日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

7月あつーい日がかえってきました

2014年07月27日 | Weblog



 こんにちは……。
 梅雨が明けたと同時に毎日暑い日がつづいています。ときどきスコールのような雨もあるます。やっと家路にたどり着いた駅まで雨がやむまで立ち往生というときもありました。おおよそ雷がなって梅雨があけて、夏が動き出すのでですが、最近は何回も雷がなってスコール……。異常気象でしょうか。

 今月、一年に一度の恒例の「世界報道写真展2014」(東京・恵比寿東京写真館)に行ってきました。毎年のこととはいえ、今年はどんな写真が展示さされていのか楽しい時間でもあります。
 今年の展示写真は、毎年、各国の紛争が大きなテーマになっていたのですが、今年の特徴は紛争は少なかったようです。
 今回は「人間の生き方」がメインテーマのように思えました。私たちは、通常、家に住み、働き、買い物やスポーツなどで日々の生活を送っているのですが、写真展の人々は人様々な強烈な個性をだして生活している人々が展示されていました。もちろん、展示されるということは、一つ一つの作品には「賞」があるわけです。その賞にちなんでの写真でした。

 しかし、裏をかえせば、紛争を舞台にした報道写真は人間の欲望の強烈なあらわれでもあり、いかに自分の国が平和化ということを知ることができる基準値のようにも思えます。
 そんな意味でも今、日本は平和国とでもいえるのでしょう。
 写真が思い切り問題を提起しているとすれば、日本はその一部分が波及しているような点にも思えます。
 2014年7月段階ではまだ、紛争で日本人の血が流れ、労働者の紛争はない状態でもあります。ですから、まだ、日本は報道写真展で展示されるだけの状態なんだといえます。これは、ある意味とても大事なことです。幸いにも、今回の報道写真展には展示されていないことはとても幸せなことだと思えます。

 しかし、今年「集団的自衛権行使」から「憲法解釈変更」となれば自衛隊はきっと海外にいくであろうし、紛争の当事者になる可能性も出てくるということでしょう。ほめられたことではないと思いますが、現実の流れは刻一刻とその方向に進んでいるのは事実のようです。
 へんなことですが、自衛隊は自衛隊の仕事をする本質(軍隊)がでて来るのだと思います。憲法も「憲法解釈変更」となれば、いままで静かに黙っていた憲法という法律がいかに私たちの基本かという本質を知る機会になったようにも思えます。
 そしてジャーナリスト(フォト)は真実を追いかけるべき本当の仕事がますます必要な時代になってきたということです。「秘密保護法」で覆い被されてしまう真実をこれからもますます必要な時代がくるといくことなのでしょう。

 最近読んだ新聞に面白い記事があった。7月27日・東京「時代を読む・内山節」である。
 日本は「曖昧」の国である…という。政治にも企業の経営にも日本的風土で「曖昧」さが日本をつくってきた。政治の世界ではたてまえは「国民主権」である。そして、それが政治家や国民も暗黙のなかにバランスをとって生活ができてきたという。事実、「集団的自衛権」といっても「憲法」があるために武器は使えない、攻撃もできない…ということは当たり前であった。いい意味で曖昧だがそれがほとんどを占めていた。

 ところが安倍政権になってから、まさに「上から目線」で市民に「閣議決定」したことを強制的に納得させているような日々がやってきた。
 政治でも企業でも「命令」から「従事」の関係が明確化してなかば強制的になってきたように見える。それは、「秘密保護法」の強行成立をみればわかるような気がする。
 そして、その形が戦前の日本に似ているという。その結果、日本は戦争に突入して敗戦という歴史を作った……という内容だった。

 報道写真展では、きっとそのヒントを私たちに語っているのだろう。
 日本が、こうなる…という先にはどんな写真が出来上がるのだろうか。できれば、世界報道写真展で賞をとるような写真でないことを祈るばかりだ。
 人がどんなに悩みが大きくても、それが静かに語られ、解決できる場所が大事だな思う。ゆっくり、歩いている男女が思い切りケンカをしようとも、それが大事なプロセスで必要なことで、平和のなかで語られることを願っている。


 ふりかえればもう7月は後ろの方に去っていってしまっている。
 先月の本もまともに終わってないとのに、時間がたつのは早いなあ…と嘆いている。今月もとうとう月末になっていた。1カ月に読んだ本の整理をしようとしても、なかなかうまくいかない…で7月も終わろうとしている。
 暑さのせいか、それとも何か起きているのかと考えながらの読書だったように思う。
 7月といえば「集団的自衛権行使」の閣議決定決まり!!で始まった月だった。それでは「集団的自衛権」っていったいどういうことという疑問が浮かんだ。戦争か? それとも侵略か? などと思いつつ読んだ本。
 まさに、7月はこれまでの政権のありかたが違っていた。なにがちがっていたかというと、政権=権力が縦横無尽に何かを変更しようとしている。それも、批判の多いほうへとむかっている(一部賛成しているところもあるが)。

 では、反対している理由はなにか。
 戦争になる、徴兵制の復活、原発も再稼働と何も解決のめどもたっていないのに進めれている。おかしいなあ…と思ったら、決定している。これは、おかしいと思っている人たちの意見を無視している強権的ということだろう。
 ……と思いつつ本を選んで読んだ7月だったように思う。

  

日本は戦争をするのかー集団的自衛権と自衛隊-/半田滋/岩波新書
●本の内容
安倍晋三総理の悲願といわれる集団的自衛権。武器輸出の解禁や日本版NSCの創設、国家安全保障基本法をめぐる議論などを背景に、今、日本が急激に変わろうとしている。政府で何が議論されているのか。それはリアルな議論なのか。自衛隊はどう受け止めているのか。長年日本の防衛を取材してきた著者による渾身の一冊。安倍政権の悲願は、日本を本当に安全な国にするのか?(「近刊情報」より)


【感想】
 「集団的自衛権行使」という閣議決定でこれから、自衛隊が武器を持って活動するための各法案が練られて提出されるだろうという。
 では、「集団的自衛権」っていう言葉がどんなことなのか知らないといけないと思い手にとった一冊です。
 いまでは「戦争」という言葉は使わないようになっているようです。その代わりに出てきた言葉が「集団的自衛権」という言葉でした。結局は「戦争」に変わりはないようなのですが、国際法の便宜上この言葉が使われるようになったようです。
 例えば、アメリカが介入したベトナム戦争。
 アメリカは南ベトナムの要請を受けてベトナム戦争へ参加したというのが法律の便宜上なっています。韓国も同じです。
 しかし、その実態はほとんどがアメリカと北ベトナム、民族解放戦線との戦争でした。日本も中国と戦争にはいったときも、中国の政権から要請があったかのようにしての中国侵略であったのだと思います。ベトナムも中国も参戦した国の傀儡政権にすぎなかったことは歴史が証明しています。

 結局は戦争なのです。武器を持っての銃撃戦、あるいは空爆とありとあらゆる手段をもちいいて殲滅するのが戦争です。
 クラウゼヴッツの「戦争論」でも、「戦争は政治の延長線のできごと」といっているように、大切なことは武力という暴力ではなく、政治で解決する気があるのかないのか、ということなのです。それが、独立して平和をつくる国の責任でもあるということだと思います。

集団テ自衛権ってなに?/戦争させない1000人委員か/七つ森書館
●本の内容
昨年12月、安倍政権は多くの人々の大きな反対を押し切り、「特定秘密保護法」を強行採決・成立させました。今後は「解釈改憲による集団的自衛権行使容認」「国家安全保障基本法強行」へ踏み込もうとしており、日本が戦争に参加できる国になろうとしています。このままで、いいのでしょうか?
 本書では、第一次安倍内閣からの改憲策動、教育基本法、秘密保護法、武器輸出三原則、国家安全保障戦略(NSS)、日本国憲法との関係を示しながら、「集団的自衛権」とは何なのか。また、行使が容認されるとどうなるのか。


【感想】
 この本は「戦争させない1000人委員会」という緊急にたちあげた団体が作った本。わたしも、この団体には賛同している。
 かかわっている構成員の方々も信用してもいいと考えているから賛同している。事実、この団体が集会や講演会には時間の許す限り参加しようと思っている。
 仕事があったり、大事な約束があったりと私個人の理由があるけれど「やっぱり戦争はしたくない」という思いでいる。そのためには、何が問題なのか知る一冊でもある。何回もきっと読む本になるようになるだろう。
※感想になっていないですが……。

日本の面影/ラフカディオハーン/角川文庫
●本の内容
美しい日本の愛すべき人々と風物を印象的に描いたハーンの代表作『知られぬ日本の面影』を新編集。赴任先の松江を活写し、日本人の精神にふれた傑作「神々の国の首都」、西洋人として初の正式昇殿を許された出雲大社の訪問記「杵築―日本最古の神社」、微笑の謎から日本人の本質にアプローチする「日本人の微笑」など、ハーンのアニミスティックな文学世界、世界観、日本への想いを色濃く伝える11編を詩情豊かな新訳で収録する。日本の原点にふれる、ハーン文学の決定版。(紹介抜粋)



 会社の帰り道。夕暮れの駅のホームにときどき浴衣をきた人たちを多くみるこのごろです。きっとどこぞで花火大会やお祭りがあるのだろうと思う。
 やっぱり浴衣はいいですね。みていて落ち着く感じがする。日本だなーと振り返る着物である。
 そして日本人なんだなー。平和なんだなーと。

 私も今回の報道写真展の帰り道、恵比寿で毎年立ち寄るお店にいった。一年に一度だけいくお店である。今年も寄らせてもらって友達と酔いにまかせて楽しい時間が過ぎていった。写真展の感想は皆無で仕事の話しがほとんどあった。
 私が役職定年制で異動後の様子などを聞いてみた。なにか大変らしい。
 私が見ている分にはうまくまわっているのだが、現実はうまくいってないらしい。それは「キラー役」がいない。キラー役=悪者(嫌われ者)のこと。とくに、仕事の中身よりも仕事を頼むためにある意味、嫌われTても依頼できる人だそうだ。それがいない。以前はストレスを持ちながら私がやっていた仕事だと思った。

 普通、上司がその役目なのだが今の上司はそれができないらしい。
 わたしも大変だったことを話したが、せれでも必要だという。わたしもそれはわかるような気がした。誰しも、嫌われたくないのが人情だと思う。
 仕事をすすめるのは大事だが、担当者にストレスをためさせてはもともこもない…と考えながらの日々だった。これがなによりも大変さがわかったらしい。相談されて、今の上司に相談するように言った。
 とりあえず、部会をやるように上司に言うそうだ。わたしもそう思った。

 暑くなるとなにか考えるのもめんどうくさい。それがホンネ。だから、だれかの話しを聞いたほうが早い。でも、それでは、自分という人となりが危ういかもしれない。できるところで妥協してやっていくしかいないようだ。
 週末、今年もボランティアで花火大会の手伝いいく。正直めんどうくさいなあ…と思っている。それは、いまやることがあるからだ。
今月もお疲れ様でした。
*読んでくださった方、ありがとうございました。

 

8月にむかって……

2014年07月20日 | Weblog



 こんにちは……。
 7月も気がつけば下旬です。さてと、今月は何があったのかと振り返ることともなく過ぎ去っていきました。梅雨ももう少しで明けるそうで待ち遠しいかぎりです。
 子どもたちはまちに待った夏休みです。近所の小学生もうれしそうです。でも、PTAのみなさんは、ちょっと大変そうで複雑です。
 「オスプレイ」。いま話題の飛行機。
 アメリカが運んできた武器搬送用の飛行機。まだまだ試験段階のような事故が多いと騒がれている問題の飛行機。
 今、空をめぐるいろいろなことが起きていました。ウクライナ上空を飛んでいたマレーシアの民間機が打ち落とされ乗客が全員が亡くなったという悲報が世界中を騒がせています。全然、戦闘に関係ない民間機も紛争の犠牲になる時代。いったいどうなっているのか……と怒りさえ覚えます。事故の徹底究明が急がれます。事実を事実として究明してほしいものです。
 1万メートル上空で事故が起きればどうにもならないでしょう。あとは無事に着陸してくれれば……と思います。それが無理であればと思いはつきません。

 夏の盆帰り。
 日本航空のジャンボ旅客機が御巣鷹山に墜落したのを思い出します。
 あのとき、生存者がいました。どこかで頑張っているのでしょうか。
 最近、飛行機の事故が多い思います。これも、パイロットが少ないというニュースがあるよに現場に問題があるのだと思えます。添乗員も合理化で多くが理不尽な解雇をされた聞きます。空の安全をだれが守るのか……。
 せめて、戦闘機が飛ばない空であってほしいものです。もちろんオスプレイなんてかんべんしてください…です。

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 サッカーワールドカップもドイツの優勝で終わりましたね。
 さっかくサッカー大好きブラジル開催国でったので優勝を逃したのは大きな失望であったことでしょう。経済も少し右肩さがりになってきたブラジル。大会前には地下鉄のストや市民の抗議行動の記事をよく目にしました。そんな中の開催、さぞかし優勝で活気づけたかったことだと思います。

 日本代表の活躍も見たかったところですが、あっけなく予選で1勝もできず敗退。原因がなんであれ、やはり世界標準にはまだとおいと思えます。スポーツで大事なのはコンディションつくりがあげられるとしたら、今回の代表は完全に失敗していると見えました。練習試合では、プレーに切れがあり、一人ひとりの動きも連携できていたはずなのに、本番ではそのプレーが出ていませんでした。出ていれば、1勝くらいはできたのでしょう。
 イタリア人のザッケローニ監督が目指したプレーが、なぜかワールドカップでは出ていなかった。これで、監督の仕事は終わりです。お疲れ様でした…といいたい。監督が就任してワールドカップまで何が変わったのかというえば、パスサッカーを追求していた日々だったと思えます。それが本番に出せないことが、日本代表の弱点でもあるのだと思います。

 もう2018年ロシア大会にむかっています。
 今回の試合内容を反省して何が足らなかったかを追求して出場枠を勝ち取ってほしいものです。おそらく、アジアでの出場枠も少なくなって大変でしょう。「自分たちのサッカー」がなぜできなくってしまうのか、考える必要もあります。


 「集団的自衛権行使」という問題が、安倍政権の閣議決定やらで決まってしまった。新聞報道なのでは、反対者の方が多かったにもかかわらず、特定秘密縫合法案同様に強行された感がありました。
 連日の国会周辺でのデモや集会に多くの人が集まった記憶はまだ鮮明です。

 いったい何を目指しているのしょうか。本当に「戦争のできる国をつくる」のでしょうか。少子高齢化の時代に戦争などやっている場合かと思いましたが……。為政者のやることはわからないですね。
 本当に「戦争のできる国」ならば、まず最初に駆り出されるのは自衛隊の人たちでしょう。彼が、万が一「戦死」という言葉をつかって報道だれるようになったら、これはまさに戦争に加担した国としてみられるでしょう。
 さらには憲法9条の「平和主義」も崩れるでしょう。

 最近、職場の友だちもこの事実を考えてか集会にときどきいっていると聞くようになりました。理由はそれぞれあるのでしょうが、まずは自分の働く場所や小さな子どもの命が犠牲にされるのは、これまでの長い歴史のなかで明らかなことです。そう、思うとなにか「いてもたってもいられない…」という気持ちがでてきたのだと思います。
 集団的自衛権について何も知らなくても人の命は大切です。まして、自分や自分の大切な子どもが犠牲になるのは絶対に許さない、と思うのが人情でしょう。だから、行動でしょう。なにも知らなくても人として……というのが、友だちの発想でした。その熱意は大事だと思いました。
 一人の熱意がまた一人の熱意をつくりあげる、というのが人間関係でしょう。そうしてつながっていくのが大事だなあと思います。
 わたしもできる範囲で行ってみようと考えています。

 時代の違いなのでしょうか。安倍首相の「戦後レジームの脱却」から始まりました。いなや響きを残しています。
 戦後69年。今までのとちょっと違うような気がします。何が違うのか……。
 今まで政治家が経済の問題が多かった。政治は「民営化」問題が多くありました。郵政民営化、国鉄民営化などの政治が大きくゆれてきたように見えました。その中で時々、顔を出したのが防衛問題(憲法9条)でした。
 そのなかで、労資対立、政府と労働者の対立……で政治は考えられてきたように思えます。防衛問題は憲法9条があったため、保守の自民党内部でも断じて武器をつかうことは許されないという「紳士協定」のようなものがありました。PKO問題ときも、武器は使わず「後方支援」でした。理由は、戦中世代は保守でも武器使用は「憲法9条」がるということで反対を表明したきたといいます。しかし、今回は違います。与党内でも憲法を守ろうという動きがみえにくいようになっています。
 
 ところが、選挙で多数派になった今回の安倍第二次政権はちがっています。
 昨年、強行成立した「特別秘保護法」を筆頭に、今年は「集団的自衛権行使」の閣議決定(与党だけの会議)でいかにもすべてが通ったような勢いです。
 また、教育に関しては、教育委員回のあり方も政治家の意見を強くいれようという動きになっていくようです。
 原発も同様に、政権は原発再稼働をすすめていく方針です。
 これまでの問題を全部、強行突破でもするような勢いでもあります。

 そんな流れの中で何ができるのか……。
 全部の問題にかかわっていたら、日々の労働のなかからは考えられません。現実、残業ばかりの職場にいって、集会に参加してくださいといっても無理なことです。無理を承知で強行したら体を壊します。それを保障してくれる組織はありません。労働組合も積極的ではないようです。
 一人ひとりの生活や仕事のなかに、いまある問題を一つだけ関心をもちできることをやっていくしかありません。それは、人の熱意であったり、説得であったりと、なんでもいいのだと思います。大事なことは、なにか、一つ自分のできることをやってみることだと考えています。【ぼくの行動宣言】


 3連休。
 どんな日々を送ったでしょうか。
 私は山歩きを計画していたのですが、雨で中止にしました。事実、雷と豪雨でとんでもない天気になりました。
 雷の音が梅雨明けを宣言しているような日暮れでした。
 娘は北海道に飛行機ショーを見に行っていました(写真はそのときのもの)。なぜでしょうかね…。昔であれば、戦闘機は嫌われ者でした。空飛ぶ殺人兵器ですから。今は「空飛ぶ広報室」という具合なのでしょうか。自衛隊の本質が見えにくくなっているようです。事実、東日本大震災では大活躍でした。「支援」だけであればいいのですが、これが武器を持って発砲すれば戦争です。戦闘機は大量破壊兵器となります。これが真実ではないかと思います。

 でも彼女にとっては、戦闘機であれひとつのショーの出し物にすぎないようです。旅先で、私と同じ年齢のオジサンと親しくなって協力していただいて写真を撮ったりできたそうです。「旅はいい」と思う瞬間です。
 私でも、旅先で若い女性と一緒に一日旅ができれば最高ですし、楽しさ倍増になるでしょう。いろいろ飛行機のことや旅のことを語る時間はいいものです。旅先ならでは、という話しもできます。(このオジサンはよかっただろうなあ…ぼくであればいい一日と感激してしまいますよ…)
 とはいうものの、図にならないようにと注意は必要です…と一言、いってやりたいものですが。

 さて、梅雨も明けてくれれば山歩きもできるようになるでしょう。ボチボチ始めようかと思います。そして、集団的自衛権に関係する集会や講演会にも時間をみつけて友だちと行ってみようと思います。どうなるのか心配ですが、少しずつ行動できれば「ブログ」もちょっとはいい更新ができるかもしれませんね。
 それでは今週はこのへんで。
 *読んでくださった方、ありがとうございました
。 

サッカーワールドカップが終わりますね…

2014年07月13日 | Weblog



 今週、台風8号が関東地方を縦断しました。翌日は、台風一過で夕方には虹がバスでの帰り道みえてました。暑い毎日がもどってきました。
 休日の多摩川散歩出掛ければ、川風を楽しみにベンチに座り込んでいる光景があります。
 若者はたくさんの汗をかいながらのジョギング、老人はベンチに座りなにを思いきやのんびりその様子を眺めています。ぼくは、そのわきをゆっくり歩いて通りにける散歩です。笑ってちかよってくる人には「暑いですね」くらいの挨拶をしながらの散歩道です。気象庁は熱中症に注意してください、との注意報を常に発信しています。
 この時期は水の事故も多いようです。5月の連休は山の事故が目立ったのですがやはり夏ですね。

 水は生きているものすべてのとっては空気と同じくらい大事な地球からのめぐみです。普段はそれほど感じていないのですが、事故などが起きてからそおの怖さと大切さを知りのでしょう。(遅い……遅い)
 でも、そんなところでしょうか。普段、人間は違う楽しみで生きている実感をあじわっているのでしょうから。それでも、大事な水と空気についてゆっくり考える時間を持てなくなっている、ということでしょう。

…………………………………………………

 今週は台風8号が大規模な台風ということで、集団的自衛権行使について「閣議決定反対」などデモで騒がしかった先週よりは静かだったようです。
 これは、静かというより憲法改正への動きが水面下で静かに進んでいるということです。事実、集団的自衛権行使に関連する法律の改正チームが発足がきかれます。全部まとめて一気に憲法まで変えようと水面下では静かにはじまっていることでしょう。この時期、いちばん大事なことが表になでてこないのかもしれません。

 新聞に「集団的自衛権行使」による憲法解釈変更について各新聞社の「社説」はどう論説しているかという記事が載っていました。
 憲法解釈変更に反対の新聞社は「朝日、毎日、東京」で賛成あるいは必要は「読売、産経、日経」でした。
 徹底的に反対の論説は「沖縄タイムズ」でした。かつての太平洋戦争時代は、マスコミというテーマでみれば過去、すべての商業新聞は賛成していたように見えます。それを、考えるとこれからも「反対」を貫く新聞社がどれだけいるのかと思います。
 原発問題も同様で、その後の原発の記事をどれだけ新聞社が追いかけてひろく市民にその問題を伝えていっているのかということも同様です。

 「号泣する県議会議員」「セクハラのヤジ」の都議会や国会議員と日本の政治化の質が問われているような週でもありました。その結果、そのニュースが日本中の情報になって流されるたびに「こんな政治家を選んでいる私たちって何」という気がします。
 すべての議員がハレンチな政治家だとは思いませんが現実問題としてばかばかしいほどの議員もいるということがわかった週でした。

 サッカーワールドカップもいよいよ決勝戦がドイツVSアルゼンチンで終わる様子です。3位決定戦では、オランダがネイマールが欠場のブラジルに勝ちました。今回優勝候補のブラジルもこの無残な成績にどんな思いがあるのでしょうか。自国開催で応援もいちだんともりあがるはずの大会でしたが3位にもなれず今後オの動きが心配されます。また、経済問題でもめていた開催前でしたからなおさらです。
 それにしても今回のブラジルは「らしくない」サッカーばかりやっていたように思えます。ディフェンスはガタガタで、フォーワードはシュートはゴールにむかわなかった。動きもボールをボールを持っている人以外に動くようなことがなかったように見えました。

 サッカーワールドカップも明日で終わり……。
 少し寂しいですね。およそ一か月間、朝に夜に出場チームの活躍は面白かった。さすがにワールドクラスのサッカーは日本のJリーグでは見られないほどの正確さとイマジネーションをプレーの随処にみせてくれました。とくに、ゴールキーパーが「さすがだな」と思えるプレーがでていました。
 とくにオランダやチリのキーパーが印象に残っています。
 ぼくはきっとしばらくは、ワールドカップが終わると体も精神も気が抜けたような日々が続くのではないかと思っています。
 このエネルギーは大事な日々だった思えます。さて、明日の決勝戦はドイツ、アルゼンチンどちらが勝つのでしょうか。ちなみにぼくは、アルゼンチンを応援しています。メッシのここでの活躍を信じています。そして、久しぶりにマラドーナ以来の優勝を勝ち取ってほしいものです。


 今週、2年ぶりに移転前の千代田区の永田町のビルに行って働いていました。場所が千代田区……なんとも便利な場所だということがつくずく感じた一日でした。やはり、通勤距離と職場は大事な条件です。
 この職場は、平日は一人の職場。木曜日だけは責了日ということもあって、板橋から常に一人が応援にいくローテーションになっていました。今週はいつも行く人が出張に急遽、私がいくことになったいうわけでした。元いたところですから、お客さんはみな知った顔でもあります。「久しぶり」の挨拶で始まった一日でもありました。
 見渡せば二人で100歳を超えた職場実態。なれたこととはいえ、二人で顔を見合わせ笑っていました。そう思うと、これからどうなっていくんだろうという不安も残りました。

 職場も年々高齢者をかかえる職場を多くなっていくように思えます。
 そして、再雇用制度も身近になってくる日々でもあります。いったい若者はどこにいってしまったのか……。なかなか就職できない現実と聞きます。
 会社は高齢者の労働者をどう使うのかということも大事な経営のテーマだと思います。まして、技術を要する仕事は、習得する時間がお客との長い関係のなかでつくられていくわけです。これからは、それを考えたうえの経営が問われてくるのでしょう。企業の生き残り……の一つでしょう。

 今週に政府の成長戦略の労働時間規制緩和について厚生労働省で審議が始まったと報道されていました。目玉は「残業代ゼロ」についての審議でした。
 経営者は「年収1千万以上」を対象に残業代込みの賃金をつくり「残業代をなくす」といい、労働側は、その動きは年収1千万以上者だkでなく、以下の労働者にも影響がでてくるということで長時間労働を助長する結果になるとなった。その結果、身体の異常をつくり「過労死」を増やすのではと懸念されている。年々増えつづける「過労死」に歯止めがかからなくなってしまう。
 
 ぼくは、「残業セロ」はいいが、実際はゼロにするために残業をする結果をつくるのではないか。それぞれの働き方が壊され、企業優先の働き方が増えるのではないかと心配だ。ワークライフバランスを考えることが大事なのではないかと思えた。若者が減る一方で高齢者が増える。その現実を考えれば残業は体を壊すようなものだろうと思う。
 この日、職場100歳以上の実態を笑ってばかりいられない一日だった。
 仕事が終了した夜。友だちから電話で「暑気払いじゃ、近所で飲んでいるからこいよ」のさそいに便乗して帰った一日だった。


 最近はすっかり定時退社が当たり前になっている。ぼくとしてはこれは大歓迎なのだが、残業代はけっこう生活にしめる比重は大きいのが現実。
 うれしいのか、悲しいのか複雑なところ。
 とはいっても体を交わしてはみもふたもない……。
 最近は「年をとるってどういうこと」をよく考えている。職場では仕事が変わり、これまでの経験を生かした職種(校閲)になったのは歓迎だった。
 でも、今度は老眼がすすみ文字がかすむなどが気になってきた。文字がかすみつつ、読んで間違えたらこれはおおごと…と思い眼鏡屋さんにいって注文した。年をとるって、より注意深くなることが一つわかった。
 「年をとることはこういうことなんだ」日々、習得していくしかないように考えている。ただ、職場にもそん人がいる。それを追求していきたいなあと思う。二度と過去に戻れないなのなら、これからを楽しむ考えや習慣をつくっていくしかないのだから……寂しいのか楽しいのかトホホだよ。

サッカーのワールドカップが終わるのは寂しいけれど、今度は自分の楽しみを始めようと思います。
 今週、連休にまた山歩きを始めようと思います。ボチボチとのんびり時間を使って歩いてこようと思います。そんなわけで今週もやっていきます。
このブログを読んで頂いてみなさんにとっては、最近つまらなく思えるかもしれません……。
それは、ちょっとガマンしてください。やはり、動いていないといいものが拾えませんね……。
*読んでくださった方、ありがとうございました。

7月…梅雨も半ば、政治の季節

2014年07月06日 | Weblog



 こんにちは……。
 関東地方はまだ梅雨が明けていない7月が始まりました。まだまだ、傘は手ばなせない毎日が続いています。
 最近は雨もふっていなくても朝から長靴をはいいる女性を通勤電車のなかでみることも多いです。今日の天気予報でも夕方から雨、ということをいう日々が続きます。それが、あたれば長靴もたいへん重宝するはきものです。
 長靴をはくのは最近の天気をみればわかります。雨がふれば、しっとりとした雨がなくなったこのごろです。極地的な集中豪雨などが多くて、「大雨警報」などもみかけます。
 東京で日中、男が雨も降らないのに長靴をはいて通勤するにはとても勇気のいることのように思えるます。朝からどしゃぶりで、風もあり、台風のような天気であれば長靴もさまになるのであろうが、東京ってところは長靴をはくような自然がないのかもしれない。
 そのてん女性にとっては長靴もカラフルで洋服の一部のような存在。うらやましいですなあ……。
 日本語に「愛雨」(あいう)という言葉がある。自然の摂理にしたがって降る雨は、動植物の水の供給源であり、人の心にうるおいをあたえるかけがえのない賜物だそうです。さて、今日の雨は、うるおいを与えてくれたでしょうか。


 さて、今週は安倍政権の念願でもあった「集団的自衛権の行使容認」について公明党との与党階段の閣議決定がまとまった週でもありました。公明党も自民党の内容について、抵抗していたようですが「内容よりも権力をとった」のような形もあります。その結果、平和の党としての公明党には多くの不信感がおきたようです。終始「言葉の解釈」をめぐっての討論であったように見えます。要は、自衛隊が武器を使用できる法案のたたきだいについて、自民党の案に対して公明党が妥協したということでしょうか。

 武器を使うということは、人を合法的に殺すということ。合法的に殺すということは戦争ということ、それが「集団的自衛権の行使」だと考えます。
 紛争を解決するためには武器を使うということは、必然的に憲法9条が出てきます。憲法では紛争解決のために一切の武器使用を認めてきませんでした。やれば「違憲」ということになります。
 これまで、日本政府は海外の自衛隊を派遣した場合における武器の使用は認めてきませんでした。そのために、海外派遣にしても自衛隊は紛争の最前線ではなく、物資や医療などの後方支援が中心になってきました。歴代の首相(自民党)はこの海外派遣について野党との協議をかかさずおこなってきました。今回のような一首相の判断ではやられてはきませんでした。

 それを強行する、これが安倍首相のいう「戦後レジームの脱却」なのでしょうか。思えば、戦後69年、これまで戦争反対を訴えてきた政治家や国民は戦争経験者がすすめてきました。ここに来て、野党のなかでも与党のなかにも戦争経験の本当のすがたを語れる人が少なくなってきたことは事実でしょう。ではそうするのか、過去の歴史に対する認識がこれからは必要な指針となってくりょうに思えます。
 例えば、太平洋戦争当時の日本のアジア侵略に対する反省にたった政治が求めれてきます。「従軍慰安婦問題」「朝鮮人強制労働・差別問題」「南京大虐殺」という歴史事実をどう発信していくかが常に大事なことです。いま中国と韓国を安倍首相の「集団的自衛権」には、不安を感じているところです。ですから、中国と韓国は両国の問題をとおして日本に警告をはっしているのではないのでしょうか。

 今後、閣議決定がたたきだいとなって、「自衛隊法」「武力攻撃事態処法」「周辺事態安全確保法」「船舶検査活動法」「国民保護法」「特定公共施設利用法」「PK法」「防衛省設置法」「国家安全保障会議設置法」など関連法案が審議され変えられていくのでしょう。そして、最期には「憲法」となっていくのではないかと思われます。
 しばらく、静かになる期間のなか水面下では着々と軍事体制が強化されていくのでは……という不安が消えません。
 ちなみに6日付け新聞(朝日)に集団的自衛権容認の世論調査がのっていました。よくなかった(50%を上回る)。よかった(30%)という数字がありました。また、安倍内閣を支持率は44%、不支持時は33%になっていました。
 そろそろ安倍首相のヒロイズムにはつきあえきれなくなってきているのでしょうか。
 
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 いまいちばんの燃えているスポーツ!
 サッカーワールドカップブラジル大会でしょう。すでに、日本代表は予選リーグで敗退。負けて帰った代表チームのなかには前回優勝のスペインもあります。イタリア、ポルトガルも決勝トーナメントには進めませんでした。
 日本代表の予選リーグの戦い方をみて思ったのは、柔軟性が必要なこと。最期まで自分たちのサーッカーの形ができなくて勝てなかった…ではなく、戦術に工夫をいれながらつくるアイデアあるチームが必要だったように思えます。

 予選リーグでいちばんサッカーの楽しさを見せたのはグルーオプGのドイツ・アメリカ戦でした。サッカーはロウスコアのスポーツです。バスケットや野球のように大量点は望めません。それでも、面白いといわせるサッカーの試合を見たように思います。それは、必ず自陣から相手ゴールまで攻めて最期にシュートで終わる。シュートがゴール枠に飛んでキーパーがそれをはじく、の繰り返し。それが息をのむすごいシュートであってもキーパーのうまさによって点になならない。さらには、相手の隙をみて瞬時に攻め込む。シンプルなカウンター攻撃というものです。これが、両チームとも実によくできていて、点がなかなかはいらなかったのですが面白い一戦でした。
 サッカーの面白さをここで見せられたように思えます。

 ゴールキーパーも瞬時に判断してゴールを守る。今回のワールドカップはゴールキーパーが試合の醍醐味をひきだしているようにもみえます。
 今週で決勝トーナメントにはいり優勝が決まります。どこが、優勝するのか……。私としては、前回準優勝のオランダを応援しています。

 ブラジルはネイマール選手の負傷が痛手でしょう。そんななかどんな試合をつくってくるのかも楽しいところだと思います。ネイマール選手には気の毒な大会になってしまったようですが、サブ選手の活躍が期待できます。そんなブラジルサッカーの層の厚さを感じさせるプレーがでてくるのも見どころではないかと思います。
 

 新聞によると、今はどこでも人手不足だそうです。過酷な労働環境に反旗をひるがえした若者が就職をこばんでいるのかどうか…。少子高齢化は少しずつちかよってきているのでしょうか。
 ぼくのところも例にもれず人手不足のようだ。6月から職場を変えて1ヵ月したところ、元の職場から「どうにも、仕事がうまく回らない」などの声があった。原因は、人手不足から一人でかかえる仕事が多すぎて全体を見回して、一日の流れをうまくできていない。
 元いた職場では、ぼくはまさに一日の仕事をまんべんなく回してスムーズに仕事の流れをつくる仕事をしていた。管理職という権限を利用して、時には無理を言って、時には拝み倒して仕事を回していた職場。
 だから、あるときは人のうらみもかったことも多くあったのかもしれない。ぼくとしても、平気な顔していたが相当のストレスがたまった職場。

 7月にはいり、変わった職場で「自分なりの仕事を考え頑張っていこう!」と思ったところに、管理職に「頼むから、元のところにしばらく(9月まで)戻って、やってくれないか」と言われた。こちらの条件をいくつか出して依頼をうけた。だから、今は新規の仕事と前の仕事の二つをやっている。
 いったいどうなっているの? と思う。
 これで、異動した職場でのやりたかった企画は後回しになった。しかたがないとあきらめている。

 思えば、誰がみても無理な異動を考えて実施した人たちに問題があったのだろうと思う。それで言いといった現在の管理職にも問題があるのだろう。
 これではますます、異動のあとの仕事ができなくなる。それでいいだろうと開き直るしかないようにも思う。
 仕事でいちばん疲れるのは、仕事の中身より、それを人に説明し納得してもらい、遅れたら激励したり、注意したりして終わらせること。
 そんなことを何十年もやってきて、人の関係から解放されてペースを自分の時間どおりできるかと思った。しばし、がまんがまたはじまりそうだ。それでも、残業がなくなったことぐらうだけど、またボチボチとやっていこうと思った……。


 最近、ぼくが好きなテレビ番組が「最終回」というものが多くなってきて、何でもはじめがあれば終わりがあるんだ、ということを思った。
 「永遠」なんてないんだな。サッカーのワールドカップも今週で優勝国が決まって終わるのだろう。そして、選手たちは4年後のワールドカップまでチームに帰って日々の生活に戻っていくのだろう。
 4年に一度のワールドカップは、選手にとってみれば「はれの舞台」なのかもしれない。日々の延長線上の目標なのだろう。だから、少しでもうまくなって、ワールドカップに戻って来ようと考えるのだろう。
 ワールドカップというイベントは選手が変わろうと、未来の代表選手が出場して活躍する場所でもあるのだろう。引退で選手が消えてもイベントは残る…ということは、今の選手がつくっていった過去なのだろう。それは、歴史に残る選手、プレーとして残るのだろう。そのことが大事なことなのだ。

 政治の世界はどうだろうか。
 こちらは、「永遠」を追求するものなのだろうか。今回、安倍内閣がやろうとしている「集団的自衛権行使」というのは、まさに「永遠」なんてことを考えていないような政治だな……と思う。だとすると、この政治は始めではなく終わりに向かっているような気がする。なぜなら、自衛隊員を育てるのではなく、死に行く兵隊にしようとしている法案に思える。
 少子高齢化で若者を死なせる戦争へとなれば、じゃ日本という国はだれが成長させるのだ。……と思ったら、外国人を日本で働けるように入国させ働いてもらうということになっている。

 いいことは長く続かないなあ……。
 ぼくは、過去の歴史を反省しない政治は言い政治じゃないと思う。そう思うと、安倍首相は過去の歴史について多く語らず、「戦後レジームの脱却」という言葉で、いまをころがそうとしている。
 ころがるのは、首相ではなく日々の生活に四苦八苦しているぼくらなのだということはなかなか言わない。それが現実であっても。

 今週は7月の始まりは「政治の季節到来」という思いのした一週間でもありました。日本の為政者のばかさ加減がつくづくニュースになるのを目にするとがっかりします。(都議会の女性へのセクハラ発言もいました)
 誰もがのぞんで政治への関心があるのではなく、そんな為政者がいるからなおです。これから、日本はどこへいくのか…なんて小心者のぼくでさえ考えた週でもあったのですから。

*読んでくださった方、ありがとうございました。
※先月末の図書の整理がなかなかつかず掲載できていません。すこしずつ片付けようと思います。もうしばらくお待ちください。ワールドカップはオランダの優勝……がんばれ!!