日々徒然に

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3月・・・今年は特別でしょうか

2020年03月29日 | Weblog
 こんにちは。せっかくの日曜日だというのに雪で寒い一日です。
 桜が満開になっていました。雪降る中の桜を見るのは何十年ぶりのような気がします。なにはともあれ、こんな季節もあることに気づかされる休日となりそうです。

 さて、今週とうとう東京五輪が延期になってしまいました。健康な体がスポーツの第一条件であれば、新型コロナがまだ拡大しているなかではむりからぬことだと思いました。考えてみれば、この東京五輪には「お・も・て・な・し」から始まり、いろいろ因縁の多い五輪になってしまいました。
 国立競技場建設をめぐっては設計の段階でももめました。当初の計画より3倍(1300億円から3462億円)になってしまった。依頼した故ザハ・ハディトさんがデザインをして膨れ上がってしまいました。高額すぎるということで日本の建設会社(大成建設・梓設計・隅研吾建築都市設計事務所)と再契約したことがありました。

 さらに新国立競技場の建設がはじまったと思いきや、今度は現場監督(32歳)の男性が納期をめぐって「身も心も限界」と自殺もありました。現場での残業時間が193時間とあいかわらず、日本の過労死限度を超えている仕事内容です。

 あまりの暑さのためにマラソン会場を東京から北海道に変えたこともありました。
 一時、東京で準備をしていた人たちも混乱をしたことだと思います。
 そして、今夏の「新型コロナウイルス感染」での、「開催延期」でした。
 まったく、因縁つきの東京五輪になってしまいました。
 とはいえ、1年でできるか否かはまだ未定です。

 とくに残念に思うのは東京五輪より、通常のスポーツが延期していることがとても残念に思います。ラグビーのトップリーグは今年は「中止」を出してしまいました。チケットも買っていたので、いまさらですが「やっぱりコロナは怖いんだ」と思ってしまいました。野球もサッカーも早く開催できることを祈るばかりです。
 
 3月も終わります。今年はほとんど「新型コロナウイルス感染」で世界中が混乱している状況です。よくよく考えてみれば今月の読んだの共通するのは「ウイルス感染に困惑する人たち」でした。少しも明るい話題の本でなく、悲壮感ただよう本ばかりになってしまいました。それぞれの場所や時間は内容はちがいます。最近は、生きていればどこかで遭遇してしまうことが多いように思えます。今回の新型コロナで、それも身近になってしまったような気もします。できれば、生きているうちは遭遇したくはないことばかりですが、現実はより身近に試練を人間に与えているようにも見えます。

 それというのも、これまでの社会をふり返れば「こうなることも無理からぬ」と思える暮らしの変化があったのではと思えます。免疫力が弱くなる長時間な働き方、民族という遺伝子を死守しようとする人類、さらには差別をつくりあげる格差経済・・・など。ウイルスに対抗すべき人類の形がますます弱くなる傾向になるようにも思えた1ヵ月でもありました。そもそもウイルスは人類と一緒に生きてきた生物でもあります。ウイルスにとっては人類よりはるか昔から存在していたものもあるともいえます。それが、なんらかのきっかけで人類に対抗するような形で出て来たのにすぎないのではないかと思います。そして、たまたま出てきてウイルスとの相性が悪かったか、人類がウイルスに抵抗できない体がながい年月によってつくられてきたということもあるのでは思います。

■p29 あらゆる業務は止った。あらゆる職人たちは、自分の道具を捨て、新しい仕事はおろか、以前に請けていた仕事さえなくなった。その結果、ひとい飢饉があやってきた。それは想像を絶したものだった。パン、いや、どんな種類の食べ物も、手に入れることができなくなった。最後には、ペストより、食糧の問題の方が重要かつ緊急なことがらになった。
 

今回の「新型コロナウイルス感染」のことがあり、昔人々はどう立ち向かっただろうかと思い『ペスト大流行―ヨーロッパ中世の崩壊』を読んでみた。時代14世紀初頭からヨーロッパに感染拡大したペストと人々の様子を研究したものである。こちらは『復活の日』より、より具体的に表や当時の絵画などから読みとれる感染の様子を伝えていて生々しい。

 13世紀後半から14世紀はヨーロッパ中が群雄割拠(下剋上)の時代もあり世の中はペスト感染には対応できていなかったということもあったのでしょう。ちゃんと診療できた人たちは一部であったようにみえます。さらに、原因をつきとめる医療もまだ未発達の時代ということもありました。宗教によって解決しようとしたりもありました。
 
 時代によっ病気への対応がちがっています。ペストが時代から考えると今回の「新型コロナウイルス」はいち早い対応さえできれば終息もできるような気がします。しかし、昔も今も、患者に対応した医療機関が充実していないこと感染を広げるいちばんの原因なのではと思います。それだけに、政治は言葉だけでなく医療予算を多くもつことが大事です。医療予算によって、感染の拡大、縮小のカギを握っているように思えます。いくら情報が発達しても、具体的に処置するのは医療機関です。
 また、新型コロナで影響をうける人は感染者のみでなく、日々の生活をおうっている人たちも同じです。飲食店などを営む人たちは休業でお客さまがこなくなって通常の生活も困難になってきていますし、小さな会社ではテレワークなどはできなく、仕事が回らなくなってしまっています。
 人の暮らしは今も昔もそれほど変わらないでしょう。変わったことは命を守る技術が発達したことではないのでしょうか。しかし、その医療を充分に受けさせる・受ける体制が十分に整われていくのかが大事でしょう。
 
 
 
  事故現場、会議室いじょうに頑張っています。会議室での混乱が現場にツケがまわってくる現実があります。『死の淵を見た男』では会議室人たちよりはるかに職場を大事にしている人の姿がありました。
 

 自分の「死」はどこでだれがいてくれるのでしょうか。「老老介護」ということがよく聞くようになりました。誰でもなく自分自身の最後はどんな形でいるのでしょう・・・などと考えた一冊です。
 

■p89「世の中ってそういうものですよ。火星にロケットをうちこむのには、夢中になって金をつかうのに、いま世界総人口に対してまともな医者と、医療設備がどのくらいの割合であると思います? ネパールじゃしょっ中天然痘がはやっているんですぜ」技官は皮肉をこめていった。「毎年の防衛予算の半分もくれりゃ、どんな流行病だって撃退してみせますがね」
 
■p147 「残念ながら、うちの製品じゃなさそうだ。だけどソ連の実験が、こんな大流行をひきおこしのかもしれません。――とにかく、このくらい、手きびしい新種ウイルスなら、りっぱに戦略的価値をもつね」
 
■p216 こみあわないで、ゆったりとした車内にもかかわらず、乗客の顔はどれもつきつめた不安な表情でいろどられた。――彼らもようやく、このラッシュ時の周辺にあらわれ出した、歯のぬけたような空間の不気味さに気づきはじめ、事態が容易ならなぬ段階に来ていることにさとりはじめたのだった。五月だというのに、合オーバーをきこんで、首に絹マフラーをまき、汗をかいている男がいた。車内をちょっと見合わたせば、花びらのように白いマスクが点々と見え、人びとはあらためて、このガラガラにすいたラッシュ時の上り電車の中で、隙間風の吹くよううそ寒い感じにおそわれるのだった。
 
■p258 十四世紀のペストで、ヨーロッパの人口は半分になった。だが、ヨーロッパは生きのこった。スペインかぜで二千万人が死んだ。だが、そんなものは、二十世紀初頭の文明には、かすり傷にすぎなかった。二つの大戦、地震、大洪水、飢饉・・・人類は生きのこった。
 
■p316 人類がもっと早く、自己の存在のおかれていた立場に目ざめ、常に災厄の規模を正確に評価するだけの知性を、全人類共通のものとして保持し、つねに全人類の共同戦線をはれるようにな体制を準備していたとしたら―—災厄に対する闘いもまた、ちがった形をとったのではないでしょうか?
 
■p363 人はその浮かびたたようもろい朽葉の上に住んでいた。大地の漂白のかた時の間に、枯葉の上に生ずる黴のようにはびこり、聚落をつくり、やがて縦横に菌糸を結び、高い胞子の塔のをたて・・・文明を謳歌し、憎しみと争いをくりかえし、かたときそのまたかたときの間に、知恵を、栄誉をほこりあった。
 
■p434 人類が氷の大陸に流刑されたものをのぞいて絶滅しまって以来、その本来の発生地である”土の大陸”に復活する最初の日である。—―しかし、最初の日であっても、復活のその日そのものではない。人類は動物相の中でも、圧倒的劣勢種族になりさがってしまった。
 
 「新型コロナウイルス感染」ということが身じかになってきた2月末ごろ、小松左京の『復活の日』を思い出して読んでみた。(映画にもなったようであるが見ていない)
 物語は、ある国が開発したMM-八八菌(培養した)ウイルスを生物化学兵器として利用した。ところが運んでいる小型機が山中に墜落してしまう。物語は、各国で謎の死に方をめぐってはじまる。それぞれの覇権がいりまじる中、その生物化学兵器のウイルスが世界中を席巻しはじめてしまう。ウイルスに感染し死滅していく人類はどう対応をしていくのだろうか・・・。
 
 ここ2カ月ばかり毎日「新型コロナウイルス感染」は確実に世界中を侵食している。そしてここ数日のあいだには、オーバーシュート(爆発的患者急増)、ロックダウン(都市封鎖)、クラスター(感染者集団)という、ききなれない「戦闘」を連想させる言葉も聞いた。いったいこれから世界中はどうなっていくのだろうかと思う。そして、日々増える感染者の数字をみるたびにますます不安は大きくなっていくような日々をむかえている。
  
 
 
 毎年のこととはいえ、この時期になると桜を見に町をうろうろしてしまう。桜は満開。その近くではブルーシートを敷いて、アルコール、おかず、うた、笑い・・・。楽しい声がいっぱいきける季節だ。そして散ってしまうまえに一度みておきたい一本のお気に入りの桜を見に行く人もいる頃なのでしょうか。まあー本当に自然はすごいものだと感心してしまう。だれに言われることもなく、自分の生きている場所で一生懸命(?)生きて花を咲かせてくれる。

 とはいえ今年はさんざん。新型コロナウイルス感染ということで、心うかれる春とはならないですね・・・。スポーツも、映画も、山歩きも遠慮してしまいがちになってしまう。事実、映画館などはしまってしまうほどだ。
 こんなときでもできることを思案しては日々おくっている状態というのが現実だろう。町を歩いていると、人の生活はコロナに負けじとはじまっているようにも見えます。事実、町を歩けばいつもの生活をしいようと買い物に仕事にでかけていく人をできるだけ多く見かけることで、自分もがんばろう、と思えることが大切なことなのでしょうね。
 ボーっとして当たり前に動く電車をみていると、今日も頑張っていこうと思うときがあります。踏み切りの向こうに頭だけ出している桜の花がとてもきれいに見えました。

 

 今月最後のブログの更新ができました。やっと本棚も不十分ながらまとめてみました。正直、新型コロナが生活の大分を支配しているような日々が多くて、やるべきことを忘れてしまいがちです。感染に注意することは大事なことですが、そうは言っても防げないこともあります。感染源がどこでどうなっているのか、見えないところで思うばかりです。ただ、マスクをしたりすること、よく眠ること、よく食べること等など・・・。いまはそれだけですかねえ。



 4月が始まります。人の異動もある季節です。
 入学、入社式、異動それぞれの人生の第一歩をむかえる季節です。今年の春は新型コロナでそれもやらないところも多いようです。それでも、学ぶ、働くことには違いありません。どんなことであれ、できるところから始めて頑張っていきたいものです。
 さて、新型コロナは今後はどうなっていくのでしょうか。これが終息しないかぎり気持ちとしても次に踏み込めないばかりが、二の足をふむでしょう。拡大すればするほど人類の危機ということもいえます。ペストが500年ほどの前の古い話ではないのではと思います。なぜなら、ウイルスは日々の私たちの生活と共存してきたからです。これまで、ウイルスが人類に危機的状況に陥れてきたこともあったのだと思います。それは、ウイルスが危機状況をつくる以前に人間が危機的状況を自らつくってきたことへの裏返しのようにも思えます。とりあえず、無理をしないようにしたものですが、どうなるのでしょうか。
 どんな4月にするのか・・・。
 少しでもコロナが終息するといいですがね・・・。そして、少しは明るさがみえる月にしたいものです。
 それでは今回はこの辺でしつれいします。読んでくれた人、ありがとうございました。

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