日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

6月も終わり…に考えたこと

2012年06月24日 | Weblog



こんにちは……。
 6月も終わりですね。祝日もなく、連休もとれなく好きな月ではなかったようです。
 梅雨も連日の雨もあり、荷物となる傘を携帯しつつの通勤…。

 最近は降る雨も尋常ではないようでないようで、雷がなり、局地的な豪雨と…いう季節になってきました。
 私も今週、平日、通勤の朝1時間くらいの豪雨があり、どうみてもこのまま出かけたらずぶぬれになるだろうと…という中、出勤したことがありました。
 こんなときはレインコート、長靴は必須アイテムです。しかし、雨がやんだときののことを考えると「めんどう」と思いますね。

 と、いうことで長靴だけで出かけました。
 「長靴をはいたオヤジ」ができあがり、通勤しました。最近、長靴がファッション感覚ではいている女子をみますが、私にはどうも関係ないようで、実用的な長靴です。
 新宿に着いたとたん、雨も小ぶりになりはいてきた長靴が荷物になっていました。
 帰るころは、雨もすっかりやんでいて、周りを見渡せば長靴を履いているオヤジなど誰もいませんでしたよ。この年になると、恥しさより、実用的なほうを優先してしまいます。人は、自分が思うほど気にしていません…という経験があります。

 さて、今週もいろいろありました。
 ひとつに「原発再稼働を問う東京都民投票」が都議会で否決されました。この住民投票にも私も参加したのですが残念です。
 みんな、口を開けば「反対」というわりには再稼働を許してしまう、という現実には、いまだに戦争での原爆、福島での東京電力原発事故を経験したはずの日本にとっては厳しい壁なのでしょうか。
 いったい、その「壁」とはなんなのでしょうか?。それをもっと追求していかなくてはなりませんか……。

 原辰徳巨人監督のスキャンダル。若いころ、やはり男である監督も女性とのいわさはあったことでしょう。それは、監督になる前のこと。スターであることはあっても、そんなに重き立場になかった時代のできごとだったのでしょう。それを、解決するために間の交渉を元暴力団に依頼したからことが重大になってしまったようだ。元暴力団員は「正義」のため交渉したのだろう。それが恐喝になってしまって(一億円を支払う)ことが、ことが大事になってしまったのでしょうか。
 なんにつけ、お金が絡むとことは簡単でなくなるのが通常です。

 国会が延長になりました。今回の問題は「消費税増税」。民主党政権は同じ党内に「消費税」に異をとなえる人も多い。そのなかで大物中の大物、小沢一郎元民主党代表。
 正直、誰しも「増税」は歓迎していない。
 私自身も、「消費税」に反対。まして、増税されれば、中小・零細企業にとっては厳しい環境がさらに悪化していくといいます。

 大企業にとってはたいしたことでもなくても、「増税」は首をしめるものになってしまうものだと思います。
 最悪なのは「消費税」がいつのまにか、本当の論議がみえないなか党利党略の課題になって政治が始まっていること。
 
 まだまだ…あります。
 もう少しでロンドン五輪が開催されます。これは楽しいニュースです。さて、日本の活躍が楽しみです。メダルがからむと応援にも熱がはいりますが、メダルに全然関係ない国の参加の物語を知ると、もっと面白いのでしょうね。
 「参加することに意義がある」ということの意味。
 小さな国から、代表になって、一つの協議にだけ参加した国の選手の物語がきっと、五輪の基本ではないかと思います。そんな、物語りが語られる五輪がいいですね。

※休日の午後。

 ベンチに語ゴロンとする人、友達と忙しく出かける人。公園を散歩していると見かける光景です。
 公園でわたしも、ゴロンとしていると、それぞれの思いを秘めてだかているのでしょうか、公園を交差するひとが通ります。そんな光景を眺めては、いろいろ想像するのもおもしろい時間です。梅雨の合間の休日。お天気であれば、ゆっくり散歩や友達との語らい……していますか。
 そんなスナップの一枚でした。



 今月は「桜桃忌」でした。太宰治を感じて「津軽」を読みました。
 どんな人にも故郷があるように、人の心のなかには、自然がどんなに変わってしまっても楽しかったころの思い出の景色が焼き付けられているようです。

 山岳小説の大ファンで笹本稜平の「未踏峰」も面白かったです。以前、氏の小説「還るべき場所」と同じような山岳小説。

 吉田修一の小説も読みました。若い男女の恋愛小説でしょうか。昔も今もかわらない男と女の複雑な心模様…。人を好きになることは人生にとって何よりも大事な経験。その情景を著者のやさしさがでている一冊です。

 私にとって読書の原点というべき、夏目漱石の「坊ちゃん」も再読してみました。坊ちゃんのシンプルな生き方にまたしても共感した次第。

    

◎坊ちゃん/夏目漱石(新潮文庫)
【内容】
 子どものころから無鉄砲で短気な坊ちゃん。そんな性格を一生引きずって、親の遺産をもらい学校に通い、就職先の四国の学校に赴任する。学生やほかの先生らと巻き起こす騒動。学生らとの暴力事件によって四国の先生をやめて、東京に帰ってくる。それまでの、坊ちゃんの物語。

・喧嘩なら相撲取りとでもやってみせるが、こんな四十人も前へ並べて、只一枚の舌をたたいて恐縮させる手際はない(p31)

・月給は沢山とる、時間が少ない、それで宿直を逃れるなんて不公平があるものか。勝手な規則をこしらえて、それが当たり前だと云う様な顔をしている(p41)

・辻褄のあわない論理に欠けた注文をしててんぜんとしている。しかもこのおれを疑っている。憚りながら男だ。受け合ったことを裏へ廻って反古にする様なさもしい了見は持っているもんか(p74)

・こうして遠くへ来てまで、清の身の上を案じてやりさせすれば、おれの真心は清に通じるに違いない。通じ合えすれば手紙なんぞ必要ない(p148)


【感想】
 私にとって、ちょっと疲れていて、小説の面白さを探したいとき読む一冊でもあります。人生は思い通りに動かない……。そのとき、他人との衝突が起きる。起きても、自分の言うことを信じてくれる人のありかを思い出す。そんなとき、その人が自分にとって一番大事な人なんだと振りかえる。
 坊ちゃんにとっては、清がその人だったようだ。

 最後まで坊ちゃんを慕ってくれた清の墓もつくってあげる……。そんな作品。なによりも、理に反することに素直に反抗することが大事、人間を取り戻す源だなと思う。それが、自分なんだと思い起こさせる一冊です。

◎津軽/太宰治(新潮文庫)
【内容】大変申し訳なく、感想はまた、再読したときにでも……と怠けます。




◎東京湾景/吉田修一(新潮文庫)
【内容】


 「愛してないから、こんな自由になれるね」それでも、お前と一緒にいたかったんだよ」。品川埠頭の倉庫街で暮らす亮介、携帯サイトで知り合った「涼子」と会う。お互いがゲーム感覚で知り合ったなかで本当の恋を成就しようとするが、なかなか運命に翻弄されていく。若い恋人たちの物語を東京湾を舞台繰り広げる物語。

【感想】

 吉田修一といえば、映画「悪人」の原作者。この、映画の中でも携帯電話を使ってメル友で知り合った二人が逃走のなかで、許しあうことの愛とつくっていったのが印象的だった。二人がはじめて会うシーンもよかった。

 そんなことを思い出しつつ読んだ。若い二人が友達や愛についての疑問に翻弄されながら生きていく。仕事、友達、世間のうわさに惑わせながら、「本当はなにが欲しいのか」という不安も出てくる。

 こうして二人は結婚するのだろうか?。わたしにとって、それはどうでもいいと思った。男と女、なんのために二人が寄り添って生きていくのだろうかと考えた。その過程にどれだけ「信頼」をつくるのだろうか…という気持にもなってきた。

 東京という場所で、多くの情報のなかどれだけの「引き合う力」をお互いが作ろうしているだろうか…などと思った一冊であったようだ。

■吉田修一
1968(昭和43)年、長崎県生れ。法政大学経営学部卒業。’97(平成9)年「最後の息子」で文學界新人賞。2002年『パレード』で山本周五郎賞、同年発表の「パーク・ライフ」で芥川賞、’07年『悪人』で大佛次郎賞、毎日出版文化賞を、’10年『横道世之介』で柴田錬三郎賞を受賞。ジャンルにとらわれない幅広い作風と、若者の心情をみずみずしく描き出す筆致の確かさに定評がある


◎未踏峰/笹本稜平(祥伝社文庫)

【内容】


 圧巻の山岳シーン、骨太の人間ドラマ。著者渾身の感動長編! ここで逃げたら、死ぬまで人生から逃げ続けることになる?? ハンデを背負った3人の若者と、未来を手放した伝説の登山家。運命の出会いが、“祈りの峰”への扉を開く。 ヒマラヤを舞台に、人間の希望を描く感動長編! <夢を持て。生きている、ただそのことを喜びに変えられるような??> 自分がこの世界で生きた証として、たとえ名もない頂でも、そこに人類初のアイゼンの爪痕を残すこと??。 そこから得られる利益などなにもない。初登頂の栄誉は、登った者の胸の裡だけに刻まれる。 本来、すべての登山がそうあるべきなのだ。いや人生そのものがというべきかもしれない。 (本文より抜粋)


【感想】

 なんにつけ、世の中は多くの「試練」をぶつけてくるものだ。山に登る…という単純な行動でも、頂上をめざすためには、目指すための試練をつくっていたのだろう。
 

■笹本 稜平
1951年、千葉県生まれ。立教大学卒。出版社勤務後、海運分野を中心にフリーライターとして活躍。2001年、『時の渚』で第十八回サントリーミステリー大賞と読者賞をダブル受賞。04年、『太平洋の薔薇』で第六回大籔春彦賞を受賞。ミステリや冒険謀略小説の他、近年は警察小説、山岳小説の名手として存在感を示している




 小指の筋が切れておよそ6週間がたってから、本当に筋がつながった。
 通院して医者にそのことが確認された週でもあった。
 「今度は痛いかもしれないが、少しずつなばす(曲げる)練習してください。また2週間後来てくださいと……」

 普段は小指の役目など考えたことがなかったが、今回は手は5本の指が満ベんなく動いて役にたっているのだな、と考えた。なければ、ないぶんどこかに負担がかかっていて、その指が強くなっていくのだろうと思えた。

 人の世と同じだな……と、も思った。
 自分ができない分、だれかがその分負担しているのだろうし、私も誰かの負担の一部を担っているのだろうと思う。

 いずれにせよ、これからもリハビリが大変。
 のんびり行こうと思う。

■「けがで治療中の小指の思い出」
 今、手のなかでいちばん汚れている君
 なぜか……
 手も洗ってもいつも仲間はずれにされる
 日々のアカをいつもまとめていた
 それが
 今日やっと洗えることのうれしさよ

 世の中は君のような人がいて
 美しさがはえることを
 忘れない
 いつも
 明日も
 ありがとう



 6月は、読書などぜんぜん記録もとっていなかった。怠けていたのだろう。仕方がない(自分にはひじょうに甘いのだ)

 世の中には、私にあった感動もの小説があるのだろうと思う。それは、何度も読みつづけるもんどあろう。今回「坊ちゃん」はその一冊です。
 友達にこんな人がいい……と思う。

 来月は、もうちょっとましなブログを更新しないといけないなと反省しています。とにかく6月が終わります。やっぱり嫌いな月にはかわりありませんね。
世間ではジュンブライトなんていいますがこんなもの関係ないし……ね。

 また、残業の多い一週間が始まります。まあ、適当にやりますわ。
 6月はお疲れ様でした。7月は、楽しい月にしたいものです。
 来月のブログは今月よりいいものにしたいものです。

 それから、原発に関する本もまた、読もうと思います。

*読んでくださった方、ありがとうございました。



梅雨にはいりました……

2012年06月17日 | Weblog


 こんにちは。
 いま、東京は梅雨の真っ只中…。
 この季節はおそらく7月いっぱいまで続くのでしょうか。毎日、雨ばかりふって体がだるく感じられる季節でもあります。ややもすると、体調をくずしやすい時期だと思います。ここは、一年の折り返し地点、残り半年にとっては大事な体調管理の時なのかもしれません。

 今週、福井県の大飯原発の再稼働が正式決定されました。なんとも、強引・傲慢に強行されたような感じがあります。野田首相は「安全」といって強行したようです。
 一方で「脱原発」の動きを封じ込めようとしているなかでの強行ですから、これからもどんな問題があがってくるのか課題はいっぱいあるようです。

 津波も心配かもしれませんが、日本は地震大国です。津波の前に大きな地震でもきたら、原発がどうなるのか心配です。それが、なによりも一番さきのことだと思います。
 原発の「安全」は幻想のような気がします。『地震でも耐えられる』という幻想…。万が一、地震によって建物自体が崩壊したら、またしても放射能が日本中、世界中にばらまかれるわけです。狭い日本ではもう、逃げる場所がなくなるのではないのでしょうかね。
 
 本当に「生活安定」のためでしょうか。
 不安定要因を一生懸命にやっているような気もします。
 ちっとも福島第一原発事故で放射能の教訓がいかされないような現実です。これまでの人々の節電はいったいなんだったのでしょうか。

 時々、「脱原発」でできることは何だろう…と思うことがあります。
 私になり考えた結果、これまでの便利さから一つ「不便さ」のあるものをつくってみたらいい、と思います。消費電力をなるべくつくらいようにしること。

 例えば、一日中、スマートフォンを眺めていたものを見ないようにするとか…。一億人の人間がやればそれはすごい節電になるのではないかと思います。それでちょっと「不便」になってもいいのではないかと思います。
 一人でできることはたいしたことではありませんが、まとまれば大きなものになります。
 ちょっとしたガマンが大きな力になりますが…。でも、人間の欲望の小箱とでもいえるスマートフォンをつけない、というのは無理でしょうか。
 なぜなら、「安全神話」はすでに崩壊していることは、誰でもわかっていることなのですから……

 もう一つ、今週話題だったのは17年間逃亡生活していた最後の指名手配の高橋容疑者が逮捕だれました。それも、町中のマンガ喫茶でした。このニュースでマスコミは特別報道まで設置していました。指名手配されていた似顔絵の写真とは似てもいなかったのによくぞ逮捕できた…というものでした。
 
 それにしても、容貌がこんなにも変わってしまう人間の顔は変幻自在のところがあります。
 いまや、監視カメラは縦横無尽に設置され誰彼問わず放映されている時代です。うっかり、立小便でもして、カメラに写されて法律違反といわれるのも怖い気がします。

 だいたい、監視カメラなるものが日常に入ってきたのは「犯罪を防ぐ」という大儀名文があったからでしょうか。しかい、一方でプライバシーが完全に監視されてはたまりせんね。「夜警国家」のようになり「密告」が人々の不安をつくるような社会ってえのは、怖いですよ。

 今回のことでつくづく思った次第です。




「写真」
何をみつめいるのだろう
世界では
いまも変わらず
血と涙で主張している

「平和」とは
「正義」とは
政治家が野望をかなえる呪文にすぎない
人の暮らしは
愛する人がいれば
恋を語り合えるひとがいれば
大事にしたい人がいれば
静かに自分の生き方を表現し、説いて
静かな明日をむかえられれば
それだけでいいはずなのに

それさえも写真は拒絶するように
拳銃で差別や服従をおしつけいる
手枷、足枷の重い荷物を背負わされ
追うもの追われるものをつくっている
一瞬でもこの様子を世界中に配信しいていることを知るだろう

ぼくの前にその中の一枚が問う
「平和」「正義」とはなんですか、と
生きることに必死な姿が
ぼくの心に焼き付けられては
思いが地球に埋めつくしていく
そして
ぼくも地球に静かに埋められていくとを願っている写真のなかの一人なのだろう

ぼくの前に一枚の写真
憎しみ、悲しみ、喜び、愛が音になってかなでる日
今日をかたり
明日をつくろうとしている
血と涙が果てるまで
輝く瞳から真実を地球という惑星に住むすべての人間の生きざまをつきつけている

(※世界報道写真展から:今年の写真もけっこう残酷なものが多かったようです。それでも、人がいきていくことを考えさせる写真が多かったように思えます。自然の脅威は人間の知識などはるかにしのぐエネルギーをつくります。日本の東日本大震災の写真もありました。その前に立ってみているとつくずく人間の身勝手さやいとおしさを感じました)








 今年も、恒例になった「世界報道写真展」を職場の友達といってきました。今年の写真は北アフリカの民主化の写真が多かったように思います。
 そして、あいもかわらず、拳銃を持ったもの同士の殺戮が報道されている写真もありました。

 政治の混乱の結果、そこに住む人々は拳銃によって差別され、服従されていく様子が写真からうかがえました。
 強いていえば、あらゆる政治の結果が写真に写されているように思います。
 貧困、差別、服従、抵抗の姿を世界に配信された一枚でもあるのです。
 困難ななかでも必死の生きようと、抵抗しようとしている人の姿には感動していました。求めるものは「真実」であり「祖国の自由」であるのだと思います。さらに、人々の生き様を表現することができる政治ではないかと考えます。

 よくみてみると、ここに展示されている写真は人間の弱さや強さを展示している写真なのだろうと思います。そこで、いった何を感じ、何を思ったなのか、これからの生き方の道を考える風景でもあるのではないかと思います。

 今年で55回目を迎える「世界報道写真展」です。124カ国、5247人の応募の中から報道された写真約170点を紹介しています。大賞には、中東のイエメンで反体制デモの最中に傷ついた息子を抱きかかえる女性を写したサムエル・アランダの作品が選ばれました。中東、北アフリカの民主化運動やノルウェーでの大量殺人事件などが展示されています。日本は東日本大震災の写真もありました。

 そして、夕方これも恒例になったような「飲み会」。
 写真展の感想よりも仕事の話しが中心でした。楽しい時間でもありました。

世界報道写真展 ※詳細はこちらでどうぞ。



 今週、久しぶりに職場の友達と「世界報道写真展」いってきました。日々、世界情勢にうとくなっている私にとっては、とても刺激的な時間だなあ…と思います。最近は、世界のことがフェイスブックやユーチューブによって数秒で配信されてみることもできます。
 その結果、北アフリカ地域の民主化もいっそう進む傾向にあることはわかります。ただ、それが、本当かどうかは、体制化、反体制か、民主主義化、非民主主義かは当事者が判断しなければなりません。近くにそんなことがとても詳しい人がいるとわかるのですが……。

 民主主義は小さな酒場での不満や愚痴から大きなうねりになって、巻き起こってくるのだと思います。だから、友達どうしの話に耳をかたむけることも大事なことだと思います。
 どこでも「小さな声から…」だと思います。あとは、どこまで信用できる人たちを身の周りにつくるかということだと思います。これは、仕事以上に大事な人生の問題になってくることなだろうと思います。

 とは、いうものの日々に追われる人間です。そんななかでも、信頼できるひとを持ちたいものですね。そして、つくろうとすることも大事です。

 「下手のよこ好き」で最近、詩をのせるようにしています。
 自分なりの感動を文字にして、更新しています。
 また、一週間がはじまります。体に気をつけて、梅雨にも負けずいきたいものです。

*読んでくださった方、ありがとうございました。

世の中、晴れ間がみえないです

2012年06月10日 | Weblog


 こんにちは。
 昨日、関東地方は梅雨に入りました。
散歩に出てみると、朝からの雨は少し引いてしまいます。それでも、意を決して出てみると雨の中でもけっこう人が多いのに気づきます。紫陽花も咲き始めていますし、雨音を聞きながら静かな朝もいいものです。ただし、靴は長靴が条件ですね…。

 今週はいろいろ出来事がありました。
 そして、今週のキーワードは「1」「15」「17」という奇数数字です…。

「1」は1年たらずの検証で「大飯原発再稼働」。「15」は15年もかけてやっと無期懲役から無罪をかちとったネパール人の「東京電力女性社員殺害事件」。「17」は17年もの間、逃走していた地下鉄サリン事件の女性の犯人菊池直子氏がやせ細った状態で逮捕された…というニュースが連日話題になっていました。

私にとって、この数字でいちばん気になるの数字は「1」という数字でした。考えてみれば、昨年3月に福島第一原発が事故を起こし、全国に放射能を撒き散らし、大きな被害をつくりました。
 その放射能の危険性がいまだに解決をみていないなか、再稼働とは、いったいこの国の政治は市民の良識をいったいどう考えているのだろうかと思いました。
 それも、夏の節電もまだ実施されてないなか、「電力が足りない」という恫喝とも思える響きがありました。

 また、あきれてしまったことは、東京電力の「電力料金の値上げ」でした。
 それも、今年、社員の一時金は支給しないが来年から実施する…とのニュース。
 これだけ、多くの人に迷惑をかけた企業が、事故に対する反省もないような行動。
 「いいかげんにしてくれ」どこまで、無責任な対応なのだ。値上げするにも、全然反省のない傲慢な行動のように思えました。反発するのは誰だって思うでしょう。

 さらに、これまで巨額の税金が使われたのにもかかわらずだ。まだ、安全性の確認もできていないこともある。
 津波に安全でも、地震でくずれたりしたらいったどうするのだろうか。さらに、あきれたのは「福島を襲ったような地震・津波が起きても事故を防止できる対策と態勢は整っている」と首相が説明していたことだ。
 対策はいいが、事故がおきて、故郷を離れた福島の人たちへの対策が、いまだにできていない。徐洗したところで、洗われた放射能の行方も不明。避難した危険地帯の人たちの保障。また、連日開かれた事故検証で次々に露呈される問題。いずれも解決ができていないのに、こんな説明だけでは信用できないなあ……。

 等など…。この梅雨の時期に、なかなかすっきりした回答がでていない。
 ただ、わかっていることは、事故がおきたらおそいのだ、ということだ。なにゆえにこれおほどまでに再稼働をしたいのか。電力会社の努力もない値上げ、対策もできていない政府の対応、いずれもあきれてしまいました。

 原発の放射能問題はこれからが問題になってくるのだろう?
 何年かたって、その結果、さまざまな放射能による病気がでてきたら、原発の危険ですといっても遅いのに……。地震もいまだにとまっていない。
 東京電力の料金値上げ、原発再稼働など、この国にすむ人々の疑問は、無視されているように思えた。
これからが問題になっているのに。

 また、いま民主党も「危険」な状態なのに。
*……*………*………*……*……*……**……*………*………*……*……*……*
※アメニモ負けずカゼニモ負けず……青空のした元気に野球をしよう!
 散歩の途中、多摩川の野球場で元気にプレーを楽しむ人たちを眺めての一枚。梅雨の合間をかいくぐって野球をサッカーをと、ところせましとがんばる人たちがいいです。青空をバックに今日も一日、奮闘します。




◎オウム真理教による地下鉄サリン事件の菊池直子容疑者逮捕(6/5東京:2375)
 オウム真理教による地下鉄サリン事件で17年間逃走したいたオウム真理教信者、菊池直子容疑者(40)が、殺人、殺人未遂容疑で逮捕された。

 17年間も逃走していると、顔も体も変わってしまうのだ。
 17年前に指名手配されて、町のあちこちに張られたポスターからは想像できない、17年後の容疑者の変貌に驚いてしまった。
 あんなにふっくらしていた顔も、やせ細ってあわれにも見えた。人の顔はぞれぞれの環境によって変わるものだ思った。以前、友達が、会社を辞めて違う職業について1年後にあったときも、依然の顔とちかっていたのには驚いたことを思いだした。
 目つきがだいたいちがっていた。
 生きていれば、その環境によって身も心もいろいろな形にかわっていく。いま、いる私も17年前はどん顔だったのだろうか思った。ただ、いえるのは、それなりの顔ができるものだ……ということだろう。ジジイも変貌するのだ。

◎1977年に起きた「東京電力女性社員殺害事件」で、東京高裁第四刑事部は7日、強盗殺人罪で無期懲役が確定したネパール国籍ゴビンタ・プラサド・マイナリ受刑者(45)の再審開始と刑の執行停止を決定(6/7・東京:2377)

 前月「名張毒ぶどう酒事件」で奥西死刑囚の再審棄却の決定も記憶に新しい。要は証拠なのだが、取り調べの段階で検察側がシナリオを作っていたのか?。
大阪検事局の事件もあるし、事件は会議室でつくられていた…という事件も多くあると思うと、昔の取り調べ、人間のやることだから「差別」もあったという意見も……わかるような気がする。

 日本に出稼ぎにきている外国人は多い。群馬県であったか、ブラジル村があるくらいだから、日本に出稼ぎに来てるブラジル人が放映されたテレビ番組をみたときがあった。右も左もわからない外国人は不安がいっぱいだろう。
 まして、犯罪容疑者になってしまったら、パニックになってしまう。
 やっぱり、横のつながりが大事だろうと思った。会社では縦の関係が多いが、安心でくきるのは横のつながりだと思う。

 今回の判決は外国人にとっても、日本人にとっても朗報だ。
 経済の停滞で、日本人も中国などに出稼ぎにいっている人もいると聞く。
 これが、まったく逆であった場合、日本人はどれだけ外国人に信頼され愛されているのだろうか。

 日本国内にだって、派遣社員や契約社員を外国人のように見ている人もいるだろう…と考えてしまう。世のなかうまくできているというのか、差別の構造がそうさせているのか、弱いものへとむかっているように思う。
 職場でも、いちばん文句をいわれるのは黙って気の弱そうな人、管理職の間では、末端の管理職、自分のことは棚にあげ、文句ばかりいう構造と同じように思う。どんな、ことをいっても最後はこの仕組み……。

◎富士山噴火の対策協発足(6/9朝日:2381)
 富士山の噴火に備え、静岡、山梨、神奈川の3県が8日、国や周辺自治体ら約60機関からなる「富士山火山防災対策協議会」を発足。国は東日本大震災を受けて防災基本計画を修正し、火山による広域災害に備える体制要請。
 静岡県から九州沖の「南海トラフ」で起きるとされる東海・東南海・南海の3連動型地震に伴う噴火が懸念されている。

 小さな記事だが、うなずける。
 日本の火山がおかしい…とはきいていたが、こんな組織ができているとは。だから、やはり原発は再稼働ではなく、停止だろう。
 小松左京の「日本沈没」が注目されているのもうなずける。また、最近は関東周辺での地震が頻繁に起きている。
 いずれにせよ、備えることは大事だと思う。結果、どうあれ、アキラメがつく……。何もやらないよりもいいと思う。
 いいかげんかもしれないがそんなことくらいしか浮かばないし、できないなあ。



 人が人を評価する……ということを、私の会社もいつからやるようになったのだろか。これは、ある意味、いいとは思ってはいない。しかし、何かの査定をつける場合に必要なことなのだろうと思う。

 とはいっても、結局人間だから「好き」「嫌い」という個人の思惑が入ってくるのだろう。極端だが、自分にとっては、親分、子分の関係であれば絶対に身近に自分のいうことを聞いてくれて、すばやく対応してくれる人が絶対に評価がいいに決まっている。

 つまり、評価基準などというものは最後は、自分の好みになる……ということだろう。全員が一つのノルマをよーいドンで速さを競うものであれば、一等、二等と順位がはっきり分かれるからいいが、人の評価はそうはいかないのが現実だろう。さらに、私がいくらよくても、さらに次の人にとっては都合の悪い人にうつっているかもしれないのだろうし……。

 組織ってえのは縦割りの社会……。この縦の関係は命令と実行という関係名だろう。まあ、これが壊れたら会社という組織もうまくいかなくなるのだから仕方がない。それはそれと割り切っていきる社会が会社だ。
 かといって、人(上司)の顔色ばかり気にしていては、いい仕事はできない。かといって、完全に無視することもできない。ちょっとは、おだて、うまく持ち上げて、いい気持にさせてつきあっていくしかないということなのだろう。「社員がうまく、上司を操縦することも大事な仕事」と思うしかない。

 私自身、会社では「ウン、ウン」と素直に聞くが一度社外になったら顔も見たくないほどの人もいるのが正直なところだ。
 だから、正直、本当に評価するという表現は利害関係がある場合は仕方がないとあきらめて、本当にいい人間関係は横のつながりをもっていきたいと思うことが多い。
 で……私の評価は結局、好き嫌いで決めるのが上司の役目だろう。
「失敗ばかりやっていてすいません」の弁ばかりと私の評価は低いだろうなあ。前回も、下から数えた方がはやいというところだった。
 と、いってもそればかりが私ではないといことを、普通に感じさていればいいのだ。

 結局「人物評価」はフィギアスケートの得点みたいなところがあって、採点者の好みでしょうか。最後はそんな単純なところかもね……。
 大事なことは、他人の評価よりも、自分を支えている、自分の評価(いいたい私はどんな人間なのだ)ということが一番大事なことでしょう。
そして、自分に一番正直な自分がもっと大事ことでしょう…と考えますが。



 あじさいの花が梅雨の季節にはなをそえています。散歩の途中、季節の変わり目を象徴している花です。
 いやなことより、美しく、けなげに咲いているあじさいが何よりもえらい!!

 今週もまた、理不尽な人間関係の荒波で頑張るしかないなあ。
 週末の楽しみを思いつつ……

○おまけ○
 2年後のサッカーワールドカップブラジル大会アジア最終予選で日本代表の快進撃には驚きです。今回は強いぞ、と思います。
 次は12日オースラリア戦。アジア大会では、決勝で破り優勝した日本ですが、さて、今回はどうでしょうか。このままのプレーで、リズムをもってやれば勝てるかおしれません。アウウエーだから、悪くても引き分けでもOKでしょう。

 今週も、飽きずに、読んでくださった方、ありがとうございました。

梅雨が近づきました……

2012年06月03日 | Weblog


 日々、雨が気になる季節になってきました。毎日、カバンの底に携帯傘が定位置になっています。そして、出番をいまか、いまか待っているような季節になってきました。
 散歩をしていると、紫陽花の花がもう少しで咲きそうにしていました。
 あまりありがたく季節がやってきたようです。
 しかし、この時季がないと作物が育ちませんし、これまで長い自然の流れのなかで必要不可欠な季節であるのは確かです。
 人間のわがままであるのは知っていても、どうしても傘を持つ手は「めんどうくさい!」という素直なところでしょう。

※散歩の途中で……
 休日には、できるだけゆっくりと町中を散歩するようにしています。
 最近では、鉄筋のビルが多く建つ町中ですが、ときおり路地や横身道に迷うと、こんなふるい箒やさんがあったりします。家は傾いて、新品の箒がぶら下がって売られていました。大きさも、形も、素材も全部ちがっていて、その用途が使いかってによっては重宝しそうなしろものです。

 値段…?。ちょっと高めです。
 やわらかそうな材質で、傷もつけずに、やさしくごみをはいてくれそうな箒でした。電気掃除機のように、全部が全部吸い取ってきれいにごみを片付けてくれのもいいですが、時間があれば、掃除もゆっくりやるときなどは、箒もいいかもしれません。日々の生活のなかで悩みや悲しみがはばを聞かせたときなどは、ゆっくり掃除もしたいものです。
 そんな、箒もあっていいのではないかと思います。
 さて、そんなやさしく、こころの中のもやもやを、はいてくれる人がいるように……。




一日の始まりに……

一日24時間
東から日があがれば
息のあるうちは思いがたちあがり
なんらかの目的が動き出す

自分の思うようにならない一日と知りつつ
後悔を背中において前へ進みだす

そして危険に追いかかけられて進みだす
2011年3月11日
人のそれそれの体に焼印のように
地響きが覚悟を決めさせる
見えない危険に追われ、追い抜き
水に濡れ、空気に刺され
梅雨の空をみあげては
一日の始まりがある

いつの日か
永遠はないんだ
ということに気がつき
目覚めがないことを自覚しつつ
今日も
おきていく……




 今週は、二度、歓送迎会がありました。「人生、出会いと別れ…」の繰り返しとは思いますが、こんなに身近にせまっていたこととは思いせんでした。

 一つは、社内の異動によって、もう一つは定年退職によるものでした。
 どちらも、人の動きがあり、送る人、迎える人、辞める人と会社の縮図をみているかのようです。こんなことを何度と繰り返していく中で、私も定年退職が近づいているのでしょう……。そんな思いがした時間でした。

 人って、多くの出会いと別れのなかで自分の生きる場所(テリトリー)を探しているんだろうなと思います。退職が近づくと、なぜか、人恋しくて、今までぜんぜん口も聞かなかった人と話したくなる、飲みたくなる……ということを経験してきた。それも、いやみな人とがそうなることもあるとききます。
 今まで、私の誘いにもいっこうに耳を傾けなかった人さえ、近寄ってきます。
 やはり、寂しいのでしょうか。こんなとき、人間の感情のいちばん素直な面が顔を出すのだろうと思えます。

 世間では、定年退職した男は、家でもいる場所がないと……いいます。そんなとき、「オレはいままでどれだけの人と語り、付き合って生きてきたか…」ということが反省させられるそうです。趣味も友達もいなければ、老人になり、ふけるのが早いといいます。刺激もないからそうかもしれません。

 日本の会社の悪いところは、人を働かせるだけ働けせて、そのつながりが続かないということだと思います。だから、福利厚生などがあり、それを利用して友達とのつながりをつくればいいのですが、私の会社もそうですが、小さな会社はそんな組織もありません。これが現実でしょう。

 会社の在籍しているときは、縦の関係がはばをきかせますが、仕事から離れると横のつながりがなくなってしまいます。仕事であれ友達関係であれ、ひとは命令と服従(大げさかな)をすぐ、つくりたくなります。それが、邪魔をしている人間関係です。とくに、会社でいばっている上司とはできるだけ避けたいと思うのが人情でしょう。まして、パワーハラスメントなる言葉があるように「いじめ」に近い関係ではなおさらです。そんな人ととは、会社だけでいいのだと思います。そう、割り切って生きていかなかれば疲れるだけです。

 と……思うと、これからは、上司であろうと、年下であろうと、横のつなががりが大事じゃないかと思います。
 去るものは追わず、されど、つながりは残す。そんな思いが残った一日でした。人にとって大事なものは最低限、自分に大事な人たちとのつながりをつくっておくことが大事で、日ごろの努力が問われる毎日だと思います。

 私の場合もあと何年かで、追い出されるほうにいるわけです。そのとき、だれがつながっているのだろうか?。
 そんな、気持になった送別会でした。
 趣味であれ、仕事であれ、他人は自分のそんな姿を見ている人は見ています。だから、わかってくれる人との横のつながりは持っていきたいと思った一日でした。これから、どうなっていくのか?どしたいのか……など。
 自分のできることを少しずつやっていくしかないようです。



 「去るも地獄、残るも地獄」。
 こんな言葉が聞かれたのは、60年安保闘争、三池闘争時代といいます。人生で、自分が自分でありたいがために、いずれにかカジをとり進まなければいけなくなるターニングポイントというときがあるように思います。

 「去るも地獄、残るも地獄」というのであれば、とりあえず、身の安全の確保ということで去ってみることも大事です。また、残っても頑張れる仲間がいたり、信じあえる人がいれば、残ってもいいと思います。
 いずれにせよ、自分がいちばん素直で生きていける人たちを選択して生きていくことが大事なのだと考えます。

 雨が多くなりと、カビがはえやすいようになります。できるだけ、風通しのいいところで、頑張っていきたいと思った6月のはじまりです。
 今月もよろしくお願いします。

 *読んでくださった方、ありがとうございました。