日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

8月も終わりです。

2016年08月28日 | Weblog

 こんにちは。
 8月も月末。
ブラジルで行なわれていたリオ五輪が終わった。
8月に入ってから連日、どこかのテレビチャンネルでリオ五輪の熱戦をやっていた。
 これまでテレビをみていてお笑いタレントがトークする番組が多かったので楽しい日々だった。笑えないトーク番組ほど嫌いな番組もない。そんなわけで日々にへきえきしていた。
五輪放送は、笑いはなかったが真剣に死闘を繰り広げている選手たちの姿は美しかったように見えた。選手たちの4年に一度、全力を尽くして試合をする選手の熱戦には感動するばかりだった。そして、人間はここまでやれるのかな、という気持ちにもさせられたものだった。
 メダルを取った選手、取れなかった選手。
 代表選手となっても一競技に3位までにしかメダルがないわけであるからほとんどの人はメダルもないまま自国の帰って行くのだろう。マスメディアは、メダルをとった選手には大きな記事をつくり自国に報道する。しかし、出場選手のほとんどがメダルのないまま帰って行わけだ。「今度こそはメダルを」という思いで4年間の練習するのだろう。
 一年のわずかな期間だったが、こんなにも人の心を熱くしてしまうスポーツ競技はいいものだと思う。とりわけ、今年は難民の選手たちの出場もあった。自国で観戦し、応援してくれる人々の手のため、強いては自分のために頑張っている姿は多くの感動をつくったのだろうと思う。
 リオ五輪を見ていて、目標があることは素晴らしいことなのだろうと思い返していた。
 少なくとも、参加した選手たちには4年後の目標ができたのだろう。実際の自分の実力がどれくらいあったのか大会のなかで肌で感じたように思える。
 4年後が楽しみである。

 そして、終わってみて現実の生活にはいる。
 夢のっ舞台は終わったと…、思って町に出てみると人はそれなりの次なる楽しみをさがして動きはじめている。たとえば、お祭り。(そんな季節になったのかと感じさせてくれる)。
 もう秋は足元にきていて、それをどう人に感じさせるかは日々の人の動きもあるのものだと思える。
 台風10号が近づきつつある休日。雨の止んだのをさがしていた午後の時間、太鼓や笛の音とともに町内会が町にくりだした。きょうも、人は現実を追っている。老いも若きも、このときは年をわすれて必死に山車をひいたり、太鼓をたたいたり、観客もいつのまにか笑顔になっている時間でもある。



 季節は、少しずつですが秋にむかっているように感じる音があります。朝夕、静かなとき虫たちの声も小さく聴こえてきます。暑いのはもう少しの間…と思わせるような8月の末です。

 さて、今月はどんな本を持ち歩いて読んでいたのでしょうか。
 わたしは、小林一茶の俳句の本を持ち歩いていまし。以前、ラジオを聞きながら散歩をしていたとき小林一茶の講演会の放送を聴いていてとても興味を持ち、さっそく読んでみた本です。それも、一瞬を短い「俳句」という文章をつくる。五七五という17文字のなかにその時の気持ちや様子を表現している文学。なにか、このめんどうくさい世の中をとても簡単にひねくり出した17文字でしょう。
 他に俳人はいるのですが、小林一茶を選んだのは、講演のなかで「一茶40代にして歯もほとんど抜け」という文句がとても気になりました。これは、ここだけ「僕とおなじじゃまないか」と思い、ではどんな人なのかな思いもあり読んだ一冊でもあります。

 ちなみにこんな俳句があります。<なけなしの歯をゆるがし秋の風>



■p81 日々かわる風物、夜々ちがう旅枕、旅は憂いもの辛いものであるけれど、野山の美しさ、知らぬ町の面白さ、それに鄙(ひな)の言葉の目あたらしさ。

■p108 日よ月よ増ゆるものには白髪かな> ■p118 手すりて蚊帳の小すみを借りにけり> ■p189 生き残るわれにかかるや草の露>■p207 寝すがたの蠅追ふけふが限りかな>■p228 うしろから秋風ふくやもどり足> ■p252 うら壁やしがみつきたる貧乏雪> ■p278あとあとの人に飽かれた梅の花> ■p281 元日や我のみならぬ巣なし鳥

■p290 連句の醍醐味はここにある。連衆の丁々発矢の応酬の中、互いの人生がうかがえ、処世観が浮び出る。風流ごころの深浅もやさしみの厚薄も。それをともに尊び、より親しみを共有する、このうれしさ。

■p320 ふるさとやよるもさはるも茨の花> ■p330 なけなしの歯ゆるがし秋の風> 

■p360 今まで生きて、あちこち世間をみてきた一茶は、身内に道を外れた極道もんを持つ苦しみも、よくわかるつもりだ。身内は切るに切れない。久離切って勘当さすれば、法的に連座の罪はまぬかれるというものの、血は切れないのだ。

■p388 われ好きてわがする旅の寒さかな> ■p432 うつくしや障子の穴の天の川> ■p464 はづかしやおれが心と秋のそら


【感想】
 最近、還暦になり「ぼくの人生はなにをしてきたのか…」って考えることが多い日があります。
 働いてきた、ということはありますが、それに付随していったい何を支えにきたのだろうか、と思います。人生あとわずかで終わり…と思うと現実にいったい何がこれまで支えてきてくれたのかなあ、とも思います。
 これまで、多くの人に支えられて生きてきてそのなかみをもうちょっと考えてみようという気持ちで読んだのが小林一茶の自伝ともいえる『ひねくれ一茶』という本でした。

 小林一茶とう俳人の人生。
 農家との子としてうまれ、家族の一員とすごす日もなく江戸に奉公に出される。奉公先で俳句とめぐり合う。その俳句を人生の糧として生きる。勉強を重ねて、全国に俳句行脚の旅に出る。旅先でいろいろな景色のなかに生きる人々の姿を俳句に残していく。
 気がつけば50歳を過ぎている。長野の父もなくなり、遺産相続問題、結婚、子どもの誕生。そんな中で、いままで世話になった全国の俳句仲間が鬼門にいく。その姿を隠さず俳句と向き合って創る姿勢が後の一茶が一茶という名を遺した所以だろうと。俳句その数約2万句ととてつもない数を残した。その一句、一句を読んでみると今生きている一茶の心の風景が浮かび上がってくる。

 俳句という「風流」を楽しむ世界から、市井の現実を描写した一句はいまでも感動的だと思える。
 自分の身の周りにおこっている事実が今も昔も変わらないということをつくずく感じさせる物語。
 読み終えて、では「ぼくはどんな足跡を残してきたのだろうか」と。借金くらいだろうかと。



【内容】
 浅草寺の境内にたたずみ、通る人を見つづける。これと思う人に声をかけ、山門の壁ぎわに立ってもらい、40年。撮った人は1000人を超えた。1973年以来、写真家・鬼海弘雄がいまも撮り続ける肖像群。その中から80人の他人とは思えない世間のひとたち、誰しもが「王」であり、強い存在感で迫る。初出100人以上、また間にエッセイを挟む。写真についての考えを語ったあとがき付き(ちくま文庫紹介より)。

【感想】
 日々の生活の中で「しんどさ」を感じたら手の取って読んで(実際はみる)みると楽になるような本だと思える。小説もマニュアルも読むものに疲れたとき気がついてカバンのなかにいれていたら、いつの間にかまくらもとに置いていた。写真集に橋口譲二の『17歳』がある。17歳という年代の人たちを撮ったもの。大人への入り口で悩んでいる様子や、これからやろうしているも夢への明るさや暗さが見えるような写真集であると思う。『17歳』は不安、希望、夢などが表現しているとしたら『世間のひと』の人々は、人生浪花節、達観している人、なんと思われようと自分をつらぬいて生きている人などが見える。

 どんなにぶざまに世間が評価しようと「私は私」という頑強な姿の世間の日々を追った写真集は語っているように思う。自分がこれまでの生活が今の自分がいるんだ…ということを隠さず、騒がず淡々と写真に撮られている『世間のひと』と人たち。
 そのオン姿をみてると、落ち着いてくる読者になっている、そんな不思議な一冊でした。




 年賀状以外にはがきを使うことはめずらしくなった。
 夏には暑中見舞いという安否をたずねるはがきがある。最近は、メールやツイッターというもので終わってしまう。それでも、ゆっくり手元にとって自分の様子を伝える通信手段は貴重だと思っている。相手も自分もゆっくり読めるのがいい。

 今年も暑中お見舞いを数人に送った。
 忘れたころに、電話でのお礼やらはがきなどでいまの様子を伝えてくる。
 元気なのか病気なのか、それとも不通なのかわかってくる。
 まだ、返事のない人のことを思いつつ秋がかくる。日々の忙しさの中に忘れていくのだろうと思う。

 今年は仕事の関係で夏休みがとれず、とうとう月末に振り替えていた。
 やはり、お盆の時期一緒に休んで同じ、空気の中で楽しみたいと思います。



 気がつけば雨が多くなり、台風もやってくる。
 秋がそこまで来ているのだろうと思う。ちょっとは涼しくなると安心する。
 
 今回は「今月の読書」は「カバンのなかみ」というタイトルにしてみました。一か月間、通勤電車や散歩の途中でカバンに入れておいた本を紹介することは同じです。ちょっとした「気分転換」というところです。
 来週は台風10号がいよいよご対面するかもしれません。
 「大型でたいへん強い台風10号」というニュースは連日続いています。「厳重に注意してください」などということもいっています。そんなにいうのであれば、「会社は休んで外に出ないでください」といってくれた方がよりわかりやすいのにと思っていもいます。そんなに危険なら仕事どころではないだろうと。正直ではないですね。


 今週はこのへんで失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。


残暑お見舞い申し上げます

2016年08月21日 | Weblog




 今週、待ちに待っていた夏休みが終わりましたね。
 いかがだったでしょうか?
帰省した方は、今年の故郷での休みはいかがでしたか。過ぎてしまえばもう日々の生活に追われる日常に舞い戻っています。わずらわしい日常からちょっとの間でも忘れることができることは大切ですね。そんなことを思った短い休みでもありました。

 台風7号の強い風雨が去った翌日は、さすがに「台風一過」で暑い夏がもどってきました。盆休み中に仕事にでかけることは、何かいつもの通勤ではない風景にでくわします。
 その一つに、やたらと大きなバッグをかかえた旅行者らしき人たちを多く見変かけます。
東京見物でしょうか。
 住んでしまうと何となく便利な首都・東京です。あとは情報が盛りだくさんでどこへでかけるのもお金と時間があればあきさせない首都です。とはいうものの、お金も時間もない人にとっては、ただ働くだけのひとつの場所でしかないように思えます。最近は、つくづくそんな思いで住んでいます。

 今月はリオ五輪ありした。さらに甲子園ありとスポーツ観戦は充実していた月でもありました。4年に一度のスポーツの祭典。代表選手にとっては4年間のすべてを凝縮させ、期待というプレッシャーのなかで実力を思うぞんぶん発揮しようとしたリオ五輪でした。それでも、多くの選手は、実力以上の技術やパワーにのみこまれるように敗退していったのだと思います。
 4年間費やしてやってきた練習以上の実力が出た選手もいるでしょうか。
 金、銀、銅メダルの3個をとるために選手たちの夢舞台も終わりです。
 開催国がブラジルということもあって、夜中のライブが多いオリンピックでした。
 勝利を手にした人も、敗れてしまった人も一つのフィールドの中で実力を出し合って勝敗が分かれ悔しがる人、励まし合う人。人間のもっている厳しさや優しさを見たよういに思います。

 さて、みなさんはどんなふうに思えた一週間でしたでしょうか。



1■ 今週はやすみ



◎盆明けの涙目こすりしあくびかな




 8月も今週はいちばん忙しい週でもあった。毎年のこととはいえ、お盆休みもとらず職場に出勤をした。
 職場では、さすがにお盆である。出勤したひとは二人。この二人のために今日は出勤したわけだった。

 頭の奥では、いまごろこの夏休みを利用してエンジョイしている人の知人の顔が浮かんだ。暑い日差しのなかで休んでいる顔を浮かべていたら、たまらなく「孤独だなあ」と思った。仕事はいえ、日本中の休みの中、仕事をもくもくやっている人の顔も浮かんだ。交通関係者の労働者は、人の休みを楽しませるために動いている。これが動かなかったら、いったいどうなるのだろうと思えた。
 そういえば、ぼくもここにきて二人のお客さんのためにきているのだろう。二人のお客は、自分の責任をまっとうするためにここにいるのだろう。

 とはいえ、いつも月末は忙しい。
 原因は、はっきり言えば全部、相手の都合であるように思える。予定があるのだが、その予定を無視しているかのように入稿してくるのだ。これでは、永遠にこの月末は続くのではないかとあきらめにもなっていく。
 とくに、雑誌の編集でいちばん重要視されるのは、原稿の内容でもなく、筆者の思い出もない。それは読めばわかることなのだ。大事なのは、印刷日である。つまり、底が決まっているからどうにでもしてその印刷日に落ち着いてしまえば「おわり」となる。とはいえ、その都合で行けばその間に入って仕事をしているぼくなどは、月末はつねに忙しいという「愚痴」は絶えない。

 これでいいのか?
 いいわけはない。スケジュールがあり、そのスケジュールにそって仕事がすすめばぼくもゆっくりできて余裕もできる。余裕ができれば、休める。その余裕がミスも少なくする。
 盆休みは日本人の年中行事だ。
 悲しいことだなと思いつつ終わった一週間だった。
 とはいえ、齢をかさねて「再雇用」ということでがんばってきたが、なぜここに正規社員がいないのだろうかと…。これでいいのかな.。

※おまけ
■老人の教訓 その1∴あわて者にはなにもいいことがおきらない
 ちょっとあわてていたのでしょうか、出かけにカメラを鞄にいれてませんでした。その分、今週は写真がオアお粗末になってしまいました。やっぱり、あわてているとろくなことがありませんね。自分の中ではあわてるようなころもないのにと…心掛けています。
 

 まだまだ暑い日が続きそうです。
 読者の皆様も体調を崩さぬようにご自愛ください。
 きょうはこのへんで。

 読んでくれた人、ありがとうございました。

終わったおお盆休み

2016年08月14日 | Weblog


 8月が始まったと思いきや、リオ五輪、夏の甲子園大会と日夜スポーツ番組と首っ引きで寝不足の日々が続いているこのごろです。
 読者の皆さんはいまごろは、帰省ラッシュからのストレスから解放されて故郷でのんびり過ごしている頃でしょうか。(うらやましい…)
 
 いま世界中でいちばん忙しいのはオリンピックの選手たちではないのでしょうか。4年に一度のスポーツ競技大会。4年の練習の成果も長くて2時間ちょっとに凝縮されるオリンピック。一生懸命もさることながら、ストレスはのんびりテレビ観戦を楽しんでいる人には理解できないほどでしょうか。
 マスコミでは「メダル!メダル、金メダル!」とプレッシャーをかけては記事にしているし、期待も大きい選手ほど大変なのでしょう。

 応援する選手の活躍はいいかがだったでしょうか。

〇初メダルうれし涙の夢舞台
〇初メダル夢の舞台に湧き上がる


 代表選手になるのでも大変なのに世の中は「メダル」の期待をしています。その期待にどれだけ応えるのかということも選手たちの役目なのだろうと思えます。だからといって、一生懸命頑張っている選手が失敗をして入賞さえできなくなったりもします。オリンピックに参加して、メダルを獲得するのはほんのわずかな人たちだけです。それが勝者と呼ばれるわけですが、敗者がいて勝者がいるように負けてしまった選手も大切な一選手です。

 団体競技であれば、一人の選手のミスは他の選手がカバーします。体操団体はそれがいちばんよく出た試合だったと思います。得意・不得意は誰にでもあるものです




◆■ 今週は夏休み■◆




 久しぶりの山歩きでした。
 夏はとにかく汗ばかりかいていく山歩きです。汗をかかなくては頂上にいけないのがこの時期の山歩きと言っても過言ではないでしょうか。だから、水分も十分確保するのが大事な時期でもありようです。

 さた、今回はこれまでより距離をのばして陣馬高原から高尾までの縦走でした。最近は小仏までで下山をしてきた山の歩きでしたので「どいかな」という心配もありました。
 60歳で初の全工程への挑戦でもありました。
 おつもなら高尾山で多くの観光客がいるのですが、当日は少なく歩きやすもよかったのだと思います。

 最近ほとんど行かなくなった高尾方面でしたので、この日はあまりにも変わってしまった登山道には驚きました。城山~一丁平は、以前は狭くて歩きずうらかったのですが、登山道も広く整備されていていました。
 高尾から城山までは運動靴で充分だと思います。城山から小仏、景信はできれば登山の準備はした方ぷがいいのでしょう。(写真は電池切れで撮れませんでした)。

 朝8時30分に出発してや高尾山口には午後4時30分。
 食べ物より水分を十分補給して歩くことが大事だと思います。
 
 普段はたいへん混雑している高尾山ですが、13日(土曜日)はお盆のよいうこともあるのでしょうか少なく静かな山歩きができました。
 帰り道名物「高尾まんじゅう」も買うこともできました。

 ちなみに年々、登山者の服装がカラフルのなってくるような気がします。この時期は、短パンにインナータイツととてもカッコウよく見えました。今は、山は地味ではなく派手なのでしょうか。高尾山あたりではそれほおど準備はしなくてもいいと思います。服装は北アルプス縦走なみの人も見かけます。これほど用具が必要な山だとは思いませんが、好き好きです。もっと身軽になって、歩きながら自然を満喫する余裕があったほうがいいのだろうと思うのですが…。
 山歩きをするのも、道具を選んで行くのも楽しみでもあります。今日の天気の状態や自分の体調に合わせて相談していくのも楽しみでもあります。どんな楽しみ方があるのかはそれぞれ選ぶことも大事だと思います。
 僕の場合、できるだけ道具を少なくししていきたいと思います。
 この日持参してよかったのは、氷をいれた保冷ボトル。冷たい水は貴重です。また、登山靴のビブラム部分のくつ底がはがれてしまった人も見かけました。テープで応急処置をしていました。バムテープも必携かもしれません。

 大汗をかきながら歩いた一日でしたが、さすがに少しずつ風は涼しくなってきています。頂上ではシートをひいてのんいびりしたかったのですが、シートも忘れ、カメラの電池も切れ、散々でしたがこんものだと一日を終えました。


 と、ぼくの夏や休みも終わりです。予定した、墓参り、山歩きも実行できましたがあまりのんびりできた休みではありませんでした。これで、9月にはいっていきます。まだまだ暑さは続きそうです。仕事が始まれば、暑さも忘れる日々が続くのだと思います。


 やっぱり夏休みといえば、盆踊りや阿波踊りが懐かしい8月です。
 さてさて、今週は休みが少しあったわりには写真が少ない週でした。それというのも、山で撮るつもりでもっていったカメラの電池が切れてしまったという経験がありました。
 なんともなさなく…。
 
 読んでくれた人、ありがとうございました。
 

リオ五輪、夏休み、お盆とはいうけれど…

2016年08月07日 | Weblog

 こんにちは…
 8月になりました。毎日暑い日がつづいています。「十分な水分補給と…」という天気予報の声をあとに出勤する日々です。
 そろそろ、高速道路では帰省の渋滞が始まることでしょうか、くれぐれも車中でのスマホはやらないでください。

 今週、ブラジルのリオデジャネイロ五輪が始まりましたね。
 ブラジルでの開催で日本ではほんとんどライブではみることがないだろうな…と思います。
 明けても、暮れ…も「金メダル、金…」と熱狂的な応援に選手も大変な日々が始まるのでしょう。たいへんだろうと思います。選手は、一生懸命やっている競技をみせてくれるだけでも貴重な時間だと思えます。

 4年に一度。それも、何分間という時間にかける選手のプレッシャーを考えると大変なことだと思えます。
 普通にない、非日常という晴れ舞台の、負けても勝っても応援してあげたいと思います。とはいえ、深夜の応援、寝不足にならないようにしたいものです。夏が終わったっら、夏バテで寝込んでしまうという年齢でもあります。

 とはいえ、やはり興奮は現地の人がいちばんだろう。

 私が子どものころ、東京五輪があった。地方にいるとほとんど無関係というくらい静かな日常だった。日本人が金メダルをとったというニュースはあったのだろう。子どもの私はニュースをみることもなかった。記憶にあるのは、100メートル走のヘイズというアメリカの黒人選手とショランダーという白人の水泳選手くらいだった。どちらとも他をよせつけないほどのスピードで金メダルをとった。それでも、人種差別はいろこくあったように思う(いまでも人種差別はニュースにもなっている)。
 メキシコ五輪では、アメリカの陸上選手がメダル授与式で黒い手袋をたかだかとつきあげた光景をどこかで放送していた。
 スポーツの祭典とはいっても、それぞれの国のかかえる問題もいろいろだろう。自分とはほど遠い政治の世界がスポーツにも影を落としている状況は今も昔も同じだ。それをも抱えて選手が出場していくなかで、少しでも平和への光をつなぐ行為があるそしたらスポーツは大きな方法だと思う。
 今年は難民の選手が出場している。政治的な理由で自分の土地を逃れ、危険からのがれた人たちだ。五輪にでるために一生懸命練習を積み重ねてきたが、一瞬にして国は壊され行き場を失ってしまったのだろう。
 難民になってもなおあかつスポーツを信じて出場する選手に拍手です。

 ちなみに、大会で面白いのは選手も以上に、実況中継をしているアナウンサーが面白いと思います。
 失敗しても、成功しても、興奮の頂点にたった実況中継は歴史にのこる言葉がでてきますよ。
 さて、今回はどんな中継での雄叫びがきこえるだろうか。楽しみにしている。



◆■ 今週お休み







 今年は「山の日」という祝日がある。木曜日にあるので、金曜日も休めば一週間は休める計算になる。
 とはいえ、いまの職場「ひとり職場」である。
 「ひとり職場」にきてからというもの、まともに盆休みをとったことがなくなった。「みんなが休んでいるとき誰かが働いている…」の「誰かに」なってしまった。

 おおよその人が休んでいるとき仕事をするっていうのは、どういうことなのだろうね。公務員でもないし、期日を設定されたものに関係している仕事とかあるのだろうか。
 わたしの場合、ちょうど旧盆の週には雑誌の責了日が重なっているとうこと…か。

 最近、小林一茶(俳人)が好きになりまして、俳句を読んでいいますよ。
 ゆっくりものごとを観察して、その様子を自分の思いをこめて「季語」をいれて一句だそうです。

 夏の夜に風呂敷かぶる旅寝哉(一茶)


 まあ、こんな年もあるだろうと…なかばあきらめている。無理せず、来週もやろうと思う。
 今週はこのへんで…。休日出勤分は月末にでも振替休日にしよう。また、つっくり山歩きでも行ってこようと思いますが…。
読んでくれた人、ありがとうございました。