日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

6月をふり返って思えば…

2011年06月26日 | Weblog


 6月も終わりです。
 路地にはアジサイと雨傘、空には梅雨雲、そして大地は余震、さらには海には放射能…と今年の6月はあります。
 さらには、遅々として進まぬ、福島原発の放射能汚染水の除去作業…と、なにやら、とんでもない半年がすぎていきそうです。
 
 そして、自然の流れの夏…。今年は、この暑さから今まで通り、逃げるわけにはいきません。原発の事故で電力供給が厳しい状況にあるようです。いま、日本中で「節電」を呼びかけているのもそのあらわれなのでしょう。
 でも、夏は好きな季節…それが唯一、なぐさめですか。

 さて、6月も終わります。どんなひと月であったのでしょうか。6月は、よく「ジュンブライト」といって、結婚式の多い月ともいいます。また、3月11日の大震災以降、結婚観というものが変化してきたそうです。

 私にとっての6月は、写真の展示会に、気の許せる人と2度も行くことができて、楽しかった月でもあります。これは、趣味のなかでのことですが、それ以上に人それぞれの考えを聞ける、楽しい時間でした。

 やはり、人とは会話が大事ですね。そうしないと、同じ方向を向き合う理由が見失ってしまいがちです。できれば、楽しい仲間といるときぐらいは、同じものを見て楽しくする時間を作りたいものです。




    

◎楡家の人々(上)・北杜夫/新潮文庫


・一体、歳月とは何なのか? そのなかで愚かにも笑い、或いは悩み苦しみ、或いは惰性的に暮してゆく人間とは何なのか? 語るに足らぬもの、それとも重みのある無視する存在なのだろうか? ともあれ、否応なく人間たちの造った時計の針は進んでいく。(p402)

【あらすじ】
 この物語は、青山の楡(病院)家人々が、の大正から昭和に生きた歴史でもあります。とくに、楡基一郎という、圧倒的なリードでひっぱる人間に翻弄されながら生きる、子どもたち(龍子・欧州・米国・聖子・桃子)の物語でもあります。これの子ども達が基一郎という父親のリード(目論見)のなかで、反発あり、勘当あり、愛情ありという人間模様を描き出しています。

 とくに、関東大震災(小説では日本大震災)で病院が焼けた後、長女の龍子と徹吉が、再建に向けて翻弄します。次女の聖子は、親の反対にも負けず、自分の思った相手と結婚し、最期は病でなくなっていきます。
 それぞれの、人生を細かくおうこともでき、読み進むうちに、多くの人が反発、同調というなかで生きている姿に感動する作品です。
 上巻での時代は大正時代から昭和への移行期です。

【感想】
 最初の引用にあるように、最終的に「人間とはなにか」ということになってくるようです。富みを得て、繁栄したいた時代。楡家の家族たちは、何不自由なく暮していくが、自然の大災害に見舞われ、戦争という人災にも追い込まれていく…。この歴史的背景、何か2011年の日本に似ているような気がして読み出した一冊でもあります。

 2011年の日本。東日本大震災という自然災害、福島第一原発事故(まさに戦争)という人災。まさに、人々の気持ちは、「楡家の人々」のそれぞれの登場人物にどこか、似ているのではないかと思います。

 いつの時代にも、自然は人間に「過酷な運命」を与えていきます。そして、その運命に逆らうのではなく、うまく調和して次代をいきていく工夫があり、それが楽しみになって希望が出てくるのだと思います。
 さらには、戦争状態の福島第一原発事故。修復に命がけで取り組んでいるが遅々として進まない。一進一退の攻防は続きます。それに、放射能汚染という被害に巻き込まれていく県民、市民、町民、村民…。あげくの果ては、自分の住んでいる土地を離れていく現実。いつ、終幕があるともわかぬ戦いと付き合っていくしなない年でもあります。

 関東大震災の時に「芸術は生活の過剰だそうである…しかし人間を人間たらしめるものは常に過剰である。僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らねばならぬ…過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ」(芥川龍之介)という言葉がある。「楡家の人々」はあらゆる、危機にあい、それでも人間が人間であるために修復が始まる一冊でもあると思う。

 そんな思いが「楡家の人々」を読ませたのだと思います。来月は、「下巻」に入ります。

※北杜夫/著
1927(昭和2)年、東京青山生れ。旧制松本高校を経て、東北大学医学部を卒業。1960年、半年間の船医としての体験をもとに『どくとるマンボウ航海記』を刊行。同年、『夜と霧の隅で』で芥川賞を受賞。その後、『楡家の人びと』(毎日出版文化賞)、『輝ける碧き空の下で』(日本文学大賞)などの小説を発表する一方、ユーモアあふれるエッセイでも活躍している。


◎「食」の課外授業/西江雅之/平凡社新書

・何かを食べる。それは呼吸すると同様に、生きている証でもあります(p7)

・この本で何かを覚えるのではなくて、ここから何かを考える出発点とする。人間が何かを食べたり飲んだりして生きている。それは「どのようにして」になされるのか(p8)

・アラブ諸国の生活では…アルコール類を売っている店はありませんし、豚肉は宗教的なタブーであるために、食べることがありません。(p19)

・人間は皮膚の色の違い、言葉の違いとは関係なく、同じ種類の「人類」という動物です。それでありながら、歴史という時間の流れのなか、また地域という空間の中で、実に様々な生き方をします。(p21)
 人間の生き方は、ある時代の、ある地域に生きる集団が持つ、大小様々な多数の「文化」のバリエーションを基本としています。「文化」の本質の一つは、このバリーションのあり方に見出されます。(同)

・「食べれる物」は人類共通です……同時に、彼にとっては「食べ物」ではありません。(p22)

・一般的に、どの土地の人間も、自分たちの常識を基準にして、他の人間集団が食べている物から、その人々の人間としての価値までをも評価してしまう傾向を強く持つのです。(p24)

・言い換えれば、自分たちが属する集団、自分たちの土地、自分たちが生きる時代のみを絶対的な根拠として好きな物、欲しい物、憧れる物を一方的に「文化」的なものと見なし、大して重要でない物、あまり欲しいと思わない物、よくわからない物など「非文化」的な物として決めつけるものです。(p36)


【感想】
 私たちは、毎日、何の考えもなしに食べているものをよく、突きつめてみると、生き方、住み方、環境との考え方まで悩んでしまうかもしれません。
 また、食べ物は、食べる人の現在の立っている位置までわかるような気がします。ひとつひとつの食物のルーツを探れば、その食物のもつ意味もわかり、自分とのかかわりも理解できるでしょう。

 例えば、マクドナルドという商標をもつ食べ物。はじめは、「こんなもの食えるか…」と思っていたら、時代が速く、と要求がれば、そんなにのろのろとしてはいられなくなり食べるきっかけができました。本当は、自分の食欲ではなく、時代の流れにそって、出現してきたように思えます。そこで、食べている自分がその時代を生きるために食べているにすぎないのでしょう。

 とうはいっても、家に帰って、家族での夕食がマクドナルドのハンバークでは、時代の要請とはいえ寂しい。で、できることは、夕食くらいは、家族で手料理をゆっくり食べる環境が必要になってくるのでしょう。個人でも社会でもそれを実現させるための、努力が必要となってくるのだと思います。
 食べながら話す…これは、とても重要なテーマです。それも、ゆっくり話す。そして、うまいもののに満足することで、脳も楽しい気分なってくるのでしょう。そんな、ことを思いました。

 たかが朝食、されど朝食…です。

※西江雅之
1937年東京生まれ。文化人類学者・言語学者。著書に『旅は風まかせ』(中公文庫)、『マチョ・イネのアフリカ日記』(新潮文庫)、『わたしは猫になりたかった――“裸足の文化人類学者”半生記』(新潮OH!文庫)、『「ことば」の課外授業――“ハダシの学者”の言語学1週間 』(洋泉社新書y)など多数。


◎人生ベストテン/角田光代/講談社文庫


・驚いてしまうのは、四十歳を目前にしながら、その年齢にふさわしい思い出というか過去というか、達成感というか、「本当に四十年生きたなあ」という感慨が、これっぽちもない、そのことに対してである。(p186)

・中学生のときって、なんていうかまっさらじゃない。妻帯者もいない、子持ちもいない、別れられない恋人もいない、ローンもない、貯蓄もない、みんなおんなじくらいなーんにも持っていないじゃない。私が男性を好きになったとしたら、好きになっても問題もないじゃない。そこにあるのは好きってきもちだけじゃない。(p210)

・持ったふりをして、持ったつもりになったものを守って生きていくのがこわい。(p211)

・十三歳の夏から私に会いにきた、なんにも持たない男の子は、今どこでどうしているのだろう。(p223)


【あらすじ】
 一週間後に40歳を迎えるとき、中学校の同窓会に出席する。理由は、中学校のとき、好きだった岸田有作にあえるの楽しみだった。なぜなら、「人生ベストテン」の中で、第1位でった、中学校時代の初恋の相手どう変わっているおか、さらにその岸田君にまた、あわい恋心をいだいている自分がみたかった。

 同窓会当日、友だちのなかに混じって、岸田有作らしい人とエスケープして、ホテルにいく。これで、初恋も成就するはずだったが、じつは、それはあかの他人だったことにあとで気付く…。エスケープした人は、実は家庭なべを売っているまっかな他人でった。高い、鍋を買わされて、あとに偽岸田有作事件を思い出す。そして、13歳のとき、真っ白なときの生活をふりかえる…。
 41歳になってほんとうに、私は、今度あったらまた、岸田有作を結婚相手と考えるのだろうか思っている。

【感想】
 感想は、初恋の人となにもかも自分がかかえているものを捨てて、身軽になって、どこかへエスケープできたら最高かもしれない…、と思えた小説だった。
 いまじゃ、家族にローンにがんじがらめという状態。はっきりいって身動きできない…のが現実だ。でも、これで、その合い間をくぐってうまく、楽しみを探して、生きているのも面白いと、と思うしかないような気がする。せめて、ここまで来た、という、一つの開き直りで生きているのが正直なところだと思う。

 小説のなかの主人公「私」が、私であったらきっと、出会いを求めてあちこち駆けずり回っていたのだと思う。できれば、新しい出合いを求めて、仕事の合間をぬって、こまめに通っていくところを探していたのではないかと思う。つまり、私の独身時代のように…。決して、いい思い出に終わらせてたまるかという気持ちの方が強かった、と思う。

 「人生ベストテン」の一番を何におくかは、それぞれの価値観が違ってくるだろう。そして、それも年齢によって、また違ったものになるだろうと思う。
 50代半ば、人生ベストテン…、と呼べるものがあるとしたら、第一位はまったくの他人との新しい出合いかもしれない。何歳になっても、人ととのつながりが、自分を育ててくれたことは事実だろうと思うと、なおさらである。

 そして、私を助けてくれるのは、人間しかいない。それも、私を思っている人、私が思う人…しかいいないと思うから。

◎私家版・差別語辞典/上原善広/新潮社

後日掲載します…無理はしません!!

※上原善広/著
1973年、大阪府生まれ。大阪体育大学卒業後、様々な職を経た後、ノンフィクションの取材、執筆をはじめる。2010年、『日本の路地を旅する』(文藝春秋)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。主な著書に、『コリアン』(ミリオン出版)『被差別の食卓』『聖路加病院訪問看護科―11人のナースたち―』『異形の日本人』(全て新潮新書)。








 梅雨の合い間をぬって…今週も「ホンマタカシニュー・ドキュメンタリー」が東京オペラシティアートギャラリーで開催されていた写真展にいって来ました。
 最終日が今月26日(日)の今日ということもあって、本心はあわてていってきた次第でした。

 以前、チラシで見たとき「行って見たい」と思っていたものの、こんなに早く月日が過ぎてしまっていて、自分でもなんとも情けない…と思っていました。
 ともあれ、この日は、午前中だったからでしょうか、静かな広いフロアーをのんびり見ることができて幸せな気分になりました。
 静かなのが一番…。

 さて企画は6つに分かれていて、それぞれ「写真」がもつ魅力と可能性を引き出しているように見えました。

 1:Tkyo and My Daughter(1999-2010)
 少女の成長を記録写真のようにして撮った写真。写真家自身の娘さんか?と思うと違うそうで、それから、見る側がいかに「先入観」に囚われて見られる写真が多いか気付かせてくれます。それらの写真の背景にしっかりとその時代のものが写っていることで、その時代の空気感を伝えているものでした。
 子どもの成長を写真に撮る…ことも大切ですが、その背景に時代をつくりあげる…ムム、さすがにプロです、ネ…。

 2:Windows(2009)
 イタリアのジェノバの東30キロの町ラパッロに住む11人の未亡人、周辺の環境、アルバムから古いスナップ写真を展示してありました。未亡人がきっと若い頃から、今の様子を撮った写真だったのでしょうか。イタリア人の女性らしいカップクのいい婦人が印象的でした。海辺で遊ぶ若い水着姿の青年をみていたら、ルネ・」クレマン監督・アランドロン主演の「太陽がいっぱい」を思い出しました。青年たちが、あまりにもまぶしく、ちょうど映画の主人公のようにギラギラしている様子がありました。ご婦人は、「ひまわり」のソフィア・ローレンというところの美人でした。

 家族の写真は、個人や家族にとっても「宝物」です。遠い記憶を鮮明に、生きいきと語ってくれる、個人にとっては生き証人のような存在であったわけでしょう。ここでも、写真の価値が表現されている…のです。

 3:re-construction(2011)
 オフセット印刷の写真集。写真というものが、何回も刷り直して世に出てくる形の一つを表現しているのでしょうか。雑誌や広告としての表現、ということでしょう。
 何十冊の本が、私に言わせると、奥付や表紙もない印刷物はまだ、未完成です。美人にそれにあった洋服をまだ着せていない…といったところでしょうか。写真でいえば、雑誌もヌード写真…ってな感じ……いいすぎか。

 4:Together:Wildlife Corridors in Los Angeles(2006/2008)
5:Trails
映像作家のマイク・ミルズとともにロサンゼルス郊外の野生動物の生態調査をしたときの写真。風景は空気感がよみがえるほどの鮮明さが印象的でした。
 また野生動物への関心から知床の地で鹿狩りに随行した時の写真。雪の上に動物の血らしいものが転々とした写真。本当の血なのかドローイングなのかというものでした。
 わたしには血にしか見えませんでしたが…。
 6:Short Hope
 ホンマという写真家が敬愛していた中平卓馬氏を訪ね、16ミリに撮ったものだそうです。これも、実際に上映されていました。
 以上でした。

 駆け足で行ってきたような感想でした。
 帰ってきたら「熱中症」でダウンでした。
 まあ、楽しみのあとの苦しみですか…。
 今は、のんびり出来ています。つくずく、年をとったぁ…と思いました。

 今回は写真の可能性みたいなものを、感じてきました。とるだけじゃなくて、見る人、撮る人の新しい感受性を得たのかもしれません。
 あと、忘れていましたが、床に、粒子の粗い写真がたくさん置いてありました。写真を足もとでみるなんて、いままでなかったことなので、いい経験でした。
 
 写真展はよかったです。
 私の好きだったのはWindowsの写真でした。写真のよさがつくずく出ていました。

そっれじゃ、
*読んでくださった方、ありがとうございました。
 

梅雨の合間にできること…

2011年06月19日 | Weblog


 今週は毎日、どんよりとした典型的な梅雨空が続きます。そして、傘を携帯するという梅雨特有の毎日でもありました。
 それに、なんといっても残業の多い週でもありました。これから、こんなことで、いったいどうなるか…。

 今年の夏は、「計画停電」が確実に実施されようとしている時期だというのに、こんなに野放図な仕事の計画のたて方には、疑問をもちます。「計画停電15~25%の節電目標」などとは「絵に描いたモチ」同様、現実的には、いまの実態は無理ではないかと思いますが…ネ。

 さて、3・11大震災以後、余震はいまでも時々あります。ときには、強く、ときには彼方で地震の情報があります。それでも、少しずつ、少なくなってきていることは事実です。

 地震は自然の仕業ですが、原発事故は人災。ますます、不透明さをまして、放射能の怖さが日々、増幅されています。現実、放射能汚染水の処理をはじめたと思いきや、「放射能水浄化装置」の故障と…。
 これで、本当に大丈夫なのかと思えてくる。
 
 実際に、今回の放射能で「危険区域」がもうけられ、自分の住んでいる土地から、やむを得ず「疎開」が始まり、再び、その土地を踏める保障がないまま…漂流し始めている。
 原発から半径100~120km圏内の放射性セシウムの土壌汚染が報告された。福島県に接する栃木県や茨城県の北部で1平方キロメートルあたり10~30万ベクトルが蓄積された。
 いったい、どれくらい生まれ育った、土地を離れているのか…それさえ不明なのだ。

 世界、とくにヨーロッパ圏のドイツやイタリアでは「原発全廃」の動きが始まっている。まさに、今回の原発事故は、ジャーリストが「戦争」といっていたが、そのとおりではないかと思う。多くの犠牲者を出しつつ、いつまで続くのか、完全に原子炉が停止するまでの命がけの戦いが始まっている。人類と原発との、一進一退の日々がどれほどつづくのか、いま、始まったばかりだと思える。

 そして、それを本当に解決しようとしている人、いまだ、それを考え直さない人…の綱引きは、足枷となって、ますます解決を難しくしている。いったい、政治はなにを目標にやろうとしているのか…、その道筋も危うい。



 

今週は休みます…次回へ
◎ただ、ひとこと…


 菅直人首相は17日の参院東日本大震災復興特別委員会で、福島第一原発事故の処理について、国の責任、権限を明確にする「新法制定」を指示。廃炉にしていくことを検討…。
 と、まあ頑張っているではないか。この首相を辞めせる理由がなにもないように思いますが…ネ。








 梅雨の合い間をぬって…東京恵比寿の写真記念館で開催されている「世界報道写真展2011」に行ってきました。

 2010年に世界中で起きた事件やイベントに関係するすべての報道写真のもっとも、象徴される写真で賞をとったものが展示されたものをみることが出来ました。
 展示されていない、賞にもれた写真にもおそらく、もっと私を圧倒的な感動を与えてくれたものもきっと、あったのだろうと思いつつ見て来ました。

 今年は国内の内紛での写真が多く展示されているように思えました。人が人に対する暴力…、まだ、知られていないスポーツ、自然の興味ある一場面が写真もあり、興味をひくものだと思いました。

 見ているうちに思うことは、「今、私が立っている時点では何がいちばん大事なのだろうか?」ということを考えさせられました。
 日々の生活で、おそらく写真にあったようなシーンの写真の出来事がない…しかし、それに匹敵する事実があるのかもしれない…ということも思いました。

 例えば、福島第一原発事故の被害で人々の生活が思い浮かびます。
 原発の「安全神話の崩壊」から、多くの報道写真があったのだと思います。これは、2012年の報道写真展で展示され、また、私たちが知らない、原発事故を見せてくれるだろうと思っています。

 写真の持つ意味…記憶を記録させること、もあるでしょう。そして、後世に事実を語る材料としてあるのだろう思います。世界中を駆け巡る瞬時の出来事は、いまやインターネットでみることは出来ます。しかし、電源を落としてしまえば、うすれた記憶とともに消えていくのだろうと思います。

 そういう意味で、報道写真展のもつ意味は大きいと思います。
 写真で…ほんとうにいいもんですね…。
 暇で、興味のある人、また、これからを少しでもよくしたいと思っている人は、必見です。事実は、目に前になくても、起っている事実は、目の前の写真が語ってくれるはずです…よ。



ほんじゃ…また、来週。
おっと! 今日は「父の日」だそうで、娘に靴下と昼飯のプレゼントで一日終わりました。25年も父親、やっていたんだと、不覚にも今日、思った一日でした。

世の中の父親様…元気でがんばろう!!

*読んでくださった方、ありがとうございました。


梅雨の真っ只中で…

2011年06月12日 | Weblog


 梅雨真っ只中…。
 これも、自然のめぐみと思うのは東日本大震災がったからでしょうか。自然の動きには逆らえないし、まして傲慢に自然を壊している状況で何も言いようがない気がします。
 今は、自然の流れを素直に受け止めて、それを楽しむ方がより、人間らしいし、人生が楽しいだろうと思うようになっています。

 休日いつも歩く散歩道。
アジサイが気になって、雨の中、見にいって来ました。今年も咲いていました。冬には、すっかり枯れて、これでまた咲くのかな…、と思っていましたが、今年も緑の葉をいっぱいつけて咲いていました。「富士には月見草がよく似合う」とあれば、「道端にはアジサイがよく似合う」と思います。

 アジサイというと「男はつらいよ」のシリーズの「寅次郎あじさいの恋」を思い出します。
 マドンナは女優・いしだあゆみさんでした。
 夫に先だだたれ、娘を丹後の実家にあずけ、京都の陶芸家のところで働いていたかがり(のいしだあゆみ)が失恋し、実家に帰ってしまう。丹後に帰ってしまった、かがりを慰めて、励まそうと寅次郎が丹後を訪ねる。
さらに、葛飾に帰ってきた寅次郎をかかがりが友達と訪ねる。そして、鎌倉のあじさいの季節にデートという話。

 かがりが鎌倉にデートにさそい自分の決断を寅次郎にむけるが、寅次郎はふってしまう。
このシーン。鎌倉にゆっくり夕暮になっていく…。少しずつ、寅次郎とかがりの会話が途切れていく…。なにか、もの悲しいシーン。かがりの強い気持ちと、寅次郎がかがりの思いを振り切り旅に出るの場面が思い出される。
 かがりがどんな思い出、寅に会いにきたのかと思うと、その思い切りさにとても人間らしい、悲しさや素晴らしさを感じてしまう。

 そして、振り返れば、寅のやさしさも、心から拍手を送りたいと思った映画だった。

 かがりはアジサイのように、季節のなか、時間を追って花色をかえ、美しくなっていて、しっかり大地に根をはって咲く花でもある。

◎今週は「スクラップ2011」は休みです。

 東日本大震災、福島第一原発事故のレベル7はまだ続いています。余震もあります。放射能は範囲も広がる…し、危険がいっぱいの日本ですが続きます。

 最近の新聞のコラム「時間は忘却をも促す。時を経て不安が薄れるのは救いであっても、被災地への思いまで色あせぬようにしたい。思い出すのは、広島原爆の写真に寄せた石垣りんさんの詩の一節。<午前八時一五分は毎朝くる…>」という記事でした。

 また、原発事故の関してのコラムに「自然災害は起きてしまえばそれ以上動きませんが、原発事故は戦争と同じです。こちらの対応次第では状況がどんどん変わっていく。対応を間違えれば命も取られます」と。さらに「チェルノブイリ事故は20世紀の戦争だ。これまでとは姿を変えた戦争だ。これによって多くの人々が死に、これからも死につづけるだろう」…(毎日6月6日)

 ……と続きます。




涙なんだ
作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童
編曲:横田明紀男

あまりにひっそり流すから
そうとは気付かず 見過してた
俯く仕草 思えば
そうか 涙なんだ

女の涙は苦手だと
余計な一言 付け加えて
心に鍵掛けたね
そうか 涙なんだ

ぼくに心配かけまいと
いつも気丈に振るまってた
たまにシーツが濡れてる
あれも 涙なんだ

長い歳月 暮らしても
あなたの気持ちを思いやらず
勘違いだね 今更
何だ 涙なんだ

鈍いぼくを
許して欲しい
思いに甘えて
ぼくの腕は
そのためにある
あなたを抱き締めるため
あなたを抱き締めるため
ルー涙なんだ ルー涙なんだ
ルー涙なんだ ルー涙なんだ


◎休日の朝…眠い目をしながら、久しぶりに「ラジオ深夜放送」を聴いていた。エンディングにこの曲が流れてきた。静かななかで、曲を聴いていたら、今までのなかで何回泣いたかな…と思った。
 
 ここ久しく涙など流したことがないねえ…。うらを返せば、悲しいとき、うれしいときにめぐり合わないからかな、と思った。
 最近にめぐりあった涙は、大震災のときの家族全員無事だったとき、わが家の妻と娘が涙を流したくらい…。

 振り返れば、私は、なぜか、涙をながしたことがここ何年もない。涙も流せないほど悲喜こもごもから、縁遠くなってしまったのかと思う。それとも、「心に鍵」をかけたのか、笑いはするが、感激しない自分が多いのに気がつく。

 何かの記事に、男と女では、女のほうが長生きな理由として、涙があるという。女はすぐ泣く、それに比べて、男はがまんしていることが多く、ストレスを多くためるそうである。そのため、精神的に苦痛が多い男がどうしても早死にするという。本当かウソか、思いあたるところが多い。

 涙…。うれしくも、悲しくも、この涙が一つの節目をつくっているのだろうと思う。涙で洗い流して再出発…てな具合に、心のスイッチになっているのだろう。
 でも、涙を流して、それを受け止めてくれる人がいることが、人生でいちばんいいことだと思う。涙は流してもいい。ただ、それを見つめてくれる人。そして、その涙に意味を誰よりも理解してくれる人がいることがいちばんいいのかもしれないと思った。

 この一曲を聴いてそう、思う。



 私は、半世紀も生きてきて、すでに棺箱に近づいている。そんな、私が「怒られる」ことは、めったになくなった。むしろ、若い人に対して怒っているほうが多いかもしれない。それは、ほとんどが、仕事であるが…。

 最近、私の仕事でミスをしてしまって、担当者に怒られたことがあった。怒られたというより、担当者が、お客からの苦情を直接、私にぶつけた単純なものだった。
 しかし、よくよく、考えてみれば「怒っている意味」がわからない。ただただ、激怒する感情を私にぶつけているようなものに見えた。

 とりあえず、謝る…。それでも、怒った人は怒りがおそまらず、なにもいわず(いえないのか)さってしまう。

 単純なことで、ことの前後がないようで、そして、その人を励ますような怒り方があっていいように思った。
 そう思った。きっと、彼が、もっとしつこく私に怒っていたら、「ちょっとまて、どうしてこうなってしまうのか、君も一緒に考えてみませんか。そして、反省してみないか…」と言ったのかもしれない。

 だいたい、怒ってしまうのは、本人の考えと違うとか、他の場所でいやなことがあったとかが引きがねになっていることが多い。
 その腹いせに、怒られるひとはかわいそうだが、前後の事実関係をもっとくわしくさぐってみれば、どちらにも非があることが多いと思う。そうしたら、それを、認め合うことで次の仕事をしたほうが、お互いにとって気持ちのいい、仕事ができるというものではないかと思った。

 さて、こんな思いはすでに、大昔の哲学者もかくも難しく考えていた。
「怒りについて」ということについて、紀元前4世紀ごろの哲学者・セネカの言葉がある。「…怒りとは短い狂気であると言った識者がいる。狂気も同様に、己を抑えられず、体面を忘れ、係累に思いを馳せず、着手したことに意固地に固執し、理性にも耳を閉ざし、些細な理由に激しては正義も真理も見分けず、瓦礫の崩壊にさも似て、砕け落ちては押し潰したものの上に飛散する」(「怒りについて」セネカ・岩波文庫)とある。これも、真理。

 とはいえ、腹を立てることと「怒る」ことは同じようになっているのではないかと思うことがある。本当は、ちがうのだと思っていても、現実にはそうなっている。
 本当に「怒る」べき相手を探すと、まりにも膨大な資料が必要にならだろうと思う。だから、単純に、人と傷つくのも考えず怒ってしまう…これが本音だと思う。なら、怒るより、諭して生きた方がいいのではないか。その方が、自分が思う事を素直になれると思うのだが…。
 多忙ななか、そんな余裕がない!のが現実だがそう思いたい、と思う。
 だから、怒るべき理由がわからなくなっているのだと思えた時間だった。

*読んでくださった方、ありがとうございました。

 

原発問題…いまだ梅雨空のなか

2011年06月05日 | Weblog


 6月(水無月)が始まりました。梅雨に入って「水無月」はないだろうと思いますが、旧暦(6月)、新暦(7月)で違うそうです。だから、水無月は新暦で呼んでいる名前だそうです。

 今年も、もう、半分が過ぎているんですね…。そして、まだ半分ありますか…。今年も、同じところに、同じようにツバメが巣をつくって、ヒナを育てていました。住む人が変わっても、おかまいなしに、巣を作っていました。(あんたはエライ!)。
 これまで、いったい「何」をしてきたのだろうかと思う月でもあります。

 思えば3月11日以降、余震と原発の毎日で日々が「明日にも知れぬ我が生命」という思いがありました。鴨長明「方丈記」に「行く川の流れは絶えずして、また元の川にあらず…」という一文があります。大災害のなかでも生きていく形はちがうにしても、日々生命を育む力を信じて生きていくことが大事…なのだろうということを、言い聞かせているような文章に思えます。

 そして、自然の災害に対するあきらめというか、受け入れるしかないという大原則がストンと理解できる毎日ともなります。
 いのちあってのものだね…生きていることだけで丸もうけ…てな感じですか。

 一方、福島第一原発の事故は、いっこうに収束しそうにありません。むしろ、日々、次々に悪い結果が報告されています。その悪い結果がでても、どうしようもないほど修理が進まずいるのが現状のように見えます。

 その結果、放射能は垂れ流し状態にあるはずなのですが「いますぐ人体に影響なない」といく報道です。本当にそうか…。疑問に思う毎日でもあります。だから、原発はずーと、これから何かがあるにつれ、生活の一部分として引っ張っていくのかもしれません。それだけ、生活に大きな関係があることなのです。

 「クールビズ」というのも、この原発によってさらに奨励される現実です。さらには、仕事の就業形態までも変化していくというありさまです。とは、いってもこれぐらいは「許容範囲」と思ってあきらめますが、放射能による病気はあきらめがつかず、さらには、村ごと避難など、「原発なんかやめてしえ!」と怒鳴りたく自分がいます。

 まだまだつづく震災での災害、残念ですがまだ続き、一緒に生きていくしかない…と思う6月の始まりです。





◎内閣不信任案否決(反対293:賛成152:棄権33)

 東日本大震災の復旧・復興や福島第一原発事故の廃炉にするための修理半ば…で突然の「内閣不信任」の議題が国会で持ちがってきた。なんとも、政治家の身勝手さ醜さが露呈したような茶番劇だった。

 しかし、なんで今頃、こんなに「不信任」にこだわるなだろう思った。
 私がみるところでは、菅内閣はG8にいったり、東電に圧力かけて一刻もはやく修理して停めるようやっていたし、なによりも、静岡県御前崎にある「浜岡原発」の危険性を亜ピールして停止させた。そのうえで、今後の電気エネルギーのありかたを原発一辺倒から変えていこうとしていて、頑張っていると思っている。今の政治家ができるギリギリでやっているようにも思えたが…。

 さらに、漁業に農業に、林業に教育にと生活のあらゆる場面で放射能の危険性の広がりが見えてきたことに不安がでてきた矢先にです。

 私もきっと「原発」での「停止」と「推進」との綱引きが始まったのか思った。あんのじょう、6月3日東京新聞「特報」にその内容が載っていました。

 だいたい辞めさせる内容が、大震災の復興が進まない、原発事故の収束ができない…などの理由があるのだそうだ。
 自然災害はどうにもならないが、原発事故がレベル7、メルトダウンまできたのは、民主党政権がやったわけでもない。これまで、原発をエネルギーとして推進し、「安全神話」をつくってきた自民党にこそ、あるのだろう。

その中味は、企業の利権があり、地元の雇用があったりした。
 新聞報道によると(東京6/3「特報」)

 1954年:中曽根康弘元首相が「原子力平和利用」をうたい、55年には原子力基本法を成立させ、自民党の原発推進政策。
 1974年:田中角栄内閣が、原発立地の自治体に電源三法交付金制度をつくり、自民党と電力会社の関係が深まる。
 そして、その電力会社から多くの政治献金をうけとるようになった。民主党の小沢元代表も以前には自民党の政治家時代に電力会社から多く支援されていた。(同新聞…)


 さらには、民主党内閣では、支援母体でもある電力総連(連合)もエネルギー安定供給、地球温暖化政策として原発推進を打ったてきた経過がある。現に。この労組出身者の国会(小林正夫)議員もいる。

 となれば、どうしても原発を停める菅主首相は「敵」になるということだ。
 そのため「菅降ろし」がでてきたという見解でしめくくっている。わたしもそうだと思う。

 ここにおもしろい記事がある。仏ヨーロッパエコロジー・緑の党書記長:セシル・デフェロ)氏の提言である。(朝日6/4)

 「原発を正当化する論理には3つのウソがある。まず、安全性だが、すべてのリスクを回避できる水準にはない。2点目は、エネルギー安全保障上、その有用性が強調されるが、燃料のウランは輸入に依存している。また、放射性廃棄物の処理や原発の解体の費用などは次世代に回すことになり、コスト面からみても安いとはいえない」と…。さらに「それでもなぜ、フランスは脱原発にへと舵を切ることができないのか。原子力関連産業の利益と、それに伴う雇用の広がりを守ろうと意見が強いからだ。産業界と関連の深い政権政党は、長年にわたり思考停止い陥っている」という。

 今回の福島第一原発の事故により、世界は脱原発にも指示する意味が強くなったことを感じたと思う。だが、その動きをいち早く察知しているのは、産業界も同じということだ。
 違いは、人命優先か利益優先かの違い。

 どちらを選ぶか。エネルギー政策の転換は生活も変えてしまうが、少々、貧しくても生きて楽しく暮らしたいと思うのか、今年は運命の選択の年だと思えた。





 6月が始まりました…と思いきや毎年恒例になっている「個人勤務評価」つける時期となった。まあ、いわば「通信簿」のようなものだと思っている。

 しかし、つけていて思うのは「個人評価」なんていうのは、私の一種の幻想みたいなものだと思うことがある。これは最終的には、一人ひとりの金額によって差別(区別)するシステム。

 幻想というのは、結局は私が思っていても、上へ…上へいけば変ってしまうのだから、結局は私の幻想ということになっていく。なんとも、理不尽なことか。
 いつも、この時期、頭をかかえている。これが正直なところだ。
 なぜなら、全員が、高低をつけるほど差がないと思う。また、それぞれのよさがあるからである。

 ということで、ここでは自分の納得いくように(好き勝手)つけた。みんな頑張っている…と思いつけた。
 結局、会社を支えているのは、こうした差別(区別)されても頑張って仕事をしている人たち…と、わたしもいつも思う。
 私がいちばん大事なことだと思っていることは、素直に謝れること、そして人を励まして、自分もそうありたいと思う人が、大切な世の中だと思うけれど…ネ。
 疲れる作業だった。

*読んでくださった方、ありがとうございました。