日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

安全・安心をつかまえるには…

2007年05月27日 | Weblog
 5月も最後の日曜日となりました。早くも梅雨の季節がやってきそうです。毎日、片手に傘を持っての通勤はあまり好きになれませんが仕方のないことだと思います。
 先週ブログの更新をこころみたところ何らかのトラブルか(サーバーの故障か?)で更新ができませんでした。けっこう、ブログが盛んにアクセスされる時間になるとうまく更新できないこともあるように思います。
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 「機械はいつか壊れるもの…」と自分に納得させているのですが、いざ故障となるとあわてるものです。この故障は交通事故や火災など生命に関係するほどのダメージがないのがさいわいだと思っています。
 さて、「安全・安心をどう獲得していますか?」という問いにどれだけ応えることができるのでしょうか。
 例えば、人間には生命保険、建物には火災保険や地震保険、車なら自動車保険など完璧ではないにしてもいちよ「万が一のとき…」のために加入しています。
 しかし、残念なことにこの契約書をじっくり読んだことはありません。大きな文字で書かれたところだけ「納得」して加入しているが正直なところでしょう。また、契約証の字が小さくて読みずらいということもあり、詠まずに納得?してしまっているようなところがあることに気が付きました。そして、年末「確定申告」のときだけこの保険には登場していただき、また一年間はお蔵入り…という状態が続いてと反省することばかりです。
 だから、最近問題になっている「保険料不払い268億円…(生命保険12社2001~2005年)」ということになってしまうのでしょう。要は保険会社も悪いが一方で日々、自分が加入している保険料を自腹で払っている自覚がうすいという自分自身への反省も必要なのでしょう。
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 ところで、自分にとって一番安心できるところがどこですか…という問いに答えるしたら「家庭」というところでしょう。なぜなら、ある程度のわがままを言い合って支えあっている集団だからだと思います。ぼくは、何があってもいまのところ、自分勝手といわれようとなんといわれようと自分自身の発進の地として家族が大切な場所であると思います。その家族の加入する保険が第2の安心のありかのでしょう。その保険のありようがいまいち不勉強なことに反省するばかりです。
 そしてその次には自分が一番多く時間をついやしている職場の安全が確保されるべきだと思います。なぜなら「生活の糧」を得ている場所だからでしょう。
 その現場が危険にさらされるというこては、会社の危機でもあり生活の危機でもある状況になっています。
 例えば、教育現場。「教育3法案」が成立して、教室に市場原理が投入されれば、教育の本質あるいは学問の楽しさなどが消えてなくなっていくように思えます。また、教諭の精神障害が増えているという現実にさらに拍車がかかるのではないかと思います。学校は企業ではないはずなのですが…。
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 「安全・安心」とうのは身近なことをふりかえってみると「危険」にさらされているように思えます。
 安心を契約している保険会社でさえ、つぶれてはもともこもありません。国の借金も増えつづけていることを思うと、やはり政治を身近にしないといけないように思えました。
 先週の更新ができなくなってその対応は?と自問自答していたら、こんな感想になりました。
 ちなみに、更新ができなくなったらぼくの場合はそれでおしまいになります。
 *読んでくださった方、ありがとうございました。

訃報を聞いて……

2007年05月22日 | Weblog
 ツバメの巣づくりが始まりました。また、新しい生命をこの土地でつくり育て、渡り鳥の宿命を背負って去っていくのでしょう。
 一方、人間の社会では、拳銃を所持した人が家族を人質にしてろう城し、その街の界隈が騒然としていました。人質を助けるために警察官が一人撃たれ亡くなり、日本の拳銃により犯罪が少しずつ凶悪になってきたように思える事件でした。
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 さて、ぼくの方はここ一週間は忙しい毎日を送っていました。
 仕事はいくらやっても終わりません。どこかでフンギリをつけ終わるようにしないと自分の体をこわす結果になります。今週、最終電車もなくなるほど遅くまで仕事をした一週間でした。結果としてタクシーを呼び帰宅するというありさまです。ぼくの頭の中がボーとなって何も整理されず日々が続きました。
 それでとうとう、金曜日休みをとりました。
 ふと「過労死」という言葉がうかんできました。実際、1か月残業を100時間もやっている人のことを聞きます。それでは、考える時間をなくし、寝る、食べる、排出するの毎日でおかしくなります。心臓も休む時間がなくなり体力的にも限界です。
人はよくとも悪くとも反省するいう時間が必要でしよう。そこで、自分の働き方に自信を持たせることが大切なのではないかと思います。
 考えることをなくしたとき、人は人でなくなってしまうような気がします。
 僕自身、休みをとってどこかで自分の体をいたわるとう自然な抵抗がはじまっているのでしょう。
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 さらに、先週、入院していた先輩の「訃報」を聞いた週でもありました。昨年、胃ガンの手術をして順調とのことでした。今年、年賀状には「覚悟はしている。その日がくるまで自分のやりたい事をせいいっぱいやるつもりだ。自宅から通院しているので一度遊びにおいで…」と書いてありました。
 その先輩が遊びに行く前になくなってしまった。後悔してももうおそい。
ぼくは今思うと、先輩のこれまでの一緒に仕事をやってきたことが次々に思い出されます。野球の応援や僕が骨折したとき、だんごを買ってきてきて一緒に食べた…そんな思い出が浮かびます。
 そんなことを思いつつ、身近な人の訃報を聞いて、思い出せばたくさんの励ましをいただいて支えられていたのだろう思います。
これで、ぼくの「故人」という人生の引き出しにしまっておく人がいつか、またどこかで思い出すためにしまわれることになる。それまで、僕自身の引出しも整理しておくことにしたいものだ。
 *読んでくださった方、ありがとうございました。

国民投票法案の採決に思う

2007年05月13日 | Weblog
 朝、休みの日にのんびりと公園に散歩にいってみると、水や草のにおいしてくる。このにおい、子どものころ毎日、通学路で田植えの終わった田んぼのにおいだなあ…と思い出した。
 あの時代の初夏の景色が脳裏いっぱいにひろがって懐かしさを感じさていた。自然は夏へとむかっているようである。
 5月の始め、頂いてきたひまわりのタネを鉢にまいたものが芽を出し始めた。
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 自然は若葉の季節とむかっているのが、社会はますます「政治の季節」が色濃くなってきたように思う。
 理由のひとつに先週の「国民投票法案」が参院特別委で与党の賛成多数で可決された。これをもって週明け(14日)に参院本会議で成立の見込みであるという。これで、自民党がいままで欲していた「憲法改正」のもくろみの準備が一つクリアーしたことになる。
 その内容についてはすでに新聞で報道されていたものを読んでみてひとつ納得のいかないのは「公務員と教育者の地位利用による運動の禁止」である。公立学校の教職員は公務員である。その先生が子どもたちに「憲法」の本質を教えることがなぜいけないのだろうかと思う。ひらたく言えば「やめろ!」ということなのだろうか。
では、どこで教えるのかと思えば「国家=与党=中教審」ということなのか。これは、非常に危険…な図式だと思う。これでは、教育ではなくて「統制」である。権力の濫用であると思う。「教育勅語」復活だと思えてしまう。
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 私は、では憲法を本当に変えたい人はいったい誰なのだろうか。5月の連休に安倍首相がアメリカにいったのもその大きな要因であるように思える。
 例えばイラク支援の今後…も話し合われたのだろうと想像する。そのなかで、日本の軍事的な支援をこれまで以上に要求されたのではないかと思う。そのためには「憲法9条」がどうも邪魔になる。どうしても変えなくてはならない。そこで「憲法改正」しかない…とくれば自然の流れだろう。
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 今回の「国民投票法案」でますます身近に思えた憲法である。その一文に「憲法改正手続き」の条文がある。
 『第9章(憲法改正の手続き)1 この憲法の改正は、各議員の三分の一以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を得なければならない。この承認には、特別の国民投票または国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成が必要とする』 とある。
 ということは、いくら騒いでも国会で国会議員の三分の二以上の賛成が必要になってくる。7月の参議院選挙がその目標となっている。それにしても民主党の野党としての機能はどうなっているのだろうかと思う。
 かといってどこを…となってくる。野党がただ野合している集団のように思えてならない。反対をはっきりいってからいけばいいのにどうもそうならない。なにかにえきらない。
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 最近、新聞でおもしろいコラムを読んだ。憲法9条を「自己安穏のための手段と功利主義・護憲派の横行はゴメンだね」(吉田司・東京5月11日)というコラムだ。憲法改正を反対しているのは何も一政党のたけのためではあるまい。その政党を支持してくれた人の声の代表として反対をしているのであって、一部の政党のためだけじゃないだろう。結果としてそうなっているのではあれ、それで平和を追求する方法のひとつだというこだと思う。
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 最近、関東地方に「はしか」が流行しはじめているという。いったいどうしたことか。予防接種はしたのだろうか。流行すれば、大混乱する。社会は忘れていた病気をまた復活させてきたしまった。
 そして時代は「軍国主義」という病気を復活させないよう予防をしなければならない時がきているように思う。
 それにしても「教育法の改正」やら「国民投票法案」やらやつぎばやに数にものをいわせて強行採決している。これって、太平洋戦争にはいるまえに少し似ていません?。
 防衛庁が防衛省になり、長崎の銃弾テロ、さらには「教育勅語」ではないが「教法改正」と、そして「国民投票法案」ときた。記憶のどこかに「東亜新秩序」体制が復活しているののではないかと思えてしまいます。
 これが、考えすぎならいいのですが……。
 *読んでくださった方、ありがとうございました。
 

家族で高尾の山あるき

2007年05月06日 | Weblog
 5月が始まりました。
そして、ゴールデンウィークも今日で終わりです。始めがあれば終わりがあることを再び気がつきました。この何日間新緑と快晴の続く毎日をどんなことをして過ごしたのでしょうか。
 休み期間中に楽しいことがありましたか。
 私のほうはしばし、憲法も仕事も忘れ快晴のなか新緑の風に吹かれながら久しぶりに家族で山歩きにいってきました。
 家族で山歩きをするのは10年ぶりくらいです。
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 しかし、行くまでには大変でした。それは私の一言がきっかけでした。
 「朝、起きられなかったおいていく!」という言葉が家族の激怒にふれたようでいくまでには時間がかかりました。
 私が言ったことは、実際に予定の時間をはずしてしまうと歩くコースを変えたり、歩く速度を変えたりまた、帰りが遅くなって焦ったりしてして非常に危険な経験があるからいったまでで、それほど怒ることでもないかと思ったのですが、あまかったようです。
 この行楽シーズンに山や海で事故が起きる度に思うことは自分たちでどれだけ計画を立てて守ったのだろうかいうことがあります。もっと早く家を出ておけばあわてずせず、事故がおきなくて楽しい山行きになったはずなのに…と思うことが多々あります。
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 さて、家族での山歩きは高尾から小仏まで時間にすれば3時間程度の短い距離でしたが、なんといっても家族で一緒にいくということが10年ぶりくらいということで短かめにしたわけでした。ぼくらの家族はアドベンチャー家族ではありません。のんびり世間話や花の名前を覚えたりしつつ歩くものです。
 山の空気を吸いながらのんびりと食事をする。それだけでいいのだと思います。
 それぞれのゴールデンウィークでした。
 当分こんな長い休みはもう次はお盆の時期ぐらいです。また、その日がくるのを楽しみにしつつ働くのでしょう。
 今年の休みはとても充実して休みであったと思います。そして、こういう休みも必要だなと思いました。
 それから、トラックバックをして下さった皆さんありがとうございます。
 最期にこれから梅雨にはいっていきます。なかなか山るきにいく雰囲気にはなりませんが、今度は山の料理(簡単な)に挑戦してみようかと密かに考えています。
 *読んでくださった方、ありがとうございました。