日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

寒さがいちばんきつい2月でした

2016年02月28日 | Weblog


 こんにちは。
 まだまだ寒さがきびしい日が続いています。
 それでも、足元には小さな花々が弱々しいけれでも咲き始めています。多摩川でも、河津さくらが咲いていました。まっさおな空にピンクの花がよく映えていました。町は少しずつでっすが色をもち始めました。
 うれしいこともある反面、花粉症も出始めてきていますね。通勤電車では、鼻がムズムズし始めました。マスクが日々のアイテムになってきました。今年は、きびしくなるといわれています。まいったなあー。

◆1 関西電力は26日高浜原発4号機を再稼働を開始した
 今年は東日本大震災・東京電力福島第一原発爆発事故から5年目。
 5年目にして原発事故で住む家も、おくべき心のよりどころもばらばらになった。そして、いまだそれを立て直すことの途上。その間、日本中の電力は企業努力もあって、原発ではなかった。だから、最近まで一発の原発も稼働していなかった。原発がなくても電力は供給できるんだと安心した。

 それが、世の中はなんとも非情なのか、企業が強欲なのか、今年になって再開しはじめた。それも、これまでの教訓は生かされているのかと思うほど強引に…。いまだに日本は「緊急事態」には変わりないというさなかにでも、資本家は利益を求めようとして、不安・危険という恐怖をまたしても人々に押し付けてきたように思う。
 5年後の今年、これから放射能の被ばく被害はまだこれからという。現に、甲状腺がんに関する健康調査も不十分という。眼に見えない被害がこれからでてくるのではないかと思う。さらには、当時の東京電力の東電元会長をひっとうに責任者が業務上過失致死罪で起訴される。ようやく、5年目になって原発事故の問題の本丸の玄関にきたのにもかかわらず、再稼働という事実はいったいこれからどうなるのか。
 地震はまだある…というなかでだ。

◆2 大阪・梅田の国道176号線で乗用車が暴走2人死亡、1人が重体の事故
 「不運」はどこにあるかわからない。
 自動車に同乗して、運転手が心臓から腰の部分の大動脈が破裂して心肺停止。ブレーキを踏むところアクセルを踏んでスピードを落とさず暴走し激突。歩行をしていた人もはねる。楽しいはずのドライブも一瞬にして悲劇になってしまった事故だった。

 ぼくにも経験がある。赤信号で停止していたが青になり進行するところ進まない。運転手をみたら下を向いて眠っていた。睡眠不足だったのだろう。車を近くのサービスエリアに停め、休憩をとった。そんなことは「そんなばかな」ことと思うが、人間だものないことはないと思うようになった。人はミスをか起こすようにできている…と思った方が無難かもしれないと。

◆おまけ:米国ネット大手グーグル傘下で軍事用ロボット登場/25日東京(夕)
 なんとも米国は怖い国だ。軍事用ロボットといえば地上戦だろう。
 戦争で大事なことは、空や海を支配することよりも地上(陸地)を支配することがいちばん大事なことだろう・ベトナム戦争では、米国は枯葉剤を空からまいて地上の支配しようとした。しかし、ベトコン、民族解放戦線は、地下で勝機をつくっていた。地上戦で反撃をくりかえし、けっきょく、米国軍はベトナムから撤収を余儀なくされた。米国はいかに地上を制することが戦争にとっては大事かを世界一よくしっている人たちだと思う。

 ぼくの好きな女優のシガニー・ウィーバー主演の『エイリアン』という映画でも、ある企業が宇宙人のエイリアンをエイリアン生け捕りにして、戦闘用(軍事用)にしようとしていた。
 人間の想像は、一方で残酷なことを平気で考える「アホ」な動物だなと思う。悲しいかな…。



 早いものですね。1月が終わったと思いきやもう2月も終わります。読む本はたくさんあるのでしょうけど、ぼくにとっては今月は車谷長吉という作家が面白くて読んでいました。この作家、久しぶりの私小説作家です。
 作家は「アホ」だという作家でたいへん興味がありました。なぜ「アホ」なのかその辺がいちばん興味がありました。読んでいくうちに、私小説ですから、自分の身内の恥をさらけ出して、さらには身内から後ろ指をさされ、地元では身内の生き恥をさらした極悪ものともいわれていました。それでも、小説を書く…と行為を最後までつらぬき通した作家でもあります。

 しかし、今まで出した本は絶版が多くて古本屋や図書館でしか手元で読むことができない貴重な作家でもあります。



人生の救い(車谷長吉の人生相談) 車谷 長吉 (朝日文庫)
【内容】
 新聞連載時より話題沸騰! “最後の文士”にして“私小説家の鬼”たる著者が、投稿による身の上相談に答える。妻子ある教師の「教え子の女子高生が恋しい」、主婦の「義父母を看取るのが苦しい」……この問いに著者が突きつける凄絶苛烈な回答とは?

■p63 騙されるのは楽になる道なのです。
この世に人間として生まれて来たことの不幸から、少しでも救われたいと思う人は、文学・芸術・哲学の道に進む以外に途はないのですが、この途に進むことはきわめて困難なことです。まず貧乏に耐え、勉強する決心が必要です。その決心は大部分の人には出来ません。従って手取り早くは、新興宗教に途はないです。

■p83~84 死を覚悟して真の人生が始まる
私はあなたのことを、考えが甘いとも傲慢な人とも思いませんが、人はある年齢に達すると、自分にもいずれ死が来ることを、はっきり覚悟する必要があります。極端に言えば、そこからはじめて真の人生が始まるのです。この死の覚悟のない人は、駄目なんです。世の七割ぐらいの人は、人生がはじまることなく、終了の日を迎えます。~どちらにしても、人としてこの世に生まれてきたことは、一切の救いはありません。

■p182 私の特徴をいとおしむ気持ち
まず最初に「人はなぜ、他人の身体的特徴をわざわざ声に出していうのでしょうか」と記してありますが、それはそうすることによって、悪い楽しみを得たいからに相違ありません。

【感想】
 「人生相談」という記事は、各新聞などに載っていて読んでいてもおもしろいと思う。
 人間が生きていれば、それはいろいろあるなあと思い知らされる時間でもある。とはいえ生きていく中で少しでも「自分が思い描いたものでいたい」という気持ちを持ちながら相談しているように思う。読んでいくうちに思うのが、人間のあさはかさ、みにくさ、悲しさがつづられているようである。人の世はなんともあさましい限りなのか、それとも楽しいものか、いろいろだなーと思う。
 今を、先を、もっと先を…相談するのだが、いちばんいい回答は自分ではいつくばって(おおげさもしれない)探すだけではないかと、思う。車谷長吉の毒のある答えを読むと、「良薬は口ににがし」ろ思えます。
 毒にも薬にもならない小説を読むより、猛毒を知ることが大事なのではないかと思います。

 読んでいて、人生相談も法律や金で解決できるものはまだいいのかもしれない。それに、頑張ればどうにかなる悩みであればどうにかなる地点はいい。他人をも巻き込んでしまう悩みはこれは大変だと思う。
 
 

銭金について 車谷 長吉 (朝日文庫)
【内容】 エッセー
■p132 地球上にはその日の食にも事欠くような飢えた人々が、ごまんといるのである。不毛な宇宙開発をするくらいなら、その金でそういう飢えた人々を救済することを考えたらどうなのか(「罪の意識なき人」)

■p138 人の本質は悪である。畜生である。いや、畜生以下の畜生である。人は人を殺す生物である。それは人間の歴史的現実である。そういう現実を、十四歳の少年にどう思い知らせるか、ということは、人権がどうとか、へちまがどうとかと言うている、いまの世の時代の精神では、まず不可能であろう。人は誰でも、一度は挫折するのである。その時、その挫折の内圧に押されて刃物を手にするか、言葉を己れの凶器とするかは、ほとんど紙一重の差にすぎない(「人殺し」)

■p202 ~文学とは何か、という基本的なことが分かった上で、あらためて漱石や鴎外を読んでみると、十代で読んでいた漱石や鷗外の小説とは、全然違った読後印象があった。つまり、一冊の本、あるいは一つの物語には、「文学を文学たらしめている根拠」のようなものが、かならずあります。そこを突き止めることが、本を読む上で一番肝心なことではないか。ただ、単にストーリーを追うているだけでは、その本を充分に読んだことにはならない。

■p220 文学というのは、この関係性の中にひそんでいる苦しみについていかに対処したか、あるいはその苦しみに遭遇して、人がいかに七転八倒したか、その哀れな、滑稽なざまを書く。これが文学です。

■p240 ~「事実か、嘘か」という問題があります。私のように私小説を書いていていると、「車谷さん、あなたの書いている小説はどの程度事実なの、どの程度嘘なの」とよく尋ねられます。~小説は事実ばかりを書くのではなく、嘘も混ぜた方が、より事実に近いのではないか、と考えています(「島崎藤村の憂鬱」)。


【読んでみて考えた】
 一人の小説家が、主題になるモチーフをどう捜し、それを題材にして小説を書くのかよくわかる本だった。なんともそれは、大変なことだと思った。
 それ以来、「文学」というものがこれまでにないいやらしさの中にある本だったということが理解できたのではないかと思う。
 日々、生きて悩み、苦しみ、悲しみ等々。そんなことを経験してなお生きている意味はあるのか、という疑問を思う時「文学」がいかに大切か分かるよう気がする。
 生きていることに答えを求めようとする時代。そんな時代に翻弄されていきている人。いつになっても答えが出ない日々を送っている。

 そこに「文学」が登場してどんな役にたつのか。
 すくなくとも、読み継がれている作家にはなにかあるといいます。人生の人には経験できない非日常を描き、誰かの慰めにしてもいいのです。それが、作家の役目ではと思います。生き恥をさらし、それでも書き続けていかなければ人間はある意味「アホ」ではといいます。そんな職業にはいってしまったことに覚悟をもって小説を書いて私たちの前にその生き恥を小説としている作家論などもおもしろく読めるエッセーでした。



山口二郎『若者のための政治マニュアル』(講談社現代新書)

■政治の最も大事な目標は何だろう。~生命を尊重することである。人間の生命は無条件に大切だという前提がなければ、政治にかかわる議論は始まらない。人生の目的は人それぞれであるが、それも生きるという前提があってのことだ(p14)

■(戦争は)~人間の生命もしばしば軽んじられた。特に戦争が起こると、人間の生命は国家が目的を追求するために手段になる。国家は、戦争を起こすと、人間の生命を軽んじるからこそ、戦争で死んだ人間に過剰な意味づけを施し、栄光で包もうとする(靖国神社など)(p16)

■~政治家と違う価値観を持つ私やあなたも、「あんな奴」と名指しされるかもしれないのだ。政治家に、人間の気高い生き方じゃこうだとか、~このような生き方は意味がないなどと言わせてはならない。政治の第一の使命は、人間が人生をまっとうできるよう平和を守ることである(p20)

■どのような形であれ、人間が社会の一員として居場所を確保し、他者からも認められているという状態を、最近の政治学では社会的包摂(Social inclusion)と呼ぶ。~平和である(p28)

■競争万能の中で中規模の商店は続々廃業に追い込まれ、公共事業費削減で建設会社も倒れる。~生活の基盤が不安定な人々が、社会に大量に出てくることになる。政治学ではこうした現象を社会的排除(Social exclusion)と呼ぶ。社会は不安定になり、秩序は揺らいでいく(p29)

■人間の尊厳を守るためには、経済的な基礎は不可欠であるが、さらに、それぞれの人間が他人によって認められ、自分が生きる意味を確認できる場が必要である。そのような場をいかして再生するか問われているのである「生命を粗末にするな」(p30)




この国の冷たさの正体・一億総「自己責任」時代を生き抜く・和田 秀樹(朝日新書)
【内容】
なぜこの国はかくも殺伐としているのか? 個人、組織、そして国家、どの位相でもいびつな「自己責任」の論理が幅を利かせる。「自由」よりも強者の下で威張ることをえらび、「平等」より水に落ちた犬を叩く。私たちを取り巻く病理を全解剖。

■生活保護は、日々の暮らしのセーフティネットです。仕事を失った、病気で働けなくなった、母子家庭になったなど、人生にはいろいろなトラブルがつきもの。生活の手立てを失う可能性は、誰にもあります。そうなったときに日々の生活を再建するために、生活保護があるのです。この制度は憲法第25条の生存権を保障するための制度です。~「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」のことです(「『自己責任を突き詰めて行くと、どの先は死しかない』P23」

■一億総活躍社会を裏返してみれば、要するに「働かない人間を許さない」という社会です(P25)

■また、ある問題に対して、全局一致して叩くテレビという存在は、正義とマジョナリティの混同も引き起こします。このふたつは、まったく違うものです。~マジョリティが振りかざす現状は、どんどん日本を生きづらくしています(p35~36)

■自己責任がはびこるところには、必ずそれによって恩恵を受ける強者がいるということ。彼ら強者が責任回避の隠れ蓑として自己責任論を持ち出すということです(p42)

■私は、自己責任論の本当の目的というのは、高齢者殺しではないかと思っています。これから日本は史上類をみない超高齢化社会に本格的に突入します。蓄えのない高齢者や年金の少ない高齢者は、このままいけば、生活保護を受給せざるを得なくなるでしょう(p71)

■報道のあり方が自殺者を増やすということについて科学的な研究が行われているにもかかわらず、日本のマスコミは一方的に自殺報道を垂れ流しているのです。そうした配慮のない報道がなされているのも、マスコミが自殺を自己責任だと考えているからでしょう。しかし実際には、マスコミによる報道は、精神的疾患を抱えている人に行動のきっかけを与えてしまうのです(p90)

「都市の論理」=国鉄民営化。郵政民営化。
「地方の論理」=民営化によって赤字路線が廃止となり、出かけるときの足としての交通が分断される。切手代、手数料の増額。勤務時間の増。


 今、日本はどんな状態なのだろうか。
 通勤電車の中、8割がたスマホをながめ下を向いている。シルバーシートに若者が座り、これもまたスマホとにらめっこ状態。なにが気にいらなかったのか、怒鳴りあう乗客。
今年に入ってから周囲に起きているできごとから「今」を見つめるとすれば、どんなことがあるのだろうか。
 ぼくが、子どものころにくらべれば確かに世の中「殺伐」としているなと思う。それとも、あってもぼくが知らなかっただけかもしれない。
とはいえ、今ほど文章中にあるように「殺伐」とはしていなかったように思える。いまよりずっと貧しかった生活だったが、いまほど他人を冷たくみなかったように思う。

子が親を殺してしまう、子どもが子どもを死においやるほどいじめを繰り返す、老人が誰にもみとられずひっそりと死んでいく孤独死。働いて生活を楽しくしようと頑張っているうちに体を壊すほど働く過労自殺。残業代を払わないブラック企業等など、いいことより悪いことの方が多い。
 そんな中でも、そうならないようにと踏ん張る人。頑張っているうちはまだいいのだが、頑張れなくなったときのリスクを考えるほどの余裕がなくなってしまっているのが今日なのかもしれない。
 なぜなのだろう…と、これまでの政治や経済の動きの中からていねいに説明する。
 『この国の冷たさの正体』ではこれまでニュースのたびになってきた「自己責任」という言葉の正体を問い詰めていくなかでみえてくる安倍政権の「一億総活躍時代」の陰の正体が見えてくるように思える。日々の暮らしを楽しく、あたりまえに生活する人たちの多くのリスクのなかみが浮き彫りになってくる。

 大切なのは自分の居場所をよりよくするための「自己弁護」を考えていくことだろうと思う。誰でも、失敗はあるだろうし、それに対して叱責されることもあります。あまりにひどくなればパワーハラスメントという形ででてきて、それに対する保護も出てきます。それは、最終手段の方法でしょうか。その前に問題に向き合い、自分のできる範囲をよく知ってできない部分に対しては「自分を弁護」できるようにすることだと思います。その中から、問題の本質を考えていけば自分への負担が減りつつ、大事なことが見えてくるのではないのでしょうかね。



 1~2月と駆け足ですぎていったように思います。季節がまだまだ寒い日々が続きますが、もうちょっとで温かさが身近になってくると思うとうれしくなってきます。
 温かくなればなんでも解決するとは思ってはいませんが、ちょっとはおもてに出て自然を楽しめるのではないかと思います。
 
 仕事は…。少しずつ忙しくなってくるうのではないかと思います。
 でも、まだ、健康で仕事ができるくらいならまだいいのです。

 地震の揺れなどがあると5年前の3月11日をふとよみがえってきます。すこし、トラウマが残っていて「ゾッ」とします。まして、反省をしらない原発再稼働などの現実をみうると「いったいこの国は何を考えているのか」ということを思います。いくら言ってもきかない「わからずや」とかかわっているより「俺はおれの生きたいようにする」という思いもでてきます。
 何を言っても変わらず、停めず変えようとしないことにかかずらあってもラチがあかないとなれば、自分の一生は何かあるまで好きなようにするしかありません。

 最近読んだニュースのコラムに「だまってトイレをつまらせろ」という記事がおもしろく読めました。
 朝日新聞2月28日(日)版の「政治断簡」(高橋順子・政治部次長)さんの記事です。
 ある工場で働いていて、用をたしにトイレにいって、紙がなかったらどうしますか…という問いにコラムを書いたものです。経営者がケチって紙をおいていないのであれば、自分で手元にある新聞紙であれハンカチであれきれいにするために使えばいい。トイレがつまってしまってもあとは会社が考えてください…ね。ということでしょう。
 最近の安倍政権はまさに、聴く耳を待たないというのか「この道しかない」と言わんとしているやり方で国会を運営しているように見える。なぜ、「この道しかない」というのか。国民はいろんな考えがあって、選択肢をもって生きている。さすがに、貧しくていいひとはいないはず。でも、何億円持っても貧しいと思う人もいるかもしれません。その50分の1でもいいという人もいるかもしれません。
 すべてを持っているひとがいいとはかぎりません。
 となると、誰一人として「この道は一つではない」となるのでしょう。
 
 まさにそれが大事だといっているのだと思えるコラムでした。
 大事な自分の人生です。自分で決めていきたいと思います。

 来月は、新年そうそう亡くなった知人を訪ねて職場の友達と一緒に遠出をします。新幹線で1時間。
 また、ゆっくり山歩きを再開したいと考えています。
 これで、今月は失礼します。どんな2月でしたか…。
 今月のまた、まとまらないまま終わりそうです。
 お疲れ様でした。
 
 …読んでくれた人、ありがとうございました

春近し、されど寒さはまだそこに。

2016年02月21日 | Weblog

 こんにちは…。
 日がのびましたね。朝もこれまでよりは少し早くあけるようになりました。
 最近では、会社の異動後は職場も前よりは近くなったので、早く起きることもなくなりました。ですから、朝日が上がる前に起きることもなくなったのです。
 やはり一日が明るくなってくる、というのはうれしいですね。それと、寒さも少しずつ和らいでいくことはうれしいです。私はすきな季節になってきたと思います。それでも、寒い…(寒さはもうたくさんだ!)。
 職場の人がインフルエンザにかかって休んでいました。今ははやっているようです。

 最近は遠くなってしまったような「春闘」がはじまりました。一年の賃金を決める、この季節は労働者にとっても一年でもいちばん大事な時期だいうことだともいえます。とはいうものの、最近は大手組合はそれなりに交渉はしてりうようですが、中小・零細企業は下がるばかりの賃金であることは事実でしょう。
 『官製春闘』ということもきくようになりました。首相自ら企業に労働者の賃金をあげるようにということもニュースになっていました。
 とはいうものの、実際には企業はすんなりと賃金をあげるようにはなっていないようです。また、最近『同一労働同一賃金』ということもきくようになりました。これも政府みずからスローガンにしていますが、契約・派遣社員との格差は縮まりそうにはないのが現実です。むしろ、派遣を正社員のしていくことが大事なのではないかと思いますが…。



 さて今週、気になる記事がありました。

◆1 教員の部活に対する対応に苦慮
 私が少年の時代は学校のクラブ活動も、公式・練習試合が近づいていない限り、遅くまではやりませんした。およそ2時間ばかりで終わりました、先生も、それほど大変そうには見えませんでした。
 最近は、やることが多すぎてクラブ活動の顧問になったりすれと、一日の仕事も終わらず、クラブ活動が終わってからも仕事に追われていることが実態のようです。クラブ活動(時間外労働)は残業代がつかない、というのも初めて知りました。
 人間を相手にする教員という仕事はいったいどうなっているのでしょうか。こういう実態ではなんにつけ対応に忙しさのあまり、教員自身も思考する時間がなくなって心も体も疲弊していくのだろうと思えます。結果として「懲戒処分」になってしまう行動をとる教員も多くなっていくのでは思います。
 先生は「聖職」という時代ではないのです。生身の人間がやっているのです。

◆2 原発災害5年目
 今年で震災5年目。その後いったい何が変わったのだろうかと。
 とくに福島第一原発事故はいまでもなまなましいく引きずっているニュースが多いなと思う。とくに放射能被害はこれからという。そんななか、政府は原発再稼働という、なんとも被害者のことを考えていないようなことをやっている。経済優先は死のむくろさえも踏み台にしているような非常な選択をしているなと思える。
 20日公開されるドキュメンタリー映画『大地を受け継ぐ』の現地、須賀川市で農業を営む樽川和也さんのインタビュー記事(朝日2月20日)が5年後の現実を伝えていた。
 印象に残った部分を抜粋しました。
  「だけど、おがしいっしょ。稲が放射能、吸わねくなるかもしんねいよ。でも土にある絶対量は変わってねんだから。汚染された土の上で、俺たち毎日、朝から晩まで働いてんだよ。将来どうなんのかな、いつか影響出んじゃねえかなって不安だれけだもん」「…略(土を)機械で、はぎとんの簡単です。だけど40センチも土とっちゃたら、今度はろくな作物できねえから。ふかふかの土、1センチつくんの何十年もかかんだよ」

「8代も目の俺の代で、田んぼを荒らすわえにはいがねえから続けてんだ。やんねで、ぶん投げとけば、すぐに荒れ地になる。それは、つくんねきゃ賠償もでねえし、収入もなええもん。生活できねえ」…
「(風評被害について)うちのコメも、11年のは放射能が最高値30ベクレルぐれえあったの。規制値が500ベクレル以下(1キロあたり。12年度以降は100ベクレル)だったから十分に大丈夫な数値なんだけど、やっぱり口に入れるもんでしょう。俺も本当は食いだくねかった。まあ、よそで買うわけにもいがねえから食いましたけど」

「ただ、出荷すんうのは、なんか、悪いことをしている気がして。だから東京の人が、福島のは食いたくねえという気持ちは、よくわかる。こんなボロ原発あったとこの、わざわざ買って食いてかえ。これは風評被害じゃねえよ。根も葉もない噂が広まって売れねえのが風評被害だけど、じぇねえっしょ。根も葉もあんだから。現実に降ったんだよ。放射能が」

「(再稼働について)しばらく日本は原発ゼロだったけど、その間に夜真っ暗になったこってあった? 電気、間に合ったじゃねえの。原油のコストはかかったかもしんねえし、原発の方が安いかもしんねえ。でも事故が起きたら、これ片づけんのに、いくたかかんのって。お荷物だよ、これ、ほんとうに。どうなんの、この国。税金上げて済む話かえ」

「だから映画に出たの。特に原発立地しているとこの農家の人に映画を見てほしい。人が作ったものはいつか必ず、ぼっ壊れんだ、自然の力にかなうわけねえんだって、おやじが言った通りになったんだから。して、5年もあって、まだ誰も責任とってねえんだから」


 ぼくは東北の人たちとの知人がけっこう多いのですが、この原発事故で被害を被った人も知っています。いあまは、ほぞぼそと日々を送っています。農業も細々とやっています。時々、農産物をいただいていたのですが、原発事故後、むこうも遠慮しているのか送るのをやめました。まさに、原発事故の影響がこんなにも身近にあったのかと思います。
 18日、京都に原発事故後、自主避難をした夫婦に判決が出ました。自主避難した夫婦(原発事故で失職・精神疾患)に対して、東京電力が3000万円の賠償命令が出た新聞にでていました。これから、こういう賠償裁判がたくさん出てくるでしょうか。また、放射能による、医療問題がでてくるのではないかと思います。

◆3 川崎で介護老人ホームで職員が3人を殺害
 人生、最期のすみかはどこでどう過ごすのか。3人のひとたちもこんなことになるとは夢にも思わなかっただろう。それも、一番、安全で安心できるところ、なんと殺人者がいるなどとは…。
 いったいどこで、最期をむけたらいいのか、いまの老人問題でもあるような気がする。お金があって、自分の住む場所も保障されて、人生の最期をゆっくり楽しもうとおもえる老人は年々すくなくなるといいます。それが、今の日本の超高齢化社会という現実なのだろう。生活保護も人権として老人が増えれば社会保障は安全なのだろうと思えた。
 いったい、老人はどこで死ねというのだろうか。国は一生懸命はたらいた保障を考えるべきだろう。



 やっと野党共闘が危なっかしい中、始まった。今回だけは、なにがなんでも野党の政治家を増やさないとまずい…と思う。「ねずみをとらないネコでは困る」状態だ。自分のことばかり考えるのは、とりあえず「一強多弱」の形をつくり、今の与党がまともに議論する国会をつくっていくために、協力してほしい思う。

 スマホばかり見ている18歳の少年にもわかるように政治を語ってほしいし、今回は正念場かもしれない。
 少なくとも、今回は憲法9条だけでなく、福島の原発事故、沖縄の基地問題、超高齢化社会の社会保障、もっとも大切な働く人が安心して生きていける場所をつくることなどたくさんの問題をかかえた日本の支柱をどこにおいて、これから暮らしていくのか問われる選挙になると思う。


 今月は、小説家の車谷長吉さんの作品を読んでいる。
 人間のどん底をなめつくした作家のような私小説家。最近、やさしい自分探しの作家が多い中、人間の醜さ、いやらしさをとことん突きつめた作家のように思う。新聞に連載されていた「人生相談」はおもしろかった。
 人間てこんなにも「悪」をつねにもっているのかなあ…と思えた相談に対する回答。

 でも、これも人間なんだろうと思う。自分の周りにもいくらでも同じような人がいることに気づかされる作家だった。当分、ミーハーのぼくは読んでみようと思っている。しかし、50歳を過ぎて世に出た作家だからだろうか絶版が多い作家でもある。されを見つけるのも楽しいですが。

 今月も、あと一週間で終わりですね。
 どんな2月だったしょうか。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

少しずつの温かさの中で…

2016年02月14日 | Weblog

 こんにちは…。
 昨日、今日ととても温かくなってきました。雨は、ちょっと期待はずれですがまあこんな日も春になるために準備なのでしょか。
 まだ2月なのに、と思っているのですが季節は駆け足でやってきているようです。
 今年の冬は短いのでしょうか。いやいや、あまいでしょうか。
 三寒四温という言葉があるように、寒さや温かさを繰り返して季節は確信をもってくるのでしょう。
 それにしてもはやく温かくなってほしいものです。腰痛は徐々に軽くなっていくのもわかってくるとすっかり春なのですが…。
 今日はバレンタインデーだそうです。忘れてしました。休日のバレンタインデーをどんな一日するのでしょうか。午後から、あまりにも天気がよくて温かくなたので散歩も長引いた一日でした。

 さて今週は、あいかわらず政治家のスキャンダルが多い週でもありました。まさに、人、モノ、カネを象徴するような政治家がその中心であったようです。

◆1 頑張るところを間違えてしまった男
 自民党の若手国会議員・宮崎謙介(35)。ほとばしる精力を国民の信頼にむけず、性欲に走ってしまった政治家。ある意味正直者、とことんアホやけどうらめません。
 妻の妊娠中、育児休暇をとって不倫して週刊誌に書かれてしまいました。結局、国会議員を辞職。スキャンダルもこんな話はもってこいという話題で、「女で墓穴をほってしまった」代表みたいに思えました。これは自業自得でしょう。それが発覚すれば確実に国会議員という職から身を引く覚悟ができていたのでしょうから、けっこうなことです。むしろ、これからが大変でしょう。けっして、多数派に流されるのではなく、今後の行動が楽しみな人です。たまたま、発覚して記事にされてしまったこと「油断」が今後、生かされるスキャンダルでした。表に出てしまって不覚。かつて、国会議員であったよいうkとを忘れて頑張れ…。企業からの金銭授受のカネまみれの政治家になる前にまっとうな人間になってください。まだ、若いのですから。

●2 字が読めないだけではない足らなかった勉強
 島尻安伊子沖縄北方担当相の自分の担当する地名が読めない。予習も復習もないぶっつけ本番の政治家。北海道の担当で北方領土は本命。それで「歯舞」はが読めないということは致命的でしょう。それを、あえて秘書に聞き返すことが問題を大きくしてしまった。誰でも読めな地名はかなりあると思います。だから、自分が気をつけて振り仮名をつけてもいいのと思います。それには、予習が大事なのです。まして、国を代表するひとが、これまた重大発表の会見で「読めない」は信じがたい幼稚な失態ではないかと思います。国会議員が失言はけっこうあります。大物政治家でさえやることですから。要は、その本気度がみえないということが問題なのでしょう。

■3 けっきょく、放射能について考えていないんじゃないのだろうか
 本気度がみえないといえば、丸川珠代環境相の発言。沖縄と並んで日本の大問題の福島原発事故の放射能除染処理について「年間1ミリシーベルトの根拠」について「根拠ない」ではすまされない発言。これも、予習不足ではないかと思います。ちなみに1ミリシーベルトの根拠は「国際放射線防護委員会(ICRP)が自然放射線などを除いた一般人の通常時の年間被ばく線量限定を1ミリシーベルトと勧告した」とのことです。もうちょっと、勉強すればよかったのに、勉強より権力というか勢いというか、つい言ってしまったように思えました。勉強してこの発言とは思いませんが、こちらも自分が何者か「本気」ではない数合わせ(多数派)だけの議員に見えました。 

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 いつも思うのですが、仕事は終わりになるまで、失敗がたくさんあってそれでも時間がくれば、「OK」ということで終わる日々でした。
 今回、ニュースになってしまった国会議員の皆様も、きっとたくさんの失敗を重ねて大臣にまでなってきたのでしょうね。たまたま、失言、失態になってしまった瞬間が多くの人が覗き込んでしまったパンドラの箱のように、一番重要な部分が映ってしまったのでしょう。大臣になる前の失敗はいいとしても、悪いことに、この失敗は「お金になる」という記事や映像であることが、彼らが持った責任の重大性をものがたっているのでしょうね。さらに、政治家という仕事だから、重要問題になってしまったのだと思います。

 それにつけても、日替わりランチのように、政治家が、それも与党の大臣がこんなにも国民の期待を裏切るような発言には「これからどうなるの…」という気持ちがわいてきてしまう。こなんことで、憲法を変えいようとしている政権与党ってどうなの? といき危惧さえでてきてしまう。
 とはいうものの、彼らを選んだ有権者にも問題があるのだろう。きっと、人間に一票ではなくて、自民党に一票という流れだったなかもしれない。これは、危険だなあと思えた。きびしい評論家などは、即刻辞職という記事もありました。

 彼らがいる自民党が今年の参院選挙で「憲法改正」を焦点にかかげるという。とくに憲法9条が目玉になるようだ。昨年の「集団的自衛権行使」の法案を強行採決し、さらには憲法まで変える…という道筋は「戦争」という想定ももありうる、ということだろう。それがなければ、安保法制の強行採決も無駄になってしまうというのだが…。「緊急事態」はもっとあるだろう。福島第一原発の事故から「緊急事態」は出ている。それもまだ終わっていないというのであれば、いまだ「緊急事態」ではないか。忘れっぽいのはこまってしまう。
 育児休暇を不倫の時間にし、字が読めない、放射能がわからない人たちの対策をもっと考えてからにしてほしいものだ。
 リオ五輪で忘れてしまうとでも考えているのであろうか。



 今週は、休日が週の間にはいっておかげで何かと忙しかった。祝日はちっとも仕事のことを考えて作られていないのが、ニッポンの現実なのですね。ななんでも「前倒し」で、仕事に追いかけれた日々でもありました。
 そんな中、知人の入院の知らせ。
 学生時代は、たいへんお世話になった知人だったのでこれは、ぜひお見舞いにいこうと日程を調整していた。仕事があると、まして一人職場だと融通が利かないのにはまいってしまった。もう、めんどうくさい、「あとは野となれ山となれ…」。あとは管理責任者がどうにか解決しろと思った週でもありました。
 人間、仕事ばかり考えると生活のためとはいえろくなことがない。結局、金縛りにあったようになってしまう。でも、大事なのはそんな中でも、融通してくれる人間関係が大事なんだと思う。
 とはいえ、いちばん大事なのは「こうしたい」という自分の正直な気持ちだろう。それを話せる人間をつくり関係を保つことが、大事なのだと思った。



 気がつけば、2月も半ば…。散歩していたらなぜか青い空をトンビと一緒にツバメも飛んでいました。温かいはずだ…。以前に「ツバメが渡り鳥じゃなくなった」というような記事をどこかで読んだことがある。
 越冬ツバメもいるんだろうかね。きょう、そんなことを思いつつ、高い空を飛んでいる姿は、やっぱり春が近いということを感じさてくれていました。

 身の回りをみれば、いまだにお寒ーい状況です。
 昨年から整理しておこうと思ったデータや、片づけておきたいことなどがちっとも進んでいない。腰痛のせいかな…といいわけしているようで…。それても、どうせそのうち「地震でもきて終わりだ」といトラウマがあるからでしょうか…。
 とはいえ、できない理由は、いっぺんになんでもやろうとするから…かなと思います。自分のことですからちちょっとずつでいいのだとおもいます。
 今日は、明日はとゆっくりやっていこうと思う。もちろん仕事もです。

 これから、少しずつ温かくなるといいですがね。まだまだ2月。寒さはあると思います。温暖差に注してまた一週間、いきたいですね。
読んでくれた人、ありがとうございました。

2月になって、いまだ先、模索中…

2016年02月07日 | Weblog


 こんにちは…。
 まだまだ、寒い日がつづきます。季節は節分も終わり、暦の上では立春となり温かさももうちょっとのところにきていますが、まだ寒いですね。
 なせでしょうか、こんな寒い時期に限って追い打ちをかけるように、知人の訃報がきたり、聞いたりします。やはり、寒いということは人間にとってはあまりいい環境なのではないのかもしれません。
 しっかり、健康には気をつけているつもりでも寒さでどうしても体の機能がうまく回転しないのかもしれません、だから、できる限りうまく自分の体調をコントロールする習慣が大切なのでしょうか。

 さて、今週関東地方に地震があり、びっくりしました。
 朝、通勤途上の電車の中で突然とまったのでした。2011年の大震災の時も通勤電車がよく停まったことを思い出しました。停まったと思いきや、列車が揺れ出していとも簡単に揺れる怖さを感じてしました。
 今回は、5分ほどしてから、動き始めたのですが、揺れもそれほど感じることなく終わりました。それでも、乗り換えは混雑していました。

 最近地震が多いですね。一日、日本中のどこかで揺れています。地球が動いているのですから揺れるようなものですが、地震は建物をゆらし、人の心を揺らして破壊してしまうように思えます。
 「災害は忘れたことにやってくる」と言われますが、忘れなくてもやってくるのが今の日本の現状なのかもしれません。しかし、それでも原発は再稼働されていくってことに違和感を覚えます。いったい、日本はどうなってれうのか? ですね。鹿児島の川内原発に続き、福井の高浜原発も再稼働しはじめました。いったい、いままで、一基も原発を稼働せず生活がおくれた教訓はなんだったのでしょうか。人間っていうのは、ほんとうによくわからないですね。わかっていることは、被害者の声をも無視してしまう強欲で、勝手で利益を得る人、得ない人。それを代表する政治がうまくいっていないということぐらいでしょうか。地震で建物がこわれるのは、人として理解はできるのですが、むしろ、その後のケアーがうまく政治家がいっていないせいもあるのでしょうができていないように思えます。福島第一原発事故のようなことががいちばん怖いのに、再稼働とはなんとも人間の身勝手さに恐怖さえ覚えます。
 石炭の火力発電という話も聞くようになりました。台湾の震度6以上の地震も起きました。



今週、いよいよ春闘が始まりました。
 春闘といっても、なぜか昔ほどの盛り上がりも期待もあまりないように見えます。「同一労働同一賃金」という議論も加わって始まりました。
 「同一労働同一賃金」は政府がいっているのですが、中身はまだ具体的にはなっていないように見えます。私は、むしろ非正規社員や契約社員などをいかに正規社員にしていくかが、この賃金の解決につながっていくように考えますが。
 正規社員になれば、これまでの正規社員とおなじ土俵にのるわけですか、同一賃金もでてくるのでしょう。企業が保障すべき内容も同じになってくるでしょう。大事なのは「規制緩和」などとうことで派遣を増やしてしまった企業も政治もよくないのではないかと思います。企業努力も足らないのかもしれません。安易に、労働者をなんにつけ赤字対策の安全弁にしていることが大問題なのだとも思いますがねえ。
 ちなみに最近 労働運動っていく言葉を聞かなくなりました。死語になってしまったのでしょうか。

米国でインターネット通販大手アマゾン、300~400書店開店するそうです。
 通勤の帰り道に何件の本屋さんがありますか。ぼくの場合は、2軒です。それも、文教堂とブック八重洲センターいう、日本ではちょっとした本屋さんの大手ですね。以前は、町の本屋さんがあって、家業としてやっていた本屋さんがありました。こぼごろは、弱肉強食って様相の本屋です。それは、これほど発展したインターネットで注文できる形が増えたからでしょう。星の数ほどある本を検索するのも便利ですし、パソコンとお金だけあれば注文できるかたちが定着したからのでしょう。これじゃー、町の本屋さんは消えるわけです。
 それと、人間が非常に忙しくなったかれでもあるでしょうか。本屋さんに入って1時間くらいブラブラすることもなくなてしまったようにも思えます。
 日本でも、ますます米国のアマゾンの進出を許す条件が広がりつつあるようにも思えます。これって、あまり歓迎できないです。本屋さんがなっていくということですから。だんだん、本屋さんが消えていくということは悲しい景色です。

自民党が夏の参院選比例区にダンスボーカルSPEEDの今井絵里子さんを浮上させるそうです。「1億総活躍社会」の目玉とも…。有名人には圧倒医的な知名度がついているってことなのかな。
 さて、今の自民党の要請を受けるのでしょうか?
 政治の在り方よして、自分の主張が大事なのだと思いますが。みなそれぞれ、自分がこうしたいというのが政治の一歩だといいます。いま、日本がやる主張は、戦争になるような武器を活躍させないこと、放射能を出す原発は稼働させないことなどでしょうか。いまのところ直接に関係ないように見えますが、いつのまのか身近にしてしまうことが政治の魔力です。
 「集団的自衛権行使」を強行した自民党にはあきれています。「一億総活躍時代」を担う次の新人候補にしたいのでしょうか。
 以前、森山良子さんが沖縄の「さとうきび畑」を歌っていたのに感動したのですが、その後、「君が代」を歌っていたのにはびっくりしました。なんででしょうかね。

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 昨年、職場を移動して年末を乗り切って、新年。
 いったいどうなふうになっていくのかと心配していましたが、どうにか1月も乗り越えられました。一人職場で忙しい時は、人との会話もなく一日がはやく過ぎてしまいますが、時々、出向先の人たちとも話すようにようになりました。
 人と人のつながりは、仕事をより円滑にさせる「常備薬」のようなもので大事な仕事でもあるように思えます。どんなに優秀な人であれ、人と人のつながりは大事だと思います。ときどき、人の都合に振り回されているのが仕事のように思えますが、よくよく話してみると振り回して本人にも事情があるようです。

 その事情を受け取って、自分なりに納得させて働くことがつづける意味になってくるのでしょう。

 今週はこのへんで失礼します。

読んでくれた人、ありがとうございました。