こんにちは……。
梅雨が明けたと同時に毎日暑い日がつづいています。ときどきスコールのような雨もあるます。やっと家路にたどり着いた駅まで雨がやむまで立ち往生というときもありました。おおよそ雷がなって梅雨があけて、夏が動き出すのでですが、最近は何回も雷がなってスコール……。異常気象でしょうか。
今月、一年に一度の恒例の「世界報道写真展2014」(東京・恵比寿東京写真館)に行ってきました。毎年のこととはいえ、今年はどんな写真が展示さされていのか楽しい時間でもあります。
今年の展示写真は、毎年、各国の紛争が大きなテーマになっていたのですが、今年の特徴は紛争は少なかったようです。
今回は「人間の生き方」がメインテーマのように思えました。私たちは、通常、家に住み、働き、買い物やスポーツなどで日々の生活を送っているのですが、写真展の人々は人様々な強烈な個性をだして生活している人々が展示されていました。もちろん、展示されるということは、一つ一つの作品には「賞」があるわけです。その賞にちなんでの写真でした。
しかし、裏をかえせば、紛争を舞台にした報道写真は人間の欲望の強烈なあらわれでもあり、いかに自分の国が平和化ということを知ることができる基準値のようにも思えます。
そんな意味でも今、日本は平和国とでもいえるのでしょう。
写真が思い切り問題を提起しているとすれば、日本はその一部分が波及しているような点にも思えます。
2014年7月段階ではまだ、紛争で日本人の血が流れ、労働者の紛争はない状態でもあります。ですから、まだ、日本は報道写真展で展示されるだけの状態なんだといえます。これは、ある意味とても大事なことです。幸いにも、今回の報道写真展には展示されていないことはとても幸せなことだと思えます。
しかし、今年「集団的自衛権行使」から「憲法解釈変更」となれば自衛隊はきっと海外にいくであろうし、紛争の当事者になる可能性も出てくるということでしょう。ほめられたことではないと思いますが、現実の流れは刻一刻とその方向に進んでいるのは事実のようです。
へんなことですが、自衛隊は自衛隊の仕事をする本質(軍隊)がでて来るのだと思います。憲法も「憲法解釈変更」となれば、いままで静かに黙っていた憲法という法律がいかに私たちの基本かという本質を知る機会になったようにも思えます。
そしてジャーナリスト(フォト)は真実を追いかけるべき本当の仕事がますます必要な時代になってきたということです。「秘密保護法」で覆い被されてしまう真実をこれからもますます必要な時代がくるといくことなのでしょう。
最近読んだ新聞に面白い記事があった。7月27日・東京「時代を読む・内山節」である。
日本は「曖昧」の国である…という。政治にも企業の経営にも日本的風土で「曖昧」さが日本をつくってきた。政治の世界ではたてまえは「国民主権」である。そして、それが政治家や国民も暗黙のなかにバランスをとって生活ができてきたという。事実、「集団的自衛権」といっても「憲法」があるために武器は使えない、攻撃もできない…ということは当たり前であった。いい意味で曖昧だがそれがほとんどを占めていた。
ところが安倍政権になってから、まさに「上から目線」で市民に「閣議決定」したことを強制的に納得させているような日々がやってきた。
政治でも企業でも「命令」から「従事」の関係が明確化してなかば強制的になってきたように見える。それは、「秘密保護法」の強行成立をみればわかるような気がする。
そして、その形が戦前の日本に似ているという。その結果、日本は戦争に突入して敗戦という歴史を作った……という内容だった。
報道写真展では、きっとそのヒントを私たちに語っているのだろう。
日本が、こうなる…という先にはどんな写真が出来上がるのだろうか。できれば、世界報道写真展で賞をとるような写真でないことを祈るばかりだ。
人がどんなに悩みが大きくても、それが静かに語られ、解決できる場所が大事だな思う。ゆっくり、歩いている男女が思い切りケンカをしようとも、それが大事なプロセスで必要なことで、平和のなかで語られることを願っている。
ふりかえればもう7月は後ろの方に去っていってしまっている。
先月の本もまともに終わってないとのに、時間がたつのは早いなあ…と嘆いている。今月もとうとう月末になっていた。1カ月に読んだ本の整理をしようとしても、なかなかうまくいかない…で7月も終わろうとしている。
暑さのせいか、それとも何か起きているのかと考えながらの読書だったように思う。
7月といえば「集団的自衛権行使」の閣議決定決まり!!で始まった月だった。それでは「集団的自衛権」っていったいどういうことという疑問が浮かんだ。戦争か? それとも侵略か? などと思いつつ読んだ本。
まさに、7月はこれまでの政権のありかたが違っていた。なにがちがっていたかというと、政権=権力が縦横無尽に何かを変更しようとしている。それも、批判の多いほうへとむかっている(一部賛成しているところもあるが)。
では、反対している理由はなにか。
戦争になる、徴兵制の復活、原発も再稼働と何も解決のめどもたっていないのに進めれている。おかしいなあ…と思ったら、決定している。これは、おかしいと思っている人たちの意見を無視している強権的ということだろう。
……と思いつつ本を選んで読んだ7月だったように思う。
日本は戦争をするのかー集団的自衛権と自衛隊-/半田滋/岩波新書
●本の内容
安倍晋三総理の悲願といわれる集団的自衛権。武器輸出の解禁や日本版NSCの創設、国家安全保障基本法をめぐる議論などを背景に、今、日本が急激に変わろうとしている。政府で何が議論されているのか。それはリアルな議論なのか。自衛隊はどう受け止めているのか。長年日本の防衛を取材してきた著者による渾身の一冊。安倍政権の悲願は、日本を本当に安全な国にするのか?(「近刊情報」より)
【感想】
「集団的自衛権行使」という閣議決定でこれから、自衛隊が武器を持って活動するための各法案が練られて提出されるだろうという。
では、「集団的自衛権」っていう言葉がどんなことなのか知らないといけないと思い手にとった一冊です。
いまでは「戦争」という言葉は使わないようになっているようです。その代わりに出てきた言葉が「集団的自衛権」という言葉でした。結局は「戦争」に変わりはないようなのですが、国際法の便宜上この言葉が使われるようになったようです。
例えば、アメリカが介入したベトナム戦争。
アメリカは南ベトナムの要請を受けてベトナム戦争へ参加したというのが法律の便宜上なっています。韓国も同じです。
しかし、その実態はほとんどがアメリカと北ベトナム、民族解放戦線との戦争でした。日本も中国と戦争にはいったときも、中国の政権から要請があったかのようにしての中国侵略であったのだと思います。ベトナムも中国も参戦した国の傀儡政権にすぎなかったことは歴史が証明しています。
結局は戦争なのです。武器を持っての銃撃戦、あるいは空爆とありとあらゆる手段をもちいいて殲滅するのが戦争です。
クラウゼヴッツの「戦争論」でも、「戦争は政治の延長線のできごと」といっているように、大切なことは武力という暴力ではなく、政治で解決する気があるのかないのか、ということなのです。それが、独立して平和をつくる国の責任でもあるということだと思います。
集団テ自衛権ってなに?/戦争させない1000人委員か/七つ森書館
●本の内容
昨年12月、安倍政権は多くの人々の大きな反対を押し切り、「特定秘密保護法」を強行採決・成立させました。今後は「解釈改憲による集団的自衛権行使容認」「国家安全保障基本法強行」へ踏み込もうとしており、日本が戦争に参加できる国になろうとしています。このままで、いいのでしょうか?
本書では、第一次安倍内閣からの改憲策動、教育基本法、秘密保護法、武器輸出三原則、国家安全保障戦略(NSS)、日本国憲法との関係を示しながら、「集団的自衛権」とは何なのか。また、行使が容認されるとどうなるのか。
【感想】
この本は「戦争させない1000人委員会」という緊急にたちあげた団体が作った本。わたしも、この団体には賛同している。
かかわっている構成員の方々も信用してもいいと考えているから賛同している。事実、この団体が集会や講演会には時間の許す限り参加しようと思っている。
仕事があったり、大事な約束があったりと私個人の理由があるけれど「やっぱり戦争はしたくない」という思いでいる。そのためには、何が問題なのか知る一冊でもある。何回もきっと読む本になるようになるだろう。
※感想になっていないですが……。
日本の面影/ラフカディオハーン/角川文庫
●本の内容
美しい日本の愛すべき人々と風物を印象的に描いたハーンの代表作『知られぬ日本の面影』を新編集。赴任先の松江を活写し、日本人の精神にふれた傑作「神々の国の首都」、西洋人として初の正式昇殿を許された出雲大社の訪問記「杵築―日本最古の神社」、微笑の謎から日本人の本質にアプローチする「日本人の微笑」など、ハーンのアニミスティックな文学世界、世界観、日本への想いを色濃く伝える11編を詩情豊かな新訳で収録する。日本の原点にふれる、ハーン文学の決定版。(紹介抜粋)
会社の帰り道。夕暮れの駅のホームにときどき浴衣をきた人たちを多くみるこのごろです。きっとどこぞで花火大会やお祭りがあるのだろうと思う。
やっぱり浴衣はいいですね。みていて落ち着く感じがする。日本だなーと振り返る着物である。
そして日本人なんだなー。平和なんだなーと。
私も今回の報道写真展の帰り道、恵比寿で毎年立ち寄るお店にいった。一年に一度だけいくお店である。今年も寄らせてもらって友達と酔いにまかせて楽しい時間が過ぎていった。写真展の感想は皆無で仕事の話しがほとんどあった。
私が役職定年制で異動後の様子などを聞いてみた。なにか大変らしい。
私が見ている分にはうまくまわっているのだが、現実はうまくいってないらしい。それは「キラー役」がいない。キラー役=悪者(嫌われ者)のこと。とくに、仕事の中身よりも仕事を頼むためにある意味、嫌われTても依頼できる人だそうだ。それがいない。以前はストレスを持ちながら私がやっていた仕事だと思った。
普通、上司がその役目なのだが今の上司はそれができないらしい。
わたしも大変だったことを話したが、せれでも必要だという。わたしもそれはわかるような気がした。誰しも、嫌われたくないのが人情だと思う。
仕事をすすめるのは大事だが、担当者にストレスをためさせてはもともこもない…と考えながらの日々だった。これがなによりも大変さがわかったらしい。相談されて、今の上司に相談するように言った。
とりあえず、部会をやるように上司に言うそうだ。わたしもそう思った。
暑くなるとなにか考えるのもめんどうくさい。それがホンネ。だから、だれかの話しを聞いたほうが早い。でも、それでは、自分という人となりが危ういかもしれない。できるところで妥協してやっていくしかいないようだ。
週末、今年もボランティアで花火大会の手伝いいく。正直めんどうくさいなあ…と思っている。それは、いまやることがあるからだ。
今月もお疲れ様でした。
*読んでくださった方、ありがとうございました。