6月も終わりです。
路地にはアジサイと雨傘、空には梅雨雲、そして大地は余震、さらには海には放射能…と今年の6月はあります。
さらには、遅々として進まぬ、福島原発の放射能汚染水の除去作業…と、なにやら、とんでもない半年がすぎていきそうです。
そして、自然の流れの夏…。今年は、この暑さから今まで通り、逃げるわけにはいきません。原発の事故で電力供給が厳しい状況にあるようです。いま、日本中で「節電」を呼びかけているのもそのあらわれなのでしょう。
でも、夏は好きな季節…それが唯一、なぐさめですか。
さて、6月も終わります。どんなひと月であったのでしょうか。6月は、よく「ジュンブライト」といって、結婚式の多い月ともいいます。また、3月11日の大震災以降、結婚観というものが変化してきたそうです。
私にとっての6月は、写真の展示会に、気の許せる人と2度も行くことができて、楽しかった月でもあります。これは、趣味のなかでのことですが、それ以上に人それぞれの考えを聞ける、楽しい時間でした。
やはり、人とは会話が大事ですね。そうしないと、同じ方向を向き合う理由が見失ってしまいがちです。できれば、楽しい仲間といるときぐらいは、同じものを見て楽しくする時間を作りたいものです。
◎楡家の人々(上)・北杜夫/新潮文庫
・一体、歳月とは何なのか? そのなかで愚かにも笑い、或いは悩み苦しみ、或いは惰性的に暮してゆく人間とは何なのか? 語るに足らぬもの、それとも重みのある無視する存在なのだろうか? ともあれ、否応なく人間たちの造った時計の針は進んでいく。(p402)
【あらすじ】
この物語は、青山の楡(病院)家人々が、の大正から昭和に生きた歴史でもあります。とくに、楡基一郎という、圧倒的なリードでひっぱる人間に翻弄されながら生きる、子どもたち(龍子・欧州・米国・聖子・桃子)の物語でもあります。これの子ども達が基一郎という父親のリード(目論見)のなかで、反発あり、勘当あり、愛情ありという人間模様を描き出しています。
とくに、関東大震災(小説では日本大震災)で病院が焼けた後、長女の龍子と徹吉が、再建に向けて翻弄します。次女の聖子は、親の反対にも負けず、自分の思った相手と結婚し、最期は病でなくなっていきます。
それぞれの、人生を細かくおうこともでき、読み進むうちに、多くの人が反発、同調というなかで生きている姿に感動する作品です。
上巻での時代は大正時代から昭和への移行期です。
【感想】
最初の引用にあるように、最終的に「人間とはなにか」ということになってくるようです。富みを得て、繁栄したいた時代。楡家の家族たちは、何不自由なく暮していくが、自然の大災害に見舞われ、戦争という人災にも追い込まれていく…。この歴史的背景、何か2011年の日本に似ているような気がして読み出した一冊でもあります。
2011年の日本。東日本大震災という自然災害、福島第一原発事故(まさに戦争)という人災。まさに、人々の気持ちは、「楡家の人々」のそれぞれの登場人物にどこか、似ているのではないかと思います。
いつの時代にも、自然は人間に「過酷な運命」を与えていきます。そして、その運命に逆らうのではなく、うまく調和して次代をいきていく工夫があり、それが楽しみになって希望が出てくるのだと思います。
さらには、戦争状態の福島第一原発事故。修復に命がけで取り組んでいるが遅々として進まない。一進一退の攻防は続きます。それに、放射能汚染という被害に巻き込まれていく県民、市民、町民、村民…。あげくの果ては、自分の住んでいる土地を離れていく現実。いつ、終幕があるともわかぬ戦いと付き合っていくしなない年でもあります。
関東大震災の時に「芸術は生活の過剰だそうである…しかし人間を人間たらしめるものは常に過剰である。僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らねばならぬ…過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ」(芥川龍之介)という言葉がある。「楡家の人々」はあらゆる、危機にあい、それでも人間が人間であるために修復が始まる一冊でもあると思う。
そんな思いが「楡家の人々」を読ませたのだと思います。来月は、「下巻」に入ります。
※北杜夫/著
1927(昭和2)年、東京青山生れ。旧制松本高校を経て、東北大学医学部を卒業。1960年、半年間の船医としての体験をもとに『どくとるマンボウ航海記』を刊行。同年、『夜と霧の隅で』で芥川賞を受賞。その後、『楡家の人びと』(毎日出版文化賞)、『輝ける碧き空の下で』(日本文学大賞)などの小説を発表する一方、ユーモアあふれるエッセイでも活躍している。
◎「食」の課外授業/西江雅之/平凡社新書
・何かを食べる。それは呼吸すると同様に、生きている証でもあります(p7)
・この本で何かを覚えるのではなくて、ここから何かを考える出発点とする。人間が何かを食べたり飲んだりして生きている。それは「どのようにして」になされるのか(p8)
・アラブ諸国の生活では…アルコール類を売っている店はありませんし、豚肉は宗教的なタブーであるために、食べることがありません。(p19)
・人間は皮膚の色の違い、言葉の違いとは関係なく、同じ種類の「人類」という動物です。それでありながら、歴史という時間の流れのなか、また地域という空間の中で、実に様々な生き方をします。(p21)
人間の生き方は、ある時代の、ある地域に生きる集団が持つ、大小様々な多数の「文化」のバリエーションを基本としています。「文化」の本質の一つは、このバリーションのあり方に見出されます。(同)
・「食べれる物」は人類共通です……同時に、彼にとっては「食べ物」ではありません。(p22)
・一般的に、どの土地の人間も、自分たちの常識を基準にして、他の人間集団が食べている物から、その人々の人間としての価値までをも評価してしまう傾向を強く持つのです。(p24)
・言い換えれば、自分たちが属する集団、自分たちの土地、自分たちが生きる時代のみを絶対的な根拠として好きな物、欲しい物、憧れる物を一方的に「文化」的なものと見なし、大して重要でない物、あまり欲しいと思わない物、よくわからない物など「非文化」的な物として決めつけるものです。(p36)
【感想】
私たちは、毎日、何の考えもなしに食べているものをよく、突きつめてみると、生き方、住み方、環境との考え方まで悩んでしまうかもしれません。
また、食べ物は、食べる人の現在の立っている位置までわかるような気がします。ひとつひとつの食物のルーツを探れば、その食物のもつ意味もわかり、自分とのかかわりも理解できるでしょう。
例えば、マクドナルドという商標をもつ食べ物。はじめは、「こんなもの食えるか…」と思っていたら、時代が速く、と要求がれば、そんなにのろのろとしてはいられなくなり食べるきっかけができました。本当は、自分の食欲ではなく、時代の流れにそって、出現してきたように思えます。そこで、食べている自分がその時代を生きるために食べているにすぎないのでしょう。
とうはいっても、家に帰って、家族での夕食がマクドナルドのハンバークでは、時代の要請とはいえ寂しい。で、できることは、夕食くらいは、家族で手料理をゆっくり食べる環境が必要になってくるのでしょう。個人でも社会でもそれを実現させるための、努力が必要となってくるのだと思います。
食べながら話す…これは、とても重要なテーマです。それも、ゆっくり話す。そして、うまいもののに満足することで、脳も楽しい気分なってくるのでしょう。そんな、ことを思いました。
たかが朝食、されど朝食…です。
※西江雅之
1937年東京生まれ。文化人類学者・言語学者。著書に『旅は風まかせ』(中公文庫)、『マチョ・イネのアフリカ日記』(新潮文庫)、『わたしは猫になりたかった――“裸足の文化人類学者”半生記』(新潮OH!文庫)、『「ことば」の課外授業――“ハダシの学者”の言語学1週間 』(洋泉社新書y)など多数。
◎人生ベストテン/角田光代/講談社文庫
・驚いてしまうのは、四十歳を目前にしながら、その年齢にふさわしい思い出というか過去というか、達成感というか、「本当に四十年生きたなあ」という感慨が、これっぽちもない、そのことに対してである。(p186)
・中学生のときって、なんていうかまっさらじゃない。妻帯者もいない、子持ちもいない、別れられない恋人もいない、ローンもない、貯蓄もない、みんなおんなじくらいなーんにも持っていないじゃない。私が男性を好きになったとしたら、好きになっても問題もないじゃない。そこにあるのは好きってきもちだけじゃない。(p210)
・持ったふりをして、持ったつもりになったものを守って生きていくのがこわい。(p211)
・十三歳の夏から私に会いにきた、なんにも持たない男の子は、今どこでどうしているのだろう。(p223)
【あらすじ】
一週間後に40歳を迎えるとき、中学校の同窓会に出席する。理由は、中学校のとき、好きだった岸田有作にあえるの楽しみだった。なぜなら、「人生ベストテン」の中で、第1位でった、中学校時代の初恋の相手どう変わっているおか、さらにその岸田君にまた、あわい恋心をいだいている自分がみたかった。
同窓会当日、友だちのなかに混じって、岸田有作らしい人とエスケープして、ホテルにいく。これで、初恋も成就するはずだったが、じつは、それはあかの他人だったことにあとで気付く…。エスケープした人は、実は家庭なべを売っているまっかな他人でった。高い、鍋を買わされて、あとに偽岸田有作事件を思い出す。そして、13歳のとき、真っ白なときの生活をふりかえる…。
41歳になってほんとうに、私は、今度あったらまた、岸田有作を結婚相手と考えるのだろうか思っている。
【感想】
感想は、初恋の人となにもかも自分がかかえているものを捨てて、身軽になって、どこかへエスケープできたら最高かもしれない…、と思えた小説だった。
いまじゃ、家族にローンにがんじがらめという状態。はっきりいって身動きできない…のが現実だ。でも、これで、その合い間をくぐってうまく、楽しみを探して、生きているのも面白いと、と思うしかないような気がする。せめて、ここまで来た、という、一つの開き直りで生きているのが正直なところだと思う。
小説のなかの主人公「私」が、私であったらきっと、出会いを求めてあちこち駆けずり回っていたのだと思う。できれば、新しい出合いを求めて、仕事の合間をぬって、こまめに通っていくところを探していたのではないかと思う。つまり、私の独身時代のように…。決して、いい思い出に終わらせてたまるかという気持ちの方が強かった、と思う。
「人生ベストテン」の一番を何におくかは、それぞれの価値観が違ってくるだろう。そして、それも年齢によって、また違ったものになるだろうと思う。
50代半ば、人生ベストテン…、と呼べるものがあるとしたら、第一位はまったくの他人との新しい出合いかもしれない。何歳になっても、人ととのつながりが、自分を育ててくれたことは事実だろうと思うと、なおさらである。
そして、私を助けてくれるのは、人間しかいない。それも、私を思っている人、私が思う人…しかいいないと思うから。
◎私家版・差別語辞典/上原善広/新潮社
後日掲載します…無理はしません!!
※上原善広/著
1973年、大阪府生まれ。大阪体育大学卒業後、様々な職を経た後、ノンフィクションの取材、執筆をはじめる。2010年、『日本の路地を旅する』(文藝春秋)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。主な著書に、『コリアン』(ミリオン出版)『被差別の食卓』『聖路加病院訪問看護科―11人のナースたち―』『異形の日本人』(全て新潮新書)。
梅雨の合い間をぬって…今週も「ホンマタカシニュー・ドキュメンタリー」が東京オペラシティアートギャラリーで開催されていた写真展にいって来ました。
最終日が今月26日(日)の今日ということもあって、本心はあわてていってきた次第でした。
以前、チラシで見たとき「行って見たい」と思っていたものの、こんなに早く月日が過ぎてしまっていて、自分でもなんとも情けない…と思っていました。
ともあれ、この日は、午前中だったからでしょうか、静かな広いフロアーをのんびり見ることができて幸せな気分になりました。
静かなのが一番…。
さて企画は6つに分かれていて、それぞれ「写真」がもつ魅力と可能性を引き出しているように見えました。
1:Tkyo and My Daughter(1999-2010)
少女の成長を記録写真のようにして撮った写真。写真家自身の娘さんか?と思うと違うそうで、それから、見る側がいかに「先入観」に囚われて見られる写真が多いか気付かせてくれます。それらの写真の背景にしっかりとその時代のものが写っていることで、その時代の空気感を伝えているものでした。
子どもの成長を写真に撮る…ことも大切ですが、その背景に時代をつくりあげる…ムム、さすがにプロです、ネ…。
2:Windows(2009)
イタリアのジェノバの東30キロの町ラパッロに住む11人の未亡人、周辺の環境、アルバムから古いスナップ写真を展示してありました。未亡人がきっと若い頃から、今の様子を撮った写真だったのでしょうか。イタリア人の女性らしいカップクのいい婦人が印象的でした。海辺で遊ぶ若い水着姿の青年をみていたら、ルネ・」クレマン監督・アランドロン主演の「太陽がいっぱい」を思い出しました。青年たちが、あまりにもまぶしく、ちょうど映画の主人公のようにギラギラしている様子がありました。ご婦人は、「ひまわり」のソフィア・ローレンというところの美人でした。
家族の写真は、個人や家族にとっても「宝物」です。遠い記憶を鮮明に、生きいきと語ってくれる、個人にとっては生き証人のような存在であったわけでしょう。ここでも、写真の価値が表現されている…のです。
3:re-construction(2011)
オフセット印刷の写真集。写真というものが、何回も刷り直して世に出てくる形の一つを表現しているのでしょうか。雑誌や広告としての表現、ということでしょう。
何十冊の本が、私に言わせると、奥付や表紙もない印刷物はまだ、未完成です。美人にそれにあった洋服をまだ着せていない…といったところでしょうか。写真でいえば、雑誌もヌード写真…ってな感じ……いいすぎか。
4:Together:Wildlife Corridors in Los Angeles(2006/2008)
5:Trails
映像作家のマイク・ミルズとともにロサンゼルス郊外の野生動物の生態調査をしたときの写真。風景は空気感がよみがえるほどの鮮明さが印象的でした。
また野生動物への関心から知床の地で鹿狩りに随行した時の写真。雪の上に動物の血らしいものが転々とした写真。本当の血なのかドローイングなのかというものでした。
わたしには血にしか見えませんでしたが…。
6:Short Hope
ホンマという写真家が敬愛していた中平卓馬氏を訪ね、16ミリに撮ったものだそうです。これも、実際に上映されていました。
以上でした。
駆け足で行ってきたような感想でした。
帰ってきたら「熱中症」でダウンでした。
まあ、楽しみのあとの苦しみですか…。
今は、のんびり出来ています。つくずく、年をとったぁ…と思いました。
今回は写真の可能性みたいなものを、感じてきました。とるだけじゃなくて、見る人、撮る人の新しい感受性を得たのかもしれません。
あと、忘れていましたが、床に、粒子の粗い写真がたくさん置いてありました。写真を足もとでみるなんて、いままでなかったことなので、いい経験でした。
写真展はよかったです。
私の好きだったのはWindowsの写真でした。写真のよさがつくずく出ていました。
そっれじゃ、
*読んでくださった方、ありがとうございました。