族の声が網羅されています。


※井伏鱒二
広島県生れ。本名、満寿二.中学時代は画家を志したが、長兄のすすめで志望を文学に変え、1917(大正6)年早大予科に進む。1929(昭4)年「山椒魚」等で文壇に登場。1938年「ジョン万次郎漂流記」で直木賞を、1950年「本日休診」他により読売文学賞を、1966年には「黒い雨」で野間文芸賞受けるなど、受賞多数。1965年文化勲章受章。(新潮文庫より)



 3月に起きた東日本大震災…。
被災県では余震を感じながらは、ひたすら日々復興が続けられている。その復興に人々が暮らしを元に戻そうと生きている姿をみる度に、心の不安定さが少しずつ落ち着いていくような気がする。

それでも、今後、また大地震が起きない保障はだれにもわからない。そんな毎日でもある。小さな余震は毎日一度は必ず起きている。その度に3月に起きた「揺れ」が心のなかをまだ駆け巡っていく日々でもある…。

そんななか連休が始まった。少しでも「揺れ」を忘れる時間が欲しいと私なりに予定を立てた。
山歩き、墓参り、神田川リベンジ、資料整理等など…。

まず山歩き…
 当初、5月になると天気が不安定になると思い、4月中に行きたいと予定した。
 しかし、一緒にいく友が大事な用事が一日ずれて、山歩きは急きょ延期となった。地元優先…それは大事なことだ。
それではと、私は予定の一つの「墓参り」にいってきた。家族はそれぞれ、予定を持っている。それもそうだ!

私の予定には同行はできない!とのこと。仕方がないので一人、花屋に行って花束を買う。花屋おばさんに「気をつけて…」の声にうながされて、千葉の田舎へいった。
 千葉の家にも電話してみたが誰も出ず!それもそうだ…。急きょ変更に付き合ってくれるほど人間さまは閑じゃないよなぁ…と思った。
 同窓生にも電話…。しかし彼もまた同じ。

 当日の予定は予定じゃない。それは社会の常識だ。それは重々わかっているが…と思いつつの墓参りであった。

 時間があったので小学校に行ってみた。6年間通った道を歩いてみた。およそ4kmはある。学校帰りに野球をやった空き地はショッピングモールなるものが建ち並んでいて草が生える余地すらない。多くの買い物客が車できては利用しているようだ。便利になったものだ。そのおかげで小さな商店は影すらなくなっていた。

昔は今頃の通学路は田んぼでたくさんの蛙の声が聞こえていた。あるのは、水もなくなって雑草が生いしげる空き地となっていることだ。遠くを見渡せば家、家の宅地ばかり…。田園風景はいまでは遠い記憶のはるか彼方になったようだ。

 小学校に着く。
 「創立百年」なんとも長い時間がたったわけだ。小学校のころ、いつも見ていた楠もあった。場所が移動してあったが今年も緑の葉をたくさんつけて蒼空にまっすぐのびていた。
 ここから学んで、泣いて、走ってころんで今日まで生きてきたんだなあ…と思った。私の兄弟も皆、ここから巣立っていったわけだ。

映画の「思い出ポロポロ」を思い出した。都会育ちの主人公のタエコちゃんが自分の生きる場所を都会でなく山形にした映画だった。小便くさい校舎にみんなで楽しく、悲しく過ごした時間、場所を時々思い出すといいものだ。

 とうとう子ども頃親しんだ土地からも随分距離が大きくなった自分がいたことに気がついた。それも仕方がないことだ。東京に住んですでに30年近いのだ…。すでに私の田舎は東京なのだと思う。それでも、脳裏のかたすみ、千葉の昔の風景が残っているだけでもいま幸せなのかもしれない。なぜなら、あの風景は二度ともどらないのだから…。

 もし、関東に直下型の大地震が起きたら東京はつぶれるという。それもそうだ。それが自然の法則だ。いまでは、自然様の前に謙虚にしたがって生きていくしかないとつくづく思う。自然にも人に対しても謙虚に反省の日々が大事なんだと思った。

 最後にいまさらなのだが、人間は自然、モノ、人とかかわっていくなか、なくして初めてそのよさに気づく悲しいサガをもっているようだ。気がついて、それがそこにまだあれば幸いなほうだ。なくなって初めて脳裏に焼き付けている。

放射能から避難されている人たちもきっと元の風景を焼き付けて、それを励みに生きていっているはずだろうと思った。

今日、こんな詩がありました。

中原中也です。

頑固ない歌
思へば遠くへきたもんだ
十二の冬のあおの夕べ
港の空に鳴り響いた汽笛の湯気は今いづこ
雲の間に月はいて
それな汽笛を耳にすると
悄然として身をすくめ月はその時空にいた
それから何年たったことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追ひかなしくなていた
あの頃の俺はいまいづこ

今では女房子供持ち
思へば遠くにきたもんだ
此の先まだまだ何時か
生きてゆくのであろうけど
生きてゆくのであろうけど
遠く経てゆくのであろうけど
遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこひしゆては
なんだか自信が持てないよ

さりとて生きてゆく限り
結局我ン張る僕の性質(さが)
と思へばなんだか我ながら
いたはしいよなものですよ
考えてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
どうにかやってゆくのです
考えてみれば簡単だ
畢竟(ひっきょう)意志の問題だ
なんとかやるしか仕方もない
やりさへすればよいのだと
思ふけれどそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
(「中原中也詩集」新潮文庫より)


 さて今日は「天皇賞」です。なにをポイントにしていますか??

 連休も後半、なにを予定していますか…。あれも、これもと思ううちに休むが終わってしまいます。自分がやりたいこと一つくらいが無難でしょうか。

 ながながとあきもせず、読んでくださった方ありがとうございました。