日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

春一番が吹きました。

2017年02月19日 | Weblog

 こんにちは。
 今週、春一番が吹きました。一日温かく感じたものでした。ニュースでは4月の陽気だったのか、もう少しですね。
 春が近づけばもう一つの悩みがあたまをもたげてきます。「花粉症」で悩む春でもあるように思います。気になれば気になるほど憂鬱さがましてくりょうに思えます。今年はどうでしょうか。
 多摩川の土手の散歩で寄り道をしてみると、河津さくらがさいていました。なんと気の早いさくらでしょうか。リンとして固く青空に花びらが寒さに耐えているような見えました。足元にも歩いているうちに土の固さが柔らかくなっていくような気もします。

 さて、今週は何がぼくのなかで「話題」になっていたのでしょうか。
 あいかわらず、明けても暮れてもトランプ米大統領の話題にはことかきません。とはいえ、ここは日本です…と思いもう少し足元を見つめていきたいと思います。とはいえ、トランプ大統領が世界に投げかけた政治は怖い兆候のように見えます。
 最近読んだ新聞のコラムに英国議会の議長のジョン・バーカウ氏の話が載っていました。トランプ大統領の訪英での議会演説について「彼を議会に招くことはない。人種差別や性差別に反対し、法の下の平等と司法の独立を支持する下院にとって、とてつもなく大切なことだ」と…。はっきり「NO」をつきつけることが大事な時だからだろう。
 EU離脱を表明した英国が「これは別」と自分たちの立場をはっきりさせているところが英国下院議長600年の歴史だろうかなあと思えたコラムでした。


 16日、全米各地で臨時休業するレストランや商店が相次いだ。トランプ大統領の移民政策に抗議するストだ。「移民のいない日」と題されてソーシャルメディアで広がり、移民労働者が仕事をボイコットした。

 いまや米国は移民大国。それが多民族国家いわれるゆえんである。それを拒否したトランプ大統領の移民政策は、自国の労働者対策の怠慢の証でもあるし、資本主義の宿命を背負って世界をリードしてきた国の宿命でもあるように思える。記憶によると、世界の人口の数パーセントに米国の富裕層が利益を集中し、握りしめているということを思い出した。それはとんでもないほどの利益なのだろうと思う。広大な国土をもっているし、お金もある。
 資本家は安い労働力を得て、高い利益をあげていく。これは、資本主義経済の法則だろう。まして、グローバルサタンダードなる経済を世界中にまき散らした米国の宿命だはなかったのだろうか。IT企業などは、世界中から頭脳明晰なひとを雇って企業をつくってきた結果、世界中のパソコンにマイクロソフトやアップルのOSが普及してきたし、いまでも関連産業が反映しているのではないのだろうか。自国の教育がどれだけ貧困になってしまっているのか、そのせいで世界の頭脳ということになったのだろう。
 その結果、失業者が増えたわけだ。移民労働者のせいにするのはあまりも拙速ではないかと思う。

 一企業の問題ではないはず。移民が多いのは移民先の問題でもあるが、米国は近隣の南米などにいままでそうなるような外交政策をしてきたのではないのだろうか思うのだが。さらには、資源を安く得るためにアフリカや石油産出国などへの政治介入などをしてきた結果ではないのではないのだろうか。「米国流民主主義=正義」という政治テーマを世界中に押し付けた結果のことだと思う。今、日本では沖縄がその影響を受けているのも事実である。
 世界中の大統領や首相が同じようなことをやったら、きっと戦争になってしまうのではないのだろうか、と思う。その火種はあるように思う。
 そんな気がするのだが。


  南スーダン国連平和維持活動(PKO)に派遣されている自衛隊の即時撤退を求める集会が17日、東京都千代田区の衆議院第一議員会館であった。部隊の日常の「戦闘」という文言を憲法に抵触しないように「武力衝突」などと言い換える政府への批判が相次いだ。

 南スーダンで何が起こっているのか、隊員の家族にもよくわからないまま「戦闘」という現実がまるで部外者の「武力衝突」であるかのようになっているように思える。自衛隊当事者たちは何のために南スーダンに派遣されているのかという疑問に「平和」のためという答えはあまりにも安易すぎないか。
 「平和」という言葉が一括りされて伝えられても、実際のところは平和ではない状況なのだから、国民に知らせるべきではないか。まして、関係者の家族にも平和維持であればその内容を伝えるべきではないのかと思う。
 「日報を廃棄した」とか「武力衝突」とかうそで固めた情報が国民を疑心暗鬼にさせ危険なことになりはしないのかと思う。





 春となれば、会社に勤める人であれば異動の時期でもあります。自分がいる場所から、会社の人事異動命令で他の職場にいくということです。これはある意味では、気持ちをフレッシュにさせてくれるものだと思います。若い人にとっては、これからさらに多くの人と戸出会うことによって助けられたり、刺激をうけたりと必要なことだと思います。
 とはいえ、これは異動する側の都合もあります。いくら、業務命令とはいえ、強引な異動は考えものですが、ね。

 さて、今回ぼくが「異動する予定…」になりそうです。これは、お客さまの都合によるものなどで仕方がないかもしれません。今ある場所から、全面的に移転するそうです。そのために、(しばらくだろうか)今ある場所の確保もままらない手ざまなようです。そのために、ぼくが本社に戻ることになりました。いままでの仕事は、これまで通り、仕事の方法(段取り)をかえて続いていきそうです。

 思えば、いまいる「一人きり職場」は暫定的に決まった異動でもありました。
 前任者が、突然病気になってしまいこれまで通りの引き継ぐことができる人を探していたときにぼくが指名されたわけでした。そこには、以前からもやむを得ない状況であったときに助っ人して行っていましたので一部を手伝った足りしていました。
 当初は、難聴がひどく病院通いもしていたので「その様子をみて…」とのいう返事であったのですが、まもなくよくなってきたので引き受けたということでした。2015年の6月のことでした。
 内容は、原稿入稿から、指示・手配し、さらに組み上げることを一人でやるのですから「できるのだろうか」という不安もありました。そこでは半年くらいは無我夢中で、気がつけば年末になっていました。
 一年がすぎるときには、どうにか自分なりのペースができてきて、段取りも少しずつよくなってきました。

 ぼく流にいえば、これは「島流し」のように思える日々もありました。
 でも、自分なりの形で仕事が進められるようになるとどこよりもいい職場かもしれないと思うこのごろでした。
 お客には融通をきいてもらったり、こちらも無理を承知でやることもありました。そんなとき、怒りもこみあげてきたときもありました。

 人間っておかしなものですね。実際、日々終わっていく仕事のあとに思うことは、今まで仕事のことなどで「イヤナお客」であっても、こうして去るようになってしまうと、許せてしまうような気持ちになっていることに気がつきまます。映画「男はつたいよ」で、だんご屋のおばちゃんが、旅に去っていく寅さんの後ろ姿をみていうセリフ「なんで、人は別れるとき、今までのことに、こんなに素直になれんだろうね…」のようです。

 ぼくもいい経験をさせてもらったように思えます。この機会を奇貨として、また新しいところで自分なりにできることで頑張っていけたらと思えます。



『支度』
何の匂いでしょう
これは

これは
春の匂い
真新しい着地の匂い
真新しい革の匂い
新しいもの
新しい匂い

匂いのなかに
希望も
夢も
幸福も
うっとりと
浮んでいるようです

ごったがえす
人いきれのなかで
だけどちょっぴり
気がかかりです
心の支度は
どうでしょう
もうできましたか
黒田三郎・岩崎書店「豊かな言葉・日本の現代詩④」より



 春の便りを聞けるような季節がめぐってきたことは寒がり屋のぼくにとっては、大変うれしい限りです。
 少しずつ公園で遊ぶ子どもたちの声も大きくなっていくように聞こえます。来週は、月刊誌が終わります。もうひと踏ん張りが必要な週になるようです。まあ、あまり変わらばえしない雑誌ですが、2週間ほど悩みつつやってきた雑誌です。少しは愛着も持ちます。
 さて、異動後はどんな仕事をするのでしょうか。
 「ながい島流しでしたよ」遠島をもし渡され日々、流されないよう頑張りました…。次の職場では、重いものを持つ仕事は遠慮願いたいです。働いて体を悪くするのは本末転倒ですから。

 では今週はこのへんで。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

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