こんにちは。
寒さがきびしくなってきましたね。それも、これまでよりずっとと、思うほどの寒気が日本中をかこんでいるようにも見えます。寒さ対策と思い、マスク、帽子、手袋、マフラーと冬のアイテムを体中に着けて行動していることに気がつきます。まさに、防寒と戦うマシンロボットのようないでたちでもあります。でも、最近では「防寒イコール分厚い」という着方はなくなったようですがね。衣類の化学繊維のおかげで、薄くて軽くて動きやすい衣類が登場しています。
とくに登山用の衣類は、究極の寒さ対策の衣類といえるのではないかと思います。
とはいえ、登山用はお値段が高価であり低賃金のぼくなどには「高嶺の花」でしかありませんがね…。それでも、必要にせまられて求めることはあります。ぼくは季節の変わり目によくやるバーゲンです。そんなときぐらいしか買いにいきませんが…。
さて今週のメインは?。
週末の、全豪州オープンテニスの決勝には感動しましたね。大坂なおみ選手の活躍には驚きました。見ていて、気がつけばどこの国の…というより「大坂なおみ」という選手に拍手を送っていました。プレー中のミスを一生懸命に修正して自分のいつものスタイルを追求していく姿には、まさに修道者みたいにも見えていました。やっぱり、のぼりつめていくことは「自分との戦い」でもあったようにプレーが見えました。こんな感動…思い出せば2011年のサッカー女子ワールドカップ以来でしょうか(感動!!)。いまごろ日本中が昨日の活躍の余韻をあじわっている朝でしょうか…。
インフルエンザも猛威をふるっていました。
今週。ぼくもかぜをひいたようでした。週はじめには病院にいってきました。診断はインフルエンザではなかったのには安堵していました。それでも、体が弱くなたことを実感してした週でもありまいた。インフルエンザ予防といって、手洗いうがいの励行とはききますが、いちばん大事なのは栄養と休養でしょう。この時期はひと波を避け、体を冷やさないようにしていくのが大事な季節だと思います。自分の周りをみれば、近隣からの自転車通勤者よりも電車通勤者の方がカゼにかかったひとが多いようです。カゼのかかる前の体力が大事ではないかと思います。
今年最初の「本棚」です。
毎年感じることは年々本を読む数が少なくなっていくようです。その第一の理由は、本が高いくなっています。とくに新刊書は2000円台という値段が多いようです。だから、ぼくなどは「文庫本」になるまで待っている日々が多いようです。とはいえ、文庫本にならない本もあります。あとは、図書館を利用するようにしています。これも、運よくあればいいのですがなければすぐには読めません。それでも、図書館のネットワークを利用してさがしてもらったりもしています。星の数ほどあまたあるなかで、縁あって今年めぐるあう本もあります。そんなことを思いつつはじめましょうか。
こんなことを思いつつ、今年の一冊目です。
韓国や北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)という国はいまだに「近くて遠い国」の思いが払しょくされていないような気がすします。それでも、隣国であることにはかわりはありません。
いっとき「韓流ブーム」という言葉を多くきいたときがありました。とくに、韓国ドラマ「冬のソナタ」によって、主人公の俳優に熱をあげた日本人が火をつけ役だったものであと思われます。この時期には音楽や舞踏などに興味をもった人も多いと思います。この韓流ブームで韓国まで旅行に行った人も知っているくらい身近なときもありました。スポーツでは、サッカーが相変わらず韓国と日本の試合には熱を帯びています。
応援にワイワイ騒いでいる根っこは、日本が戦争中、朝鮮半島に対する植民地支配の歴史があるからだろうと思います。試合中にいつのまにか日本に支配され、むごい支配をうけたことへの民族主義そのものがまる出しになるのでしょう。日本も負けずと民族主義が熱をもつ試合になるというのは暗黙のなかに了解事項となっているのだろうと思えます。
最近では、日本が朝鮮支配の時代(第2次世界大戦)中に広島や名古屋の軍需工場で「徴用工」として朝鮮人が損害賠償を求めた裁判で韓国の大法院(最高裁)で企業側に賠償を求めた判決がでたことも記憶に新しいこところです。
世界の潮流からみれば、昨年、米国の大統領が北朝鮮の最高指導者・金正恩(キム・ジョンウン)と握手をかわしたことが世界的なニュースにもなりました。また韓国大統領・文在寅と南北国境線上での会談も話題を呼んでいました。北朝鮮が中国との関係の外交も続いているなど…。
とはいえ、昨今では一方では「ヘイトスピーチ」という言葉を多く聞くようになりました。アジア諸国の外交が朝鮮半島を中心に進んでいるようにも見える一方での中で真逆なことをやっているように見えるように思えます。昨年日本政府は「出入国管理法」を成立させました。少子高齢化での労働力確保のために外国人の労働力を得ようという法案でした。これからこの法案によって多くの外国人が日本にやってくることを考えれば「ヘイトスピーチ」は、世界の孤立する日本国を印象づけるできごとだと思います。
そんな中で北朝鮮についてである。日本とは国交がないために時々テレビに放映されるものだけしか印象に残っていないというのが日常だと思う。そこでは、韓国語で日本を批判、非難している光景ばかり目にするだけである。それでも、国内には、朝鮮の学校があるのも事実である。在日二世、三世がいる日本においては、唯一身近な北朝鮮だろう。それでも国交がないわけだから気楽に観光旅行などとはいかないのが現実。
『朝鮮大学校物語』という小説は、朝鮮大学校に入学したミヨンという一人の少女の大学生活をめぐる話。大阪から東京の小平にある朝鮮大学校に入試から卒業までの4年間を描いたものになっている。日本で国交のない北朝鮮の大学に入学するということはどういうことなのか。政治に方向が日本のまったくちがう朝鮮大学というところは一つの国のようにも見えました。
なんだかんだと…文句を言う前に相手の体制を理解して違いをわかっていくことも大事なことだと考えさせてくれる本でした。
※ほかに『苦海浄土』(石牟礼道子著/講談社文庫)や『椿海の記』石牟礼道子・河出文庫なども読んでいました。
『椿海の記』
土や泥がまだいきていたころの道の上には、そのような一日の人生の地紋が、さまざまに交わりながら残っていたのである。馬糞や、荷馬車のわだちや、馬のひづめの跡や、医者の乗ってゆく人力車の跡がついていたりした。荷馬車がこぼしてゆく米や粟の粒や木炭のかけらの間を、ほかの荷馬車に積まれて、びゅんびゅんと青い葉をつけた梢をふり立てながら、まだ皮つきのまま杉の木の檜の荷が通っていく。すると地面には、そのようにそびかれて行った木の跡がすじをひき、青い渋い梢の香りが、馬車の行ってしまった夕闇に残っていたりする。
朝はまた花柴売りのお冴えしゃんの声で明けるときもある。(p76)
■味は代々の歴史。うまければ継がれ。まずければもっとうまい味がつくられていく。味によって人と人や近所がつながっていた時代。
家々の味という不思議に定まっていて、特別上等に作れる家というものは毎年味が落ちるということがなく、もしもその味が変われば、そこの家での婆さまが死んで、嫁御の味になったのだと、だんごをもらった家では推量するのである。だんごのお返しには、翌年の春の八幡さまの祭りのおこわや〆煮や、さなぶりのときのご馳走などを当てて忘れずにお返しする。貰いきりにしては義理を欠くので、お返しはをするために四季いろいろつくったが、面倒ばかりでもなく、結構それで忙しさも潤っていた。(p133)
■いちずな時代は後悔しない自分があった。
家出しようとして、自動車まで用意して駅までゆき、汽車に飛び乗ろうとする寸前をお父さんにとっつかまり、そびき戻されてしまった娘の方に、圧倒的に町内では同乗した。末広の娘たちは、小母さんたちとはひところ異なる反応をみせ、「そびきもどされらしたげな」「すんなら、こん次は、まあだむずかしかろ」(p151)
■ぼくは、人が死んでいくのは仕方がないことだと思う。人にはそれぞれの死に方が運命や宿命によっていつかはやってくる。だから自分の立っているところで考えて行くしかないように思う。大事なことは生きている間にどんなことを思いながら生きてきたのか、ということだと思う。死にたいしては「諦め」が何よりも優先されているように思う。
人間てなぜ死ぬの、千年も万年も生きたいわ…。
千年も万年もかかわって、このように誰かの命と切れめなく生まれ替わって来たのにちがいない。それゆえ、数というものは数えられないもんじゃなか。と父親がいうのにはちがいない。なぜしかし終わらないのか、とわたしは思う。数えられなくても、知らなくてもよいから、終わってくれろ、と石の上でそのときおもっていた。青海苔におおわれた広い河原にも、その真ん中の石の上に、袂を抱えてかがみ込んでいるわたしの肩先にも、川の底を流れてゆくおもかさまの上にも、夢の中の粉雪が、さらさらと渡って行った。(p194)
■生命あるもの同士が出遭いながらこの世は動いているようである。もし、自分がいい出遭いをもとめていたいのであれば、いくつもの人と遭わなければならないだろう。その中には、自分にとって不都合な出遭いもある。それでも、時間がたてば、自分にとって楽しく、美しくなる出遭いだけが残るようにして行きたいと思う。大事なことは、いろいろな出遭いの中で、本当に自分のことを語っているのかとか、これでよかったのかということを考えることではないかと思う。そのことによって、自分の中に大事なことが残ってくることだと思うのだ。あるがままの他人を見て、あるがままの自分がそこにあるようにしたい。
この世は生命あるものたちで成り立っている。この生命たちは有形にも無形にも、すべてつながりあって存在していた。赤ん坊というものはまず、言葉を知る前に、視覚と聴覚と、それから、見えない触覚のように満を持しているおどろくべき全感覚で、他の存在について知覚しながら育つのである。ものごとを在るがままに理解し、肯定するということならば、この世と幼児とは、出遭い最初からその縁を完了させてもいたのである。(P230)
■感想■
この本は「ゆっくり読むこと」と解説で述べていることがわかるような気がする。
熊本県水俣を舞台に幼児期の作者を囲む人たちの日々の生活を描いた作品である。そこには、海に囲まれた人々の言葉が生活と人をつなげていくことがわかってくる。海にたいする畏敬の言葉や関係が語りかけてくる。
子どもは親や近所の老人たちをみながら育っていく。育って行くだけでなく、次への人間をつくっていくことが読めるように思う。
ぼくの子ども時代も親たちや兄弟たち、さらには近所の人たちのかかわりを考えさせられる。
『苦海浄土』石牟礼道子・講談社文庫
■どんな死に方を背負って水俣の人たちは生きてきたのだろうか。水俣病による死は、ある意味では現代文明が強制的に弱者を死においやりながら生きていくてきた形そのものが残っているのではなのだろうか。それは、まるで権力者が自由に人間を人格として認めず非業の死をつくった時代ではなかったのではにか。
水俣病の死者たちの大部分が、紀元前二世紀末の漢の、まるで戚夫人が受けたと同じ経線をたどって、いわれなき非業の死を遂げ、生きのこっているではないか。呂太后をひとつとの人格として人間の歴史が記録しているならば、僻村といえども、われわれ風土や、そこに生きる生命の根源に対して加えられた、そしてなお加えられつつある近代産業の所業はどのような人格としてとらえられねばならないか。独占資本のあくなき搾取のひとつの形態といえば、こと足りてしまうかもしれぬが、私の故郷にはいまだに立ち迷っている死霊や生霊の言葉を階級の原語と心得ている私は、私のアニミズムとプレアアニミズムを調合して、近代への呪縛師としてならねばならぬ。(p74)
■やっと世間の人たちに注目するようになった『水俣病』である。それを解決する方法を政治家に求める市民たちの行動は大事なことである。政治家とのつながりをどこでどう持つか。通常は働くだけで、せいっぱいの非日常の世界となる。
「国会議員さんたちの来たらたぞー」
陳情やデモというものがいかなる形で行なわれるのか、それがどう受け入れられるか、しかと見とどけなければならない。(「昭和三十四年十一月」P99)
■水俣病患者をお見舞いに行って患者の様子を見ていると、死との対面をいやでも見つめることになる。どれをみても道半ばどれも納得していないである。それは、自分自身で見つめられない「死」との対面なのである。
わたくしは彼女のベッドのある病室にたどりつくまでn、幾人もの患者たちに一方的な出遭いをしていた。一方的なというのは、彼らや彼女らのうちの幾人かはすでに意識を喪失しており、辛うじてそれが残っていたにしても、すでに自分の肉体や魂の中に入りこんできてきている死と否応もなく鼻つきあわせになっていたのであり、人びとはもはや自分のものになろうししている死をまじまじと見ようとするように、散大したまなこをみひらいているのだった。半ば死にかけている人びとの、まだ息をしているそのような様子は、いかにも困惑し、進退きわまり、納得できない様子をとどめていた。(「五月」p141)
■感想■
苦海浄土の世界には、海に棲む、魚、貝、海苔。そこで暮らしていたすべての人たちが括られて犠牲になったことにだという。
これを人がするのか…と思える疑いを世界は考えたことだろう。けれどもその悲劇をつくったのも人間であるあることの反省がことどことく書かれている。
生きとし生けるものが背負わされた宿命を地方の言葉でなまなましく語っている。
【駅もかわれば町も変わっていく…よくも悪くもね】
今いるところに引っ越してきて20年。毎日利用する身近な駅もとうとう変わるようです。いまは小さな工事が行なわれいるところです。個人的には変わったところで、「結局は利用者のことはそっちのけで利益優先の動きがあるのだろうと…」と思います。例えば、開かずの踏切の不便を感じていた道路が、電車が高架線になり、踏切が消えたと思いきやこんどは自動車がたくさん通り、なかなか渡れない。そして信号がいつの間にかできている。
以前が、すぐに渡れたところも法律(道路交通法)が人の異動を規制しはじめるということになる。結局は、前のほうがよかったのではないかと思うこともある。そして、いつのまにか産業道路のように自動車が優先になっているようになっている。そんなことの繰り返しである。
駅の完成イメージがでていた。駅がきれいになったがこれからは利用者が前よりも階段を使うようになるようだ。これが便利なのかなあーと思えてしまう。便利ではなくて、利益を生む駅になっただけではないのかということが見えてくるようだ。2020年の東京五輪がどんな町に変容させていくのか…、あまりいい気持ちはしていない。
いよいよ春闘が始まるようである。ベースアップや一時金といった働く人にとっては生活の根幹にかかわる大事な季節でもある。これまで「官製春闘」といわれ、いった労働組合はどうなっているのかということも言われたが、しっかり組合も頑張っている。
不正改ざんの「毎月勤労統計」で明るみになったように政府関係のデータではもう破綻しているようなニュースが多い。信じられるものさえも消えたようだ。一国のデータがこんなにも簡単に不正に扱われいたとは驚きである。驚き以上にあきれているのが本音かもしれない。これで、官製春闘などということになれば、先が見えている。
そして「再雇用契約者」はカヤの外でもある。これがなんとも歯がゆい。
何が「働き方改革」かと憤懣をしている。
そんなことを思いつつ、春闘が始まる。今年はいったい何が出てくるのだろうか・
今月、とうとうメガネが壊れた。
ここ1ヶ月ばかりメガネをかけず通勤していたら遠くのものが全然見えない(当たり前か)。それほど不便を感じることもなかった…。しかし、散歩をしていて遠きが見えずらいことで自動車の動きが見えなくなった。道路を渡るとき、おそらく見えていなかった自動車が突然目の前を横切った。車がきていたことが感じていなかった…。ちょっと怖かった。
やはり、普通の見えるものが見えないというのは「恐怖」だなと思えてきた。ましてスピードが出る自動車である。
メガネ店にいったら、「つくって10年目です」と言われた。前のデータが残っていたので、「同じように作ってくれればいいです」と言われて、「それでもいちよう検査をしてみましょう」と言われて検査を受けた。乱視が進んでいた。それを矯正するレンズをつくってもらうことにした。高齢になり、若いときは違うところが年々、弱くなっているんだときずく。大事なことは、この弱くなったところをいかに自分なりにカバーしていくかということ。
メガネが壊れたことで気づく、体の年齢でもあった。修復可能なものをさがして修復していくしかあるまい。できないものは、あきらめるしかない。
今月も終わる。
今月の更新がなかなか進まない。まとめようにもまとまらないと思う1月だった。
「そろそろ終わりかな」と思うこともある。少しは肩の力をぬいてのんびり町を社会を見た目線で今後も続けていきたいと思う。むずかしいことがたくさんある。
その時々の考えたことを、これからも続けていけたらと思っている。
まとまらないけれでもこんなところで今週は終わります。
インフルエンザがまだまだ猛威をふるっています。のんびりできるところをもとめて、今週はこの辺で失礼します。今年もボチボチ進みます。
読んでくれた人、ありがとうございました。