日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

「平成」だろうが「○×」だろうか歴史はつづくだけ。

2019年03月31日 | Weblog



 こんにちは。
 あちこちで桜が咲き始めました。寒さのなかでの花見風景も休日には散歩道でみかけます。
 空には、ヒバリやツバメが鳴き、気持ちよさそうに飛んでいました。地上では、人の出も多くみける多摩川の散歩道でもあります。気のはやい人たちは桜の木の下で宴会を始めている人もみることもあります。季節は春なのでしょうね。

 さて3月最後の日曜日です。昨日から「平成最後の○○…」という言葉がメディアで多く聞こえてきます。昭和が平成にかわったときは、なにかと騒がしい日々でしたが今回も同じように見えます。これで暮らしが良くなるとは思いませんが。
 むしろ4月から値上げが持っている状況のようだ。食糧品では明治、森永などの乳製品が上がり、家庭の台所食品であるコンソメ類など調味料の値上げは待っている。また人手不足を理由に外食なども値上げがある。国民年金の保険料も同じ。
 春がきて入学、引っ越しとお金のかかる季節。値上げはそれぞれの個人の生活を直撃する。こういう現実である。なにがめでたいもんか…。





 月末です。
 「これだけははずせない」と月初めに思っているわりには、いつも大ざっぱになってしまいます。そして、いつも「日々のまとめが大事だな」と猛省する月末です。今回ももれず、ざくうりとしたようになっています。それでも、読んでいるときは楽しく、もう一人の親友の話を聞いているように読んでいます。時間があいている通勤途中の座席で、あるいは眠り薬ではありませんが寝床で(いつの間にかねこんでいますが)読むことが多いようです。読書の極意は、じっとがまん…しかありません。読んでいることがチンプンカンプンであったえいすることもありますが、がまんを通り過ぎると、「こんなことがあるのか。こういうことはあるよね…」と思うことが多々あります。そんなことを考えながら今月も終わったようです。

 読みたい本はあれど、最近は本がやたらと高くて困ってしまいます。ですから、現実には文庫本になるまで待つ日々が多くなりました。本が売れなくなった、読まれなくなった…といいますが本の高騰もあるように思えます。

 さて、今月は、高い値段をみながら文庫本になった本ばかり読んでいました。
 『コンビニ人間』や『毛沢東の大飢饉』は興味はあったのですが、新刊は手がでないほど高いのでずーっと待っていた本でした。図書館で借りて読むときもあるのですが、時間的な制約もありなかなか思うようになりません。いつでも読めるように手元に積んでおくのがいちばんです。




p73 メキシコなんて治安が悪くて人が死にまくってじゃない。それでもお葬式はお祭りなのかね。悲しみは悲しみとして、お祭りなんだよ、とダニエルは言った。

p91 隣にいる勝行は義理の父にあたる。義理、という言葉が親は兄弟に接続されることだけでおもしろいとダニエルは思った。

p136 いったいこのどうでもよいけれども無視できない岩島先生のエピソードを、いつ誰に伝えればいいのか。別にそんなに誰かに伝えたいわけではないけれど、そのどううでもよさゆえにいつか誰かに伝えなければ、これもまた自分の記憶の彼方に忘れ去られて二度と掘り返せなくなるかもしれないと、思う端から岩島先生はどうでもよさに浸食されていく。自分もまた誰かのどうでもよい記憶としてどこかで存在していて、やがて忘れ去られるものと思われている。

 p215 人の死によって日常についたどこか妙な起状を年長者たちは乗りこなしていて、人と死に慣れない若い人は少し遠い場所で状況を持て余している。(解説・津村記久子)



 祖父の葬儀に集まった人たちの物語をかく。家族、親族、友だちが入れ替わりながらお焼香にやってくる。祖父の葬儀場を中心にそれぞれの「いままで生きてきたこと」を語る。「山あいのけむり」重兼芳子著を思い出す。火葬場の仕事を通じて静かに物語が展開される。
「生きる」ということはいったいどういうことなのだろうという日常を語り合う。例えば、ニュースになる殺人事件が起きても自分とは遠い話である。殺人の死は身近なものではない。けれでも、現実は殺人がなくとも、日々は殺人以上に悩んで生きている世の中がある。その日々をたんたんと生きることを覚えさえてくれる。
ぼく自身、葬儀に出席していたときのことを思い出した。地方にちらばった親族が集まる唯一の場として集まる儀式でもある。それは、人が生きている証明を語り合う場所でもあるように思う。毎日、人の死と向き合うことはないことで、今のここにいる自分自身をちょっと深く考えさせる一日となるようだ。「死んでいない者」にこめられた「死」にたいするそれぞれの思いを語り合う人々を描いた小説だった。




p26 なぜコンビニエンスストアではないといけないか、普通の就職先ではだめなのか、私にはわからなかった。ただ、完璧なマニュアルがあって、「店員」になることはできても、マニュアルの外でどうすれば普通の人間になれるのか、やはりさっぱりわからないままなのだった。

p47 人手不足のコンビニは、「可もなく不可もなく、とにかく店員として店に存在する」ということがとても喜ばれることがる。私は泉さんや菅原さんに比べると優秀な店員ではないが、無遅刻無欠勤でとにかく毎日くるということだけでは誰にも負けないため、良い部品として扱われてきた。

p77 ビニール袋の中に、そっと卵を入れる。昨日売ったのと同じ、けれでも違う卵を入れる。「お客様」は、昨日入れたのと同じビニールに同じ箸を入れて同じ小銭を受け取って、同じ朝を微笑んでいる。

p84 あ。私、異物になっている。ぼんやりと私は思った。店を辞めさせられた白羽さんの姿が浮かぶ。次は私の番なのだろうか。正常な世界はとても強引だから、異物は静かに削除される。まっとうでない人間は処理されていく。

 p105 「そりゃあ、そうですよ。処女のまま中古になった女がいい歳をしてコンビニのアルバイトしているより、男と同棲でもしてくれたほうがずっとまともだって妹さんも思っているよ」


 学生の時のアルバイトから就職活動もせず、今までアルバイトとして働いている。見渡せば周りは、結婚、子どもを育てる主婦となっている人。会話のなかかに、少しのあせりを感じながらその理由を考えている。すでに妹は子育ての真最中でもある。姉でもある主人公のまわりで起きるできごとが展開されていく。


 世の中にはいろいろな小説があるなー、と感心してしまう。だから小説はおもしろいのかもしれない。「コンビニ人間」という小説は題名通りコンビニを舞台としたもの。これは、いまいちばんあたらしい画期的な大発明のような舞台設定のものだろうと思う。
 コンビニといえば、24時間営業が当たり前になっているが、最近では24時間営業にするにも、人材が足りない状況で24時間営業を取りやめたところもある。現実には24時間営業であれば最低でも2交替あるいは、3交替制で体制が必要になってくる。それには、労働者を雇わなければならない。しかし、労働力人口が年々減っていて人手不足で雇用が追いつかない実態となっているのが現実だ(「出入国管理法」を改正して外国人労働者し人手不足を解消しようとしている)。

 主人公の「私」。学生時代からアルバイトの続きを30歳すぎまでやっている。
 できれば、人手不足、賃金、お客とのトラブルなどを避けて生きていきたいようだ。自分の生きていくうえで「わずらわしさ」というものを一切削りりとって生きていければ…とアルバイトを始めたのだろう。アルバイトの人たちが口には出さないが、それぞれの今の場所にいることへのためらいをもって働いている。現実はその愚痴そのものであるのだろう。それさえも、うまくコントロールしようとする「私」。今の人たちはこんな思いで働いているのだろうかと思ってしまう。でも、これは、周囲を見渡せば「ある」ことのようになっているようだ。だから、ちょっとの会話でも避けたいような人が多いようにも思える。生き場の失った人たちがとうとう追い込まれた中で、身の安全を確保するためにとった方法が主人公の「私」の姿なのかもしれない。ここには、低賃金、人手不足、正規社員、派遣労働など、いまかかえていることさえ消してしまおうとする自我があるのかもしれない。裏をかえせば、「追い詰められた」と思わないような価値観があるのだろうと思う。だから、その結果一部に事件を起こした人間が出てきても「無関心」を装うっていられるかもしれない。つくられた「異物」として片づけてしまっている。

 今後、外国人などの労働者が一緒に働くような時代になってくるなか「異物」としての関係ということだけは避けたいものだ。職場のなかにはいろいろな人がいることは理解するなかで、どう協同していくのか考えさせられた一冊でした。主人公のような人が増える世の中になってきたのかなあーと思う。

※ちなみに『コンビニ人間』という本ですが文庫されて100万部を突破したそうです。いかに、この本が、現在のコンビニ店員以外の心境を代表しているかわかるような本です。個人的にはあまり好きではありません。




pⅲ 病気になって感じたこと、考えたこと。勉強したこと、好奇心を掻き立てられたこと。感謝したこと、憤ったこと。医療に携わる人にわかってほしいこと、健康な人にもわかってごしいこと。

p42 臨床研究とはもちろん綿密な計画がなかされ、倫理的にも患者の同意など諸権利が守られる。そして、その成果は今の患者である私たちを大きく助けてくれている。しかし、sこには「死亡」という形で足跡を残す多くの患者が存在する冷厳な現実もまた知ることになった。

p68 薬物は癌細胞、感染した細胞にも作用を及ぼします。望まれるは、正常な細胞に何の作用も及ぼさず、感染した細胞だけ殺す「魔法弾丸」です。

p90 私自身~辛いのは「倦怠感」「重苦しさ」「身の置き場の無さ」など、どう言っていいかわからない。やる気が失われる…家事をなかなかはじめられない。

p104 私たちがん患者も同じだ。がんの勢いに負けないために、化学療法に耐えるために、手術に備えるために、食べなけばならない。

p120 活字やメディアの世界で「死の象徴」とされるものに何が選ばれているのか? 健康な時は意識したことがなかった。しかし、いま映画やドラマの世界で「死の象徴」となっている病気はまぎれもなく「膵臓がん」である。

p153 治療中のがんばる患者、よき家庭人、よき社会人、そのずべてを休める場所として、また休んでから戻っていくときにエネルギーをチャージしてくれるところとして、いま日本に在ってくれることにとても感謝する(マギーズ東京で)

p177 そのときに、誰もが生きにくい世の中だからひときわ生きにくい人たちを産まないということではなくなんとして多くの人が生きやすい社会をつくれないか? と思う。これこそ「きれいごと」と批判を受けると思うが、それでも考えてみたい。

p189 後悔はしない。これまでも目の前の船があれば、目標に到達できるかどうかはわからなくても乗ってみる、という生き方をしようとした。乗ってみなければ見えない風景がある。予想外の場所にも立ち寄れる。船を漕ぐことが人生なのだと思う。

p196 何だが、次は自分だと思うというふうに思うかもしれない。彼女の元気だったことを思い出して辛くなるとか、まあ、いろいろあるけれど、やはり死が怖かったのだ。死を思い出させる花や線香の匂いや黒い服や、そのことがすべて怖かったのだと思う。

p204 死はmこの本の中でも何回か書いてきたように、がんを告知された瞬間から、すぐそこにある。もちろん誰の生にも、死は必ず訪れる。人はただそれを普段はあまり意識せずに生きているだけなのかもしれない。死は誰にでも平等に訪れる。それがいつかは差があるにしても、必ず誰にでも死は訪れる。

p218 怖くて考えなくて、消えてほしい。その存在が消えてほしい。けれども、そこにあるまま、しして受け入れることができないまま、それでいいのではないかと思って、最後まで生きるしかなのだろうか。~人は死ぬまで生き続ける。だから死を受け入れてから死ぬのではなく、ただ死ぬまで生きればいいんだ。

 p225 日本はこれからよりいっそう「単身社会」が進んでいく。一方的に発信するだけでなくて、自分の思いを受信し共感してくれる人たちとわかりあって支援をうけられる社会になればいい。



 最近「がん」という言葉を聞く日が多くなってきました。人の一生は「生老病死」だといいます。人間が避けてとおれない四苦のなかで生きているということを強く感じるようになってきました。
 できれば避けて(考えず)生きていきたいと思うが現実はそうもいかないようです。今、がんは2人に1人の割合で増えているとききます。いったい、どうしてがんになってしまうのか? 疑問はいつも頭のすみにありました。
 それというのも、ここ何年かのあいだに親族や知人の葬儀に出席した際に亡くなられた原因が「がん」ということを聞きます。こうした「同年代の人の死」について遠い未来のことではないのだろうとつくずく考える日々になってきた、ということも事実なのだろうといえるような日々でもあります。
 今月読んだ『〈いのち〉とがん』坂井律子著(岩波新書)は「すい臓がん」に罹った本人からのこれまでの報告のような本。がんの中でもいちばん難しいといわれています。
 この本は、これまでの経験を日々の記録として書かれています。
 読み終えて、生きている間だけでも考えることとして大事にしたいことを伝えている筆者の思いがよかった。




 1958~1962年、中国・毛沢東は中国共産党「大躍進」の下、15年以内にイギリスを追い越すという狂気の沙汰の計画が始まる。ソ連の工業中心から農業と工業の「二本足で歩く」発展をめざした。人々はユートピアを求めて共産主義社会をめざす「人民公社」に組み込まれた。
 その時代の為政者の犠牲者になっていく人々の死をあらゆる場面から調査した一冊。
 この迫力には感心するばかりであった。
 そして、結果として「人災」であることがわかってくる。なんとも人間とは恐ろしいことかと考えさせられる本だった。



【平成であろうがなかろうが、花は咲く】
 今年も桜が満開に咲く休日。ゆっくり近所の公園に散歩に行くと、多くの花見の人がいました。こうしてみていると、桜の花を眺めては「自然の力はすごいもんだなあーと」思います。冬の間は枯れているように休眠をしているかと思うと、春には一気に花も実もある美しさを平等に見せてくれます。ぼくもとりあえず、缶コーヒーでも買って行ってみました。公園では咲く花の美しさを見せてくれていました。

 そういえば、3年ほどまえだろうかなあ、ぼくが定年前の時代。社内の人とこの公園で花見をしたことを思い出しました。それまで、何人かで自分の近所の花見のできるところを探して毎年花見をやろうと約束したものでした。約束通り横浜にも行ったこともありました。宴も盛り上がり、帰りが深夜になった経験もありました。そして今、その約束もいつのまにか解消されてしまい、現在に至っています。せめて、家族でも思いますがねー。

 ちゃんと自然は花を咲かせる約束をしてくれます。それにくらべて、人間はなんとも頼りなく、心もとなく、そのうえ変わりやすいものだろうかと思います。今は、その人たちはどこでどうしているのかも不明です。そんなわけで、今年は、人の花見を見に来ている。ここにきている人の中にも、「来年もしようね…」と約束して終わったところも多かったのかもしれません。
 「人の心と、春の天気」変わりやすいですねー。人と人との関係が自然とのつきあいことよりはるかに難しいか、いまさらのように思う春です。
 せめて変わってほしくない、花の咲く木々、電車の時刻表。それに、自分の健康くらいだろうか。自分に約束できる日々が来月からもつづくといいと思いますが、どうでしょうか。



 「平成最後の…」ということをよく聞いた3月だった。それもそのはず、明日新年号を発表するそうだ。新年号であろうとなかろうと、生活はちっともよくなるわかではあるまい。逆に値上げは続く(いつの間にか強引にと思うほど)。それらと付きあう年金暮らしの人間としてはつらい。人手不足もあるのだろうが、こちらは年金不足でもある。外国人の労働者を雇用するこよがこれまで以上に解禁される4月。そのことによって、私たちの生活が楽になるわけではあるまい。今まで読んいた新聞も値上げを伝えてきた。

 さて新年度とはいえ、新企画を考えていません。続けていくうちに新しいものを見つけてはチャレンジしていくようにしていけたらと思っています。

 春とはいえまだ寒い日があるように、ますます人の心と懐が寒いことに気が重い新年度となりそうだ。「コンビニ人間」を読んで、ますます孤立する人間関係がつくられていくような気がする。高年齢の引きこもりがニュースになっているように、孤立化は進んでいる。それも40代から50代と働き盛りが増えつつあるとのこと。こんな社会になっているのだから、男女の出会いも減少するわけである。さらには、少子化も当然かもしれない。平成から新元号になってもこの解決策はいまだない。あるのは、企業の働き方改革での誠意ある実践であるのかもしれない。本当にやりかやらないか、今後を監視していくことしかない。労働組合の役目は大事だ。

 少しでも解決すべく頑張ってほしいもの。政治の役目は大きくなっている!!。しかし無投票の議員が増えつつあるとの現実も悲しいこと。そんな思いがほんとうに現実になるのはいつになることか。来月は統一選挙の月でもある。政治をかえる一歩になる月にしたいものだ。「新元号」ではなんの解決策にもなりはしない。

 まあ、のんびりいきたいと思います。『マイペース』がこれまでも、これからも私の一番の行動の指針のようになっていきます。


 自分自身でしかできないペースをさがしてはいくしかありません。それが壊れた時が病気になるときだろうと確信しています。4月。新しいスタートでもなく、これかでも、これからも同じスタートです。

来月からは「働き方改革」ってえのを考えていこうと思案中です。そして、山歩きでも始めようかとも…。

 読んでくれた人、ありがとうございました。

 

平成最後って言いすぎに閉口します

2019年03月24日 | Weblog

 こんにちは。
 毎日が温かくなっていく中、桜の開花宣言もでました。散歩の途中で足をとめて眺める風景にも桜の木が多くなってきました。気がついてみると、木の高齢が進んでいるのかたくさんの枝が伐採されているように見えました。さらに、来年の五輪に合わせているのか公園のベンチや道路がきれいになっているように思えました。近所がロードレースの会場になるということだけで木々の伐採や道路の拡張工事などと「どんだけ五輪は儲かるの」とう気もしてきます。そういえば、竹田JOC会長のあまりにも早すぎる辞任には驚いていました。(やっぱり、来年のことがあるからだろうか)とはいえ、辞めたということは、疑惑の解明にはまだまだ不明な点を考えれば困ったことだろう。

 ばくも、東京五輪を60年ほど前に郷里でテレビ中継でみていました。あれから、どれだけアマチュアスポーツが変わってきたのだろうかという気がします。きしくも(?)NHKの大河ドラマの「いだてん」の時代から比べればどれほどスポーツの形がかわり、どれほどその基本理念が変わってきたのだろうか…と考えさせられます。
 それにしても、東京五輪というイベントを利用してさまざまな思惑が飛びかう時期になってきました。うっかり、喜んでもいられないような気もしますが…。なんでもかんでも五輪のためなんてなったら、まさしくスポーツイベントが生活を楽しくするどころか圧迫するようになってしまうったら本末転倒ですからね。




【休日には会社と反対方向の電車に乗ってミー!】
 はやいなー、と思いながら日々を送っている。通勤電車に揺られて40年以上の東京生活である。東京にきたとき初めて降りた駅は「錦糸町」だったろうか。アルバイトを手伝うためにひと足先にアパート暮らしをしている友達を訪ねたのだろう。アパートの下には材木も浮かんでいた川があった。夏は川風が下から吹いてきて涼しいアパートだった。そして今、その友は青森にかえり、残ったぼくは今も東京根なし草暮らしでもある。

 引っ越しも数回。都内じゅうをしている。その度に路線の違う電車に揺られている。若いころは景色が日々変化することが楽しかった。そして、その希望にそったように景色も日進月歩で変わったように思う。とくに印象に残るのは山手線での大崎という駅。40年ほど前はあまり人も降りることもなかった駅だった。それがいまでは、ものすごいビル群だ。マンションもいくつも建っている。いまや、隣の五反田を追い越すほどのハイテク都市になっている。訪ねて歩いてみると、中原街道という主要道路は変わらないが、町のなかの迷路は全部かわったように見える。路地も消え、まるで自動車専用道路があちこち幅をきかせるように見えた。
 通っていたお店も世代がかわって、店構えもかわり、人もかわったようだ。夕飯を食べによった食堂のおじさんはもういなかった。「うるさい」と叱られた不動産屋のおじさんもいない。なんか、町がこぎれいになった分、人の心のなかは整理できないまま今にきているような気がする。

 40年もたつと、肉体は衰えて行動範囲も小さくなってくる。いっそ人里離れた町に住むようになりたいと思う。今は、通うに不便なローカル沿線に住むようになった。休みの日には、通勤とは反対方向へ乗ると、すぐ誰もいなくなるほどのありさまだ(下・写真)。でもこれが落ち着かせるし、のんびりできる。
 最近、よく見かける引っ越し専用の車。卒業、入学、新社会人。人の変わりように等しく引っ越もあるのだろう。人の移動のなかの気持ちという荷物も一緒に運んでいることだろう。さて、それぞれの最終着地点はいったいどんなところになるのだろうか…。ぼろぼろになって墜落する前に無事降りたいと思うのだが、いまだゆっくり飛んでいる最中。燃料も部品も持ちこたえられるのだろうか、思いつつ歩きまわっている。小さな車窓に見える景色はどんなものなのか。これからが…、また始まる。




 年金満額支給(65歳)までの再雇用という身分になって、若い人たちに囲まれて仕事をする日々である。そこで、思ったことは「難しいなあ」ということであった。何が難しいのかというと、一つに言葉づかい。昔であれば「これぐらいちゃんとやってくれよ」とムスッとして言うとすぐにへそを曲げるという日々がだ。そして、次からの仕事がやりずらくなってしまう。誰でもが忙しくなると言葉もあらくなってしまう。そんなことを思いながら日々の仕事が片づけられていく。最近は、パワハラ、セクハラということが企業内で多くなっているとニュースの記事が多い。そして人を傷つけている。暴言がエスカレートしていくイジメということになっていくようだ。残念だが、ぼくにも経験がある。以前に上司に暴言をはかれて相談する人もいず、泣き泣き会社を辞めていった人のことが思い出される。ぼくは少なくともそんな人を二人ばかり知っている。どうしてこんなことが多く起きるのだろうか悲しくもなる。
 学校でも同じような事件もよくニュースで報告されている。子どものイジメの原因を作っているのは、根っこは大人の状況がつくり出しているようでもある。権力者は批判する勢力を暴力を使って封じ込めるとい仕組みは、今も昔も同じだろう。いい例が、チリのアジェンデ政権が政権によって崩壊した歴史があった。

 なぜそうなってしまうのだろうか。
 職場で聞こえるのは仕事の話ばかりである。まあ、とりあえず「仕事の話」をしておけば差し障りがあるまい…と。ほんとうに難しいなあと思う日々でもある。ぼくの方も自分の仕事をやるだけと思う日々である。それにしても、いったいこれからはどうするのだろかと思うことがある。きっと、ぼくと同様に一つひとつの仕事を無難にやっていけば終わるのだろうと考えているのだろうか。
 労働という行為をどんな思いでつくっているのだろうかと思うことがある。
 最近、少ないながら話をすると他人のいうことなど聞かない風潮になっているように見える。自分の主張が「絶対正義」と思い他人の入る余地をもない状況がつくられているかのようだ。揚句のはてに、机「ドンッ!」と打って怒りをぶちまける。いったい何がかわってしまったのだろうかと。昔であれば、そこは笑ってやり過ごして次へむかう処が、そこで止まってしまうというか、ちょうどハードディスクがフリースしているような状態が多いようにも見える。「再起動」する勇気をくれる人も時間もないのだろうかね。こんなことでどうなることか…。

 まさに仕事の経験はあるが、人として何か足りない日々を見つめている。
 「あーあ、これでいいや」と思うことが日々何回あるのだろうか。



 もう少しで桜が咲きそうな日々である。陽射しも温かい。
 春の選抜高校野球も始まった。若いっていいなあ…と思いながら見ている日々だ。ぼくにも確かにあんな時代があって、地面を思いっきり蹴って駆けめぐっていた時代があったのだろう。そう思いながら、マリナーズのイチロー選手の現役引退。後にも先にもこういう選手はきっともう見られえないだろうと(ぼくがいきているうちにだけでど)思う。かたやサッカーの三浦選手。三浦選手はちょっとかわいそうな選手だ。もうちょっと遅ければもっといい時代を迎えていたのだろうと思う。いまだ完全燃焼できていない。だから、今でも現役をおくっているのかもしれない。時代をうらんだところでいい仕方がない。それでも、一つのサッカーの歴史を牽引した人には変わりはない。これまで、スポーツ選手には励まされることが多かった。とくに、同年代の選手の活躍には感謝したいほどだよ。スポーツをやらなくなって若さあふれるプレーには感心する。

 最近「平成最後の云々」が多く聞くようになりました。
 昭和生まれの人間としては「うるさいなあー」と思うだけです。
 平成っていう時代はいいことはなかった。とくに東日本大震災での原発事故は印象深いできごとです。昭和は戦争があって、めざましく発展していく時代だった。その後平成になって労働者の生活はますます悪くなったようにも思えます。事実、ことごとく「民営化」になった時代でもありました。労働組合はいためつけられ、格差は開いた時代でもありました。その民営化で利益を得た企業もあるのだろう。格差はひろがり、「子ども食堂」という現実もあります。さらに「過労死」が平成になってますます過激になってきたようにも見受けられます。「一強多弱」という政治体制が強化されました。そして、政治家も真摯に議論していた時代であったのではないのだろうか…。

 「平成最後の○○」を聞くたびにいやなことばかり思い出してしまう。
 さて、読者の皆さんにとってはどんな時代だったのだろうか。
 よくも悪くも一度考えてみてはいかがでしょうか…ね。
 来週は少しのんびりできるといいと思います。週末には休みをとって山歩きにいけたらと思案中です。体のことを考えて、山の空気をいっぱいつけて来ようと思います。
 それくらいはいいと思います。なんせ、再雇用ですから。
 ではきょうはこの辺で失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

寒さ、ときどき温か…の日々

2019年03月17日 | Weblog


 こんには。
 まだ寒いと感じながらも春が近づいていることの日々よろこびを感じているこのごろです。
 散歩途中で、足元に咲く花が静かに春との近さを見せてくれているこの頃でもあります。それでも、まだくもり空では寒さが身を縮めさせる日でもあります。学生さんは春休みでもあるようで、バストンバッグに軽装と旅行姿の人を見かけもします。「いいなあ…」と思いながら日々窮屈な通勤が続いています。それと、卒業式のシーズンでもあるのでしょうか。身も軽やかに春の温かさを満喫できるという気分でもありませんが、それでも着実に温かさが春を運んでいるような毎日です。

 さて今週は、東日本大震災から8年になります。いったいどんなことが変わったのだろうかと思う週でもありました。8年前は仕事中だったことを思いだしていました。午後3時をすぎて「今日もも少しで仕事も終わりかな…」と思っていたやさきでした。ビルが揺れ、外へ出ると電柱が抜けるのではないかと思うほど揺れていました。あちこちで屈んでいる人も見えました。揺れる中、人の動きは止まってしまっていました。
 電車も停まり、帰れないことが決まった夕方でした。結局この日は翌日動き出した電車で帰ったことが記憶にあります。



 8年後。なにか変ったのでしょうか。
 最近では、津波で浸水したところの工事が着実に進んでいる様子がニュースになっていることをよく見ます。道路や鉄道は復興していることがわかります。福島第一原発事故があった地域でも避難して人が戻ってくる様子もみます。目に見えるモノはお金と人が入って形になっていくのでしょう。それでも、いまだに安心して住める状況にはなっていないこともわかります。今でも5万人以上の避難生活者の行方があんじられているところです。放射能の問題が今後どんな被害をもたしていくのかいまだに解決の糸口がみえていない。特に、事故があった原発の廃炉作業が遅々として進んでいない状況もニュースでわかります。こういった事実がまだ残っている状況では子どもをもった人たちにとっては、不安ばかり残って帰る状況ではありません。政府のいう「住まいの再建がおおむね完了する見込み」はないでしょう。避難者への住宅手当も今月末で終了するという事実もあります。
 これでは一つも解決ができていないでしょう。政府が勝手に思うのはいいですが、現実はそうはなっていない。そうなっていないことを知らせるのがこれからの大事なことなのだなと思います。
 来週、春分の日(21日)の原発の集会が代々木であるそうです。たまには、行ってみようかと考えています。どんなことが起きているのか、自分なりに聞いてこようと思います。(これまで一緒に行っていた人が入院してしまったので、寄ってみるくらいかな…)

 8年前。いやなことばかりが続いた春をむかえる日々でした。
 そんな中で、サッカー女子ワールドカップの優勝は忘れることができない感動でした。今思い返すこと、同じ年代にこんなことがあるんだと、つくずく世の中というものがうまくできているような気がしています。小さな女子選手たちの笑顔が印象的でした。(ちなみ今年も女子サッカーワールドカップがあるんですね)
 あれから8年、いったい何が起きているのでしょうか。




【その踏切の向こう側…】
 ローカル線のよさは、踏切がまじかにあるということでしょう。電車が通り抜けるまでのんびり待っている時間があります。下をのぞけば車輪の下から向こうの様子が見えたりするのも面白ものです。いわば近道のような踏み切りです。絶対に車は通れません。せいぜい人や自転車のほかはバイクくらいしか通れない。こういう踏み切りがどれだけあるんだろうと思うこともあります。

 小さくてわからにくらいの踏み切りですが、住んでいる人にとっては大きな自動車道より重宝します。散歩をしていると「ホッと」しながら電車が過ぎるのを待っている場所です。



 寒ーいと日々、心の温度計が叫ぶ続けていました。それも、あと少しで終わるようば気がすると何がなくてもうれしくなってしまいます。これで、体の一部分の痛みも緩和されて和らぐのではないかと思います。たとえば、若いころ野球で骨折した足首の痛みとか…。
 
 とはいえ、来週はやっぱり忙しくなるようです。やるだけのことはやりますが、自分以上のことはできないと割り切っていくしかないようです。仕事をやりすぎると不健康になりますから、ね。ほどほどにして(お客には迷惑をかけない程度に)いくしかありません。
 来月から「働き方改革関連法案」の施行がされるとい聞きます。ところで、「働き方…」ってどんな法律でいたかね。過労死の原因の残業を減らすために法律でしたっけ…。よくわからないまま法律が、「あれよ。あれよ」という間に成立してしまう今の国会です。わかっていることだけでも勉強してみたらと考えています。自分のことですからね。

 今週も先週同様、いつの間にかすぎてしまいました。もうちょっとまともなことを…と思いつつ今週も終わります。
 春というより、温かくなるのが待ち遠しい日々です。花粉症と奮闘しながら…。それでも寒いよりまだましです。
 では今週はこの辺で失礼します。読者のみなさんも楽しい一週間をつくってください。
 読んでくれた人、ありがとうございました。





花粉飛びかう季節をむかえ

2019年03月10日 | Weblog


 こんにちは。
 一日が少しずつ長くなってきたようです。
 朝がこれまでより、明るくなっていくのが少しずつ早まるのがうれしくなってくる季節に思えます。散歩をしていると鳥たちも地上に下りてエサを探し始めている群れを多くみるようになりました。同時に、花粉が多く飛んでいるようで鼻先がむずかゆくなってきました。クシャミもでるようになってきました。目もかゆくなってきました。昨年より、強い印象をうけています。が…。咲いた桜をみることができる季節にもなってきました。花粉の量の少ない杉を増やしていると聞いています。それでも、多く感じるのはなぜでしょうか。それにこの時期の「花粉対策のコマーシャル」が「これでもか!」というほどムズかゆくなるのには閉口しています。花粉の少ない杉を植えたところで、それに対応する体も適応しなければならなくなる。これまでの花粉にやっと適応できるようになって症状も楽になったと思っていたのに…。けっきょく、新であろうと儲かるのは薬品会社と医者だろうか。




「白覆面の魔王」と呼ばれ、昭和のプロレス人気を盛り上げたザ・デストロイヤー(本命・リチャード・ジョン・ベイヤー)さんが7日、死去した。88歳だった。…63歳で引現役退後は米国で指導者おして活躍し、日本でもレスリング普及に努めた。社会活動にも熱心で、2017年旭日双光章を受けた。(朝日/9日)

 ぼくが子どもの頃(半世紀前かな)、金曜日の夜8時といえばプロレス中継だった。まだ白黒テレビである。
 亡くなった父は夢中でみていた。ぼくも一緒に力道山、ジャイアント馬場、ラッシャー木村、吉村、坂口などを応援していた。アントニオ猪木はまだまだひよっこだった時代かもしれない。負けると、父もぼくも不機嫌な試合中継後だった。
 場外での乱闘にも日本人プロレスラーの活躍をみていたが、なぜかケンカの下手な日本人は血みどろにされているシーンが多かった。そして、覆面レスラーのデストリヤーの登場。なにか不気味で怖かった。ジャイアント馬場との対戦では「4の字固め」にはすぐに「ギプアップ」。これが、技かと…。これにかかった対戦車は誰しも勝てないだろうと思ったほどだ。
 現役時代のあのキラー役のデストリヤーを見ていたころ「血わき肉おどる」時間だった。父も若かったなあ…。「4の字固め」は今でもぼくはかけられる…。これだけは体が覚えているのには不思議だ。
 後日引退後のバラエティー番組で活躍した時代があった。日本が好きな外国人なんだと思った。

 少しずつ働くようになってプロレスは見なくなった。女子プロレスもできた。そして、あたりまえだが世代交代。日本プロレスは新日本プロレス…とか。分裂をくりかえし今は全然分からない。「格闘技」というのも出てきてプロレスも斜陽化したのかもしれない。危険すれすれの技や対戦は、ぼくの記憶の中ではあの時代からすこしも進歩していないかもしれない。
 サッカーでは、ダイヤモンドサッカーのジョージ・ネスト、ヨハン・クライフ、三菱電機提供のプロレスでは東洋の悪魔・ジャイアント馬場、漆黒の魔人・ボボブラジル、噛みつき魔・ブラッシー、シャープ兄弟、豊登、力道山、遠藤幸吉、木村金太郎。イタリアの怪人・ブルーのサンマルチノもいい。鉄の爪のエリックとジャイアント馬場のタイトルをかけた対戦はすごかった。馬場の額が血でまっかだった。正義とか悪役であれ迫力があったなあ。
 みんなぼくとりも10年くらい先の年齢だったんだ。ゼスチャーも下手な日本人をいっぱいまいた時代ったなだろうと思う。覆面同士のデストライヤーとミル・マスカラスとの対戦もよかったなあ。
 最近はおしい外国人が亡くなる記事が多い。ドナルド・キーン(2019年2月24日)さんもその一人。

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働き方改革関連法案が来月1日に施行し、政府が推進する働く人の副業・兼業が本格的に解禁される。だが、過重労働が懸念されるのに副業・兼業に対応した労災保険や雇用保険などの安全網は不備なままだ。このままでは過労死などの労災認定がされないのではと危惧する声があり、専門家は「命綱なしに過重労働の危険にさらされるようなもの」と批判している。(東京/9日)

 「働き方改革関連法案成立」が採決される前の審議で「働かせ方法案」だと野党が批判していたことが現実的になってきた。「過労死」が問題になり、労働者への過重労働の軽減が目的でもあったはずだった。しかし、ふたをあけたら、企業の労働者への責任をなくすような法案ではあったのではないか。一つ目の会社で定時で帰り、副業の会社でも働くという形が解禁されて働くのはいいが、副業先での労災になることができるのだろうかという疑問が残る。副業だから「ダメ」という声も聞こえてきそうだ。

 ちなみにぼくの会社では、副業は就業規則で禁止されている。会社に内緒でアルバイトをやっている人もいる。アルバイト先でのけがなどあった場合会社を休むのであれば「有給休暇」だ自己責任で解決している。「働き方」では副業先での事故がば労災になれば自分の会社にそれが「労災」となるということになるのでしょうか…。そこが、グレーである。

 なにか、結局「1億契約社員・派遣社員化」にしようとしてりうようにも思える。
 そうなれば、一つの派遣会社に籍をおき二つの職場に仕事にいくような複雑さに。これまでの派遣会社のやってきたことがすべての労働者に適用されるような形になるのでは、という不安もつのる。じゃ、公務員はどうなるのだろか。副業先で仕事をしているときに、自然災害が起こった場合に、住民の奉仕者である公務員は副業先の仕事をすぐ離れられるのだろうか…と。実際のところ、勤め先で身も心もクタクタなのに副業どころではないだろうなあ。大事ななのは、副業する必要もない職場環境や賃金が大事なはずなのだ思うのだが…。それが「働き方」だろう。安心して働けるようになれば少子高齢化も少しは緩和されるのではないか。副業といえば「投資」とか「株」とか生活に余裕のある人のイメージしかない。あとは、生活費を稼ぐために、パートでちょっとの時間で働くぐらいだろう。責任は自分持ちにならないように軽いものしか選べまいが現実だろう。

 まったく本当に労働医者のことを考えた法律ではないことをつくずく考えさせられる。
 それを強行して来月から実施、と。労働者は体の安全どころか、身も心もずたずたになってしまうのではないのだろうか。「過ちを認めるのは恥じることはない」と思うと、もう一度審議してほしいものだ。「景気はいい」と思うのは勝手だが、現実、働いていて、年金生活をしていて「景気はよくない」という人とギャップをうめるのが政治だろう。それが、どこでどう変わってしまったのかなあ。




【今は見ることが少ない貨物輸送】
 休日には多摩川をよく散歩をしている。もう10年以上になる。10年もしていると毎回みる人がいる。夏は短パンとサングラスで大汗をかきながら競歩の練習をしている。毎年休日のとき多摩川にいく楽しみにしている一つとなった。今日はいなかったが…。あとは、たくさんの野球少年・少女やサッカーをする人たち。還暦野球大会も行なわれてもいます。

 遠くをみれば南武線が多摩川の橋を渡っている景色もあります。他では見られない長い貨物車両もみることもあります。最近では、通勤電車の路線はみることが少なくなりました。それだけ、運輸にはトラックが使われているようになったようです。宅急便が普及したからでしょうかトラック運転手も大変です。しかし、運転手が少なくて超過勤務が多いとも聞きます。だから値上げがあるようでしょうか。トラック運転手も人件費をあげたいのでしょうか。それをしなければ新人の運転手が入社をしないのでしょうか。賃金が本当に上がっているのか? とも思います。春闘では賃金要求しているわけですから…。

 などを思いながら貨物列車をながめています。





 今週は花粉症がひどいです。
 クシャミばかりしながら更新していると、思いがどこかへ吹っ飛んでいってしまいます。
 まいったなあー。
 ということで今週はこのへんで失礼します。明日もマスクをして帽子をつけていくしかないようです。薬はのみません。雑誌の追い込み週でもあります。忙しくなりそうです。
 読んでくれた人、ありがとうございました。



3月。水ぬるむ季節です

2019年03月03日 | Weblog


 こんにちは。
 3月になりました。少しずつですが、散歩道にも花をみつけます。やっと、春の気配を感じながら毎日がやってきたという思いです。(寒さをやっと忘れられます)桜の開花宣言も楽しみなってきました。

 3月にはいり温度もあがりつつある毎日ですが、日常生活で上がって欲しくない商品の値段がのきなみ上がっていました。これまで電気代の値上げは困ったものでしたが、今回は食品で麺類からお菓子類を中心値上していました。
 理由は、人員不足、原材料の値上げなどがありました。生活のなかで必需品ともいえるカップ麺などの値上げは大きい気がします。

 値上げで印象に残っているのは宅配便の値上げでしょうか。物流で働く人がいなくなれば、その人員を獲得するために人件費をあげるために値上げに踏み切ったように思います。それでも、これからも折にふれ値上げは行なわれるでしょうか。決定的な理由は労働力不足(人口不足)が理由です。なにんにつけ、こんれから値上げは行なわれることは確実でしょう。
 とはいえ、ほんとうに賃金があがっているのかは聞いたことがありません…が。

 一方で、「セブンイレブン」の営業時間をめぐってニュースになっていました。
 人手不足で24時間開店するための人員不足が理由となっています。本店側がそれでも24時間開店してほしいということですが、現実に人がいなかければ誰かが長時間労働をしなければならなくなります。今後はそれを補う本店の対応が求められている状況です。いずれにせよ今後の、人員不足に本気でとりくむのか注目度が高いニュースでした。「働き方改革」ということはいわれる年です。外国人との対応などもあります。




『老  眼』
君はなにをみているのだろうか
遠い 誰かをみていると顔が見えません
誰ともさだかではない人におじきをしています
近くになって「おー君か…」
なんともたよりの目ではないか

健康維持にはドコサヘキサエン酸
ビタミンB群
ビタミンE
目には気をつかう老眼だが
それでもいつかは見えなくなる

もうスピードは追いかけない
遠くはあまり追求しない
見えないものは無理しない

ぼくの老眼は
そんな気持ちにさせるものなかもしれない
それは無理は禁物ともきこえる

君は何をみてきたのだろうか
本当はみえていたのだろうか
ゆっくりときは流れ
目につくものを追いかけるほどの
視力はないことを知った一日
明るい光があればいいではないかと思う
きっとほんとうに見えるモノは
向こうから見えるようになってくれるのだろう




【人が水辺にあつまるようになって】
 少しずつ気温があがってくると、体を動かすのが楽になってきます。とくに、齢をかさねているぼく自身にとってはありがたいと思う日がきたようです。寒い朝は、起きていちばん感じるのは体の痛みです。老いてくるとますます血管のめぐりが悪くなって痛みを生じさせているのでしょうか節々が痛みます。しばらく動いていると痛みがなくなっていく…という日々です。ということは、老いには寒さは歓迎できない季節あなのだなあーと思います。

 井の頭の池にも少しずつ人があつまってきました。それも、冷たい水のそばにです。
 親子でボートにのっていました。水がゆっくりボートを動かしてはそのここちよさに声をがえながら遊んでいました。水といえば、温まる水に動きだすのが魚の群れですか…。
 魚たちの季節でもあります。子どもの頃、通常は釣れない大きな鮒があさせによってきては産卵をする気配を感じる季節でもありました。朝早く起きては、短い釣り竿をもって水辺に出かけていきました。釣果は大量…。釣れるたびに身体が緊張しているのでしょうか、少し身震いをするほどのでした。

 こういう季節の池の事情を知ることは、釣れない日々があるからでしょうか。
 池の周りにはたくさんの生物がいることをとくに春先は身をもって知る大事な季節なのではなのでしょうかね。そういえば、『春の数えかた』日高敏隆著 (新潮文庫) という本の中で生きものはどうして春を感じるのか、ということを書いた本を思い出しました。水辺に棲む生き物は、春という温もりを体内時計が察知して…、ということを書いていたように思います。秋になればカマキリは子孫を残す行動を誰に聞くでもなく行動を起こすそうです。それは、人間の比ではないほどの精密さをもって子孫を残してきました。そんなことを思いだしました。

 井の頭恩賜公園は、子どもが小さいとき毎週出かけたところ。今よりは人の出入りは少なかったようです。動物園にはゾウのはな子もいました。そして熱帯植物園もありました。職部縁には放し飼いのきれいな羽の鳥もいました(姿は見えないが木々の間から声がしていた)。小さなウサギやモルモットを抱けて一緒に動きまわれるスペースではいつも楽しんでいました。人の行動はときには、誰彼に指示されるわけでもなく、春には温かくなって中、水辺にあつまるようにできているなかもしれません。そして、そこで新しい目的ができるようになっているでしょう。
 春はそんなことを思い起こさせる季節の変わり目なのでしょうか。



 3月が始まりました。 
 企業では今月が年度末といいます。とはいえ、何をやれとうこともなく日々の仕事をやるだけのことです。上司はこれまでのツケをとりかえそうとハッパをかけていますが、いまさらという気にもなります。あわてて出来るモノではありません。

 これから一雨ごとにあたたくなっていくのでしょうか。
 少しは外出する機会が増えるかもしれません。
 今週はこのへんで失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました