日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

梅雨のはざまで、都議選がはじまりました。

2017年06月25日 | Weblog

 こんにちは。
 季節は梅雨という時期ですがなかなか雨が降らず暑い日が続いています。すでに沖縄県では「梅雨明け」ということです。
 大洪水をまきおこす雨は迷惑なですが、梅雨らしくアジサイのはえる雨も大事だと思えます。

 さて、今週は東京都議会選挙の公示がありました。小池知事誕生以来初の選挙となります。東京五輪誘致問題、豊洲、築地市場移転問題などが未解決のままの状態での選挙になります。これまで豊洲市場問題では、汚染状態が極めてきびしく移転にはなっていません。さらには、移転に関しての流れをつかむため「100人委員会」での前石原知事への喚問などがありました。しかし、そのなかでも豊洲移転の経過と汚染問題に関しての詳しいながれも不明のままです。ですから、いまのところ小池知事誕生いらい解決した問題はなにもないということです。ちなみに、都会から電柱をなくすことや、超満員の通勤電車の解消などの公約も当選後、どこへいったやらでした。
 少なからず、都議会選挙となると各党派の色も強く反映される選挙になるのではないかと思います。これまで、国会では自公明の与党がやってきた強行採決での審議強行終了の進め方や、各議員の発言や行動などを考える場でもあるように思えます。

 そんな中で、小池知事がつくり出した「都民ファースト」という言葉と政治家の野合が先走りしているような選挙にも思えます。そればかりか、都議会での多数派をつくり、与党体制を盤石なものにしようとしています。
 この発想は今の安倍内閣と変わらないようにも見えます。少数意見を数で切り捨てようとしようしているようにも見えます。
 東京は、人口が日本の約1割に相当します。人口が集中している町には問題も集中しています。東京は豊洲市場問題と、人口が増えることで「待機児童」、そして「高齢化」、さらには社会福祉、医療、教育など多くの予算が集中しています。そして、最近おおきくなってきた大地震などの自然災害への防災問題。東京五輪にやっきになっているより地震の多い災害対策が大切でしょう(ちなみに今日長野で地震がありました)。人間がかかえるあらゆる問題をテーマにもっている都市でもあります。これらの問題をどう解決しようとしているのか、今回の都議選はその方向性を指す選挙になるのではないかと思えます。



 一人ひとりの有権者の考えが反映できる選挙になってほしいものです。そして、この時期雨で投票所までの足が遠のくことないないようにしたいものです。日々の生活の足元をみつめ、いまいちばん大切な政治はなにか考えていきたい一週間していきたいものでもあります。少なくても投票率が半分以下なんてないように期待したいものです。期日前投票もあります。そして都議選初の18歳からの選挙権も大事にしていきたいものです。




 「今月の本棚」の月末になってしまいました。早いものです。6月も終わりです。今月は、なんとも最悪な月となってしましました。
 それというのも、国会ではこともあとうことか改正組織犯罪処罰法「共謀罪」が野党の審議継続を無視して短い時間で成立してしまいました。それも、国会の正規の手続きの参院法務委員会での採決を省いて本会で直接、可決、成立させる強行突破を与党はやりました。野党側からこの法律は戦前の治安維持法にも匹敵するおそれがあるため、審議も十分すべきだということも無視した採決でした。

 という流れで行くと歴史をひもとけば、少しずつ戦争の足音が…というのが日本の歴史です。とりわけ、満州事変から太平洋戦争までの時代に記憶をたどれば、似ているような気がします。およそ300万人以上もの戦争犠牲者を出した過去の歴史を思えかえせば絶対に許しがたい行為だといえます。とくに、戦後の民主主義をつくってきた人たちの歴史を、一人の権力者の思いを遂げるために忘れさろうという国会は危険そのものだと思えました。
 「歴史観」ということはそれぞれ尊重されていいものですが、一方的な歴史観を押し付けてくるようなやり方は危険な流れだといえるのではないかと思えます。

 そんななかで、いった「戦争」とはどんなことなのだろうかという疑問があり、その内容に関する小説やルポルタージュ作品を読んでみたくなり手に取った本でもありました。



■p7 私は昭和二十年一月二十五日ミンドロ島南方方山中にて米軍の俘虜となった。

■p60 私は俘虜となることを、日本の軍人の教えるほど恥ずべきものとは思っていなかった。兵器が進歩し、戦闘を決定する要素において人力の占める割合が進歩し、戦闘を決定する要素において人力が占める割合が著しく減少した今日、局所の戦闘力に懸絶を生ぜしめたのは指揮者の責任であり、無益な抵抗を放棄するのは兵士の権利であるとさえ思った。

■p86 米軍が俘虜に自国の兵士と同じ被服と食料を与えたのは、必ずしも温情のみではない。それはルソー以来の人種の思想に基く赤十字の精神というものである。人権の自覚に薄い日本人がこれを理解しなかったのは当然であるが、しかし俘虜の位置から見れば、赤十字の精神自体かなり人を当惑さすものがあるのは事実である。

■p104 私がこの事件について達している結論はこうである。日本の資本家が彼等の企業の危機を侵略によって開こうとし、冒険的な日本陸軍がそれに和した結果、私は三八式小銃と手榴弾一個を持って比島へ来た。ルーズベルトが世界のデモクラシイを武力によって維持しようとした決意した結果、あの無邪気な若者が自動小銃を下げて私の前に現れた。こうした我々の間には個人的に何等殺し合う理由がないにも拘ず、我々は殺し合わなければならぬ。それが国是であるからであるが、しかし、国是は必ずしも我々が選んだのではない。

■p187 毛布の書いたついでに、この収容所には虱は一匹もいなかったことを指摘しておこう。入所するとまずそれまでの着ていたものを全部脱いで水浴し、全部新しい衣服と着替えて、古い服は焼いてしうまのであるから、虱の侵入する余地がない。

■p254 この戦況は悪化した。四月米軍は沖縄に上陸した。誰いうとなく、日本の特攻隊が大挙出動し、米機動隊が全滅したと伝えられた。ただし米軍の週報にはドイツの設計によるロケット機を懐に招いた日本の重爆は、その「バカ」を放つ前に撃墜され、損害は一空母の火災のみとあった。五月五日ドイツ無条件降伏、俘虜の反応は皆無であった。

■p292 私はこういう爽快味を愛する日本人の趣味は別に悪いことだと思わない。ただ、俘虜という受動的身分にあって、監督者の意に沿う振りをするために習慣を撓めない彼らは、いかにも不甲斐ないと思われる。現状の状態がどういう種類の政治的暴力の結果であるかがわかれば、おのずとそれに対処する方針も出来るわけだ。

■p319 祖国が苦闘してしつつある、我々がここで堕落しているのは奇怪であった。いかにやむを得ない状況であり、これも戦争の一局面には違いなかったが、この状況で我々が生きねばならぬということは、そこか呑み込めぬところがあった。

■p335 レマルクは砲弾によって頭を飛ばされ、首から血を噴きながら三歩歩いた人間を物珍しげに描き、メイラーもまた死者を克明に写しているがこういう戦場の光景を凄惨と感じるのは観者の感傷である。戦争の悲惨は人間が不本意ながら死なねばならぬという一事に尽き、その死に方は問題ではない。

■p345 私は人生の中ばで祖国の滅亡に遭わなければならない身に不幸をしみじみと感じた。国を出る時は死を覚悟し、敗けた日本はどうせ生き永らえるに値しないと思っていた。しかし、私は今虜囚として生を得、その日本に生きねばならぬ。




 この小説が描いているころ1944年から1945年の日本は敗戦の色が濃くなってきた時でもある。1944年学童疎開船「対馬丸」遭難。サイパン島の日本軍玉砕。10月には米軍が沖縄に空襲を始める。翌年には沖縄に米軍上陸作戦始まる。軍人9万4000人、住民15万人の人命が奪われる。本当のことが伝わっていなかった年でもある。
 いちはやく俘虜になってしまった軍人たちは戦争のさなか生き残って一日2700カロリーの食事をしていた。なんと皮肉なことか。



 戦後、米軍による戦争という行為にたいして「BC級戦犯裁判」が行なわれた『ながい旅』。個別的な戦争犯罪・残虐行為に加担した命令者・実行者に対する裁判である。軍事法廷で岡田資は東海軍司令官の裁判記録を追ったノンフィクション。映画にもなった。
 似ている作品に『わたしは貝になりたい』という作品では元陸軍中尉・加藤哲太郎の手記「狂える戦犯死刑囚」の遺言部分をもとに、橋本忍の脚本で制作されたテレビドラマおよび映画である。ストーリーは橋本忍の創作で、架空の物語である。



 戦争がつくる敗者と勝者のちがいをまざまざと見せつけられた裁判でもあった。だれかが言ったが忘れたが「一人の死は悲劇だが、百万の死は統計上の数字に過ぎない。」という言葉。戦争は、勝った側と敗者との差は天と地に等しい。
 そのうえに戦争は、ものごとの本質を絶対に教えてはくれない。くれないばかりが本質に強制的にフタをする。それは、政治という思いフタでもある。すべてに影響させる政治。
 今年、「森友学園」問題で流された「教育勅語」。人は洗脳されて戦場におくられていく。なんと恐ろしい時代があったのだろうと思う。

 戦後生まれで「平和ボケ」ということを聞きます。「平和」が長く続くとボケてしまうのだろうか。ぼくは、平和は戦いをしないことだけではなくて、日々の仕事のなかにもそれを求めることが大事なことだと思います。
 例えば、戦争の時代は、自由に本が読まなかっただろうし、職場ではブラック企業かおまけの残業もやっていただろう。無理をして体を壊して亡くなった人も多いかったと思う。さらには今月強行採決された「共謀罪」法案。密告社会の到来といえば、好きなことをいえなくなってしまう…ということだろう。
 戦争は暴力の最終段階としたら、日々の埼葛の窮屈さはその前段階の準備なんかもしれません。そんなことは身の周りには、山ほどあるだろう。
 そんなふううに思えたノンフクションだった。

■大岡昇平(1909-1988)東京生れ。京都帝大仏文科卒。帝国酸素、川崎重工業などに勤務。1944(昭和19)年、召集されてフィリピンのミンドロ島に赴くが、翌年米軍の俘虜となり、レイテ島収容所に送られる。1949年、戦場の経験を書いた『俘虜記』で第1回横光利一賞を受け、これが文学的出発となる。小説家としての活動は多岐にわたり、代表作に『武蔵野夫人』『野火』(読売文学賞)『花影』『レイテ戦記』(毎日芸術大賞)などがある。1971年、芸術院会員に選ばれたが辞退。



■p32-33 倉田はいよいよ煙幕の中にはいりはじめたとき、急に激しい恐怖に襲われた。先が見えないからだ。もしも煙幕の出たとたん敵の大部隊に鼻を突きあわせたらどうなるか。部隊はこの上もない不利な立場に置かれなくてはならない。…死を覚悟して働くというより何でもいいから早く死にたい気持であった。

■p51 元来医学というものはあらゆる生命現象を人体について研究するものである。~これは一体なんであろうかと近藤医学士は考えた。たとい敵であろうと味方であろうと、生命が軽蔑されているということは即ち医学という学術それ自身が軽蔑されていることだ。自分は医学者でありながらその医学を軽蔑したわけだ。こう考えてみると彼は迷路に落ち混乱を感じはじめた。……待て。俺の命はどうだ? もしもこの戦場で俺の命も敵軍によって軽蔑されているものなら、この命の上にある医学とは一体なんだろう。より一層軽蔑されているに違いない。

p56 部隊はもう一両日のうちに次の戦闘に向うという話だ。期待するものはそれであった。早く戦争したい。常に戦って居りたい。兵隊は戦争にあって戦うべきもので反省するべきではないのだ……。

p63 戦場というところはらゆる戦闘員をいつの間にか同じ性格にしてしまい、同じ程度のことしか考えない、同じ要求しかしないものにしてしまう不思議な強力な作用をもっているもののようだ。

p94 彼等は大きな歩幅で街を歩きまわり、兎を追う犬のようになって女をさがし廻った。この無軌道な行為を北支の戦線にあっては厳重にとりしまられたが、ここまで来て彼らの行動は束縛することは困難あった。彼ら一人一人が帝王のように暴君のように誇らかな我儘な気持ちになっていた。~自分より強いものは世界中に居ないような気持であった。いうまでもなくこのような感情の上に道徳も法律も反省も人情も一切が力を失っていた。そうして、兵は左の小指に銀の指輪をはめて帰って来るのであった。

p108 まことに戦場にあっては、近藤一等兵がたびたび疑問を抱いているように、敵の命をごみ屑のように軽蔑すると同時に自分の命をも全く軽蔑しているようであった。

p168 それを聞くと不意に敗戦国民の憐れさに眼頭が熱くなった。嘗ての戦場で子供を抱いたまま土手下に倒れた女、母親の死骸にとりすがって泣いた女、それらの一切の惨憺たる風景が一度に彼の記憶に生々しく甦って来た。

p198 背嚢は重かった。かかえている銃も水筒も邪魔であった。しかも彼は気狂いのようになって走った。このときは彼は心から淋しさを感じたことはなかった。部隊は彼一人の居ると居ないとに全く無関心で進んでいる。そして部隊をはなれてまるで何の価値もなく何の力もないのだ。彼は心の底から自信を失い誇りを失って、溺れたようにただひた向きに原隊に追いつこうとあせり、走った。部隊と一緒に行く、どこまでもついて行く、それより他に彼は何事も考えることはできなかった。




 『生きている兵隊』を読みたかった理由は、いったい戦争の現場では何が起こっているのだろうかという興味があった。戦争での本来の仕事とはいったいなんだろうかと考えたかったからだ。
 今年、PKOでスーダンにいった隊員たちの記録が知らされていなかった。挙句の果てにはあったにもかかわらず隠蔽されようとしたことがニュースになっていた。「やっぱり、隠していたのか」と思う。

 『生きている兵隊』は日常の生活から、敵の掃討作戦までどんなことが行なわれいるのかを実際は「銃後」の人たちには知らされていなかった。事実現代でも。PKOの活動の詳細は隠されていたようなところがある。この小説はフィクションとはいえ時代を復刻しているように思える。

 小説は楽しいものもあるが、時代を背負っていままで生き残っている小説も『生きている兵隊』のようにあるようだ。ただ、日頃なかなかそれを目にすることがないだけで、こちらが求めなければ誰も提供はしてくれないようだ。
 誰もが「戦争はいやだ」という共通な思いはあるが、そこまでで終わり次にすすむことが相当な体力と勇気がいるからだろう。ただ、いやなことは誰でも思うことだろう。大事なのは、「無関心」であるということではないのだろうか。一人でできることは限界があるのだし、そのときにやれることを探そうということが大事なことではないかと思える。

小説として世の出るまでは大変なことだっただろうと思える。



 週末になってやっと梅雨らしく雨も降り始めた休日でした。
 今週、とうとう故郷へ帰っていった知人を見送った。声もかけられずただただ「元気になあ」ということだけだった。それでも、帰る場所があるということは幸せなことなだろうと思う。一日でも早く、故郷の水になれて楽しそうな便りを送ってくれればそれでいいと思った。
 都会を離れるとなんにつけ情報は遠くなっていくようだ。自分から求めていかない限り永遠に知らないことがたくさんある。

 スマホばかり眺めて、見ては消えていく情報を手元において考えることがめんどうになってくる日々をどう送っていくのだろう。
 来週は健康診断がある。ちょっと不安な気持ちがあるが、自分の体だから仕方のないようだ。それまで、あまりむりのないようにしていきたいと考えている。
 それは今週はこのへんで。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

世も末か…とも思えた一週間

2017年06月18日 | Weblog

 こんにちは。
 あいかわらず梅雨という季節に疑問をもった週でした。
 折り畳み傘を入れたかカバンをもって歩いた日々でもありました。

 とうとう、自公両党の政府与党がその馬脚をあらわした組織犯罪処罰法改正案(「共謀法」)が野党(民進、共産、自由、社民)の審議を続行を求めたにもかかわらず参院本会議で採決を強行しました。「森友学園」「加計学園」問題がいまだに解決になってないなかの強行でした。
 成立当日の新聞の見出しをひろってみると<「共謀罪」成立へ強行、民主主義がないがしろ、国会死にかけている、自由が奪われる:(東京新聞)「民主主義の荒廃した姿」「誰を処罰?範囲あいまい」「言論の府、審議封殺」(朝日新聞)>が怒りを表現していました。なんとも、なさけない国会か…。

 そのなかで一番なさけないというのは、審議の答弁のはっきりしないこと。
 考えれば、国会は「一強多弱」の現実をまざまざと見せつけられた国会で、国民の代表者が話し合っているとうより、自民党の政策をバンバン強行した国会であったともいえでしょう。少しも少数者の意見をくみ上げ、それに応えて審議する態度がみえないところばかり目立っていたようです。
 ある意味これは「独裁」以外なにものでもないように見えました。
 これも、すでに決まってたかなような審議でした。なぜ、これまで自民党は強行するのでしょうか。権力をつかってますます、身近なところにその影響は出てくる日もそんなに遠くないのかもしれません。

 「歴史は繰り返す」。過去の歴史を掘り返してみたとき、いちばん被害をうけたのは、国政に疑いもしなかった、善良な市民であったのではないのであようか。




 かねて5月の下旬ごろ約束していた「飲み会」がやっと今週実現していってきました。約束した人の肩書は地方から出向している社長さん。こちらにきて単身赴任の身であるそうです。中小企業の社長さんの悲哀の話をきいてきました。
 きいていたら、『男はつらいよ』に出てくるだんご屋の「寅や」の近所にある印刷会社のタコ社長を思い出していました。

 小さな駅を降りて路地を何本もはいった奥にカウンター10席ばかりの焼き鳥屋さんに座っていました。BS・TBSテレビの『吉田類の酒場放浪記』でも出てきそうな奥まった路地の小さな居酒屋でした。話を聞いてみれば、みんなあかの他人なのは当たり前なですが、この場と酒でつながっているような気がしました。そして、なぜか同類が集まってくるように思えました。

 どこでも同じ経営者の悩みは、人の把握と資金繰り。
 とりわけ、世代がぜんぜん違う人たちの理解とコミュニケーションだそうです。きっと、前の経営者もそんなところで悩んでいたのでしょう。
 きけば最近の若い人は理解に苦しむことが多いそうです。肩書ばかりつけても、「仕事はまじめにやるが人間関係が足りなくて、いざ職場全体でがんばろう」という時にひっぱるムードメーカーのような人がつくれないそうです。スポーツでもいえば、失敗を恐れずチャレンジする人のような選手。ミスをしてもこの人のためならまた一緒にチャレンジしてみたくなるような人…だそうです。

 こんな人は一朝一夕にできるわけがありません。おそらくこれは、その会社の屋台骨のような企業文化でもあるのではないかと思えるからです。日々の会話のなかに、付き合いのなかに自然とできてくるのだろうといえます。そのことは普段目にみえない形でできていて、あるとき力を発揮するものでしょうかか。話を聞いていたら、「それは無理」だと思えました。それが、証拠になかなか若い人が職場や仕事になじまないようです、最悪なのはすぐやめてしまう最近の状況をみれば明らかでしょう。

 「再雇用」の身の私に「何をおっしゃいますか」という気持ちでもありました。ただいえることは、「この会社でこの人と仕事をやっていきたいな…」と思える企業風土をつくることが大事だと思えました。事実、私はそうやって定年までやってきました。(最近はそんな身近な人もいません)。
 人を威嚇しているような言動があるかぎり無理な話ではないかと…。早急にいっていることを理解してほしがために、怒ったようなきつい言い方をしている上司を多く見かけます。けっきょく言っている本人も自信と余裕がなくてそうなってしまっているのでしょうか。それが、部下に伝わっているのでしょうか。いま、周りを見あわたせばそんな関係の人の固まりがないように見えます。けっきょくバラバラの「価値観の多様化」状態です。

 あと何年もない任期のなかでどう悩んでみても先には進みません。
 「まあ、一度いや何度も、話しをする場を設けて自信をつけてもらしかありませんねえ」と…。あとは、年配者(私)たちのとの関係をうまくやることでしょうか。きけば、来年創業50年だそうです。その50年を無駄にしないために人を育てる(仕事のなかで)ことをやったほうがいいでしょう…なんてところだと思います。少なくと世間を騒がせている「ブラック企業」にならないことにも力を入れてほしいなあ、と思いました。

『小さな居酒屋』
他人の誘いに
ふらり、ぶらり、さらりと
横丁の路地をまたいて入ってみれば
人は、カネは、信頼は、命は
でるのはため息が暗い夜道にかけまわって
気がつけば
カウンターと椅子10席ばかりの居酒屋は
きょうもため息、青色吐息
明日になれば忘れてしまうだろう
話しはつきることなく
暗い路地にはいっていく


 
 今週、会社を退職して田舎に帰る人との食事会にいってきました。
 聞けば、40年近くも務め、会社や人の移り変わりを見て来たそうです。そんな会話をするなかで「よくはないていないねえー」という話が印象的でした。年々悪くなっていくばかり。安倍首相の「総活躍時代」で変わるのかと思っていたが結局いいたいことは「死ぬまで働け」のように響いているよようです。格差が広がるということは、金持ちと貧乏人との差がますます広まるということで、それは、カネ持ちはますます富を蓄え、貧乏人はますます貧乏人になっていくこと…。あげくの果てには「死ぬまで働け。年金取得年齢をもあっとあげろ」と聞こえてくるようでした。
 政治の話はしなくとも、自然とその内容になってしまう年齢なのでしょう。

 この日の夕暮、食事会会場『最後の晩餐??』にいくときに時間があったので、近所を散歩したら40年間の町の風景はなくなっていたようでした。
 あいかわらず変わらないのは「目黒川」は汚なさ。少しも水の色はかわっておらず濁っていました。変わったのは護岸とそのとなりに立つビル群でした。
 ひとつ同じところにあったのは、銭湯と警察署くらいでした。
 あんな時代もあったね
 こんな時代もあったね…という風情はなくなったような気がしました。
 食事会会場は、とっても風情のあるお店でした。モルタル2階建。1階ハンバーグとステーキセットはとてもおいしかったです。名前を調べたら、洋食『ふじかわ』さんでした。40年ほど前きっとここで食事をしていたかもしれないなあ、という歴史がある洋食屋さんでした。

 今週、とんでもない形で「共謀罪」という法案が成立しました。
 どんな生活になっていくのか…。どんな社会になっていくのか…。
 それは、以外と身近なところから変わっていくと歴史は教えています。それが「たいしたことではあるまい」と見逃していたらとんでもなく、がんじがらめになり、ものが言えなくなったということになりはしないかと危惧しています。そして、すべてに情報を伝えようとしているジャーナリズムに影響が出ないかと心配しています。

 笑っておいしいものがあたりまえに食べて、政治を自由に批判して自分の思いを伝えていける社会は大切な暮らしの一歩だと思います。
 今週はこのへんで失礼します。
 雨が降り出して梅雨が始まった日曜日でした。
 今日は「父の日」だそうで。さて、ぼくはどんな父親にうつっているのでしょうか。
 読んでくれた人、ありがとうございました。


梅雨入りですが…雨降らず

2017年06月11日 | Weblog

 こんにちは。
 6月に入り、季節は梅雨入りという言葉が聞こえてきました。出たとたん雨が降らず、暑い日々が続いています。乾燥しているせいでしょうか、夜はヒンヤリとして風に吹かれると、少し寒いようです。

 通勤路ではツバメの巣から雛たちが大きく羽ばたいていきました。いまごろは親鳥と一緒にえさのとりかたでも教わっているのでしょうか。

 今週は、久しぶりに妻と映画にいってきました(下記述)。やっぱり、テレビの画面よりいいですね。余計なものをいっさい排除した映画に没頭しているとなにもかも忘れられます。終わって映画館を出てくるまでは「夢の中」です。
 そん時間をつくってくれるものがだんだん少なくなっていくように思えます。

 さて今週は、英国で総選挙が行われてメイ首相率いる保守党が予想を覆し過半数割れというニュースがありました。EU離脱からさらに、その賛成を強行にするために挑んだ総選挙でしたが労働党が議席を伸ばして、保守党のもくろみ通りにはいかなかったようです。そのなかで、読めることは利国のEU離脱はもっと平等になれるのだろうと思ったから。しかし、現実は不平等はますばかり。「ゆりかごから墓場まで」の福祉国家をめざした政治がうすくなっていくなかで広がって濃くなっていくのは貧困問題やテロ事件。その対応が直が城にされる中での総選挙。英国市民はこのままの政治では「まずい」と考えた結果でしょう。保守党の今後のゆくえがきになるところです。
 日本ではどうか。あいかわらず「問答無用」のような国会ではないかと思います。これからどうしようとしているのか、どこへむかっているのか…。
 民主主義が議員数の数できめているような国会。国民をないがしろにすることに進みつつ法案が強行されていくことはいいわけはありませんがねえ。

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 今週、友だちに映画のチケットを仕事関係でいただいたので妻と観にいってきました。映画の題名は『家族はつらいよ 2』。以前『家族はつらいよ1』の続きともなる作品にあたります。
 この映画も封切りから時間がたってしまいまだ上映されているかなと心配していたのですが、地元の映画館でやっていました。妻は膝が最近調子が悪いので近所でやっていたのも助かりました。それに天気もいいことも大事なことです。

【あらすじ】
 前回の「1」では、周造(橋爪功)と富子(吉行和子)との離婚騒動があちました。それから数年たったところからはじまります。
 定年退職後の周造は朝のラジオ体操、マイカーでの気ままな外出をささやかな楽しみにしていました。しかし、周造の車にあちこちの傷が目立ち始めたことから、高齢者の危険運転を心配しはじます。高齢者ドライバーの事故が多発し始めた最近の事、家族は運転免許を返上させることを画策します。
 そのことを誰がいうのか、子どもたちがいろいろと思案しますが、嫌な役回りを兄妹夫婦でなすりつけ合う日々がはじまります。
 
 周造には周造の楽しみ、妻は妻としての楽しみをそれぞれ維持続けていくことをおもい実行していく日々。
 ある日、周造は飲み屋のママと一緒に昼飯を食べにマイカーででかけます。工事中の曲がりかど来たとき、そこで交通案内をしていたのは、高校生時代のサッカー部の友達でした。広島県から出てきて、数十年ぶりに会う友達の変わりように驚きます。さっそく、もう一人のサッカー部友達をさそい飲み屋で昔話に楽しいひとときを送るのですが、遅くなってしまい家に泊めることになります。久しぶりの再会に楽しさを満喫した時間でしたが…。
 子どもたちの家族をも巻き込んで、話は展開していきます。



【感想】
 座席指定をするときに、空席があまるほどあったのでのんびり構えていたら始まる5分間ほどあたりから、たくさんの人たちがどっときました。気がつけば満席の状態。ぼくも含めて老人は神出鬼没ですね…。

 物語は、前回の『家族はつらいよ1』からの続きのようで安定感があって落ち着いてみることができました。ある家族の生活をたんたんと描いていて、まさにどこにでもありそうな家族像のように思えます。

 子どもたちがみんなそれぞれ結婚して独立していて厳しい現実のなかで生きていました。その厳しさというのは、映画のなかでは少子高齢化という波。ここででもきていました。長男の夫婦には性格の違うケンカばかりしている二人の少年。税理士の仕事をしている娘のところではピアノの好きな少女が親を悩ませています。末っ子のところもまだ子どもの話題がの最期に言葉だけが予想させていました。
 まさにここでは、父周造が主人公なのでしょう。定年後の生活のなかに周造が抱えている悩みが今の日本の最大の問題のようでもあります。

 傷だらけの自家用車を運転する周造。高齢者ドライバーの自動車事故を想起させます。さらには、友だちをとおしての、孤独死、無縁社会、生活保護…など。生活のところどころに小さく顔をだし、山田洋次監督らしいと思えました。それでも、そのなかで、人の間の抜けた面白さをさがして笑いをさそっているころも好きな場面でもあります。映画のなかで、銀杏をお腹いっぱい食べる友達(あんなに食べて大丈夫という疑問はありましたが)。
 そんなところが、どんな厳しい生活のなけでも「笑いをあきらめない」という大切さを観たように思います。

 「核家族」という言葉を思い出しました。
 家族はいまや崩壊の一途をたどっているように思えます。いちばん小さな家族が核家族であれば、今はその家族も単身避妊や結婚しない子どもの出現で、家族形態の最少の核家族さえもできなくなってしまっているように見えます。それは、一方で経済の形が強制させたものといえるのだと考えられます。
 経済の動きととともに人間の移動も向かうべき方向が縮小されてきたいえるのではないのでしょうかね。
 ※核家族(かくかぞく)とは社会における家族の形態のひとつ。拡大家族、大家族、複合家族と対になる表現である。米国の人類学者であるジョージ・マードックが人類に普遍的ですべての家族の基礎的な単位という意味で用い始めた"nuclear family"という用語の和訳であり、夫婦や親子だけで構成される家族のことである。(Wikipediaより)

 どんなことであれ、生活の核としての家族。ほんとうにそうなっているのか。以外と、いちばん遠い人間関係になりつつあるこの時世。なんともいい映画をみたようい思いました。チケットをくださった人に感謝です。

 今回の映画のなかですがにうまい演技をみせていたのは主人公の周造。さすがにうまいなあ…。でもそれを引き出しているのは飲み屋のママ役との風吹ジュンさんでした。ぼくも好きな女優ですし。




 異動して1ヵ月が過ぎました。
 元の職場にもどってきた…、というよりは自分のなかにはやっぱり異動。
 「一人職場」から人の様子を眺めながらの仕事がはじまりました。いちばん感じることは、これだけの人数がいながらみんなどれだけ、一人ひとりのことをわかっていくるのだろうか…ということ。
 たとえば、休んだ人の親しいだろうと思える人に「どうしたのかな」と聞いても「わからない」との返事。そんな思いがよぎってこの人たちは、ここに何人もいるという理由をどう考えて仕事をしてるのだろうか、ということ。

 翌日には、なにもなかったように始まる。
 まるで「監視社会」のように聞き耳をたてる日々に思えてきた。いったいどうなってしまったのか。一人で仕事をしている感覚は何人いても同じだなと思えた瞬間、まえの「一人職場」の方がまだよかったかもしれないと。一人でいるときは、仕事の段取りが大変だったものの精神的に余裕があったように思えた。人の姿も楽に見れたように感じた。
※私が「社会」を考えても「社会」は私を考えていない(『いま私たちが考えるべきこと』橋本治著・新潮文庫より)

 正社員と非正規・契約社員とのギャップがあるからなのでしょうか。
 いずれ、年齢をとることには公平になっているのに…。



 梅雨とはいえ、雨が降り始めがなかなかないような毎日です。おかげで、鞄には折り畳み傘をいれている日々です。雨はいいとしても、局地的な大雨はこれまでの降り方です。自然のバランスがどうなっていってしまっているのか。

 今週『家族はつらいよ2』という映画はよかった。数年もしたらきっとテレビで放映されるかもしれない。それまで待っててもいいかという人もあるだろう。でも、やっぱり映画は映画館で観るのが最高だと思います。見たくもないCMを気にせず、集中できる。さらに思うのは、この一作をみんながどんな気持ちで鑑賞しているのだろうかということを思いながらがまたいい。
 とはいえ、たくさんの映画の中から自分の見たい映画を探すのも一苦労。毎週土曜日あたりから始まることはしっていても、ちょっと時間をおくと見逃してしまう…。なぜかぼくが見たい映画はとくにこの傾向にあるように思う。
 見なければ永遠に見ないものもあるだろう。せっかく、監督が大金を集めてつくった映画。できるだけこまめに情報をチャックする一日があっていいのだろうと思う。
 今日はこのへんで失礼します。

気がつけば6月、また人が去る

2017年06月04日 | Weblog

 こんにちは。
 若葉も日々少しずつ濃い緑にかわっていくようです。陽ざしがつよくなってきました。昼間は陽ざしをよけて歩く通勤です。
 上を見上げれば、空に白い雲がゆっくり動いて行く様子がみえます。
 ある雑誌の表紙をみていたら、まっさおな空の下に田んぼの苗がきれいに並ぶ写真。新緑のうしろの山が田んぼに映るとてもきれいでした。人の労働が田園を美しくしている姿にもみえます。こんなところで、ご飯でも食べたら、きっとうまいのでしょうねえ。自然は人間の手が加わっていることがわかります。私たちに、人と自然の営みがよりいっそう身近の感じさせてくれいるのでしょう。

 いつも通いなれている商店街の軒先のツバメの巣から姿が消えていました。巣立ちをして飛んでいるのでしょうか。今年の夏もいよいよ本格的になってきました。



 東京という町はいつでもどこかで工事中の毎日です。渋谷では、上へ上へとビル工事が行われています。こんなに高い建物が建つなか安全性はどうなのでしょうか。地震が起きてビルが崩壊したときまず助かるような感じがしません。そんなことを思いつつ工事を眺めていました。2020年の東京五輪はいいですが、この町もあの町もきれいにするばかりで、結局地域住民にはちっとも配慮のない工事がすすみそうですが…。今回はどんなことがでてくるのでしょうかねえ。
 ちなみに小池東京都知事が電柱を撤去するという公約はどうなったのでしょうか。東京で唯一電柱のないところは、永田町界隈です。木々が良く見えて景色はいいのですが、国会のなかは真っ暗闇状態で危険ですが…。


<何となく明日はよき事あるごとく 思ふ心を 叱りて眠る(啄木)>

 思えば東京にきて四半世紀。得たものは会社での仕事と家族とローンだらけの住居、そして今日、一緒に飲んでいる人たちもしれないなあ…と思う。それでも、今まで体だけはどうにか無事に過ごせて来た。そんな思いをよぎらせた送別会だった。そして思うのだ、「人はないものを欲しがってはがんばって、つまづきながら生きていく」という感想だけが残った。

 ぼくが、東京に初めて足を降ろしたのは、仕事のために総武線が走る錦糸町駅だった。さらに、住居をかまえたのは昨日送別会があった品川だった。
 品川は海寄りのところから、住宅地が密集する環状7号線沿い。わたしは住宅地が居並ぶ環状7号線沿いだった。この奥までくると東京もビルよりは人が住む暗さとこじんまりとした住宅がたくさんあったように思う。そこでは、小さな個人商店が日常品をかかえて商売をしていた。そこに住む、おやじさんとも話す日々もあった。毎日、定食屋にかけこみ、おやじさんの話を聞きながらすごした夕暮れもあった。
 あれあから40年以上もたっていれば、すでにその人の姿もろとも違う建物が建っている。いったい、どこで暮らしているのだろうかと考えるだけである。

 40年前に住んでいた品川で送別会があった。
 定年をすでに終え、今月中旬まで働き生まれ故郷に帰るのだという。
 あたまをよぎるのは、私が入社したとき右も左もわからないことを教えてくれた。休日には、野球チームにさそってくれて一緒にプレーした。試合が近づくと、お互い野球会場をでかけた思い出が多い。
 さらに、人づてにたくさんの人と知り合えになれた橋渡しをしてくれた人だった。
 そんなこと、あんなことと、たくさんあったことが思い出せないほどだろう。
 とはいえ、年にはかてない…。人間は年をとり仕事もしなく日があるのだろうと思っていたがこんなに月日が早くてうらめしいと思った一日でもった。
 送別会のきたのは60歳以上。最終的に集まった人は気心もしれた人たちだった。還暦をすぎると、もう若い人との会話も世代の違いを感じる。職場でもよほど、会社の企業文化というものがいい会社ではないと若者との話も敬遠しがちになる。ぼくの会社もそれほど立派な企業風土のようなものがあったはずだが(そう思っているのはじぶんだけかな)最近は「疎外感」も感じる日もある。おそらく、正社員と契約社員とのミゾのようなものが、お互いの距離をつくってしまっているのだろう。それが利害関係があるとなおさらに距離は遠くなるようだ。

 その距離をうめるべき労働組合や企業側が寄り添って話し合う会社がどれだけあるのだろうか。ぼくが知っているなかでは皆無に等しい。
 それでも、労働組合や企業をひっぱっていくのは老人ではあるまい。若い働きざかりの人たちなのは世界共通だと思う。先輩と後輩という関係がうまくいっている労働組合は企業のなかでの契約社員との正社員との関係をどうしているのだろうか。

 現実はそれぞれの労働者の孤立化は時代とともに進んでいるようだ。だから「過労死」になるまで労働組合や会社の名前がでてこない現実があるようだ。まじめに働けば働くほど、死に近づいている労働とはいったどんな労働なのだろうか…。
 「少子高齢化社会」というのはよく聞くテーマである。
 しかし、そのなかで「少子化」や「高齢化」は反比例して増えていくばかりである。その本当の原因はいったいなになのか、今日の送別会に参加してもっと身近なところにあるように思えた。そんな知恵をもっている高齢者との関係がなくなりつつある時代ってロクな時代ではないのではないかと思う。

 


 6月が始まりました。
 梅雨も近づいているようです。
 日曜の午後、妻の知り合いのコンサートが渋谷であり行ってきました。
 曲名はバッハの〇〇。(曲名も忘れる)。正直、会場では目をつぶって聞いていました(ほとんど居眠りでしょうか)。ヴィオラを弾いていた人も「ほとんどくらい曲ばかり。でもわたしには都響(東京都交響楽団)の時代からのこだわりがって、死ぬまで絶対これを弾いておこうという気持ちだけです」と、断りを言っておりました。暗い部屋で野太いヴィオラの音を聞きながら居眠り…なんて、なんと贅沢な時間なんだろう、と思えました。それも、渋谷のど真ん中のビルの一角でのこと。

 途中、3日前にイタリアから届いた五弦のヴィオラは面白いものを見ました。弾くのにも大変なようです。

 さて、今月はどんな月にしたいのでしょうか。
 ぼくにとっての当面「気になる」ことは「共謀罪」という言葉。最近よく聞きます。読んでみたい本は『スノーデン、監視社会の恐怖を語る』という本です。図書館で予約して、何カ月も待っていました。本当は買って読むのがいちばん身になるのですがね。予約した分、ぼくも意地で待ってましたよ。
 二日間、東京の町をうろついていたもので大変疲れました。人のペースで歩いたり、食べたりはちょっとしんどくて、苦手なジジイになりました。
 今回はこのへんで失礼します。