日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

3月が終わって

2017年03月26日 | Weblog

 こんにちは。
 寒さももう少しで温かくなってくる様子です。多摩川の散歩道でも少しずつ花が色をつけ始まていました。渡り鳥たちも動き始めている様子です。
 空ではヒバリが鳴いたり、この時期カラスが巣作りのためか凶暴に見えます。

 散歩の途中、多摩川の新しい橋をけるべく工事をしていました。できた橋はとくみるが、つくっているところを見ることはめったにない(※上の写真)。
 橋は人とモノをつなぐ。工事は老朽化のための工事だろうか、すぐ隣には古い橋も併用している。いつごろ完成なのだろうか。


 さて、今週は月の一度の本の紹介の週です。
 ふり返れば、なんの目的もなく、手当り次第に目の前の本を読んでいたように思えます。本来なら、何か目的があってその目的の一つの道具として本を読んでいろんな知識を得て深くものごとを掘り下げていけたらと思う日々ですが、正直どれも「付きやけ刃」的な読書が多いことに反省します。それでも、一冊の本から、次の一冊へという連携していることは無意識のうちにあるのだろう思えます。

 今回の『動物農場』という作品は、一強多弱の今の政治を表現しているような作品に読めます。誰もがよいと考えて行動し、実行した結果がある日、集団のなかで忖度しつついるうちに代表が思わなくところへ大衆を動かしていく様子があります。という状況は、現在の安倍政権の高い支持率のなかで政治が動いていっている中で「高い支持率とは違う方向に進んでいいて、気がつけばものも言えないほど重大なことになっていませんか」という警告を発しているような小説でした。

 その流れの中で、『日本会議』という新書が登場しています。
 けっきょく権力者は、自分の気持ちと同様な人を囲い込みいいように使い、さらには大衆を支配し、大衆への裏切りをも辞さないようです。
 今、話題の「森友学園問題」の本質は、そこに集まったいる人たちの思想、信条をさぐれば問題の本質も浮き上がってきます。安倍政権を支える「日本会議」という集団を知ればしるほど、今回の「森友学園問題」だけではない、日本のむかっている方向が暗示されています。読めば読むほど、日本会議という団体がめざしている危険性が理解できます。それは、今向かっているような流れだと思えます。ことの本質は「森友問題」という茶番劇に終わらないことがわかってくる一冊でが…(^o^)。



■p61 私は、歴史上著名な人物を主人公にする小説を書くよりは、全く世に知られてはいないが、歴史に重要な係わりを持つ人物を調べ上げていくのを好む。

■p104 時間の流れとともに、人はこの世を去る。私は、辛うじて両氏に会えたことをこの上なく幸運に思っている。

■p148 ~アメリカ領事館に運び込まれたリチャードソンの遺体を調べたイギリス人医師ウイリスの検文書にも、背に大きな傷口が開き、骨まで斬られていると書かれている。これらの記録は、奈良が骨まで切断するほど激しい斬り方をしたことをしめしている…。


 歴史小説で面白いのは、作家がどこまでその内容に掘り下げて資料を読み、臨場感を出すために書いているかということだろう。
 刀傷ひとつから、その刀を持っていた人がどれだけ武芸が達者か否かったかわかるようだ。その史実は誰もがしっていても、その史実に立ち会った人たちがどんな趣味で、どんな日々を送っていたのかはわからない。それを知るためには、年表では語れない。

 吉村昭はそこに立ち会った人たちの生きた時代にかえれない代わりに、そこに残った資料や子孫からその様子を聞き取り、その人なりの様子をよみがえらせ、私たちの前に登場させる作家でもある。
 『史実を歩く』はその内容を書いた一冊。

 一人の人を追うと、また一人の人と会う。つながりの中から次の一冊を書き上げるためのヒントをもらう。そのヒントから、掘り下げていくと、主人公となるうる人物の足跡を全国を旅する苦労話でもある。
 以前、『桜田門外の変』という小説を読んだ背景がわかってくる。すると再読したくなる一冊だと思う。
 読み終えたとき『長英逃亡』という昔から気になっていた小説が読みたくなった一冊でした。
◆昨日、うれしいニュースがありました◆吉村昭記念文学館が開館出身の荒川区施設内に26日 2017年3月14日 19時03分
「戦艦武蔵」や「三陸海岸大津波」などの作品で知られる作家吉村昭さんの足跡を展示する「吉村昭記念文学館」が26日、出身地の東京都荒川区にオープンする。
 文学館は、同区の中央図書館や子ども施設が一体となった複合施設「ゆいの森あらかわ」の2、3階部分に設けられる。文学館のエントランスには、吉村さんの著書の表紙画像を、原寸大で全作品展示。随筆「東京の下町」などの直筆原稿や日記のそれぞれのレプリカなども展示する。一角には、書斎を再現し、愛用した椅子に座ることもできる。入館無料。
 吉村さんは1927年、現在の荒川区東日暮里で生まれ、18歳まで日暮里で過ごした。66年、「星への旅」で太宰治賞受賞。取材と調査に基づく記録性の高い作品を数多く発表した。著書に「関東大震災」、「ポーツマスの旗」、「桜田門外ノ変」、「彰義隊」など。2006年、79歳で死去した。(共同)






【内容】
飲んだくれの農場主ジョーンズを追い出した動物たちは、すべての動物は平等という理想を実現した「動物農場」を設立したが、指導者であるブタは手に入れた特権を徐々に拡大していき……。権力構造に対する痛烈な批判を寓話形式で描いた風刺文学の名作。『一九八四年』と並ぶオーウェルもう一つの代表作、新訳版(ハヤカワ文庫紹介より)。
■p15 そして同志諸君よ忘れるなかれ、諸君の決意は決して揺らいではならない。どんな議論を聞いても道を外してはならない。人の動物たちの利害は共通であり、片方の繁栄をまたらす、などと言われても耳を貸すな。

■p65 忠誠と服従のほうが重要。~規律ですよ、同志諸君、鉄の規律!

■p96 どっちのほうが衝撃だったかもわかりません―スノーボールに肩入れした動物たちの裏切りか、それとも目撃した残虐な懲罰か。

■p98 彼女自身が何か将来の光景を描いていたとすれば、それは動物たちが飢餓と鞭から解放され、みんな平等で、それぞれが能力に応じて働き、強いものが弱い者を守る社会でした。



 社会を動物の世界で描くと、野性的でストレートになるものだと思える。
 とはいえ、権力をうばって大衆をだましていく流れはまさにこの豚たちの様子そのもののようだ。
 ただ、危険に思うのは直接いえない政治の裏腹な形式として『動物農場』がつくられているとう怖さがあるのだろう。
 いま騒がれいる「共謀罪」という法律を思いまだす。表現の自由といっても批判することが大衆の支持を得れば、どうなってしまうのか怖い。



【メモ】
 今回、「森友学園問題」でよくきく籠池泰典氏は右派組織「日本会議」の人間。子どもたちに教育勅語を暗唱させたりしている当の本人。それを信仰する人たちの幹部でもあります。自民党の国会議員のなかにもそのメンバー多い。
4月に紹介します…いまだ終わらず…




 久しぶりの「ひとりボッチ職場」にお客さんがときどきやってくる。今週やってきたのは、同じ千代田区にある某君、30歳。(若い人はいいねえといつも話して思っている…)。やっと試用期間がおわり、自分の担当も決まり営業部員として頑張っていくだろうという矢先のことでしたが…。
 「辞めます…」と。いとも簡単に言われてしまったので、めんくらってしまったことを思い出した。「オイオイ、どうした」
 「自分の考えたことと違っていたからか、違う方向に行きたかったから」とか理由ははっきりしなかったが、なんとも悲しくなってしまった訪問だった。

 「もうちょっと、ガマンして頑張ってみたら…」と思っても某君の意思は変わらず、現在は有給休暇消化だという。
 あまりいいたくないが「なんだ、今の若いものは…」という思いが駆け巡った瞬間でもあった。仕事を求め、正社員にやっとなったのに、こうも簡単にあきらめてしまうことさえ信じられなかった。
 こうも簡単に仕事をあきらめてしまう覚悟が、今の時代なのか。それとも仕事というものをカン違いしてるのか(自分のやりたいことをすぐできるものだと思っているのか)、今回は正直、悲しい気持ちになった。

 仕事は多くの人たちの関わりなかでできてる。いままでその仕事のなかに入って自分でやれる形をつくっていける矢先に…。残念だ。
 人の異動のはじまる4月。正直、こうも身勝手なことでは困ってしまう。
 誰でも、避けたいことはいっぱいある。あの人とは仕事をしたくないとか、この仕事にはつきたくないとか…、きっと、やりたい仕事よりはるかに多いことだろうと思う(私の経験から)。とはいえ、やってみないことにはその許容範囲がわからない。そして、できない部分も不明となり、次に生かせない。反省点もできないでは仕事にならない。そんなところを考えてほしかったなあと思った。



 はやいものだー。もう新年度にはいるのかと思う。
 ぼくが、今の「一人ボッチ職場」にきておよそ2年がたったということになる。当初は「島送り」だと思って仕事をしていたが、時がたつにつれ今の職場の人たちがとてもいい人間に思えてきた。むしろ、本社の人たちよりも気がついて、思いやりがあってよかったのかもしれない。できれば、ここでずっといて、ぼくのやりたこと(もちろんお客さんに相談して)を続けてもいいかもと思うようになった。これはなんという「突然変異」なのだろうと…。

 植物は、子孫を残すために風に飛ばされた種子が芽を出し成長していく過程で多くのウィルスと対決するそうだ。そこで生き残るために、発生したウィルスに対する抗体をつくるそうだ。それが「突然変異」という形を何回も繰り返すうちに今いいる環境にいちばんいい個体をつくりあげるそうだ。
 なんせ、根を下ろしてしまったら種ができるまでそこで踏ん張っていくしかない運命に逆らわず静かに抵抗しているそうだ。
 そして、種子をつくって風や鳥や人間に運ばれるそうだ。できれば、多くの子孫を残すために広範囲に移動したいのだ。そうやって、自分の遺伝子を広げていくという。
 人もそういう形は同じだろうと思う。
今日はこのへんで失礼します。
読んでくれた人、ありがとうございました。


春の嵐になるそうな気配か!

2017年03月19日 | Weblog

 こんにちは…。
 来週は「お彼岸」ですね。はやいものです。これ以降、季節は春らしくなって気がつけば桜が咲きはじめます。
 休みの日の多摩川散歩をしていると、今日はモンシロチョウが飛んでいました。あとは、桜の開花宣言を楽しみにする日々がくるのでしょうか。やっと、温かくなってきた、というところです。
「春はあけぼの」という言葉があるように、春はちょっとぬるめの朝方がいいようです。冬のときよりもいくらかは、小鳥の声も高くなったようにきこえます。

 ところで春はなんでこんなに生物が美しくみえるか考えたことはありませんか。私たちに美しく見える花や鳥たちは実は、春になると熾烈な生存競争を繰り返すそうです。それは、少しでも自分の種を残すためにあらゆる工夫を凝らして生き延びることだそうです。ぼくたちには見えないウィルスに対しての必死の抵抗して種を残すためには、突然変異を繰り返す工夫があるそうです。

※植物たちや動物たちはたえずさまざまな病原体の脅威にさらされている。うっかりしていたら、病気に冒されてしまう。それに対抗するには、病原体に抵抗力のある突然変異を生じたら、できるだけ早くそれをみんなに広めていくしかない。(『春の数え方』日高敏隆著)



 さて、おだやかな春が来るのかなとおもいきや政界は嵐がきそうな気配ですね。とくに、「森友学園問題」で連日騒がれていた籠池泰典がとうとう国会招喚に応じて出席することになりました。自民党も最初は「民間人云々…」で拒否しましたが、本人が自分から「発言したい」と言った経緯から断りきれなくなったようですね。これまでのニュースで「安倍首相関係で100万円の寄付もあった…」というニュースは衝撃でした。ともあれ、来週の国会での喚問は注目されることでしょう。きっと、朝から晩までテレビはこのニュースを流れるのではにかと思います。
 まさに安倍政権とっては「春の嵐」になるのでしょうか。





 今週、封切りの映画を観てきました。題名を「わたしは、ダニエル・ブレイク」という映画です。
 これは、新聞の記事で気になっていた映画でした。いつ、始まるのだろうと気にしていた映画でもありました。監督はケビン・ローチという英国の人だそうです。(ぼくにとって監督が誰であろうといいのですが…)。

 内容は、40年大工をしていた主人公のダニエル・ブレイクというそろそろ人生も終わりをむかえようとしている男。心臓を患い働くことを止まられ、国の支援手当を受けようとするが、「就労可能」と判断されてしまう。しかい、どうしても体のことを考えるとしばらく働くことを休むたいと行動をあとるが。
手当を受けるまでの複雑な制度に翻弄され、たどり着くまでにやけを起こしてしまう。そんなとき、シングルマザーのケイテイと知り合う。ケイテイも国の補償を受けられずいた、それでも、二人の子どもを食べさせるために翻弄する。いつの間にか、ダニエルはこの娘の子どもたちのめんどうをみながら、支援をうける活動を始める。しかし、どうしてもうまくいかず、暮らしに嫌気を指してきてしまう。それでも、お互い励ましあう。
 書類を出すまでがあまりにも複雑で時間がかかりすぎる…。そして、その関係者がちっとも本気に考えてくれない。いったい、世の中どうなってしまったのかと思うダニエルだった。そして、40年まじめに働いて、税金を納めて入り時代はいいが、病で働けなくなると、なんとも冷たい社会なのかと思ったかもしれない。そして、弱者に対しての鞭打つかのような複雑な手続きが壁となる。さらには、そのれをむかえる側の事務的な対応。ただただ、一日の仕事を消化させる社会になっている様子。他人の弱さをカバーをすべく施設なのにカバーするどころではなく、「あきらめる」を待ってるかのような仕組みのなかで働く社会。いったいどうなってしまったんだ…、と思うだろう。



 この映画をみて思い出したことがある。
 例えば、仕事で複写機が壊れてしまったとき問い合わせをする。するとまず初めに「しばらくお待ちください…、問い合わせています」そして、「つながったと思いきや、故障の場合は1番、新規導入の場合は2番、システム変更の場合は3番。いずれかの番号を押してください…」さらに1番を押すと数分間待つ…、「混雑している模様です」というメッセージ、やっとつながった思いきや、「それはこちらではありません」と。主人公のダニエルではないが、ストレスの多い日々であることかと。

 時間がないと「どうにかしてくれ…」と思っていてもますます迷路になっているような仕組みに路頭にくれる。けっきょく、時間も体力もある人しか受け入れないように思えてくる。こうしたシステムの複雑さは本当に必要なのかと思うことがある。本当にこのシステムは困っている人を救うように考えているのかと思うと、いったいどうしたことかと思う。便利さを追求して結果、この現実に翻弄されているのは、本当は弱者であることを忘れているようにも思える。

 とはいえ、ダニエルとってのケイテイがいるように人は支えあうことでどうにかバランスをとっているように思う。そして、映画のなかでフードバンクの場面は心が温めるシーンでもあった。
 これは、まさに日本の起きていた日比谷公園にできた「年越し村」だったようでもあった。

 3月16日の東京新聞の記事にケン・ローチ監督の記事が出ていた。
 この映画は「弱者翻弄する社会制度問う」映画でもあると…。監督いわく「雇用は安定せず、貧困はより貧困になる。今のシステムは、人が尊厳を持った生活できるよう全然サポートしていない。僕は大きな構造の変化が必要だと考えている。唯一の答えは社会主義でじゃないかと思うんだ」と語る。
 さすがに監督らしいコメントだと思う。

 人が「再生」を望むとき本当に必要なことはいったいなんだろうと思えた映画だったようだ。必要なことは、どんなことであれ支えあうことができる関係ではなかったのかとということを語っているような映画だったのではいか。裏をかえせば、現代はそれだけ人と人の関係が希薄で、まじめに働くことに価値や尊厳を失っているのではないあだろうか。
 そんなことを考えさせた映画だったように思う。
……………………………………ときに映画はその時代の「鏡」でもある…ってなことを聞いたことがる。今回の「わたしは、ダニエル・ブレイク」は「鏡」であったような気がします。それに、ぼくは60歳以上で「シニア」であるのでちょっと安くみられるのが気にいっています。
(でも、帰りにいつもパンフレットを買うので同じですがね。そう思うと、日本の映画会はまんざら捨てたものじゃありません。企業努力していると思います。実にいい映画だったように思えた。

【ケビン・ローチ】
1936年6月17日、イングランド中部・ウォリックシャー州生まれ。電気工の父と仕立屋の母を両親に持つ。高校卒業後に2年間の兵役に就いた後、オックスフォード大学に進学し法律を学ぶ。卒業後63年にBBCテレビの演出訓練生になり、66年の「キャシー・カム・ホーム」で初めてTVドラマを監督、67年に『夜空に星のあるように』で長編映画監督デビューを果たした。2作目『ケス』(69)でカルロヴィヴァリ映画祭グランプリを受賞。その後、ほとんどの作品が世界三大映画祭などで高い評価を受け続けている。労働者や社会的弱者に寄り添った人間ドラマを描いた作品で知られる。その政治的信念を色濃く反映させた、第二次世界大戦後イギリスの労働党政権誕生を、労働者や一市民の目線で描いたドキュメンタリー映画「THE SPIRIT OF ‘45」(13)などがある。ケン・ローチのフィルモグラフィーにおける集大成とも言える本作は、2015年のカンヌ国際映画祭では『麦の穂をゆらす風』(06)に続く2度目のパルムドールを受賞した。同賞の2度の受賞はミヒャエル・ハネケらと並んで最多受賞記録である。





『さくら』
さくらの つぼみが
ふくらんできた
と おもっているうちに
もう まんかいに なっている

きれいだなあ
きれいだなあ

と おもっているうちに
もう ちりつくしてしまう

まいねんの ことだけれど
また おもう
(詩・まど。みちお『人生処方詩集』平凡社)より
 



 今週、「経団連と連合のトップ会談で、焦点となっていた企業の長時間労働是正に向けた残業上限規制について、繁忙期などは月100時間を基礎に法定化することで合意した」(東京新聞3月14日付)という記事がありました。けっきょく、あいかわらず残業時間を減らすことにより、仕事のありかたはそのままで残業時間を分散してやるような仕組みのように思います。安倍首相の「働き方改革」とは、どこえまでも企業優先であるように見えます。
 むかし、「国鉄民営化」で多くの自殺者が出ました。それでも、民営化は貫徹されていまがあります。そんな歴史の中でできた今のJR交通です。人柱のなかで誕生したJR○○です。残業時間是正といっても、これまで「過労自殺」の人たちのことをどれだけ考えて「合意」になったのでしょうか。

 これを受けて、過労死遺族の人たちは反発しています。当然でしょう。人の命が軽いようにみえる「合意」です。連合の会長はどうしてこんなあたりまえのことを分からないのかという気持ちでもあります。
 「全国過労死を考える家族会」の代表(寺西笑子さん)は「とんでもない話。容認するわけにはいかない」と批判をしています。さらに、中原のり子代表は「残業を八十時間しなくても命を落とし、健康を害する方がいっぱいいる」と指摘しています(東京新聞3月16日)。

 これが現実なのでしょうか。
 
 さて、お彼岸もあり、天気のいい連休が終わります。今年のお彼岸はいかがだったでしょうか。今週、「森友学園」で騒がしい一週間が始まりそうです。
 桜の花も咲きそうです。
 まあ、ゆっくりいきたいものです。
 今週はこのへんで失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

 

春の声を聴く季節になってきました

2017年03月12日 | Weblog

 こんにちは。
 多摩川では、寒さを感じていますが空を見上げればヒバリが鳴き声をいっぱい響かせていました。川面には小魚が影をたくさんつくって泳いでいました。少しずつですが、春は目に耳に感じられるようになってきました。

 さて、今週は連日「森友学園」でニュースが伝えれていました。春、卒業のシーズンでもあることを思えば、政治が教育をゆがめているような、私利私欲にむらがる人の姿にはあきれてしまう気がします。
 お金を出すよう方は、できるだけ安くあげるために国有地を自分の身の周りの政治家をいかに効果的に使い、あげの果てには校庭のゴミなどはうめてしまうえば「見えなくなる」という手前勝手に進められたものでした。これで、「教育云々」を語るのとはあきれてしまうニュースに思えました。
 それにもっとあきれたことは、このことに首相夫人が関係してことでした。それに輪をかけてあきれたことに、問題が騒がれ出したらホームページから夫人の欄が消されていたことでした。
 作家の松本清張さんが生きていたらきっと小説にもしたのでしょうね。




 はやいものですね。
 東日本大震災から昨日(11日)は6年目になりました。新聞もテレビもこの話題を大々的に放送していました。
「復興」という言葉の中身には、いまだ避難者生活を送っている人たちのことが外にもれているような気がします。以前、首相みずから「アンダーコント―ロールできている」といっていましたが、現実はばらばらで、いまだまとまりそうにないのが現実のように見えます。

 「アンダーコントロール」という言葉は、東京五輪誘致に向けた「言葉」であったように思えてなりません。
 さらに悲惨に思えるのは、避難先での「イジメ」が待っていたということです。なんとも人間とは、あさはかな醜い存在なのだろう思うこともありました。それでも、社会はその人たちとも一緒に生きていくなかればならないことも現実です。

 思えば6年前、大地震が起きなければぼくの会社も移動しなかったはずでした。地震によって「耐久性に問題」が問われ、余震が続く中では危険な状態が続くという観点から移転したのだったように思います。
 そのために、同じ東京都はいえ、川向こうはすぐ埼玉県という距離になってしまいました。これまでの、お客が午前中で終わってした仕事が一日がかりとなってしまうほどの移動時間もでました。そのために、講じられたのが二カ所での仕事の連絡や手配という形になり、いまもそれが続いている状態です。
 被害者と言えばこれも被害者のだろうと思います。
 最近とくにそのことを思うようになりました。地震により、建物にヒビがはいり「危険」ということになって会社が移動しただけでなく、一人ひとりの気持ちに余裕がなくなっているような環境になってしまったかなと思えます。
 きっと、職場では一人ひとり無理をしているのではと思えます。
 
 とはいえ、放射能の影響や津波もなかった地域にいるということは幸いであったのではないかと思うしかありません。
 そして、いまだに「現在進行形」である放射能の処理や避難者対策の今後が大事になってくるのではないかと思い問いつづけることかと思います。
 放射能とは永遠のテーマであもあるのではないかと思います。原発によって住むところばかりはなく、考え方も変わってしまっていることも実態としてあります。そのさえたるものが、避難民対する「イジメ」ではにのでしょうか。いまだに原発を推進、再稼働をしていきたいという政治家がもたらしたこれまでのツケが全部被災者にいっているということでしょう。

 以前にウクライナのノーベル賞作家=スベトラ・アレクシエービッチさんのドキュメント番組がありました。チェルノブイリからフクシマへの被災者を訪ねるもおでした。そのなかで、「国家は人間の命に対して完全な責任を負わないということ…最低限の補償をしあとは、好きにしなさいです。残念ながら人間は未来ではなく過去にすがろうします…そして過去に守ってもらいたがる。しかし、過去はフクシマやチェルノブイリは守ってくれません。大切なことは孤独でも『人間』であることを丹念に続けるということ、『人間』であり続けることそれ以外のあなたを守ってくれるもはありません…」というメッセージが印象的でした。



 一日、一日と寒さのなかから春のカゼもちょっと感じるこのごろになってきました。春は異動・移動の季節。
 だれかれと別れを惜しむ季節でもあります。新天地でもいい出会いにめぐる会えることぐらいが移動のよさでしょうか。あとは、慣れるまでめんどうなことが多くて大変に思える時でもあります。その面倒さがいつか、自分にとって実になる、と思えるからできるものだと思います。疲れるだけでは少しもよくありません。そんなときは、見切りをつくて、割り切ってとでもいいましょうか新しいことにチャレンジして出会いをつくった方がいいのかと思います。

 それをするのも誰彼でもなく、自分でするということを忘れないようにするしかありません。他人に任せていては結局、疲れるものとなってしまいます。
そしてそれがとても「しんどい」もなってしまします。
 いつか、のんびりできたとき「あの疲れはよかったなあー」と思えるものにしたいものですね。
 最近、手術をして退院した知人と連絡をとってみました。仕事はしばらく休む様子ですが日々体力をつくいる様子です。身も心も栄養の補充の季節なのではと思います。
 さて、つとうとう今月も中旬にさしかかってしました。ちょっと忙しい週に入りそうです。それでも、どうにかやれることは片づけないと次がきませんから…。
 今週はこのへんで失礼します。
 春が近いと油断せぬように日々を送りましょうか。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

3月、花粉症が気になります

2017年03月05日 | Weblog

 こんにちは。
 今日(5日)は「啓蟄」だそうで、少しずつ温かくなっていく様子が生き物たちから感じる日でもあるようです。多摩川でも足元には小さな花が咲きはじめています。朝の暗いうちから、小さな生き物たちは自然の温度を感じて、自分らしく生命を見せてくれます。
 温かくなると、花粉症の季節もやってきます。鼻先がムズムズしてきました。クシャミに出始めました…。今年の花粉症は昨年より強い思える日々です。目もかゆく、今年は強いのでしょうか。


 今週の話題は「森友学園(大阪)」のニュースが連日流れていました。問題の一つは国の土地がひどく安く学園側に売られたということで、政治家の関与があったのではないかということでした。それも、首相の妻の安倍昭恵氏が関係者が関わっていたということでした・国会でもどういう経過で学園側に関わっていたのか追及していました。
 さらに問題はこの学園の教育方針が、政治の分野まで関与していたいうこともありました。運動会での選手宣誓では、園児に「日本を悪者に扱っている中国、韓国が心改め、歴史でうそを教えないようお願いします」「安保法制国会通過よかってです」などと言わせていたことが発覚しました。これでは、選手宣誓ではなく、集会の政治スローガンに近いです。まさに、ヘイトスピーチの教育をやっているようなものです。これは、学校よいうより政治結社でしょう。
これはとても怖いニュースです。学校でいわば「思想教育」をしているようなものです。これは問題ありとなっています。


 

 今週、久しぶりに有給休暇を取得してみました。本来なら、1ヵ月に一度月末に使う予定でいるのですがなかなかうまく調整が出来ずに3月に入ってからの取得となってしまいました。日本の会社の有給休暇の取得率の悪さは身をもって体感する日々です。

 月に一度の「山歩き」の目標を実行すべくいってきました。コースは高尾山を中心にした周辺を歩きます。今回も「陣馬高原から景信山~小仏」までの工程です。(毎回同じです)。ゆっくり歩ければどこでもいいのです。
 …とはいうものの慣れたところがいちばん安心なのでしょう。

 この日、バス乗り場は団体のシルバー登山者でいっぱいでした。数十人はいました。バスは一台で満杯です。臨時バスも運行したほでした。ぼくは、その一代目に乗り合わせていたのでした。まあ、これだけの人数のお大人が乗るとバスはすぐに一杯になるものです。さらに、大人も子どもと同様におしゃべりがはな盛りです。よく子供に「うるさい」といっている大人でもこれだけ集まればうるさいですね。(久しぶりの再会。こうなるのも無理のないことかもしれませんが…)。

 ぼくはこんなに多い団体の山歩きは好きではありません。多すぎますね。これでは、早い人に引っぱられるような歩き方になってしまうよう気がしますし、のんびりした歩き方より、全員の歩き方に合わせるようになってしまうでしょうね。それも合わせていくのでしょうが…。
 途中のバス停で彼らが降りた後の閑散としたバスの中に寒さももどってきたようでした。



 

 この時期の山道は、霜が降りて陽ざしで溶けてきて山道がぬかるんでいいることが多いようです。この日も、部分的なところは泥が靴に吸いついて重く感じていました。それでも、まだ寒さのほうが強いのでしょう。道は固くなっています。あとひと月もすれば、道がゆるんで泥がもっと足につようになることが多くなると思います。(ショートスパッツがあるといい)。



 当日は、まだ冬ですからよほど好きな人でなければ山には入って来ないのでしょうか人が少ないように見えました。季節がよくなってくると、山道も渋滞になるようです。人のお尻をみながら登るのは遠慮したいものです。
 当日は、それはなくて遠くに歩く姿を見える程度で、自分の歩調で歩くことができました。カゼもなく日向ぼっこもできていい一日でした。
 昼食時の景信山でも人が少なくて静かなものでした。人を避けて歩きたいものです。

 この日いちばん感じたのは花粉の量が多かったせいでしょうか。クシャミばかりしていやようです。温かさもあるのでしょう。
 そろそろ花粉が多く季節がやってきたようです。以前は、なぜか山の花粉にはたじろがなかったのですが、今年はクシャミ、鼻水が多く出た日でした。抵抗力がなくなったのでしょうか。齢を重ねて少しずつ、以前よりも弱くなった抵抗力を感じた一日でした。
 それでも、体全体からみれば体にいいことをしていると自負していると思います。最近、周りの人たちが病院通いが多い中、ぼくは山に通っているほうがましだと思います。病院で手術をして命を感じているよりは、山でけがをして命を感じていたように思います。


 ぼくが時おり、山歩きを計画しボケーと山を歩いてくる。ときどき、登っているとき思うことがある。「どうしてこんなに苦しいことをしているんだ」と…。思えば、休日くらいゆっくり家でした方がいいのではないのだろうかと反面思うこともある。まして、老体にムチを入れて、あげくの果てに翌日はどこかが痛くなっているありさまだ。そう思うと、翌日に体も痛くならなくて、ましてこの時期である。花粉症を求めているようなことはやめた方がいいのではないのかと思うこともある。

 ならば、違うこととはなにかあるのだろうかと自問自答する。だが浮かばない。いまさら、どこかのグループに「お願いしまーす」というところも浮かばない。趣味といっても、人に教えるほどの中身のある話をできるわけでもない。ならば、単独登山で独り言をいいつつ苦しんでいたほうがいいと。それに、他人を苦しめるわけでもない。苦しむのは自分だけだからいいだろうと山歩きを始めたのだった。

 思えば、山るきは若い時には職場の人も参加して楽しかったものだった。誰かが計画を立てれば、僕が食料をそろえる、てな感じで楽しかった。
 山小屋宿泊や冬の真っ暗な山行も楽しかった。そのころは、どんなに道に迷ってもどうにか楽しくことが済んだ。若さだろうかなあ…。

 いま見渡せば、昔いた人たちは途中で他の会社にいったり、故郷に還ったりと今の職場を去った。唯一、いまでも行けそうだった人も病気のために療養中となった。ふりかえれば僕だけが山歩きをしていた。
 もう、ふり返ってもだれもいない。そんなあきらめもあり一人が多いのだろう。それも、最近は命を確かめるように、自問自答をしながらになった。
 これからも続くだろう。
 最近は、何かをやろうと思う時一人でいくことにしている。自問自答をするために…。たまたま、住んでいる路線に低くて静かな山があってよかったと思っている。自然のありがたみを感じることも山歩きの楽しさである。

 


 町をあるいていると、桜のきに小さな花が咲き始めていました。
 「もうすぐ春」という季節がめぐってくるのでしょう。やっと温かくなってきたとおもいうれしいと思いますが、今月は、東日本大震災があった月でもあります。それから、6年目です。いまだ、福島第一原発事故の避難者たちは故郷に還れないまま暮らしています。今月、一部避難解除が出るそうですが、放射能は目に見えないし、フレコンバックに詰めた奉書能汚染物質は安全ではないようです。いまの強引な解除になにが得られるのでしょうか。
 これこそ、豊洲市場問題のように移転を延期して調べることがいっぱいあるようにおもえるのですが…。今月は「年度末」。なにもかも「年度末」で終わってしまうのでしょうか。

 今週はこのへんで失礼します。
 ああー、来週からまた月刊誌4月号がはじまる。きついなあ。
 読み返したら、誤字脱字がけっこうあるでしょうが、ご容赦を…。
 読んでくれた人、ありがとうございました。