日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

今年もあとわずか……お疲れさまでした

2013年11月24日 | Weblog


こんにちは……。
 はやいもので、今年も残すところ1か月と一週間となりました。
年末調整の用紙を書くような季節です。
寒さも日々、本格的な冬がきています。かぜなどかからぬようにしたいものです。
 今日も朝、多摩川の散歩に出かけてきました。寒さのなか、釣りをしている人をみかけました。好きなことをしているときは、寒さも忘れるのかもしれません。人間は、寒くても、好きなことには耐えるようにできいるのかもしれません。
 だれにでもきっと、身に覚えがあるのでしょう。
 だれにとっても「遊び」は明日への英気ををつくる源になるのでしょうか。遊びに「苦労」という言葉より「楽しいがまん」といったほうがいいかもしれません。


 さて、今週いちばん世の中をにぎわせていたのは「特定秘密保護法案」が連日、国会で審議されていました。国会の外では市民、ジャーナリスト、作家、弁護士などがこの法案に反対を声明していました。よほど政府は機密にしたいことが多いのでしょうか早急に成立をしたいともくろんでいました。

 国家はたくさんの秘密をもっているのでしょう。それが市民の前に出せないのは意味があるのでしょうか。知る必要もないことは「秘密」にならないだろうし、知って初めて「おかしい」部分もわかるのだし、そのことによってより政治がみじかなものになってくるのだと思います。
 「特定秘密保護法案」では、できるだけ権力者が政治を市民から引き離そうとしてるように見えます。その結果、市民が内容にかかわらず、命令されるままに政治が機能するような恐ろしいイメージが浮かびあがります。

 ましてそうなると、ジャーナリストたちが命がけで集めた真実を市民に報せることができなくなってしまうのではないかという懸念もおきてきます。私たちは、権力者が税金などどうやってをつかって政治をしているのかということなど知るためには、新聞やテレビなどいちばん身近な報道でしか知らされませんし、情報を入手できる労力も立場にもありません。それを、なくそうなどというのは、やはり「オカシイ」法律である…といわねばなりません。

 新聞には「治安維持法の再来」などという見出しもあります。究極にはそうなるのでしょうか。いま、まさに、国は市民にむかって情報の「鎖国」をつくろうとしているように思えます。知る権利が犯罪になってしまう……ということはなんとも創造しただけで恐ろしい気がします。
 「監視社会」という言葉を耳にします。あらゆる行動が監視されているということは、その情報を誰かかが得ているわけです。それは「なぜか」。
 簡単です。「命令に従わないから」にほかなりません。では、その命令をするのは大きくなれば、政治権力者になるわけです。ということは、「服従」が強いられることだと思います。

 最近の与党政治は、それは危険なことばかりに手を出しているように見えます。憲法も変えようとしているおとも、TPP問題についても、いっぱいあります。福島原発も解決されていません。
 開き直って、それを選んだのはみんなですからしかたがないのです。しかし、それらを反対する正当な理由があるかぎり、力で抑えたり、秘密で隠したりするというものに投票したわけではないでしょう。
 「こんなはずではなかった……」とならないように、注意深く追いかけてみたいです。
 最近、こうした市民の前に大きな壁をつくろるような「ロコツ」な法律がまかり出てしました。これは一方では、権力者の危機(何が不明)があるということの裏返しなのではないかと思えます。

 昨日、東京の猪瀬東京都知事が医療法人「徳州会」から5000万円ものお金を借りたそうです。それも選挙前であったようで、これからこのお金にかかわる疑問がでてくるのでしょう。危うくは都知事の選挙違反までになるでしょう。
 これも、もし、秘密保護法案なるものができたら、一度も世にでてくることはなかったかもしれません。違法なのか、合法なのかいずれにせよ、都知事という絶大な権力者がどんな背景で政治とかかわってきたのか434万票という史上空前の投票数にはじない政治をする責任が必要だと思います。そして、政治というものを都民に身近にさせることが大事なことだと思います。


 冬にはいって、風もないお天気のいい日は、ゆっくりひなたぼっこをしていたいと思います。遠くで元気に跳びまわる子どもたちがなによりの温かさのように思えます。
 近くの公園に新聞と缶コーヒーをもって出かけてきました。
 枯れた芝生のうえにゴロンと寝転んで新聞を読んでいたら元気な子どもの声……。理由などなくただ、転げまわるすのむじやきな姿には「無欲」さがうれしくなってしまいます。
 人の世界は、どうしても大人になっていくにつれ、利害関係が芽を出してきます。こんなはずではなかった……のにと自分の思いとはうらはらにこの利害関係はおおきくのしかかってくるストレスでもあるのだと思います。だから、無欲な子どもの姿は、一瞬でも「ああーありたいねえ」と思うのでしょう。

 とはいえ、大人の責任は大きい。子どもは親の姿や言動をみてゆくりその真似をしていくものだと思います。よかれ悪かれ、親は子どもにとっては先生みたいなものだと思います。話し方から、行動パターンまで似ています。自我の確率されるであろう青年までもっていくのでしょうね。
 スマホばかりみている大人には、子どもにとってはスマホが何よりも信じられる機械になってしまいかもしれません。親の言うことよりスマホの方は信用されてしまう時代がくるのかもしれません。(冗談ですが……)
 


 昼間より、夜の方がながくなってきました。静かな夜に本で読んで過ごそうか……と思いきや今月は残業が多いせいでしょうか読書ははかどりませんでした。だいたい、疲れた体には、読書はキツイものです。だいたい、考えられる時間の余裕がないのがいちばんつらいです。
 そんなこともあり、今月は3冊ほどになりました。
 前月からすっかり、藤原新也のファンになり今月も引き続き読んでみました。本当は写真家のですから写真を観にいきたいのですが、もっか本だけですませています。今度は機会があったら写真展にぜひ、足をはこんでみたいものです。

 もう一冊は『世界屠畜紀行』。これはとても面白いものでした。
 実際、自分の前にある肉は、解体され食肉用に形まできれいになっています。今回の『世界屠畜紀行』では、牛、豚、鶏、らくだなど、人間がこれまで食べてきたであろう肉について書かれた本です。圧巻は韓国での犬の肉まで人間によって食べられています。
 大事なことは、犬であろうと牛であろうと、その国の文化がそうさせるのであって、日本人的な文化とはちがうもので成り立っていることをまず理解することが大事なことだと思えた一冊でした。

 そして、動物の解体作業にかかわる人たちの生き様も紹介されていました。動物愛護団体の挑戦、日本で言う差別の問題などがいかに「いかさま」であるかわかってきます。実際は生きている人たちが食べる肉。それをおいしくする工夫がもっと大事なのではないかということもわかってきます。狂牛病、O157問題に対する処対応なども世界ではどう処理さてちるのかということが最も大事なことだと思えた一冊でした。
 
   

◎たとえ明日世界が滅びようとも/藤原新也/東京書籍


・リアリティというものは時に誤謬の中にも、いやその人独自の誤謬の中に生き生きと息づいているものである(p58)

・大金の絡んだ平成の大相撲の「按配相撲」と、星の貸し借りという者のそれを固列にくれべることはできないかもしれないが、大相撲の不詳は、フェアプレー精神や勝つか負けるかの勝敗のみが価値を決定づける近代スポーツ観がこの日本に定着しその一視点からしかスポーツを観戦できなくなってしまった平成の民の心の狭量さとも無関係ではないと思える(p87)

・生きていくための「食い物を作る」という人間にとって基本的なことを他の国にまかせておいて、それが何が入っていたかと騒ぐのは、自分の尻を他人に拭いてもらって汚れていると騒ぐに等しい(p187)

・つまりそれは安全圏の中に住む人々の間のみで消費されている自慰行為にすぎない。ここ数日の経験からするなら、希望言語より人々の心に寄り添ったなげきの言語の方がずっと心を癒すという不思議な人間の心の綾ろいうものがあるということを、希望希望と連発する人々は知って欲しい(p225)

・福島をはじめ世界に大量に飛散した放射能物質が、今後人間にどんな影響を与えるか、結局のところ専門家にもわからない。わからないならば「健康被害は起こりうる」という前提で危機管理に充てるべきだと思う。


【感想】
 読み終えて……、藤原新也の文にはさすがに写真家だけに物事を細かく、人の景色の影の部分みたいな(私には思えだけか)部分が暗示されていて考えてしまう。たしかに、世に写される写真にはそのリアリティーは文章以上に私たちに訴えるものが衝撃的だといえる。
 それを言葉にすると、今、自民党の与党内で原発廃止をいう小泉元首相の言葉とはうらはらに、彼が今までやってきた「規制緩和」はいったなんだったと思う。この規制緩和によって、年功序列から成果主義になり、競争原理は日本の家族型経営からアメリカ型の市場競争原理が経済にはいってきた。

 結果として、使い捨ては物だけにとどまらず人間(労働者)までが派遣社員なるものを育て上げてしまった。それは、まさに小林多喜二作の『蟹工船』のせかいをほうふつとさせる世界をつくりあげた。わるく言えば、企業に奴隷をつくりあげたようなものだと思う。正社員より責任を重くしたり、多く残業をさせたり、あげくには残業代も払わず首にしてしまう「ブラック企業」とまでいわるようになってしまったように思う。

 ……今は正義の味方のような元首相も過去はこんなに悪辣な経済をつくったのだということを片時も忘れるな!といっているような一冊であった。


◎コスモスの影はいつも誰かが隠れている/藤原新也/河出文庫

・人は生きがいというものがる。それはそんなに大したことでなくとも自分の仕事で中でほんの少し気落ちの通うような日常が持てるという、そんなわずかなことで人は日々の生きる勇気が湧くものだ(p133)

・東京のような冷たい、コマーシャルなところでは無神経にならなければやっていけないことはたくさんある(p162)

・記憶に残らないよう日々というのは一体なんだろう。つまり、それは彼女が自分自身で呼吸し、自分として生きていなかったということなのだろう(p165)

・人間の面影はそれの死とともに、やがて記憶の地層深く埋葬されて行くものだ(p224)

・主役は私ではなくて、世の中のどこにでもいる普通の人なのだ。人生は物語の宝庫である(p242)


【感想】
 人は生きている限り、どこかに住んで食事をして、さらに排泄して幸せだろうが不幸だろうが息をして日々を送っているものだと思った。
 以前「私の幸福度」という言葉がもてはやされたが、よくよく考えてみれば「そんなことは人によってどうでもいいじゃないか…。自分がこれでいいと思えば……」という気がした。
 この一冊は、そんなことをいっているような本だった。

 いずれにせよ、他人の幸せなどは自分とはいっさいかかわっていなければ「幸福」などと思わないだろう。


◎世界屠畜紀行/内澤旬子/角川文庫
・命をもらうことへの責任というのはよくわかる。そうなんだよ、罪悪感を引きずるながら肉を食べたり、革靴を履くくらいなら、きちんと動物への責任と感謝を感じながら生活すればいいじゃないの。この考え、私は好きだ(p76)

・ほとんどの人が肉を食べる……。動物をつぶすことから逃れることはできない。それはだれもがわかっているはずだ。なのに、いや、だからこそせめて、ということなんだろうか、動物が死ぬ直前まで苦しまないように活動する動物愛護運動は、動物の命を戴くことを正面から受け止めきれずにあがいているようで馴染めない(p129)



【感想】
 私たちが生活するうえで、食物の「肉」というものはとても大きな位置をしめています。肉は、日々からだの筋肉ををつくっているプロスポーツ選手を筆頭に私たちの生活を豊かにしている生活必需品といっても過言ではないと思える食材だ。
 でも、それがどうやって、食卓にでてくるかを一度考えてみる本がこの一冊であると思う。

 しかしその肉をめぐって、文化の違いで差別に利用されたり、宗教上で神への感謝をする行為であったりとさまざまな内容が含まれていることを考えたことがあるだろうか。
 まぁ、「うまい」と思ってしまえばそれまで……。
 うまいというなかにこれほど文化のちがいがあるものはないのではないかと思える。

 たとえば、韓国では犬の肉を食べる……。国内ではそれが当たり前になっておるのに、かたや日本では「ちょっと、ネ」となるだろう。そんななかで心の葛藤があり、ながい歴史の中で当たり前になるまでどれほどの差別があったことか、さらには紛争の種になっやりと長い歴史があったということは事実なのだ。

 そんなことを思うとありがたく戴くのがあたまえ、というのが著者のご意見だ。わたしも、気にせず肉をおいしく食べてきたことにあらためて感謝する一日が増えたように気がする。
 牛であれ、豚であれ、ヤギでも肉に感謝する日ができたことに大変ありがたいと思える。

 ……という話しである。ちなみに東京の肉は必ず、芝浦場で食肉用に解体され市場にでてくる。そこに働く人たちことも丁寧に書いてあってひじょうに好感がもてたように思う。
 食肉が口にはいるまでしばし考える一冊です。1回読んでみると、きっと肉もおいしい、と思います。生きた動物を殺し(切る)、解体し、食卓に並べられるまでを、最初から追った作品でもあり、おもしろい。


 ことしのブログは今日をもって、「閉店」でーす。  
 一年間、よく耐えて読んでくださった人、ありがとうございました。(^o^)/~~


 理由は仕事の都合で「閉店」となります。師走はネコの手もかりたいくらいの忙しさで日曜日もゆっくり休みます。
 そんなわけでみなさま、今年一年ありがとうございました。
 昨年より、今年は妻もちょっと元気でいるのはなによりです。これから12月にむけて仕事が超忙しくなると思うと気が重いのですが……まあ、仕方ないでしょう。
 来年は「新企画」を考えていきたいと思います。さて?何にするか来年のお楽しみにしておいてください。


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おまけ:月末には、今年最後の山歩きに行って来ました。


 今月末の休日を利用して、またしても「奥高尾山歩き」にいってきました。
 さすがに、この時期は朝は寒いですね。夜明けは電車のなかでむかえるという早起きでした。それでも、私の歩くのが遅いのでしょうかね。陣場高原下から終点の高尾まであるくとしたら、京王高尾山口につくのは暗くなってしまいます。単独で日帰りでの山の夜道は動いている方が危険です。まして、骨折でもしたらその場を動けず、圏外で連絡もできず……となれば凍死となります。
 これはさすがにまずいので、いつも小仏からおりて帰ってきました。

 それにつけても、毎回同じでバリエーションの少なさに反省して帰ました。同じ高尾でも、まっとバリエーションがあるのですが、私の怠慢でしょうかまたしても、テレビドラマの水戸黄門みたいに永年マンネリでした。
 しかし、このコースは歩きなれた山道……。何も考えず、危険な場所緒熟知しているので安心できるからでしょうか、前回も今回も同じコースでした。これで、今年7回とも同じコースでした。

 まあ、毎回行っていても季節ごとに変わる景色と同じで危険度も四季おりおりに違います。春はぬかるみ、さらには動物(特に野生さる)の危険、夏は雷雨、虫さされ、秋から冬にかけては寒さ(凍死)……などなどです。
 全体を通じてその危険からできるだけ遠くにいるためには、一番大事なことは時間的な余裕と季節ごとにもっていく装備でしょうか。
 きっと毎回同じ山にいっていても楽しみ方はきっとあるはずです。次回はそれを探しながらいきたいと思います。




 この日、帰り道でみた山や町は紅葉していましたよ。きっと11月下旬が紅葉のピークだったでしょうか。いずれにせよ、もう紅葉も終わりのようです。
 来年は低山のバリエーションも増やそうと思います。また、絶対に来年は雲取山にも行ってみたいと考えています。けがのないようにいきたいですね……。


*読んでくださった方、一年間ありがとうございました。・・・・~~~ヽ(^◇^))))))))))))))

寒さがきびしくなってきました

2013年11月17日 | Weblog


 こんにちは。
 日々、寒さがましてきます。朝起きも「めんどう」な季節になってきました。この、寒さにうっかりしているとカゼなどをひいてしまいそうです。
 多摩川の散歩道には、さすがに虫たちもいなくなりました。それでも、ときおり、赤とんぼが飛んでいたりしているのを見たりすると、季節という電車に乗り遅れたのんびりした虫もいるんだなあ…おもしろいものだと思えます。
 平日、起きてみてもまだおひさまが昇っていません。運がよければ、東の空からゆっくり姿を見せるおひさまをみることもできるくらいですから寒いわけですよね。
 この時期は、温かい食べ物はもちろん、温かい洋服、陽だまり……と温かさにひきつけられる日々です。そんなスポット求めて、行動しているような気がします。私のぬくもりのスポットは、家族はもちろんですが、散歩では道では多摩川の橋の下の芝生の上です。風をよけポカポカになります。
 残念なのは、平日いちばんいる仕事場ではあまりきがつかないようです。

 さて、今週は……。
 昨日、サッカー日本代表がオランダに2対2の引き分けで終わりました。
 この試合では、前半戦は「今回もこんな形で負けるんだろう……」と思いつつ見ていました。後半戦は見ちがえるほど動きで、はやいプレスと速いパス回し……これが日本の本来の形を見たような気がします。2点目の本田のシュートは圧巻でした。流れるようなパスが際立っていました。相手のディフェンスの間をぬいてきれいなシュートでした。
 来年のワールドカップの形が見えた試合に思えました。

 フィリピンでは台風30号に襲われ記録的な被害をうけました。
 台風30号は中心気圧895ヘクトパスカル、高潮は6メートルとなりカゼも強くおおくの住居を破壊した。約1千万人が被災し、死者1万人を超すともいわれています。
 今回の災害であきらかになったことは、これまで、日本の企業援助などは工業開発に多くの投資をしてきたが利益を得てきたわけだったが援助が自然災害にむけてのものはなかったということでしょうか。援助してきた企業の工場が破壊されたとき、企業は撤退すればすむが、そこで働いて生活する人にはとってはそこが明日も生きる場所だということが考えさせられました。

 最近、アジアの天候がおかしい気はします。台風などくれば、これまで以上の強力な台風をつくりはじめたようです。日本でも伊豆大島でおきた被害も同じでしょう。
 これからは、自然災害への援助も併せてしなければ「援助」ではないことがはっきりしたように思えます。
 日本は地震大国……。今回のフィリピンの被害は日本の東日本大震災と同じだと思います。ちがうのは、日本は原発の被害の影響が何十年もつづくということくらい。
 さて、私のできること……?。正直なところ、逃げることくらいでしょうか。

 「秘密保護法案」というものが世の中を騒がしくしてきています。
 「秘密」ってなんだ……、と思うと、今までにいっぱいあるだろうな、と思えます。ここでいう「秘密」とはわたしのヘソクリなどとは影響がケタ違いの「秘密」なのだろう。
 例えば原発の「安全神話」という中味は「秘密」だったからこんな大災害になってしまったのではないかと思えます。その「秘密」があきらかになったら多くの人は、原発をもっと理解しことの重大性をもっと知っていたら、いま起きている放射能災害は防げたのではないかと思えます。
 しかし、現実はこれが「秘密」になってしまって結果、今があるののではないのでしょうか。
 人の生命にかかわることは本当に「秘密」でいいのでしょうか。
 だいたいこういう法案をだしてくるその時代の権力者は、政治の中味を「秘密」にしておきたいから出してくるのでしょう。じゃ、何がそうなのかもっと明快に報道されるべきだろうし、後になって「あの時代の歴史は間違いだった」で済まされては困ります。
 
 そんな思いでいたら、「シルク・ウッド」という映画を思いまだした。
 内容は、核の危険性を訴え、労働条件改善を求めていた最中、謎の事故死を遂げたカレン・シルクウッドの実話をM・ニコルズが映画化。事件そのものよりも、シルクウッドというひとりの女性の生きざまを主軸に据えた作品。(映画評抜粋)
 この映画は自分の働いている職場が「何か変」と思い、主人公が労働組合をつくり、会社にその内容を問いただす映画だったように思う。結局、真実にたどりつくまえに交通事故で死んでしまう。

 映画では「秘密を隠す人」それを多くの人に伝えようとして「本当を広める人」の戦いの映画だったと思います。その一人の女性が謎の死を遂げてしまうことがまさに「秘密」であったように、秘密は秘密を雪だるま方式につくり、結局多くの本当が言えなくなってしってしうまう社会がくるように思えてしまうのは考えすぎでしょうか。
 
 新聞の報道では多くのひとが「反対」をしています。
 それは、これまでの歴史の教訓がそう動かしているからでしょう。
 ちなみに、昨年の今月、民主党の野田首相は自民党の安倍総裁におされて結局、国会を解散を決意した。それから、なにか歯車が逆回転していっているように思える。
 

 寒さが身を硬くします……。
 寒いとどうしても外に出かけにくくなります。
 それでも、公園には、子どもたちが息をきらしつつ遊んでいる姿は楽しそうです。傍らでは、親がその姿を見守っています。子どもと親の距離が、公園から少しずつ遠くなっていくのが、楽しさを倍増する条件のように見えます。
 最終的には、子どもは親の手の届かない遠いところで、本当の遊びを覚え自分の体に楽しさをつくります。子どもには、生まれたきたときの幸せよりも、生きていること幸せを感じななけれなならない成長しないからだと思えます。そして、親となっていくのでしょう。

 どこへ行ってもこの時期は、紅葉にあうことができます。
 近所の公園の道でも紅葉のしたで人が利用しています。都会の公園はとことん整理されていています。それだけ、人間の手が入っているということです。
 最近、アメリカのデトロイトとう町のドキュメンタリー番組をみました。
 このデトロイトという町、自動車で有名な町でした。ところが、不況のあおりで町の主要産業の自動車工業が撤退。そのことによって町の人口は200万人から約70万人に減ってしまいました。その分、市では税収が減りますので、公務員の削減があり、市の管理する公園がことごとく廃墟のような公園になり、人がいかなくなると荒れるいっぽうでした。廃墟となり、犯罪も増えているとのことです。いったい、どうなってしまっているのでしょうか。普通に働いていた人たちが路頭に迷っている世界経済の重鎮、アメリカの本当の姿を垣間見たような気がしました。

 なんとも人間がやることは自分勝手なことなんだ…と思えました。
 日本でも今廃墟となっている町があります。原発の放射能の影響で村を離れた人たち。これは経済的な影響ではなく放射能によってまねいた現実でした。
 よくよく考えてみれば、これも経済優先の結果であったのかもしれません。


 最近、気になる報道があります。
 それは難病患者をを支援する国の制度が変わろうとしている…という報道である。「医療費助成の対象となる病気を56から約300に増やす一方、自己負担がなかった重傷者にも年収に応じた支払いを求める。患者からは負担増への不安の声や、治療と日常生活の両立の後押しを求める声が上がっている(11月16日/朝日新聞)」というものだ。

 簡単に考えれば重傷者の負担を増やすということは、軽症者の負担はより増えるということだろう。これまでの支援がなくなれば、継承者はさらに負担が増え、治療もできなくなることにストレスをもち、さらに悪化させるのではないかということではないかと思う。収入から、これまでの医療費を支払うようになると、あきらかに薬代などは高くつく。
 支援する病気を増やすのはいいが、そのための医療費支援をなくすということは、現在の病状をさらに悪化させる可能性は大きいと思っている。
……ちょっと、心配だなと思えた。

 はやいもので今月も残り2週間。そして1か月で今年も終わりである。
 また、師走の繁忙期をむかえる。寝て、起きて、働いて……の繰り返しのと生活が待っているわけだ。それでも、元気に働けるだけいいのかもしれない。

 思えば、妻が難病と診断されたのは一年前の今月の話しである。病院をあちこち回ってやっとたどり着いたと思ったら、即入院だった。それでも、先生方がとても丁寧に説明し治療が続いた入院には少しずつ「不安」がとりのぞかれた。やっと、落ち着いたのは年末なってしまった。仕事帰りに見舞いにも行った。幸い、病院が近くてよかった。特殊な病気なので、全国からきて入院している人もいた。

 それから、試験外泊などを繰り返しやっと退院したのだった。
 あれから一年がたち、今では徐々に回復してはいないのだろうが「再発」をしないような日々になった。担当先生もこれが限度で、再発がないようにするのが大事なことだと……。それでも、一緒に生活することがこんなに大事なことだと思った一年だったように思う。いつも「無理はするな」といっているがないか危なっかしい気もするが、こうして今を迎えていられることが大事なことなのだな思う。

 忙しくても、こうして健康で働けることは何はなくともいいことではないかと思っている。そんな気がする。
 では、また来週です。
*読んでくださった方、ありがとうございました。


ポケットに手をいれて……歩けば

2013年11月10日 | Weblog


 こんにちは……
 寒くなってきました。私にとっては、わかっていたこととはいえ、体がいたくなったり、むかし骨折した足がいたくなったりと痛みがでてくる時期でもあります。
 さらに、散歩をするにも寒さをふせぐために体中によろいをままとうように服をきます。こんな季節になっていくと思うと気が重いですね……。
 みんさんにとっては冬はどんな季節になるのでしょうか?
 とりあえず、カゼにかからないように生活したいものです。

 今日、地震がありました。
 被害はないものの、大きな音がしたと思いきや本棚から、本が崩れ落ちていました。だらしのない生活がばれてしまいます。
 
 震源地は茨城県だそうです。あいかわらず日本は地震が多い国ですね。「津波の心配はありません…」とラジオでいっていましたが、原発の放射能漏れはどうであったでしょうか。
 最近は、地震で原発の放射能がどうなってしまうのかが心配になります。今、廃炉にしている原発も多くの放射能は絶滅されたわけはないかのですから、なおさらです。停止されている原子炉も冷却ができなければいつ爆発がおきてもおかしくない状態のですから……。
 いつになったら「安心」は取り戻せるのでしょうか。

 さて、今週全国で食材偽装が告発されました。ホテル、デパートの食堂でも偽装商品が多くの胃袋をだましてもうけていたということが報道された週でした。ということは、多くの人は「おいしい」と思いつつ食事を楽しんだということです。これは、そんな時間をもったのですからだまされたしても有意義な時間だった思います。むしろ問題なのは、その後のことでしょう。
 「本当は高い食品でもなかったのに払わされた」ということでしょう。

 こうなると犯罪です。人がまともに働いて稼いだ給料のなかからちょっと高い食事を奮発してがんばったのに、その一部を食事代としてだまされたのですから。労働者が日々仕事をして稼いだお金ではないのですからなおさらです。
 「詐欺」のようなものです。どうしてこんなことが起こるのでしょうか。
 会社が安い食材をてに入れて、値段以上の支払いをしていたのですから、会社は利益を得るでしょう。その利益をあるために消費者をだました、ということですから立派な犯罪です。

 いつもだまされてばかりの消費者が今回もだまされたということでしょう。
 国の指導はいったいどうなっているのか……ね。
 秘密でしょうか。
 それにしても、そこで働いている人も信じられなくなってしまうから恐ろしいことだと思います。そんなことも知らずにまじめに働いて人にも会社はだましたということです。

 以前、会社の内部告発をしたドキュメンタリー映画をみたことがあります。
 「雪印」でしたか。結局、仕事をほされて失業、倒産した社長が再建にむけて働く姿をとった映画でした。内部告発をする人が、偽装した会社よりも多くの犠牲をはらってしまった映画でした。
 それが、またくりかえしただけでしょうか。


 今月、町の境内を子どもたちがおめかしをして両親や祖父母までまきこんで七五三の参拝に来ていました。子どもの成長を誰よりも歓んでいるのは産みの親でしょう。父母が親となった瞬間この日が来ることなど想像もしなかったでしょう。一日一日成長するわが子の背中を見つめて必死だったでしょう。
 かく言う私もそうでした。子どもの成長は本当に早いものです。その分、親は年をとり、少しずつ死に近づいているのですが……。
 それでも親は子どもの成長を歓んでいるのです。それが親というものではないかと思います。

 しかし、今は子どもにとっては児童虐待、いじめ等など厳しい世界になってしまったようです。
 その昔(明治のころ)、外国人が日本滞在記(題名は忘れましたが)によると、日本の子どもは親や近所、さらには町の人たちに大切にされ育てられ生活した時代があったそうです。「子どもは国の宝・未来への希望」という言葉が一番強く表された時代だったでしょう。
 
 事実、子どもの遊ぶ姿は、大人たちににとってはこころなごむ時間であったのでしょう。「私も昔はこうだった……」と思い浮かべる象徴だったのだと思います。いまや、子どもは時代が違うと、宇宙人のような者のようになってしまった感があります。これも、還してみれば社会と大人の身勝手な育て方がそうそうさせてしまったのではないかと思います。
 子そもは風の子……育てや、北風に負けずに走れや、北風貫太郎……ってね。子どもは大人の真似をしながら大きくなっていきます。だから、大人が一番の教師なのだと思います。さて、どうでしょうか?


 椅子にすわって新聞読んでいるおじさんがとてもいい。子どもに振り回されているのと対照的で、ここだけゆっくり時間が過ぎていくような感じがよかったのでシャッター切ってみました。

 



 朝、地震があってドスン!…という音がして何事かと思って部屋にいってみたら、だらしくなく本が棚から落ちて散乱していました。
 妻に言わせれば「いつ、これはゴミになるのでしょうか…」と。
 捨て台詞をいわれて、返す言葉なく、終わりました。

 考えてみれば昨年、妻が調子を崩し、「難病」ということで入院までしてから片付けなど一切しない本棚でありました。それが今日まで続いています。
 「いつか、落ち着いたら整理しよう」などと、私としては考えていたのですが、なんとも「ドスン」という鈍い音で思いついた片づけでありました。
 今でも肩身のせまい本棚であります。

 ……というわけで、とりあえず緊急避難でダンボールに詰め込んでいます。今年の暮れまでに整理して片付けますとの約束をしての避難でありました。
 思えば、これがなかなか問題でもあります。読むわけでもないし、捨てるわけにもいかないし……と思いをめぐらしています。
 そのうち、いい解決方法が見つかるかもしれません。

 私にとっての11月は「何を始める」かはこの本の行く先を考えて行動することから始まります.一冊一冊思いがあり、なにか友だちのような気がしてなごり惜しい一冊もあります。会社にもっていったり、友だちにあげたり……と工夫をしてみたいと思います。
 とにかく面倒くさい……と主思ったら捨てることにします。

 こんなことが最近は多いことに気がつきます。それはそうです。東京に暮らしてともに私と一緒に移動を繰りかえしてきたものです。物であれ人であれ一緒に動いてくれたものたちは戦友みたいなものです。
 そんな気がします。
 遊ぶときも私を楽しくさせてくれた物(登山道具など)、一緒にお酒を飲みにいってくれた人たち、と年末にむけて整理して大事なものはよりたいせつな保管をしなければならないと思えてきました。
 身の周りをもう一度見回してみてはいかがでしょうか。

 寒さもいよいよ本物になってきました。
 無理をかかえて生活していると、その無理からウィルスが入ってきてカゼをつくってしまいそうです。できるだけ、睡眠をとる工夫がいちばん大事だ季節だと思います。「豚のように眠る季節=私にとっては12月」にむかっています。読者のみなさんも、誰に非難されようが、そんな月をもつことをおすすめします。会社のとっては、私などの替えはいますが、家族にとっては私の替えはいないのですから……。

◎おまけ◎

 最近、この一曲が気になっています。好きな一曲です。
 ジーンとくる一曲です。

※詳細はこちらでどうぞ。中島みゆき「ヘット・ライト・テールライト」
※注意:広告が出てきたらスキップしてください。

語り継ぐ人もなく
吹きすさぶ風の中へ
紛れ散らばる星の名は
忘れられても
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終らない
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終らない

足跡は 降る雨と
降る時の中へ消えて
称える歌は
英雄のために過ぎても
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終らない
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終らない

行く先を照らすのは
まだ咲かぬ見果てぬ夢
遥か後ろを照らすのは
あどけない夢
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終らない
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終らない

ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終らない
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終らない


 また、明日から仕事ですね……。あせらず、やっていきたいと思います。いつも「なにか…いいことないかな」と思いつついきましょう。
*読んでくださった方、ありがとうございました。



寒さこらえて生きてます……きっといいことがあるかいな…?

2013年11月03日 | Weblog


 こんにちは。
 朝夕、寒くなってきました…ね。散歩でも木々の葉が色づきはじめ、落ち葉も増え始めました。冬じたくがはじまっているんでしょうか。景色は紅葉し、人々の服装は、えり巻きや手袋が登場し、おかげで電車のなかは着膨れで体がぶつかり合うのもいつもより人数が少ない中でもあるようになってきました。
 思えば、今年もあと2か月ですか。
 思えば、昨年のいまごろは奥さんの入院前の病気がでてきた月でもありました。日々、心配をしつついましたが、病院にいったら「即!入院」ということで大変な年末の始まりの月でもありました。
 そんなことを考えると、11月(霜月)は、寒さが体の表面から内面まで入り込んでくる冬のはじまりの月なのかもしれません。
 健康には、寒くなたにように……基本は温かくが大事なのでしょう。

  

 さて今週は、日曜日にプロ野球の日本シリーズ最終戦で東北楽天イーグルスがジャイアンツに3対0の完封で優勝しましたね。「信じられない」と思っています。有名選手もいるわけでもなく、これといって戦術がいいチームとは思えません。
 思えば、9年前各チームの選手を寄せ集めしてつくったチーム。
 初代監督は中日ドラゴンズの選手でもあった田尾監督でしたね。その年、38勝97敗1分け、その時の首位とゲームさ51.5ゲームと散々でした。26対0で負けた試合もありました。それでも、応援してきた東北の人たち。やけになった時もあったのでしょう。「解散してしまえ……」と思ったこともあったことでしょう。それでも、あきらめず応援をした結果、日本シリーズ優勝となったのでしょう。それも、謙虚に自分たちの弱点を克服しつつ頑張ったのでしょうか・星野監督のシリーズ前の「相手は私の永遠のライバル。胸を借り、頭を下げ、やっつける」でしたね……。
 2011年の震災で多くの人の犠牲がでました。そんななかでもチームは動いていました。今日1敗、今週は負け越しのない勝利をゆくっていった結果、とうとうリーグ優勝。人々の心にいつしか、「東北の希望の星」になったのでしょう。「やれば、できる」と。

  


 スポーツ界とはちがって、美の殿堂日展での与える賞の不正疑惑がまちあがっていました。まあ、○○賞に選ばれれば、その作品は高く売れることもあるだろうから、作者は必死で頑張るのだろう。でも、今回、選ばれるべき作品では、前もってきまっていた。それも、どれだけお金をつぎ込んだか……とうことが発覚して問題になっているのには、鑑賞者としては残念に思えた。
 芸術家も人の子、自分で稼いで食べて生活していかなくてはならない。あるいは、パトロンを持ち援助してもらわなくはならないのだろう。
 でも、選者がいいと思っていた作品は、決して私にとっては「いいな」と思える作品ではないことだけは確かなことと、いうことは忘れまい。


 この時期の山の陽射しは弱いことに気づかされる。木々がこんもりしている山道では午後3時ごろはもう暗くなってくる。歩いていて、こののままだと1時間もしたら真っ暗になってしまのでは……という不安を持つことがある。
 まして、雨が降りそうな午後である。こんなとき、後1時間の予定で行ける最終目的地までがんばるか、それともエスケープして下山するか考えるだろう。暗くなってくると、なんとなく早足になり足もとも見ずあわてた経験があった。真っ暗である。ライトを持っていても一人で照らす灯りは太陽の光の比ではない。
 私は、山の一人歩きは常に「エスケープ=危険からの回避する逃げ道」ができきる予定をこころがけるようにしている。そんな山を見つけることも大事なことだと思う。山によっては、引き返せず行くしかないものもある。自分の体力と準備した食物、水や天気を考えて行動することが大事だ。山小屋泊まり2泊3日の山歩きは常に決断してやれる範囲が大事だと思える。
 日帰りは無理をする必要はない。けがをするよりそのほうがベターだと思う。別に、山に訓練にいっているわけではない。のんびり、楽しく歩くだけなのだから……。そんな山を見つけることも山歩きの楽しさであることは忘れないようにしたい。 


『冬じたく』
季節は逃げていくようだ
葉は
色づき見ごろになると
風にふかれ木から去っていく

雲は
大きな塊が
風に吹かれて
ちりじりになりうろこ雲になっていく
今日も風にふかれ雲も
去っていく

人は
この時期
北風に背をむけて去っていく
誰に
いつ
どこで
新しい人に
あうのか
温かさを絶やさぬように
去っていく

落ちつく場所を探しながら
きっと土と人の肥やしになる
それが美しくなれるものだから
こんな言葉がある
「さようならだけが人生だ」と
忘れてしまっているのは
同じ風はないということ


 この連休を利用してまたしても高尾山歩きにいってきました。
 高尾山歩きはマンネリズムだと思いでしょうが、けっこういってみると同じ山道を歩いているはずのですが「ちょっと」違うと思えます。それもそのはずで景色もちょっとちがっており、季節の変わっていくことを教えているようです。山道も、梅雨時は冬の積雪期では違うように咲いている花もちがいます。ときおり、顔をだすヘビも色も大きさも違います。山は、全体が息をしているようなのです。

 今回で今年最後かな……と思いました。
 冬は、早起きしていかないと予定の全工程は無理だとつくずく思った日でした。陣場高原から景信山についたときは時間がおっていたのにもかかわらず、昼飯が終わったあとあまりにも気持ちがよかったので昼寝をしていたら寝過ごしてしまい、全工程はとりやめ、途中エスケープして小仏に下山しました。
 これは、一人でいっている気楽さでもあります。

 一人で行く、というのはそれなりのリスクはありますがその部分をうまく計画していけばいいということだと思います。
 一年通して、他の山歩きにも行くみも、エスケープできるところまで計画していくことが大事だと考えています。
 


 紅葉はもうちょっとでした。
 雨がふれば、あと一週間くらいがちょうど見ごろだと思います。杉林ばかりから遠く落葉樹の木々を眺めると高尾山でも紅葉はきれいです。
 その向こうには、高速道路やビルが見えたりすると残念なのですが、それさえガマンすれば美しい紅葉も見られます。

 山のごちそうといえば、ここ高尾山では景信山山のてんぷらです。日ごろない葉っぱのてんぷらはカラットしていておいしいですよ。あとは、一汗かいたあとのビールです。このときは、水よりもコーヒーよりもうまいです。
 ただ、飲みすぎると下山するまで時間をおかないと危険ですが……
 飲むのが目的なら、ガスコンロで料理を楽しみながら温かい食物がいいですね。餃子や野菜炒めなどできるように運んでやりたいですね。冬は鍋もいいです。こんなときは、何人かで行って荷物を分散させて運ぶしかありません。
 そんなこともあっていいと思います。しかし、みなさん休日は予定がつまっているようですね……。



 3連休はいかがだったでしょうか。
 遊ぶことばかり考えていた休日でもありましたが、できたことは山歩きと映画を家族で観にいったくらいでした。
 久しぶりで家族での行動の映画鑑賞「そして父になる」でもありました。こんなことはめったにありませんでしたし大変面白かった。
 内容は子どもを間違えられた二つの親子の話でした。
 看護師がまちがえてしまった子どもが7年後にわかって、二つ親たちが子ども、人間を育てるとはどういうことなのか気づいて手いく物語であったと思えます。よくいう、「産みの親より育ての親」が本当にできるのだろうか…というテーマであったように思えます。感情があり、育ってきた環境もちがうなかで本当の自分の試されているよう映画でもありました。
 人はいったどう「家族」をもって育てていくのか…というものを考えた映画でした。血でつなげるのか、人間の本質のようなことを育てていくのか…二つの親子が必死で生きていく姿がよかったです。
 時間があったらぜひ観てはいかがでしょうか。
 

※詳細はこちらでどうぞ。そして父になる


 さてさて、また明日からまた仕事が始まります。いずれまわってくる仕事の山……山。全部はできないません。出来ないからこそ人が助け合うのではないかと思います。
 文具店では来年の手帳やカレンダーがおめみえし始めました。はやいものです。いろいろとせわしない季節がやってきたように思えます。

 では、また来週……
 *読んでくださった方、ありがとうございました。